第八話 0と1の世界から
ボストークチャットの画面に、新しい訪問者の発言が映し出された。
「プシンカが入室しました」
「プシンカ『こんばんは!』」
「ライカ『こんばんは』」
「ユーリィ『こんばんは。早速来たんだな、プシンカ』」
「プシンカ『貰ったハンドルネーム、早く使ってみたくて! 映画とかみたいでかっこいい!』」
「チェルヌーシュカ『映画?』」
「ヴェテロク『確かに、何かスパイ映画みたいな偽名だよな』」
「ウゴリョークが入室しました」
「ウゴリョーク『こんばんは』」
「ストレルカ『こんばんは。プシンカが歩君、ウゴリョークが恵君でいいんだよな?』」
「ウゴリョーク『はい』」
「ベルカ『本名言っちゃったら、ハンドルネームの意味無いだろ』」
「ユーリィ『まあ、ここはオレ達以外が見ているわけではないから良いだろう』」
「ヴェテロク『プシンカもウゴリョークも、それぞれパソコン持ってんだな』」
「チェルヌーシュカ『すごいね、その歳でもうパソコン使えるんだ』」
「プシンカ『オレは解らないとこ多いけど、メグはすごいですよ! コンピュータのことすごく勉強してるんです!』」
「ストレルカ『そうなのか? すごいんだな、ウゴリョーク。オレやっとの思いでパソコンのキー打ってるのに』」
「ベルカ『ストレルカはブラインドタッチも出来ないもんね』」
「ウゴリョーク『そんなに大したことは勉強していません。今時、ブラインドタッチ出来ない高校生いるんですね』」
「ストレルカ『うーん…』」
「ライカ『そんなこと言わないで、ウゴリョーク。色んな人がいるんだから』」
「ウゴリョーク『すみませんでした、ストレルカさん』」
「ストレルカ『いいよ。オレも頑張ってパソコンちゃんと使えるようになろう。じいちゃんのパソコン借りて使うのも限界あるから、自分のパソコン欲しいけど、まず迷わずに電源入れられるようになってからだってじいちゃんが』」
「ベルカ『そこからなの!?』」
…深夜近くなった頃、朔は祖父のパソコンから顔を上げた。
「はー。」
息を吐き、肩を回してから、朔はまた画面を見た。
「えっと…パソコン終わるには…あった、ここだ。」
パソコンを操作し、電源が異常なく落ちたことを確認すると、朔はまた一つ息をついた。その顔は穏やかな笑みを形作っていた。
小さな声で朔は呟く。
「…楽しいもんだな。」
深夜。
大方の参加者が退室した後のボストークチャットで、悠里とライカは話をしていた。
「ライカ『このチャットも賑やかになって来たね』」
「ユーリィ『そうだな』」
「ライカ『嬉しいでしょ、ユーリィ』」
「ユーリィ『ああ』」
「ライカ『ユーリィの夢、もうすぐ叶うかなあ?』」
「ユーリィ『どうだろうな』」
「ライカ『叶うと良いね。僕、応援してるよ』」
「ユーリィ『その夢も叶えば良いと思っているが、オレにはもう一つ願いがある』」
「ライカ『何だっけ?』」
「ユーリィ『ライカを抱きしめたい』」
「ユーリィ『叶わぬ願いだろうか』」
「ライカ『…ごめんね』」
「ユーリィ『謝らないでくれ。頼むから』」
「ライカ『…うん』」
「ユーリィ『それじゃあ、オレはそろそろ寝る。おやすみライカ。愛している』」
「ライカ『うん。僕も愛してる。おやすみなさい』」
「ユーリィが退室しました」
悠里がチャットルームを退室した後。
沢山の0と1の集合体、それが形作る広大な世界でのことだった。
そこに作り物の真っ白な翼を背に負った、中性的な顔立ちの女性が一人いた。
女性の周囲は沢山の0と1に取り巻かれている。女性はその0と1を大切にするように指を伸ばす。
そして、泣きそうな顔で呟いた。
「ごめんね、ユーリィ。ユーリィの願い、叶えてあげたいよ…。」
翌日の午後。
「こんにちは!」
「こんにちは。」
カフェボストークのドアが開けられ、入って来たのはプシンカこと歩と、ウゴリョークこと恵だった。
「よう、プシンカ。ウゴリョーク。」
「こんにちは。」
先にいた虎徹と瑠璃が挨拶を返した。
歩と恵はランドセルをボックス席に置き、宿題を広げ始めた。
「プシンカ、学校また行き始めてどう?」
瑠璃が問うと、歩は苦笑した。
「色々大変。勉強はメグから教えてもらってたから大丈夫だけど。」
「でも、学校行けるなら行っておいた方がいいと思う。私はろくに行けなかったからね。」
瑠璃の台詞に、歩が小首を傾げる。
「学校、行けなかったんですか?」
「…うん、能力のせいで。」
瑠璃の返答に、歩は気まずそうな顔をした。歩を見て瑠璃はにこりと笑んだ。
「そんな顔しないで、プシンカ。今こうしてみんなといられて、私は嬉しいんだから。」
歩は目を丸くして瑠璃を見てから、笑い返した。
「…へへ。はいっ。」
「うん。」
瑠璃が頷く。
恵はそんな歩の様子を横目で見ながら、黙々と宿題を進めていた。
カフェのドアがまた開いた。
「こんにちは。」
「こんにちはー。」
入って来たのは鼎と朔だった。
「えっと…ユーリィさんは?」
店主がいないカフェの中を見、朔が疑問符を浮かべると、虎徹は朔に視線を向けた。
「あー、ユーリィさん、パソコンの何かの表示がおかしいって、ずっと頭ひねってるみたいだ。普通に使う分には大丈夫みたいなんだが…。」
「そうなんですか!? メグ! 見てあげてよ!」
歩がすぐに反応して恵を呼ぶ。恵は僅かの間黙ってから、小さく嘆息して立ち上がった。
「…解った。」
皆がカフェの地下に降りていくと、悠里が一人でパソコンと格闘していた。
「ユーリィさん。」
虎徹が呼ぶと、悠里は疲れた様子で振り返った。
「お前達か…。」
「その様子だと、解決してないみたいですね…。」
皆が心配そうに悠里を見る中、恵が前に出た。
「貸してください。」
恵はディスプレイをしばらく見る。
「おかしいのはここか…。まず再起動…。…それから…こっちを…。」
恵は呟きながら、キーボードを何度か叩いた。
それからすぐに、恵は悠里を見た。
「これでいいはずです。」
恵に言われ、ディスプレイを見た悠里は感嘆のため息を漏らした。
「…正常になってる…すごいな。」
「これからは、時々再起動した方がいいですよ。」
恵が冷静に話すと、朔は目を輝かせた。
「すごいんだな、ウゴリョーク。」
続けて虎徹と瑠璃も感心した様子を見せた。
「あっという間だったな。」
「うん、ウゴリョークすごい。」
賞賛の言葉を向けてくる皆を見て、恵は少し思うように黙ってから、呟くように返した。
「この位、大してすごくありません。」
悠里が恵に礼を言った。
「ありがとう、ウゴリョーク。…少しおかしいだけでも、色々気になってしまって…。」
「…ライカとの繋がりですからね。」
鼎がぽつりと話すと、虎徹と瑠璃も頷いた。
「全くですね。」
「ライカさんと繋がる唯一の手段だものね。大事にしないとですね。」
その言葉を朔は不思議そうな顔をして聞いた。
夕方。
帰路についていた朔は、隣を歩いている鼎に話した。
「ライカさんって不思議だな。」
鼎が黙って朔に意識を向けると、朔は色々と思い出しているようだった。
「何て言うか、チャットでは普通に話ししてるけど…ボストークの人達にライカさんのこと聞けば聞くほど…不思議な人だなって。」
「そう。」
鼎はそれだけ言い、朔の隣を歩いた。
「不思議だって、メグも言ってましたよ!」
一緒に歩いていた歩が、朔と鼎に向かって顔を上げた。
「チャットの管理者だって言ってたけど、普通の人が管理してる感じがしないって。人工知能でもなさそうだし…って。な、メグ。」
歩が恵を見やる。恵は仏頂面をして黙って歩いていた。
不意に鼎が話し出した。
「…ライカはお化けみたいなものなんだって。ユーリィさん言ってた。」
「お化け?」
朔が疑問符を浮かべると、鼎は続けた。
「実体が無いんだって。本人がそう言ってたみたい。…本当かどうかは解らない。何しろネットを介してしか会話出来ないから。本当は何処かの人間、誰かが普通にライカなのかもしれない。でも、どうやってもライカは僕達の前に現れることは出来ないんだ。」
鼎はどこか遠くを見るような表情を見せた。
「それでもライカはライカ。僕達みたいな奴らの話をちゃんと聞いてくれて、ユーリィさんと好き合ってるライカ。だから、僕はどっちでもいいんだ。」
淡々と語られる鼎の言葉を、歩は不思議そうな顔をして聞き、恵はただ前を向いて歩いていた。
朔は考えるように少し黙ってから、顔を上げた。
「…そうだな。ライカさんはライカさん。いいな、そういうの。」
「そう。」
笑顔を見せる朔に鼎はそれだけ返すと、また前を向いて歩き出した。
双子達を自宅の玄関まで送った朔と鼎は、二人に別れの挨拶をした。
「じゃあな、プシンカ。ウゴリョーク。」
「それじゃあ、また。」
歩は笑顔を見せ、恵は憮然とした表情を変えずに返した。
「はい! また!」
「さようなら。」
朔と鼎が歩き出す。
不意に恵が歩を進めた。
「ストレルカさん。」
小さな声で呼ばれ、朔が振り返ると、恵は朔を睨むように見、吐き出すように口にした。
「僕は騙されませんから。あなたもあの人達に騙されないでくださいね。あなたは能力の無い、普通の人間なんですから。」
鼎は少し離れた所にいる朔と恵を、黙って見遣った。
朔は一瞬黙ってから、恵に話した。
「どっちにしても、大丈夫だと思うよ。」
恵は僅かに眉間にしわを寄せた。
「メグー! どうしたー?」
歩に呼ばれ、恵は自宅に走って行った。朔は鼎と並び、今度は朔の自宅に向かって歩き出した。
歩きながら、朔は鼎に問う。
「オレ、みんなに騙されてるのか?」
「そう思う訳?」
冷めた調子で鼎が返す。
「思ってない。…でも、もし騙されてるとしても、大丈夫だと思ってる。だから、どっちでもいいんだ。」
朔が笑ってみせると、鼎は呆れ顔をした。
「騙されてもいいんだ。」
「騙されたとしても、悪いことにはならないと思ってる。みんないい人だから。ユーリィさんも、ライカさんも、ヴェテロクさん、チェルナさんも、プシンカも、ウゴリョークも…鼎も。…やっぱり変か? こんな考え。」
朔の穏やかな声に、鼎は一瞬目を丸くすると、朔から顔を逸らして歩き出した。
「…さっさと帰ろう。」
「そうだな。」
二人はまた歩き出す。
朔から見えない鼎の顔は、小さな穏やかな光を湛えていた。
0と1が作る広大な世界。
そこに一人の青年がいた。作り物の黒い翼を背に負った、中性的な顔立ちの青年だった。
青年の少し先に、青年と瓜二つの女性がいる。女性は何者かと楽しそうに話をしているようだった。
青年は女性に向かい、手を伸ばす。バチリと音がして、手が弾かれる。青年の手を弾いたのは、女性を取り巻く沢山の0と1だった。
青年は苛立たしげにため息を吐いた。
「姉さんはそっちで、彼氏とずいぶん楽しそうだね。」
青年は見上げた。そこには窓のように画面が表示されている。
「メルクリウス経由じゃ、まだ当分かかるかな…催促しておこうか。」
青年は画面に向かって情報を送ってから、また少し離れた女性の方を見、呟いた。
「オレは早く会いたいよ…ライカ姉さん。」
街の雑居ビルの一室。
メルクリウスは険しい顔をして、パソコンのディスプレイを見ていた。
「またジェミニから催促されてるのか?」
横からアトラスが声をかける。メルクリウスは返事のようにため息を吐いた。
ディスプレイに表示されているのは、先程送られて来た文字の羅列だ。
「早く持ってきてよ」
「オレは早く姉さんに会いたいんだってば」
「ホント遅いんだから、君は」
メルクリウスはアトラスに視線を移した。
「ボストークの奴らと接触した奴はいないのか。」
「最近はいないな。」
「…Vと1Bも音沙汰はないか…。」
メルクリウスが気落ちしたように俯くと、アトラスは言った。
「秘蔵っ子のVと1Bまで引っ張り出すことなのか?」
メルクリウスはアトラスをキッと見た。
「当たり前だ、ジェミニの姉を一刻も早く救い出さなければ…。」
「…本当にか?」
アトラスは真っ直ぐにメルクリウスを見返した。メルクリウスはアトラスから逃げるように視線を逸らした。
「…当たり前だ。」
「そうか。…それがお前の答えなら、オレはそれでいい。」
アトラスの声は穏やかさを持って響いた。
To be continued
「プシンカが入室しました」
「プシンカ『こんばんは!』」
「ライカ『こんばんは』」
「ユーリィ『こんばんは。早速来たんだな、プシンカ』」
「プシンカ『貰ったハンドルネーム、早く使ってみたくて! 映画とかみたいでかっこいい!』」
「チェルヌーシュカ『映画?』」
「ヴェテロク『確かに、何かスパイ映画みたいな偽名だよな』」
「ウゴリョークが入室しました」
「ウゴリョーク『こんばんは』」
「ストレルカ『こんばんは。プシンカが歩君、ウゴリョークが恵君でいいんだよな?』」
「ウゴリョーク『はい』」
「ベルカ『本名言っちゃったら、ハンドルネームの意味無いだろ』」
「ユーリィ『まあ、ここはオレ達以外が見ているわけではないから良いだろう』」
「ヴェテロク『プシンカもウゴリョークも、それぞれパソコン持ってんだな』」
「チェルヌーシュカ『すごいね、その歳でもうパソコン使えるんだ』」
「プシンカ『オレは解らないとこ多いけど、メグはすごいですよ! コンピュータのことすごく勉強してるんです!』」
「ストレルカ『そうなのか? すごいんだな、ウゴリョーク。オレやっとの思いでパソコンのキー打ってるのに』」
「ベルカ『ストレルカはブラインドタッチも出来ないもんね』」
「ウゴリョーク『そんなに大したことは勉強していません。今時、ブラインドタッチ出来ない高校生いるんですね』」
「ストレルカ『うーん…』」
「ライカ『そんなこと言わないで、ウゴリョーク。色んな人がいるんだから』」
「ウゴリョーク『すみませんでした、ストレルカさん』」
「ストレルカ『いいよ。オレも頑張ってパソコンちゃんと使えるようになろう。じいちゃんのパソコン借りて使うのも限界あるから、自分のパソコン欲しいけど、まず迷わずに電源入れられるようになってからだってじいちゃんが』」
「ベルカ『そこからなの!?』」
…深夜近くなった頃、朔は祖父のパソコンから顔を上げた。
「はー。」
息を吐き、肩を回してから、朔はまた画面を見た。
「えっと…パソコン終わるには…あった、ここだ。」
パソコンを操作し、電源が異常なく落ちたことを確認すると、朔はまた一つ息をついた。その顔は穏やかな笑みを形作っていた。
小さな声で朔は呟く。
「…楽しいもんだな。」
深夜。
大方の参加者が退室した後のボストークチャットで、悠里とライカは話をしていた。
「ライカ『このチャットも賑やかになって来たね』」
「ユーリィ『そうだな』」
「ライカ『嬉しいでしょ、ユーリィ』」
「ユーリィ『ああ』」
「ライカ『ユーリィの夢、もうすぐ叶うかなあ?』」
「ユーリィ『どうだろうな』」
「ライカ『叶うと良いね。僕、応援してるよ』」
「ユーリィ『その夢も叶えば良いと思っているが、オレにはもう一つ願いがある』」
「ライカ『何だっけ?』」
「ユーリィ『ライカを抱きしめたい』」
「ユーリィ『叶わぬ願いだろうか』」
「ライカ『…ごめんね』」
「ユーリィ『謝らないでくれ。頼むから』」
「ライカ『…うん』」
「ユーリィ『それじゃあ、オレはそろそろ寝る。おやすみライカ。愛している』」
「ライカ『うん。僕も愛してる。おやすみなさい』」
「ユーリィが退室しました」
悠里がチャットルームを退室した後。
沢山の0と1の集合体、それが形作る広大な世界でのことだった。
そこに作り物の真っ白な翼を背に負った、中性的な顔立ちの女性が一人いた。
女性の周囲は沢山の0と1に取り巻かれている。女性はその0と1を大切にするように指を伸ばす。
そして、泣きそうな顔で呟いた。
「ごめんね、ユーリィ。ユーリィの願い、叶えてあげたいよ…。」
翌日の午後。
「こんにちは!」
「こんにちは。」
カフェボストークのドアが開けられ、入って来たのはプシンカこと歩と、ウゴリョークこと恵だった。
「よう、プシンカ。ウゴリョーク。」
「こんにちは。」
先にいた虎徹と瑠璃が挨拶を返した。
歩と恵はランドセルをボックス席に置き、宿題を広げ始めた。
「プシンカ、学校また行き始めてどう?」
瑠璃が問うと、歩は苦笑した。
「色々大変。勉強はメグから教えてもらってたから大丈夫だけど。」
「でも、学校行けるなら行っておいた方がいいと思う。私はろくに行けなかったからね。」
瑠璃の台詞に、歩が小首を傾げる。
「学校、行けなかったんですか?」
「…うん、能力のせいで。」
瑠璃の返答に、歩は気まずそうな顔をした。歩を見て瑠璃はにこりと笑んだ。
「そんな顔しないで、プシンカ。今こうしてみんなといられて、私は嬉しいんだから。」
歩は目を丸くして瑠璃を見てから、笑い返した。
「…へへ。はいっ。」
「うん。」
瑠璃が頷く。
恵はそんな歩の様子を横目で見ながら、黙々と宿題を進めていた。
カフェのドアがまた開いた。
「こんにちは。」
「こんにちはー。」
入って来たのは鼎と朔だった。
「えっと…ユーリィさんは?」
店主がいないカフェの中を見、朔が疑問符を浮かべると、虎徹は朔に視線を向けた。
「あー、ユーリィさん、パソコンの何かの表示がおかしいって、ずっと頭ひねってるみたいだ。普通に使う分には大丈夫みたいなんだが…。」
「そうなんですか!? メグ! 見てあげてよ!」
歩がすぐに反応して恵を呼ぶ。恵は僅かの間黙ってから、小さく嘆息して立ち上がった。
「…解った。」
皆がカフェの地下に降りていくと、悠里が一人でパソコンと格闘していた。
「ユーリィさん。」
虎徹が呼ぶと、悠里は疲れた様子で振り返った。
「お前達か…。」
「その様子だと、解決してないみたいですね…。」
皆が心配そうに悠里を見る中、恵が前に出た。
「貸してください。」
恵はディスプレイをしばらく見る。
「おかしいのはここか…。まず再起動…。…それから…こっちを…。」
恵は呟きながら、キーボードを何度か叩いた。
それからすぐに、恵は悠里を見た。
「これでいいはずです。」
恵に言われ、ディスプレイを見た悠里は感嘆のため息を漏らした。
「…正常になってる…すごいな。」
「これからは、時々再起動した方がいいですよ。」
恵が冷静に話すと、朔は目を輝かせた。
「すごいんだな、ウゴリョーク。」
続けて虎徹と瑠璃も感心した様子を見せた。
「あっという間だったな。」
「うん、ウゴリョークすごい。」
賞賛の言葉を向けてくる皆を見て、恵は少し思うように黙ってから、呟くように返した。
「この位、大してすごくありません。」
悠里が恵に礼を言った。
「ありがとう、ウゴリョーク。…少しおかしいだけでも、色々気になってしまって…。」
「…ライカとの繋がりですからね。」
鼎がぽつりと話すと、虎徹と瑠璃も頷いた。
「全くですね。」
「ライカさんと繋がる唯一の手段だものね。大事にしないとですね。」
その言葉を朔は不思議そうな顔をして聞いた。
夕方。
帰路についていた朔は、隣を歩いている鼎に話した。
「ライカさんって不思議だな。」
鼎が黙って朔に意識を向けると、朔は色々と思い出しているようだった。
「何て言うか、チャットでは普通に話ししてるけど…ボストークの人達にライカさんのこと聞けば聞くほど…不思議な人だなって。」
「そう。」
鼎はそれだけ言い、朔の隣を歩いた。
「不思議だって、メグも言ってましたよ!」
一緒に歩いていた歩が、朔と鼎に向かって顔を上げた。
「チャットの管理者だって言ってたけど、普通の人が管理してる感じがしないって。人工知能でもなさそうだし…って。な、メグ。」
歩が恵を見やる。恵は仏頂面をして黙って歩いていた。
不意に鼎が話し出した。
「…ライカはお化けみたいなものなんだって。ユーリィさん言ってた。」
「お化け?」
朔が疑問符を浮かべると、鼎は続けた。
「実体が無いんだって。本人がそう言ってたみたい。…本当かどうかは解らない。何しろネットを介してしか会話出来ないから。本当は何処かの人間、誰かが普通にライカなのかもしれない。でも、どうやってもライカは僕達の前に現れることは出来ないんだ。」
鼎はどこか遠くを見るような表情を見せた。
「それでもライカはライカ。僕達みたいな奴らの話をちゃんと聞いてくれて、ユーリィさんと好き合ってるライカ。だから、僕はどっちでもいいんだ。」
淡々と語られる鼎の言葉を、歩は不思議そうな顔をして聞き、恵はただ前を向いて歩いていた。
朔は考えるように少し黙ってから、顔を上げた。
「…そうだな。ライカさんはライカさん。いいな、そういうの。」
「そう。」
笑顔を見せる朔に鼎はそれだけ返すと、また前を向いて歩き出した。
双子達を自宅の玄関まで送った朔と鼎は、二人に別れの挨拶をした。
「じゃあな、プシンカ。ウゴリョーク。」
「それじゃあ、また。」
歩は笑顔を見せ、恵は憮然とした表情を変えずに返した。
「はい! また!」
「さようなら。」
朔と鼎が歩き出す。
不意に恵が歩を進めた。
「ストレルカさん。」
小さな声で呼ばれ、朔が振り返ると、恵は朔を睨むように見、吐き出すように口にした。
「僕は騙されませんから。あなたもあの人達に騙されないでくださいね。あなたは能力の無い、普通の人間なんですから。」
鼎は少し離れた所にいる朔と恵を、黙って見遣った。
朔は一瞬黙ってから、恵に話した。
「どっちにしても、大丈夫だと思うよ。」
恵は僅かに眉間にしわを寄せた。
「メグー! どうしたー?」
歩に呼ばれ、恵は自宅に走って行った。朔は鼎と並び、今度は朔の自宅に向かって歩き出した。
歩きながら、朔は鼎に問う。
「オレ、みんなに騙されてるのか?」
「そう思う訳?」
冷めた調子で鼎が返す。
「思ってない。…でも、もし騙されてるとしても、大丈夫だと思ってる。だから、どっちでもいいんだ。」
朔が笑ってみせると、鼎は呆れ顔をした。
「騙されてもいいんだ。」
「騙されたとしても、悪いことにはならないと思ってる。みんないい人だから。ユーリィさんも、ライカさんも、ヴェテロクさん、チェルナさんも、プシンカも、ウゴリョークも…鼎も。…やっぱり変か? こんな考え。」
朔の穏やかな声に、鼎は一瞬目を丸くすると、朔から顔を逸らして歩き出した。
「…さっさと帰ろう。」
「そうだな。」
二人はまた歩き出す。
朔から見えない鼎の顔は、小さな穏やかな光を湛えていた。
0と1が作る広大な世界。
そこに一人の青年がいた。作り物の黒い翼を背に負った、中性的な顔立ちの青年だった。
青年の少し先に、青年と瓜二つの女性がいる。女性は何者かと楽しそうに話をしているようだった。
青年は女性に向かい、手を伸ばす。バチリと音がして、手が弾かれる。青年の手を弾いたのは、女性を取り巻く沢山の0と1だった。
青年は苛立たしげにため息を吐いた。
「姉さんはそっちで、彼氏とずいぶん楽しそうだね。」
青年は見上げた。そこには窓のように画面が表示されている。
「メルクリウス経由じゃ、まだ当分かかるかな…催促しておこうか。」
青年は画面に向かって情報を送ってから、また少し離れた女性の方を見、呟いた。
「オレは早く会いたいよ…ライカ姉さん。」
街の雑居ビルの一室。
メルクリウスは険しい顔をして、パソコンのディスプレイを見ていた。
「またジェミニから催促されてるのか?」
横からアトラスが声をかける。メルクリウスは返事のようにため息を吐いた。
ディスプレイに表示されているのは、先程送られて来た文字の羅列だ。
「早く持ってきてよ」
「オレは早く姉さんに会いたいんだってば」
「ホント遅いんだから、君は」
メルクリウスはアトラスに視線を移した。
「ボストークの奴らと接触した奴はいないのか。」
「最近はいないな。」
「…Vと1Bも音沙汰はないか…。」
メルクリウスが気落ちしたように俯くと、アトラスは言った。
「秘蔵っ子のVと1Bまで引っ張り出すことなのか?」
メルクリウスはアトラスをキッと見た。
「当たり前だ、ジェミニの姉を一刻も早く救い出さなければ…。」
「…本当にか?」
アトラスは真っ直ぐにメルクリウスを見返した。メルクリウスはアトラスから逃げるように視線を逸らした。
「…当たり前だ。」
「そうか。…それがお前の答えなら、オレはそれでいい。」
アトラスの声は穏やかさを持って響いた。
To be continued