第二十一話「助けたい」

 朔の自宅と隣接している道場では、今日も人々が気合いを入れる声が響いている。
 師範である朔の祖父が声を飛ばす。
「一!」
「エイ!」
「二!」
「エイ!」
 並んだ門下生達が気合いと共に拳を打ち出す。
 門下生達の中で朔は懸命に声を出し、拳を突き出していた。

 その日の稽古が終わり、門下生達は正座して朔の祖父に向き合った。
「先生に、礼!」
「ありがとうございました!」
 全員が一礼する。
 皆それぞれ片付けに入ると、朔も急いで着替えをした。
「じっちゃん、出かけてきます!」
「夕飯時には帰ってこい。」
「はい、行ってきます!」
 祖父の声がけに頷き、早々に道場を飛び出して行った朔を、門下生達は見送った。
 そして朔の祖父に話しかける。
「朔君、最近気合い入ってますね。」
「そろそろ師範の孫だって、自覚出てきたのかなあ。」
 微笑ましげに笑いながら話す門下生達に、祖父は深い声で短く返した。
「…さあな。」
 祖父の目には穏やかな光が宿っていた。

 朔が走って行った先は、カフェボストークの近くにある空き地だった。
「あ、V!」
 朔が声を上げると、先に来ていた嵐が片手を挙げた。
「よう、ストレルカ。」
 朔は思い切り踏み込み、嵐の眼前に迫り、拳を突き出した。
 寸止めの拳に、嵐はニヤリと笑む。
「そうそう、その調子だ。でも…。」
 嵐は突き出された朔の右腕を掴むと、右から高い蹴りを食らわせた。
「! うあ!」
 朔が倒れる。何とか顔を上げると、嵐は笑っていた。
「これで、やられると。」
「はは…。」
 朔は倒れながら、嵐に苦笑してみせた。

 朔に容赦なく拳を向けながら、嵐は声を飛ばす。
「おら、武術の型に捕らわれ過ぎんな! アトラスはどんなことしても殴りにかかってくるぞ!!」
「お、押忍!」
 朔は懸命に応え、嵐を迎え撃つ。
 横から見ていた瑠璃が、同じく見ている燐に話しかけた。
「大丈夫なの? あれ…。」
「…アトラスと嵐、よく殴り合いの訓練してた。」
「殴り合い?」
「うん。喧嘩の訓練。」
「喧嘩の練習な…相手どんな奴なんだか…。」
 虎徹は呟きながら、朔と嵐が戦う様子を見やっていた。

 肩で息をしている朔に、嵐が声をかけた。
「今日はこれで終わるかー。」
「…うん、ありがとう。」
 朔が笑みを見せる。二人は体を休めるため、空き地内の柵に寄りかかった。
「どうだ、ここ数日喧嘩してみて。」
「全然ダメだなあって。前、鼎に『朔って何で格闘技なんてしてんの? 向いてないようにしか見えないんだけど』って言われたことあった。」
 朔が苦笑いすると、嵐はカラカラと笑った。
「はは。確かにあんたは暴力的な遺伝子に欠けてるよな。」
「でも、敵を倒すために手段を選ばないっていうのは一つあるんだなって思った。」
「そう思うのか?」
 朔の言葉に嵐が意外という顔をすると、朔は深く頷いた。
「Vやアトラスって人は、多分そうやって大事なものを守って来たんだろうって思ったから。」
「…そうか。」
 嵐は穏やかに返事だけした。わずか考え、また口を開く。
「アトラスは多分手加減してくれると思うけどな。メールの内容がああだったし。でもあの人と対するのに、喧嘩は経験しとくに越したことないぜ。」
「うん。」
 朔が頷くと、嵐はまた少し思うように黙ってから、確認した。
「明後日、ここだったか。」
「…うん。」
 朔は引き締まった顔で三度頷いて見せた。

 翌々日。
 朔、虎徹、瑠璃、燐、嵐が空き地で待っていると、大きな黒いバッグを手にした男が空き地に近づいてきた。
 嵐がハッとする。
「! 来た…。」
「あの人がそうなの?」
 瑠璃がわずか緊張した顔で問うと、燐が頷いて見せた。
「うん。アトラスだよ。」
「って、ちょっと待て…。」
 慌てる嵐が見ていたのは、男が持っていたバッグだった。
 男は朔達の目の前まで来ると、口を開いた。
「ボストークの連中だな。」
「…そうだ。」
 虎徹が張り詰めた声で返答すると、男は頷き、挨拶した。
「初めまして。オレがアトラスだ。久しぶりだなV、1B。」
「は、はい…。」
「…久しぶり。」
 男に視線を向けられ、嵐と燐はぎこちなく返事をした。アトラスは視線を動かす。
「で、朔っていうのは…。」
 皆は戸惑いながら、朔に意識を向けた。アトラスは朔を真っ直ぐに見た。
「お前だな。」
「…はい。」
 朔が緊張した様子で頷く。アトラスは薄く笑んでみせる。
「じゃあ、早速始めるか。」
 アトラスはバッグを地面に置き、中から部品をいくつか出すと、組み立て始めた。虎徹と瑠璃は疑問符を浮かべ、嵐の顔は若干青ざめている。
 やがて組み上がったのは、柄の先端に斧と槍が付いた武器、俗にハルバードと呼ばれるものだった。嵐は頭に手をやって呟いた。
「…ガチだ…。」
 姿を現したアトラスの得物に、虎徹と燐は慌てた。
「お、おい、こっちは…。」
「…アトラス、ストレルカは素手、だから…それ、仕舞って…!」
「…へえ、随分そいつらに懐いたんだな、1B。」
 アトラスが笑うと、燐は口を噤んで下を向いた。
 アトラスはハルバードをしっかりと握った。
「でもこれはダメだ。譲れない。…誰だって、雑魚に大事な奴は任せられないだろ?」
 朔は皆から離れると拳を握り、アトラスに向かって構えた。アトラスは気が良さそうに笑った。
「やる気だな。大したもんだ。でもこっちも得物持ってくるとは予告してなかったから、ハンデやる。お前が三回死ぬ前にオレをKOできたら、約束を守る。」
「はあ!? お前何…!」
 虎徹が声を上げる間も無く、アトラスはハルバードを振り下ろした。
「ふっ!」
 ハルバードの先端が朔の足元に迫る。朔が気付いた時にはハルバードの先端が朔の足を払っていた。
「うあ!」
 倒れた朔の眼前に斧が迫った。
「一回死んだ。」
 一瞬息を飲んだ朔は急いで立ち上がり、構え直す。アトラスはハルバードを持ち直した。
 朔はアトラスを睨み、機を伺う。アトラスは槍の先端を朔に向けた。
 朔が踏み出す。ハルバードの先端を掴んでアトラスの前に出、空いた左手で目潰しを狙った。アトラスが怯んだ一瞬の間に朔はハルバードから手を離し、拳を握り、アトラスの頰に一発食らわせた。
「っ…。V仕込みだな、これは。」
 アトラスは身を引きながら、朔の首にハルバードの斧部分を引っ掛け、思い切り前に倒した。
「うあ!」
「首狙いやがった!」
 虎徹が思わず声を上げる。
 アトラスは朔に引っ掛けた斧部分をひっくり返した。
「これで二回目。」
 更にアトラスは倒れている朔の目の前で地面を蹴った。
「っ!!」
「目潰しのお返しだ。」
「マジかよ…!」
「もう見てられないよう…!」
 見ていた嵐は目を見開き、瑠璃は手で自身の目を覆った。燐は微かに震えながら事の次第を見やっている。
 朔は目をこすりながら、懸命に身を起こす。アトラスはまた身を引き、槍の部分で朔の体を狙った。
 ぼやけた視界の中で、朔は思っていた。

 この人、やっぱり強いんだな…。
 でも…。

「雑魚に大事な奴は任せられないだろ?」

 朔の脳裏に巡っていたのは、戦う前にアトラスが発した言葉だった。

 きっとこの人にも、大切な何かがある。
 でもオレだって、鼎が大切だ。助けたいんだ。

「根性あるな、お前。でも、その目じゃ戦えないだろ。」

 だから、オレも戦う…!

 強く思い、拳を握った時、朔の体に一瞬熱が巡った。
 次に朔は、周囲の空間が変わったのを感じた。アトラスの攻撃が来ない。
「…え?」
 朔が目をこすり、何とか見ると、周りの全てが凍りついたように止まっていた。

 みんなが、止まってる…?

 朔は思い切り踏み出し、アトラスの懐に飛び込む。アトラスのこめかみ目がけ、渾身の右ストレートを放った。

「もう見てらんねえ! オレ達も加勢…!」
 虎徹が声を上げた時だった。
 不意にどさりと音がして、皆が見ると。
「…え?」
「ぐ、う…。」
 アトラスが苦痛に顔を歪ませて倒れていた。
「…KO…?」
 皆が目を丸くする。倒れているアトラスのそばには朔が立っていた。
「ストレルカ!?」
「…え!? …オレ、今どうなって…。」
 我に返った朔は思わず慌てた。
「…こ…のっ…。」
 アトラスは懸命に立ち上がった。ふらつきながら朔の胸ぐらを掴み、睨みつける。
 その時、炎がアトラスを襲った。
 アトラスは思わず朔から手を離す。皆は盾になるように朔の前に出た。
「これ以上は幾ら何でも許さねえ!」
「そっちがその気なら、今度は私達が相手します!」
 虎徹と瑠璃はアトラスに叫ぶ。嵐と燐もアトラスをきつく睨んだ。
 アトラスは彼らを見ると、呟くように口を開いた。
「……言われなくても、もう戦えねえよ。」
 アトラスはその場に倒れ、意識を失った。

 アポロの事務所内のあまり使われない部屋で、ひそひそと数人が話をしている。
「やっと出かけたか…メルクリウスの腰巾着が。」
「あいつが一番邪魔だったけど…やっとチャンスが来た。」
 数人の背後では、エンタープライズとディスカバリーが嘲るように薄く笑み、エンデバーはスマートフォンから目を離さずにいる。
「じゃあ、打ち合わせ通りやろうか。」
「ああ。」
 数人は頷き合い、立ち上がった。
「…このイラつく場所を、蹴る時が来た!」
 数人が出て行くと、エンタープライズ達三人も立ち上がる。
「…全くもって、怖いもんだ。メルクリウスに拾われた恩知らずは。」
「そういうバカ共だから、こうして利用できるしいいんじゃないのー?」
 エンタープライズとディスカバリーは、タチの悪い笑みを交わした。
「ジェミニが、早くって。」
 エンデバーが不機嫌そうに顔を上げると、二人は頷いた。
「さて、今の内にさっさと行こうか。」
 部屋の外では喧騒が響き始めていた。

 カフェボストークの二階。
 嵐と燐に充てがわれた部屋で、皆は疑問符を浮かべた。
「周りが止まってた?」
「はい…まるで、みんな凍っちゃったみたいに…。」
 朔が戸惑いながら頷くと、嵐も首を捻った。
「こっちはそんなことなかったぜ?」
「うーん…。」
 皆が疑問符をいくつも浮かべていると、悠里が冷静に問うてきた。
「ストレルカ、そういう状態になる前に、何か自分に変化はなかったか?」
 朔は先程のことを思い出しながら、話し出す。
「えっと…鼎を助けたいって強く思ったら、体が一瞬熱くなって…そうだ、ライカさんにおまじないしてもらった時みたいな…。」
「ライカのおまじない、か…。」
 悠里は少し考えると、顔を上げた。
「ライカの能力は『付与チャリティ』といって、一時的に普通の人間にも何かしらの能力を与えられる。」
「…そう、なんですか。」
 朔がまだ戸惑っていると、悠里は続けた。
「恐らくライカがストレルカに能力を使ったのが、そのおまじないの時だったんだろう。で、ストレルカの危機に、そのおまじないの効果が出た…。」
 皆が目を丸くする。悠里は思うように少し黙ってから、深い声で皆に話した。
「時間を操る類の能力だったのではないだろうか。ストレルカはライカに守られたんだ。」
「ライカさんが…。」
 朔がため息のように漏らすと、部屋に敷かれた布団からうめき声が聞こえた。
「う…。」
「アトラス!」
 嵐と燐は急いで布団のそばに寄る。アトラスが布団からゆっくりと体を起こした。悠里もアトラスに声をかける。
「目を覚ましたか。」
 朔はアトラスのそばに寄って行き、声をかけた。
「…アトラスさん。」
 アトラスが訝しげに見ると、朔は発言した。
「こんな決着、納得出来ないですよね。」
 皆は思わずぎょっとする。朔は構わず続けた。
「アトラスさんはきっと、ライカさんの能力のことは知らなかったんだろうと思うから。だからきっと納得できないと思う。もう一度やりましょう。」
 アトラスは目を丸くして朔の言葉を聞いていたが、やがて穏やかに笑んだ。
「…いいや、一発喰らったのはオレの驕りだ。オレの責任。負けは負けだ。」
 皆がほっとした表情を浮かべると、アトラスは皆を見回した。
「…お前の、そしてボストークの人となりを見て、安心した。お前達になら頼める。」
 アトラスは座り直すと、ボストークの面々に頭を下げた。
「…メルを…メルクリウスを助けるのに、力を貸してくれ。」

 アポロの事務所の一番奥の部屋では、メルクリウスがパソコンに向かいながら、苛立たしげにタバコをふかしていた。
「アトラスは…どこに行っているんだ…。」
 突然、パソコンの画面が変わった。メルクリウスが混乱していると、画面に映し出されたのはどこかの映像だった。
 その映像の中では、アトラスがボストークの面々と会っていた。
「…アトラス…!? ボストークの奴らのところ、に…!?」
 メルクリウスがますます混乱していると、パソコンにメッセージが届いた。
 
「そいつ、アポロを裏切ったよ」

 ジェミニからのメッセージを読み、メルクリウスの声が震える。
「アトラスが、そんな…!」
 ジェミニからは容赦なしにメッセージが届いた。

「どうしてくれる訳? ホントに君は側近の管理一つ出来ないんだ」
「でも、もう君と一緒にやる必要は無くなったし。おめでとう、好きにしなよ」

 ジェミニからの通信は切れ、映像も途切れた。
 メルクリウスは思わず大声を上げる。
「ジェミニ!! …雪…!」
 体を震わせるメルクリウスを、強い衝撃が襲った。

 ボストークの二階でアトラスの言葉を聞いた虎徹は、思わず声を荒げた。
「メルクリウスを助けるのに力貸せ? ふざけんな! こっちのことめちゃくちゃにして、ベルカ攫っといて!」
「メグを利用したのも、そのメルクリウスって奴なんだろ!? 嫌だよ!!」
 歩も叫び声を上げる。嵐と燐は下を向いて口を噤んでいる。
 朔は少し思うように黙ると、アトラスに質問する。
「…鼎は何て言ってたんですか?」
「…お前が…朔が、力になってくれると言った。」
 アトラスが朔を見ると、朔は冷静に再び問うた。
「…一体どういうことなんですか?」
「ストレルカ!」
 虎徹が非難めいた声を上げる。朔は冷静な様子を崩さず、話した。
「Vと1Bは、メルクリウスって人がジェミニって人の我儘に振り回されてるって言ってた。本当なんですか?」
 嵐と燐は顔を上げ、朔を見る。他のボストークの面々は嵐と燐を見、次いでアトラスを見た。
 アトラスは真摯な声で話し出した。
「…事実だ。オレはジェミニからメルを解放したい。オレがここに来たのは、アポロとしての意思じゃない。オレが勝手にやってることだ。」
「…ベルカを攫ったのは…。」
 瑠璃が遠慮がちに問う。アトラスは落ち着いて答えた。
「ジェミニの指示をメルが実行した結果だ。今までお前達を敵と認識していたのも、ここを襲撃したのも、それだ。」
「ジェミニってライカさんの弟だよな? 何でそいつはそこまでして…。」
 今度は虎徹が疑問を口にする。アトラスは眉間にしわを寄せた。
「姉を取り戻したい。それだけなんだろうよ。その為には手段を選ばない。あいつは姉を取り戻した。利用出来そうな真実の目も手に入れた。…あのクソ野郎にとって、メルはもう用済みだ。」
「真実の目…ベルカも利用する…!?」
「何の為に!?」
 瑠璃と虎徹がアトラスに迫ると、アトラスは眉間にしわを寄せたまま、返答した。
「…行きたい場所があるらしい。でもメルも見つけられないとか。」
 皆がまた疑問符を浮かべていると、悠里が発言した。
「アトラス。オレはどうすればいい?」
 皆は悠里に注目してから、アトラスの返答を待つ。
 アトラスはゆっくりと、はっきりと口にした。
「オレの味方になって欲しい。」
「…味方に?」
 悠里が再度問うと、アトラスは深く頷いた。
「オレの味方なら、メルも極端に敵視はしないだろう。ボストークとアポロが同盟を組めるようにしたい。敵がいなくなれば、強硬手段に出る必要も無くなる。それにアポロには、ジェミニを疎ましく思っている奴らもたくさんいるからな。」
「…数を揃えようと?」
「メルは元々穏健派だ。強硬派のジェミニとはそりが合わないはずなんだ。でも逆らえない理由があって、ずっと我儘聞き続けてる。それをもう終わらせてやりたい。」
 悠里はしばらく考えてから、アトラスに確認した。
「…ジェミニが手酷くメルクリウスを捨てる前に、何とかメルクリウスの方から離れられるように持って行きたいということか。」
「まあ、そうだ。面倒くさいことしてると思うだろうけどな。」
 アトラスが苦笑してみせると、虎徹は気後れ気味に問うた。
「あんたは何で、そこまでメルクリウスに…。」
「こんなオレを助けてくれた、大事な奴だからだ。」
 アトラスは何かを思い出すように、柔和な表情で答えた。
 皆は少し長く沈黙した。
「…このまま放っておいたら、鼎はもっと遠くに行ってしまうかもしれないんですね。」
 声に皆が注目すると、朔は真っ直ぐにアトラスを見ていた。
「オレ、行きます。メルクリウスさんにもう一度会います。それはきっと、鼎を助けることにも繋がりますよね。」
「…そうだな、直接会って話が出来れば…。」
「でもメルクリウスって人、簡単に応じてくれるかな…。」
 虎徹と瑠璃が考えていると、悠里ははっきりと発言した。
「…このままではオレ達は何も出来ずに、ベルカとライカを失う。どうせ当てはなかった。…オレは賭けようと思う。」
「ユーリィさん…。」
 嵐と燐はほっとしたように悠里を見る。考えていた虎徹と瑠璃も頷いた。
「ユーリィさんもストレルカも決めたなら、オレも腹くくる。」
「私もアトラスさんに協力する。」
 歩は唇を結んで事の次第を見ている。
 アトラスは改めて皆に頭を下げた。
「…ありがとう。」
「みんな、動けるなら早速行こう。」
 悠里の声がかかると、皆頷いて立ち上がった。

「この空き店舗だ。」
 アトラスに案内され、ボストークの皆はアポロの事務所、郊外の空き店舗まで来た。
「結構遠くまで来てたんだ…。」
「プシンカが見つけられない訳だ…。」
 瑠璃と虎徹が感想を述べると、アトラスがわずかに開いたドアに気づいた。
「…鍵が開いてる…?」
 アトラスの表情が緊張を帯びる。アトラスがドアノブに手をかけ、開けると皆、息を呑んだ。
 事務所内はめちゃくちゃに荒らされ、人々が苦痛に呻いて倒れていた。目の前の光景に皆、戦慄した。
「何だ、これ…!?」
 嵐がやっとの思いで声を発する。アトラスは倒れている一人を助け起こし、叫んだ。
「おいどうした!? 何があった!!」
「…な、何人かが、突然暴れて…めちゃくちゃに…。」
 助け起こされた一人が苦しげに絞り出す。そばに倒れていたもう一人も掠れた声を出した。
「最近入った三人が、真実の目も連れて行って…!」
「鼎…!!」
 朔の瞳、体が震えた。虎徹がアトラスを責めるように声を荒げる。
「おい、どういうことなんだよあんた!!」
「ジェミニのクソ野郎!!」
 アトラスは歯噛みし、叫ぶと奥の部屋に走って行った。
「お、おい!」
 皆は慌てて後を追う。アトラスに続き、奥の部屋に飛び込んだ。
 奥の部屋もめちゃくちゃに荒らされ、パソコンは粉々に破壊されており、机のそばにはメルクリウスが倒れていた。
 瑠璃は思わず震える声を上げた。
「酷い…!!」
「千幸!!」
 アトラスが叫び、メルクリウスに駆け寄る。
 聞きなれない名前に虎徹は疑問符を浮かべた。
「ちゆき…?」
「メルクリウスの本名だよ!!」
 嵐も燐もメルクリウスのそばに急いだ。アトラスがメルクリウスを助け起こす。
「千幸! しっかりしろ!!」
「メルクリウス!!」
 青ざめた顔でぐったりとしていたメルクリウスが、薄く目を開けた。
「…V…1B……雪…?」
「そうだ、オレ達だ!」
 アトラスが叫んだ途端、メルクリウスの目から涙がこぼれた。
「…っ…う…オレは…みんな…。っ!!」
 メルクリウスが苦痛に顔を歪める。燐が震える声を上げた。
「怪我、してる…!!」
「プシンカ! 手当て…。」
 虎徹が声をかけると、歩は首を横に振った。
「…嫌だ。」
「プシンカ!!」
 虎徹が思わず声を荒げる。歩は震えながらメルクリウスを睨んでいた。
「だって、そいつは…メグを騙して…そのせいで、ボストークも、ベルカさんもっ…。」
 歩の言葉に、虎徹は思わず言葉を失う。
 悠里が歩の前に出た。
「…オレがやろう。止血したら怪我人をボストークまで連れて行こう。」

 暗闇の中に、悪意の言葉がこだまし続けていた。
「もうこんな仲良しゴッコやってられるか!!」
「オレ達は普通の奴らに一泡吹かせる為に入ったのに、騙しやがって!!」
「オレ達はもう降りるぜ!!」
「そいつ、アポロを裏切ったよ。」
「もう君と一緒にやる必要は無くなった。」

 メルクリウスがハッとして目を開けると、見慣れない天井が見えた。
「…ここ、は…。」
 布団に寝かされたメルクリウスが掠れた声で呟くと、横から言葉がかけられた。
「大丈夫か? ひどくうなされていた。」
「お前、は…。」
 言葉をかけて来た悠里を見、メルクリウスは瞳を震わせた。

 To be continued
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