第十四話 変わらない場所、変わっていく場所

「…メルクリウスさんっていい人なのかな。」
「は?」
 朔が歩きながら発した言葉に、鼎が意味不明という意思を乗せた声を出すと、朔は考えながら話した。
「いや、1BとVがアパート引き払う時…手続きは全部メルクリウスさんの方でやってて、あとは出て行くだけって感じだったから。」
「…いつの間にか、向こうで全部勝手にやってたのに?」
 鼎が棘のある声で朔の言葉に返すと、一緒に歩いていた嵐は言った。
「…あのアパートは元々、メルクリウスが探してくれたモンだ。そっちはそっちで勝手にやれ。そう言ってくれたんだろ。…今はそう思うしかない。」
 嵐の側を歩く燐は黙っている。
 嵐と燐は住んでいたアパートを引き払い、荷物を持ってカフェボストークに向かって歩いている。引っ越しを手伝った朔と鼎は、嵐と燐が持ちきれなかったわずかな荷物を持っている。
 鼎が問うた。
「荷物、本当にこれだけでよかったの?」
「…燐は、あんまり物持ってない。」
 燐が小さな声で返すと、嵐も頷く。
「オレもだ。色々持って行ってもユーリィさんが迷惑だろうし、持っていく気もない。施設からアポロに行った時だって、身一つで行った。」
「そう。ならいいんだけど。」
「あ。片桐、日向。」
 不意に前方から声がした。皆が顔を上げると、結緒が歩いてくるところだった。朔が挨拶をする。
「こんちは、中畑。」
「どうしたんだ? 休みの日に荷物持って。どっか遠出するのか?」
 荷物を持った朔と鼎に、結緒は疑問符を浮かべている。鼎が少し呆れ気味に返した。
「ただの引っ越しの手伝いだよ。」
「引っ越し? …あ、燐ちゃんと連れの人!」
 燐と嵐に気づいた結緒は、明るい声を上げた。燐は気後れ気味に声を出した。
「あ。…。」
「…燐、挨拶は?」
 嵐に促され、燐は一生懸命に声を出した。
「…こんにちは。…結緒ちゃん。」
「え、ゆ、結緒ちゃん?」
 燐に呼ばれ、結緒が思わず目を丸くすると、鼎はまた呆れた様子を見せた。
「中畑がちゃん付けで呼ぶからだろ。」
「…そっか、結緒ちゃんかー。こんにちは燐ちゃん、元気?」
 結緒が嬉しそうに笑いながら挨拶すると、燐はこくりと頷いた。
「うん。」
「こんにちは。えっと…中畑さん?」
 同じく挨拶をした嵐に、結緒は笑顔を向けた。
「さんいらないよ。呼び捨てでいいって。えっと…。」
「東嵐。」
「嵐さんかー。よろしく。」
「…よろしく、中畑。」
 嵐と自己紹介をし合った結緒は、また足を踏み出した。
「じゃ、オレ用事あるから。またな、片桐、日向。」
「またな、中畑。」
 朔が結緒に手を振ると、燐も小さく手を振った。
「…ばいばい、結緒ちゃん。」
「バイバイ、燐ちゃん!」
 結緒も笑顔で手を振り返し、歩いていった。
 結緒の背中が遠くなっていくのを見送りながら、嵐が発言した。
「…あの人、周りからバカだと思われてたりするだろ。」
「否定はしない。」
 さらりと返した鼎に、朔は苦笑した。
「鼎…。…悪い奴じゃないと、オレは思ってる。」
「だから、バカだと思われてるんだろうと思った。」
 どこか穏やかな声で言った嵐の頭を、燐が軽く小突いた。
「嵐。」
「悪かった、燐。」
 燐に苦笑する嵐を見て、朔と鼎は笑みをこぼした。

 荷物を持った四人は、カフェボストークのドアを開けた。
「ただいま戻りました。」
「おかえり。荷物は全部、持って来られたのか?」
 カップを拭いていた悠里が顔を上げて問うと、嵐は頷いた。
「はい。」
 悠里はカウンターから出ると、嵐と燐の前に立ち、穏やかな声で挨拶した。
「…それでは、改めてよろしく。V、1B。」
「よろしくお願いします。」
 嵐が悠里に頭を下げると、燐も倣って頭を下げた。
 周りで見ていた虎徹、瑠璃、歩と恵はどこか警戒した様子で二人を見ている。彼らを前に、燐は強張った顔をしていた。
 そんな様子を見た朔は、虎徹達に向かって頭を下げた。
「…よろしくお願いしますっ。」
「よろしく。」
 鼎も朔と共に、皆に頭を下げた。朔と鼎の行動を、一同はわずかな驚きを持って見た。
 不意に瑠璃が黙って立ち上がり、嵐と燐の方へ寄った。
「! チェルナ。」
 虎徹が戸惑う中、瑠璃は表情の固い燐のそばへ行き、そっと声をかけた。
「…よろしくね。」
 燐がわずかに目を見開く。瑠璃は優しく笑んでいた。
「燐。」
「…よろしく、おねがいします。」
 嵐に促されて、燐は瑠璃に頭を下げた。表情はいくらか和らいでいた。
 悠里が改めて話し出す。
「一応、君達はオレの監視下に置くということになっているから、基本的に行動範囲はこの建物の中、外に出る時はこの中の誰かに付いてもらってくれ。部屋は自由に使っていい。」
「はい。」
 嵐と燐が頷くと、悠里は皆を見回した。
「じゃあ、後は皆好きに過ごしてくれ。」
 皆は肩の力を抜くと、店内で思い思いに行動し始めた。

 虎徹は帰る道すがら、共に歩く瑠璃に話し始めた。
「…正直驚いた。」
「何に? ヴェテロク。」
 瑠璃が首を傾げると、虎徹は深い声で答えた。
「お前が自分からあいつ…1Bに挨拶したことに。」
「何で?」
 瑠璃がまた疑問符を浮かべる。虎徹はわずか口籠もる様子を見せてから答えた。
「いや…お前、前はオレ以外とろくに話もしなかっただろ。」
「…そうだね。」
 瑠璃は小さく笑む。虎徹は続けた。
「そんなお前が、自分から1Bに歩み寄った。マジでびっくりしたんだよ。」
 虎徹の言葉を受け、瑠璃は思うように話をする。
「1B…あの子今、本当に怯えてるよ。異常に周りを警戒してるし…敵意が無いと解ると、すっかり心を許すみたい。…つい最近までの私も…そうだったよね。」
「…そうだな。」
 虎徹の言葉が響くと、瑠璃は笑顔を見せた。
「それに、ストレルカとベルカが一生懸命だから。応えたいと思ったの。」
 黙った虎徹を見て、瑠璃は気遣うように声をかける。
「…ヴェテロクはあの子達のこと、歓迎出来ないかもしれないけど…。」
「…まあな。すぐには信じられない。」
「信じるまでしなくても、今は向き合ってあげようよ。」
 瑠璃の言葉を聞いた虎徹は、大いに驚いた表情をした。
「ヴェテロク?」
「…お前に説教喰らう日が来るとは、思わなかった…。」
 ばつが悪そうに頭を掻く虎徹に、瑠璃は笑った。

 翌日。
 カフェボストークのカウンター席で、燐はコーヒーを淹れる悠里の手元をじっと見ていた。集中して見ている様子の燐に、瑠璃がそっと声をかける。
「…珍しいの?」
 燐がハッとして瑠璃を見る。瑠璃は優しく笑んで見せた。
「…ユーリィさんの手元、じっと見てるから。コーヒー淹れるところが珍しいのかなって。」
「…面白い。黒い豆をぐるぐるして、お湯、入れて…そしたら美味しいコーヒーになる。…面白い。」
 こくりと頷き、答えた燐に悠里は穏やかに笑んだ。淹れたコーヒーにミルクを注ぎ、燐に差し出す。
「…ありがとう。」
「…ありが、とう。」
 悠里からの礼の言葉に、同じ言葉でぎこちなく返すと、燐はカフェオレに口をつけた。
 燐の隣に座る嵐は小さく笑う。
「オレ達、インスタントコーヒーしか見たことないから。燐には面白いんだと思います。」
「そうなんだ。」
 瑠璃が頷くと、カフェのドアが開いた。
「ただいま帰りました。」
「買い物してきましたよ。」
 悠里に買い物を頼まれていた朔、鼎、虎徹が帰ってきた。虎徹が荷物を出す。
「頼まれたもの、ありました。」
「そうか。1B、V。」
 不意に呼ばれ、燐と嵐は疑問符を浮かべた。

「…エプロン?」
「これは?」
 悠里に渡された物を見て、燐と嵐が不思議そうにすると、悠里は話し出した。
「良かったらでいいんだが…店を少し手伝ってもらえたらと思ったんだ。オレ一人では、何かと不便なこともあってな。」
「手伝い、ですか…。」
 嵐が戸惑いがちに返すと、悠里は苦笑した。
「ただここにいるだけは退屈だろうと、勝手に思ってしまったんだが…どうだろうか。」
「はい、手伝います。」
 はっきりと嵐は返事をした。燐は手の中にあるエプロンを見ながら、弱い声を出した。
「……燐、手伝える、かな…。」
「最初の内は、何か簡単な仕事をやってもらおうか。」
 悠里が燐の様子を見ながら話すと、またドアが開いた。
「こんにちはー!」
「…こんにちは。」
 入ってきたのは歩と恵だった。
「こんにちはプシンカ、ウゴリョーク。」
 皆は挨拶を返す。恵は奥のボックス席へ行き、勉強道具を広げた。歩は荷物の中から何かを引っ張り出した。
「ジャーン!」
「…何それ。」
「オセロ! 百円ショップで売ってたんです! 皆でやろうと思って!」
 歩が出したのは、小さなオセロの盤だった。
「オセロか、何か久々に見た。」
 皆が寄り集まり、オセロ盤を見る。少し離れて見ていた嵐と燐に、歩が声をかけた。
「Vさんと1Bさんもやりましょう!」
「え。」
 声をかけられた二人は、思わず目を点にした。

「う…。」
 燐の目の前には、ほとんど白くなったオセロ盤がある。横で見ていた朔と鼎は苦笑いしている。
「1B、これはもういくら考えても…。」
「負けだね。」
 燐の対戦相手の歩が、最後のマスに白い面を上にして石を置くと、白い部分の面積がさらに増えた。
「はい、オレの勝ちですっ。」
「う、ぅ…。」
 オセロ盤を見る燐の顔が青ざめている。
「? 1B?」
 燐の表情に気づいた朔と鼎が心配そうに見る。歩は笑いながら燐に言った。
「オレ、家でメグとやるといつも負けるんですよー。オセロ盤真っ黒になっちゃって。」
 燐が恐る恐る顔を上げると、歩は頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「…それ、だけ?」
「え?」
 震える燐の声に歩が疑問符を浮かべると、燐は掠れた声でぽつぽつと話した。
「馬鹿だと思ったり、とか…負けたから、何かしろ、とか…。」
「そんなこと言いませんよ! 相手してくれて嬉しかったです!」
 歩が笑顔で返すと、燐は恐る恐る問うた。
「…ほんと、に?」
「ほんとに!」
 歩が強く頷く。燐はわずかに表情を緩め、小さく一礼した。
「…ありがとう、ございました。」
「はいっ。」
 燐の一連の様子を、虎徹はじっと見ていた。
 歩が嵐に声をかける。
「次Vさん! やりませんか?」
「…じゃあ、やるかな。」
 嵐は苦笑しつつ、燐のいた席に腰を下ろし、小さなオセロ盤に向き合った。

 その日、最後まで残っていたのは虎徹だった。
 日も暮れかけた頃、悠里は店じまいの準備を始めた。
「そろそろ店を閉め…あ。…掃除用の洗剤が切れている…。」
 悠里が呟いた言葉に反応し、虎徹は立ち上がった。
「オレ、買ってきましょうか。」
「すまないな、また頼んでしまう。」
「いいですよ。」
 悠里は少し考え、虎徹に声をかけた。
「では、Vと1Bを連れて行ってくれるか。」
 虎徹がひゅ、と息を飲む。燐と嵐がわずかに緊張する。それを気にしないように、悠里は続けた。
「この辺りの店を案内してくれ。」
「…解りました。」
 虎徹が歩き出すと、嵐と燐もそれに続いた。

「ありがとうございました。」
 店員の声を背に、三人は店を出た。
 店の看板を見ながら、虎徹は説明する。
「…この店ではユーリィさんが普段、日用品とか買ってる。」
「そうなんですか。」
「…覚えた。」
 嵐と燐が頷くと、虎徹はまた歩き出した。
「じゃあ、行くぞ。」
 三人は暗くなりかけている道を急いだ。
 道中、少し遅れて歩いていた燐に、人が乱暴にぶつかって来た。
「…あ。」
「いってえなあ! どこ見て歩いてんだ!!」
 燐にぶつかって来た男は、すぐさま怒鳴り声を上げた。怒鳴り声を聞いた燐は、身を竦ませる。
「あ…。」
「てめえ、人にぶつかっといて謝罪の言葉も無しかよ!」
 男は乱暴に燐の肩を掴む。燐は震える声を出すことしか出来ずにいた。
「あ、う…。」
「そいつ、どっかおかしいんじゃねえの? さっきからあーうーしか言わねえし。」
 ぶつかった男の連れと思われる別の男が、歪んだ顔で嗤った。
「あー、そうかもな。ったく、胸糞悪いったら…ぐえっ!」
 不意に男二人は首根っこを掴まれた。男達が驚いていると、首根っこを掴んだ虎徹は、思い切り怒声を上げた。
「人に気安くおかしいとか言ってんじゃねえ!!」
 虎徹の言葉を聞いた燐は、わずかに目を見開いた。
「何だ邪魔すんな!」
 男が拳を握り、虎徹に殴りかかろうとする。それを見た燐の眼差しがきつくなった。
 虎徹が男達に対して身構えた時、炎が虎徹を守るように割って入った。
「うわああっ!! な、何だあ!?」
「に、逃げろ!!」
 突然火の粉を浴び、パニックになった男達は逃げて行った。
 虎徹も驚いた顔で振り返り、燐を見る。
「お前…。」
「…大丈、夫…?」
 震える声で虎徹に問うた燐の肩を、嵐が支えるように掴んだ。
「それはお前の方だろ。大丈夫か、燐。」
「…燐、は、大丈夫…。」
 たどたどしく燐は返し、小さく頷いた。
「…早く帰るぞ。もう暗い。」
 虎徹は燐と嵐に声をかけると、歩き出した。

 三人がボストークに着いた時には、周囲は真っ暗だった。
 虎徹がドアを開けると、悠里はホッとした表情を見せ、出迎えた。
「…お帰り、遅かったな。」
「すみません。買ってきました、これ。」
 虎徹が荷物を差し出す。悠里は受け取ると、虎徹達三人を見た。
「ありがとう、ヴェテロク。Vと1Bも。」
「はい。」
「…はい。」
 か細い声で返事をした燐の顔は、わずかに青ざめている。それを見た悠里は、燐に穏やかな声をかけた。
「…今日は疲れただろう。1B、休むといい。」
「…はい。」
 燐は頷き、奥に続くドアを開ける。奥に入る直前、燐は虎徹に向き直り、一礼した。
「…ありがとう、ヴェテロク。」
「え、あ、ああ。」
「おやすみ、なさい。」
 虎徹がぎこちなく返すと、燐はお休みの挨拶を言い、奥に入って行った。見送りながら、嵐が口を開いた。
「……ちゃんと礼言えた。頑張ったって、解ってやってください。」
 虎徹が嵐を見ると、嵐は燐の入って行ったドアを見ながら話した。
「ヴェテロクさん、燐をおかしい呼ばわりした奴のこと、怒ったでしょう。自分の意思を上手く伝えられない燐にとっては、嬉しかったと思います。」
「…あいつは何かにつけ、いじめられたりしたのか?」
 虎徹の静かな問いを受け、嵐は少しの間を置いて話をした。
「…燐は能力のせいで家族に虐待されて、挙げ句の果てに児童養護施設に入れられたらしいです。」
 虎徹は黙って嵐の話を聞く。嵐は話を続けた。
「オレは燐より後に施設に入ったけど…施設でも同じ子供や職員達からのひどい暴力に遭ってて、重度の対人恐怖症になってた。今でこそ、だいぶマシになってきましたけど。…オレの反能力で、常に能力を抑えてやらないといけないくらい、不安定だった。」
「…お前は、あいつを守ってきたんだな。」
 虎徹が穏やかな声で呟いた言葉に、嵐はハッとして虎徹を見た。
 ずっと黙っていた悠里が、虎徹に声をかけた。
「ヴェテロクも今日はお疲れ様。帰ってゆっくり休んでくれ。」
「…はい。じゃあな、V。」
「お疲れ様でした。」
 虎徹は悠里と嵐に見送られ、カフェを出た。

 嵐は与えられた部屋に入った。部屋にある小さなライトを点けると、燐が先に布団で眠っているのが見えた。
「今日は、流石に疲れたな…。」
 嵐は深く息を吐く。
 そして、自分の荷物を漁った。取り出したのは、エレキギターと小さなアンプだった。慣れた手つきで電源に繋ぎ、音が出ないようアンプにヘッドホンを繋いで、弾き始めた。
 嵐がしばらく弾いていると、服の裾が引かれた。嵐が見ると、燐が見上げていた。
「ん? 起きたのか。」
「…燐も聞きたい。」
「そうか。」
 嵐はヘッドホンをもう一つ繋いで燐に渡すと、また弾き始めた。
 不意に、部屋にノックの音が響いた。
「! はい。」
 嵐は慌てて手を止めて、返事をする。ドアが開けられ、悠里が顔を見せた。
「休んでいるところ済まない。1B、V。」
「すみません、うるさかったですか?」
 嵐が気遣うように問うと、悠里は首を横に振った。
「いいや、エプロンを洗濯しようと思ったんだ。…君はエレキギターをやるのか。」
「あ、はい…。」
 嵐がぎこちなく頷くと、悠里は小さく笑み、床に腰を下ろした。
「…良かったら、聞かせてくれないか。」
「…はい。」
 嵐はアンプからヘッドホンを抜いて、エレキギターの弦にまた指をかけた。アンプから音が響く。どこか哀愁を帯びて響く音を、燐は落ち着いた様子で聞いていた。
 嵐が演奏を終える。悠里は小さくため息を吐いた。
「…いい音だな。…良かったら明日、カフェでみんなにも聞かせてやってくれないか。」
「え…。」
 悠里の言葉に、嵐が目を丸くする。悠里は残念そうに問う。
「…良くなかったか?」
「…そんなこと言われたの、メルクリウス以来だったもんで。」
 嵐は嬉しそうに笑んだ。悠里もホッとした表情を見せる。
「そうか。」
「弾いていいんだったら、弾きますよ。」
「ありがとう。…それでは、おやすみ。」
「おやすみなさい。」
 嵐と燐のエプロンを持ち、悠里は部屋を出て行った。
 嵐は天井を見上げた。横からは燐の安らかな寝息が聞こえてくる。嵐は小さな、穏やかな声で呟いた。
「…思った通りだ。アポロとあまり変わらないな、ここは…。」

 翌日の午後。
「…では、行きます。」
 皆が見守る中、嵐がエレキギターを弾き始めた。嵐の演奏に、皆はじっと聞き入る。
 やがて、演奏を終えた嵐は一礼した。
「…お粗末様でした。」
 聞いていた皆から拍手が起こった。虎徹、歩、瑠璃が口々に感想を述べる。
「すごいな、V。なかなかのもんじゃないのか。」
「すごいですー!」
「かっこいいけど、どこか優しい感じがする演奏だったね。」
 歩は目を輝かせ、嵐に問うた。
「もっと聞きたい! 他にはどんな曲弾けるんですか!?」
「えっ。…そうだな…。」
 別の楽譜を探す嵐の横で、燐は穏やかな表情でいる。
 嵐と燐と、二人を囲むメンバー達を見、朔と鼎は顔を見合わせて笑い合った。

 アポロの事務所。
 メルクリウスは目の前にいる三人に話を始めた。
「ジェミニから話は聞いている。これから協力をよろしく頼む。…エンタープライズ。」
「はいはい。」
 コードネームを呼ばれ、大柄の青年が適当に答える。
「…ディスカバリー。」
「はーい。」
 間延びした声で、小さな体躯の少年が答えた。
「…エンデバー。」
「…はい。」
 緑色の長髪を持った少女が、小さく返事をした。
「お前達は…。」
 話そうとしたメルクリウスを遮り、ディスカバリーが笑った。
「ボストークの奴らを探せばいいんでしょ? 解ってますって。」
「草の根分けても、探してやりますよ。」
 エンタープライズも口角を釣り上げた。
 エンデバーはむくれたように、眉間に僅かしわを寄せて黙っている。
「…そうか。では、早速街に出てくれ。」
 言いながらメルクリウスは、自身が持っていたタバコに火を点ける。三人はメルクリウスの部屋を出て行った。
 タバコを咥えたメルクリウスが椅子に座ると、すぐにパソコンに文章が現れた。
『オレが用意してあげた三人、上手く使って、早く姉さんに会わせてよ』
 メルクリウスは短く文章を打った。
『解った。ジェミニ』
『解ったって言い続けて、結構経つけどね。君は友達だから許せるけどさ』
 メルクリウスはジェミニの言葉に目を通すと、疲れたように背もたれに体を預け、紫煙を吐いた。
 横に控えていたアトラスが問う。
「煙、止めたんじゃなかったのか。」
「…止める理由が無いんだ。構わないだろう。」
 メルクリウスの返しに、アトラスはわずか考え、口にした。
「…お前が煙止めてたのは、Vと1Bの為だったな。」
 メルクリウスが黙っていると、ジェミニからまた文章が送られてきた。
『タバコ吸うのは結構だけど、エンデバーが健康害するようなことにはしないでよね』
 それを目にしたアトラスは、部屋の出入り口に足を向けた。
「…ちょっと外に出てくる。」

 メルクリウスの部屋から少し離れた場所で、アトラスは思い切り壁を蹴った。
「…あのクソ野郎が!!」
 アトラスの表情は辛く、歪んでいる。蹴った壁に頭を預け、アトラスは絞り出すように呟いた。
「…V、1B…。オレだけで、メルを救ってやれってのか…。」

 To be continued
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