カロスの棚
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恋人同士。
なんか名前を呼ばれたいカラスバさん。
ーーーーーーーー
夜の帳が下りたミアレシティ。
仕事場のBARには、耳に障らない程度のラウンジミュージックが低く流れている。
私は手慣れた手つきでバースプーンをグラスの内側に滑らせると、カラン、とクリスタルガラスの中で丸い氷が滑らかに踊った。
そして迷いのない手つきでボトルを傾け、琥珀色の液体を静かに落とす。
「どうぞ。…ご注文のです」
カウンター越し、私は目の前に座る「今1番厄介払いしたい男」にグラスを差し出した。
そこに鎮座しているのは、サビ組のボス――カラスバ。
不敵な笑みを浮かべたまま、彼は細長い指先で差し出されたグラスを引き寄せた。
「おおきに。……えぇ色やな」
躊躇いもなくグラスを手にし、喉を鳴らして一口飲む。
その様子を私は黙ったまま、隠す気もないジト目で見据えた。
(……早く帰ってくれないかな…、てかこの人。お酒の味なんて分かってんの?)
心の中で毒づいた瞬間ふっと視線が持ち上がり、カラスバの瞳と真っ向からぶつかった。
ヤバい、目が合った。と思った時には既に遅く、彼は私の内心を見透かしたみたいに口角を深く吊り上げる。
「なんや、えらい帰ってほしそうやん」
「えぇ、帰って欲しいですね。というか、一刻も早くお引き取りください」
図星すぎて言い訳する気にもならずに、私は努めて冷淡に、突き放すような声を返した。
「冷たすぎん? お客に対してそれはないわぁ」
「普通のお客様なら、もう少しサービスもしますけどね?」
私はそう言いながら店の入り口の方を一瞥する。
店内はガランとしていて、客はこの男ただ一人。
磨りガラスの扉の向こう側には、巨大な岩のようなシルエットでジプソさんが門番みたいに立っている。
(……あんなの、一般のお客さんが入れるわけないじゃん。ほんと商売あがったりなんだけど!)
そう文句は言っても、ここはサビ組御用達。
彼が来れば、そこは瞬時に「貸し切り」という名の無法地帯に変わるのだ。
「なんや寂しいなぁ。折角、恋人の顔拝みにきたっちゅうのに」
(嘘つけっ! 面白がってからかいに来ただけでしょ!)
声だけ残念そうにするカラスバに、私は心の中で猛烈に悪態をつく。けれど、彼はそれを知ってか知らずか楽しげに手招きをしてきた。
「なぁリリィ、折角や。こっちおいで」
眉間にこれでもかと皺を寄せ、不満を全身で表現しながらも私はグラスを拭く手を止めて、渋々カウンター席に回った。
一応、これでも大元の雇用主だし、合法且つ強引に外堀を埋められた末での「恋人」だしで。……何より、逆らうと後が面倒くさいのを身を持って知っているから、この場では逆らわないのが吉である。
そしてわざとらしく彼の横で椅子に重く腰を落とすと、待ってましたと言わんばかりにカラスバの手がするりと伸びて、私の腰を抱き寄せた。
「……止めてください。セクハラです」
私は即座に、彼の手の甲を思い切り抓る。
「あいたたっ!それやったら、お前のはパワハラやで? いたいけな客をいじめて」
「そっちが先に仕掛けてきておいて、パワハラなんてありませんからっ!」
痛い痛いと態とらしい彼に対しふんっ、と鼻息を鳴らして私は頬杖をついてそっぽを向く。
(……なんなの、この余裕。ムカつく……!)
けれどカラスバは懲りる様子もなく、クスクスと喉を鳴らして笑うだけで、再び性懲りも無く大きな手のひらが私の腰に添えられる。
薄い制服越しに伝わる体温がじわりと内側に滲んできて、その熱がどこに触れているのかを意識した瞬間ーー遅れて心臓が小さく跳ねた。
「別に。……ただ、こうしときたかっただけや」
何でもないことみたいに言うくせに、腕は一切離れる気配がなくて、そのままカラスバの体重がわずかにこちらへと預けられる。
そして隣でお酒を飲む気配と、グラスが置かれる「コン」という音。その一つひとつがやけに生々しく聞こえてきた。
「なぁ、リリィ」
唐突に呼ばれ、私はぶっきらぼうに「なんですか」と返した。
「……俺の名前、呼んでくれへん?」
「は?」
意味がわからなくて、理解が追いつかない。
怪訝そうに顔を向けると、カラスバはいつになく真面目な瞳で、私をじっと見つめていた。
「ええから、名前。呼んでみてや。……ほら、はよぉ」
「……嫌ですよ、何なんですか急に」
催促されるけど、急に言われたら恥ずかしくて声が出ない。
沈黙を保とうとしたけれど彼は一歩も引く気配がなく、無言の圧が伝わってくる。
(……わかったわよ。言えばいいんでしょ、言えば!)
「……カラスバさん」
わざと平坦な声で、突き放すように言ってやる。
けれど、それで彼は許してくれなかったようで。
「もう1回」
と、催促がきた。
「はあ!? なんでですか!」
「もう1回や」
間髪入れずにくる催促に観念して、私はさっきよりもずっと小さく、消え入りそうな声で呟いた。
「…………カラスバさん」
その瞬間、カラスバの表情がぱっと輝いた。
今まで見たこともないような、満足げで、子供みたいな笑み。
「おおきに。リリィは、ほんまえぇ子やなぁ」
大きな手が、私の頭をクシャクシャと乱暴に撫で回す。
「ちょっ、何するんですか! 止めろしバーカ!」
(もうっ、髪をセットしてたのに! ……てか、なんでそんなに嬉しそうなのよっ!)
思わず普段の口調が飛び出す私を見て、彼はさらに楽しそうに目を細めた。
「ははっ、口が悪なっとるで」
「誰のせいだと思ってんのよっ!」
私は必死に手ぐしで髪を整える。
最悪だ、本当にペースを乱されてばかり。
……そう憤慨していた、次の瞬間だった。
――チュッ。
軽やかな音がした。
その音に何が起きたのか理解するよりも先に、頬の一点だけがやけに熱を持って、遅れてそれが唇の感触だったと気づくと、私は目を見開いて石みたいに固まった。
「……え?」
恐る恐る隣を見ると、そこにはニヤニヤと楽しそうにこちらを覗き込むカラスバの顔。
今の音、今の熱。
職場であるこのカウンターで、この男、今――!
理解した瞬間。熱が一気に顔面に噴き出して、顔が真っ赤になるのが分かる。
「や、やだもう最悪っ! ここ、職場なんですけど!!」
口付けされた頬を両手で必死に押さえ、私は殺気立つほどに彼を睨みつける。
「ほんなら、家ならえぇんやな?」
「は!? そういう問題じゃないんですがっ!」
(なんなのよコイツ、もう本当に最低! 最低……っ!)
心臓が破裂しそうにうるさい。そんな私のパニックを酒の肴にするように、カラスバはひらひらと手を振った。
「はいはい、わかったわかった。……それより、もうお前は上がりや。着替えておいで」
「はぁ? この後の閉店作業はどうするんですか。店内の掃除だって……」
「そんなん、店主にやらせれば解決や。……はよしぃ」
どこまでも身勝手な理屈が飛ぶ。
呆れるけれど、逆らう気力も吸い取られた気がして、私は半ば諦めて席を立った。
そして店の奥に引っ込んだまま帰って来ない店長と交代すべく、スタッフルームへ向かおうとした私の背中に、再び彼の声が追いかけてくる。
「リリィ」
振り返ると、カラスバはグラスを空にしながら、鋭く、獲物を捕らえた猛禽類のような目で笑っていた。
「……逃さへんからな?」
(……わかってるわよ。アンタの目がそう言ってるもん)
どうせ勝手口から逃げても無駄だと悟った私は、精一杯の意地として、人差し指で目の下を引っ張った。
「分かってますよーだ!」
アッカンベー、と舌を出し、私は駆け込むようにスタッフルームへ姿を消した。
扉を閉めた瞬間、背中を預けてへなへなと座り込む。
(……あー、もう。心臓うるさい……。バカバカバカバカ、カラスバのバカ!)
遅延性の毒にやられたとか、
最悪過ぎて笑えないと。
熱を持った頬を手で仰ぎながら、
私はいつまでも高鳴る鼓動を抑えられずにいた。
なんか名前を呼ばれたいカラスバさん。
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夜の帳が下りたミアレシティ。
仕事場のBARには、耳に障らない程度のラウンジミュージックが低く流れている。
私は手慣れた手つきでバースプーンをグラスの内側に滑らせると、カラン、とクリスタルガラスの中で丸い氷が滑らかに踊った。
そして迷いのない手つきでボトルを傾け、琥珀色の液体を静かに落とす。
「どうぞ。…ご注文のです」
カウンター越し、私は目の前に座る「今1番厄介払いしたい男」にグラスを差し出した。
そこに鎮座しているのは、サビ組のボス――カラスバ。
不敵な笑みを浮かべたまま、彼は細長い指先で差し出されたグラスを引き寄せた。
「おおきに。……えぇ色やな」
躊躇いもなくグラスを手にし、喉を鳴らして一口飲む。
その様子を私は黙ったまま、隠す気もないジト目で見据えた。
(……早く帰ってくれないかな…、てかこの人。お酒の味なんて分かってんの?)
心の中で毒づいた瞬間ふっと視線が持ち上がり、カラスバの瞳と真っ向からぶつかった。
ヤバい、目が合った。と思った時には既に遅く、彼は私の内心を見透かしたみたいに口角を深く吊り上げる。
「なんや、えらい帰ってほしそうやん」
「えぇ、帰って欲しいですね。というか、一刻も早くお引き取りください」
図星すぎて言い訳する気にもならずに、私は努めて冷淡に、突き放すような声を返した。
「冷たすぎん? お客に対してそれはないわぁ」
「普通のお客様なら、もう少しサービスもしますけどね?」
私はそう言いながら店の入り口の方を一瞥する。
店内はガランとしていて、客はこの男ただ一人。
磨りガラスの扉の向こう側には、巨大な岩のようなシルエットでジプソさんが門番みたいに立っている。
(……あんなの、一般のお客さんが入れるわけないじゃん。ほんと商売あがったりなんだけど!)
そう文句は言っても、ここはサビ組御用達。
彼が来れば、そこは瞬時に「貸し切り」という名の無法地帯に変わるのだ。
「なんや寂しいなぁ。折角、恋人の顔拝みにきたっちゅうのに」
(嘘つけっ! 面白がってからかいに来ただけでしょ!)
声だけ残念そうにするカラスバに、私は心の中で猛烈に悪態をつく。けれど、彼はそれを知ってか知らずか楽しげに手招きをしてきた。
「なぁリリィ、折角や。こっちおいで」
眉間にこれでもかと皺を寄せ、不満を全身で表現しながらも私はグラスを拭く手を止めて、渋々カウンター席に回った。
一応、これでも大元の雇用主だし、合法且つ強引に外堀を埋められた末での「恋人」だしで。……何より、逆らうと後が面倒くさいのを身を持って知っているから、この場では逆らわないのが吉である。
そしてわざとらしく彼の横で椅子に重く腰を落とすと、待ってましたと言わんばかりにカラスバの手がするりと伸びて、私の腰を抱き寄せた。
「……止めてください。セクハラです」
私は即座に、彼の手の甲を思い切り抓る。
「あいたたっ!それやったら、お前のはパワハラやで? いたいけな客をいじめて」
「そっちが先に仕掛けてきておいて、パワハラなんてありませんからっ!」
痛い痛いと態とらしい彼に対しふんっ、と鼻息を鳴らして私は頬杖をついてそっぽを向く。
(……なんなの、この余裕。ムカつく……!)
けれどカラスバは懲りる様子もなく、クスクスと喉を鳴らして笑うだけで、再び性懲りも無く大きな手のひらが私の腰に添えられる。
薄い制服越しに伝わる体温がじわりと内側に滲んできて、その熱がどこに触れているのかを意識した瞬間ーー遅れて心臓が小さく跳ねた。
「別に。……ただ、こうしときたかっただけや」
何でもないことみたいに言うくせに、腕は一切離れる気配がなくて、そのままカラスバの体重がわずかにこちらへと預けられる。
そして隣でお酒を飲む気配と、グラスが置かれる「コン」という音。その一つひとつがやけに生々しく聞こえてきた。
「なぁ、リリィ」
唐突に呼ばれ、私はぶっきらぼうに「なんですか」と返した。
「……俺の名前、呼んでくれへん?」
「は?」
意味がわからなくて、理解が追いつかない。
怪訝そうに顔を向けると、カラスバはいつになく真面目な瞳で、私をじっと見つめていた。
「ええから、名前。呼んでみてや。……ほら、はよぉ」
「……嫌ですよ、何なんですか急に」
催促されるけど、急に言われたら恥ずかしくて声が出ない。
沈黙を保とうとしたけれど彼は一歩も引く気配がなく、無言の圧が伝わってくる。
(……わかったわよ。言えばいいんでしょ、言えば!)
「……カラスバさん」
わざと平坦な声で、突き放すように言ってやる。
けれど、それで彼は許してくれなかったようで。
「もう1回」
と、催促がきた。
「はあ!? なんでですか!」
「もう1回や」
間髪入れずにくる催促に観念して、私はさっきよりもずっと小さく、消え入りそうな声で呟いた。
「…………カラスバさん」
その瞬間、カラスバの表情がぱっと輝いた。
今まで見たこともないような、満足げで、子供みたいな笑み。
「おおきに。リリィは、ほんまえぇ子やなぁ」
大きな手が、私の頭をクシャクシャと乱暴に撫で回す。
「ちょっ、何するんですか! 止めろしバーカ!」
(もうっ、髪をセットしてたのに! ……てか、なんでそんなに嬉しそうなのよっ!)
思わず普段の口調が飛び出す私を見て、彼はさらに楽しそうに目を細めた。
「ははっ、口が悪なっとるで」
「誰のせいだと思ってんのよっ!」
私は必死に手ぐしで髪を整える。
最悪だ、本当にペースを乱されてばかり。
……そう憤慨していた、次の瞬間だった。
――チュッ。
軽やかな音がした。
その音に何が起きたのか理解するよりも先に、頬の一点だけがやけに熱を持って、遅れてそれが唇の感触だったと気づくと、私は目を見開いて石みたいに固まった。
「……え?」
恐る恐る隣を見ると、そこにはニヤニヤと楽しそうにこちらを覗き込むカラスバの顔。
今の音、今の熱。
職場であるこのカウンターで、この男、今――!
理解した瞬間。熱が一気に顔面に噴き出して、顔が真っ赤になるのが分かる。
「や、やだもう最悪っ! ここ、職場なんですけど!!」
口付けされた頬を両手で必死に押さえ、私は殺気立つほどに彼を睨みつける。
「ほんなら、家ならえぇんやな?」
「は!? そういう問題じゃないんですがっ!」
(なんなのよコイツ、もう本当に最低! 最低……っ!)
心臓が破裂しそうにうるさい。そんな私のパニックを酒の肴にするように、カラスバはひらひらと手を振った。
「はいはい、わかったわかった。……それより、もうお前は上がりや。着替えておいで」
「はぁ? この後の閉店作業はどうするんですか。店内の掃除だって……」
「そんなん、店主にやらせれば解決や。……はよしぃ」
どこまでも身勝手な理屈が飛ぶ。
呆れるけれど、逆らう気力も吸い取られた気がして、私は半ば諦めて席を立った。
そして店の奥に引っ込んだまま帰って来ない店長と交代すべく、スタッフルームへ向かおうとした私の背中に、再び彼の声が追いかけてくる。
「リリィ」
振り返ると、カラスバはグラスを空にしながら、鋭く、獲物を捕らえた猛禽類のような目で笑っていた。
「……逃さへんからな?」
(……わかってるわよ。アンタの目がそう言ってるもん)
どうせ勝手口から逃げても無駄だと悟った私は、精一杯の意地として、人差し指で目の下を引っ張った。
「分かってますよーだ!」
アッカンベー、と舌を出し、私は駆け込むようにスタッフルームへ姿を消した。
扉を閉めた瞬間、背中を預けてへなへなと座り込む。
(……あー、もう。心臓うるさい……。バカバカバカバカ、カラスバのバカ!)
遅延性の毒にやられたとか、
最悪過ぎて笑えないと。
熱を持った頬を手で仰ぎながら、
私はいつまでも高鳴る鼓動を抑えられずにいた。
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