日記

中学校生活

2023/10/06 00:15
おしゃべり暗い話
 小学校時代ですでに保健室登校と不登校を繰り返し、なんとか終業式には出た私。

 そのまま4月の中学校入学式には出るものの、当日嫌で嫌で、風邪薬をひと瓶飲み、すさまじい吐き気が起こりつつも、なかなか吐けず、朝方にやっと吐いてふらふら。

 そんな状態での入学式でした。

 それから1、2日中学校に行っただけで、すぐに不登校になり、ずっと家に引きこもったせいで太りました。

 不登校ってズル休みみたいで、同級生たちからしたら、普通体調が悪いから休むものなのに、元気で休むのが変と思われて。

 そんな元気なクセして外にお出掛けすると、『アイツ学校休んでるクセして、遊んでる』と思われるのが嫌で、段々と外出が出来なくなり、太ったのでした。

 中学校2年生の時、小学校時代からの同級生が、お手紙をくれました。

 私を気遣ってくれる優しい手紙で、とても温かな気持ちになりました。

 彼女、Kさんと文通するようになり、やがては彼女のおかげで中学2年で久しぶりに学校に行くようになりました。

 しかし、教室には入れず、心理カウンセラーの来る部屋で、過ごすことになりました。

 私の中学校では、心の悩みを相談出来る、心理カウンセラーが常在していました。

 先生方は、不登校だった私がやっと登校したと喜び、優しくしてくれました。

 心理カウンセラー室でしていたのは、家にあった英語の絵本の翻訳や、みんなが授業中に図書室で本を借りたりとか、先生方のお手伝いで模造紙に文字を書いたり、心理カウンセラーの方とお話したり。

 元々勉強嫌いな人間だったため、勉強はからきしで、なんか先生方のお手伝いをよくしていたような気がします。

 お昼ご飯の時間には、Kさんが来てくれて、一緒にお弁当を食べました。

 彼女は自分でお弁当を作ってきていて、卵焼きをひとつもらった時、『Kさんはいいお嫁さんになるね!』なんて、話をしました。

 調理実習のあった日は、Kさんがシャケのホイル焼きを作ってきてくれて、美味しく頂きました。

 美術部に入っていたKさんに連れられて、美術部に見学に行きましたが、自分から輪に入れなかった私は、美術部の先生に、

「自分から輪に入らなきゃダメなのにねえ~」

 と、上級生たちとクスクス笑われてしまい、すっかり美術部に入る気が失せました。

 Kさんは、教室内で数人からいじめられており、机をノリでベタベタにされたり、嫌なことを言われたりしていて、その度に先生に相談したそうですが、一向によくならなかったみたいでした。

 元々私の中学校は不良校だったので、真面目で大人しい子は、いじめられるか不登校になるかでした。

 不良にならなければやって行けない学校で、また私の時代は学区内で中学校を決められていたため、中学校の選択の余地はありませんでした。

 修学旅行の時、Kさんに一緒に修学旅行に来て欲しい。と言われましたが、集団生活、しかもずっと一緒に過ごしていない同級生たちとの、修学旅行なんて私には無理で、断ってしまいました。

 きっと彼女はとても辛い修学旅行を経験したんだと思います。

 私は自分のために優しくしてくれたKさんの力になるよりも、自分の『嫌!』という気持ちを優先したのです。

 それからは、中学2年の先生が、私のことを気に掛けてくれていたのはいいのですが、その先生、S先生はまさかのKさんの家庭訪問の時、私の話ばかりをしたそうです。

 Kさんの家庭訪問、三者面談で、あろうことかKさんについてではなく、私の話ばかりをして、(一体なにを話したんだか)後にKさんに、「S先生、夢ちゃんの話ばかりを三者面談でしたんだよ……私の家庭訪問なのに夢ちゃんの話ばかり」と、言われてしまい、そこから彼女とはギクシャクしてしまいました。

 やがて中学校3年生に上がると、担任も変わり、担任の方針でお昼ご飯の時間、Kさんが同級生たちと仲良くなれるようにと、Kさんは教室内で食べることになってしまいました。

 多分、これが彼女にとって、決め手になったのかな、Kさんは不登校になってしまいました。

 Kさんが不登校になれば次は私が先生方に、Kさんが学校に来るように説得して欲しい、と頼まれ、彼女の家に寄り、話そうとしました。

 話したけれど、とてもじゃないけれど、彼女はもうそんな状態ではない、もう学校には来る気はないんだな、という意思を感じました。

 そうして私の中学校3年生活は幕を閉じました。

 確かKさんのいない学校なんてもう通うのも嫌だったので、中学3年生の時に確かまた不登校になっていた気がします。

 あの時には出来なかったこと、いまのメンタルなら彼女のために出来たのになあと、いまでも思い出すと後悔ばかりです。

 彼女Kさんはその後無事に高校に入り、介護施設の勉強をしていました。

 タオルを硬く絞るのが大変で、難しいとか話してくれました。

 そうしてKさんとは疎遠になり、いまでは音信不通です。

 きっと彼女はいま、介護施設で頑張って働いていることでしょう。

 優しい子でしたから、お年寄りの方々に喜ばれ愛されているんではないでしょうか。

 そうして私は高校に入学なんてせず、働こうともせず、また元の引きこもりに戻ったのでした。

 

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