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【完結】取引先の上司がストーカーです

「俺は変態じゃないのに…。」
「先輩、ほんとちょろいですね。どうして俺が落とせなかったんだろう…。」
そして再び、例の如く七緒に愚痴ってしまった。
会社近くのカフェで七緒は呆れた声を出す。
「まぁ、大丈夫ですよ、先輩。俺は先輩が殿村にどんなに汚されても、傷物になっても見捨てません。先輩の帰るところはあります!」
「…。」
俺はじとりと、熱く語る七緒を睨んだ。
傷物って…。
やはりこいつもどこかつき抜きけた変わり者だ。
七緒はあれ以来、碧の前で本性を晒すようになった。その本性は真っ黒だった。口は悪いし、達観しているが故に物事を斜に構えて物事を見ている。だが恋愛は純粋なものに拘りがあるらしい。訳が分からないし、碧が思うに七緒と殿村はそう変わらない。七緒もあと数年後は殿村の様になるのではとすら思う。七緒の出世も最速だろうしな。
ブーブー
「うわぁっ!」
「いや先輩、会社からの電話ですよ。ちゃんと表示見てください。もー、毎度ビクついて…ほらっ、殿村さんじゃないですよ。」
「…ぁ、本当だ。はい、もしもし、滝川です。」
「はぁー…。」
「え?今日中ですか⁈」
「?」
ホッとしたのも束の間、結局悪い知らせだった。システムの納品日誤りがあって、今日中に納品しろというものだった。
それからはバタバタと時間が過ぎてあっという間に深夜になってしまった。
ブーブー
先程からスマホがしつこくなっている。きっとまた殿村だろう。しかし今はあんな変人に構っている暇はない。
碧はスマホを無視して黙々と手を動かした。
「よしっ、先輩、レビュー終わったら納品準備をして終わりです!」
「はー、良かった!長かったなぁ…もう、12時過ぎちゃうな。」
「ですね…。」
なんとか最後のレビューも終わり、深夜一時前には家に帰れそうだった。
問題はそんな時に起きた。
「先輩、追加機能分のマニュアルがないです…。」
「え?いやいや、ほら、あるぞ?」
碧はぺらりと、印刷した書類を碧に渡した。
「いえ、中国語版と英語版の方です。」
「…え。」
そうか、この顧客は中国企業で、中国語と英語でもマニュアルを出せと言われていた。最後に翻訳して貰うつもりが、抜けていた…。
「先輩、俺、英語は出来ますけど。」
「うん。だよな…。…問題は中国語だよな…。」
ごくりと、七緒と碧はその場に固まった。
七緒は帰国子女だから、英語は堪能だ。しかし中国語となると厳しい。ネットの自動翻訳を使う手もあるが、自動翻訳はしばしば文法がくずれるので、顧客への納品物では言語に精通した人間がチェックする事になっていた。
「…七緒、俺、社内に残っている人間で探してくる。すまんが、先に英語版の作成頼む。」
「分かりました。」
碧はスマホを手にオフィスを出た。
中国語か…。営業部のリンさんとかいると良いんだけど…。
ブーブー
スマホがまた鳴っている。
「…。」
しかし深夜帯12時過ぎ、居室内の照明すらほぼほぼ付いていない。
碧は冷や汗を垂らして社内を見渡した。誰もいない。
ブーブー
ちらりとスマホを見るとやっぱり殿村だ。
《碧くん、なんで出ないの?そろそろ本当に心配だよ。》
《何かあった?》
殿村は海外行っていたし、そもそも海南物産の課長で…。
ブーブー
殿村が赴任していたのは欧米か?中国か?
《大丈夫じゃないよね?》
ブーブーブーブー

——————
「あー、良かった‼︎」
「楓くん…。」
エレベーターホールで、殿村は碧に抱きつかれていた。ついに殿村から電話がかかってきたのだった。
「ごめんね、やっぱり仕事中だったんだ…。全然連絡取れないから、事故とか拉致とか、心配でいても立ってもいられなくて…!」
拉致とか…。お前以外にされた事ないし、されるはずない。
窮地なのに、碧は殿村の物言いに内心少し笑ってしまった。
しかし殿村は本当に心配している様子だった。会社から一度家に帰っていたのに、再びここまでまた戻って来たのだろう。セットされていない髪が心持ちもっさりとしており、服もラフで私用の使い古した黒縁眼鏡をしている。
「本当、仕事中にごめんね!邪魔になるだろうから、俺は上の海南物産で待ってるね。終わったら連絡してね!この時間は危ないから、一人で帰るのはダメだよ!一緒にタクシーで帰ろう。」
「…あ、楓」
「?」
俺を慮り去ろうとする殿村を、引き止めてしまった…。
「…何?」
「いや…ごめん、大丈夫。何でもない。」
「本当?何かあった?」
殿村は困惑の色を濃くした。心配そうに碧の肩を掴む。
「楓くん、中国語は得意?」

——————-
そうだと思った。
殿村は語学が出来る。英語も、中国語も。
七緒が隣を不満気にチラチラと見る。
殿村はカタカタと、凄いスピードで中国語のマニュアルを作成していた。
七緒を横目で見て、殿村がふんと鼻を鳴らした。
「七緒さん、そこ、文法変ですよ。代わりに作りましょうか?」
「…分かってます!単数形と間違っただけです。」
「いやそれ、致命的だから。」
「っ!」
…多少の小競り合いはあったが、無事にマニュアルは完成した。

「楓くん、さっきはありがとう。楓くんも疲れていただろうに。」
二人で帰りのタクシーを外で待っている時、碧は何度目かの礼を殿村に述べた。
「いいよこれくらい。前にも言ったでしょ。」
「え?」
殿村は改めて碧に向き直り、その頬を撫でて微笑んだ。
「俺はいつでも碧の味方だよ。どんな事でも、どんな時でも、碧が困っていたら力になるからね。もっと頼ってね。」
「…ありがとう。」
殿村は笑いながら頷き、人目がないからと碧の手を握った。
「…。」
殿村はタクシーを探して再び前を見たが、碧はぼうっと殿村を見つめてしまった。
困っている時に駆けつけて、助けてくれた。こんな夜遅くに、きっと殿村だって疲れていたはずなのに。
街頭に照らされる、殿村の鼻筋の通った横顔。綺麗だ。大きな手が自分の手を包み込んで、それは前よりも嫌でない。
「…楓、帰ったら、する?」
「え?」
普通のトーンで投げかけられた碧の質問に、殿村は勢いよくこちらを見た。さっきまで綺麗だった顔は何処へやら、いつも涼しげな目が見開かれてまん丸になっている。
まさに、鳩が豆鉄砲を食らったって顔だな。
ちょっと笑える…。
くすりと碧は笑った。
「い、いいの?」
「うん。」
そうだ。そうあるべきだ。
じゃないと、変になりそうだ。あくまで自分は殿村に脅されているんだ。殿村は殿村で、自分への変態行為を見返りに優しくするんだ。こいつは只の変質者なんだ。
この胸中に湧く妙な感覚を否定するように、碧は頷いた。
しかしその夜は二人とも疲れていて、殿村は風呂上がりの碧の髪をまた丁寧に乾かして、その後は何もせずに寝てしまった。背中から自分を抱きしめる殿村の鼻息が、擽ったい。触れ合う箇所から伝わる心音が、心地よい。
あーあ。これではまるで、本当の恋人みたいじゃないか。
碧ばそよそよとつむじに当たる殿村の寝息を感じて、心地よい暖かさの中目を閉じた。
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