日記
マザーコンプレックス
2023/11/16 00:17悩み家族の話
私はかなりのマザーコンプレックスを持っています。
小さい頃に悪ガキだったため、母に怒られてばかり、父には甘やかされて育てられました。
しかし、子供はやはり両親の好きが欲しくて、私はいつしか母に好かれようと、母の真似をし出しました。
母は私が悪さをするから怒っていただけなんですが、子供の私には嫌われているように感じる部分があって。
母の好きなもの、ゲゲゲの鬼太郎や妖怪、「平安時代の昔、紫色は高貴な人しかつけられなかったんだよ」という好きな色の紫色、天の邪鬼な母の癖である右利きなのに右腕に腕時計をつける。
好きなものを好きになり、天の邪鬼をかっこいいから真似をして、『来る者拒まず去る者追わず』を真似して、教訓にして。
しかし真似は真似、母の劣化コピー品でした、私は。
しかし、母に好かれるのは成功して、母は「夢は私と好みが似てるから」と、嬉しそうにするたびに、愛されていると感じていました。
そして、いつも母の味方でいて、父の悪口に付き合い一緒に共感して。
私がいなくなりました、どんどん、私というオリジナルがいなくなりました。
いつしかふと気がついたら、自分が好きなものも、好きなことも分からなくなっていました。
そんな状態から脱したのは、自分の好きを初めて見つけた時。
『Acid Black Cherry』さんが好きになった時かな、初めて母の好みからではなく、自分の好みから好きになりました。
母も『Acid Black Cherry』さんは好きですが、私が見つけた自分自身の好き。
そこからやがては、自分自身の好きを知るのが嬉しくなりました。
色は、紫と青と緑が好き、りんごジュースとマンゴージュースが好き、あとはあとは……自分を知るみたいで嬉しくて。
なので、最近よく飲む物やよく買う物で、『あれ?私これ好きなんじゃない?』と気付くことがあります。
私という人間は、母のようには成れなくて、むしろ正反対の人間でした。
随分、無理をしてきたなあと、思います。
そう、母の好きを優先して、母の嫌いを嫌いになる、共感する。
自分が無くなる、私という人間が無くなる。
漫画だと、家庭教師ヒットマンリボーンの雲雀恭弥が、初めて母に否定されても、好きと言えたキャラクターでした。
母には「ただのわがまま男だろ」と言われちゃいましたが、それに逆らって、自分の好きを貫けたことが嬉しかったです。
また最近だと五条先生、母も好きなんです。
ですが、母は昔の高専時代の五条先生が、私は現在の五条先生が好きと、意見が分かれました。
段々と、自分の好きを貫けて、無理に好きを隠すことなく、否定することなく、生きていけるのはすごく幸せで自由で、最近はますます自分探し、『自分はどんな人間で、どんな物やこと好きなのかな?』と、わくわくします。
遅い自分探しの旅、楽しんでいます。
小さい頃に悪ガキだったため、母に怒られてばかり、父には甘やかされて育てられました。
しかし、子供はやはり両親の好きが欲しくて、私はいつしか母に好かれようと、母の真似をし出しました。
母は私が悪さをするから怒っていただけなんですが、子供の私には嫌われているように感じる部分があって。
母の好きなもの、ゲゲゲの鬼太郎や妖怪、「平安時代の昔、紫色は高貴な人しかつけられなかったんだよ」という好きな色の紫色、天の邪鬼な母の癖である右利きなのに右腕に腕時計をつける。
好きなものを好きになり、天の邪鬼をかっこいいから真似をして、『来る者拒まず去る者追わず』を真似して、教訓にして。
しかし真似は真似、母の劣化コピー品でした、私は。
しかし、母に好かれるのは成功して、母は「夢は私と好みが似てるから」と、嬉しそうにするたびに、愛されていると感じていました。
そして、いつも母の味方でいて、父の悪口に付き合い一緒に共感して。
私がいなくなりました、どんどん、私というオリジナルがいなくなりました。
いつしかふと気がついたら、自分が好きなものも、好きなことも分からなくなっていました。
そんな状態から脱したのは、自分の好きを初めて見つけた時。
『Acid Black Cherry』さんが好きになった時かな、初めて母の好みからではなく、自分の好みから好きになりました。
母も『Acid Black Cherry』さんは好きですが、私が見つけた自分自身の好き。
そこからやがては、自分自身の好きを知るのが嬉しくなりました。
色は、紫と青と緑が好き、りんごジュースとマンゴージュースが好き、あとはあとは……自分を知るみたいで嬉しくて。
なので、最近よく飲む物やよく買う物で、『あれ?私これ好きなんじゃない?』と気付くことがあります。
私という人間は、母のようには成れなくて、むしろ正反対の人間でした。
随分、無理をしてきたなあと、思います。
そう、母の好きを優先して、母の嫌いを嫌いになる、共感する。
自分が無くなる、私という人間が無くなる。
漫画だと、家庭教師ヒットマンリボーンの雲雀恭弥が、初めて母に否定されても、好きと言えたキャラクターでした。
母には「ただのわがまま男だろ」と言われちゃいましたが、それに逆らって、自分の好きを貫けたことが嬉しかったです。
また最近だと五条先生、母も好きなんです。
ですが、母は昔の高専時代の五条先生が、私は現在の五条先生が好きと、意見が分かれました。
段々と、自分の好きを貫けて、無理に好きを隠すことなく、否定することなく、生きていけるのはすごく幸せで自由で、最近はますます自分探し、『自分はどんな人間で、どんな物やこと好きなのかな?』と、わくわくします。
遅い自分探しの旅、楽しんでいます。