カロスの棚
お客様のお名前。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ヒロインがナンパされるお話。
ーーーーーーーー
正午のミアレシティ。
ベール大通りを吹き抜ける風は、街路樹の葉を揺らし、キッチンカー「ヌーヴォカフェ」から漂う香ばしい珈琲の香りを周囲に広げている。
店の前には数席の木製の簡易テーブルと、クッションを敷いた長めの木箱が並び、テイクアウトした客たちが思い思いの時間を過ごしていた。
その中で、リリィは木箱の椅子に腰を下ろし、慣れた手つきでスマホロトムの画面をなぞっている。
視線の先には、注文を捌くためにキッチンカーの中で忙しなく動く恋人、グリの姿。
「はいよ、お待たせ。もえつきロースト、いつものやつな」
コンッと音を立てて、目の前のテーブルにヌーヴォカフェのロゴが印字された紙コップが置かれる。
顔を上げると、そこには制服姿で片手を腰に当て、ぶっきらぼうにこちらを睨むグリーズが立っていた。
「ありがとう、グリーズ。…ふふ、やっぱりここの香りは格別ね」
「そうか? 立地が売りの不味いコーヒーなのに。……っていうか、休みの日までわざわざ見せつけに来んなよ。暑苦しい」
グリーズは鼻を鳴らし、乱暴に髪をかき上げる。
そんな彼女の毒舌を、リリィは余裕の笑みで受け流した。
「あら、私はただ珈琲を楽しみに来ているだけよ。それより、早く仕事に戻りなさいな。お客様、来てるわよ?」
クレアが目線で、注文を待つ人たちの列を指す。
「へーへー、言われなくても戻るよ。……んじゃ、ごゆっくり」
ひらりと手を振り、オーダーを取りに戻るグリーズの背中を見送り、クレアは紙コップを口に運んだ。
深く、力強いローストの香り。
熱い液体が喉を通る感覚に目を細めた――その時だった。
隣の木箱が、僅かに軋む音と共に揺れたのを感じた。
「よお、お姉さん。今一人? めっちゃ美人じゃ〜ん!ね、モデルか何か?」
反射的に顔を向ければ、そこには絵に描いたようなチャラい金髪の男が、馴れ馴れしく肩を並べて座り込んでいた。安っぽい香水の匂いが、せっかくの珈琲の香りを邪魔して鼻につく。
(……最悪。よりによってこのタイミング?)
内心で舌打ちをしながらも、クレアは普段の仕事でも使う完璧な「営業スマイル」を顔に貼り付け、冷淡に受け流す。
「残念。私、モデルじゃなくってよ」
「えー! そうなのっ!? こんな美人なのにもったいなーい!てかお姉さん一人? 一人だよねぇ? え? てかもしかして独身〜?」
(ねぇねぇうっざぁ。てか距離近いのよ…香水臭いし)
口には出さないものの毒舌を吐き、ツンとする香水に思わず眉を顰めた。
だが、じわじわと男に距離を詰められていき、リリィは身を横にずらして空間を作ろうとするが、男はそんな空気を読めないのか逃がさない。
「ごめんなさい。私、彼氏がいますから」
堪らず、これ以上来ないでと、手を男の前に出し制止を図る。
「えー! 本当にぃ!? でも今ここに居ないじゃ〜ん! ならさぁ、そんな居ない彼氏よりも俺と遊ぼうよ。あっちにもっと良い店あるんだわ〜」
「へぇ〜、そうなの〜」
男は拒絶を全く気にする様子もなく、更に距離を詰めてくる。それをリリィはひどく棒読みで返し、急ぎ助け舟を求めて視線を走らせた。
けれど、運悪くグリーズは数人の客に囲まれて接客中。
グリもまた、注文の珈琲を淹れるため背中を向けてドリップに集中していた。
(あぁ……二人共ダメね。タイミング悪すぎ……)
仕方なく、隙を見て立ち去ろうと画策する。
しかし、その手が予想以上に早く、強引に伸びてきた。
「よし、それじゃあ行こうか子猫ちゃん」
「へ? ……ゃ、あっちょっ……どこに!?」
「えぇ? どこってそのお店だよ〜。ほらほら早くぅ」
急に手首を掴まれ、無理やり立ち上がらされる。
抵抗しようとしたが、生憎と今日はパートナーポケモンは家でお留守番中。
男と女。力の差は歴然で、男の指がクレアの細い手首を容赦なく締め上げた。
「嫌っ、ちょっと、離して……っ!」
「いいから来いって――」
「痛っ……!」
小さく、けれど鋭い悲鳴がリリィの唇から漏れる。
その瞬間。
ーーバチィンッ!!
乾いた衝撃音が鳴り響く。
「ギャアアアッ!?」
次に。
情けない悲鳴を上げたのは、ナンパ男の方だった。
男は二、三歩よろめきながら後退し、焼跡のように赤く腫れ上がった自分の腕を痛そうに押さえている。
リリィが視線を落とすと、自分の手首のすぐ側で、先端に赤い炎を揺らめかせた立派な尻尾が、ゆらりと動いていた。
その尻尾の主を追って顔を上げれば、そこには鋭い眼光で男を睨みつけ、フンッと熱い鼻息を鳴らすリザードンの姿。
「……リザードン。助けてくれたの?」
「アギャアッ!」
そうだと言わんばかりに鼻息を鳴らすリザードン。
その巨体の背後から、静かな、けれど底知れぬ怒りを孕んだ影が現れる。
「よくやりました、リザードン」
「もぉ〜……遅いわよ、馬鹿」
「申し訳ありません、リリィ。……怪我はありませんか」
キッチンカーから飛び出してきたグリは、急ぎリリィの元へ歩み寄ると、赤くなった手首に壊れ物を扱うような手つきでそっと触れた。
「これは、すぐに冷やさなければいけませんね。……ところで」
グリの視線が、痛みに腕を抱き抱える男へと向かう。
「て、てめぇ! 何なんだよこのトカゲ! 危ねぇだろ!」
「失礼な方ですね、うちのリザードンに。……お客さまとはいえ、他の方に迷惑をかける不届き者には、お引き取り願いますよ」
口調こそ接客スタイルを崩さないが、放たれるプレッシャーは尋常ではない。
「……それと。彼女の言っていた彼氏は、おれです」
グリはリリィを庇うようにして前に立ち、スッパリと言い切った。
「はぁ!? 冗談だろ、お前みたいな奴っ!」
指を差してくる男に対し、グリは冷ややかな営業スマイルを浮かべたまま、手を他所へと向けた。それに伴い、鼻息を荒げて威嚇するリザードン。
「本当ですよ。さ、早くお引き取り願えませんか?」
「っ! ……ぐ……お、俺は悪くないからな……! そ、そそ、そうだ! その女が誘惑してきたんだ! だだだっ、だから! おっ……俺は悪くない!」
見苦しい悪足掻きに、グリの瞳から光が消える。
「……リザードン。この男を追い払ってください。……二度と、ここへ近づけないように」
「アギャアアアッ!!」
待ってましたと言わんばかりに凄まじい咆哮。
その迫力に、ナンパ男は「ヒィィィィィッ!」と悲鳴を上げ、転がるようにして逃げ去っていった。
「……何よあいつ、情けないわね」
「同情しているんですか?」
「まさか。あんなの、視界に入れる価値もないわ」
リリィがふんっと鼻で笑うと、グリは再び彼女の手を優しく取った。
「リリィ、手を……。怪我をさせてしまったこと、本当に…なんと言ったら良いか」
「でも、助けてくれたでしょ?」
「結果論では駄目なんです。…これは、私の失態です。貴方に傷をつけて、申し訳ない……」
深く、重く悔やんでいる様子のグリ。
そんな彼が可笑しくて、リリィが「もう……」と彼に触れようと手を伸ばした、その時。
スッと、二人の間に手が差し込まれ、縦に裂くようにして割り込んできた。
「……おい。ここ職場だぞ。いい加減にしろ、ボケ」
不意に投げかけられた、低くぶっきらぼうな声。
いつの間にかそこに立っていたのは、これ以上ないほど「空気読め」と言いたげな顔をしたグリーズだった。
そこで二人はハッとして、グリはしまったという顔で口元を押さえ、リリィは対照的に、「そうだったわ」と愉快そうに声を上げて笑ってみせた。
「ったく、お前らは……。ほら、リリィ。これ……痛むか?」
グリーズは毒づきながらも、彼女なりに急いで用意したのだろう、白いハンカチに包んだ保冷剤をひょいとリリィに手渡す。
「ありがとう。大丈夫よ、見た目よりは痛くないから」
受け取り、リリィはそっと熱を持つ手首にそれを当てる。冷たい刺激がじんわりと肌に染み込み、ピリつく痛みを引かせていく。
その赤くなった肌を見つめながら、グリーズはわずかに目を伏せ、気まずそうに頬を掻いた。
「……そっか。わたしもごめんな。注文捌くのに必死で、見てなかった」
「いいのよ、グリーズ。気にしないで、仕事中だったんだし」
リリィが屈託のない笑みを向けると、グリーズは「……ん」と短く応え、少しだけ肩の力を抜いて安心したような顔を見せた。
しかし、その直後。
「(……アイツ、絶対にフレア団の名にかけて潰す……)」
リリィには聞こえないほど小さな、地を這うような低い声で、グリーズが呟く。
「(それは同意しますよ、グリーズ。……徹底的に、やりましょう)」
隣で同じような温度の冷徹な声を出し、グリが即座に応じた。
普段は対照的な二人の、妙に息の合った不穏なやり取りに、リリィは不思議そうに小首を傾げる。
「……? なぁに、二人で内緒話?」
「っ、……何でもねーよ! っし、んじゃ、グリはさっさと仕事戻れよ!」
グリーズは誤魔化すように声を張り上げ、グリの背中に強めの「釘」を刺してから、踵を返して次のお客へと向かった。
その不器用ながらも頼もしい背中を見送り、張り詰めていた空気がようやくふわりと緩む。
「……ふふ。リザードン、貴方も本当にありがとう」
リリィは、傍らでどっしりと構えていたリザードンの首元をそっと撫でた。
「アギャッ」
リザードンは嬉しそうに自慢の尻尾を小さく振り、満足げに鼻を鳴らして応える。
そうしてリザードンがキッチンカーの定位置へと戻っていくのを見届けてから、リリィは次にーー隣に立つグリへと視線を戻す。
「ふふ……。すっかりお客さんたちに見られちゃったわね。今の騒動で、しばらくは気まずくてここに来られないかも」
ハンカチを当てたまま、リリィが茶目っ気たっぷりにグリに向けて上目遣いで言うと。
「……お店を浮気するおつもりですか?」
と、言葉が返ってきた。
「あら、浮気してほしいの?」
「……したら許しませんよ。絶対に」
グリが、リリィの前に一歩詰め寄る。
その瞳は冗談めかしてはいるが、奥に宿る独占欲の熱までは隠しきれていない。真剣な眼差しで見つめてくる彼に、リリィはたまらず満面の笑顔を向けた。
「やぁね。貴方の珈琲以外、飲む気になれないわよ。……でも、次はもっと早く助けに来てね? 王子様」
「畏まりました。……お姫様」
二人が見つめ合い、甘い沈黙が流れかけた、その時。
少し離れた場所から、グリーズの怒鳴り声が飛んできた。
「だから! 早く仕事しろっつってんだろ、グリ!! 惚気けは裏でやれ、裏でっ!!」
二人は同時に吹き出し、ミアレシティの昼下がりに、ようやくいつもの賑やかな笑い声が響き渡った。
ーーーーーーーー
正午のミアレシティ。
ベール大通りを吹き抜ける風は、街路樹の葉を揺らし、キッチンカー「ヌーヴォカフェ」から漂う香ばしい珈琲の香りを周囲に広げている。
店の前には数席の木製の簡易テーブルと、クッションを敷いた長めの木箱が並び、テイクアウトした客たちが思い思いの時間を過ごしていた。
その中で、リリィは木箱の椅子に腰を下ろし、慣れた手つきでスマホロトムの画面をなぞっている。
視線の先には、注文を捌くためにキッチンカーの中で忙しなく動く恋人、グリの姿。
「はいよ、お待たせ。もえつきロースト、いつものやつな」
コンッと音を立てて、目の前のテーブルにヌーヴォカフェのロゴが印字された紙コップが置かれる。
顔を上げると、そこには制服姿で片手を腰に当て、ぶっきらぼうにこちらを睨むグリーズが立っていた。
「ありがとう、グリーズ。…ふふ、やっぱりここの香りは格別ね」
「そうか? 立地が売りの不味いコーヒーなのに。……っていうか、休みの日までわざわざ見せつけに来んなよ。暑苦しい」
グリーズは鼻を鳴らし、乱暴に髪をかき上げる。
そんな彼女の毒舌を、リリィは余裕の笑みで受け流した。
「あら、私はただ珈琲を楽しみに来ているだけよ。それより、早く仕事に戻りなさいな。お客様、来てるわよ?」
クレアが目線で、注文を待つ人たちの列を指す。
「へーへー、言われなくても戻るよ。……んじゃ、ごゆっくり」
ひらりと手を振り、オーダーを取りに戻るグリーズの背中を見送り、クレアは紙コップを口に運んだ。
深く、力強いローストの香り。
熱い液体が喉を通る感覚に目を細めた――その時だった。
隣の木箱が、僅かに軋む音と共に揺れたのを感じた。
「よお、お姉さん。今一人? めっちゃ美人じゃ〜ん!ね、モデルか何か?」
反射的に顔を向ければ、そこには絵に描いたようなチャラい金髪の男が、馴れ馴れしく肩を並べて座り込んでいた。安っぽい香水の匂いが、せっかくの珈琲の香りを邪魔して鼻につく。
(……最悪。よりによってこのタイミング?)
内心で舌打ちをしながらも、クレアは普段の仕事でも使う完璧な「営業スマイル」を顔に貼り付け、冷淡に受け流す。
「残念。私、モデルじゃなくってよ」
「えー! そうなのっ!? こんな美人なのにもったいなーい!てかお姉さん一人? 一人だよねぇ? え? てかもしかして独身〜?」
(ねぇねぇうっざぁ。てか距離近いのよ…香水臭いし)
口には出さないものの毒舌を吐き、ツンとする香水に思わず眉を顰めた。
だが、じわじわと男に距離を詰められていき、リリィは身を横にずらして空間を作ろうとするが、男はそんな空気を読めないのか逃がさない。
「ごめんなさい。私、彼氏がいますから」
堪らず、これ以上来ないでと、手を男の前に出し制止を図る。
「えー! 本当にぃ!? でも今ここに居ないじゃ〜ん! ならさぁ、そんな居ない彼氏よりも俺と遊ぼうよ。あっちにもっと良い店あるんだわ〜」
「へぇ〜、そうなの〜」
男は拒絶を全く気にする様子もなく、更に距離を詰めてくる。それをリリィはひどく棒読みで返し、急ぎ助け舟を求めて視線を走らせた。
けれど、運悪くグリーズは数人の客に囲まれて接客中。
グリもまた、注文の珈琲を淹れるため背中を向けてドリップに集中していた。
(あぁ……二人共ダメね。タイミング悪すぎ……)
仕方なく、隙を見て立ち去ろうと画策する。
しかし、その手が予想以上に早く、強引に伸びてきた。
「よし、それじゃあ行こうか子猫ちゃん」
「へ? ……ゃ、あっちょっ……どこに!?」
「えぇ? どこってそのお店だよ〜。ほらほら早くぅ」
急に手首を掴まれ、無理やり立ち上がらされる。
抵抗しようとしたが、生憎と今日はパートナーポケモンは家でお留守番中。
男と女。力の差は歴然で、男の指がクレアの細い手首を容赦なく締め上げた。
「嫌っ、ちょっと、離して……っ!」
「いいから来いって――」
「痛っ……!」
小さく、けれど鋭い悲鳴がリリィの唇から漏れる。
その瞬間。
ーーバチィンッ!!
乾いた衝撃音が鳴り響く。
「ギャアアアッ!?」
次に。
情けない悲鳴を上げたのは、ナンパ男の方だった。
男は二、三歩よろめきながら後退し、焼跡のように赤く腫れ上がった自分の腕を痛そうに押さえている。
リリィが視線を落とすと、自分の手首のすぐ側で、先端に赤い炎を揺らめかせた立派な尻尾が、ゆらりと動いていた。
その尻尾の主を追って顔を上げれば、そこには鋭い眼光で男を睨みつけ、フンッと熱い鼻息を鳴らすリザードンの姿。
「……リザードン。助けてくれたの?」
「アギャアッ!」
そうだと言わんばかりに鼻息を鳴らすリザードン。
その巨体の背後から、静かな、けれど底知れぬ怒りを孕んだ影が現れる。
「よくやりました、リザードン」
「もぉ〜……遅いわよ、馬鹿」
「申し訳ありません、リリィ。……怪我はありませんか」
キッチンカーから飛び出してきたグリは、急ぎリリィの元へ歩み寄ると、赤くなった手首に壊れ物を扱うような手つきでそっと触れた。
「これは、すぐに冷やさなければいけませんね。……ところで」
グリの視線が、痛みに腕を抱き抱える男へと向かう。
「て、てめぇ! 何なんだよこのトカゲ! 危ねぇだろ!」
「失礼な方ですね、うちのリザードンに。……お客さまとはいえ、他の方に迷惑をかける不届き者には、お引き取り願いますよ」
口調こそ接客スタイルを崩さないが、放たれるプレッシャーは尋常ではない。
「……それと。彼女の言っていた彼氏は、おれです」
グリはリリィを庇うようにして前に立ち、スッパリと言い切った。
「はぁ!? 冗談だろ、お前みたいな奴っ!」
指を差してくる男に対し、グリは冷ややかな営業スマイルを浮かべたまま、手を他所へと向けた。それに伴い、鼻息を荒げて威嚇するリザードン。
「本当ですよ。さ、早くお引き取り願えませんか?」
「っ! ……ぐ……お、俺は悪くないからな……! そ、そそ、そうだ! その女が誘惑してきたんだ! だだだっ、だから! おっ……俺は悪くない!」
見苦しい悪足掻きに、グリの瞳から光が消える。
「……リザードン。この男を追い払ってください。……二度と、ここへ近づけないように」
「アギャアアアッ!!」
待ってましたと言わんばかりに凄まじい咆哮。
その迫力に、ナンパ男は「ヒィィィィィッ!」と悲鳴を上げ、転がるようにして逃げ去っていった。
「……何よあいつ、情けないわね」
「同情しているんですか?」
「まさか。あんなの、視界に入れる価値もないわ」
リリィがふんっと鼻で笑うと、グリは再び彼女の手を優しく取った。
「リリィ、手を……。怪我をさせてしまったこと、本当に…なんと言ったら良いか」
「でも、助けてくれたでしょ?」
「結果論では駄目なんです。…これは、私の失態です。貴方に傷をつけて、申し訳ない……」
深く、重く悔やんでいる様子のグリ。
そんな彼が可笑しくて、リリィが「もう……」と彼に触れようと手を伸ばした、その時。
スッと、二人の間に手が差し込まれ、縦に裂くようにして割り込んできた。
「……おい。ここ職場だぞ。いい加減にしろ、ボケ」
不意に投げかけられた、低くぶっきらぼうな声。
いつの間にかそこに立っていたのは、これ以上ないほど「空気読め」と言いたげな顔をしたグリーズだった。
そこで二人はハッとして、グリはしまったという顔で口元を押さえ、リリィは対照的に、「そうだったわ」と愉快そうに声を上げて笑ってみせた。
「ったく、お前らは……。ほら、リリィ。これ……痛むか?」
グリーズは毒づきながらも、彼女なりに急いで用意したのだろう、白いハンカチに包んだ保冷剤をひょいとリリィに手渡す。
「ありがとう。大丈夫よ、見た目よりは痛くないから」
受け取り、リリィはそっと熱を持つ手首にそれを当てる。冷たい刺激がじんわりと肌に染み込み、ピリつく痛みを引かせていく。
その赤くなった肌を見つめながら、グリーズはわずかに目を伏せ、気まずそうに頬を掻いた。
「……そっか。わたしもごめんな。注文捌くのに必死で、見てなかった」
「いいのよ、グリーズ。気にしないで、仕事中だったんだし」
リリィが屈託のない笑みを向けると、グリーズは「……ん」と短く応え、少しだけ肩の力を抜いて安心したような顔を見せた。
しかし、その直後。
「(……アイツ、絶対にフレア団の名にかけて潰す……)」
リリィには聞こえないほど小さな、地を這うような低い声で、グリーズが呟く。
「(それは同意しますよ、グリーズ。……徹底的に、やりましょう)」
隣で同じような温度の冷徹な声を出し、グリが即座に応じた。
普段は対照的な二人の、妙に息の合った不穏なやり取りに、リリィは不思議そうに小首を傾げる。
「……? なぁに、二人で内緒話?」
「っ、……何でもねーよ! っし、んじゃ、グリはさっさと仕事戻れよ!」
グリーズは誤魔化すように声を張り上げ、グリの背中に強めの「釘」を刺してから、踵を返して次のお客へと向かった。
その不器用ながらも頼もしい背中を見送り、張り詰めていた空気がようやくふわりと緩む。
「……ふふ。リザードン、貴方も本当にありがとう」
リリィは、傍らでどっしりと構えていたリザードンの首元をそっと撫でた。
「アギャッ」
リザードンは嬉しそうに自慢の尻尾を小さく振り、満足げに鼻を鳴らして応える。
そうしてリザードンがキッチンカーの定位置へと戻っていくのを見届けてから、リリィは次にーー隣に立つグリへと視線を戻す。
「ふふ……。すっかりお客さんたちに見られちゃったわね。今の騒動で、しばらくは気まずくてここに来られないかも」
ハンカチを当てたまま、リリィが茶目っ気たっぷりにグリに向けて上目遣いで言うと。
「……お店を浮気するおつもりですか?」
と、言葉が返ってきた。
「あら、浮気してほしいの?」
「……したら許しませんよ。絶対に」
グリが、リリィの前に一歩詰め寄る。
その瞳は冗談めかしてはいるが、奥に宿る独占欲の熱までは隠しきれていない。真剣な眼差しで見つめてくる彼に、リリィはたまらず満面の笑顔を向けた。
「やぁね。貴方の珈琲以外、飲む気になれないわよ。……でも、次はもっと早く助けに来てね? 王子様」
「畏まりました。……お姫様」
二人が見つめ合い、甘い沈黙が流れかけた、その時。
少し離れた場所から、グリーズの怒鳴り声が飛んできた。
「だから! 早く仕事しろっつってんだろ、グリ!! 惚気けは裏でやれ、裏でっ!!」
二人は同時に吹き出し、ミアレシティの昼下がりに、ようやくいつもの賑やかな笑い声が響き渡った。
16/16ページ