日記
とられちゃった友達
2023/12/05 00:16おしゃべり暗い話
今回は、不登校になったきっかけの、友達をとられちゃった話をしたいと思います。
長いですが、よかったらお付き合い頂けたら、嬉しいです。
私が不登校になったきっかけ。
それは友達のMちゃんをTちゃんに、とられちゃったからでした。
幼稚園時代に悪ガキだった私は、早くに厳しい私立の幼稚園に入れられて矯正され、すっかり外では大人しくて何も言わないお人形さんのような、暗い子として見られていました。
なので家族と3人の友達だけしか、本当の素直な自分を見せられなかったのですが、中でもMちゃんは特別でした。
なんでも話せて一緒にいると楽しくて、時間が経つのも忘れてしまう、そんな親友でした。
しかし小学5年生の時に、TちゃんにMちゃんをとられてしまって。
Mちゃんに依存していた私は、あっという間に心のバランスを崩しました。
Mちゃんはとても優しい子で、でも強い人に引っ張られてしまう、そんな子でした。
私よりもTちゃんの方が強くて、MちゃんはTちゃんにとられてしまいました。
『私のたったひとりの親友を取らないで』
『Tちゃんには他にもたくさんお友達、いるでしょう?』
MちゃんをTちゃんに取られて、心のバランスを崩した私は、不登校になりすっかり『問題児』になりました。
担任の先生がいきなり優しくなり気に掛け出したのを、覚えています。
私が学校に通えるように、Tちゃんの担任の先生と、私の担任の先生で話をして、月に10日だったかな、Mちゃんと一緒に登校する許可が下りました。
「いじめられる方にも問題がある」
その時に言った、Tちゃんの担任の先生の言葉が、忘れられません。
でも本当にそうだなって思います。
こうなる前の私は、わがままで自分勝手、友達を大事にしない最低な子供だったから。
そうして最初こそ、学校に着くまでの間、Mちゃんとおしゃべりしながら登校するのが嬉しかった私。
でも、学校に着けば、
「M!」
そうTちゃんに呼ばれてMちゃんが、ちらりと私を見ます。
「ごめんね、夢ちゃん」
そう言ってTちゃんの元に行ってしまうMちゃんの、後ろ姿を見送る悲しさ。
Mちゃんといられるのは、登校する時間だけ。
それから給食を食べる時間だけ。
あとの時間はほとんどが、MちゃんはTちゃんといました。
やがてはMちゃんと登校出来る日でも、学校に行きたくなくなり、私はまた不登校になって行きました。
そうして小学校を卒業して、中学校に上がった時、私はMちゃんと同じ中学校へ、Tちゃんは違う中学校に行きました。
しかし、全てが1からの中学校生活をやる気力は、もうありませんでした。
ずっと死を考えたり、いなくなりたくて仕方なかったです。
そんな状態で中学校生活が出来るはずもなく、私は中学校生活2日目で不登校になったのでした。
あとは、中学2年の時に別の友達が私に手紙をくれて励まし、学校に来ないか誘ってくれるまで、不登校になったのです。
結局のところ、Mちゃんにとっての私は『ただの友達』で『親友』ではありませんでした。
私だけが一方的に『親友』と思っていただけ。
その証拠にMちゃんは、不登校になった私に1度手紙をくれて1度遊んでくれただけで、それ以降は音沙汰なし。
たくさん泣きましたし、いまでも思い出すと胸が締め付けられます。
もう卒業して何年も経ちますが、Mちゃんに会いたいとは思いません。
大好きな友達だったけれど、同時に自分を選んでくれなかった悲しさと悔しさがあります。
それでも。
それでも、依存していた私に優しく接してくれて、楽しい話をして笑わせてくれたこと、いまでも忘れられません。
最後に彼女に言葉を贈りたいです。
Mちゃんへ。
Mちゃん、大好きだったよ。
ありがとう、私を笑わせてくれて。
ありがとう、私に優しくしてくれて。
あなたはとても優しい人だから、いまもたくさんのお友達に囲まれていることでしょう。
あなたに感謝を込めてもう1度。
「ありがとう」
長いですが、よかったらお付き合い頂けたら、嬉しいです。
私が不登校になったきっかけ。
それは友達のMちゃんをTちゃんに、とられちゃったからでした。
幼稚園時代に悪ガキだった私は、早くに厳しい私立の幼稚園に入れられて矯正され、すっかり外では大人しくて何も言わないお人形さんのような、暗い子として見られていました。
なので家族と3人の友達だけしか、本当の素直な自分を見せられなかったのですが、中でもMちゃんは特別でした。
なんでも話せて一緒にいると楽しくて、時間が経つのも忘れてしまう、そんな親友でした。
しかし小学5年生の時に、TちゃんにMちゃんをとられてしまって。
Mちゃんに依存していた私は、あっという間に心のバランスを崩しました。
Mちゃんはとても優しい子で、でも強い人に引っ張られてしまう、そんな子でした。
私よりもTちゃんの方が強くて、MちゃんはTちゃんにとられてしまいました。
『私のたったひとりの親友を取らないで』
『Tちゃんには他にもたくさんお友達、いるでしょう?』
MちゃんをTちゃんに取られて、心のバランスを崩した私は、不登校になりすっかり『問題児』になりました。
担任の先生がいきなり優しくなり気に掛け出したのを、覚えています。
私が学校に通えるように、Tちゃんの担任の先生と、私の担任の先生で話をして、月に10日だったかな、Mちゃんと一緒に登校する許可が下りました。
「いじめられる方にも問題がある」
その時に言った、Tちゃんの担任の先生の言葉が、忘れられません。
でも本当にそうだなって思います。
こうなる前の私は、わがままで自分勝手、友達を大事にしない最低な子供だったから。
そうして最初こそ、学校に着くまでの間、Mちゃんとおしゃべりしながら登校するのが嬉しかった私。
でも、学校に着けば、
「M!」
そうTちゃんに呼ばれてMちゃんが、ちらりと私を見ます。
「ごめんね、夢ちゃん」
そう言ってTちゃんの元に行ってしまうMちゃんの、後ろ姿を見送る悲しさ。
Mちゃんといられるのは、登校する時間だけ。
それから給食を食べる時間だけ。
あとの時間はほとんどが、MちゃんはTちゃんといました。
やがてはMちゃんと登校出来る日でも、学校に行きたくなくなり、私はまた不登校になって行きました。
そうして小学校を卒業して、中学校に上がった時、私はMちゃんと同じ中学校へ、Tちゃんは違う中学校に行きました。
しかし、全てが1からの中学校生活をやる気力は、もうありませんでした。
ずっと死を考えたり、いなくなりたくて仕方なかったです。
そんな状態で中学校生活が出来るはずもなく、私は中学校生活2日目で不登校になったのでした。
あとは、中学2年の時に別の友達が私に手紙をくれて励まし、学校に来ないか誘ってくれるまで、不登校になったのです。
結局のところ、Mちゃんにとっての私は『ただの友達』で『親友』ではありませんでした。
私だけが一方的に『親友』と思っていただけ。
その証拠にMちゃんは、不登校になった私に1度手紙をくれて1度遊んでくれただけで、それ以降は音沙汰なし。
たくさん泣きましたし、いまでも思い出すと胸が締め付けられます。
もう卒業して何年も経ちますが、Mちゃんに会いたいとは思いません。
大好きな友達だったけれど、同時に自分を選んでくれなかった悲しさと悔しさがあります。
それでも。
それでも、依存していた私に優しく接してくれて、楽しい話をして笑わせてくれたこと、いまでも忘れられません。
最後に彼女に言葉を贈りたいです。
Mちゃんへ。
Mちゃん、大好きだったよ。
ありがとう、私を笑わせてくれて。
ありがとう、私に優しくしてくれて。
あなたはとても優しい人だから、いまもたくさんのお友達に囲まれていることでしょう。
あなたに感謝を込めてもう1度。
「ありがとう」