夏空蜃気楼


「武藤、遊戯?」
そう名乗った目の前の彼を見つめ、思わず《遊戯》は呟いた。
「へぇ。あんた、オレと同姓同名なんだな。オレも武藤《遊戯》って言うんだぜ」
「実は…知ってる」
「え?」
何故。そう聞こうとした矢先、遊戯は自分の指を唇に当て、"静かに"というジェスチャーをする。視線が移動した先に《遊戯》も注意を向けると、すぐそばで何人かの生徒の声がした。
"さっき誰か、鍵開けてとか言ってなかった?""気のせいじゃない? 誰も居ないし"と、薄い壁越しに聞こえる会話と物音。それらが一旦遠退くと、遊戯は安心したように息を吐いた。
「話、途中になっちゃった。ゴメンね」
声を潜めて、遊戯はそう言った。そして、狭い室内の床に座るよう《遊戯》に促すと、自分は入口近くに置いてある棚から何かを探すような素振りを見せる。
「君って結構有名人だから、色んな噂聞こえてくるよ。…あった!」
「噂?」
「凄く頭がいいとか、スポーツも何でも出来ちゃうとか。あ、でも友達は居ないっていう話も聞いた」
「…余計なお世話だぜ」
勝手に広められる噂に対して、《遊戯》は軽く眉根を寄せて視線を下へと落とすが、両手で箱のような物を抱えて近付いてくる遊戯へ視線を戻した。
壁に背を預けて座る《遊戯》の前に向かい合い、遊戯はペタリと座り込む。
「あの…コレ、ボクのせいだよね。ホントに…ごめんなさい」
何を言うのかと思っていたら、《遊戯》の切れた口元に手を伸ばし、触れるか触れないかの距離で遊戯は謝罪の言葉を口にした。大きな瞳がゆらゆらと揺れて、見ている《遊戯》の方がいたたまれない気持ちに駆られる程だ。
「いや、別にあんたのせいじゃ…」
「嘘! あの時ボクと目が合ったでしょ? だから気を取られて殴られて…」
遊戯が探して持ってきたのはどうやら救急箱のようで、その箱の中から消毒液を取り出しながら《遊戯》の顔を覗き込む。
「あれはオレの不注意だ。あんたが気に病む事じゃないぜ。…つっ…」
「…しみる?」
口の中に液が入ってしまわないように気を使いながら、しかし、手慣れた動きで遊戯は処置を進める。
「少しな。…なぁ」
「何?」
「さっきの大声、あんたなんだろう?」
「えっ…!! あ、その…!」
いきなりの話題に、つい声を張り上げてしまったが、そろそろ部活動が始まる時刻である為、吹奏楽部が使う音楽室から様々な音色が響いてきている。小声で話していた二人だったが、多少大声を出したとしても問題は無さそうだった。
「助けてくれたんだろ? オレの事」
「えっと…! ボク、あんな時どうしたらいいか全然分かんなくて…。君とあの人達の間に割って入ろうかとも思ったんだけど、ボクが入った所で状況は変わらないなって思ったんだ。むしろ、悪い方に行くんじゃないか、とも思った」
「正解だろうな」
「うっ…」
「だが、おかげで助かった。ありがとう」
「ううん、あんなカッコ悪い助け方しか出来なくて…。恥ずかしいや」
《遊戯》が笑いかけると、それにつられるように遊戯も笑った。
「君って、結構笑ったり…表情変わるんだね。もっと無愛想な人かと思ってた」
「オレも似たような事思ったぜ。あんた、一見はビクビクおどおどしてて笑わなそうだってな。」
「なっ…! さっきからちょっと失礼じゃない? ボクはちゃんと笑えるもんっ」
「オレだって笑えるぜ」
遊戯は、ぷぅと頬を膨らませると手元の箱から絆創膏を取り出し、少しだけ乱暴に《遊戯》の傷の上から張り付けた。
「いっ…」
「ごめん! やりすぎたかも…。痛かった?」
「あぁ、さっき殴られた時より数倍な」
ニヤリと口角を上げてみせる《遊戯》に、からかわれたのだと気付いた遊戯が"もー!!"と声を上げる。
「ぷっ…」
「ふふっ、あははっ!!」
お互いが初対面であるにもかかわらず、ここまで打ち解けた事が何だかおかしくなって、笑った。
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