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各駅停車しか止まらない、マイナーな駅に、15分以上は、とどまっている。契約先の会社の帰りだった。日中は電車の数はすくない。それゆえ、電車は過ぎてゆくか、こないか、のどちらかだった。こんなにも止まらないものなのか、とうんざりしていた。
備え付けのベンチは、体制を変えるたびに、軋んだ。
季節は夏の終わり頃で、まだ、残暑がつづいていた。ネクタイは、とうに、ゆるめていた。いいかげん、喉がかわいた。立ち上がって、自動販売機へいく。小銭が機械へ落ちる音が、やけに、大きくきこえた。無難に、スポーツドリンクを選び、取り出す。そのとき、ひとが立っているのをみえた。珍しくもない。けれど、いやに目にはいってしまい、じっと見つめてしまう。買ったばかりなのに、飲むのをわすれて、そのひとを眺める。髪が背中まであり、女性のようだ。服装は制服だった。なぜ、こんな時間帯に学生が、と不思議におもった。寂しそうな後ろ姿は、ホームの端のほうに立っていて、一歩踏み出せば、線路へ落ちてゆきそうだった。
ちょうど、電車が通過する、という警告が流れる。立っている体が、かたむいて、線路側へ、落ちてゆく。
ロックの目には、そう、映ってしまった。
持っていた、スポーツドリンクと鞄を手放して、走りだす。すぐさま、追いつき、細い腕をおもいっきり、自分のほうへ引っ張る。同時に、電車が通過していった。残り風にふかれて、ひと息つく。ロックの腕のなかに、彼女がおさまっている。
「大丈夫か」
問いかけに、彼女はうなずいて、答える。すこしの間、過ぎ去った電車のあとを眺めた。
しんと静まっていて、何事もなかったようだった。
彼女は無言のまま、ロックの腕をすり抜けて立ち上がる。そのときはじめて、ロックは彼女の顔をみた。
彼女は、憂いを帯びたうつくしい顔立ちだった。その造形に似合わず、頬に赤い痣があった。
見惚れていると、手が差し伸べられた。
「すみません」と小さな声がきこえた。彼女のものだった。
ロックは細い手をにぎり、自分の力で立ち上がった。
「二度とこんなことするなよ」
そういって、ロックは、彼女の痣をするり、となでた。その瞬間、ロックは、やってしまった、とおもった。すぐに手をはなして、弁解しようと口をひらく。
彼女の目から、涙がこぼれた。
「悪い!君と同じ年齢の知り合いがいて、つい。いや、だったよな」
脳裏に、緑の髪をゆらす少女を思い浮かべた。その少女もまた、彼女のように、どこか憂いがある表情をしていた。どこか、重ねてしまっていた。
「いえ、ちがいます」
「え?」
「昔の父を思い出したんです」
目元をぬぐって、彼女は、ロックの瞳を見つめる。
背後で鳴り響く、電車の到着を知らせる合図は、ふたりには届いていない。
「迷惑なことは承知です。どうか、わたしをあなたの家に置いてはくれませんか」
彼女の言葉とともに、電車は到着する。ロックは反応できずに、彼女と電車を交互に見やった。
電車がきっちりとホームに停止する。
うるんだ瞳が、ロックを映し出している。
一度に濃密な出来事が起こりすぎた。こんがらがった頭があみだした答えにのっとって、落ちた通勤鞄を手早く拾い上げた。自分を見つめている、彼女の手をとって、開いている電車に乗った。
ドアが閉まると、ゆっくりと電車は動きはじめる。
ロックは手を握ったまま、空いているシートに腰をおろす。その横に、彼女は座った。
のどかな風景が続く。あと数駅すれば、ビルが増えていくだろう。そこに、ロックの勤め先がある。しかし、女の子を連れて会社へ戻ることはできない。どうしようか、と回らない頭で考える。第一、彼女を家に置くという答えも出していない。なにも考えないまま、電車に乗ってしまったのだ。いつもそうだ、とロックはおもう。前のときも、そうだった。考えなしに行動してしまった。
横にいる彼女を見る。見るたび、知り合いの少女をおもいだした。よく似ていた。うつむいて、すべてがいやになった、という顔が、同じだった。前のときと、完全にいっしょだった。
「いいよ」
「え?」
彼女はロックの顔を見るために、顔をあげた。
「俺の家にいて、いい」
ひどくやさしい声音に、彼女は涙腺をゆるめる。涙の膜をつくって、ありがとう、といった。二度、いった。
震える手を、ロックはそっとつつんだ。
ふたりを乗せて、電車は進む。ゆらゆらとゆれながら、都心へ近づいていく。近づくたび、乗客は増えてくる。肩がひっつくくらいに、ふたりは身を寄せた。
乗客が増えたころ、目的の駅につく。彼女の細い手を握って、降りる。
人混みに流されぬように、かたく手をつないだ。
改札を抜け、駅からはなれる。すこし歩いて、立ち止まる。彼女もそれにならって、歩みを止める。
ロックは、彼女のほうを見る。
「名前は?」
「ナマエ」
一人暮らしの、狭すぎず広すぎない、部屋のなかに、いた。ナマエはぐるりと部屋を見渡す。手入れの行きとどいた、清潔な部屋だった。家主は几帳面なのかもしれない、とおもった。おもって、もう一度、家主の顔をおもいだす。整った顔、色素の薄い髪に瞳、それから、とてもやさしい声。それらを何度も、頭のなかで繰り返す。
彼女にとって、はじめて、だった。はじめて、悪意の持たない、人間だった。
ロックが痣にふれたとき、そう、確信したのだった。彼なら、大丈夫だと。
案の定、そうだった。無理な要求に、いやな顔ひとつせずに、受け入れてくれた。
眠気がおそう。ようやく、安心できる場所に身を置けたのだ。張り詰めていた糸が、ちぎれそうだった。勝手にベッドを使うのは、申し訳ないとおもい、座っていた座布団を枕にして、目を閉じた。
次に目を開けると、天井が見えた。
ナマエは眠たげにまばたきをして、自分を包む布団におどろいた。ベッドのなかだった。
あわてて、体を起こす。
「おはよう」
のんびりとした、声だった。はじめから、いっしょに住んでいたかのような、なめらかな、挨拶だった。
自分が座っていた位置に、ロックがいる。ナマエはおもわず二度見する。
「床で寝ると、体が痛くなるからさ、ベッドに運んだ」
わらいながら、ロックはいった。
「ありがとうございます」
いつも、床で寝ていたから、硬いフローリングをおもいだせば、ベッドなんて贅沢ものだった。子どもを放って、自分だけベッドで眠る親を、いつも、憎んでいた。
憎悪と悲哀に頭をぐるぐるさせていると、そっと、頭に手が乗った。
「腹、へってないか?」
やさしい言葉が降りそそいだ。とっさに言葉がでずに、うなずく。
「じゃあ、そこに座って待っててくれ」
ロックは奥へいき、音を鳴らしはじめた。
ナマエは不思議そうに、音をきいた。しばらくすると、ロックがお皿を持って、戻ってきた。低いテーブルにお皿を並べる。お皿には料理がのっている。湯気が立ち上っていて、おいしそうだった。
「食べよう」
ロックは、スプーンをナマエに渡した。
小声でいただきます、といって、料理を口に運ぶ。
「おいしいか?」
「はい」
「よかった」
そう、いうと、ロックは安堵した表情になり、食べはじめた。
ナマエは、手料理など食べたことがなく、こんなにあたたかいものなんだと、かみしめて、食べていた。栄養が、体に通っていく感じがした。
「ナマエ」
「ん?」
「そんなに、おいしかったか?」
ロックは、やさしく笑う。そうして、手をナマエへ伸ばす。目元を軽くなでる。
「涙が出てる」
「えっ」
「自信作だったからな」
追求はせず、わらって、また、食べはじめた。
ナマエは、黙って、しあわせを感じた。
備え付けのベンチは、体制を変えるたびに、軋んだ。
季節は夏の終わり頃で、まだ、残暑がつづいていた。ネクタイは、とうに、ゆるめていた。いいかげん、喉がかわいた。立ち上がって、自動販売機へいく。小銭が機械へ落ちる音が、やけに、大きくきこえた。無難に、スポーツドリンクを選び、取り出す。そのとき、ひとが立っているのをみえた。珍しくもない。けれど、いやに目にはいってしまい、じっと見つめてしまう。買ったばかりなのに、飲むのをわすれて、そのひとを眺める。髪が背中まであり、女性のようだ。服装は制服だった。なぜ、こんな時間帯に学生が、と不思議におもった。寂しそうな後ろ姿は、ホームの端のほうに立っていて、一歩踏み出せば、線路へ落ちてゆきそうだった。
ちょうど、電車が通過する、という警告が流れる。立っている体が、かたむいて、線路側へ、落ちてゆく。
ロックの目には、そう、映ってしまった。
持っていた、スポーツドリンクと鞄を手放して、走りだす。すぐさま、追いつき、細い腕をおもいっきり、自分のほうへ引っ張る。同時に、電車が通過していった。残り風にふかれて、ひと息つく。ロックの腕のなかに、彼女がおさまっている。
「大丈夫か」
問いかけに、彼女はうなずいて、答える。すこしの間、過ぎ去った電車のあとを眺めた。
しんと静まっていて、何事もなかったようだった。
彼女は無言のまま、ロックの腕をすり抜けて立ち上がる。そのときはじめて、ロックは彼女の顔をみた。
彼女は、憂いを帯びたうつくしい顔立ちだった。その造形に似合わず、頬に赤い痣があった。
見惚れていると、手が差し伸べられた。
「すみません」と小さな声がきこえた。彼女のものだった。
ロックは細い手をにぎり、自分の力で立ち上がった。
「二度とこんなことするなよ」
そういって、ロックは、彼女の痣をするり、となでた。その瞬間、ロックは、やってしまった、とおもった。すぐに手をはなして、弁解しようと口をひらく。
彼女の目から、涙がこぼれた。
「悪い!君と同じ年齢の知り合いがいて、つい。いや、だったよな」
脳裏に、緑の髪をゆらす少女を思い浮かべた。その少女もまた、彼女のように、どこか憂いがある表情をしていた。どこか、重ねてしまっていた。
「いえ、ちがいます」
「え?」
「昔の父を思い出したんです」
目元をぬぐって、彼女は、ロックの瞳を見つめる。
背後で鳴り響く、電車の到着を知らせる合図は、ふたりには届いていない。
「迷惑なことは承知です。どうか、わたしをあなたの家に置いてはくれませんか」
彼女の言葉とともに、電車は到着する。ロックは反応できずに、彼女と電車を交互に見やった。
電車がきっちりとホームに停止する。
うるんだ瞳が、ロックを映し出している。
一度に濃密な出来事が起こりすぎた。こんがらがった頭があみだした答えにのっとって、落ちた通勤鞄を手早く拾い上げた。自分を見つめている、彼女の手をとって、開いている電車に乗った。
ドアが閉まると、ゆっくりと電車は動きはじめる。
ロックは手を握ったまま、空いているシートに腰をおろす。その横に、彼女は座った。
のどかな風景が続く。あと数駅すれば、ビルが増えていくだろう。そこに、ロックの勤め先がある。しかし、女の子を連れて会社へ戻ることはできない。どうしようか、と回らない頭で考える。第一、彼女を家に置くという答えも出していない。なにも考えないまま、電車に乗ってしまったのだ。いつもそうだ、とロックはおもう。前のときも、そうだった。考えなしに行動してしまった。
横にいる彼女を見る。見るたび、知り合いの少女をおもいだした。よく似ていた。うつむいて、すべてがいやになった、という顔が、同じだった。前のときと、完全にいっしょだった。
「いいよ」
「え?」
彼女はロックの顔を見るために、顔をあげた。
「俺の家にいて、いい」
ひどくやさしい声音に、彼女は涙腺をゆるめる。涙の膜をつくって、ありがとう、といった。二度、いった。
震える手を、ロックはそっとつつんだ。
ふたりを乗せて、電車は進む。ゆらゆらとゆれながら、都心へ近づいていく。近づくたび、乗客は増えてくる。肩がひっつくくらいに、ふたりは身を寄せた。
乗客が増えたころ、目的の駅につく。彼女の細い手を握って、降りる。
人混みに流されぬように、かたく手をつないだ。
改札を抜け、駅からはなれる。すこし歩いて、立ち止まる。彼女もそれにならって、歩みを止める。
ロックは、彼女のほうを見る。
「名前は?」
「ナマエ」
一人暮らしの、狭すぎず広すぎない、部屋のなかに、いた。ナマエはぐるりと部屋を見渡す。手入れの行きとどいた、清潔な部屋だった。家主は几帳面なのかもしれない、とおもった。おもって、もう一度、家主の顔をおもいだす。整った顔、色素の薄い髪に瞳、それから、とてもやさしい声。それらを何度も、頭のなかで繰り返す。
彼女にとって、はじめて、だった。はじめて、悪意の持たない、人間だった。
ロックが痣にふれたとき、そう、確信したのだった。彼なら、大丈夫だと。
案の定、そうだった。無理な要求に、いやな顔ひとつせずに、受け入れてくれた。
眠気がおそう。ようやく、安心できる場所に身を置けたのだ。張り詰めていた糸が、ちぎれそうだった。勝手にベッドを使うのは、申し訳ないとおもい、座っていた座布団を枕にして、目を閉じた。
次に目を開けると、天井が見えた。
ナマエは眠たげにまばたきをして、自分を包む布団におどろいた。ベッドのなかだった。
あわてて、体を起こす。
「おはよう」
のんびりとした、声だった。はじめから、いっしょに住んでいたかのような、なめらかな、挨拶だった。
自分が座っていた位置に、ロックがいる。ナマエはおもわず二度見する。
「床で寝ると、体が痛くなるからさ、ベッドに運んだ」
わらいながら、ロックはいった。
「ありがとうございます」
いつも、床で寝ていたから、硬いフローリングをおもいだせば、ベッドなんて贅沢ものだった。子どもを放って、自分だけベッドで眠る親を、いつも、憎んでいた。
憎悪と悲哀に頭をぐるぐるさせていると、そっと、頭に手が乗った。
「腹、へってないか?」
やさしい言葉が降りそそいだ。とっさに言葉がでずに、うなずく。
「じゃあ、そこに座って待っててくれ」
ロックは奥へいき、音を鳴らしはじめた。
ナマエは不思議そうに、音をきいた。しばらくすると、ロックがお皿を持って、戻ってきた。低いテーブルにお皿を並べる。お皿には料理がのっている。湯気が立ち上っていて、おいしそうだった。
「食べよう」
ロックは、スプーンをナマエに渡した。
小声でいただきます、といって、料理を口に運ぶ。
「おいしいか?」
「はい」
「よかった」
そう、いうと、ロックは安堵した表情になり、食べはじめた。
ナマエは、手料理など食べたことがなく、こんなにあたたかいものなんだと、かみしめて、食べていた。栄養が、体に通っていく感じがした。
「ナマエ」
「ん?」
「そんなに、おいしかったか?」
ロックは、やさしく笑う。そうして、手をナマエへ伸ばす。目元を軽くなでる。
「涙が出てる」
「えっ」
「自信作だったからな」
追求はせず、わらって、また、食べはじめた。
ナマエは、黙って、しあわせを感じた。