日記

オーバードーズ

2023/12/19 00:32
悩み暗い話
 今回は、何度も繰り返したことのある、私の唯一の自殺方法、オーバードーズした話をしたいと思います。

 暗いお話ですし、疲れてしまうと思うので、苦手な方はご注意を。




 私は幼稚園時代から家以外の場所へ通って、他の同い年の子達と一緒に過ごすことが、苦痛でした。

 小学校時代、幼稚園時代の躾の賜物で「嫌でも辛くても通わなくてはいけない場所」と刷り込まれた私は、泣き言も相談も親にしないお人形さんのような子供となりました。

 ただし、家の中だけは、唯一の大好きな友達Mちゃんの前だけは、素の自分を出せていました。

 オーバードーズをしたのは、小学校時代で小学校5、6年生の時が初めてだったと思います。

 母の睡眠薬を飲んで、ぶっ倒れた記憶があります。

 トイレに行こうとしてぶっ倒れたらしく、父が私を布団まで運んでくれたようです。

 次は中学生時代の入学式。

 風邪薬を一瓶飲んで、強烈な吐き気を催しながらも吐けず、苦しみ、朝方にやっと吐けたという辛い体験をしました。

 他にも何回か風邪薬を飲んでみたりしましたが、いずれも上手くいきませんでした。

 1番新しいのが、すごくいい会社なのに、会社に行くのが苦痛でもう働きたくなくて、精神薬を大量に飲んだことです。

 記憶、飛んじゃいました。

 ないんです、その時の記憶が。

 だから次に話すのは、家族から聞いた話です。

 私は体重を計ろうとして、体重計を持つも、ガッシャンガッシャンと何度も落とし、「体重計が壊れるからやめろ!」と姉がキレたとこで、ぶっ倒れたそうです。

 そして、布団に寝かされた私は口と鼻から吐瀉物を出して、目が覚めたそう。

 髪の毛も枕も吐瀉物だらけ、姉が「汚えなぁ、どうすんの?」と尋ねたところ、にへにへ笑いながら「大丈夫、自分で洗うから」と、風呂場で洗ったらしいです。全く記憶にないです。

 次に仕事の日だったので、会社に自分で休むことを電話したらしく、これまた記憶にない。
 
 ただ、次に会社に行った時は、上司が心配そうに「大丈夫?」と尋ねられたことで、私は一体どう話したのかと怖くなりました。

 それこそ、にへにへ笑いながら「あ、あのですねぇー今日は具合、悪くってぇ。えへへ、すみません。休ませてもらっても、いいですかぁー?」なんて、話したのでしょうか?

 そんなんだったら、上司もビビりますよね……。

 お酒で記憶をなくしたこともなく、初めての記憶を飛ばした出来事で、かなり怖かったです。

 希死念慮はまだあることはありますが、大切なネット友達のMさんに言われた言葉が、私の支えです。

 その日が近いとするならば、私はその日が来るまで、生きてみたいです。

「死にたい」けど、本当は生きられる、生活出来る道があるのならば、私は本当は「生きたい」のですから。
 
 反対に言うならば、私の場合は、将来的に生活出来ないかも知れない、たくさん働かなくてはいけないかも知れないという不安さえなくなれば、生きたいのですから。

 週4までが働くのが限界ならば、足りない分を生活保護や障害年金で補う。

 または、もっとやりたいことを挑戦してみて、お金を作り出すことを覚えてもいいかも知れない。

 超がつくほど下手でも、pixivに挑戦して、4コマ漫画だけで普通の漫画は描けないと思っているけれど、やってみてもいいかも知れない。

 私は現在、登録販売者を考えてますが、その話を母に話した時、

「君には無限の可能性がある」

 そう話してくれた母。

 考えれば、昔、私が漫画家になりたいと話した時、父も母も応援してくれたのです。

 なんでもやってみたいことをやってみればいいんですよね。

 石橋叩いて壊す性格、ちょっと変わって来てる感じがします。

 この間、大切なネット友達のハぬさまの同人誌を買うために、コンビニ決済したのも私にとっては、かなり勇気のいる行動でした。

 怖がりで臆病、相変わらずにすぐ逃げる性格ですが、行動して自分の可能性を広げてみたいですね。

 こんなこと話していて出来なかったらごめんなさい、逃げてしまったらごめんなさい、でもちょっと頑張ってみます……!!

 もしも、もしもの場合には、「死」という御守りがあるから、だからMさん、私、たつき諒さんが予言されているXデーの2025/7/5までとりあえず生きてみますね……!!

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