第三話 ここにいていい理由 前編

 深夜。
 パソコンの画面に映し出されているのは、ネット上で複数人が会話をする為に設けられた部屋…チャットルームの映像だった。
 チャットに新たな文章が書き込まれる。

「ライカ『ベルカの友達かあ。僕も会ってみたいなあ』」

 いくらもしないうちに、その言葉に反応する言葉が書き込まれる。

「ヴェテロク『会う必要ないですよ。あんな得体の知れない奴』」

 カタカタとキーボードを打つ音がし、文章が書き込まれた。

「ユーリィ『ヴェテロクは彼をそう思うか。…まあ、まだ時期尚早だとオレも思う』」

 文章に直ぐ反応が返ってくる。

「ライカ『どうして?』」

 またキーボードが打たれる。

「ユーリィ『オレ達と彼は、お互いを知らなすぎる。彼がオレ達のことを知らないように、オレ達も彼のことを知らないんだ。もう少し、お互いに知ることが出来てからでもいいだろう』」

 言葉の反応が映し出される。

「ライカ『みんな心配性なんだね』」
「ユーリィ『お前が心配なんだ』」
「ライカ『ふふ、ありがとう』」
「ヴェテロク『ごちそうさまでした』」

 また新たな文章が書き込まれる。

「チェルヌーシュカ『私には解らない。何でベルカがあの人と友達なのか。普通の人は私達を怖がるでしょ? でもあの人はベルカとか、私達を怖がらない』」

 少し間を置いて、言葉が追加された。

「チェルヌーシュカ『怖い』」

 少しの間、考えるような沈黙が生まれた。
 カタカタとキーボードが鳴る。

「ユーリィ『これはオレが勝手に思っていることだが、もしかしたら彼にとってのベルカは、チェルナにとってのヴェテロクなのかもしれない』」

 またしばし、思うように画面は黙った。

「チェルヌーシュカ『ヴェテロクは能力者だけど、あの人は能力者じゃない』」
「ユーリィ『それでもだ』」
「ヴェテロク『それが能力者とか普通とか、関係ないって? ありえない』」
「ライカ『…能力を持ってしまった異端な存在と、能力を持たない普通の人間。そんな二人が繋がりを持っている。ありえるのかどうか、僕には解らないけど…ありえたらきっと、素敵なことだよね』」
「ヴェテロク『そんな夢物語で済む話じゃない。これから先、ベルカが傷つくことは目に見えてる』」

 少しの間の後、新たな文章が映し出された。

「ライカ『確かに違う者同士である以上、ベルカだけじゃない、彼も傷つくことは避けられないと思う。でもそれは、ヴェテロクの思う傷つき方じゃないかもしれない』」
「ユーリィ『オレはそれも含めて、彼らを見てみたい』」

 しばらくして、画面に反応が書き込まれた。

「ヴェテロク『二人がそう言うなら、オレは当分は何も言いません。でもオレにも、仲間を選ぶ権利ってもんがある』」
「ユーリィ『もちろんだ。さっき言ったように、すぐに打ち解けろなどとは言わない。お互いに解るには、時間が必要だ』」
「ヴェテロク『ならオレは、オレなりに奴を見極めますよ』」
「ライカ『ふふ。ヴェテロクは本当に仲間思いだよね』」
「チェルヌーシュカ『ヴェテロクはずっとそうだよ』」
「ユーリィ『オレもお前のそんなところを気に入っている』」
「ヴェテロク『言いたい放題言わないでください』」
「ユーリィ『悪かった。今日はこれで解散にするか』」
「ヴェテロク『おやすみなさい』」

 それからすぐに「ヴェテロクは退室しました」と文章が映し出された。

「チェルヌーシュカ『おやすみなさい』」
「チェルヌーシュカは退室しました」
「ライカ『少し大変みたいだね。ユーリィも頑張って。おやすみなさい』」
「ユーリィ『ありがとう。おやすみ、ライカ。愛している』」

 悠里はそこまで書き込むと、チャットルームから退室した。
 パソコンをスリープモードにしてから、指先でそっと撫でる。一つ息をつき、固まった肩をほぐすように回すと、席を立った。

「鼎、帰ろう。」
「うん。」
 放課後の教室で朔が鼎に声をかけると、鼎は短く返事をして立ち上がった。
 共に教室を出た二人を見送りながら、同級生達は話した。
「何だ、もうコンビ復活したのか。」
「つまんねーの。」

 高校から出て歩きながら、鼎が口を開いた。
「今日はボストーク寄るけど、一緒に来る?」
「連れてってくれるのか? 行く。」
 強く頷いた朔を見、鼎は可笑しそうに笑った。
 朔が不思議そうに見るのに構わず、鼎は歩いて行った。

 カフェボストークのドアが開く。
「こんにちは。」
「こ、こんにちはっ。」
 入ってきたのは鼎と朔だった。コーヒーを淹れていた悠里は静かに笑み、二人を迎える。
「いらっしゃい。」
 先に来て、カウンター席に腰掛けていたヴェテロクは朔の姿を認めると、眉間にしわを寄せた。
 悠里はヴェテロクにコーヒーを出すと、朔を見た。
「そういえば、お互いに大した自己紹介をしていなかったな。朔君。」
「? あ…はい、そうですね。」
 朔が少し考えてから頷くと、悠里は話し出した。
「まずオレから。名前は話したな、北見悠里。カフェボストークの店主で、赤い稲妻の能力者だ。」
「赤い、稲妻…?」
 朔が疑問符を浮かべると、悠里が促して来た。
「次は君に自己紹介を頼もうか、朔君。」
「は、はいっ。えっと…片桐朔。高校二年生で…性別は男で…鼎とは友達で…じっちゃんと二人暮らしで、武術の稽古とかやってます…えっと…以上です。」
「どこから見ても男だろ。」
 朔の自己紹介に鼎は呆れ顔をする。悠里は二人を見て小さく笑った。
「ありがとう、朔君。…ヴェテロク。」
 悠里が声をかけると、ヴェテロクはだるそうに体を起こし、射抜くように朔を見た。朔は緊張してヴェテロクと向かい合う。
「…ヴェテロクって呼ばれてる。以上。」
 ヴェテロクの態度を見た悠里は、困ったように小さく息をつく。
 そして朔達の顔を改めて見た。
「じゃあ、お互いに質問は。」
「はい。」
 朔が挙手をした。悠里が促すように視線を送ると、朔は話し出した。
「…ヴェテロクさんって、あだ名ですか?」
「そうだ。」
 つっけんどんに返したヴェテロクに、朔はまた問うた。
「本当の名前って、あるんですか?」
「あるに決まってるだろ…。」
 また呆れ顔をする鼎をよそに、ヴェテロクははっきりと口にした。
「お前に教える義理無いから、言わなかった。それだけだ。…オレからも質問する。」
 ヴェテロクは朔を睨むように見た。
「お前は、何でここにいるんだ?」
 朔は一瞬、動揺したように息を呑んだ。
「…ヴェテロクさん。」
 鼎が口を挟もうとしたのを、悠里が制する。ヴェテロクはぶつけるように言葉を発した。
「オレははっきり言って、普通の奴にここにいて欲しくない。でもユーリィさんやベルカはここにいることを許してる。オレにとって、ユーリィさんとベルカは大切な仲間だ。尊重したい。だから、オレにも示してみせろ。」
「示す…。」
「普通のお前が、普通じゃないここにいていい理由。それをオレにも示せ。オレにも解るようにしろ。しばらくの間なら、待っていてやるから。」
 朔が黙っていると、悠里が切り出した。
「じゃあ、次は朔君にここと、オレ達のことについて説明しようか。」
 それを聞くと、ヴェテロクは立ち上がった。
「チェルナのところに行ってくる。」
 ヴェテロクはカフェから出て行く。朔がその後ろ姿を見送っていると、悠里が声をかけた。
「すまないな。あれでも彼は、すごく譲歩しているんだ。」
「解ります。本当ならすぐにでも、オレを追い出したいんだと思うから。」
 朔が小さく笑んで応えると、鼎と悠里はわずかに驚いた顔をした。
「ここはオレとは違う、オレの周りとも違う、そんな人達がいるところになってる。普通の奴と普通じゃ無い奴っていうのは、ここではそういう意味なんだと思う。ここでの集まりにオレが入って来るのは、本当だったら歓迎されないことなんだと思うから。」
「朔…。」
 鼎がため息のように朔を呼んだ。
 朔の意見を聞いた悠里は、微かな笑みを浮かべた。
「君はやはり、聡いんだな。自分の意思を押し貫く一本気な一方で、周りの自分に対する意思を繊細に汲めてしまう。…そんな人間は今の世の中、生き辛いだろうに。」
 朔が疑問符を浮かべながら悠里を見ると、悠里は改めて話し出した。
「話が逸れたな。ではここのことを、ここにいる奴らのことを、話そうか。」

 街の住宅街の隅に、少し古い小さな一軒家があった。
 ヴェテロクは一軒家の玄関に行くと、呼び鈴を鳴らした。
「…どちら様ですか?」
 少し気後れした声が返って来る。
虎徹こてつです。」
 ヴェテロクがそう言うや否や、家の中からとたとたと足音が聞こえて来た。
「ヴェテロク!」
 扉の向こうからチェルナが飛び出して来て、嬉しそうにヴェテロクに抱きついた。
「チェルナ。」
 ヴェテロクは表情を緩めると、チェルナの頭をポンと撫でた。
瑠璃るりは本当に虎徹君が大好きね。」
 後から出て来たのは二〇代前半位だろうか、チェルナと似た雰囲気の痩せた女性だった。
玻璃はりさん。どうも。」
 ヴェテロクが挨拶をすると、玻璃と呼ばれた女性は優しく笑んだ。
「立ち話も何だから、お茶でも飲んで行きなさいな。」
 ヴェテロクが背後に意識を向ける。近隣の住民と思われる中年女性達が、三人を見てヒソヒソと話している。ヴェテロクが睨むと、女性達は慌てて散って行った。
「はい、いただきます。」
 ヴェテロクは玻璃に向き直ると、笑顔を見せた。

 ヴェエロクがいなくなったカフェボストークで、悠里は話し出した。
「オレ達は『赤い稲妻』に書き換えられて、能力を植えつけられたことがきっかけで集まった。」
 朔は早速、疑問符を浮かべる。
「あの…赤い稲妻って…?」
「覚えてないの? 五年前にあったあれ。」
 鼎の補足を聞き、朔は思い至る。
「…あれか? 赤い稲妻が、雨みたいに降って…。」
「五年前、赤い稲妻に打たれて、命を落とした人間はたくさんいた。…だが、命を落とさなかった人間もいた。」
「え…!?」
「オレもあの時、赤い稲妻に打たれてなお、生きていた。しばらく昏睡状態だったようだが。そして気がつけば、この能力を持っていた。」
 言うと悠里は空のカップを持ち、手を離した。カップが床に落ち、割れる。悠里は割れたカップの前に膝をつき、手をかざす。すると、カップは何事もなかったかのように元通りになった。
「これが、オレが赤い稲妻に書き換えられて、植え付けられた能力。オレは『復元リストア』と呼んでいる。」
「えっと…赤い稲妻に打たれて、生きていて…能力を…植え付けられた…?」
 朔がぎこちなく言葉を反芻すると、悠里は続けた。
「赤い稲妻に打たれた人間は、身体の情報を書き換えられ、常人には無い特殊能力を植え付けられていた。ベルカもヴェテロクもチェルナもそうだ。」
 朔が言葉が出ない様子で黙っていると、鼎が話し出した。
「『書き換えられた』…一見身体は何も変わっていない。でも、望まない能力を無理やり押し付けられたんだから『植え付けられた』以外の何物でも無いよ。」
「鼎のあの能力も…。」
「そう。真実の目もそうやって、赤い稲妻に押し付けられた能力だよ。」
 眉間にしわを寄せた鼎の表情は、悔しそうに朔には思えた。
「話を続けよう。オレ達は赤い稲妻に直撃されて生き残ったというだけでも異質だが…そんな能力を植え付けられて、そこら辺の社会では生きていけなくなった奴らも多い。能力を隠して、何とか生きている…そういう奴らが大半だろうと思う。」
「そんな連中を集めて、何とか手を取り合って生きていけないかなって模索してるのが、ユーリィさんとここ…ボストークだよ。」
「まあ、そうだな。能力を隠して、世間から隠れて生きている能力者達…彼らは社会的に見れば弱者だ。普通の社会に出れば、どんな扱いを受けることになるか解らない。…だが、そんな彼らでも生きている。だったら生きられるだけ、生きて欲しい。普通と違うのは辛いことだが、普通が皆同じということはないんだ。」
 悠里は朔と鼎に苦笑してみせた。
「長く語ってしまったな、すまない。そんなに大層なことをしている訳では無いが、能力者が手を取り合い、少しでも助け合えないか…ここは、それを考えるために作った場所だ。」
「そうなんですか…。」
 朔はため息のように口にした。
「ここは、ここにいるみんなに、本当に大事な場所だ。だから、ヴェテロクさんは…。」
「すまないな。彼もまた、能力者になった故に辛い思いをした奴だからな。」
「いいんです。…聞けてよかった。」
 朔が見せた穏やかな笑みを、鼎は大きく目を開いて見た。悠里も少し驚いた様子でそれを見たが、やがて静かに笑んだ。
「今日はここまでにしよう。コーヒーを淹れる。オレのおごりだ。」

 チェルナの自宅の居間で、ヴェテロクは玻璃の入れた茶を飲んでいた。
「悠里さんは元気にしているの?」
「相変わらずですよ。」
 ヴェテロクが返すと、玻璃は小さく笑った。
「そう、それは何より。…虎徹君。」
「何ですか。」
「何か、嫌なことでもあったの?」
 玻璃の問いに、ヴェテロクは息を呑む。玻璃はまた笑った。
「虎徹君、今何だかピリピリしているし、瑠璃は昨日帰って来てから、落ち込んでるし。何かあったんだろうなあって。」
 ヴェテロクのそばにいたチェルナは、不安そうにヴェテロクの腕を握った。
「言ってごらんなさいな。」
 落ち着いた玻璃の言葉を聞き、ヴェテロクは観念したようにため息を吐いた。
「あんたも能力者みたいですね、まるで。」
「そう? 年の功かな。」
 ただ笑う玻璃に、ヴェテロクは少し考えてから話した。
「…能力者と普通の人間って、一緒に居られると思いますか?」
 玻璃も少し考えるように黙ってから、答えた。
「難しいと思うわね。現に瑠璃がこの近所と一緒に居られないし。でも、もしも…私以外にも、虎徹君の優しさや、瑠璃の明るさに気づいてくれて、お互いに大切にしたい、そんな人が現れたら、素敵なことね。」
 穏やかな玻璃の言葉に、虎徹が何も言えずにいた時。
 不意に呼び鈴が鳴った。
「…はい、どちら様ですか?」
 玻璃は立ち上がり、玄関へと向かった。ヴェテロクは動かずにいたが、玄関先で険悪な雰囲気の声が玻璃を責めているのは聞こえて来た。チェルナは怯えた様子でヴェテロクにしがみついている。
 やがて、玻璃が居間に帰って来た。
「…町会の人。ここから立ち退いてくれって。いつものことよ。」
 玻璃はかなり苦く笑った。
「どこまで行っても、こうなのかしらね。」
 チェルナは目に涙をいっぱい溜めていた。
 そして、口の中で呟いていた。
「…聞こえる…また…。」
 チェルナの涙、玻璃の弱い笑み。それを見たヴェテロクはぎり、と歯噛みした。
「玻璃さん。」
「なあに?」
「チェルナはオレが守ります。どんな手を使っても、オレが。」
 玻璃は何も言わず、ただ弱く笑んでいた。
 ヴェテロクはチェルナの頭にぽん、と手を置いた。
「チェルナ、全部忘れろ。もうその声に耳貸すな。オレの声を聞けばいい。オレの声だけを。」
 チェルナの瞳から涙が溢れ出す。玻璃はその様を悲しげに見つめていた。

 To be continued
1/1ページ
スキ