短編

19:30自宅の玄関前で少しぼんやりしてしまう。
カバンからキーケースを触感のみで探す。
就職祝いに自分で少し奮発して買ったやつ、
すぐ物をなくす彼氏に色が同じで、形違い、首から下げられるタイプのものと合鍵を共に渡したことがもはや懐かしい。

鍵を捻っても開かないドア、「…はぁ、?」ため息と共に疑問符が転がり出る。(絶対朝、鍵閉めて家出たもん…)
もう一度手首を捻り解錠する。扉を開くと見覚えのある靴。かかとが踏まれてクタクタのスニーカー、靴紐も黒く汚れている。

「千歳ぇ、勝手に来るの良いけど鍵は閉めてよ」
短くて暗い廊下を文句を言いながら歩く。
リビングに続くドアを開けると、小さいソファに収まり切らずに投げ出される長い手脚。
そもそも連絡して欲しいのだけど。と思いながら荷物をおろす。

「あちゃー!鍵ば閉めたつもりだったったい」
悪いと思っているのかいないのか、軽い返事が返ってくる。ソファの後ろを横切り洗面所で手を洗う。
千歳がまたジブリ映画を見てる。テレビでやってたやつを録画して何度も繰り返し見ているせいで、CMの順番まで覚えてしまった。

「ご飯いるの?」部屋着に着替えながら声をかける。
彼は本当に自由だ、フラっとやってきてはご飯を食べて帰ったり、食べずに寝てたり、朝になったらいなかったり。なので毎回ご飯を一緒に食べるのか聞かなきゃならない。
時々、本当に付き合ってるのか疑問に思う。
毎日うちにいる時期もあれば、2、3ヶ月平気で連絡がつかないこともある。それでも千歳を彼氏と呼ばないと拗ねるので、一応、付き合っているつもりなのだろう。
私としては気まぐれな猫か、気分屋の大型犬に懐かれたくらいの気持ちでいる。それくらいの距離感。

「食べるったい」と鼻歌を歌いながらこちらに寄ってくる巨人を可愛いと思ってしまうのだから、私は結構彼のことが好きなんだろう。
キッチンで適当に晩御飯を作る私の後ろをふわふわとついてくる千歳を邪魔だと思いつつ許容する。
いつから家にいたかわからないけど、ご飯作ってくれてたらもっと歓迎できるのにとほんのり考えた。
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「先、お風呂入ったら?」食後に皿を洗いながら彼に話しかける。これも今後の動きを確認するために聞く。
帰るかもしれないし泊まるかもしれない。
向こうからスケジュールを教えてくれれば良いのだが、それができる人間じゃないことはもう知っているので、遠い昔に諦めた。私のリズムが崩れない程度に適宜声をかける。

「一緒に入らんね」
優しい言葉で誘ってる風で決定事項のように言う彼はずるくて可愛いと思う。
いちゃいちゃするば〜いと楽しそうにタオルを準備する背中に「ごめんけど明日も仕事だから、いちゃいちゃはしないよ」なんて言えない。
勝手に入浴剤まで選んでてどうしようかと思う。

流されるまま一緒にお風呂に入る。
一人暮らしのアパートのそんなに広くない風呂に190㎝越えの千歳と入るのは狭すぎる。彼の足の間に小さくなって湯船に浸かる。柑橘系の香りの入浴剤でお湯がオレンジ色だった。
彼はやっぱり鼻歌を歌いながら、私のお腹の肉をふにふにと触る。くすぐったい。
「あした、クラゲば見に行こったい」頭上から降り注いだ言葉が唐突すぎて聞き返す。
「クラゲ?明日?」
当たり前みたいに誘われているが、明日は仕事だし聞き返したとて返事はNOなのだけれど。

「明日、会社ば休んでクラゲ見に行かんね?」

全部わかってて言うのずるいんだよな〜、前からずっとそう、私の心の声聞こえてるみたいに、全部知ってて甘えるように言葉を放つ。
明日も仕事だと知ってて一緒にお風呂に入るし、クラゲを見ようと誘う。ずるいやつ。
そんなの行きたいに決まってる。誰がどう考えても会社に行くより、好きな男とクラゲ見る方が幸せなんだから。

「ダメでーす。大学生と違ってそう簡単にはサボれません」
しかし私は悲しいことに大人なので、今度、有給取るからその時行こうねーとあしらいつつ、するりと彼の足の間を抜け出してタオルを巻きつける。
千歳がくすくす笑いながら後をついてくる。

「むぞらしか」
声が聞こえた時にはもう、彼の腕の中で、あっという間に体は宙に浮いていて、髪の毛も濡れたまま寝室に運び込まれる。

私は口でだけ「わー」とか「やめて〜」なんて言って、この後のいちゃいちゃ延長戦を期待していた。
そんな中でも、アラームだけはかけなきゃな。とか起きられるかな。と冷静な自分に笑ってしまった。
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