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外から、ゴミ収集車の流す音楽がきこえる。
顔をあげて、時計を見る。もう、昼過ぎだった。
「僕の実家でも、この曲が流れます」
ゆうゆうとした、口調で彼はいった。
「そう」
彼にも帰る場所はあるのだな、とおもった。
身だしなみの整った彼を一瞥して、パソコンに向き合う。
彼を家に招いたのは、死別した男に似ていたからだった。
道端で、偶然、出会った。
彼は学生服姿で、たそがれていた。警察に補導されるな、とおもって、ちらと見たとき、偶然目があった。あちらもわたしを見たのだ。その顔を見たとき、ひどく驚いた。あの男にそっくりだった。目の細さ、口の形、何から何まで、いっしょだった。首からさがっているロザリオすらも、おなじだった。
彼から声をかけてきて、今日一日、匿ってください、といわれた。
普通なら、断っていたところだが、知人にそっくりな彼を放ってはおけなかった。
ちいさく、おいで、といった。彼は後ろをついてきた。
そういう理由で、彼はここにいる。あの男といっしょの顔をして、もうひとつの椅子に座っている。帰ってきたような気がした。
パソコンに文字を並べる。文字で、わたしは食べている。あまり収入はないが、どうにか、生きている。
あの男が死んだとき、なにも手につかなかった。言葉ひとつ、出てこなくなった。けれど、書かなければ、わたしは生きていけない。その気持ちで、三ヶ月ほど、休んだのち、すこしずつ、文章を増やしていった。おかげで、いまも仕事がある。ありがたいことだった。
なにもできなくなるくらい、あの男がすきだった。
「あの」
弱い声音で、話しかけられる。止まっていた手を見て、声をかけたのだろう。
彼を見る。見れば見る程、似ていた。
「なに」
「作家さん、ですか」
「ええ」
「なにを書いているんですか」
「どうして、君は家に帰らないの」
答えないで、そう、問い返した。
「どうしてでしょうね」
すこしの沈黙のあと、彼は苦笑いして、いった。
よく似ていて、なにもいえなくなった。
あの男も、家の事情がよくなかった。家に縛られていた。逃げ出したくて、わたしの家にずっといた。しかし、それは、あくまで、わたしの推論だったが。
「あなたの小説、読みたいです」
「......いちばん下の段」
そう教えると、彼は本棚に向かった。
男と最初に出会ったのは、わたしは25歳で、男は17歳だった。わたしはすでにデビューし、小説を書いていて、男は高校生だった。
小説のネタのために、公園に行ったとき、男は制服のままでベンチに座っていた。うつくしい顔の男だった。だから、わたしは目を奪われて、声をかけた。あのときのわたしはアグレッシブだったのだ。
彼は困った顔で、匿ってください、といった。わたしはアグレッシブだったので、おいで、といった。
承諾したときの、彼の救われたような表情を、忘れられないでいる。
狭いアパートに通して、彼は、鳳です、といった。すごい名前だね、とわたしはいった。そうしたら、彼はまた、救われたような顔をした。
「高校生だよね?」
「ええ、まぁ」
丁寧にクリーニングされた、糊のきいた制服を見る。左胸のエンブレムは厳かなデザインだった。
身なりと所作から、いいところの子だとはおもっていた。
「すみません、こういうこと、はじめてで」
「だろうね」どう見ても、真面目な風貌だった。
「その、迷惑でなければ、可能な限り、住まわせてもらっても、いいでしょうか」
丁寧な物言いに、似つかわしくない内容だった。だけど、わたしは、頷いていた。
朝起きるのは、鳳くんがはやかった。昼夜逆転しているわたしは、昼間にごそごそ起きる。
きれいな正座をして、本を読んでいた。その本は、わたしが書いたものだった。
「あ、おはようございます」
わたしの気配に気づいた彼は、さわやかな顔をしていった。朝に吹く風のようだった。
「おはよう」
「この本、とてもおもしろいですね」
そういって、表紙を見せてくれた。タイトルと著者が書かれている。
「それ、わたしが書いた」
「えっ!? 作家さんなんですね。僕、こういう小説すきです」
鳳くんは目をきらめかせて、わたしを見上げた。
「ありがとう」
担当編集者や、ときおり届く手紙たちよりも、彼の言葉が、うれしく、心に響いた。彼は、わたしが本を出すたびに、読んでくれた。毎回、すごくおもしろい、といってくれた。
彼はずっと、家にいた。決して、外に出ようとはしなかった。わたしも同様だったから、気に留めなかった。
一年ほど、鳳くんはわたしの家にいた。
いなくなる前夜、鳳くんはわたしの本を本棚からひとつとった。
「あの、一冊、くれませんか」
そう、いった。
同じものが三冊はあったから、わたしは快く頷いた。
その翌日、彼はいなくなった。
多分、いっしょに住むうちに、すきになっていた。一週間、血まなこになって、探した。しかし、どうしても、彼は見つからなかった。どこに行くのか、検討すらつかなかった。だから、もう、あきらめた。
一冊ぶん空いた本棚を見るたび、鳳くんを思い出した。
鳳くんがいなくなって、もう二年ほど経ったとき、彼の死を知った。
通りかかった家電屋のテレビで、知った。
うつくしい鳳くんの顔写真が映っていた。大企業の鳳家の息子が自殺を図った、という字幕が表示された。
家にテレビがなく、新聞もとっていなかったから、鳳くんがすごい家の息子だとは、わからなかった。
わたしの家に住んでいた1年間、大騒ぎになっていただろう。あの1年間、よく見つからずに済んだな、とおもう。奇跡だったのだ。
彼が読んでいる本を見る。その本は、鳳くんにあげたものだった。
わたしはパソコンを閉じて、彼に歩み寄る。
「君、名前は」
「僕は、長太郎っていいます」
さわやかな笑顔を見せられる。
なにもいえなくなる。
「この本、とてもおもしろいですね」
「......ありがとう」
涙があふれる。流れそうになって、目元をおさえる。
「大丈夫ですか」
彼はポケットから、きれいにたたまれたハンカチを差し出した。
とても涙をぬぐえなくて、ぎゅっと握りしめた。
「大丈夫」
わたしはそういった。
夜になり、わたしは彼のために、布団を敷いた。
「布団で悪いけど。ここで寝て。わたしはまだ仕事するから。おやすみ」
早口でいって、離れようとしたとき、彼に引き止められた。
「あの」
「なに」
「まだ、お礼をいっていませんでしたね。ほんとうに、ありがとうございました」
彼は、鳳くんがしたような、救われた表情をした。
目を見開いて、彼を見る。さがったロザリオが揺れている。
「......いいの」絞り出した返事は、素っ気ないものになってしまった。
ぎこちなく笑って、わたしは彼を背にした。
朝、はやくに起きて、真っ先に彼を見に行った。布団はきれいにたたまれていた。あの日と同じだった。
もう、彼はいなかった。
顔をあげて、時計を見る。もう、昼過ぎだった。
「僕の実家でも、この曲が流れます」
ゆうゆうとした、口調で彼はいった。
「そう」
彼にも帰る場所はあるのだな、とおもった。
身だしなみの整った彼を一瞥して、パソコンに向き合う。
彼を家に招いたのは、死別した男に似ていたからだった。
道端で、偶然、出会った。
彼は学生服姿で、たそがれていた。警察に補導されるな、とおもって、ちらと見たとき、偶然目があった。あちらもわたしを見たのだ。その顔を見たとき、ひどく驚いた。あの男にそっくりだった。目の細さ、口の形、何から何まで、いっしょだった。首からさがっているロザリオすらも、おなじだった。
彼から声をかけてきて、今日一日、匿ってください、といわれた。
普通なら、断っていたところだが、知人にそっくりな彼を放ってはおけなかった。
ちいさく、おいで、といった。彼は後ろをついてきた。
そういう理由で、彼はここにいる。あの男といっしょの顔をして、もうひとつの椅子に座っている。帰ってきたような気がした。
パソコンに文字を並べる。文字で、わたしは食べている。あまり収入はないが、どうにか、生きている。
あの男が死んだとき、なにも手につかなかった。言葉ひとつ、出てこなくなった。けれど、書かなければ、わたしは生きていけない。その気持ちで、三ヶ月ほど、休んだのち、すこしずつ、文章を増やしていった。おかげで、いまも仕事がある。ありがたいことだった。
なにもできなくなるくらい、あの男がすきだった。
「あの」
弱い声音で、話しかけられる。止まっていた手を見て、声をかけたのだろう。
彼を見る。見れば見る程、似ていた。
「なに」
「作家さん、ですか」
「ええ」
「なにを書いているんですか」
「どうして、君は家に帰らないの」
答えないで、そう、問い返した。
「どうしてでしょうね」
すこしの沈黙のあと、彼は苦笑いして、いった。
よく似ていて、なにもいえなくなった。
あの男も、家の事情がよくなかった。家に縛られていた。逃げ出したくて、わたしの家にずっといた。しかし、それは、あくまで、わたしの推論だったが。
「あなたの小説、読みたいです」
「......いちばん下の段」
そう教えると、彼は本棚に向かった。
男と最初に出会ったのは、わたしは25歳で、男は17歳だった。わたしはすでにデビューし、小説を書いていて、男は高校生だった。
小説のネタのために、公園に行ったとき、男は制服のままでベンチに座っていた。うつくしい顔の男だった。だから、わたしは目を奪われて、声をかけた。あのときのわたしはアグレッシブだったのだ。
彼は困った顔で、匿ってください、といった。わたしはアグレッシブだったので、おいで、といった。
承諾したときの、彼の救われたような表情を、忘れられないでいる。
狭いアパートに通して、彼は、鳳です、といった。すごい名前だね、とわたしはいった。そうしたら、彼はまた、救われたような顔をした。
「高校生だよね?」
「ええ、まぁ」
丁寧にクリーニングされた、糊のきいた制服を見る。左胸のエンブレムは厳かなデザインだった。
身なりと所作から、いいところの子だとはおもっていた。
「すみません、こういうこと、はじめてで」
「だろうね」どう見ても、真面目な風貌だった。
「その、迷惑でなければ、可能な限り、住まわせてもらっても、いいでしょうか」
丁寧な物言いに、似つかわしくない内容だった。だけど、わたしは、頷いていた。
朝起きるのは、鳳くんがはやかった。昼夜逆転しているわたしは、昼間にごそごそ起きる。
きれいな正座をして、本を読んでいた。その本は、わたしが書いたものだった。
「あ、おはようございます」
わたしの気配に気づいた彼は、さわやかな顔をしていった。朝に吹く風のようだった。
「おはよう」
「この本、とてもおもしろいですね」
そういって、表紙を見せてくれた。タイトルと著者が書かれている。
「それ、わたしが書いた」
「えっ!? 作家さんなんですね。僕、こういう小説すきです」
鳳くんは目をきらめかせて、わたしを見上げた。
「ありがとう」
担当編集者や、ときおり届く手紙たちよりも、彼の言葉が、うれしく、心に響いた。彼は、わたしが本を出すたびに、読んでくれた。毎回、すごくおもしろい、といってくれた。
彼はずっと、家にいた。決して、外に出ようとはしなかった。わたしも同様だったから、気に留めなかった。
一年ほど、鳳くんはわたしの家にいた。
いなくなる前夜、鳳くんはわたしの本を本棚からひとつとった。
「あの、一冊、くれませんか」
そう、いった。
同じものが三冊はあったから、わたしは快く頷いた。
その翌日、彼はいなくなった。
多分、いっしょに住むうちに、すきになっていた。一週間、血まなこになって、探した。しかし、どうしても、彼は見つからなかった。どこに行くのか、検討すらつかなかった。だから、もう、あきらめた。
一冊ぶん空いた本棚を見るたび、鳳くんを思い出した。
鳳くんがいなくなって、もう二年ほど経ったとき、彼の死を知った。
通りかかった家電屋のテレビで、知った。
うつくしい鳳くんの顔写真が映っていた。大企業の鳳家の息子が自殺を図った、という字幕が表示された。
家にテレビがなく、新聞もとっていなかったから、鳳くんがすごい家の息子だとは、わからなかった。
わたしの家に住んでいた1年間、大騒ぎになっていただろう。あの1年間、よく見つからずに済んだな、とおもう。奇跡だったのだ。
彼が読んでいる本を見る。その本は、鳳くんにあげたものだった。
わたしはパソコンを閉じて、彼に歩み寄る。
「君、名前は」
「僕は、長太郎っていいます」
さわやかな笑顔を見せられる。
なにもいえなくなる。
「この本、とてもおもしろいですね」
「......ありがとう」
涙があふれる。流れそうになって、目元をおさえる。
「大丈夫ですか」
彼はポケットから、きれいにたたまれたハンカチを差し出した。
とても涙をぬぐえなくて、ぎゅっと握りしめた。
「大丈夫」
わたしはそういった。
夜になり、わたしは彼のために、布団を敷いた。
「布団で悪いけど。ここで寝て。わたしはまだ仕事するから。おやすみ」
早口でいって、離れようとしたとき、彼に引き止められた。
「あの」
「なに」
「まだ、お礼をいっていませんでしたね。ほんとうに、ありがとうございました」
彼は、鳳くんがしたような、救われた表情をした。
目を見開いて、彼を見る。さがったロザリオが揺れている。
「......いいの」絞り出した返事は、素っ気ないものになってしまった。
ぎこちなく笑って、わたしは彼を背にした。
朝、はやくに起きて、真っ先に彼を見に行った。布団はきれいにたたまれていた。あの日と同じだった。
もう、彼はいなかった。
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