第十六話 強奪

 街の一角にある、雑居ビルの前。
「ここだよ。」
 エンデバーが言うと、連れてこられた恵は表情を緊張させた。
 エンタープライズ、ディスカバリー、エンデバーはビルに向かって歩き出す。恵が黙って立っているとエンデバーは振り返り、声をかけた。
「行こう?」
「…はい。」
 恵は強張った顔で頷くと、三人に続いてビルに入った。

 アポロの事務所、メルクリウスが常駐する部屋のドアがノックされた。
「…開いている。」
 メルクリウスが短く返すと、ドアが開けられた。エンタープライズ、ディスカバリー、エンデバーに続き、恵も恐る恐る部屋に入った。
「失礼します。」
「…お前達か。!」
 恵を見たメルクリウスは、一瞬驚きに目を見開いた。エンデバーが口を開く。
「彼の話を聞いてあげてください。」
 エンデバーの言葉にメルクリウスはわずかの間、考えるように黙ってから話を始めた。
「初めまして。オレはここでメルクリウスと呼ばれている。こいつはオレの補佐のアトラスだ。」
 聞き覚えのある名前に、恵が息を飲む。メルクリウスは冷静な様子で続けた。
「話がある、と言ったかな。」
「……ほら。」
 黙っている恵を見、エンデバーが声をかける。恵は恐る恐る顔を上げ、メルクリウスに話した。
「…僕の兄が、化け物達に騙されています。何とかあいつらからアユ…兄を助け出したいんです。」
「…そうか。その『化け物達』について、詳しく教えて欲しい。」
 少しの間の後、メルクリウスが恵に頼むと、恵は考えながら情報を話し始めた。
「…化け物達はいつも、カフェボストークという場所にいます。リーダー的存在はそこの店主で、ユーリィと名乗っています。」
「他には何か分かることは?」
「最初に兄を騙したのがヴェテロクという奴、他にチェルナ、ベルカ…ネットでしか見ないけどライカ…。最近入った人が二人…。」
 メルクリウスはまた思うように少し黙ってから、問うた。
「……彼らの能力は?」
「…店主の能力は『復元』。ヴェテロクという奴は『鉄壁』、チェルナの能力は『爆破』、ベルカの能力は『真実の目』…後、能力のない人間が一人います。」
「彼らの能力の詳細は解るか?」
「…『復元』は確か…。」

 メルクリウスは恵が知っている限りのボストークの情報を聞くと、小さく頷いてみせた。
「なるほど。…少し待ってくれ。」
 メルクリウスはパソコンに向かった。しばらくパソコンを操作してから恵の前に歩いて行き、USBメモリを一つ、差し出した。
「…これを使うといい。」
「…これは?」
 恵が疑問符を浮かべると、メルクリウスは説明した。
「どんな防壁も破れるプログラムだ。これをボストークチャットというものに繋いでいる時に、実行するだけでいい。」
 恵は黙って、メルクリウスの手にあるUSBメモリを見た。
「これを実行すれば、君とお兄さんはボストークから抜けられる。大丈夫、君達兄弟は『化け物達』とは無縁だ。」
 メルクリウスが落ち着いた声をかけると、続いてエンデバーも恵に話しかけた。
「よかったね、君。」
「…ありがとう、ございます。」
 恵は手を伸ばし、USBメモリを受け取る。しばらく俯き加減でじっとUSBメモリを見つめていた。
 メルクリウスは恵の様子を、冷たい眼差しで見つめていた。

 雑居ビルの前で、恵は頭を下げた。
「ありがとうございました。」
「いいよ。力になれてよかった。それじゃあ、私はこれで。」
 エンデバーは言い、恵に背を向けて雑居ビルに向かって歩き出した。エンタープライズ、ディスカバリーも続く。
 三人でビルの中に入る直前、ディスカバリーが振り返り、嗤いながら口を開いた。
「じゃあまたな。笄堂恵君。」
 三人はビルの中に入り、見えなくなった。
 恵の背中を一瞬、凍るように冷たい空気が吹き抜けていく。
「…また? …僕の名前…?」
 ほとんど暗くなった世界に、恵の小さな呟きは消えた。

 メルクリウスのパソコンに、ジェミニからの言葉が映し出されている。
『姉さんにアクセスするためにはあいつのパソコンがいるかと思ってたけど、これであいつのパソコン持ってくる必要はなくなった。おめでとう。労力削減だね』
 メルクリウスが黙って画面を見つめていると、新しい文が映し出される。
『でも…「真実の目」…あらゆるものの真実を見る能力、か…。何か便利そうだから、そいつ攫って来てよ』
 メルクリウスは短く返答の言葉を打ち込んだ。
『解った』
『上手くやってよね』
 すぐに返ってきたジェミニの発言を、メルクリウスはタバコをふかしながら、無表情で見ていた。

 夜闇の中のカフェボストーク。
 店の片付けを終えた悠里が一息つき、エプロンを外す。
「今日も何事もなく終わる…か。」
「最近はアポロの奴らとも衝突しないから、平和でいいことです。」
 最後まで残っていた鼎がくつろいだ様子で言うと、嵐が唸り声を出した。
「…んー…。」
「どうしたんだ? V。」
 同じく最後まで残っていた朔が問いかけると、嵐は口元に手を当てながら話した。
「…考えてたんだ。これからオレはどうすればいいんだろうって。」
「あ…。」
 朔が気後れ気味に声を出す。嵐は真剣な面持ちで続けた。
「オレはメルクリウスを助けたい。だからアポロを抜けてここまで来た。でも…メルクリウスを助けるための具体案が浮かんでこない。」
「具体案…。」
 朔は少し考え、燐を見た。
「…1Bはどう思う?」
「…燐は、ボストークのみんなと、アポロのみんなが、仲良くなって欲しい。」
 小さな声で話された燐の言葉に、朔は小さく笑んだ。
「仲良くか…そう出来たらいいな。」
「でもそれにはメルクリウスっていう人とか、ジェミニっていう人とかのことがある訳だろ。」
 鼎が水を差すと、一同はため息をついた。
「振り出しに戻った…。」
「…はは。…まあ、またしばらく考える。」
 嵐が苦笑した時、轟音を立て、カフェのドアが破壊された。
 皆が驚く間も無く、青年達が踏み込んできた。青年達は迷わず奥の部屋へ突き進んでいく。
 悠里はハッとして、急いで後を追った。
「お前ら!? ぐっ!?」
「う…!」
 青年達を見て声を上げた嵐と燐が、固められたように動きを止めた。
「静かにしてろ、裏切りモン。」
 以前に朔と鼎と対した、動きを封じる能力者が、嵐と燐に蔑みの眼差しを向けた。
「お前! があっ!」
 朔が別の能力者の電撃を食らって倒れる。鼎は思わず声を上げた。
「朔!!」
 朔を助け起こそうとした鼎の背後に、エンタープライズが迫っていた。
 
 悠里は奥の部屋を抜け、急いで階段を降りる。地下の部屋に青年達はいた。
「よーし、やっちゃうか。」
 青年達と共にいたディスカバリーが口を開くと、青年達は持っていた鉄パイプを振り上げる。
 …その先にあったのは、悠里のパソコンだった。
「!! 止めろ!! 止めてくれ!!」
 悠里の絶叫が虚しく響く中、悠里のパソコンに鉄パイプが振り下ろされた。

 カフェボストークがアポロに襲撃される少し前。
 笄堂家の自室で、恵はメルクリウスに貰ったUSBメモリをパソコンに繋いだ。中にあったのは一つのファイルのみだった。
 ファイルをUSBメモリからコピーしてデスクトップに置くと、恵はボストークチャットに入った。

「ウゴリョークが入室しました」

 恵が入るとすぐに、ライカが話しかけてきた。

「ライカ『こんばんは。ウゴリョークが一人で来るって珍しいね。どうしたの?」

 恵はライカには何も返さず、ファイルをダブルクリックする。「実行しますか?」と問いが表示され、恵は「実行」のボタンをクリックした。

「ライカ『どうしたの? ウゴリョーク』」

 その言葉以降、ライカから言葉が送信されて来なくなった。
 間も無く「ライカが退室しました」という、今まで見たことのない文が表示される。
「…これで、いいのかな…。いいんだよな…。」
 恵がぽつ、ぽつと呟いた時、部屋のドアが開いた。
「メグ!!」
 ドアを開けた歩の大声に恵が驚いていると、歩は慌てた様子で叫んだ。
「今、オレの能力で感じて…! ボストークに残ってるみんなが、連続してダメージ受けてるんだ!!」
「え…!?」
「ボストークのみんなが攻撃されてるんだ!!」
 恵は一瞬、凍りついたように何も言えなくなった。

 0と1が全てを構築する世界。
 そこにいたライカは、驚愕していた。
「え!? …何、これ…!!」
 ずっとライカを取り巻いていた、0と1が崩れていく。
「壁が…!!」
「やあ。」
 ライカは突然、声と共に腕を掴まれる。驚いて見上げると、目の前でライカと似た姿形の、黒羽の青年がにっこりと笑んでいた。
「久しぶりだね。…ライカ姉さん。」
 ライカが目を見開く。ライカの目の前にあったボストークチャットの画面が消え去った。

 歩と恵が走っていくと、慌てた声がかけられた。
「プシンカ! ウゴリョーク!」
「ヴェテロクさん、チェルナさん!!」
 歩から報せを聞いた、虎徹と瑠璃が走ってきていた。
「急ごう!」
 四人はカフェボストークに走る。間も無くたどり着くと、ドアが無くなっているのが見えた。
「お前らはここにいろ!」
 虎徹は歩と恵に言い、瑠璃と共にカフェの中に飛び込む。
 そして息を呑んだ。
 二人の前には、名も知らぬ青年達が立っていた。その足元にはボロボロにされた朔、悠里、燐、嵐が倒れており、鼎がエンタープライズに捕まっていた。
「うう…!!」
 床に倒れた悠里が、恨めしそうに青年達を見上げる。鼎はもがいて叫び声を上げている。
「くそ!! 離せえ!!」
「ベルカ!! この野郎、ベルカを離せ!!」
 虎徹がハッとして鼎に駆け寄ろうとすると、突然カップが数個飛び、虎徹の頭部を直撃した。
「うあ!」
「うるさい。」
 不機嫌そうな表情をしているエンデバーの周囲には、カップや包丁が浮いていた。
「ヴェテロク!!」
 瑠璃は泣きそうな声で叫び、頭部から血を流す虎徹に駆け寄った。
「こ…の!」
 ボロボロにされた朔は懸命に立ち上がると、飛びつくように、捕らわれた鼎にしがみついた。
「朔!?」
「…邪魔だ。」
 エンタープライズが迷惑そうに顔を歪ませ、拳を振り上げた。
 鼎の手が動く。朔の体を思い切り突き飛ばし、叫んだ。突き飛ばされ、壁にぶつかった朔は、唖然として鼎を見やった。
 建物の中にメルクリウスが入って来た。青年達に告げる。
「引き揚げるぞ。」
 青年達は一斉に、破壊した出入り口に足を向けた。鼎も引きずられてボストークから出された。
「メルクリウス!!」
 呼ばれ、メルクリウスが振り向くと、ボロボロになった嵐と燐がいた。メルクリウスは二人を睨むように一瞥すると、建物を出た。
 建物のすぐ前に震える歩と、呆然とする恵がいた。メルクリウスは恵の姿を認めると、声をかけた。
「ああ、そこの君。」
 恵がびくりと体を引きつらせ、メルクリウスを見る。メルクリウスは嫌なものを見るように眉間にしわを寄せながら、冷徹に恵に言い放った。
「密告ありがとう。約束通り、これでお前達の居場所はここにはない。」
 皆が驚愕の表情で恵を見ている間に、アポロから来た人間達は去って行った。

 悠里のパソコンが破壊され、鼎がいなくなり、めちゃくちゃにされたカフェボストークの中で、皆は重く黙っていた。長いこと、皆は黙ってうなだれていた。
 不意に恵が動き、歩の手を引いた。
「…帰ろう、アユ。もう二人で静かに…。」
「どうしてだよ!!」
 恵の手を払い、歩は叫んだ。
「どうしてだよメグ! どうしてこんなこと!!」
 恵の瞳にカッと熱い光が宿る。恵は思い切り歩に叫び返した。
「そっちこそどうしてだよ!! もう解るだろ!? 僕達の居場所はここじゃないって!!」
 恵の剣幕に歩は息を飲む。恵は朔達に向き直り、まくし立てた。
「あんた達のせいだ!! あんた達さえ関わって来なきゃ、アユも僕も静かに暮らしていられたのに!! 僕がアユをずっと守って来たのに、あんた達が全部台無しにしたんだ!!」
「…メグがオレを守ってくれてたのは、すごく感謝してるよ。でもオレはここに来て元気になれた。もう大丈夫だよ。メグはオレのことばかり考えなくていいんだ。」
 歩が懸命に話すと、恵はヒステリックに叫んだ。
「何でそんなこと言うんだよ!! 僕はアユを守るために、ずっとずっと…! アユだってもうこんな連中と関わりたくないはずだ!!」
「…ウゴリョーク。前にヴェテロクが言ってたよね。ここのみんなと関わるか関わらないか、それはプシンカ自身が決めることだって。プシンカは自分でここにいるって決めたんだよ。」
 瑠璃がおろおろとした様子で聞かせると、恵は頭を振って更に声を荒げた。
「うるさい、うるさい!! あんた達見てるとムカつくんだ!! 能力者のくせに!! おかしい化け物のくせに!! みんなで集まってさも幸せそうに笑ってやがって!!」
「メグ!! ひどいよそれは!!」
 歩が思わず叫ぶと、今度は恵は歩を睨んだ。
「アユだってそうだ!! 僕が一生懸命アユのために頑張ってたのに、それをまるきり無視してこんな奴らとつるんでやがって!!」
「つまりだ。」
 虎徹が口を開く。恐ろしいほど冷めた声だった。
「プシンカがここで本当に楽しくしてる、嫌々やってるわけじゃないってことは、ちゃんと解ってるわけだな。」
 恵が目を見開いた。虎徹は刺すような声で続ける。
「で、取り残された格好のお前は、プシンカを元の独りぼっちに戻そうと、この事態を招いたわけだ。」
「ヴェテロク。」
 悠里が虎徹に声をかけるが、虎徹は恵をぎっと睨んだ。
「…ふざけんな!! お前はただ、独りじゃなくなった兄貴に嫉妬しただけじゃねえか! お前の方が、兄貴無しじゃどうにもならねえんじゃねえか!!」
「ヴェテロク!!」
 声を荒げた悠里に皆は一瞬、体を強張らせる。虎徹は肩を落とし、謝った。
「…すみません、ユーリィさん。」
「…1B、V。」
 悠里が燐と嵐に声をかける。二人は顔を上げ、返事をした。
「はい。」
「あいつらは、アポロの彼らで間違いはないな?」
「はい。」
 問いに二人が頷くと、悠里は二人を真っ直ぐに見て願った。
「彼らの拠点に連れて行って欲しい。ベルカを助けなければいけない。それに…。」
 そこまで言い、悠里は言葉を飲み込んだ。嵐と燐は強く頷いた。
「解りました。」
「燐、解った。アポロへ行く。」
「…今日は一旦、みんな帰った方がいい。明日の朝一番で行こう。」
 悠里が皆を見回しながら言うと、俯いて黙っている恵以外の皆が返事をした。
 瑠璃がもう一人、返事をしていない朔に気づいた。朔はぼんやりとした瞳で、虚空を見つめて座り込んでいた。
「ストレルカ。…ストレルカ、大丈夫…?」
「! …は、はいっ。」
 瑠璃に心配そうな声をかけられ、朔はハッとして皆を見上げた。

 翌朝。
 街中にある雑居ビルの一室で、嵐は震える声を出した。
「何でだよ…もぬけの殻って…。」
 その部屋は、アポロの事務所があった部屋だった。だがそこは、人も物も何も無くなっていた。
 悠里が問う。
「本当にここなのか?」
「ここ、だよ…?」
 部屋の中を見る燐の表情は強張っていた。頭に包帯を巻いた虎徹が部屋に入って来た。
「ここの管理者が言ってた。突然移転するとか言って、みんな出てったらしい。どこ行ったかは…解らないって…。」
「そうか…。」
 皆は重く肩を落とした。瑠璃が泣きそうな表情で呟いた。
「…これから…どうすればいいの…? ライカさんにも繋がらなくなっちゃったし…。」
 皆は黙った。重い沈黙が長く続いた。
 やがて朔が顔を上げ、口を開いた。
「…でもオレは、何とかアポロの手がかりを探して、鼎を助けに行きたいです。」
 朔の真摯な言葉に、皆ゆっくりと顔を上げ、頷いた。
「…そうだな。ただ立ってても始まらない。」
「この辺りの人に話を聞いてみよう。」
 皆は空っぽの部屋から出、外に向かって歩き出した。
 皆の後ろを歩きながら、朔は自身の胸に触れた。鼎に思い切り突き飛ばされた感覚が蘇る。
「…鼎…。」
 鼎の名を呟いた朔の声は先程とは違い、か細く響いて消えた。

 To be continued
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