第二十四話 傷痕

 朔達が出発した後のカフェボストーク二階で、メルクリウスはアポロの皆を集めた。
「…みんな。頼みがある。」
「何だ? メルクリウス。」
 皆が疑問符を浮かべると、メルクリウスは真摯な表情で話し出した。
「動ける奴は、オレと一緒にボストークの彼らを追ってほしい。…彼らに大変なことがあるかもしれない。」
「…視えたのか、メル。」
 アトラスが緊張を帯びた声で問うと、メルクリウスは頷き、皆に頼んだ。
「もし何かあったら、彼らを助けてくれ。」
「ああ!」
「解った!」
 アポロの面々が強く頷く。メルクリウスはホッとした表情を一瞬浮かべた後、立ち上がろうとした。
「ありがとう、っ!」
「メル!」
 体をぐらつかせたメルクリウスを、アトラスが慌てて支える。アポロの面々は口々に声をかけた。
「メルクリウスは無理すんな!」
「そう! まだ怪我完全に治ってないんだろ?」
「オレ達で行ってくるから!」
 メルクリウスは若干辛そうな表情で皆を見ると、頭を下げた。
「…ありがとう。頼む。」

 それから一時間ほど経った頃の、カフェボストーク一階。
 悠里が一人でいると、ドアが開いた。
「……ウゴリョーク。」
 ドアを開け、入って来た恵は、弱い声で問うた。
「……アユ、行ったんですか。」
「ああ。ついさっき。」
 悠里が頷いてみせる。恵は黙って立っている。その顔色は蒼白で、辛そうに眉間にしわを寄せていた。
「…奥の部屋で、少し休むといい。」
 悠里が気遣う言葉をかけると恵は従い、奥の部屋に続くドアを開けた。

「ここからだな。」
 皆の目の前から山道が伸びている。そこは山の入り口だった。山中にある曙光研究所まで、ここから歩いて行く計画だ。
「行こう。」
 虎徹が言うと、皆頷いて歩き出した。

 山道を歩き出して三〇分ほど経過した頃だった。
「…う…。」
「く…。」
 皆、苦悶の声を時々漏らし、顔色悪く歩いている。
 嵐も辛そうに歩きながら、考えていた。

 何だ…胸糞悪い…。嫌なことばかり思い出す…。

「やっぱり来た。」
 突然前方から声がした。皆がハッと顔を上げると、エンタープライズとディスカバリーがいた。
「お前ら、あの時の!」
 虎徹が二人を睨みつける。エンタープライズは構わず、嵐に向かって指を差した。
「ぐっ…!?」
「嵐!」
 嵐の体がその場に膝をつき、蹲る。燐は声を上げ、嵐の下に駆け寄った。
「V!?」
「そいつの能力は厄介だからな。先に動きを封じさせてもらった。」
 朔はエンタープライズの後ろに、目隠しをされた鼎を見つけた。
「…鼎…!!」
 朔の声が思わず震えた。
 ディスカバリーが顔を歪めて笑う。
「ジェミニに『邪魔者はよろしく』って言われてっから。邪魔者のお前達はこうだ!」
 ディスカバリーの周囲に強い風が巻き起こった次の瞬間、皆の体に切り傷が出来た。
「いっ!?」
「何だっ!?」
 突然の負傷に皆が混乱していると、ディスカバリーは目を爛々と輝かせて笑った。
「今のは挨拶代わり。次はえらいことになるぞ!」
 ディスカバリーの周囲の風が、更に強くなった。虎徹はぎり、と歯噛みする。
「あいつの能力か…!」
「そいつにばかり注目していていいのか?」
 エンタープライズが今度は瑠璃に向かって指を差す。瑠璃がその場に尻餅をついた。
「チェルナ!」
「ごめ、なさい…お父さ、おかあ、さ…!!」
 瑠璃は震える声を出し、ガタガタと震えている。虎徹はエンタープライズを見、声を荒げた。
「チェルナに何しやがった!」
「少し、記憶をかき混ぜてやっただけだが?」
 エンタープライズは嗤いを含んだ表情で言い放った。
 燐の瞳が燃えるように光る。燐の周辺から炎が巻き起こり、エンタープライズを襲った。
 だがディスカバリーの強風が、エンタープライズを守るように炎を吹き飛ばした。
「効かない効かない!」
 更に風の中から空気の刃が飛び出し、皆を襲う。
「オレの後ろにいろ、みんな!!」
 虎徹が能力で壁を作る。空気がぶつかる衝撃が壁を襲った。
「ぐ、う!」
 虎徹は手元の壁に意識を集中する。エンタープライズは指を差しながら眉間にしわを寄せた。
「…能力も弾かれるか…。」
「でもこれで奴らは防戦一方。邪魔者の足止めには十分だ。」
 ディスカバリーは口角を吊り上げた。
 朔は虎徹の壁に守られながら、拳を握りしめた。視線の先には捕まっている鼎がいた。
「鼎…っ。目の前にいるのに…!」
「嵐! 嵐!!」
 燐は反応を返さない嵐の名を、必死で呼んでいた。

 …赤い光に打たれた。
 でもオレは生き延びた。それだけでも周りから気味悪がられたのに。

 小学生ほどの子供が、小さな部屋に一人きりでいた。
 子供はただ、狭い空間を見遣っていたが、走ってくる足音が聞こえると顔を上げた。
 間も無く部屋の障子が開き、同じ年頃の子供が顔を見せた。
「嵐君! 遊びに来たよっ!」
 笑顔で挨拶する子供に、部屋に一人きりでいた子供…嵐は苦く笑んだ。
「…いいのか? オレと一緒にいたら、お前まで悪く言われるぞ。」
「いいもん。オレ嵐君と一緒にいたほうが楽しいもん!」
 子供は嵐に満面の笑みを見せて返した。

 オレは赤い光に打たれてしばらく経ってから、この部屋にずっと閉じ込められている。
 用がない限り、誰もこの部屋には来なかったけど、何でか昔からの馴染みであるあいつだけは、しょっちゅう遊びに来ていた。
 …あいつは色んなことを話してくれた。
 狭苦しい小さな町の掲示板に書かれていたこと。学校で今流行っている遊びやテレビのこと。
 そして最後に、学校で習った同じ歌をあいつは歌った。

 時にはなぜか 大空に
 旅してみたく なるものさ
 気球に乗って どこまでいこう
 風に乗って 野原をこえて
 雲をとびこえ どこまでもいこう
 そこになにかが まっているから

 歌い終わると、オレは問うた。
「その歌、好きなのか。」
 問いを聞くと、あいつはいつも苦笑いをした。

 オレの世界は小さな部屋と、あいつの話だけ。それでもいいかと思っていた。
 …オレは多分、気味悪がられているから。
 オレは…どれくらい前になるかは忘れたけど…赤い光に打たれた。稲妻だったらしい。
 それでもオレは生きていた。一週間位高熱で寝込んでいたけど。
 熱が下がってしばらくしたら、オレは家族にこの部屋に閉じ込められた。飯とか服はいつも持って来てもらえているけど、家族はそれ位しかオレに関知しない。使用人達は飯や服の世話をして、逃げるようにそそくさと帰っていく。
 最初はこの状況に腹が立っていたけど、そんな使用人達を見ている内に、腹が立つ気も失せた。町の町長夫婦である両親なんか、もうずっと顔を見ていない。
 …そんな中でしょっちゅう訪ねてくるあいつは、日に日に生傷が増えていた。

 ある時、嵐はいつも通り訪ねて来た子供に言った。
「…お前、もう来ないほうが良いんじゃないのか。」
「何で?」
 子供が小首を傾げると、嵐は眉間にしわを寄せ、少しの間瞼を伏せてから、子供を真っ直ぐに見た。
「その傷…オレのことで悪く言われて、付けられたんだろ。」

 …簡単に予想がついていた。この小さすぎる町だ。噂はすぐ広がるし、住民の間でやり取りされる悪意は、すぐに濃く深くなっていく。

 子供は正直に頷き、話した。
「…うん。だからオレは、嵐君といた方が楽しいんだ。」
「何でだよ。」
 また眉間にしわを寄せた嵐が問うと、子供は笑った。
「嵐君は人のこと、悪く言わないもん。」
「…そうか?」
 嵐が大いに戸惑うと、子供は強く頷いた。
「うん。嵐君が人いじめるところとか、見たことない。オレは嵐君のそういうとこ好きだから、一緒にいるよ。」
 子供はまた、いつも歌っている歌を歌い出す。嵐は黙ってそれを聞いた。
 歌い終わると、子供は苦笑いした。
「気球に乗って、嵐君とどこか遠くに行けたらいいのにね。」

 今思えば、あいつはあんな町に窮屈さを覚えていたんだろう。
 …あの頃のオレは、本当に何も考えずに日々を過ごしていた。隔離されたオレなんかのところにずっと来ていた、あいつの気持ちも何も考えていなかった。

 ある時。
 嵐がいつも通りに小さな部屋にいると、部屋の障子から石が投げ込まれた。紙が巻かれた石だった。
 石を拾い上げ、紙を開いて見ると、下手な字で書かれていた。
「学校の裏に来い」

 危険なのは重々承知していた。どうなるか解らないことも。
 それでもオレは、こっそり部屋を抜け出した。
 …嫌な予感がした。

「よー。来たなあ!」
 学校の裏にいたのは、子供が一〇人くらい。その輪の中心で嵐のただ一人の友達が、ボコボコにされて捕まっていた。嵐はぎり、と歯噛みする。
「…お前ら…!」
「お前気に入らねえんだよ!!」
「バケモノのくせに!」
「悪霊に取り憑かれてるくせに、町長に大事にされててさあ!」
 沢山の罵声が嵐の耳に入ってきたが、それに構わず、嵐は叫んだ。
「そいつ離せよ! そいつ何も悪くねえだろ!!」
 嵐の叫びを聞いた、主犯格と思われる子供が歪んだ顔で嗤った。
「何言ってんだ、同罪だろ。お前と仲良くしてる時点で。」

 それを聞いた、オレの頭の中に熱が生まれた気がした。目の前が白くなった。

 気がつくと、周りにいたクソガキ共は全員倒れていた。皆、苦悶の表情を浮かべながらも、指一本動かせない。
「…え?」
 オレは周りの光景に、身体中が冷える思いがした。
「らん、くん…。」
 声が聞こえ、オレは弾かれるようにあいつのそばに寄った。
「だ、大丈夫か!」
「えへへ…。」
 あいつの苦笑いは、あまりにもいつも通りだった。
「えへへじゃないだろ!! お前…!」
「らん、くんの…ちから…。」
「え…?」
 オレが何が何だか分からずにいると、あいつは動かない体から、懸命に言葉を向けてきた。
「だいじょうぶ…らんくんは、やさしいから…。らんくんの、ちからは…いつか、みんなをすくえるよ…。」
「おま…なに、いって…。」
 オレが震える声を上げた時だった。
「この野郎!!」
 後ろから殺意に満ちた声がした。オレが気付く前に、あいつが動いた。大人からの鉈での一撃を、あいつは真正面から受けた。
「…あ…!!」
 鉈が直撃し、倒れたあいつを見て、大人は震えた声を上げた。
「ち、違う、オレのせいじゃない! 悪霊憑きが悪いんだ!! オレは知らない!!」
 大人は鉈を放り出し、あたふたと逃げていった。
 オレは何が何だかわからないまま、今腕の中で冷たくなりつつあるあいつを…最期まで苦笑いしていたあいつを…ずっと見下ろしていた。

 それからオレは家を、町を出て児童養護施設に行くことになった。
 連れて行かれる時、親父も母さんも、使用人達も泣いていた。
 …赤い稲妻に打たれてから、オレには変な力が宿っていた。人の体が動かなくなったり、正常な判断が出来なくなったりする力だった。
 家族はそんなオレが町の連中から傷つけられないように、オレをあの部屋に隔離した。オレは家族から気味悪がられて閉じ込められたんじゃなくて、守られていた。
 だからこそ、あいつだけはオレに会いに来られたんだろう。あいつも…オレの心を守ってくれていた。
 オレは身を守ってくれた家族に、心を守ってくれたあいつに、何にも返せないまま、近所の奴らの冷たい眼差しに見送られて、町を出た。

 燐は蹲ったまま黙っている嵐を懸命に呼ぶ。
「嵐! 嵐!!」
「ごめ…。」
「…え…?」
 返ってきた小さな声に、燐が耳をそばだてると、嵐はか細い声で繰り返した。
「オレは…ごめん…ごめん、莉里りり…。」
「嵐…。」
 嵐の涙交じりの声を聞いた燐は、辛そうに唇を結んだ。意を決すると、手を振り上げた。

 とある児童養護施設。
「おら、悔しかったら火ぃ出してみろよ!!」
「あははは!!」
「う、うぅ…!」
 施設の庭で、一人の子供が数人の子供達に囲まれて、暴力を受けていた。暴力を受けている子供はしゃがんで頭を抱えている。
「こいつ、自分の家焼いちまったんだってさー!」
「そんで家族に追い出されたんだろ?」
「はは、バッカみてー!」
 嘲笑と暴力を受け続けていた、一人の子供は数人を睨みつける。子供から周囲に炎が舞い起こった。
「うわあっ!!」
「せんせー!!」
 子供達は叫んで逃げ出す。
 炎が消え、子供が独りぼっちになると、今度は養護施設の職員が来た。
「あんた、また火出してみんなをいじめたんだって?」
「あ、う…!」
「来なさい!!」
 怯える子供に構わず、職員は子供を引っ張っていった。

 児童養護施設に新しい子供がやって来た。
「あなたが東嵐君?」
「…はい。」
 嵐が頷くと、職員は笑んでみせた。
「これからよろしくお願いします。施設内を案内しますね。」
「…はい。」
 嵐は心ここに在らずという調子で返事を返す。職員は構わずに歩き出した。

 職員室を案内され、嵐は職員と共にまた歩き出した。
「ほんと、厄介者だわ。」
「火を出すから危ないったらない。」
「警察に行っても、無かったことにしろって言われるし。」
「さっさと引き取り手見つからないかなあ。」
 職員室から背中に聞こえて来た忌々しげな話し声が、ずっと嵐の耳に残っていた。

「あずま、らん?」
「変わった名前だなー。」
「これからよろしくな、嵐!」
「…よろしく。」
 嵐は施設の子供達に適当に挨拶を返すと、自分に割り当てられたベッドに腰を下ろした。

 嵐は家を出た時から、考え続けている。
「嵐君の力は、いつかみんなを救えるよ」
 たった一人の友人が、最期に残した言葉だった。

 翌日。
 嵐が一人で施設内を歩いていると、廊下の隅に蹲っている子供を見つけた。不思議に思い、嵐は子供に声をかける。
「…何してんだ、お前。」
「! う、あ…!」
 青ざめた顔で怯えた声を上げた子供に、嵐は呆れ顔をした。
「そんな顔すんな、取って食うわけじゃあるまいし。」
 子供が小首を傾げると、嵐は挨拶をした。
「オレは東嵐。昨日ここに来たんだ。よろしく。」
 子供は目を丸くして黙っている。嵐は問うた。
「お前、名前は?」
「…あ…う…。」
 懸命に口を動かすが、言葉になっていない子供に、嵐は聞かせた。
「ゆっくり言え、大丈夫だから。」
「……りん…。」
 りん。子供がやっとの思いで言った名を聞いた嵐の脳裏に、かつての友人の顔が浮かぶ。
 その感情を飲み込んで、嵐は確認した。
「…りん、か?」
 子供…燐はこくりと頷いた。嵐は笑み、子供の頭にぽんと手を置いた。
「そうか。よろしくな。」
 優しく手を置かれたことを認識した燐は、途端にぽろぽろと涙を零し始めた。それを見た嵐は大いに慌てた。
「な、お前、何で泣くんだ!?」
「あ、いたぞー!!」
 背後から大きな叫び声が聞こえた。燐の表情が一気に青ざめる。嵐が疑問符を浮かべながら振り返ると、そこには一人の子供がいた。
「何だ?」
「あ、お前新入りだろ? 今から面白いもん見せてやるよ!!」
 叫んだ子供は言うと、燐を乱暴に引きずって行った。
「な、おい!」
 嵐は慌てて後を追った。

「おら、早く出せよ火ぃ!」
「自分の家燃やした火だよ!!」
「ほら、ほらぁ!!」
 庭で子供達が燐に暴力を加える。燐は唇を噛み、頭を抱えて暴力に耐えていた。
 その様子に子供は顔を歪める。
「今日はなかなか出さねえなあ、こいつ。」
「…これが、面白いもんだってか。」
 背後から嵐が睨むような表情で問うと、子供は笑った。
「悪いなー、今見せてやっから!」
 嵐は後ろを振り返る。視線の先から職員室が見えた。職員室から職員が見ているが、止める気配はない。

 …ああ、胸糞悪いとこ来たな…。

 嵐が思った時だった。
「うう…う…!」
「お、来るか来るかあ?」
 燐が唸りながら震え始める。子供達の顔が面白そうに輝いた。
 燐の瞳が燃えるように光った次の瞬間、爆発するような炎が巻き起こり、燐を守るように火柱が立った。
「う、うわあああ!?」
「に、逃げろお!!」
 いつもと違う炎に子供達は青ざめ、逃げ出した。
「な…! りん、大丈夫か!?」
 嵐は慌てて燐を呼ぶ。ごうごうと燃える炎の音に混じり、小さな声が聞こえた。
「う…ぐすっ…う、う…!」

 泣き声…?

 燐は泣きながら、嵐に訴える。
「とま、ない…にげ…とまら、な…。」
 止まらない…? こいつ…この力を、自分でコントロール出来てないのか…?

 間も無く消火器を持って、職員が駆けつけてきた。
「ああもう! って熱っ!!」
「いい加減にしてよね!!」
「嵐君、あなたは下がって…嵐君!?」
 職員達に構わず、嵐は火柱に挑むように歩を進めた。

 莉里、お前の言ったことが本当なら、きっと…!

 火柱の中心にいる燐は、小さく震えながら唸っている。
「う、う…!」
「落ち着け。オレはお前をいじめないから。」
 嵐は燐に声をかけると、燐に向かい、意識を集中する。
「…あ…。」
 燐が小さく声を上げる。火柱の勢いが少しずつ弱まって行き、やがて炎は消えた。
「…きえ、た…。」
 嵐は、気が抜けたように崩れた燐のそばに寄り、助け起こした。気遣う声をかける。
「大丈夫か。」
「…あり、が、と…。」
 燐は心底安心したような眼差しを、嵐に向けた。

「結局、二人で問題児扱いか…。」
 能力がバレた嵐は、施設の一番奥の二人部屋に移された。燐が暮らす部屋だった。嵐が荷物をベッドに置くと、そばで小さくなって座っている燐が、声を出した。
「…らん…。」
「ん、呼んだか?」
 嵐が振り向くと、燐は瞳を潤ませ、震えていた。
「う…あう…。…ごめ、な、さ…。」
「謝るな。お前悪くないんだから。」
 嵐の言葉に燐が解らない、というように小首を傾げると、嵐は言い切った。
「どう考えても、お前がああなるように仕向けたあいつらが悪い。」
「…りん、は…。」
「悪くない。」
 燐は黙って下を向いた。嵐は燐の隣に腰を下ろす。頭をぽんと撫でて、聞かせた。
「大丈夫だ。これからはオレがお前を助けてやる。お前が人を傷つけそうになったら、止めてやるから。」
「…ら、ん…。」
 嵐の言葉、手の平を感じた燐の瞳から、涙がぽろぽろ零れた。

「…嵐!」
 燐の手が嵐の頬を思い切り張った。嵐が混乱し、顔を上げると燐は間近で大声を張り上げた。
「燐は知ってる! 嵐は悪くないこと、嵐は優しいこと、嵐は強いこと、燐は解る!!」
 燐は目を丸くしている嵐の服を掴み、叫んだ。
「お願い! 燐達を、みんなを助けて!!」
 燐の叫びを聞いた嵐の瞳に光が戻る。少しの間の後、嵐は燐の頭にぽんと手を置いた。
「……ありがとう、燐。」
「嵐…?」
 燐が不思議そうに見ると、嵐は立ち上がる。エンタープライズとディスカバリーに向かい、声を上げた。
「お返しだ!!」
 途端に風がピタリと止み、エンタープライズとディスカバリーはその場に崩れた。
「なっ!?」
「体が…!?」
 エンタープライズの能力も封じられ、瑠璃はハッと我に返った。
「…あ。」
「チェルナ! 気がついたか!」
「ヴェテロク…!」
 瑠璃は半分泣きながら虎徹にしがみついた。朔は嵐を見、ほっとした表情を浮かべた。
「V…!」
「失せろ!! 失せるなら、体だけは動くようにしてやる!!」
 嵐がディスカバリーとエンタープライズに怒鳴る。能力、四肢の動きを封じられたディスカバリーは悔しそうに歯噛みした。
「こ、この〜!!」
 その時、エンタープライズの服のポケットから、着信音らしき音が鳴る。音を聞いたエンタープライズは言った。
「…エンデバーからだ。」
 エンタープライズから聞いたディスカバリーは、呆れたように返した。
「…はいはい、役目は終わりね。オレ達もう関係ないから失せます!」
 嵐がエンタープライズとディスカバリーの体の封じを解くと、二人は鼎を置いて逃げ去った。
 皆は一気に肩の力を抜いた。
「逃げてったか…。」
「鼎!!」
 朔が鼎に駆け寄り、目隠しを取る。涙の跡が痛々しく残る鼎が見上げて来た。
「鼎、大丈夫か!?」
「触るな!!」
 鼎は伸ばされた朔の手を、思い切り払った。朔が思わず呆然とすると、鼎は喚き叫んだ。
「普通の人間が!! 施しのつもりか!? 哀れんでるつもりか!!」
「え、なに…。」
「どうせ、こんなおかしい僕が可哀想だからだろ!? 僕を哀れんで優しくして、そうやってお前は、自分を満足させてんだろ!!」
 鼎に大声で捲し立てられる朔の顔は、次第に泣きそうになっていく。
「え…あ…。」
「そんなことされてもな! どうせ離れて行くなら、はっきり言って迷…。」
 嵐の拳が、喚き散らす鼎の頬を殴った。
「V…?」
「ストップ。その先言ったら、取り返しつかないことになるぜ。」
 朔が大いに戸惑った様子を見せると、嵐は思い切り殴った手を振った。殴られた鼎は嵐をぎっと睨むが、嵐はひるむことなく続けた。
「何あったか知らないけど、ストレルカのこと全否定するつもりか? 普通の人間のストレルカは、能力者のお前が何思ってようが、お前と一緒にいてくれたんじゃないのか?」
 嵐の言葉に、鼎の目が見開かれていく。嵐は怒りに任せて叫んだ。
「お前に取って大事な奴だって解ってるくせに!! そいつはまだ生きてここにいるくせに!! ふざけたこと抜かしてんな!!」
「嵐…。」
 燐は目を丸くして嵐を見た。
 …呆然としていた鼎の脳裏に、濁流のように様々なことが流れ込んで来た。
 朔が鼎に拒絶されても、助けようとしてくれたこと。
 朔が鼎のことを知ってなお、共にいてくれたこと。
 鼎が苛立ちに任せて言葉で傷つけた後も、許してまた一緒にいてくれたこと。
 そして。

「朔! 逃げろ!!」

 朔を助けたいと心から願った自分の思いが、鼎の胸の内に溢れ返った。
 鼎は震える声で呼んだ。
「…さく…。」
「鼎…!」
 鼎に名を呼ばれた朔は、その場に崩れるように尻餅をついた。
「ストレルカ!」
「大丈夫!?」
 皆が慌てると、朔は苦笑してみせた。
「だ、大丈夫です…鼎が無事だったから、何だか、気が抜けちゃって…。」
「プシンカ、みんなの手当て頼む!」
「は、はい!」
 苦笑する朔と忙しなく動く仲間達を、鼎は何も言えずに見遣っていた。

「…そうですか…。ライカの居場所がこの先に…。」
 説明を聞いた鼎が頷くと、虎徹は考え始めた。
「でも、一度帰った方がいいかもな…。ユーリィさんには悪いけど…。」
「…行きます。」
 若干青い顔色をした鼎が言うと、瑠璃は鼎を気遣った。
「ベルカ、無理しないで。」
「…行きます。全ての元になったモノ…見ておきたいんです。」
 ふらふらと立ち上がった鼎を見、虎徹は心配そうにしながらも頷いた。
「…解った。くれぐれも無理すんなよ。」
「…はい。」
 鼎は変わらず良くない顔色で、頷いた。

 皆はまた、ゆっくりと歩き出す。
 不意に足元をふらつかせた鼎に、朔が手を差し伸べた。
「大丈夫か、鼎。」
 鼎は一瞬手を伸ばしかけたが、その手を空中で握った。

 …ダメだ。僕には…手を取る資格なんて、ない。

「…大丈夫。歩けるから。」
 鼎は朔の手を取らずに歩く。朔は心配そうに鼎の隣を歩いた。

 …朔。
 お前は何で…本当に何で、こんな僕と一緒にいてくれるの…?

To Be Continued
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