第二十七話 黒く赤い空の下
「う…。」
朔が小さく唸り声を上げながら目を開けると、目の前には見覚えのある天井と、嵐と燐の顔があった。嵐が朔に声をかける。
「大丈夫か、ストレルカ。」
「…V…1B…。」
朔はカフェボストークの二階にある部屋に寝かされていた。
朔が手に暖かさを感じ、手元に視線を移すと、燐が朔の手を握っていた。
「…うなされてたから。」
「…そっか…。」
朔の声は寂しげに響いた。
「…鼎は?」
「ベルカはユーリィさんのところに行ってる。」
朔は身体を起こす。体のあちこちが軋み、痛みを訴えた。
「…くっ…。」
「ストレルカ、無理すんな。」
「…大丈夫だよ、これ位なら…。」
朔が嵐と燐に向けた笑顔は、弱々しかった。嵐と燐の心配そうな顔を見、朔は少し思うように黙ると、口を開いた。
「…昔は、いつも身体中、痛かったから。」
小学校の教室で、背の小さな子供が数人の子供達に絡まれていた。
「お前ほんと馬鹿だよなー。」
「頭おかしいっていうかさー。」
「勉強してもしょうがないじゃん、馬鹿なんだから。」
小さな子供に数人の子供達が投げかける中傷の言葉。周りの子供達は我関せずという態度を取るか、面白がって笑っているかのどちらかだった。
子供達が散々言いたい放題中傷し、嗤っていた時だった。
「そういうこと言うの止めろ。」
一人の子供が、中傷の言葉を浴びせていた子供達に向けて口を開いた。
「何だ、また朔か。」
「つまんねーの。」
一人の子供…朔を見て、子供達は非常に迷惑そうな顔をして散って行った。小さな子供はしばしそこに立っていたが、やがて逃げるように朔のそばから走って行った。
オレは正義感が強いって思われていたみたいだけど…ただ、人が人を傷つけるとか、嫌な言葉を言うとか…そういうのが好きじゃなかっただけだった。
だから止めただけだった。
それが言ってた奴らとか言われてた奴らには、迷惑極まりない行動だったみたいだ。
歩いていた朔が足を引っ掛けて転ぶ。
「いて…。」
「あー、ごめんなあ。足長いもんでさー。」
朔に足を引っ掛けて転ばせた子供と、他数人が朔を見下げてニタニタと笑っていた。
朔が黙って立ち上がろうとすると、朔の持っていた筆箱が思い切り蹴飛ばされた。
「ごめんごめーん。わざとじゃないんだ、わざとじゃー。」
筆箱を蹴飛ばした生徒と別の数人が、さも面白そうなものを見る目をして朔を見下ろしていた。
朔は何も言わずに立ち上がり、筆箱を拾ってその場を後にした。
そんなことが続いていたある時。
朔が廊下を歩いていると、数人に暴力を受けている子供がいた。
朔は早足で歩いて行き、暴力を加えている子供達に言った。
「何してんだ、止めろよ。」
「また来たのかよ。」
「お前脳みそ腐ってんじゃねえの?」
「自分が迷惑行為してるって解んないのか?」
子供達が口々に吐き出すと、朔は眉間にしわを寄せた。
子供達は容赦無く言葉で傷つけていく。
「正義の味方かぶれが、自分が正しいみたいな顔してさ!」
「お前が変なことするせいで、オレ達が何かしたみたいに思われんの、すげー迷惑なんだけど!」
朔は黙って子供達の中傷を聞いた後、口を開いた。
「オレはただ、暴力とか、悪口とかが嫌いなだけだ。」
聞いた子供達は、なおさら気に食わないと言うように表情を歪めた。
「何だそれ。じゃあお前の自己満足のために、オレ達は何かしたみたいに言われるわけか?」
「それこそ暴力じゃん暴力!」
「うわー、自分で暴力してやがる!」
「大体、こいつだって助けられることなんか望んでないってのにさ!」
一人が暴力を受けていた子供を指し、続けて言った。
「なあ、そうだよな? 朔に助けられて、友達なんかになりたくないよなあ?」
暴力を受けていた子供は、わずかの沈黙の後、口を開いた。
「…朔とは、友達なんかじゃない…。」
子供達は一斉に嗤い出した。
「な、やっぱりそうだよな!」
「朔と友達になりたい奴なんているわけないって!」
子供達の嘲笑を、朔は陰った顔で黙って聞いていた。
オレは悪口とか、暴力とか、人が傷つくのが嫌いなだけだった。
だから、そういうのを止めたかった。
でも…常に疑問もあった。
オレに声をかけられることを、誰も望んでいない。
オレと友達になりたい奴なんていない。
オレが思っていることは、間違っているのかもしれない。
悪口とか、暴力とか、人が傷つくのが嫌いだと思うこと自体も、間違っているのかもしれない。
学校中から爪弾きにされて、見かねた両親がオレをじっちゃんのところに預けた。
でも、じっちゃんの所から別の小学校に通っても、周りは変わらなかった。
オレに声をかけられると、みんな嫌な顔をした。
オレが近づくだけで、みんな迷惑だと言った。
オレが悪口とか、暴力が嫌いだと言うと、みんなおかしなものを見る顔でオレを見た。
…中学校を卒業するまで、それはずっと続いた。
高校に入学しても、そんな感じなんだろうとオレは思っていた。中学校の時の知っている顔もたくさんいたし、そいつらはもれなくオレを嫌いだったから。
入学したばかりの頃、何かの授業で二人組を作るのがあった。早速オレは爪弾きにされていた。
その時だった。
「お前、一人?」
声をかけられて驚くオレに、声をかけて来た…鼎は言った。
「僕と組む?」
鼎は嫌な顔をしてなかった。たださらりと、何でもないことのように、オレと組になろうって言ったんだ。
鼎はわずかにふらつきながら、カフェボストークの二階に上がって来た。側のドアを開けようとした時、ドアの向こうから朔と嵐、燐の話し声が聞こえた。鼎は思わず動きを止め、耳をそばだてた。
「鼎があの時、オレと組になろうって言ってくれた事…鼎には、本当に何でもないことだったんだと思う。でも…オレにはそれが、すごく嬉しかったんだ。」
朔の話を聞いていた嵐が、ため息のように口にした。
「それが、お前がベルカにこだわる理由か…。」
「うん。それからも鼎は何かとオレのそばにいてくれて、嫌な顔もしなかったし、オレに何か言われて迷惑だとかは言わなかったし…そんなこと、初めてだったんだ。」
「…ベルカはそれ、知ってるの?」
燐の問いに、朔は苦笑しつつ首を横に振った。
「知らないと思う。言おうと思ったこともない。覚えてないだろうし、鼎に言ったら『そんなことで?』って呆れられそうで…。」
…覚えてる。
あの時、僕の目から見て朔には、何にも嫌な感情が感じられなかったんだ。
他の連中には、沢山の嫌な感情が見えていた。
それは僕に向けられていたものもあっただろうし、朔に向けられていたものもあったのかもしれない。
でも、朔には人を傷つけるような嫌な感情は、何にも見えなかった。
だから、声をかけた。
少しは安心して、組になれるかと思ったから。
それだけのことだった。
それだけのことで、お前は僕とずっと一緒にいてくれたっていうの…?
「…そんなことで…?」
鼎はドアの前で瞳を潤ませ、震える声で呟いた。
「まあ、とりあえずユーリィさん達のところ行こうぜ、無事なところ見せてやらないと。」
「ヴェテロク達も、下にいるよ。」
嵐と燐の声が聞こえ、鼎はハッとして目の辺りを拭った。
「うん、解った。下に降りるよ。」
続けて朔の声を聞くと、鼎は急いで元来た階段を降りた。
カフェボストークの一階。
「そうか…ライカが…。」
「ジェミニも…。」
虎徹達が曙光研究所での一連の出来事を話すと、部屋は重い空気に包まれた。
虎徹は悠里に向かい、頭を下げた。
「すみませんでした、ユーリィさん…。」
「いや、無事でよかった。アポロの皆さんも、助けてくれてありがとう。」
悠里は虎徹に労いの言葉をかけた後、アポロの面々に向かって頭を下げる。彼らは首を横に振った。
「そんな…オレ達も、お前らを拾って戻ってくるのが精一杯で…。」
「ねえ…あの女の子はどうしたのかな? 前にここを襲って来た中にいた…。」
瑠璃が不安げな顔をして話すと、メルクリウスはしばらく考えて口にした。
「…エンデバーか?」
「エンデバーは、お前達が放り出されてた所にはいなかったぜ。」
アポロのメンバーの一人が話すと、瑠璃は少し思うように黙ってから、また話した。
「あの子、ジェミニって人が家族に会えたのを邪魔させないって言ってたの…。他の仲間はさっさと逃げちゃったのに…。」
「…エンデバーには家族がいない。」
メルクリウスの言葉に瑠璃が反応して見る。メルクリウスは静かな声で続けた。
「赤い稲妻に直撃された時に、家族は焼かれて死んだらしい。ジェミニに見せられた経歴にはそう書かれていた。」
「エンタープライズとディスカバリーは、遊びでジェミニに従ってるところがあったけど、エンデバーはマジでジェミニに心酔してたみたいだからな。ジェミニの言ったことは絶対…そんな感じなんだろ。」
アトラスが補足を引き受けると、瑠璃はぎこちなく頷いた。
「そうなんですか…。」
「…これから、どうすりゃいいんだろうな…。」
虎徹は重く息を吐いた。
「電子キーは取り上げられちまったから、今度は簡単には入れないだろうし…。」
歩は疲れた顔をして、落ち着かない様子で皆を見回している。
階段を降りる音が聞こえて来た。皆が振り向くと朔と嵐、燐が降りて来ていた。
「ストレルカ!」
「目が覚めたんだね、大丈夫?」
虎徹と瑠璃が声をかけると、朔は苦笑してみせた。
「はい、何とか大丈夫です。」
鼎は朔をしばらく黙って見た後、窓の外に目をやった。朔は気づいて共に窓の外を見る。
外は真っ暗になっていた。空は黒く厚い雲に覆われ、雲の間からは時折赤い光が見えた。
「…今、何時だっけ。」
朔が問うと、鼎はぽつりと答えた。
「…朝の九時だよ。」
「…そうか。…夜みたいに真っ暗だ。」
朔が呟き返す。虎徹は頭をがりがりと掻いた。
「畜生! こうしてる間にも、ライカさんとあの神舟は…。」
「…また、赤い稲妻…落ちるのかな…。」
燐が震える声で口にすると、歩は泣きそうな顔になった。
「そんなの嫌だよ…!」
「またあんなのが降ってくるなんざ、ごめんだ…!」
嵐は辛そうに顔を歪ませ、吐き出した。
その時、悠里のスマートフォンからメールの着信音が鳴った。悠里はパッとそばに置いていたスマートフォンを取り、メール画面を開いた。
「差出人:ライカ
ぼくたちにもう かまわないで
もうぜんぶ わすれてください
ごめんなさい さようなら」
悠里の口から、震える声が発せられた。
「…ライカ…。」
「そんな…。」
「ライカさん…。」
悠里のスマートフォンの画面を見た虎徹は気落ちした顔になり、瑠璃は泣きそうに瞳を潤ませた。
鼎は青い顔で、辛そうに眉間にしわを寄せた。朔は部屋の重い空気を感じ、ただ黙っていた。燐が震える声を出した。
「このまま、何もしちゃダメなの…?」
悠里はスマートフォンをカウンターにことりと置いた。皆に背を向け、口を開いた。
「今日はみんな、帰ってくれ。」
皆は一様に驚いた表情を見せた。
「え…。」
「でも…!」
「帰ってくれ!!」
悠里の叫び声に皆、身体を強張らせた。
メルクリウスが皆に聞かせた。
「彼の言う通りにしよう。みんな少し、落ち着く時間が必要だ。」
重い空気の中、皆は顔を見合わせた。やがて一人、また一人とカフェを出て行く。
最後にカフェを出たのは、朔と鼎だった。二人はカフェを出る直前、振り返る。悠里が向けている背中がとても小さく、二人には見えた。
朔、鼎、虎徹、瑠璃、歩、嵐、燐、メルクリウス、アトラスは暗い道を歩いていた。
「…メルクリウスさん。アポロの事務所に帰らなくてよかったんですか? アポロの皆さんだけで、あのめちゃくちゃになっちゃった事務所…。」
瑠璃が気後れ気味に問うと、メルクリウスは静かな声で答えた。
「…今は、ユーリィから離れすぎないところにいた方がいい気がしている。」
「ありがとうございます。その方がオレ達も助かると思います。」
虎徹が礼を言うと、アトラスは小さく笑んだ。
「礼を言うのはこっちの方だ。…本当にな。」
朔、鼎、歩、嵐、燐は彼らの会話を聞きながら、どこか緊張した面持ちで黙って歩を進めていた。
「…じゃあ、オレ達はプシンカ送って帰る。」
「気をつけて帰ってね、みんな。」
道が分かれる場所で虎徹、瑠璃、歩が立ち止まる。朔達も頷き、しばしの別れの言葉をかけた。
「はい、ヴェテロクさん達も気をつけて。」
「また明日、ボストークで。」
虎徹達が歩いて行くのを見送ってから、朔達もまた歩き出した。
間も無く、皆は朔の自宅に到着した。玄関の前で、朔は一瞬ためらうように手を止めてから、一気に戸を引いた。
「うわあああ! 片桐ぃ!!」
大きな泣き声を上げて結緒が玄関から飛び出し、朔に抱きついて来た。
「え、え!?」
「な…中畑!?」
朔と鼎が驚くと、鼎に気づいた結緒がまた声を上げた。
「あ、日向ぁ!! 帰って来たんだな!!」
「な、何で中畑!?」
「おお、帰ったか、朔!」
結緒の後ろから、朔の祖父が声をかけて来た。
「た、ただいまじっちゃん!」
朔が心底ホッとした表情を見せる。朔の祖父は落ち着いて話した。
「中畑君、お前と鼎君を心配して、来てくれたんだぞ。二人ともちゃんと感謝しなさい。」
「だって、日向はいなくなるし、片桐が日向助けに行くって言ったと思ったら、外はこんなんなるし…! それでどうなったんだ!? 悪い奴はいなくなったのか!?」
結緒の問いに皆は表情を曇らせ、黙った。燐の瞳からは、ぽろぽろと涙が溢れ出した。
「ゆおちゃん〜…。」
燐の泣き顔、皆の様子を見た結緒は、頷いた。
「…うん、ごめん。こんなことになってて、全部が解決してる訳無いよな…。」
朔が口を開いた。
「…えっと…中畑…。」
「朔。」
鼎が制しようとすると、朔は説明した。
「…大丈夫だ。中畑は全部知ってるから…。オレが話したから…。」
「え…。」
鼎が驚いていると、朔の祖父は皆を招いた。
「こんな外で立ち話も何だ。みんな上がりなさい。今日は泊まるんだろう?」
朔の自室で、皆は輪になって座っている。
結緒はしばらく考えを整理するように黙ってから、口を開いた。
「うーん…。その、日向攫った…メルクリウスさん? のことは何とかなったけど、全部の元凶みたいなのが出てきて、それが解決してない…ていうか、外の状況が全部そいつのせい…ってことか…。」
結緒に一連の出来事を話した朔は頷いた。
「うん、そんな感じだと思う…。」
鼎は呆れ顔で結緒を見た。
「…ていうか、こんなおかしい話聞いて、普通に受け入れられるお前って…。」
「だって本当の話なんだろ?」
あっけらかんと返した結緒に、鼎はわずか脱力したように返した。
「まあ、そうだね…。」
「…で、これからどうすればいいのか、皆目見当もつかなくなってる感じだな…。」
嵐が嘆息すると、赤い目をした燐が小さな声を響かせた。
「ユーリィさん、どうしてるかな…。帰ってくれって、言われた…。」
「…ユーリィはボストークの彼らの中で、一番ライカさんを取り戻したかったんだろう。それが助けたい本人からあんなメールをもらって…気を張り続けていたのが崩れたのかもしれない。」
メルクリウスは燐の頭を撫でながら、落ち着いた声で話をした。
「彼には、気持ちを整理する時間が必要だ。少し待てば、彼なりに答えを出すだろう。」
「答え、ですか…。」
朔がため息のように言葉を漏らすと、メルクリウスは苦く笑んだ。
「そもそも、事態を招いたオレが言えた義理では無かったな…。」
「いいですよ。今はみんな、少し落ち着くしかない。それは解ってますから。」
鼎はさらりとメルクリウスに返した。
「それに…メルクリウスさんだけが原因じゃないから。アポロだけじゃない、ボストークにもそれなりに責任はあったと思うから。」
「…ありがとう。」
メルクリウスの苦笑は、いくらか柔らかい笑みになった。
不意に結緒が考え始めた。
「うーん…オレが思うに…。」
「オレが思うに?」
皆が注目すると、結緒は朔と鼎を見た。
「片桐と日向、どうなってんだ?」
「…え?」
「…は?」
朔と鼎が疑問符を浮かべると、結緒は話し出した。
「だって片桐、オレに全部話してくれた時、日向は片桐が嫌だから突き飛ばしたんじゃないかとか言ってたからさ…。」
「あ、オレも気になってた。ストレルカはベルカにとって大事な癖に、ベルカはストレルカが自分に構ってくるのは施しだとか憐れみだとか…。」
嵐が思い出して反応すると、アトラスも目を丸くして続いた。
「そんなこと言ってたのか? 朔君が鼎君を探してるって鼎君に伝えたら、鼎君泣きそうになってたのに。」
「…ストレルカ、ベルカが大事な理由、ベルカに伝えてないね…。」
燐が言うと、朔はしどろもどろになった。
「あ、えっと、い、今は…。」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
鼎が声を上げると、メルクリウスは小さく笑った。
「いいや、こういう時だからこそじゃないか? これから先、どうなるか解らないんだ。心のモヤモヤは無いに越したことはない。」
「いや別に、モヤモヤとかそんな…。」
「という訳でこの際だ。腹割って話した方がいい。どこかでお互いにぶっちゃけないと、土壇場で上手くいかなくなったりするからな。それは困るだろ。」
アトラスが朔と鼎の肩にポンと手を置く。朔と鼎が戸惑っていると、結緒、嵐、燐、メルクリウス、アトラスは立ち上がり、朔の自室を出て行った。
「…行っちゃった…。」
「ったく、何考えてんだよみんな…。」
部屋に残された朔と鼎は、しばらく無言になった。かなり長いこと、二人は重い沈黙の中にいた。
「…ていうかさ。」
先に口を開いたのは鼎だった。朔が首を傾げると、鼎は朔を睨んだ。
「あの時、僕が朔を突き飛ばしたのが朔が嫌だからって何だよ。」
「え、えっと…?」
朔が目を丸くすると、鼎は朔を睨んだまま声を上げた。
「あの時はそんなこと言ってられる状況じゃ無かっただろ! 何変な方向に解釈してんだよ!」
鼎が床の畳を手の平で叩いて見せると、朔はおろおろとしながらも話し出した。
「か、鼎が攫われた後、鼎を探してた時…。」
「何。」
「…周りに言われて…オレが鼎に嫌われただけだ、それ棚に上げて聞いて来るなって…。」
「お前、普段は周りの連中のことなんて気にしないくせに、何でそういうのは真に受けるんだよ…。」
鼎が盛大に呆れ顔をすると、朔は言い辛そうに話した。
「でも…さっきVも言ってたけど…鼎はオレが一緒にいるの、施しとか哀れみだって思ってて…。」
鼎は一瞬目を見開くと、視線を落として黙った。朔は鼎の様子を見ながら、おずおずと声をかける。
「…鼎?」
「……ごめん。」
「え?」
「酷いこと言った。ごめん。」
俯いた鼎の表情は、辛そうに歪められていた。
「…ジェミニって奴のせいだと思うんだけど、昔の事思い出して…何でか、朔の気持ちとかも考えられなくなって、トラウマのことで頭いっぱいで…。」
「…あの言葉は、鼎が本当に思ってた事なのか? それだけ聞きたい。」
朔が静かな声で問う。鼎は辛い表情のまま、答えた。
「…思ってなかったって言ったら嘘だ。解らなかったから。何で朔が、いつも僕のそばにいるのか。僕を守ってくれるのか。…僕にこだわるのか。」
「オレが鼎のそばにいる理由…言っていいのかな…? 鼎からしたら…。」
朔が視線を伏せ、弱い声で話すと、鼎は遮るように口を開いた。
「本当に『そんな事』だけどね。」
「…え…!?」
朔が驚き、顔を上げると、鼎は叫んだ。
「本当に『そんな事』だよ!! あの時僕が『組む?』って声かけたから!? 何で『そんな事』だけで、僕に命賭けようなんて気になれるんだよ!!」
「『そんな事』じゃない!!」
朔は大声で鼎の言葉を否定した。鼎が思わず身体を硬直させると、朔は絞り出すような声で話し出した。
「…学校っていうところに入ってから、オレに嫌な顔しないで、一緒にいてくれたのは鼎だった。だからオレは、鼎のことは大切にしたい。鼎の気持ちとか、鼎との繋がり…それを大切にしたいって、ずっと思ってたんだ。…『そんな事』じゃないんだ…オレにとっては、本当に大切な事で、本当に…嬉しかったんだ…。」
鼎は唖然として朔の言葉を聞いた。しばらく黙った後、また口を開いた。
「…朔は…そういう奴だ。」
鼎の言葉に朔が疑問符を浮かべると、鼎は突き返すように話し始めた。
「朔は本当に、言葉をその通りにしか受け取らない。迷惑だって言ったら迷惑だって思って離れて行っちゃう。裏の方で何考えてるとか想像もしやしない。」
「…ごめ…。」
「黙って聞け。…それは、朔自身に裏がないから。裏表がないから、朔が口に出したことは全部本当に思ってることだし、僕が真実の目で見ても、その通りの感情しか見えない。おまけに人を悪く思うってことも知らないし。性格悪い僕がどんなにひねくれたこと言って傷つけても、朔は僕が悪いってことには全然しないで、僕を心配する言葉しか、感情しかなくて…。こんな嫌われ者に『組む?』とか言われて、素直に喜んじゃって…それだけでっ…それだけで僕に命賭けるようなことやり続けて…だから…だから僕は惹かれたんだ!」
最後はまた叫び声になった鼎の言葉を、朔は戸惑いながら聞いた。鼎は言い募るように叫ぶ。
「あの時、朔が一緒の組になってくれて、僕だって救われた! 裏表のない朔が一緒にいてくれて、いくらか安心して学校にいられるようになった! 真実の目のことがバレても一緒にいてくれることが、本当に嬉しかった!」
涙混じりの声を上げた後、鼎は俯き、肩を落としてぽつぽつと話した。
「…僕は…怖かった。朔がいつか離れていくんじゃないかと思うと、怖くて…本当は迷惑だと思ってるとか、僕を哀れんでるんだとか、考えるようにして…自分を納得させようとして…。」
鼎の手がギュッと握られる。鼎は俯いたまま、消え入りそうな声で言った。
「…今までたくさん傷つけて、ごめんなさい。でも、出来れば…本当に出来ればでいいから、僕と、ずっと友達でいてください…。」
朔は鼎を見た。どこか縋るような眼差しだった。鼎を真っ直ぐに見、問うた。
「オレは、鼎と友達でいていいのか? オレは言葉の裏…っていうのも解らないし、鼎を助けられなかったし、鼎を怒らせたり泣かせたりしてるけど…鼎は、オレが友達でいいのか?」
「僕は朔にずっと友達でいて欲しいんだよ! 朔はどうなんだって…。」
「…そっかぁ…。」
鼎が思わず顔を上げて叫ぶと、朔は目を細め、力が抜けたような笑みを浮かべていた。
「オレ、鼎と友達でいて、いいんだな。よかったぁ…。」
鼎が驚きに目を見開いていると、朔は力が抜けた笑みのまま、はっきりと言った。
「オレは鼎とずっと、友達でいたいよ。」
「…何、馬鹿面して言ってんだよ。」
若干きつい、いつもの鼎の声音に朔は慌てた。
「え、あ、ごめ…。」
「いいんだよ。…僕も…ホントに良かったと思ってるから。」
続いた鼎の言葉に、朔はホッとしたようにまた笑んだ。
「…そっか。…良かった。鼎の思ってる事、たくさん聞けて。」
「こんな色々ぶっちゃけた事、そういえば無かったね…そんな事すること無いだろうと思ってたし、ぶっちゃけても怒らせるだけだろうと思い続けてたのに、不思議だ。」
鼎が感慨深げに話すと、朔も小さく頷いた。
「オレも…言うのが怖かったこと、言えるとは思わなかった。」
「そんなに言うのが怖かった訳?」
「うん。鼎に呆れられたり、嫌な顔されたら怖いなあって、ずっと思ってたから…。」
朔が苦笑しながら話すと、鼎は可笑しそうに肩を揺らして笑った。朔も一緒に小さく笑った。
不意に、鼎が口を開いた。
「…朔。」
「…何だ?」
「僕はライカを助けに行く。ライカがそれを望んでいなかったとしても。」
鼎が宣言すると、朔も応えるように言った。
「そうか。…だったらオレも一緒に行く。鼎を守りたいから。」
「超危険だと思うけど。」
鼎が呆れたような声音で聞かせると、朔ははっきりと言い返した。
「だったら尚更、鼎だけ行かせたくない。オレは能力者じゃないから、何の役にも立たないかもしれないけど…。鼎を守りたいし、みんな…ユーリィさんやヴェテロクさんやチェルナさん、プシンカやウゴリョーク、V、1B、アポロの人達や…ライカさんのことも、オレだけ放り出したり、待っていたりしたくない。」
「結局朔は、僕やみんなの為に身体張ろうとするんだから…。」
鼎はまた呆れた調子で言った後、目を細めて朔に笑んでみせた。
「でも、ありがとう。嬉しい。」
「…うん。」
鼎の笑顔を受け、朔もホッとしたような笑みを見せた。
朔の笑顔を見、鼎は強く思っていた。
何があっても、朔だけは死なせない。
どんな手を使ってでも…。
片桐家の茶の間で、メルクリウスは結緒に声をかけた。
「…君は、あの二人のいい友達なんだな。」
結緒が不思議そうにすると、メルクリウスは静かに笑んだ。
「ああいう疑問は、あの二人を解っていないと、なかなか言えるものではないと思う。」
「だって、あの二人変なんですよ。」
結緒があっけらかんと口にした言葉に、皆が疑問符を浮かべると、結緒は話し出した。
「お互いが大切だって思い合ってる癖に、変な距離置いたりとか、ひねくれたこと思ってみたりとか…だからどこか、大事なところで通じ合ってない気がして、心配だった。…今頃、あの二人大丈夫かなあ。」
結緒が朔と鼎を心配する言葉で締めると、メルクリウスは穏やかに笑った。
「そう考えられる友達の君がいるなら、あの二人は大丈夫だ。」
「…ところで1B、お前この子と面識あるのか? さっき名前知ってたみたいだから。」
アトラスが結緒を指して燐に問うと、燐は大きく頷いた。
「結緒ちゃんのこと知ってるよ。燐と遊園地で遊んでくれた。」
「遊園地?」
メルクリウスとアトラスの声音が若干低くなった。嵐は言い辛そうに二人に説明した。
「……その…燐とストレルカ達が、遊園地で遊ぶきっかけになったのが、中畑みたいで…。」
「それは…。」
「つまり……。」
どこか険悪な眼差しでメルクリウスとアトラスに見られ、結緒は身を強張らせる。
「…え、オレ、何か悪いことしちゃったん、ですか…?」
「そうか…君が…。」
「1Bがアポロを抜けるきっかけを作ったと…。」
メルクリウスとアトラスの棘がある声に、結緒は大いに戸惑った。
「…あ、あの、メルクリウス、アトラス…。」
三人の間に漂う不穏な空気を感じた嵐が口を開くが、メルクリウスはそれを遮り、結緒に問うた。
「一つ聞きたい。君はその時どうして、1Bと遊んだんだ?」
「え?」
「それを聞いてみたかった。」
結緒はメルクリウスの問いをわずか考えてから、メルクリウスとアトラスに真っ直ぐ視線を向けた。
「…えっと…1Bって、燐ちゃんのことですか? …あの時燐ちゃんは、一人でメリーゴーランド、ずっと見てて…。オレ達位の歳になると、メリーゴーランドに興味持たない方が多い気がしたから、何だかその姿が気になって話しかけてみたんです。そしたら『綺麗だと思ってた』って言ったんですよ。」
メルクリウスとアトラスは結緒の答えを黙って聞く。結緒の声は柔らかく響いた。
「それ聞いて、この子はいい子なんだなって思った。いい子だけど、心配だな、一人ぼっちで寂しくないのかなとか、思って…一緒に乗ろうって誘ってみた…そんな感じでした。…今思うと、ティーカップだのジェットコースターだの、燐ちゃんのこと連れ回して、疲れさせちゃったかもなあって…。後、一緒に来てた嵐さんのことも聞かなかったし…迷惑かけたんだったら、ごめんなさい。」
結緒が居住まいを正し、メルクリウスとアトラスに頭を下げると、メルクリウスは燐を見た。
「…1B。」
燐が不思議そうにすると、メルクリウスは問うた。
「お前は中畑君と遊んで、楽しかったか?」
「楽しかった。すごく楽しかったよ。それまで燐と遊んでくれた人、いなかったけど、結緒ちゃんとストレルカとベルカが遊んでくれて、すごく楽しかった。」
燐は目を輝かせ、大きく頷いてみせた。
メルクリウスは今度は嵐を見る。
「…そうか。Vはどう思う?」
「最初はオレ以外と一緒にいたって、大丈夫だったかと心配だったけど…今は良かったと思ってる。燐は楽しかったって、目え輝かせてずっと言ってたし、メルクリウスを救えたのは、ストレルカとベルカと繋がれたからで、中畑が最初のきっかけになってくれたと思う。だからオレは、中畑が燐の友達になってくれて、感謝してます。」
嵐が真っ直ぐに返答すると、メルクリウスは少し思った後、結緒を改めて見た。
「…この際だから、オレも正直に言おう。…オレは能力者の1Bと、普通の人間の君が友達であることが心配だ。」
結緒が黙って聞いていると、メルクリウスは続けた。
「でも1BもVも、君を信じている。君と友達であることを嬉しく思っている。せっかく生まれた他者との繋がりを断つことはしたくない。」
続けて話すメルクリウスの眼差しが柔らかくなった。
「だから思う。君にはどうか、1BとVの気持ちを裏切ったりせず、ずっと二人の友達でいてほしい。…頼む。」
メルクリウスが頭を下げると、アトラスが結緒、燐、嵐を見、次いで話した。
「オレもまだ心配だ。でもオレも思う。お前らが長く、いい付き合いを出来たらいいと。」
メルクリウスとアトラスの真摯な言葉を受け、結緒も真っ直ぐに返事をした。
「…オレはバカだから、燐ちゃんや嵐さんに、色々嫌なこととか、傷つけたりとかしてるかもしれない。でもオレも、燐ちゃんや嵐さんと友達になれて嬉しいです。二人と長く友達でいたいと、オレも思ってます。」
「そうか。…これからも、二人と仲良くしてやってくれ。」
メルクリウスの眼差しは穏やかだった。結緒は笑顔で頷いてみせた。
「はい。」
「…結緒ちゃん…メルクリウス…?」
ずっと状況を見ていた燐が不安げに二人を見比べると、アトラスは笑いながら燐の頭をぽんぽんと撫でた。
「はは。1BとVも、これから頑張れよ。」
「?」
「…はい。」
燐は不思議そうにしていたが、嵐は嬉しそうに頷いた。
瑠璃の自宅。
瑠璃と虎徹から話を聞いた玻璃は、静かに頷いた。
「…そう…悠里さんが…。」
「…はい。」
「これから、どうすればいいんだろう…。」
気落ちした様子の虎徹と瑠璃を見、玻璃は穏やかに問うた。
「どうすればいいか、ね…。どうしたいかは解ってるの?」
「どうしたいか…?」
「そう。こんな状況になって、瑠璃と虎徹君はどうしたいのか。それは決めてるんでしょう?」
玻璃が優しく笑んでみせるが、虎徹は気落ちした様子のまま口ごもった。
「…オレは…。」
「…私はやっぱり、ライカさんを助けたいよ。」
顔を上げ、言い切った瑠璃に虎徹は驚きを見せた。
「チェルナ…。」
「ライカさんはああ言ってたけど…このままじゃユーリィさんだって、みんなだって救われないよ。このままで終わりたく無いよ…。」
瑠璃が瞳を潤ませ、思いを言葉にすると、虎徹は苦笑した。
「……すげえな、チェルナ。」
瑠璃が不思議そうにすると、虎徹は力無く笑んだ。
「オレは…ユーリィさんがああなったの見ちまって、結構ショックでかかったみたいでな…。オレ達を支えてくれてたリーダーが、諦めかけてんのかと思っちまったら…。」
「あら。悠里さんは『帰ってくれ』って言ったんでしょう? もう諦めたいとは言ってないじゃない。」
あっけらかんとした玻璃の言葉に、虎徹と瑠璃が注目すると、玻璃は落ち着いた居住まいでいた。
「一人になりたい、そう思ったんだと思うわ。一人になって、落ち着いて考えたいって。…そうやって落ち着いて考えた結果は、意外と前向きになるものよ。」
「…ユーリィさんは諦めたわけじゃない、か…。」
虎徹が呟くと、不意に玻璃は笑い声を立てた。
「…ふふ。」
「お姉ちゃん?」
瑠璃が首を傾げると、玻璃は可笑しそうに笑っていた。
「何でかな。今、ちょっと思い出したの。私と虎徹君が出会った時の事。」
「え? …ああ。玻璃さんが暴漢に襲われてたの、助けた時ですか。」
虎徹が思い出したように顔を上げると、玻璃は静かに頷いた。
「そう。…あの時は私も、能力者の瑠璃を抱えて、生きていくだけで精一杯、追い詰められていた。けど虎徹君が能力を使って私を助けてくれたのを見て…『この子が瑠璃の友達になってくれないかなあ』って思ったの。」
「それであの時、オレに声をかけて来たんですか。」
虎徹がわずか驚いた様子を見せると、玻璃はにっこり笑って頷いた。
「ええ。…今は思うの。あの時、勇気を出して虎徹君に声をかけてよかった。私と同じく追い詰められていた瑠璃が、私や虎徹君のことだけじゃない、周りの大切な人達のことを考えて、言葉にできるようになったんだもの。…本当にありがとう、虎徹君。」
玻璃の言葉を聞き、虎徹はわずか思うように黙ると、改めて口を開いた。
「チェルナが変わったのは、オレがいただけじゃなくて…ていうか、オレだけだったら、チェルナは変われなかったと思う。ユーリィさんやベルカみたいなボストークの仲間、敵だったアポロの奴ら、能力の無い普通の人間のストレルカ…。色んな奴らが関わってくれたから、チェルナは…いや、オレも変われたんだと思います。」
玻璃は嬉しそうに、二人に頷いてみせた。
「…きっと、そうね。普通の人間のお友達にも、会ってみたいなあ。」
「お姉ちゃん。今度、一緒にボストークに行こうよ。ストレルカもいつもいるし。」
「そうね。久しぶりに、悠里さんにもご挨拶したい。」
「会いに行きましょう。時々ユーリィさん、玻璃さんのこと心配してますよ。」
虎徹と瑠璃と玻璃。三人の話し声は、明るく響いていた。
虎徹と瑠璃に自宅まで送られた歩は、玄関先で迷うようにウロウロしていた。
長いことそうした後、改めてドアを見る。大きな壁のように思えるドアを。
歩は唇を結び、意を決してドアを開けた。小さな頼りない声で、帰ってきた挨拶を告げる。
「…ただいま…。」
「アユ!!」
叫ぶ声がし、歩が驚く間も無く、恵が駆けて来て歩に抱きついた。
「メ、メグ!?」
「よかった! 無事だった!! 外が赤い稲妻の時みたいになってて、今度こそ打たれて死んでるんじゃないかって、心配で…っ!」
歩に抱きつく恵の声は涙まじりで、腕は震えていた。
それを五感で感じ取った瞬間、歩の胸中を様々な光景が駆け巡った。
「うっ…えぐっ…せんせえ…。」
恩師の死後、部屋に籠って泣く歩のそばに、恵はいつもいた。
涙を溜め、唇を結びながら、恵は歩のそばにいた。
「ここ解らないよ、メグ…。」
「ほら、この公式…。」
「…えっと…だったら、こう、かな…。」
「そう。ほら、自分で出来ただろ?」
家から外に出られなくなった歩に、恵は毎日勉強を教えていた。
恵なりにいつも、歩が解るような教え方を考えているのが伝わった。
その次に巡ったのは、鼎とライカが強奪された後の、恵の言葉だった。
「あんた達のせいだ!! あんた達さえ関わって来なきゃ、アユも僕も静かに暮らしていられたのに!! 僕がアユをずっと守って来たのに、あんた達が全部台無しにしたんだ!!」
「…メグがオレを守ってくれてたのは、すごく感謝してるよ。でもオレはここに来て元気になれた。もう大丈夫だよ。メグはオレのことばかり考えなくていいんだ。」
「何でそんなこと言うんだよ!! 僕はアユを守るために、ずっとずっと…! アユだってもうこんな連中と関わりたくないはずだ!!」
次に思い出されたのは、虎徹の言葉だった。
「あいつは確かに、あいつの生きる理由を奪ったオレ達にムカついたんだろ。オレ達と楽しくしてるお前にもムカついたんだろ。…苦しんだんだろう。あいつは多分、その気持ちを利用されたんだろ。」
「…でも…。」
「利用されたこっちは堪ったもんじゃないけどな。でもこうなった原因は、オレ達自身にもあるかもしれないと思う。」
オレにとって…メグが一緒にいることは、当たり前で…当たり前過ぎて…オレは、解らなくなってたんだ…。
歩は目の奥が熱くなるのを感じた。
「メグ…。…っ…うっ…ぐ…。」
「アユ…?」
涙まじりに呼ばれ、恵は戸惑う。
歩は恵に懸命に腕を回し、涙をぽろぽろ流しながら言葉にした。
「えぐっ…ごめんなさい…ごめんなさい、メグ〜…。」
「え…アユ…?」
「メグは、メグはいつもオレのこと、心配してくれたのに…ごめんなさい〜…。」
歩が泣きながら謝るのを聞き、恵の瞳からもまた涙があふれ出た。
「アユ…っ…。」
恵は歩に抱きつく腕に力を込めた。
「ごめん…僕こそ、ごめんなさい…アユの好きな場所、人達、めちゃくちゃにして…ごめんなさい、アユっ…。」
「メグ〜…!」
二人はしばしの間、泣きながら懸命に抱き合っていた。
恵の部屋で、歩と恵は小さな声で話をし始めた。
「…アユ…ボストークの…他の皆さん、どうしてる…?」
恵の問いに、歩は気落ちした様子で俯いて答えた。
「…落ち込んでる…。ライカさんを助けに行こうとしたけど、ダメになっちゃって…。方法が無くなっちゃったんだ…。」
恵は思うように黙っていたが、やがて歩に乞うた。
「…アユ。教えて欲しい。…何があったのか、全部。」
歩はゆっくりと頷き、口を開いた。
歩が話す一連の出来事に、恵は黙って耳を傾けた。
「…それで…ライカさんも、ジェミニって奴も…神舟に捕まったままで…。でも、オレ達…もう研究所の中に入れないって…。」
歩が泣きそうな顔をしてそこまで言うと、恵は少しの間考え、口を開いた。
「……ライカさんがそっちに行ったってことは、その研究所にネット環境はあるってことだね。」
唐突な恵の言葉に歩が疑問符を浮かべると、恵は真摯な眼差しで問うた。
「その研究所の場所、アユのスマホに入ってる?」
「え、う、うんっ。」
歩は慌ててスマートフォンを手に取り、操作して恵に見せた。
「場所は…よし。」
恵は歩のスマートフォンを見て頷くと、机の上にあるパソコンに向かった。歩が戸惑いながら見守る中、恵は長いこと画面に向き合い、キーボードを叩いていた。
そして、恵は不意に声を上げた。
「…よし、見つけた…!」
歩が恵の側に寄ると、恵は言った。
「曙光研究所のネットワークを見つけた。」
「え!? …あ! それでライカさんを取り戻せない!?」
歩が思いついて問うと、恵は冷静に返した。
「止めた方がいいと思う。研究所にとっては最高機密だろうから、触ろうとしただけでバレると思う。」
「そっかあ…。」
「でも、やり方が無いわけじゃない。」
落ち込む歩に恵が見せたのは、小さなUSBメモリだった。
悠里は一人、カフェボストークにいた。
タバコを一本取り出し、火をつけた。紫煙を深く吐き出す。
「…ライカ…。」
悠里はカフェの中を、ゆっくりと見回す。あらゆるものを一つ一つ、じっくりと見る。
何度も見回した後、悠里は呟くように、口を開いた。
「…それでも、オレはお前が…。」
翌朝。
朔の家に泊まった面々は、カフェボストークを訪れた。
「…おはようございます。」
「おはよう、ストレルカ。ベルカ。」
既に来ていた虎徹と瑠璃が、朔と鼎を迎えた。
「おはよう。」
「…おはよ。」
嵐と燐がアポロのメンバー達に挨拶をすると、少し疲れた様子の彼らは、それでも笑んで挨拶を返した。
「おはよう、V。1B。」
「…大体集まったな…。」
「これから、どうすれば…。」
悠里がまだ姿を見せない重い空気の中で、鼎は発言した。
「僕は行きます。」
皆が注目すると、鼎は強い意志を持った眼差しでいた。
「ライカを取り戻す。赤い稲妻が降った時と同じことにはさせない。」
「私もライカさんを取り戻したい。」
瑠璃が頷くと、嵐と燐も発言した。
「オレもライカさんに世話になったのに、何もしないのは嫌だ。」
「燐も、助けに行きたい。」
続けてメルクリウスも意志を表した。
「オレは…ジェミニを助けたい。利用されていただけなのは解っている。それでも…。」
「…みんな、意見は大体同じか。…問題はこれからどうやって…。」
虎徹が皆を見回した時、突然ドアが音を立てて開いた。皆がハッとして見ると、歩が笑顔で立っていた。
「皆さん! メグが! メグがやったんですよ!!」
「プシンカ!?」
「ウゴリョークがどうしたんだ!?」
中にいた皆が驚き、問うと、歩は明るい声を上げた。
「メグが突破口を開いてくれたんです!!」
カフェに飛び込んで来た歩の後ろから、わずかに疲れた様子の恵が入ってきた。
「ウゴリョーク…。」
ボストークのメンバー達は戸惑った様子で恵を見た。
「…これを見てください。」
恵は持っていたノートパソコンを開く。ディスプレイには様々な文字の羅列が見えた。
「これは…?」
「以前、メルクリウスさんが僕に渡してくれた、どんな防壁も破れるプログラムに、コンピューターのコントロールを奪うプログラムをくっつけたものです。」
メルクリウスがわずかに息を呑む。瑠璃は問うた。
「これをどうするの?」
「曙光研究所にはネット環境があります。ちゃんと調べました。神舟というコンピューターにはアクセス出来ないまでも、施設環境をコントロールするコンピューターには侵入出来ます。」
ディスプレイに目を通しながら、恵は説明した。
「このプログラムを研究所のネット環境にぶつけて、研究所が彼らの思い通りに行かなくなった時を狙って…後は解りますか。」
「わ、解るけど…。」
朔は戸惑いつつ、恵を見る。虎徹は気後れ気味に、恵に声をかけた。
「お前…。」
恵はノートパソコンから手を離すと、皆に向き直り、頭を下げた。
「…ごめんなさい。今回のことは僕に責任があります。全部終わったら好きに裁いてください。でも、今だけは信じてください。お願いします。」
「オレからもお願いしますっ!!」
歩も恵の隣で頭を下げた時、奥に続くドアが開いた。
「動けるだけの材料はある、か…。」
奥から現れた悠里の姿は、山に登るための軽装だった。悠里ははっきりと口を開いた。
「今度はオレも行く。…ライカを助け出す。ライカが構うな、忘れろと言ったとしても、オレは行く。」
「ユーリィさん…!」
虎徹と瑠璃の表情が輝いた。
「僕も行きます。ライカを助けて、もう赤い稲妻なんて降らせない。」
「私もライカさんを助ける! このままじゃ終われないもの!」
「オレも腹くくる。これ以上あんなのの好きにさせるか!」
鼎、瑠璃、虎徹も声を上げた。
「ウゴリョーク。力を貸してくれること、本当にありがたく思う。」
悠里が礼を言うと、恵はホッとした表情を見せ、足元をふらつかせた。皆は慌てて駆け寄る。
「メグ!?」
「ウゴリョーク!」
傾いだ恵の肩を、支えた手があった。
「オレは君をサポートさせてもらう。」
「メルクリウスさん…。」
驚き見上げる恵を支えながら、メルクリウスは聞かせた。
「オレにも責任は大いにある。それに、何か不測の事態が起こらないとも限らない。コンピューター、プログラムを扱える人間は、多いに越したことはない。」
「…ありがとうございます。」
驚いていた恵は、わずか視線を緩ませて礼を言った。
メルクリウスは嵐と燐を見る。
「すまないが…ジェミニを頼む。」
「解った、メルクリウス!」
「燐も、行ってくるよ。」
嵐と燐が頷くと、アトラスは苦笑してメルクリウスに声をかけた。
「メルがそこまで言うなら、オレもお前を助けるだけだ。」
「オレも行きます。鼎を守りたい、みんなの力になりたいです。」
朔が懸命に話すと、鼎は嬉しそうに小さく笑んだ。
「…ありがとう。」
悠里はカフェにいる全員を見回した。
「…よし。早速皆、作戦を確認して準備をしよう。」
「よっしゃあ!!」
黒く赤い空の下、皆は笑顔で気合いを入れる声を上げた。
To Be Continued
朔が小さく唸り声を上げながら目を開けると、目の前には見覚えのある天井と、嵐と燐の顔があった。嵐が朔に声をかける。
「大丈夫か、ストレルカ。」
「…V…1B…。」
朔はカフェボストークの二階にある部屋に寝かされていた。
朔が手に暖かさを感じ、手元に視線を移すと、燐が朔の手を握っていた。
「…うなされてたから。」
「…そっか…。」
朔の声は寂しげに響いた。
「…鼎は?」
「ベルカはユーリィさんのところに行ってる。」
朔は身体を起こす。体のあちこちが軋み、痛みを訴えた。
「…くっ…。」
「ストレルカ、無理すんな。」
「…大丈夫だよ、これ位なら…。」
朔が嵐と燐に向けた笑顔は、弱々しかった。嵐と燐の心配そうな顔を見、朔は少し思うように黙ると、口を開いた。
「…昔は、いつも身体中、痛かったから。」
小学校の教室で、背の小さな子供が数人の子供達に絡まれていた。
「お前ほんと馬鹿だよなー。」
「頭おかしいっていうかさー。」
「勉強してもしょうがないじゃん、馬鹿なんだから。」
小さな子供に数人の子供達が投げかける中傷の言葉。周りの子供達は我関せずという態度を取るか、面白がって笑っているかのどちらかだった。
子供達が散々言いたい放題中傷し、嗤っていた時だった。
「そういうこと言うの止めろ。」
一人の子供が、中傷の言葉を浴びせていた子供達に向けて口を開いた。
「何だ、また朔か。」
「つまんねーの。」
一人の子供…朔を見て、子供達は非常に迷惑そうな顔をして散って行った。小さな子供はしばしそこに立っていたが、やがて逃げるように朔のそばから走って行った。
オレは正義感が強いって思われていたみたいだけど…ただ、人が人を傷つけるとか、嫌な言葉を言うとか…そういうのが好きじゃなかっただけだった。
だから止めただけだった。
それが言ってた奴らとか言われてた奴らには、迷惑極まりない行動だったみたいだ。
歩いていた朔が足を引っ掛けて転ぶ。
「いて…。」
「あー、ごめんなあ。足長いもんでさー。」
朔に足を引っ掛けて転ばせた子供と、他数人が朔を見下げてニタニタと笑っていた。
朔が黙って立ち上がろうとすると、朔の持っていた筆箱が思い切り蹴飛ばされた。
「ごめんごめーん。わざとじゃないんだ、わざとじゃー。」
筆箱を蹴飛ばした生徒と別の数人が、さも面白そうなものを見る目をして朔を見下ろしていた。
朔は何も言わずに立ち上がり、筆箱を拾ってその場を後にした。
そんなことが続いていたある時。
朔が廊下を歩いていると、数人に暴力を受けている子供がいた。
朔は早足で歩いて行き、暴力を加えている子供達に言った。
「何してんだ、止めろよ。」
「また来たのかよ。」
「お前脳みそ腐ってんじゃねえの?」
「自分が迷惑行為してるって解んないのか?」
子供達が口々に吐き出すと、朔は眉間にしわを寄せた。
子供達は容赦無く言葉で傷つけていく。
「正義の味方かぶれが、自分が正しいみたいな顔してさ!」
「お前が変なことするせいで、オレ達が何かしたみたいに思われんの、すげー迷惑なんだけど!」
朔は黙って子供達の中傷を聞いた後、口を開いた。
「オレはただ、暴力とか、悪口とかが嫌いなだけだ。」
聞いた子供達は、なおさら気に食わないと言うように表情を歪めた。
「何だそれ。じゃあお前の自己満足のために、オレ達は何かしたみたいに言われるわけか?」
「それこそ暴力じゃん暴力!」
「うわー、自分で暴力してやがる!」
「大体、こいつだって助けられることなんか望んでないってのにさ!」
一人が暴力を受けていた子供を指し、続けて言った。
「なあ、そうだよな? 朔に助けられて、友達なんかになりたくないよなあ?」
暴力を受けていた子供は、わずかの沈黙の後、口を開いた。
「…朔とは、友達なんかじゃない…。」
子供達は一斉に嗤い出した。
「な、やっぱりそうだよな!」
「朔と友達になりたい奴なんているわけないって!」
子供達の嘲笑を、朔は陰った顔で黙って聞いていた。
オレは悪口とか、暴力とか、人が傷つくのが嫌いなだけだった。
だから、そういうのを止めたかった。
でも…常に疑問もあった。
オレに声をかけられることを、誰も望んでいない。
オレと友達になりたい奴なんていない。
オレが思っていることは、間違っているのかもしれない。
悪口とか、暴力とか、人が傷つくのが嫌いだと思うこと自体も、間違っているのかもしれない。
学校中から爪弾きにされて、見かねた両親がオレをじっちゃんのところに預けた。
でも、じっちゃんの所から別の小学校に通っても、周りは変わらなかった。
オレに声をかけられると、みんな嫌な顔をした。
オレが近づくだけで、みんな迷惑だと言った。
オレが悪口とか、暴力が嫌いだと言うと、みんなおかしなものを見る顔でオレを見た。
…中学校を卒業するまで、それはずっと続いた。
高校に入学しても、そんな感じなんだろうとオレは思っていた。中学校の時の知っている顔もたくさんいたし、そいつらはもれなくオレを嫌いだったから。
入学したばかりの頃、何かの授業で二人組を作るのがあった。早速オレは爪弾きにされていた。
その時だった。
「お前、一人?」
声をかけられて驚くオレに、声をかけて来た…鼎は言った。
「僕と組む?」
鼎は嫌な顔をしてなかった。たださらりと、何でもないことのように、オレと組になろうって言ったんだ。
鼎はわずかにふらつきながら、カフェボストークの二階に上がって来た。側のドアを開けようとした時、ドアの向こうから朔と嵐、燐の話し声が聞こえた。鼎は思わず動きを止め、耳をそばだてた。
「鼎があの時、オレと組になろうって言ってくれた事…鼎には、本当に何でもないことだったんだと思う。でも…オレにはそれが、すごく嬉しかったんだ。」
朔の話を聞いていた嵐が、ため息のように口にした。
「それが、お前がベルカにこだわる理由か…。」
「うん。それからも鼎は何かとオレのそばにいてくれて、嫌な顔もしなかったし、オレに何か言われて迷惑だとかは言わなかったし…そんなこと、初めてだったんだ。」
「…ベルカはそれ、知ってるの?」
燐の問いに、朔は苦笑しつつ首を横に振った。
「知らないと思う。言おうと思ったこともない。覚えてないだろうし、鼎に言ったら『そんなことで?』って呆れられそうで…。」
…覚えてる。
あの時、僕の目から見て朔には、何にも嫌な感情が感じられなかったんだ。
他の連中には、沢山の嫌な感情が見えていた。
それは僕に向けられていたものもあっただろうし、朔に向けられていたものもあったのかもしれない。
でも、朔には人を傷つけるような嫌な感情は、何にも見えなかった。
だから、声をかけた。
少しは安心して、組になれるかと思ったから。
それだけのことだった。
それだけのことで、お前は僕とずっと一緒にいてくれたっていうの…?
「…そんなことで…?」
鼎はドアの前で瞳を潤ませ、震える声で呟いた。
「まあ、とりあえずユーリィさん達のところ行こうぜ、無事なところ見せてやらないと。」
「ヴェテロク達も、下にいるよ。」
嵐と燐の声が聞こえ、鼎はハッとして目の辺りを拭った。
「うん、解った。下に降りるよ。」
続けて朔の声を聞くと、鼎は急いで元来た階段を降りた。
カフェボストークの一階。
「そうか…ライカが…。」
「ジェミニも…。」
虎徹達が曙光研究所での一連の出来事を話すと、部屋は重い空気に包まれた。
虎徹は悠里に向かい、頭を下げた。
「すみませんでした、ユーリィさん…。」
「いや、無事でよかった。アポロの皆さんも、助けてくれてありがとう。」
悠里は虎徹に労いの言葉をかけた後、アポロの面々に向かって頭を下げる。彼らは首を横に振った。
「そんな…オレ達も、お前らを拾って戻ってくるのが精一杯で…。」
「ねえ…あの女の子はどうしたのかな? 前にここを襲って来た中にいた…。」
瑠璃が不安げな顔をして話すと、メルクリウスはしばらく考えて口にした。
「…エンデバーか?」
「エンデバーは、お前達が放り出されてた所にはいなかったぜ。」
アポロのメンバーの一人が話すと、瑠璃は少し思うように黙ってから、また話した。
「あの子、ジェミニって人が家族に会えたのを邪魔させないって言ってたの…。他の仲間はさっさと逃げちゃったのに…。」
「…エンデバーには家族がいない。」
メルクリウスの言葉に瑠璃が反応して見る。メルクリウスは静かな声で続けた。
「赤い稲妻に直撃された時に、家族は焼かれて死んだらしい。ジェミニに見せられた経歴にはそう書かれていた。」
「エンタープライズとディスカバリーは、遊びでジェミニに従ってるところがあったけど、エンデバーはマジでジェミニに心酔してたみたいだからな。ジェミニの言ったことは絶対…そんな感じなんだろ。」
アトラスが補足を引き受けると、瑠璃はぎこちなく頷いた。
「そうなんですか…。」
「…これから、どうすりゃいいんだろうな…。」
虎徹は重く息を吐いた。
「電子キーは取り上げられちまったから、今度は簡単には入れないだろうし…。」
歩は疲れた顔をして、落ち着かない様子で皆を見回している。
階段を降りる音が聞こえて来た。皆が振り向くと朔と嵐、燐が降りて来ていた。
「ストレルカ!」
「目が覚めたんだね、大丈夫?」
虎徹と瑠璃が声をかけると、朔は苦笑してみせた。
「はい、何とか大丈夫です。」
鼎は朔をしばらく黙って見た後、窓の外に目をやった。朔は気づいて共に窓の外を見る。
外は真っ暗になっていた。空は黒く厚い雲に覆われ、雲の間からは時折赤い光が見えた。
「…今、何時だっけ。」
朔が問うと、鼎はぽつりと答えた。
「…朝の九時だよ。」
「…そうか。…夜みたいに真っ暗だ。」
朔が呟き返す。虎徹は頭をがりがりと掻いた。
「畜生! こうしてる間にも、ライカさんとあの神舟は…。」
「…また、赤い稲妻…落ちるのかな…。」
燐が震える声で口にすると、歩は泣きそうな顔になった。
「そんなの嫌だよ…!」
「またあんなのが降ってくるなんざ、ごめんだ…!」
嵐は辛そうに顔を歪ませ、吐き出した。
その時、悠里のスマートフォンからメールの着信音が鳴った。悠里はパッとそばに置いていたスマートフォンを取り、メール画面を開いた。
「差出人:ライカ
ぼくたちにもう かまわないで
もうぜんぶ わすれてください
ごめんなさい さようなら」
悠里の口から、震える声が発せられた。
「…ライカ…。」
「そんな…。」
「ライカさん…。」
悠里のスマートフォンの画面を見た虎徹は気落ちした顔になり、瑠璃は泣きそうに瞳を潤ませた。
鼎は青い顔で、辛そうに眉間にしわを寄せた。朔は部屋の重い空気を感じ、ただ黙っていた。燐が震える声を出した。
「このまま、何もしちゃダメなの…?」
悠里はスマートフォンをカウンターにことりと置いた。皆に背を向け、口を開いた。
「今日はみんな、帰ってくれ。」
皆は一様に驚いた表情を見せた。
「え…。」
「でも…!」
「帰ってくれ!!」
悠里の叫び声に皆、身体を強張らせた。
メルクリウスが皆に聞かせた。
「彼の言う通りにしよう。みんな少し、落ち着く時間が必要だ。」
重い空気の中、皆は顔を見合わせた。やがて一人、また一人とカフェを出て行く。
最後にカフェを出たのは、朔と鼎だった。二人はカフェを出る直前、振り返る。悠里が向けている背中がとても小さく、二人には見えた。
朔、鼎、虎徹、瑠璃、歩、嵐、燐、メルクリウス、アトラスは暗い道を歩いていた。
「…メルクリウスさん。アポロの事務所に帰らなくてよかったんですか? アポロの皆さんだけで、あのめちゃくちゃになっちゃった事務所…。」
瑠璃が気後れ気味に問うと、メルクリウスは静かな声で答えた。
「…今は、ユーリィから離れすぎないところにいた方がいい気がしている。」
「ありがとうございます。その方がオレ達も助かると思います。」
虎徹が礼を言うと、アトラスは小さく笑んだ。
「礼を言うのはこっちの方だ。…本当にな。」
朔、鼎、歩、嵐、燐は彼らの会話を聞きながら、どこか緊張した面持ちで黙って歩を進めていた。
「…じゃあ、オレ達はプシンカ送って帰る。」
「気をつけて帰ってね、みんな。」
道が分かれる場所で虎徹、瑠璃、歩が立ち止まる。朔達も頷き、しばしの別れの言葉をかけた。
「はい、ヴェテロクさん達も気をつけて。」
「また明日、ボストークで。」
虎徹達が歩いて行くのを見送ってから、朔達もまた歩き出した。
間も無く、皆は朔の自宅に到着した。玄関の前で、朔は一瞬ためらうように手を止めてから、一気に戸を引いた。
「うわあああ! 片桐ぃ!!」
大きな泣き声を上げて結緒が玄関から飛び出し、朔に抱きついて来た。
「え、え!?」
「な…中畑!?」
朔と鼎が驚くと、鼎に気づいた結緒がまた声を上げた。
「あ、日向ぁ!! 帰って来たんだな!!」
「な、何で中畑!?」
「おお、帰ったか、朔!」
結緒の後ろから、朔の祖父が声をかけて来た。
「た、ただいまじっちゃん!」
朔が心底ホッとした表情を見せる。朔の祖父は落ち着いて話した。
「中畑君、お前と鼎君を心配して、来てくれたんだぞ。二人ともちゃんと感謝しなさい。」
「だって、日向はいなくなるし、片桐が日向助けに行くって言ったと思ったら、外はこんなんなるし…! それでどうなったんだ!? 悪い奴はいなくなったのか!?」
結緒の問いに皆は表情を曇らせ、黙った。燐の瞳からは、ぽろぽろと涙が溢れ出した。
「ゆおちゃん〜…。」
燐の泣き顔、皆の様子を見た結緒は、頷いた。
「…うん、ごめん。こんなことになってて、全部が解決してる訳無いよな…。」
朔が口を開いた。
「…えっと…中畑…。」
「朔。」
鼎が制しようとすると、朔は説明した。
「…大丈夫だ。中畑は全部知ってるから…。オレが話したから…。」
「え…。」
鼎が驚いていると、朔の祖父は皆を招いた。
「こんな外で立ち話も何だ。みんな上がりなさい。今日は泊まるんだろう?」
朔の自室で、皆は輪になって座っている。
結緒はしばらく考えを整理するように黙ってから、口を開いた。
「うーん…。その、日向攫った…メルクリウスさん? のことは何とかなったけど、全部の元凶みたいなのが出てきて、それが解決してない…ていうか、外の状況が全部そいつのせい…ってことか…。」
結緒に一連の出来事を話した朔は頷いた。
「うん、そんな感じだと思う…。」
鼎は呆れ顔で結緒を見た。
「…ていうか、こんなおかしい話聞いて、普通に受け入れられるお前って…。」
「だって本当の話なんだろ?」
あっけらかんと返した結緒に、鼎はわずか脱力したように返した。
「まあ、そうだね…。」
「…で、これからどうすればいいのか、皆目見当もつかなくなってる感じだな…。」
嵐が嘆息すると、赤い目をした燐が小さな声を響かせた。
「ユーリィさん、どうしてるかな…。帰ってくれって、言われた…。」
「…ユーリィはボストークの彼らの中で、一番ライカさんを取り戻したかったんだろう。それが助けたい本人からあんなメールをもらって…気を張り続けていたのが崩れたのかもしれない。」
メルクリウスは燐の頭を撫でながら、落ち着いた声で話をした。
「彼には、気持ちを整理する時間が必要だ。少し待てば、彼なりに答えを出すだろう。」
「答え、ですか…。」
朔がため息のように言葉を漏らすと、メルクリウスは苦く笑んだ。
「そもそも、事態を招いたオレが言えた義理では無かったな…。」
「いいですよ。今はみんな、少し落ち着くしかない。それは解ってますから。」
鼎はさらりとメルクリウスに返した。
「それに…メルクリウスさんだけが原因じゃないから。アポロだけじゃない、ボストークにもそれなりに責任はあったと思うから。」
「…ありがとう。」
メルクリウスの苦笑は、いくらか柔らかい笑みになった。
不意に結緒が考え始めた。
「うーん…オレが思うに…。」
「オレが思うに?」
皆が注目すると、結緒は朔と鼎を見た。
「片桐と日向、どうなってんだ?」
「…え?」
「…は?」
朔と鼎が疑問符を浮かべると、結緒は話し出した。
「だって片桐、オレに全部話してくれた時、日向は片桐が嫌だから突き飛ばしたんじゃないかとか言ってたからさ…。」
「あ、オレも気になってた。ストレルカはベルカにとって大事な癖に、ベルカはストレルカが自分に構ってくるのは施しだとか憐れみだとか…。」
嵐が思い出して反応すると、アトラスも目を丸くして続いた。
「そんなこと言ってたのか? 朔君が鼎君を探してるって鼎君に伝えたら、鼎君泣きそうになってたのに。」
「…ストレルカ、ベルカが大事な理由、ベルカに伝えてないね…。」
燐が言うと、朔はしどろもどろになった。
「あ、えっと、い、今は…。」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
鼎が声を上げると、メルクリウスは小さく笑った。
「いいや、こういう時だからこそじゃないか? これから先、どうなるか解らないんだ。心のモヤモヤは無いに越したことはない。」
「いや別に、モヤモヤとかそんな…。」
「という訳でこの際だ。腹割って話した方がいい。どこかでお互いにぶっちゃけないと、土壇場で上手くいかなくなったりするからな。それは困るだろ。」
アトラスが朔と鼎の肩にポンと手を置く。朔と鼎が戸惑っていると、結緒、嵐、燐、メルクリウス、アトラスは立ち上がり、朔の自室を出て行った。
「…行っちゃった…。」
「ったく、何考えてんだよみんな…。」
部屋に残された朔と鼎は、しばらく無言になった。かなり長いこと、二人は重い沈黙の中にいた。
「…ていうかさ。」
先に口を開いたのは鼎だった。朔が首を傾げると、鼎は朔を睨んだ。
「あの時、僕が朔を突き飛ばしたのが朔が嫌だからって何だよ。」
「え、えっと…?」
朔が目を丸くすると、鼎は朔を睨んだまま声を上げた。
「あの時はそんなこと言ってられる状況じゃ無かっただろ! 何変な方向に解釈してんだよ!」
鼎が床の畳を手の平で叩いて見せると、朔はおろおろとしながらも話し出した。
「か、鼎が攫われた後、鼎を探してた時…。」
「何。」
「…周りに言われて…オレが鼎に嫌われただけだ、それ棚に上げて聞いて来るなって…。」
「お前、普段は周りの連中のことなんて気にしないくせに、何でそういうのは真に受けるんだよ…。」
鼎が盛大に呆れ顔をすると、朔は言い辛そうに話した。
「でも…さっきVも言ってたけど…鼎はオレが一緒にいるの、施しとか哀れみだって思ってて…。」
鼎は一瞬目を見開くと、視線を落として黙った。朔は鼎の様子を見ながら、おずおずと声をかける。
「…鼎?」
「……ごめん。」
「え?」
「酷いこと言った。ごめん。」
俯いた鼎の表情は、辛そうに歪められていた。
「…ジェミニって奴のせいだと思うんだけど、昔の事思い出して…何でか、朔の気持ちとかも考えられなくなって、トラウマのことで頭いっぱいで…。」
「…あの言葉は、鼎が本当に思ってた事なのか? それだけ聞きたい。」
朔が静かな声で問う。鼎は辛い表情のまま、答えた。
「…思ってなかったって言ったら嘘だ。解らなかったから。何で朔が、いつも僕のそばにいるのか。僕を守ってくれるのか。…僕にこだわるのか。」
「オレが鼎のそばにいる理由…言っていいのかな…? 鼎からしたら…。」
朔が視線を伏せ、弱い声で話すと、鼎は遮るように口を開いた。
「本当に『そんな事』だけどね。」
「…え…!?」
朔が驚き、顔を上げると、鼎は叫んだ。
「本当に『そんな事』だよ!! あの時僕が『組む?』って声かけたから!? 何で『そんな事』だけで、僕に命賭けようなんて気になれるんだよ!!」
「『そんな事』じゃない!!」
朔は大声で鼎の言葉を否定した。鼎が思わず身体を硬直させると、朔は絞り出すような声で話し出した。
「…学校っていうところに入ってから、オレに嫌な顔しないで、一緒にいてくれたのは鼎だった。だからオレは、鼎のことは大切にしたい。鼎の気持ちとか、鼎との繋がり…それを大切にしたいって、ずっと思ってたんだ。…『そんな事』じゃないんだ…オレにとっては、本当に大切な事で、本当に…嬉しかったんだ…。」
鼎は唖然として朔の言葉を聞いた。しばらく黙った後、また口を開いた。
「…朔は…そういう奴だ。」
鼎の言葉に朔が疑問符を浮かべると、鼎は突き返すように話し始めた。
「朔は本当に、言葉をその通りにしか受け取らない。迷惑だって言ったら迷惑だって思って離れて行っちゃう。裏の方で何考えてるとか想像もしやしない。」
「…ごめ…。」
「黙って聞け。…それは、朔自身に裏がないから。裏表がないから、朔が口に出したことは全部本当に思ってることだし、僕が真実の目で見ても、その通りの感情しか見えない。おまけに人を悪く思うってことも知らないし。性格悪い僕がどんなにひねくれたこと言って傷つけても、朔は僕が悪いってことには全然しないで、僕を心配する言葉しか、感情しかなくて…。こんな嫌われ者に『組む?』とか言われて、素直に喜んじゃって…それだけでっ…それだけで僕に命賭けるようなことやり続けて…だから…だから僕は惹かれたんだ!」
最後はまた叫び声になった鼎の言葉を、朔は戸惑いながら聞いた。鼎は言い募るように叫ぶ。
「あの時、朔が一緒の組になってくれて、僕だって救われた! 裏表のない朔が一緒にいてくれて、いくらか安心して学校にいられるようになった! 真実の目のことがバレても一緒にいてくれることが、本当に嬉しかった!」
涙混じりの声を上げた後、鼎は俯き、肩を落としてぽつぽつと話した。
「…僕は…怖かった。朔がいつか離れていくんじゃないかと思うと、怖くて…本当は迷惑だと思ってるとか、僕を哀れんでるんだとか、考えるようにして…自分を納得させようとして…。」
鼎の手がギュッと握られる。鼎は俯いたまま、消え入りそうな声で言った。
「…今までたくさん傷つけて、ごめんなさい。でも、出来れば…本当に出来ればでいいから、僕と、ずっと友達でいてください…。」
朔は鼎を見た。どこか縋るような眼差しだった。鼎を真っ直ぐに見、問うた。
「オレは、鼎と友達でいていいのか? オレは言葉の裏…っていうのも解らないし、鼎を助けられなかったし、鼎を怒らせたり泣かせたりしてるけど…鼎は、オレが友達でいいのか?」
「僕は朔にずっと友達でいて欲しいんだよ! 朔はどうなんだって…。」
「…そっかぁ…。」
鼎が思わず顔を上げて叫ぶと、朔は目を細め、力が抜けたような笑みを浮かべていた。
「オレ、鼎と友達でいて、いいんだな。よかったぁ…。」
鼎が驚きに目を見開いていると、朔は力が抜けた笑みのまま、はっきりと言った。
「オレは鼎とずっと、友達でいたいよ。」
「…何、馬鹿面して言ってんだよ。」
若干きつい、いつもの鼎の声音に朔は慌てた。
「え、あ、ごめ…。」
「いいんだよ。…僕も…ホントに良かったと思ってるから。」
続いた鼎の言葉に、朔はホッとしたようにまた笑んだ。
「…そっか。…良かった。鼎の思ってる事、たくさん聞けて。」
「こんな色々ぶっちゃけた事、そういえば無かったね…そんな事すること無いだろうと思ってたし、ぶっちゃけても怒らせるだけだろうと思い続けてたのに、不思議だ。」
鼎が感慨深げに話すと、朔も小さく頷いた。
「オレも…言うのが怖かったこと、言えるとは思わなかった。」
「そんなに言うのが怖かった訳?」
「うん。鼎に呆れられたり、嫌な顔されたら怖いなあって、ずっと思ってたから…。」
朔が苦笑しながら話すと、鼎は可笑しそうに肩を揺らして笑った。朔も一緒に小さく笑った。
不意に、鼎が口を開いた。
「…朔。」
「…何だ?」
「僕はライカを助けに行く。ライカがそれを望んでいなかったとしても。」
鼎が宣言すると、朔も応えるように言った。
「そうか。…だったらオレも一緒に行く。鼎を守りたいから。」
「超危険だと思うけど。」
鼎が呆れたような声音で聞かせると、朔ははっきりと言い返した。
「だったら尚更、鼎だけ行かせたくない。オレは能力者じゃないから、何の役にも立たないかもしれないけど…。鼎を守りたいし、みんな…ユーリィさんやヴェテロクさんやチェルナさん、プシンカやウゴリョーク、V、1B、アポロの人達や…ライカさんのことも、オレだけ放り出したり、待っていたりしたくない。」
「結局朔は、僕やみんなの為に身体張ろうとするんだから…。」
鼎はまた呆れた調子で言った後、目を細めて朔に笑んでみせた。
「でも、ありがとう。嬉しい。」
「…うん。」
鼎の笑顔を受け、朔もホッとしたような笑みを見せた。
朔の笑顔を見、鼎は強く思っていた。
何があっても、朔だけは死なせない。
どんな手を使ってでも…。
片桐家の茶の間で、メルクリウスは結緒に声をかけた。
「…君は、あの二人のいい友達なんだな。」
結緒が不思議そうにすると、メルクリウスは静かに笑んだ。
「ああいう疑問は、あの二人を解っていないと、なかなか言えるものではないと思う。」
「だって、あの二人変なんですよ。」
結緒があっけらかんと口にした言葉に、皆が疑問符を浮かべると、結緒は話し出した。
「お互いが大切だって思い合ってる癖に、変な距離置いたりとか、ひねくれたこと思ってみたりとか…だからどこか、大事なところで通じ合ってない気がして、心配だった。…今頃、あの二人大丈夫かなあ。」
結緒が朔と鼎を心配する言葉で締めると、メルクリウスは穏やかに笑った。
「そう考えられる友達の君がいるなら、あの二人は大丈夫だ。」
「…ところで1B、お前この子と面識あるのか? さっき名前知ってたみたいだから。」
アトラスが結緒を指して燐に問うと、燐は大きく頷いた。
「結緒ちゃんのこと知ってるよ。燐と遊園地で遊んでくれた。」
「遊園地?」
メルクリウスとアトラスの声音が若干低くなった。嵐は言い辛そうに二人に説明した。
「……その…燐とストレルカ達が、遊園地で遊ぶきっかけになったのが、中畑みたいで…。」
「それは…。」
「つまり……。」
どこか険悪な眼差しでメルクリウスとアトラスに見られ、結緒は身を強張らせる。
「…え、オレ、何か悪いことしちゃったん、ですか…?」
「そうか…君が…。」
「1Bがアポロを抜けるきっかけを作ったと…。」
メルクリウスとアトラスの棘がある声に、結緒は大いに戸惑った。
「…あ、あの、メルクリウス、アトラス…。」
三人の間に漂う不穏な空気を感じた嵐が口を開くが、メルクリウスはそれを遮り、結緒に問うた。
「一つ聞きたい。君はその時どうして、1Bと遊んだんだ?」
「え?」
「それを聞いてみたかった。」
結緒はメルクリウスの問いをわずか考えてから、メルクリウスとアトラスに真っ直ぐ視線を向けた。
「…えっと…1Bって、燐ちゃんのことですか? …あの時燐ちゃんは、一人でメリーゴーランド、ずっと見てて…。オレ達位の歳になると、メリーゴーランドに興味持たない方が多い気がしたから、何だかその姿が気になって話しかけてみたんです。そしたら『綺麗だと思ってた』って言ったんですよ。」
メルクリウスとアトラスは結緒の答えを黙って聞く。結緒の声は柔らかく響いた。
「それ聞いて、この子はいい子なんだなって思った。いい子だけど、心配だな、一人ぼっちで寂しくないのかなとか、思って…一緒に乗ろうって誘ってみた…そんな感じでした。…今思うと、ティーカップだのジェットコースターだの、燐ちゃんのこと連れ回して、疲れさせちゃったかもなあって…。後、一緒に来てた嵐さんのことも聞かなかったし…迷惑かけたんだったら、ごめんなさい。」
結緒が居住まいを正し、メルクリウスとアトラスに頭を下げると、メルクリウスは燐を見た。
「…1B。」
燐が不思議そうにすると、メルクリウスは問うた。
「お前は中畑君と遊んで、楽しかったか?」
「楽しかった。すごく楽しかったよ。それまで燐と遊んでくれた人、いなかったけど、結緒ちゃんとストレルカとベルカが遊んでくれて、すごく楽しかった。」
燐は目を輝かせ、大きく頷いてみせた。
メルクリウスは今度は嵐を見る。
「…そうか。Vはどう思う?」
「最初はオレ以外と一緒にいたって、大丈夫だったかと心配だったけど…今は良かったと思ってる。燐は楽しかったって、目え輝かせてずっと言ってたし、メルクリウスを救えたのは、ストレルカとベルカと繋がれたからで、中畑が最初のきっかけになってくれたと思う。だからオレは、中畑が燐の友達になってくれて、感謝してます。」
嵐が真っ直ぐに返答すると、メルクリウスは少し思った後、結緒を改めて見た。
「…この際だから、オレも正直に言おう。…オレは能力者の1Bと、普通の人間の君が友達であることが心配だ。」
結緒が黙って聞いていると、メルクリウスは続けた。
「でも1BもVも、君を信じている。君と友達であることを嬉しく思っている。せっかく生まれた他者との繋がりを断つことはしたくない。」
続けて話すメルクリウスの眼差しが柔らかくなった。
「だから思う。君にはどうか、1BとVの気持ちを裏切ったりせず、ずっと二人の友達でいてほしい。…頼む。」
メルクリウスが頭を下げると、アトラスが結緒、燐、嵐を見、次いで話した。
「オレもまだ心配だ。でもオレも思う。お前らが長く、いい付き合いを出来たらいいと。」
メルクリウスとアトラスの真摯な言葉を受け、結緒も真っ直ぐに返事をした。
「…オレはバカだから、燐ちゃんや嵐さんに、色々嫌なこととか、傷つけたりとかしてるかもしれない。でもオレも、燐ちゃんや嵐さんと友達になれて嬉しいです。二人と長く友達でいたいと、オレも思ってます。」
「そうか。…これからも、二人と仲良くしてやってくれ。」
メルクリウスの眼差しは穏やかだった。結緒は笑顔で頷いてみせた。
「はい。」
「…結緒ちゃん…メルクリウス…?」
ずっと状況を見ていた燐が不安げに二人を見比べると、アトラスは笑いながら燐の頭をぽんぽんと撫でた。
「はは。1BとVも、これから頑張れよ。」
「?」
「…はい。」
燐は不思議そうにしていたが、嵐は嬉しそうに頷いた。
瑠璃の自宅。
瑠璃と虎徹から話を聞いた玻璃は、静かに頷いた。
「…そう…悠里さんが…。」
「…はい。」
「これから、どうすればいいんだろう…。」
気落ちした様子の虎徹と瑠璃を見、玻璃は穏やかに問うた。
「どうすればいいか、ね…。どうしたいかは解ってるの?」
「どうしたいか…?」
「そう。こんな状況になって、瑠璃と虎徹君はどうしたいのか。それは決めてるんでしょう?」
玻璃が優しく笑んでみせるが、虎徹は気落ちした様子のまま口ごもった。
「…オレは…。」
「…私はやっぱり、ライカさんを助けたいよ。」
顔を上げ、言い切った瑠璃に虎徹は驚きを見せた。
「チェルナ…。」
「ライカさんはああ言ってたけど…このままじゃユーリィさんだって、みんなだって救われないよ。このままで終わりたく無いよ…。」
瑠璃が瞳を潤ませ、思いを言葉にすると、虎徹は苦笑した。
「……すげえな、チェルナ。」
瑠璃が不思議そうにすると、虎徹は力無く笑んだ。
「オレは…ユーリィさんがああなったの見ちまって、結構ショックでかかったみたいでな…。オレ達を支えてくれてたリーダーが、諦めかけてんのかと思っちまったら…。」
「あら。悠里さんは『帰ってくれ』って言ったんでしょう? もう諦めたいとは言ってないじゃない。」
あっけらかんとした玻璃の言葉に、虎徹と瑠璃が注目すると、玻璃は落ち着いた居住まいでいた。
「一人になりたい、そう思ったんだと思うわ。一人になって、落ち着いて考えたいって。…そうやって落ち着いて考えた結果は、意外と前向きになるものよ。」
「…ユーリィさんは諦めたわけじゃない、か…。」
虎徹が呟くと、不意に玻璃は笑い声を立てた。
「…ふふ。」
「お姉ちゃん?」
瑠璃が首を傾げると、玻璃は可笑しそうに笑っていた。
「何でかな。今、ちょっと思い出したの。私と虎徹君が出会った時の事。」
「え? …ああ。玻璃さんが暴漢に襲われてたの、助けた時ですか。」
虎徹が思い出したように顔を上げると、玻璃は静かに頷いた。
「そう。…あの時は私も、能力者の瑠璃を抱えて、生きていくだけで精一杯、追い詰められていた。けど虎徹君が能力を使って私を助けてくれたのを見て…『この子が瑠璃の友達になってくれないかなあ』って思ったの。」
「それであの時、オレに声をかけて来たんですか。」
虎徹がわずか驚いた様子を見せると、玻璃はにっこり笑って頷いた。
「ええ。…今は思うの。あの時、勇気を出して虎徹君に声をかけてよかった。私と同じく追い詰められていた瑠璃が、私や虎徹君のことだけじゃない、周りの大切な人達のことを考えて、言葉にできるようになったんだもの。…本当にありがとう、虎徹君。」
玻璃の言葉を聞き、虎徹はわずか思うように黙ると、改めて口を開いた。
「チェルナが変わったのは、オレがいただけじゃなくて…ていうか、オレだけだったら、チェルナは変われなかったと思う。ユーリィさんやベルカみたいなボストークの仲間、敵だったアポロの奴ら、能力の無い普通の人間のストレルカ…。色んな奴らが関わってくれたから、チェルナは…いや、オレも変われたんだと思います。」
玻璃は嬉しそうに、二人に頷いてみせた。
「…きっと、そうね。普通の人間のお友達にも、会ってみたいなあ。」
「お姉ちゃん。今度、一緒にボストークに行こうよ。ストレルカもいつもいるし。」
「そうね。久しぶりに、悠里さんにもご挨拶したい。」
「会いに行きましょう。時々ユーリィさん、玻璃さんのこと心配してますよ。」
虎徹と瑠璃と玻璃。三人の話し声は、明るく響いていた。
虎徹と瑠璃に自宅まで送られた歩は、玄関先で迷うようにウロウロしていた。
長いことそうした後、改めてドアを見る。大きな壁のように思えるドアを。
歩は唇を結び、意を決してドアを開けた。小さな頼りない声で、帰ってきた挨拶を告げる。
「…ただいま…。」
「アユ!!」
叫ぶ声がし、歩が驚く間も無く、恵が駆けて来て歩に抱きついた。
「メ、メグ!?」
「よかった! 無事だった!! 外が赤い稲妻の時みたいになってて、今度こそ打たれて死んでるんじゃないかって、心配で…っ!」
歩に抱きつく恵の声は涙まじりで、腕は震えていた。
それを五感で感じ取った瞬間、歩の胸中を様々な光景が駆け巡った。
「うっ…えぐっ…せんせえ…。」
恩師の死後、部屋に籠って泣く歩のそばに、恵はいつもいた。
涙を溜め、唇を結びながら、恵は歩のそばにいた。
「ここ解らないよ、メグ…。」
「ほら、この公式…。」
「…えっと…だったら、こう、かな…。」
「そう。ほら、自分で出来ただろ?」
家から外に出られなくなった歩に、恵は毎日勉強を教えていた。
恵なりにいつも、歩が解るような教え方を考えているのが伝わった。
その次に巡ったのは、鼎とライカが強奪された後の、恵の言葉だった。
「あんた達のせいだ!! あんた達さえ関わって来なきゃ、アユも僕も静かに暮らしていられたのに!! 僕がアユをずっと守って来たのに、あんた達が全部台無しにしたんだ!!」
「…メグがオレを守ってくれてたのは、すごく感謝してるよ。でもオレはここに来て元気になれた。もう大丈夫だよ。メグはオレのことばかり考えなくていいんだ。」
「何でそんなこと言うんだよ!! 僕はアユを守るために、ずっとずっと…! アユだってもうこんな連中と関わりたくないはずだ!!」
次に思い出されたのは、虎徹の言葉だった。
「あいつは確かに、あいつの生きる理由を奪ったオレ達にムカついたんだろ。オレ達と楽しくしてるお前にもムカついたんだろ。…苦しんだんだろう。あいつは多分、その気持ちを利用されたんだろ。」
「…でも…。」
「利用されたこっちは堪ったもんじゃないけどな。でもこうなった原因は、オレ達自身にもあるかもしれないと思う。」
オレにとって…メグが一緒にいることは、当たり前で…当たり前過ぎて…オレは、解らなくなってたんだ…。
歩は目の奥が熱くなるのを感じた。
「メグ…。…っ…うっ…ぐ…。」
「アユ…?」
涙まじりに呼ばれ、恵は戸惑う。
歩は恵に懸命に腕を回し、涙をぽろぽろ流しながら言葉にした。
「えぐっ…ごめんなさい…ごめんなさい、メグ〜…。」
「え…アユ…?」
「メグは、メグはいつもオレのこと、心配してくれたのに…ごめんなさい〜…。」
歩が泣きながら謝るのを聞き、恵の瞳からもまた涙があふれ出た。
「アユ…っ…。」
恵は歩に抱きつく腕に力を込めた。
「ごめん…僕こそ、ごめんなさい…アユの好きな場所、人達、めちゃくちゃにして…ごめんなさい、アユっ…。」
「メグ〜…!」
二人はしばしの間、泣きながら懸命に抱き合っていた。
恵の部屋で、歩と恵は小さな声で話をし始めた。
「…アユ…ボストークの…他の皆さん、どうしてる…?」
恵の問いに、歩は気落ちした様子で俯いて答えた。
「…落ち込んでる…。ライカさんを助けに行こうとしたけど、ダメになっちゃって…。方法が無くなっちゃったんだ…。」
恵は思うように黙っていたが、やがて歩に乞うた。
「…アユ。教えて欲しい。…何があったのか、全部。」
歩はゆっくりと頷き、口を開いた。
歩が話す一連の出来事に、恵は黙って耳を傾けた。
「…それで…ライカさんも、ジェミニって奴も…神舟に捕まったままで…。でも、オレ達…もう研究所の中に入れないって…。」
歩が泣きそうな顔をしてそこまで言うと、恵は少しの間考え、口を開いた。
「……ライカさんがそっちに行ったってことは、その研究所にネット環境はあるってことだね。」
唐突な恵の言葉に歩が疑問符を浮かべると、恵は真摯な眼差しで問うた。
「その研究所の場所、アユのスマホに入ってる?」
「え、う、うんっ。」
歩は慌ててスマートフォンを手に取り、操作して恵に見せた。
「場所は…よし。」
恵は歩のスマートフォンを見て頷くと、机の上にあるパソコンに向かった。歩が戸惑いながら見守る中、恵は長いこと画面に向き合い、キーボードを叩いていた。
そして、恵は不意に声を上げた。
「…よし、見つけた…!」
歩が恵の側に寄ると、恵は言った。
「曙光研究所のネットワークを見つけた。」
「え!? …あ! それでライカさんを取り戻せない!?」
歩が思いついて問うと、恵は冷静に返した。
「止めた方がいいと思う。研究所にとっては最高機密だろうから、触ろうとしただけでバレると思う。」
「そっかあ…。」
「でも、やり方が無いわけじゃない。」
落ち込む歩に恵が見せたのは、小さなUSBメモリだった。
悠里は一人、カフェボストークにいた。
タバコを一本取り出し、火をつけた。紫煙を深く吐き出す。
「…ライカ…。」
悠里はカフェの中を、ゆっくりと見回す。あらゆるものを一つ一つ、じっくりと見る。
何度も見回した後、悠里は呟くように、口を開いた。
「…それでも、オレはお前が…。」
翌朝。
朔の家に泊まった面々は、カフェボストークを訪れた。
「…おはようございます。」
「おはよう、ストレルカ。ベルカ。」
既に来ていた虎徹と瑠璃が、朔と鼎を迎えた。
「おはよう。」
「…おはよ。」
嵐と燐がアポロのメンバー達に挨拶をすると、少し疲れた様子の彼らは、それでも笑んで挨拶を返した。
「おはよう、V。1B。」
「…大体集まったな…。」
「これから、どうすれば…。」
悠里がまだ姿を見せない重い空気の中で、鼎は発言した。
「僕は行きます。」
皆が注目すると、鼎は強い意志を持った眼差しでいた。
「ライカを取り戻す。赤い稲妻が降った時と同じことにはさせない。」
「私もライカさんを取り戻したい。」
瑠璃が頷くと、嵐と燐も発言した。
「オレもライカさんに世話になったのに、何もしないのは嫌だ。」
「燐も、助けに行きたい。」
続けてメルクリウスも意志を表した。
「オレは…ジェミニを助けたい。利用されていただけなのは解っている。それでも…。」
「…みんな、意見は大体同じか。…問題はこれからどうやって…。」
虎徹が皆を見回した時、突然ドアが音を立てて開いた。皆がハッとして見ると、歩が笑顔で立っていた。
「皆さん! メグが! メグがやったんですよ!!」
「プシンカ!?」
「ウゴリョークがどうしたんだ!?」
中にいた皆が驚き、問うと、歩は明るい声を上げた。
「メグが突破口を開いてくれたんです!!」
カフェに飛び込んで来た歩の後ろから、わずかに疲れた様子の恵が入ってきた。
「ウゴリョーク…。」
ボストークのメンバー達は戸惑った様子で恵を見た。
「…これを見てください。」
恵は持っていたノートパソコンを開く。ディスプレイには様々な文字の羅列が見えた。
「これは…?」
「以前、メルクリウスさんが僕に渡してくれた、どんな防壁も破れるプログラムに、コンピューターのコントロールを奪うプログラムをくっつけたものです。」
メルクリウスがわずかに息を呑む。瑠璃は問うた。
「これをどうするの?」
「曙光研究所にはネット環境があります。ちゃんと調べました。神舟というコンピューターにはアクセス出来ないまでも、施設環境をコントロールするコンピューターには侵入出来ます。」
ディスプレイに目を通しながら、恵は説明した。
「このプログラムを研究所のネット環境にぶつけて、研究所が彼らの思い通りに行かなくなった時を狙って…後は解りますか。」
「わ、解るけど…。」
朔は戸惑いつつ、恵を見る。虎徹は気後れ気味に、恵に声をかけた。
「お前…。」
恵はノートパソコンから手を離すと、皆に向き直り、頭を下げた。
「…ごめんなさい。今回のことは僕に責任があります。全部終わったら好きに裁いてください。でも、今だけは信じてください。お願いします。」
「オレからもお願いしますっ!!」
歩も恵の隣で頭を下げた時、奥に続くドアが開いた。
「動けるだけの材料はある、か…。」
奥から現れた悠里の姿は、山に登るための軽装だった。悠里ははっきりと口を開いた。
「今度はオレも行く。…ライカを助け出す。ライカが構うな、忘れろと言ったとしても、オレは行く。」
「ユーリィさん…!」
虎徹と瑠璃の表情が輝いた。
「僕も行きます。ライカを助けて、もう赤い稲妻なんて降らせない。」
「私もライカさんを助ける! このままじゃ終われないもの!」
「オレも腹くくる。これ以上あんなのの好きにさせるか!」
鼎、瑠璃、虎徹も声を上げた。
「ウゴリョーク。力を貸してくれること、本当にありがたく思う。」
悠里が礼を言うと、恵はホッとした表情を見せ、足元をふらつかせた。皆は慌てて駆け寄る。
「メグ!?」
「ウゴリョーク!」
傾いだ恵の肩を、支えた手があった。
「オレは君をサポートさせてもらう。」
「メルクリウスさん…。」
驚き見上げる恵を支えながら、メルクリウスは聞かせた。
「オレにも責任は大いにある。それに、何か不測の事態が起こらないとも限らない。コンピューター、プログラムを扱える人間は、多いに越したことはない。」
「…ありがとうございます。」
驚いていた恵は、わずか視線を緩ませて礼を言った。
メルクリウスは嵐と燐を見る。
「すまないが…ジェミニを頼む。」
「解った、メルクリウス!」
「燐も、行ってくるよ。」
嵐と燐が頷くと、アトラスは苦笑してメルクリウスに声をかけた。
「メルがそこまで言うなら、オレもお前を助けるだけだ。」
「オレも行きます。鼎を守りたい、みんなの力になりたいです。」
朔が懸命に話すと、鼎は嬉しそうに小さく笑んだ。
「…ありがとう。」
悠里はカフェにいる全員を見回した。
「…よし。早速皆、作戦を確認して準備をしよう。」
「よっしゃあ!!」
黒く赤い空の下、皆は笑顔で気合いを入れる声を上げた。
To Be Continued