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天使と悪魔


仕事帰りに酒をひっかけてほろ酔い気分の二十六時。昼間は騒がしい道も静まり返り、たまに通りかかる車の走行音だけが響く大通り。

歩くのに嫌気がさし始めた頃、丁度バス停があり、そこのベンチに腰を下ろす。
そうしてついた手の指先に何かが当たり、視線を落とせば、使い込まれていい味を出している革財布が目に入った。


「はは、すげーぱんぱん」


素面の時なら絶対にしないであろう物色を始める。
ぱっと見て50万といったところか。
もちろん猫糞をするつもりなんかはない。大金を入れてあるのに不注意にも落としてしまった間抜けな持ち主のご尊顔を拝したく、免許証がないか探っているだけ。

そうしていると何やら左耳のほうで声が聞こえた。


「誰も見てねーから盗んじまえよ」


そんな悪魔的な囁きに左を向けば、目鼻立ちのはっきりとした顔に派手なメイクを施し、紫メッシュが入った黒髪にパンクロック系の服を着こなす男が座っていた。

さらに今度は右耳のほうで声が聞こえた。


「いけません。警察に届けるのです」


そんな天使的な囁きに右を向けば、こちらもまた目鼻立ちのはっきりとした顔に、キラキラ輝く金色の髪をなびかせ白いスーツを身にまとった美青年が座っていた。

酔って幻覚でも見ているのか、二人の背中には対象的な翼が見える。
片方は骨と皮でできたような漆黒の、片方は白鳥のような純白の、到底作り物とは思えないそれはどうやら本当に本物のようで。
立ち上がるだけなのにそれをふわりと羽ばたかせると、二人は俺の正面に移動した。
よくよく見てみると黒い方の頭には角のようなものが、白い方の頭には輪っかのようなものがついている。
これが俗にいう天使と悪魔か。

……いや、これは幻覚じゃない。きっと夢だ。

早く覚めろ、と言い聞かせながらぎゅっと目をつむる。
しかしそうしたところで夢が覚めるわけもなく、俺は好奇心で二人の会話に耳を傾けた。


「まったく、あなたという悪魔は本当にしょうがないですね。今まで私に勝てたことなどないというのに懲りずにまた突っかかってきて」

「うるせぇ。そんなのやってみなきゃわかんねーだろ。今回は勝つかもしれねーし、たとえ負けても次こそ勝ってやる」

「はあ、私はこう見えて多忙な身なので何度もあなたの相手をしている暇はないのですが」

「そんなの知ったこっちゃねーな。俺に勝てない他の頼りねー天使に文句言えよバーカ」


これは本当に現実なのだろうか。
今更ながら頬をつねってみると痛覚は正常に機能した。


「あの、ちょっといいですか」


そこで二人に話しかけてみるとほぼ同時にこっちを向いて、また二人で顔を見合わせた。しかしまた俺に戻ってくる。
寸分の狂いもなく同じ動きをするもんだから思わず吹き出せば悪魔さんに胸ぐらをつかまれた。


「お前、俺たちが見えるのか?」

「いや、見えるどころか触れることができていますからね。苦しそうなので離してあげなさい」

「俺に指図すんじゃねーよ」


と言いながらも悪魔さんは素直に俺を離してくれた。


「えっと、とりあえず今の状況を説明してもらえると助かるんですが」

「これは失礼いたしました。なにぶん私たちの存在が見える人の子と遭遇するのは初めてのことでして、どう説明していいやら」

「バカはバカらしく簡単に説明すりゃいいんだよ」

「あなたはちょっと黙っててください」


天使さんは何処からともなく光る縄を取り出すと慣れた手つきで悪魔さんを亀甲に縛り上げ、蹴り倒し、口が開けないように顔面を踏みつけた。
天使さん怖い。

その状態のまま天使さんから受けた説明をまとめると、俺たち人間に天使や悪魔の姿が見えることはなく、耳元で囁く声さえも聞こえることはなく、ただ聞こえずともその囁きによって人間は善行か悪行を選択するのだという。
そしてその囁きは天使と悪魔の力量によって左右されるらしい。

とりわけこの天使さんは悪魔さんより強いようだ。
天使さんの足の下でもがく悪魔さんはもはやただの芋虫にしか見えない。


「それで、あなたはその財布をどうするのですか?」

「え、いや、普通に警察に届けます」

「さすが人の子。あなたには我らが父のご加護があるでしょう」


そんな素敵な笑顔で素敵なことを言われても足元で行われている悪行を見ていると背筋が凍るよ。

悪魔さんは俺の答えに満足がいかなかったようで、なんとか天使さんの足から顔だけ逃れると俺に向かってすごい剣幕で口を開いた。


「は、嘘だろ、536089円が何もしないで手に入るんだぞ! 考え直せよ人間! クソ神のクソ加護なんてなんの得にもなんねーんだぞ!」

「口を慎みなさい。我らが父の冒涜は大罪です」

「ぐぇ」


そしてまた踏みつけられる。

なんだか悪魔さんが可哀想に思えてきた。
しかしだからと言って悪魔さんを助けるために罪を犯すわけにもいかず、もう一度「警察に届けます」と宣言すれば、悪魔さんは舌を打ち黒い靄となって空に消えていった。
ぽかん、としていると天使さんは中身が抜けて緩んだ縄を纏めてどこかへ仕舞うと俺に笑顔を向けた。


「ご安心ください。彼は魔界へ逃げ帰っただけです」

「は、はあ」

「それでは私も天界へ帰ります。人の子よ、財布はきちんと警察へ届けるのですよ」

「は、はい」


天使さんは最後に一礼するとまばゆい光を放って俺が目を眩ませている間に姿を消した。

バス停に取り残される俺。これは確かに現実なのか、今夢から覚めたのか。
確かめるためにも俺は財布を開いていくら入っているのか確認することにした。


「……7、8、9……。536089円。悪魔さんが言ってた金額と一緒だ……」


ぞわぞわぞわ、と全身の穴という穴が開く。

なんか普通に会話してたけど今になって怖くなってきた。

とりあえず俺は天使さんと約束した通り財布を警察に届けるべく交番へ足を向けた。


帰宅後、風呂上がりにソシャゲのイベントガチャを回していると、0.001%という悪魔的な排出率にもかかわらず、一発で推しのSSRカードが出た。
もしかしたらこれが神のご加護というやつなのかもしれない。

普段はそんなこと言わないのに俺は「神様ありがとう」と天に向かって拝んでいた。
 
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