第六話 人生は出会いと別れの連続だ

 世の中には多数派と少数派というのが、大体の事柄において存在する。
 オレは出来ることなら多数派でいたい。
 少なくとも、クラスで有名な嫌われ者二人組の仲間には決してなりたくないし、なることもないと思う。

 放課後の高校。
「帰ろう、鼎。」
「うん。」
 短く声を掛け合い、教室を出て行った二人の男子、片桐朔と日向鼎。
 朔は正義感が強い行動でクラスの皆に煙たがられており、鼎はとにかくとっつきにくい態度でクラスの皆に嫌われていた。

 つまり、あの二人はクラスの中ではとにかく少数派。

「…なあ? 中畑。」
 クラスメイトに不意に呼ばれ、思考に入っていた少年、中畑なかはた結緒ゆおはハッとした。
「え、何だっ!?」
 努めて能天気な声を上げた結緒に、クラスメイトの一人は話した。
「片桐と日向。ああいう奴ら嫌いだなーってこと。」
「…そーだな! オレあいつらキラーイ!」
 結緒が笑いながら返すと、周りのクラスメイト達は話を続けた。
「ああいう態度、嫌われるって解んないのかね。」
「自分達がどんだけ偉いと思ってんのか知らないけど。」
「協調性がゼロなんだよ、協調性が。」
「協調性って言葉も知らないんじゃね?」
「あーそれあるかもー!」
 クラスメイト達が口々に話す勝手な言葉を、結緒は笑いながら聞いていた。

 多数派に合わせることは、そんなに難しいことじゃない。
 大人数が好きだと言えば好きになれるし、大人数が嫌いだと言えば、何となく嫌いになれる。
 そうしていれば、オレは多数派の中に安定していられる。
 …この時までは、確かにそう思っていたのだ。

 三〇分後。
 結緒は気配を消すようにコソコソと歩いていた。
「何で、こんなことになっちまったんだろ…。」
 物陰に隠れながら歩く結緒の視線の先には、二人で歩く朔と鼎の姿があった。

 二〇分前。
 朔と鼎の悪口で、好き放題盛り上がっていたクラスメイト達の一人が話し出した。
「あいつらって、いつも一緒に帰って何してんの?」
 疑問に同調し、またクラスメイト達は勝手に盛り上がる。
「そういや解らねえよな誰も!」
「ただ帰ってるってわけでもなさそうだし!」
「まさか、毎日のように逢引!?」
「ははは、そっち行くかよー!」
 そんな話をまた笑いながら聞いていた結緒は、不意に思い切り小突かれた。
「中畑、お前ちょっと見て来いよー!」
「え。」
 中畑は一瞬目を点にする。
 クラスメイト達は結緒に投げられた言葉にまた同調し、笑い出した。
「そうそう、ちょっと調査してきてよ!」
「あいつらの逢引の現場!」
「スマホでちょっと撮って来いってー!」
 好き勝手なことを口々に喋るクラスメイト達に、中畑は思わず慌てた。
「…え? な、なな何でオレがあ!?」
 するとクラスメイト達を取り巻く雰囲気が、一気に険悪なものになった。
「何だよ行かねーのかよー。」
「つまんなー。」
「ノリ悪いぞー。」
 集団が苛立つ空気を感じ、結緒は更に慌て、立ち上がった。
「わ、解った行ってくるっ!」

 そして教室を飛び出して来てしまった結緒は、朔と鼎の後を尾けていた。
「…でも、どこ行くんだあいつら…早く逢引でも何でもしてくれりゃ、帰れるのに…。」
 物陰で結緒がブツブツ言っていた時、朔と鼎が路地へ入って行った。
「! 何だ!?」
 結緒は慌てて後を追った。朔と鼎は細い道を進んで行く。
 やがて結緒の目の前に見えたのは。
「カフェ、ボストーク…?」
 小さなカフェと思われる店だった。
 鼎が店のドアを開け、朔と共に中に入った。
「ここで逢引してたってことか…!」
 結緒は目を輝かせて踵を返し、走り出した。
 早くクラスメイト達に報告しないと。結緒の頭にはそれしかなかった。

「はあ?」
 自身に向けられた侮蔑を込めた声音に、結緒は一瞬固まった。
 結緒が走って帰った教室には、クラスメイトの誰もいなかった。走り回って探し、コンビニの前でたむろしていた彼らに結緒が報告すると、皆一様に嫌なものを見る眼差しを向けて来た。
「い、いや、だから、片桐と日向の後尾けたんだって! そしたらカフェボストーク? ってとこで逢引…!」
「別にあいつらがどこで逢引しようが、知ったこっちゃねえし。」
 クラスメイトの一人が大層面倒臭そうに吐き出した。
「…え?」
 唖然とする結緒に、クラスメイト達が次々に言葉を吐く。
「ていうか、ボストークなんて店知らねえし。」
「お前あいつらマジで尾けたのか? ストーカーよろしく?」
「…お前、結構あいつらに興味あった口か?」
 結緒はハッとして首を横に振った。
「き、興味とかって、そんなんある訳…!」
「あんなどうでもいい奴らのこと知って、そんな喜んでるじゃん。」
 言葉を返せなくなった結緒に背を向け、クラスメイト達は歩き出した。
「もういいってー、あんな奴らの話題。」
「帰ろ帰ろ。」
 一人その場に残され、結緒はひたすらうろたえていた。

 翌日。
 結緒が教室に入る。雑談しているクラスメイト達の集団に向かい、挨拶した。
「おっはよー!」
 途端に、集団の彼らは迷惑そうな眼差しを向けて来た。
 結緒は思わず表情を強張らせた。
「…あ、おはよう…。」
「あー、おはよ。」
 面倒臭そうに彼らは挨拶を返すと、結緒から視線を外し、雑談に戻った。

 この時はひたすら認めたくなかったけど、多分この時が、オレが多数派から外された時だと思う。

 昼休み。
 クラスメイトの集団から爪弾きにされた結緒は、誰もいない裏庭にいた。一人で昼食のパンをただかじっている。
 深くため息を吐き、視線を落とした。

 何で、こんなことになってんだろう。
 あの時はひたすらそう考えていた。
 今から思えば、何もかもが自業自得だったんだけど。

 校内に昼休み終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
 結緒は重い足取りで、教室へ向かって歩き出す。
 校舎に入り、廊下を歩いていた時、三人程で固まって歩いていた生徒達がぶつかって来た。
「あ、すいません。」
 よろけた結緒に謝罪し、彼らは歩いて行った。遠くなって行きながら、苛立ちを言葉にしていた。
「トロトロ歩いてんなっての。」
「邪魔なんだよなあ。」
 結緒は一瞬、目の前が真っ暗になったような感覚を覚えた。口からは掠れた声が出た。
「…何で、こんなことに…?」
 その時、目の前から声がかけられた。
「…顔色悪いぞ、大丈夫か…?」
 結緒は顔を上げ、目を見開いた。
 結緒の目の前にいたのは、朔と鼎だった。朔が結緒を気遣い、もう一度問う。
「大丈夫か?」
 結緒の口からとっさに出かけた。

「お前らのせいで…!」

 だが、その言葉が口をついて出てくることはなかった。

 お前らのせいで。最初にそう思った。
 でも、違うんだ。
 こいつらのせいなんかじゃないのは、自分で解った。
 オレが呪うべくはこいつらじゃない。
 自分の考え無し。短絡さ。言葉を信じられない人間を友達だと思っていたこと…。

 結緒の目から涙がこぼれ落ちたのを見、朔は思わず慌てた。
「な、どうしたんだ!? オレ何か…!?」
「ごめん…。」
 結緒は泣きながら、震える声を出した。
 朔がオロオロとする前で、結緒はごめんと繰り返し、首を横に振り続けた。

 午後の授業時間。
 学校の裏庭で、鼎は苛立たしげにため息を吐いた。
「昨日、何か変な気配に尾けられてると思ったら、お前だった訳。」
 校舎に続く石段に腰を下ろし、結緒は黙って鼻をすすった。
「あんな連中の言葉、真に受けて…バカじゃないの?」
 結緒は黙って目の当たりを拭う。
「まあ、こないだまでお前も『あんな連中』だった訳だから、仕方ないっちゃないだろうけど。」
「…鼎。あんまり言うと、お前もそんな変わらなくなる。」
 朔が鼎を制すると、結緒は首を横に振った。
「いい。…全部本当だから。」
 三人はそれからしばし黙る。
 弱い風が吹き、裏庭の木の葉が微かに鳴る。結緒はぽつりと呟いた。
「…オレ、これからどうすればいいんだろう。」
「僕達に聞いてる訳じゃないよね。」
 鼎の言葉に、結緒は頷いた。
 鼎は項垂れている結緒をしばらく見て、言葉を投げる。
「お前は自分がどうなれば、満足なの。」
 結緒は少しの間黙った後、小さな声でポツリと漏らした。
「…多数派の中にいたい…。」
 鼎は呆れたようにつっけんどんに返した。
「あっそ。じゃああいつらの中に戻ればいい。」
「戻るって、どうやって戻ればいいんだ?」
 問いかけたのは朔だった。
「そんな嫌な感じで追い出されたとこに戻るって、どうすればいいんだ?」
「そんなの僕の知ったこっちゃない。適当に戻って、また傷つけばいい。」
 眉間にしわを寄せて吐き出した後、鼎はもう一つ付け加えた。
「…僕だったら、そんなとこには二度と戻らないけど。」
 黙ってしまった結緒に、朔が考えながら話した。
「戻っても、戻らなくても、オレはどっちでもいい。」
 朔の言葉を聞いて俯いた結緒に、朔は続けた。
「どっちでも、お前がいい感じでいられる方に、行けたらいいと思う。」
 結緒が顔を上げる。見えた朔は今まで教室では見たことのない、穏やかな表情をしていた。
「…お人好し。」
 結緒の目の前にいる鼎も、見たことのない笑顔でいた。
 授業終了のチャイムが鳴り響いた。
「あ、午後の授業全部サボっちまった。」
「ホームルーム終わるの待って戻ろうか。」
 何気ない会話を交わす朔と鼎を、結緒は少しだけ安らいだ思いで見ていた。

 こいつらが二人でいる理由が、こいつらがクラスメイト達と合わない理由が、何となくだけど解った気がした。

 朔と鼎が帰った後の教室。
「中畑あ。近くの喫茶店にすげー可愛い子通ってんだぜ。見に行かねえ?」
「お前顔いいから、声かけるの簡単だろ?」
「オレらを助けると思ってさー!」
 結緒にクラスメイト達が口々に声をかけてきた。
 昨日、そして朝に何事もなかったかのようなクラスメイト達の態度を目の当たりにし、結緒の脳裏に浮かんだ言葉があった。
「…諸行無常?」
「へ?」
「悪いけど、他当たってくれよ。」
 結緒はクラスメイト達に背を向け、教室を出た。クラスメイト達は唖然として見送った。

 オレは多数派でいることをずっと望んでた。
 でも、多数派でい続けることは、本当に疲れることだ。
 大人数が好きだと言えば好きにならないといけなくて、大人数が嫌いだと言えば嫌いにならないといけない。
 そこまでは出来ていたけど、大人数が気まぐれを起こす時、言葉に責任が生じない時、すぐに忘れてしまう時…他にも色々合わせないといけないことがありすぎて、いささか疲れてしまった。
 オレは自分でも自覚がある程度にはバカだから、そういうことには元々向いていなかったのかもしれない。
 ただオレは、あの二人…多数派とどうしても合わない、嫌われ者のあの二人の言った…。
「僕だったら、そんなとこには二度と戻らないけど。」
「どっちでも、お前がいい感じでいられる方に行けたらいいと思う。」
 …この言葉と、あの穏やかな笑顔に、すごく救われた気がしていた。

 数日後の昼休み。
 朔と鼎は校舎の隅の方にあるテラスに出、昼食のパンやおにぎりをかじっていた。
 教室に何となくいたくない二人は、いつもここで昼食をとっていた。
 二人が何を言うでもなく、昼食を咀嚼していた時。
「片桐、日向、ここいたのかー。」
 朔と鼎が振り返ると、結緒が笑んでそこにいた。
「何。」
 鼎がつっけんどんに返すと、結緒はすぐに返した。
「何となく。」
 朔は少し考えてから、小さく笑んだ。
「そっか。」
 鼎は仕方なさそうにため息を吐いた。
 朔と鼎はまた昼食を食べ始める。結緒はその場から立ち去るでもなく、ただ何となく、朔と鼎の側でぼんやりと過ごした。

 この二人…片桐と日向がオレがそばにいることを許してくれてからは、何かとこの二人と一緒にいる。
 オレも多数派と袂を分かち、少数派という人間になったらしい。多数派に比べれば何を為すにも不便で、声もかき消されて届かない少数派。
 でもこの二人と一緒にいるのは、何となく楽な気持ちになれて不思議だった。
 
To be continued
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