Present for you

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- Present for you -

 剥き出しの頬を撫でる風は冷たく、ともすれば肌を切り裂いてしまいそうな鋭さを孕んでいた。広がる空は重暗い鉛色に染まり、遠くに見える山々も厚い雲に覆われている。吐き出した息は淡雪のように舞い上がり、鼻先が少し痛むほどに冷え込んでいた。雪こそまだ降っていないが、この調子では近いうちに降り出すかもしれない。「雪が積もっていた方が暖かいんですよ」なんて笑っていたのは誰だったか。寒空の下で巡らせていた思考は、不意に聞こえた足音によって断ち切られた。

「こんな場所で考え事をしていては風邪を引きますよ。ドクター」

 振り返るとそこには見知った顔があった。いつも通りの黒いコートに身を包み、腰には剣を携えた仏頂面の男――ムリナールだ。彼はドクターの顔を一別するなり呆れたように小さく溜息すると、そのまま歩み寄って隣に並び立った。びゅう、と吹き抜けていった風がムリナールの提げていた紙袋を揺らす。その拍子にちらりと見えた中身に視線を向けると鮮やかな包装紙に包まれた箱やら小包のようなものが見て取れて、ドクターは思わず笑みを零した。どうやら彼の姪っ子達はこの堅物へ贈り物を渡すことが出来たらしい。

「今日の主役がこんなところに居ていいのかい? さっきまで引っ張りだこだったじゃないか」
「彼らは何かにかこつけて酒を飲みたいだけでしょう。それに、もう誕生日を祝われるような歳でもありません」

 そう言いながら、無理矢理押し付けられましたと言わんばかりに眉間に深いシワを寄せたムリナールを見て、ドクターはくつくつと喉の奥から笑い声を上げた。折角誕生日を祝ってもらっているのだから素直に喜んでおけば良いものを、相変わらず難儀な性格をしているものだ。そんなことを思いながらも口に出せば機嫌を損ねてしまうだろうことは明白なので、ドクターは何も言わずに肩を竦めてみせた。
 確かにムリナールの言う通り、彼含む数人のオペレーターの誕生日を纏めて祝う名目で宴会を開いていた面子の大半は酒かケーキかどんちゃん騒ぎを楽しむことが目的のようだが、彼らにも純粋に誰かを祝いたいという想いはあるだろう。今日ばかりは諦めろと言う代わりに苦笑を浮かべれば、ムリナールは何とも言えない表情で目を伏せた。
 へたり、と彼の頭上で力無く倒れた耳や哀愁漂う背中をよくよく観察してみれば紙テープの破片やら妙にメタリックな紙吹雪の欠片らしきものが付着しているのが見えた。これはまた随分と盛大な歓迎を受けたらしい。

「あの子たちもまた派手にやったみたいだね? さっき食堂の掃除当番の子とすれ違ったけど”こんな季節じゃ無かったら甲板に吊るし上げてやるのに!”って怒ってたよ」
「……爆撃でもされたのかと思った」

 ぼそりと呟かれた言葉にドクターは思わず吹き出した。何かとお騒がせな彼らソーンズとエリジウムが特大のクラッカーを試作していたのは知っていたが、まさかこの男相手にそれをぶっぱなすとは思わなかった。もしかしたら流れクラッカーに巻き込まれただけかもしれないが、どちらにせよ災難なことに変わりは無い。

「ほら、ちょっと屈んで。取ってあげるから」

 ドクターの言葉に従い僅かに腰を落としたムリナールの頭頂部付近に手を伸ばす。指先で触れた金糸は柔らかく、絡まっていたテープやら何やらは軽く払ってやれば抵抗無くするりと抜け落ちた。次いで少し乱れてしまった髪を手櫛で整えつつ頭を撫でるように何度か往復させると、むず痒いのか小さく身動ぎされる。だが特に拒絶されないところを見る限り満更でもないらしい。仕上げに前髪を撫で付け、引っ込めようとした手首が捕らえられた。
 一体どうしたんだと首を傾げる間もなく、ぐいと引かれるままに体勢が崩れたところを抱き留められ、あっという間に唇を奪われる。突然の出来事に固まっているドクターをよそにムリナールは冷えた指先を絡め取った。指先に熱を分け与えていくように擦り合わされる指先が心地いい。啄ばむような軽いキスが徐々に深まっていき、舌先同士が緩く絡み合った。互いの唾液を交換し合う水音が鼓膜を刺激する度に身体の中心に灯った火がじわじわと燻ってゆく。ほのかに香るアルコールの匂いに自分まで酔ってしまいそうだった。
 最後にちゅっと音を立てて離れていった薄い唇が名残惜しげに銀糸を紡いで、やがてぷつりと途切れた。ドクターはすっかり上がってしまった息を整えながら恨めしげにムリナールを見上げる。こんなところで何を考えているのだ、この男は。非難の眼差しを向けられたムリナールはといえば何処吹く風といった様子で、むしろドクターの方が悪いと言いたげな顔をしていた。

「こんなに指先も冷えきって……本当に風邪をひいても知らんぞ」

 非難めいた言葉の割に囁かれる声は酷く優しい。絡めあった指先が解かれ、温かなムリナールの頬へと導かれる。すり、と甘えるように掌へ擦り寄られてしまえば、ドクターにはもう何も言えなかった。普段は年上の余裕を漂わせている癖に時折見せる甘えたがりというか、末っ子気質なところがずるくて、可愛らしくて、愛おしくなる。

「そろそろ戻るよ。流石に寒いしね。あ、そうだ、ブレイズ達ってもう酔い潰れ……」

 かわいらしい年上の弟を宥めるように軽く頬を撫でてから艦内に戻ろうと踵を返したドクターだったが、言い終わる前に金色の塊に行く手を阻まれた。同族の中でも特に立派な尾がまるで逃さないと言わんばかりに揺れ動く。ムリナールの何かを訴えるような視線に、ドクターは再び溜息を零す。こういう時の彼はいつも決まって強請るような、或いは拗ねた子供のような表情をするのだ。寒いから早く戻ろう、と軽く促してみても返ってくるのは沈黙のみ。

「……私には、無いのか」

 たっぷり数十秒の空白の後、ぽつりと吐き出された言葉の意味を理解すると同時に、ドクターは思わず吹き出しそうになった。つい先程誕生日なんて、とボヤいていた男がまさかそんなことを言うなんて。堪えきれず漏れ出してしまった笑い声を聞いてムリナールはますます不機嫌そうな表情を浮かべたが、その耳はぴこぴこと忙しなく動き続けている。どうやら本気で臍を曲げている訳では無さそうだ。

「他のオペレーターにはちゃんとプレゼントを渡していただろう。私だけ除け者にするつもりなのか?」

 普段の彼からは想像できない程に、いじけた声色で責められる。ドクターは込み上げてくる可笑しさを押し殺しながらごめんね、と一言謝ると胸元から小さな封筒を取り出した。

「後で渡そうと思ってたんだけど……そんなに欲しかったなら先にあげるよ。これが〝ドクター〟からのプレゼントだよ。お誕生日おめでとう、ムリナール」

 赤いリボンの巻かれた小綺麗な白封筒。開けても? と目線で尋ねられれば断る理由も無い。どうぞ、と答えるより早くムリナールの指が装飾を剥ぎにかかる。しゅるりとリボンを解く音が寒空の下やけに大きく響いた。

「艦内のコーヒーショップで使えるチケットだよ。若い子には購買部の商品券だったりするけど……立場上、あまり待遇に差をつける訳にはいかないからさ」
「〝ドクター〟からの贈り物としては模範的だな。だが……」
「勿論〝私個人〟としての贈り物はまた別に用意してあるよ。だからほら、早く行こう?」

 明日は有給入れてるから、と蠱惑的な笑みを浮かべるドクターの鼻先に白い華が舞い落ちる。ふわり、ひらりと踊る雪は、はたして積もるだろうか。

*
 
「食堂寄っていい? 有給とるのに仕事詰めてたらケーキ食べ損ねちゃった」
「私が行くから先に戻って少しでも身体を温めておけ。折角の休みを風邪に譲ってやるつもりは無いぞ」
「はいはい。閣下の仰せのままに」
 冗談交じりのやりとりをしながら、二人は足早に艦内へと戻っていく。降り始めたばかりの初雪が、彼らの足跡を覆い隠しはじめていた。
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