第二十五話 この酷い世界で一緒にいること

 ネットの世界にいるジェミニに、音声チャットが送られて来た。
「…ジェミニ、着いたよ。」
 その声を聞き、ジェミニはホッとしたように笑んだ。
「良かった。無事に着いたね、エンデバー。…一人でも大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。ジェミニに教えてもらったから。」
「じゃあ、待ってるからね。」
「うん。」
 エンデバーからの通信が切れる。ジェミニは振り返り、明るい声で言った。
「そろそろ行こうか、姉さん。」
 ジェミニの背後にいたライカは、表情を固くして黙っている。ジェミニは呆れたように笑うと、ライカの手を掴み、ぐいと引いて移動を始めた。

 人里離れた山中に、白い壁の大きな施設があった。入り口の表札には「曙光研究所」と記されている。
 研究所の前に一人でやって来たエンデバーは、閉ざされている門の前へ進み出た。
 すぐさま守衛が二人走ってくる。若い方の守衛が声をかけた。
「待ってください。ここは関係者以外立ち入り禁止です。」
 エンデバーは眉間にしわを寄せてから、機械的に口を開いた。
「ジェミニとライカを返しに来ました。関係者さんに伝えてください。」
 エンデバーの言葉を聞いた、もう一人いた初老の守衛の表情が揺らいだ。

 白い大きな部屋の中に、黒い塔のような巨大なコンピューターがそびえ立っていた。広い部屋には他に、所々に散らかっているパソコンの残骸と、白衣を着た二人の人間しかいない。二人の人間の片割れである妙齢の女性は、巨大なコンピューターのそばにあるディスプレイに向かいながら、苛立たしげにため息を吐いた。
「はあ…。」
「神舟はあの三人が肝だったということでしょうね。」
 もう一人、若い男が黒いコンピューターを見上げつつ冷めた声で話すと、女性は男に向かい声を荒げた。
「そんなことはとっくの昔に解っている! だが、もう無いものをどうこう言っても…!」
 その時、部屋に呼び出し音が鳴り響いた。女性はそばにあるマイクに向かい、苛立ちをぶつけるように怒鳴った。
「何だ!!」
「…すみません、女性が一人来ていて…『ジェミニとライカを返しに来た』と…。」
 外を警備している若い守衛が戸惑いがちに伝えてきた言葉に、若い男は息を飲んだ。女性は少し考えると、マイクに向かって返した。
「…中に入れてやれ。応接間に通せ。」

 カフェボストークの一階、奥の部屋。
 恵は置いてあるソファの上で、膝を抱えて蹲っていた。
 恵の脳裏には、かつて歩の起こした事件の犠牲になった恩師が遺した、最期の言葉が巡っていた。

『…もし、私に万が一のことがあったら…その時は恵、歩を頼んだぞ。』

 恵はわずかに枯れた、か細い声を発した。
「…せんせい…でも、アユは…。」
 次に恵の脳裏に浮かび上がったのは、自らをきっかけにしてボストークがめちゃくちゃにされた後、歩が懸命にかけてきた言葉だった。

『メグがオレを守ってくれてたのは、すごく感謝してるよ。でもオレはここに来て元気になれた。もう大丈夫だよ。メグはオレのことばかり考えなくていいんだ。』

「…僕は…。」
 蹲ったまま、恵はソファに体を倒した。更に身を縮こませた時、視界に入ったものがあった。恵が以前この部屋で見つけた、原稿用紙の束が沢山詰まった箱だった。
 恵は緩慢な動作で体を起こす。まるで呼ばれているかのように、ふらふらと箱に近づいた。箱の中に手を伸ばし、原稿用紙の束を取り、そばの椅子に腰を下ろした。
 そして恵は、以前は下らないと気にも留めなかった沢山の文字達に、改めて目を通し始めた。

 それは、とんでもなく悲惨な内容の物語だった。
 兄弟の多い家に生まれた少年がいた。
 少年にはすぐ下に妹がいた。皆に愛される妹をそばに、鬱々とした日々を送る少年。
 だが妹は取り巻きにそそのかされ、家族が知らない内に薬物に手を出してしまっていた。
 気づいた少年は、衝動的に妹を連れて家を飛び出す。
 追ってくる家族、警察、薬物の売人から妹を守ろうと、少年は必死で逃げる。
 やがて疲れ切った少年は、妹から手を離してしまう。
 …独りになり、全てを失った少年は、たくさんのものから心も体も傷つけられ、ボロボロになった。
 意識も虚ろに、ただ生きていた少年の目に、回復した妹が家族と共に歩いている姿が映った。
 その妹に暴走する自動車が迫る。
 再び衝動的に飛び出す少年。妹を庇い、車に轢かれたその姿を、家族は少年だと解らなかったが、妹だけは「お兄ちゃん」と口にし、涙を流す。
 それを虚ろな瞳に映し、少年の視界は黒く染まっていった。

 恵はまた別の物語を読む。それを読み終わると、また別の物語を。
 どの物語にも兄弟が出て来た。兄弟の片方が失われたり、理不尽な力で引き離されたりする物語が多かった。
 そうして恵が箱の中にある物語を粗方読んでしまった頃。ある物語の終わりに、散文が書かれているのに気づいた。

「結局書けない
 オレには幸せな物語は書けない
 物語の世界だけでも幸せにしてやりたいけど
 オレにはそれすらできない

 結局オレはダメな兄貴で
 だからあいつは離れていって
 あいつを独りぼっちにして
 オレは結局何がしたかったんだ

 謝りたい
 でも謝って済むことではとてもなくて
 オレはただ遠く離れた場所で
 あいつの幸いを願うことしかできない

 でも
 こんな世界でか?
 こんな酷い世界でか?
 こんな酷い世界で
 願うことばかりして
 あいつにとって何になるんだ?」

 恵は散文を何度も読み返した。何度も読み返し、自分の内でも繰り返すように黙った後、か細い声で口にした。
「…僕は…どうすればいいんだろう…。」
 恵の瞳から涙が溢れ、小さな嗚咽が部屋の中に響き始めた。
 カフェに続くドアが、静かに開けられた。
「…ウゴリョーク、大丈夫か?」
 部屋に入って来た悠里は、恵に気遣う声をかけた。
 そして、恵が持っている原稿用紙の束を見た。悠里は恵の手の中にある物語を、思うように黙って見ると、恵の隣に腰を下ろし、ゆっくりと話を始めた。 
「…この沢山の物語は、ずっと前…カフェを始めたばかりの頃に、ここに出入りしていた能力者が書いたんだ。群れるのが嫌いな奴で、結局はここに居着かなくて来なくなったが。…彼はたくさんの物語を書いていた。大体が暗い内容のものだったな。」
 恵は下を向いていたが、涙を拭い、悠里の話に耳を傾けた。
「…彼が最後にここに来た時に、色んな話を聞いた。彼には妹がいて、その妹と一緒に赤い稲妻に打たれて能力者になったらしい。能力のために家族や周りと上手くやっていけなくなり、妹さんと守り合うように二人で暮らしていたが、それも破綻し、離れ離れになって…それ以降、妹さんがどうなったかは解らないんだそうだ。」
 悠里は静かな声で、ゆっくりと話し続ける。
「彼が何かを書く時には、その妹さんのことがずっと巡るらしい。それをぶつけるように、書いているのだと。…オレが勝手に思っていることだが、彼は妹さんの手を離したことを、ずっと後悔しているのかもしれない。彼は最後の話を締める時に、言った。」

「妹を守ろうとして、オレはあらゆるものを遮断してしまった。それが妹にとっては縛ることでしかなくて、喧嘩別れすることになった。でも能力者が独りで生きていけるほど、この世界は優しくない。この…酷い世界で、あいつは今頃どうなってるのか…。…妹を差し置いて、オレだけ幸せになりたくないんだ。だから…あんたには感謝してるけど、ごめんな。」

「その時の彼の笑顔は覚えている。酷い痛みを胸に押し込めたような笑顔だった。」
 悠里が一旦話を止める。恵は下を向いたまま、また目に涙を溜めていた。
 静寂の後、恵はか細い声で口を開いた。
「…ユーリィさん。…僕は、アユをひどい奴だって、ずっと思ってたんです。…僕がこんなにアユのために頑張ってるのに、どうして…そんな奴らと付き合ってるんだ…って。」
 恵は小さく鼻をすすった。
「…死んだ先生は、僕に『歩を頼む』…そう言ったんです。先生が死んで以来、僕はアユのためにと思って、ずっと頑張ってた。アユのそばにずっといて、アユを守って、学校に行けなかったアユに勉強を教えたりするのが、僕のやるべきことだと思ってた…。でも、アユは外に出られるようになって、ボストークの皆さんと楽しく過ごすようになって…僕のやるべきことが、全部無くなってしまった…。」
 恵はまた手の甲で目の辺りを拭う。
「ヴェテロクさんは、僕はアユに嫉妬して、アユを一人ぼっちに戻したかっただけだって、言いましたよね。…本当に、その通りかもしれない。…アユには僕が付いていないとって、ずっと思い込んでたけど、本当は…僕の方が、能力者が怖いし、アユがいないと、一人ぼっちで…。僕は…アユを僕の手に取り戻したかったんだと思います。アユには友達が沢山出来るけど、僕は、ずっと独りで…。」
 恵は背中を縮こませ、何度も目の辺りを拭う。涙が後から後から流れ落ちていた。
 泣きながら、声を震わせ、恵は口を開いた。
「僕のやることは、アユにとっては迷惑なんだって、もっと早く認めればよかったかな…。もっと早く認めてれば、アユを自由にさせて、僕は…。」
「…プシンカは前に言っただろう。ずっと守ってくれたことに感謝していると。その言葉に嘘は無いはずだ。」
 悠里がゆっくりと、はっきりと発した言葉を聞き、恵は涙に濡れた顔を上げた。
 悠里は恵を穏やかな瞳で見下ろし、言葉を続けた。
「この世界は、能力を持った異端として生きるには、とても辛い世界だ。そんな異端になってしまったプシンカのそばに君がい続けたことは、プシンカにとって嬉しいことだったと思う。」
 恵は黙って、濡れた瞳を大きく開いている。悠里は恵を真っ直ぐ見下ろし、続けた。
「迷惑だからと離れてしまうのは、違うのではないかとオレは思うんだ。人はそんな損得で動くものではないし、君はプシンカのことが本当に心配だった…その気持ちはずっとあるんだろう? だからこそ、君もプシンカも独りではなかったんじゃないか? 何より…兄弟家族は迷惑とか、そんな理由で離れてはいけない。オレはこの物語を書いた彼の話を聞いた時に、思ったんだ。」
 恵の瞳からまた涙が零れ落ちる。恵は涙を拭いながら、震える声で問うた。
「…僕は、どうすればいいんでしょうか…。アユの大切な場所を、大切な人達を傷つけた、僕は…。」
「悪いことをしたと思うなら、まず謝ることだと思う。それからどうするかは…君自身で考えた方がいい。だが迷惑をかけたからという理由で、プシンカから離れて独りになることだけはしないでほしい。君達兄弟の友から、頼む。」
 悠里の真摯な言葉を聞き、恵はまた下を向いた。
「…こんな僕を、友達って言ってくれるんですね…。」
 恵はしゃくりあげながら口を開いた。
「…ごめんなさい、ユーリィさん…。」
 ぽろぽろ泣きながら謝る恵の頭を、悠里は優しく撫でた。

「ここだよ、姉さん。」
 ジェミニとライカはある場所にたどり着いた。
 二人の目の前では沢山の0と1が、吹き溜まりのように一箇所を回っている。
 ジェミニは吹き溜まりに手を伸ばす。ばちりと音を立て、手が弾かれた。
「痛った…。」
「…だから言ったよ。無理だって。」
 ジェミニに言葉を投げるライカの顔色は、具合が悪そうに青かった。ジェミニはライカの言葉を意に介さないように笑った。
「大丈夫だよ。もうすぐ入れるようになるから。…ジョウガ姉様に会いに行けるよ。」
 ライカは青い顔のまま、辛そうに眉間にしわを寄せた。

 曙光研究所の応接間に通されたエンデバーは、一礼して名乗った。
「初めまして。金森(かなもり)小夜(さよ)といいます。」
「ご丁寧にありがとうございます。私はここの副所長、天宮(あまみや)といいます。こちらは助手の長征(ながゆき)。」
 妙齢の女性…天宮が軽い自己紹介をする。若い男…長征は黙って一礼した。
 天宮は居住まいを正すと、改めてエンデバーと向き合った。
「単刀直入に行きましょう。…金森さん。あなたはジェミニとライカ…この研究所のことを知っていて来たんですね?」
「はい。ジェミニとライカを研究所に返すために来ました。」
「彼らはどこにいるのですか?」
 天宮が率直に聞く。エンデバーは努めて冷静に返した。
「ネットの世界です。ネット上に意識だけ残っています。」
 天宮は少し考えるような仕草をした。
「…そうですか。でも私共にもネット環境はあります。なぜ今まで…。」
「ジェミニとライカだけ場所が解らないように、解っても入れないように防壁がかけられているそうです。」
 エンデバーが疑問に答えると、天宮は長征に振り向いた。
「そんなことが…? 長征、調べてこい。」
「…はい。」
 長征は返事をすると立ち上がり、応接間を出た。

 長征はパソコンを操作する。研究所のネットワークに繋がっているパソコンだった。
 操作し、画面を見ながら、長征は呟く。
「…やはり、貴方がやったんですね。ジョウガさん…。」
 長征はパソコンのキーボードを叩く。
「知らない内に、ウチのネットワークに細工をして…。ご妹弟を守ろうとした貴方には申し訳ないですが、修正させてもらいます。」
 音を立ててキーボードを叩き続ける長征の眼差しは、気落ちしたように陰っていた。

 ネットの世界。
 ジェミニとライカの前で、吹き溜まりのようになっていた0と1が、不意に霧散した。代わりに穴のようなものが現れる。
 それを見たライカは表情を強張らせる。ジェミニは歓声を上げた。
「やった! これで入れる! 早く行こう、姉さん!!」
 ライカは顔色悪く強張った表情のまま、首を横に振った。
「…行きたく無いよ、僕…。」
「何言ってるんだよ姉さん! ほら行くよ!!」
 ジェミニはライカの腕を掴み、無理やり引くと、穴の中に飛び込んだ。

To Be Continued
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