第十九話 思いの殻
0と1であらゆるものが構築されるネット空間に、ジェミニの声が響く。
「…姉さん。姉さーん。…ライカ姉さーん!」
ジェミニの目の前には、大きな白い繭のような物がある。
「姉さーん。」
ジェミニが呼びながら繭に触れようとすると、何かの力に手が思い切り弾かれる。触るなと言うように。
ジェミニはむくれた様子で大きな繭を見遣った。
「ったく…オレが姉さんを悪い奴から取り戻してあげたのに、何考えてんのさ…。」
街中から離れた郊外にある空き店舗。
建物の一番奥にある部屋の机には、パソコンが一台置かれている。
パソコンのキーボードを懸命に叩き、作業をしているのはメルクリウスだった。表情には焦りと疲れが見え、作業の進捗が芳しくないことを示している。
パソコンの画面隅に、何者かからのメッセージが表示された。
「メルクリウス、早くしてよー」
メルクリウスは疲れた眼差しで画面隅に目をやると、メッセージに対して返信をする。
「すまない、ジェミニ。どんなアタックをしても通らない。お前の姉に届かない」
「本当に使えないんだから君」
すぐに返された棘のある発言にメルクリウスが黙っていると、ジェミニからまたメッセージが届いた。
「こないだ捕まえた真実の目っていうのいたでしょ。そいつ連れてきてよ。そんでこの繭を破る方法、調べさせて」
「解った」
メルクリウスは短く返事を送るとパソコンから顔を上げ、部屋にあるソファに目を向けた。若干弱い声で呼んだ。
「…アトラス。」
「何だ。」
ソファに座り、目を閉じていたアトラスは、メルクリウスの声に反応して目を開けた。
メルクリウスは弱い声のまま、アトラスに頼んだ。
「…真実の目の能力者…ここに連れてきてもらえるか。」
「…解った。」
アトラスは立ち上がり、部屋のドアを開けて出て行った。
小さな空き店舗は、アポロの新たな事務所として使われていた。
鼎は店舗にある一室で、外から鍵のかかったドアを見やり、疲れたように深いため息を吐いた。
カーテンのある窓から差してくる光をぼんやりと見る。窓はあるが、元から開かない仕様だ。何か物をぶつければ破れるかもしれないが、鼎はしなかった。
鼎の頭に巡っていたのは、自分が攫われる時に朔が見せた表情だった。
「…朔、ショック受けてたな…。」
朔を思い切り突き飛ばした。朔の身の危険を感じた自身がとっさに取った行動だったが、その後に朔が見せた表情は、絶望にも似ていた。
「無事かな、朔…。」
鼎が呟いた時、ドアの鍵が開く音がした。
鼎はドアを開けた人間を見ようともせず、刺すように問うた。
「…何。」
「こっちに来てくれ。」
鼎が緩慢な動作で振り返ると、そこにはアトラスがいた。
アトラスは鼎を、メルクリウスの部屋に連れて行った。むすっとした表情でいる鼎に、メルクリウスはぎこちなく頼む。
「…ジェミニがいる世界で…ジェミニの姉が繭のような防壁に閉じこもって、ジェミニと話をしない。防壁を破る方法を、教えて欲しい。」
鼎は何も言わず、メルクリウスのパソコンの画面を見た。メルクリウスが作業をし続けた画面のままだった。画面を更にじっと見る。鼎の瞳が青く光った。
やがて鼎は、小さく口を開いた。
「このパソコン、ジェミニって奴と繋がってるんですか。」
「あ、ああ。」
メルクリウスが戸惑いつつ頷く。
「貸してください。」
鼎はパソコンのキーボードに触れ、メッセージを送った。
「何やっても無駄だと思うよ。それは防壁じゃないから」
「防壁じゃない…?」
鼎が打ち込んだ内容に、メルクリウスが戸惑いを大きくする。鼎は構わず、更にジェミニに送る。
「それはライカの意思表示だ。あんたと話しもしたくないって意思表示。その意思が形になってるだけ。コンピューターの防壁とかセキュリティの類じゃない」
「ありうるのか、そんな話が…。」
メルクリウスがわずかに驚きを見せる。まもなくジェミニからメッセージが返って来た。
「解った。これは後から考えよう」
続けてジェミニは、更にメッセージを送って来た。
「メルクリウス。ところで場所は解ったの?」
質問の内容を読み、メルクリウスは少し思うように間を置いてから打ち込んだ。
「すまない、まだ解らない」
「ホントのろまだよね君。ただでさえ使えないんだから、その辺しっかりしなよ」
「解った」
「じゃ、引き続き頑張ってね。…後、そこにいる真実の目、一発殴って」
ジェミニが送って来たメッセージの、鼎を殴れという言葉を読んだメルクリウスの喉がひゅ、と鳴った。
追い打ちをかける様に、メッセージが送信されてくる。
「早くしなよ、それ位出来るだろ。ちゃんと見てるんだからね、メルクリウス」
パソコンから視線を離せないメルクリウスの顔が強張り、手も呼吸も小刻みに震え始める。
アトラスの手が動いた。鼎の肩を抑え、空いた拳で鼎の頰を殴った。鼎は痛みに顔をしかめる。メルクリウスは驚きに目を見開いた。
「…アトラス…。」
「これで文句無いだろ。」
アトラスはただ機械的に口にした。
少しの間の後、ジェミニからメッセージが届いた。
「まあ、いいけどね」
ジェミニからの通信が切れた後、アトラスは近くにいたアポロの人間を呼んだ。
「おい。…こいつのこと手当てして、部屋まで連れてってくれるか。」
「はい。…こっちに来い。」
アポロの一人は気後れ気味に頷き、鼎を部屋から連れて行った。
二人だけになった部屋の中で、メルクリウスは項垂れ、か細い声を出した。
「…アトラス。…すまない。」
「その言葉じゃない方がいいんだけどな。」
アトラスに返され、メルクリウスは顔を上げた。瞳はわずかに震えていた。
「…ありがとう。…本当にありがとう、何から何まで…みんなに事務所を引き払う指示をしてくれたのも、この場所を見つけてくれたのも全部お前で…。いつか、礼は必ずする。」
「別にいい。オレが好き勝手に、お前に従ってんだ。」
アトラスはメルクリウスに苦笑してみせた。
ネット空間で大きな白い繭を見上げ、ジェミニはため息を吐いた。
「…ジョウガ姉様も何でオレ達の記憶から、研究所の位置情報ぶっ飛ばすかなあ。おかげで色々手間がかかって来たけど…。」
ジェミニは後頭部に両手をやると、楽しそうな笑みを見せた。
「真実の目、あれはすごいね。パソコンからでも見えるんだから。…そろそろまどろっこしい方法は、必要なくなるかな。」
アポロの事務所内、アポロの人間達が集まる部屋には、その時三人の人間がいた。
一人が不安げに話し始めた。
「メルクリウス、最近ずっと部屋に籠ってるな。大丈夫かな…。」
「そうか? 元からあんな感じだったろ。」
さらりと返したもう一人に、三人目が首を傾げる。
「心配にならないのか? お前。」
二人目は顔をわずかに歪め、苛立たしげに頭を掻いた。
「心配っていうか…イライラしてくんだよ。オレは立ち上げ当初からアポロにいるけど…。あの時メルクリウスとジェミニが言ってたアポロの思想…『弱者である能力者は、あらゆる手段を使って、敵に対抗して生きなきゃいけない』っていうのに惹かれて付いて来たんだ。でも実際やってることは、みんなで仲良く…。」
「それがダメだって言うのかよ!」
三人目が憤ったように声を上げた。最初に発言した一人目は、考えながら話した。
「オレはメルクリウスにここに連れてきてもらえて、みんなと出会えて仲良くできて、よかったと思うけどな。」
「…そうか。」
二人目はそれだけ返す。その話は終わりになり、話題は別のものへ移った。
「はあー…。」
事務所の廊下でアポロの人間が一人、つまらなそうに声を出した。集会部屋から出て来た、先程の二人目だった。
彼は周りに誰もいないことを確認すると、天井を見上げ、呟いた。
「もっと、いけ好かない普通の人間相手に、暴れられると思ったんだけどなー…。」
「ふーん。」
すぐ横から聞こえた声に彼が驚いて見るとエンタープライズ、ディスカバリー、エンデバーがいた。
「! お、お前ら最近入った…!」
ディスカバリーがにやにやと笑いながら彼を見上げる。
「結構不満持ってる感じだねー、アポロとかメルクリウスに。」
「あ、いや、その…。」
彼がしどろもどろになっていると、大柄なエンタープライズは威圧的に彼を見下ろした。
「隠さなくていい。」
彼が目を丸くすると、エンタープライズは口角を吊り上げた。
「…オレ達はお前の味方だ。」
彼が戸惑うと、エンデバーはいつも通り、不機嫌そうに口を開いた。
「…人が来る。詳しく話、聞くんでしょ。」
殴られた顔を手当てされ、鼎は再び鍵がかかる部屋にいた。
膝を抱え、鼎は先程中断された思考を再開する。
朔は…何にそんなショック受けちゃったんだろう…。いや、僕が思い切り突き飛ばしたからだよね…。
その次に鼎の脳裏を巡ったのは、五年前の記憶だった。
縁側で日光に当たっている老女に、声がかかった。
「…ばあちゃん。」
「…どうした、鼎。」
老女が顔を上げて見た先にいたのは、青い髪を高く結わえた、小学生程の少年だった。
少年…鼎は老女に向かい、言った。
「ばあちゃん…僕、どうすればいいんだろう…。」
老女…鼎の祖母は、黙って話を聞く姿勢を作る。鼎は目に涙をいっぱい溜め、話し出した。
「人の考えてることが、どうやっても見えるんだ。みんな思ってるんだ。僕のこと気持ち悪いって。」
鼎の手は、服の裾をぎゅっと握って震えている。祖母は話にじっと耳を傾ける。
「でも見えないようにみんなから離れてたら、付き合い悪いとか、一人ぼっちでおかしいとか言われて…。」
鼎の声が震えを増していく。
「お母さんは、人の考えてること言うなとか、もっとみんなと上手く付き合うようにしろって…。」
鼎の目から涙が溢れ出す。祖母は鼎の涙を拭うように、手を伸ばした。
「…鼎は気持ち悪くもないし、おかしくもない。」
「僕は気持ち悪いんだよ、おかしいんだよ! 周りがそう思ってることには変わりないんだ!」
鼎が祖母の手を払うように頭を振る。祖母は鼎の肩に手を置く。その手は鼎には力強く感じられた。
祖母は真っ直ぐに鼎に語りかけた。
「…確かに、鼎は普通の人とは違うものを持った。でも、鼎はばあちゃんの孫だ。真っ直ぐ一本気な、私の大切な孫だ。」
鼎は泣きながら、祖母の眼差しに応えるように見返した。祖母の手は鼎の頬をそっと挟む。二人はしっかりと見合った。
「鼎はこの先も、きっと辛いことがある。でも真っ当に生きてさえいれば、いつかきっと…。」
…あの後、ばあちゃんが言ったのは…。
かつて、祖母が優しい笑顔と共に続けた言葉を思い出し、鼎は眉間にしわを寄せた。
…そんなこと、ある訳ないのに。
不意に部屋の鍵が開き、ドアが開いた。鼎は先程と同様、ドアの方向から視線を逸らす。
「…さっきは悪かった。」
ドアを開けて入って来たアトラスは、最初に謝罪する。鼎は突っ返すように声を返した。
「…別に。」
「ああでもしないと、ジェミニは延々メルを責めてたからな。」
アトラスは鼎の近くに腰を下ろした。鼎はアトラスの方を見ず、黙っている。アトラスは構わず、話を続けた。
「それでもメルは、ジェミニのクソ野郎に逆らえない。逆らうのが怖いんだ。」
鼎はしばらく黙ったままだったが、やがてアトラスに背を向けたまま、問うた。
「…何か、脅されでもしてる訳?」
「半分以上そうだな。ジェミニは直接口に出してないけど、態度で圧力をかけてる。『言うことを聞かなきゃ、友達辞めさせてもらうぞ』って感じの圧力だ。」
「そんなの、友達なの?」
鼎の刺すような問いに、アトラスは返す。
「メルにとってはそれでも友達、それでも恩人、それでも心の拠り所だ。」
鼎はアトラスの返事に思うように黙ってから、口を開いた。
「…それで、あんたはどうしたいの。」
「ジェミニにそそのかされ続けてるメルを、何とか助けたい。」
背中に返された言葉に、鼎は棘のある声を向けた。
「…僕に頼んでるわけじゃないよね。」
「いや、頼んでる。お前の知恵を貸して欲しい。こんなこと言えるのは、オレから見てお前だけなんだ。」
アトラスの言葉に鼎はぎり、と歯噛みした。
「…散々敵扱いしといて、ボストークのみんなに酷いことしといてそれ? …ふざけ…!」
鼎はバッと振り返り、アトラスを睨む。
だが次には僅かに息を飲み、目を見開いた。
アトラスは鼎を見ていた。強張った顔で、真摯に見ていた。
…この人からは、何の悪意も見えない。この人はメルクリウスって人を助けたい。…本当にそれだけ。
…変なところが、朔に似てる。
鼎はどかりと座り直し、アトラスに向き合った。
「…何があったの。あんたとかメルクリウスって人に。話だけは聞いてやる。」
「…ありがとう。」
アトラスは苦笑してみせると、思い返すように一瞬黙ってから、口を開いた。
「…オレ達の始まりは…まだ赤い稲妻なんて降る前だった。」
To be continued
「…姉さん。姉さーん。…ライカ姉さーん!」
ジェミニの目の前には、大きな白い繭のような物がある。
「姉さーん。」
ジェミニが呼びながら繭に触れようとすると、何かの力に手が思い切り弾かれる。触るなと言うように。
ジェミニはむくれた様子で大きな繭を見遣った。
「ったく…オレが姉さんを悪い奴から取り戻してあげたのに、何考えてんのさ…。」
街中から離れた郊外にある空き店舗。
建物の一番奥にある部屋の机には、パソコンが一台置かれている。
パソコンのキーボードを懸命に叩き、作業をしているのはメルクリウスだった。表情には焦りと疲れが見え、作業の進捗が芳しくないことを示している。
パソコンの画面隅に、何者かからのメッセージが表示された。
「メルクリウス、早くしてよー」
メルクリウスは疲れた眼差しで画面隅に目をやると、メッセージに対して返信をする。
「すまない、ジェミニ。どんなアタックをしても通らない。お前の姉に届かない」
「本当に使えないんだから君」
すぐに返された棘のある発言にメルクリウスが黙っていると、ジェミニからまたメッセージが届いた。
「こないだ捕まえた真実の目っていうのいたでしょ。そいつ連れてきてよ。そんでこの繭を破る方法、調べさせて」
「解った」
メルクリウスは短く返事を送るとパソコンから顔を上げ、部屋にあるソファに目を向けた。若干弱い声で呼んだ。
「…アトラス。」
「何だ。」
ソファに座り、目を閉じていたアトラスは、メルクリウスの声に反応して目を開けた。
メルクリウスは弱い声のまま、アトラスに頼んだ。
「…真実の目の能力者…ここに連れてきてもらえるか。」
「…解った。」
アトラスは立ち上がり、部屋のドアを開けて出て行った。
小さな空き店舗は、アポロの新たな事務所として使われていた。
鼎は店舗にある一室で、外から鍵のかかったドアを見やり、疲れたように深いため息を吐いた。
カーテンのある窓から差してくる光をぼんやりと見る。窓はあるが、元から開かない仕様だ。何か物をぶつければ破れるかもしれないが、鼎はしなかった。
鼎の頭に巡っていたのは、自分が攫われる時に朔が見せた表情だった。
「…朔、ショック受けてたな…。」
朔を思い切り突き飛ばした。朔の身の危険を感じた自身がとっさに取った行動だったが、その後に朔が見せた表情は、絶望にも似ていた。
「無事かな、朔…。」
鼎が呟いた時、ドアの鍵が開く音がした。
鼎はドアを開けた人間を見ようともせず、刺すように問うた。
「…何。」
「こっちに来てくれ。」
鼎が緩慢な動作で振り返ると、そこにはアトラスがいた。
アトラスは鼎を、メルクリウスの部屋に連れて行った。むすっとした表情でいる鼎に、メルクリウスはぎこちなく頼む。
「…ジェミニがいる世界で…ジェミニの姉が繭のような防壁に閉じこもって、ジェミニと話をしない。防壁を破る方法を、教えて欲しい。」
鼎は何も言わず、メルクリウスのパソコンの画面を見た。メルクリウスが作業をし続けた画面のままだった。画面を更にじっと見る。鼎の瞳が青く光った。
やがて鼎は、小さく口を開いた。
「このパソコン、ジェミニって奴と繋がってるんですか。」
「あ、ああ。」
メルクリウスが戸惑いつつ頷く。
「貸してください。」
鼎はパソコンのキーボードに触れ、メッセージを送った。
「何やっても無駄だと思うよ。それは防壁じゃないから」
「防壁じゃない…?」
鼎が打ち込んだ内容に、メルクリウスが戸惑いを大きくする。鼎は構わず、更にジェミニに送る。
「それはライカの意思表示だ。あんたと話しもしたくないって意思表示。その意思が形になってるだけ。コンピューターの防壁とかセキュリティの類じゃない」
「ありうるのか、そんな話が…。」
メルクリウスがわずかに驚きを見せる。まもなくジェミニからメッセージが返って来た。
「解った。これは後から考えよう」
続けてジェミニは、更にメッセージを送って来た。
「メルクリウス。ところで場所は解ったの?」
質問の内容を読み、メルクリウスは少し思うように間を置いてから打ち込んだ。
「すまない、まだ解らない」
「ホントのろまだよね君。ただでさえ使えないんだから、その辺しっかりしなよ」
「解った」
「じゃ、引き続き頑張ってね。…後、そこにいる真実の目、一発殴って」
ジェミニが送って来たメッセージの、鼎を殴れという言葉を読んだメルクリウスの喉がひゅ、と鳴った。
追い打ちをかける様に、メッセージが送信されてくる。
「早くしなよ、それ位出来るだろ。ちゃんと見てるんだからね、メルクリウス」
パソコンから視線を離せないメルクリウスの顔が強張り、手も呼吸も小刻みに震え始める。
アトラスの手が動いた。鼎の肩を抑え、空いた拳で鼎の頰を殴った。鼎は痛みに顔をしかめる。メルクリウスは驚きに目を見開いた。
「…アトラス…。」
「これで文句無いだろ。」
アトラスはただ機械的に口にした。
少しの間の後、ジェミニからメッセージが届いた。
「まあ、いいけどね」
ジェミニからの通信が切れた後、アトラスは近くにいたアポロの人間を呼んだ。
「おい。…こいつのこと手当てして、部屋まで連れてってくれるか。」
「はい。…こっちに来い。」
アポロの一人は気後れ気味に頷き、鼎を部屋から連れて行った。
二人だけになった部屋の中で、メルクリウスは項垂れ、か細い声を出した。
「…アトラス。…すまない。」
「その言葉じゃない方がいいんだけどな。」
アトラスに返され、メルクリウスは顔を上げた。瞳はわずかに震えていた。
「…ありがとう。…本当にありがとう、何から何まで…みんなに事務所を引き払う指示をしてくれたのも、この場所を見つけてくれたのも全部お前で…。いつか、礼は必ずする。」
「別にいい。オレが好き勝手に、お前に従ってんだ。」
アトラスはメルクリウスに苦笑してみせた。
ネット空間で大きな白い繭を見上げ、ジェミニはため息を吐いた。
「…ジョウガ姉様も何でオレ達の記憶から、研究所の位置情報ぶっ飛ばすかなあ。おかげで色々手間がかかって来たけど…。」
ジェミニは後頭部に両手をやると、楽しそうな笑みを見せた。
「真実の目、あれはすごいね。パソコンからでも見えるんだから。…そろそろまどろっこしい方法は、必要なくなるかな。」
アポロの事務所内、アポロの人間達が集まる部屋には、その時三人の人間がいた。
一人が不安げに話し始めた。
「メルクリウス、最近ずっと部屋に籠ってるな。大丈夫かな…。」
「そうか? 元からあんな感じだったろ。」
さらりと返したもう一人に、三人目が首を傾げる。
「心配にならないのか? お前。」
二人目は顔をわずかに歪め、苛立たしげに頭を掻いた。
「心配っていうか…イライラしてくんだよ。オレは立ち上げ当初からアポロにいるけど…。あの時メルクリウスとジェミニが言ってたアポロの思想…『弱者である能力者は、あらゆる手段を使って、敵に対抗して生きなきゃいけない』っていうのに惹かれて付いて来たんだ。でも実際やってることは、みんなで仲良く…。」
「それがダメだって言うのかよ!」
三人目が憤ったように声を上げた。最初に発言した一人目は、考えながら話した。
「オレはメルクリウスにここに連れてきてもらえて、みんなと出会えて仲良くできて、よかったと思うけどな。」
「…そうか。」
二人目はそれだけ返す。その話は終わりになり、話題は別のものへ移った。
「はあー…。」
事務所の廊下でアポロの人間が一人、つまらなそうに声を出した。集会部屋から出て来た、先程の二人目だった。
彼は周りに誰もいないことを確認すると、天井を見上げ、呟いた。
「もっと、いけ好かない普通の人間相手に、暴れられると思ったんだけどなー…。」
「ふーん。」
すぐ横から聞こえた声に彼が驚いて見るとエンタープライズ、ディスカバリー、エンデバーがいた。
「! お、お前ら最近入った…!」
ディスカバリーがにやにやと笑いながら彼を見上げる。
「結構不満持ってる感じだねー、アポロとかメルクリウスに。」
「あ、いや、その…。」
彼がしどろもどろになっていると、大柄なエンタープライズは威圧的に彼を見下ろした。
「隠さなくていい。」
彼が目を丸くすると、エンタープライズは口角を吊り上げた。
「…オレ達はお前の味方だ。」
彼が戸惑うと、エンデバーはいつも通り、不機嫌そうに口を開いた。
「…人が来る。詳しく話、聞くんでしょ。」
殴られた顔を手当てされ、鼎は再び鍵がかかる部屋にいた。
膝を抱え、鼎は先程中断された思考を再開する。
朔は…何にそんなショック受けちゃったんだろう…。いや、僕が思い切り突き飛ばしたからだよね…。
その次に鼎の脳裏を巡ったのは、五年前の記憶だった。
縁側で日光に当たっている老女に、声がかかった。
「…ばあちゃん。」
「…どうした、鼎。」
老女が顔を上げて見た先にいたのは、青い髪を高く結わえた、小学生程の少年だった。
少年…鼎は老女に向かい、言った。
「ばあちゃん…僕、どうすればいいんだろう…。」
老女…鼎の祖母は、黙って話を聞く姿勢を作る。鼎は目に涙をいっぱい溜め、話し出した。
「人の考えてることが、どうやっても見えるんだ。みんな思ってるんだ。僕のこと気持ち悪いって。」
鼎の手は、服の裾をぎゅっと握って震えている。祖母は話にじっと耳を傾ける。
「でも見えないようにみんなから離れてたら、付き合い悪いとか、一人ぼっちでおかしいとか言われて…。」
鼎の声が震えを増していく。
「お母さんは、人の考えてること言うなとか、もっとみんなと上手く付き合うようにしろって…。」
鼎の目から涙が溢れ出す。祖母は鼎の涙を拭うように、手を伸ばした。
「…鼎は気持ち悪くもないし、おかしくもない。」
「僕は気持ち悪いんだよ、おかしいんだよ! 周りがそう思ってることには変わりないんだ!」
鼎が祖母の手を払うように頭を振る。祖母は鼎の肩に手を置く。その手は鼎には力強く感じられた。
祖母は真っ直ぐに鼎に語りかけた。
「…確かに、鼎は普通の人とは違うものを持った。でも、鼎はばあちゃんの孫だ。真っ直ぐ一本気な、私の大切な孫だ。」
鼎は泣きながら、祖母の眼差しに応えるように見返した。祖母の手は鼎の頬をそっと挟む。二人はしっかりと見合った。
「鼎はこの先も、きっと辛いことがある。でも真っ当に生きてさえいれば、いつかきっと…。」
…あの後、ばあちゃんが言ったのは…。
かつて、祖母が優しい笑顔と共に続けた言葉を思い出し、鼎は眉間にしわを寄せた。
…そんなこと、ある訳ないのに。
不意に部屋の鍵が開き、ドアが開いた。鼎は先程と同様、ドアの方向から視線を逸らす。
「…さっきは悪かった。」
ドアを開けて入って来たアトラスは、最初に謝罪する。鼎は突っ返すように声を返した。
「…別に。」
「ああでもしないと、ジェミニは延々メルを責めてたからな。」
アトラスは鼎の近くに腰を下ろした。鼎はアトラスの方を見ず、黙っている。アトラスは構わず、話を続けた。
「それでもメルは、ジェミニのクソ野郎に逆らえない。逆らうのが怖いんだ。」
鼎はしばらく黙ったままだったが、やがてアトラスに背を向けたまま、問うた。
「…何か、脅されでもしてる訳?」
「半分以上そうだな。ジェミニは直接口に出してないけど、態度で圧力をかけてる。『言うことを聞かなきゃ、友達辞めさせてもらうぞ』って感じの圧力だ。」
「そんなの、友達なの?」
鼎の刺すような問いに、アトラスは返す。
「メルにとってはそれでも友達、それでも恩人、それでも心の拠り所だ。」
鼎はアトラスの返事に思うように黙ってから、口を開いた。
「…それで、あんたはどうしたいの。」
「ジェミニにそそのかされ続けてるメルを、何とか助けたい。」
背中に返された言葉に、鼎は棘のある声を向けた。
「…僕に頼んでるわけじゃないよね。」
「いや、頼んでる。お前の知恵を貸して欲しい。こんなこと言えるのは、オレから見てお前だけなんだ。」
アトラスの言葉に鼎はぎり、と歯噛みした。
「…散々敵扱いしといて、ボストークのみんなに酷いことしといてそれ? …ふざけ…!」
鼎はバッと振り返り、アトラスを睨む。
だが次には僅かに息を飲み、目を見開いた。
アトラスは鼎を見ていた。強張った顔で、真摯に見ていた。
…この人からは、何の悪意も見えない。この人はメルクリウスって人を助けたい。…本当にそれだけ。
…変なところが、朔に似てる。
鼎はどかりと座り直し、アトラスに向き合った。
「…何があったの。あんたとかメルクリウスって人に。話だけは聞いてやる。」
「…ありがとう。」
アトラスは苦笑してみせると、思い返すように一瞬黙ってから、口を開いた。
「…オレ達の始まりは…まだ赤い稲妻なんて降る前だった。」
To be continued