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Dr.stone

[Rainy, Rainbow Later]
※造船時にはたいゆず付き合ってる軸


 杠はときどき、どこか遠くを見つめている。
 目の前にいるのに、手を伸ばしても気づいてもらえずに、あの小さな体をすり抜けて自分の手が地面へ落ちてしまうような気がして、手を伸ばすのが、声をかけることが怖くなるときがある。小学生の頃からずっと言えずにいた杠への好意を伝える時のような『告白』とはまた違う、杠に対する躊躇。普段の杠では感じない違和感のようなものーーー、端的に言えば杠がどこかに消えてしまうのではないかという恐怖が、その時の杠にはあるのだ。
 他の誰かに、このことを共有したことはない。そもそも、そう思っているのは俺だけかもしれない。

 だが、そんな時の杠は必ず、俺のことを呼ぶのだ。


◇  ◇ ◇


 宝島に向けて長期に渡って続いていた造船作業にも、終わりの目星が見えてきたある日。
 いつもよりそわそわした空気が科学王国を包む一方で、変わらない日常が今日も始まる。長く続いた雨のせいで溜まってしまった洗濯物を干すべく、朝から両手いっぱいに持って慌ただしく村中を駆けていたのは数分前。
 あらかた準備も進んできたので、昼飯を持ってきてくれた陽と一緒に一息ついていると、なぜだが村の中心部が騒がしい。目の前を慌ただしく通り過ぎていく村の子どもたちに聞くと、どうやら千空と杠が新たな洋服を拵えてファッションショーをするらしい、と興奮した様子で話してくれた。
「大樹と陽もほら!一緒に行くんだよ!今回のも杠がいーっぱい頑張って作った、とっておきの自信作らしいんだよ!」
 いつのまにか後ろに立っていたスイカに背中を押される。先ほど話をしてくれた子どもたちはとっくに走り去ってしまったようで、ファッションショーが終わらないうちにと慌てて立ち上がる。
「きっと杠は、だれより大樹に自分が作った服をみてほしいって思ってるんだよ!」
「ああ、そうだな!杠も色んな人に服を見てほしいし、ファッションを楽しんでほしいと思っているだろう!」
 楽しみだと笑えば、隣にいた陽が変な顔をして背中を押していたスイカの手は固まった。何かしてしまっただろうかと二人の顔を交互に見比べていると、スイカはポカリと俺の背中を叩いて、先ほどまでの不自然な間がなかったかのように村の方へ去って行った。どうしたんだと隣を見ると、陽は「一番気づくべき本人がこれだかんなあ」と一人納得したように頷いている。ますます頭の中に疑問符が追加されたが「ま、さっさと行こうぜ」と歩き出した陽の後ろ姿を見て慌てて付いて行った。
「杠のやつ、ずっとミシンの前にひっついていたからよー。好きなこともでもやって息抜きになったんならなによりだわ。なあ、大樹」
 そう軽やかな笑みを浮かべる陽につられて、同じように自分の頬も緩む。
「そうだな!杠は頑張りすぎるところがあるからな。気球で使う布作りでもずっと働いていたから、あの時は杠の体調が心配だったんだ」
 布づくりの時の杠は、風が吹けば飛んでしまうくらいにやつれていたから、と口にはせずに喉元で言葉を消化する。
「つーかそう思うならよ、倒れる前に杠を抱き上げるかなんかしてミシンの前から引き剥がしてよ、無理やりにでも止めりゃあいいじゃん」
「むう、それはまるで杠の意思を無視するようじゃないか。俺には出来そうもないぞ」
 杠に無理はしてほしくないが、のびのびとやりたいことをしてほしいとも思っている。唸る俺に、陽はこれ名案じゃね?と手を打った。
「なら、杠にキスすりゃいいんじゃね?女はキスに弱いってゆーし、熱烈なモンなら効果抜群じゃんよ」
「なっ……?!キ、キキっ、ス!?そ、それは!!他の人の目もあるなかで大胆なことをしてしまえば、杠だけでなく、村の皆にも俺たちの普段の言動にあらぬ誤解が……!!」
「いや、そんな本気にすんなよ……陽くんのジョーダンじゃん」
 足を止めて慌ただしく否定していたら、ドン引きした陽にどうどうと宥める。
「あ、ああ……それに、杠はああ見えて頑固なところがあるからな。杠が納得するまでは、誰も杠を止めることはできない」
「うぇーい……杠ってちょっと狂気入ってんもんな。そこは追々、旦那としてちゃんと制御できるようになれよ」
 立ち止まった俺の背中をバシッと叩くと、陽は先へ歩いて行く。今日はやけに背中を叩かれる気がすると思いながら、陽の後を追いかけるように、村の中心までの長くない道のりを小走りで進んで行った。もちろん、否定の言葉も忘れずに。
「杠は!!まだ妻ではない!!」


◇  ◇ ◇


 村のひらけた場所に到着すると、杠の作った新作の洋服を見るべく若い女子を中心に村中から人が集まりだしていた。どうやら今回の新作も村の人には真新しいようで、わらわらと人だかりができている。杠は、服の仕様を細かく聞き出そうとする村人を前に少し疲れ顔だ。しかしながら、どうにも周りの人たちが口々に杠に話しかけるものだから、ほとんどの話は杠の耳にはあまり入っていないようだった。
 離れたところからみた杠は、か細い体をまるで重たいもののように無理矢理持ち上げているような疲れがあるように見えた。すぐにでも駆け寄りたいが、人だかりを割って入るわけにはいかないので、少し遠回りになるが裏にまわりこむ。
「あ゙ー、大繁盛なのはおありがてえが、杠はこれから休憩に入る。代わりにゲンがテメーらの質問に答えてくれっから、誰か杠に付き添ってやってくれ」
「そうそう、杠ちゃんは今から休むから……って俺ぇ!?千空ちゃん、さすがのメンタリストもその~、女の子の服とかさ~、そういうのは詳しくないんだけど~?」
「あ゙ぁ?テメーならなんとかなんだろ」
「ドイヒ~~!!いっつも無茶ぶりが過ぎるのよ千空ちゃんは!!でも、まあね、杠ちゃんのためにもね……は~い!じゃあみんな~、まずは金郎ちゃんを観て~!!」
 千空がゲンの名を出したことで注目を浴びたゲンは、小言を言いつつもにこやかに周りの視線を集めるように話し出した。人々の視線が外れたのを確認したであろう千空は、隣に立つ杠に声をかけるべく口を開く。その刹那に、近づいてきた俺と目が合った千空は、何かを託すかのように頷いた。
「杠。後は俺とゲンで何とかする。テメーは休んで来い」
「ありがとう千空くん。えっと、じゃあ……誰か大樹くんを呼んでもらってもいいかな」
 へにゃりと顔を緩める杠。その口が俺の名を呼んだ途端に飛び出して、彼女の元へ駆け寄る。以前のように、何度も倒れるほど杠も無茶はしないだろうと分かっていても、すぐにでも杠を支えてやりたいと動き出さんばかりの体が、杠の発した声とともに飛び出していた。
「杠―!!俺を呼んだかー!!」
「ワオ、すぐに来てくれた。千空くんが休んでいいって言ってくれたから、ちょっと付き合ってほしいな」
 ほんの少しの申し訳なさを滲ませて覇気なく笑う杠に、遠慮なんてしないでほしいと伝えたい。俺は杠のためならどんなことでもしたいんだと分かってほしくて、彼女の望む言葉を惜しみなく口にすべく、大きく息を吸いこむ。
「ああ、もちろんだ!」
 俺は持ち合わせる全身全霊の想いを込めて、そう言葉にした。


◇  ◇ ◇


 村から少し離れた大きなクスノキの下で雑談を交わせながら休憩しているうちに、俺はいつの間にか寝てしまっていたようだった。杠の言葉遣いや声色の心地よさは、時折子守唄のように感じられるから不思議だ。
 顔を上げると、昼間はあんなに元気に顔を出していた太陽が山に隠れ始めていた。遠くから大量の洗濯物を片付けているらしい村の人たちの声が聞こえる。どうやら陽とマグマが言い合いをしているみたいで、あまり順調には進んでいないようではあるが。
 それに混じって、炊事場からはいつもより特別いい匂いが風に運ばれてここまで来ている。ふぅと息をつき耳をすますと、村のこどもたちの浮き足立ったどたばたの足音、クスクスとした笑い声。何をしているのか想像すると、こちらまで楽しくなってくるような、いつもより少し賑やかな様子に頬が緩む。
「すまん、寝てしまっていたようだ。杠、そろそろ村に……」
 ハッと息を飲んだ。杠のその姿を見るや否や、まるで金縛りに遭ったかのようにそれ以上言葉を続けることができなかった。
 木々の間から差し込む橙色は、森の粒子を反射してキラキラと杠の周りを舞っている。その周囲は深く影を落とし始めていて、影が足下から杠を飲み込んでどっぷりと暗闇に落ちてしまいそうな気さえした。
 その異様とも思える光景に背筋に冷たいものが走り、今までにない恐怖を感じた。と同時に今、手を伸ばさなければ、本当に杠がいなくなってしまうような気がした。いつか考えていた、杠に触れられず己の手が地面に落ちるかもしれないという拙い不安すら気に留めず、気付いたらその小さな体に手を伸ばしていた。
「ん?なんだいね?そんな顔して」
 俺の手が地面に落ちることはなかった。その代わり落ちてきたのは不思議そうな杠の声と、杠の腕を掴んでいる感覚。
「あ……いや、それが……」
 自分でも気付かないうちに動いていた俺は、意識していなかったことへの説明が上手くいかず、意味を成さない言葉だけが口から吐き出された。あまりに急なことに、喉が張り付いてしまったように声が出てこない。今更になって心臓がバクバクと音を立ててきた。腕を掴んでいる手もじっとりと汗ばんでいる。
 俺の様子が普段と違うことに何かを感じた杠が、自身の腕を掴んでいた大きな手を緩やかにほどいて、互いの指を絡ませるようにやわらかく握ってくれた。
「言いにくいことなら、無理に話さなくても大丈夫だよ」
 繋がれた指先から、彼女のぬくもりと優しさが伝わってくる。先ほどの恐怖を打ち消してくれるかのように。言葉が見つからないだけなのだと首を振れば、ゆっくりでいいよと言うかのように身体を寄せられた。
「違うんだ」
「うん」
「杠に言えないことなどないんだ」
「うん」
 杠の手つきとそっくりの優しい声がゆっくりと相槌を打つ。
「ただ、なんと言えばいいのか……」
 煮え切らない俺の言葉に、それでも杠は俺の意思を尊重しようと、黙って続きを待っていてくれる。
「俺は、杠が、いなくなってしまうような、気がして、だな……」
 たっぷり時間をかけて言ったにも関わらず、それもまた自分の意に沿わないような言葉だった。こんなことを言うはずではなかったのに。少し落ち着いたと思っていてもやはり頭はまわっておらず、またじわじわと手が汗ばんでくる。意味不明な言葉では杠を困らせてしまう。それだけが、曇った思考の中で鮮明に理解できた。
 どうしたらいいのか分からなくなり恐る恐る杠を見遣ると、彼女は幼い子の我儘に手を焼くような顔で、困ったように眉を下げて微笑んだ。
「いなくならないよ。千空くんからも、しばらくは休んでいいって言ってもらったんだし。司くんとこにスパイしていた時みたいな、極秘のミッションもないですぞ」
「ああ……、そう、なんだが……」
「……今日の大樹くん、なんだか変なのっ!」
 杠が茶化したように言って、空気を変えてくれようとしている。これ以上は無理しなくてもいいと言うように。だが、ここで逃げてはいけない。杠の優しさを無下にすることになっても、俺は杠と向き合わないといけないのだ。
「それ、は……今日に始まったことじゃないんだ」
 今、逃げてしまっては、杠の抱えているものをこれからも聴き出せないかもしれない。杠がこれからも、何かに苦しんでいくのかもしれない。それを誰にも言えずに過ごすのかもしれない。それは、絶対に駄目だ。
「え?」
 俺の言葉に目を丸くした杠。きっと、今度は俺の方が困った顔をしているのだろう。
「杠が、杠の方がおかしな行動をするんじゃないか」
 俺がおかしな行動をしてしまうのは、きっと杠が先にそうしているから。杠は隠しているつもりかもしれないが、何度も重なると雑頭な俺でも気づいてしまう。
「杠は、なにかあったら俺と二人きりになろうとするだろう」
 そしてそれはもう、ずっと前から気付いていた。
「あ、はは……ばれちゃってましたか」
 ふぅ、と観念したかのような息をつく音、それからまた、大きく息を吸う音がした。
 太陽はとっくに山のむこうに消えていた。


◇  ◇ ◇


 それから、杠が落ち着くまでどのくらいの時間が経っただろうか。長かったような気もするし、短かったような気もする。
「おーい!!大樹―!!くっそー!二人はどこだー!ヤベーくらいに見つかんねー!」
「杠ちゃんー!夕餉の準備ができたって、今日のごはん担当の子たちが言ってるから、なるはやで帰ってきてー!」
  日が沈んでも帰って来ない俺たちを不審に思ったのか、村の方から俺たちを呼ぶ声が聞こえた。
「杠―!今日はとびっきりなんだよー!」
「あ!こらスイカ!今言うんじゃねーよ!バレんだろ!」
「わわわっ!ごめんなさいなんだよー」
「2人にはまだ聞こえてないだろうから大丈夫だよスイカちゃん。クロムちゃんならバレちゃっただろうけどねー」
「なんだとゲンー!」
「ほーら、声が大きい」
  元気そうな様子に、杠もくすくすと笑っている。
「あ゙―、テメーらの騒ぎで気づいてそのうち帰ってくんだろ。俺たちも戻るぞ。デカブツー、とっとと杠連れて帰ってこーい」
「声ちっさ……千空ちゃん、それ二人に聞こえてるってジーマーで思ってんの?」
「聞こえてる聞こえてる。幼馴染の絆っつーのはとんでもなく硬えんだわ」
「それってダイヤモンドとどっちが硬いんだ?」
「幼馴染パワー」
「スッゲー!!ヤベー!!」
 相変わらず賑やかに俺たちを呼びにきた科学王国の仲間たちが、笑い声を上げながら駆け足で去って行く。
「あ、もうそんな時間なんだ。ごめんね、大樹くん。もう大丈夫だから、行こっか」
 そう言うと、杠は自身の体を軽くはたき立ち上がる。空を見上げると、淡い群青色の中に一番星と共に光る半月が見守っている。月の光に照らされた杠の顔に、もう涙はなかった。落ち着いた杠の表情に安堵し、自分も後から立ち上がると、衣服の中に違和感を感じ、その正体を思い出した。それをゆっくり取り出し、杠に差し出す。
「杠、これを持っているとすごくラッキーになれるぞ!よかったらもらってくれ!」
 それは、今日のために準備していた小さな幸運。4つの可愛らしくも凛とした葉が、優しくも強く葉を支える茎にしっかりと寄り添っている。
「四葉のクローバー……というか、それ、私が大樹くんに教えたやつ。そういえば、中学の時に私が見つけた四葉は大樹くんにあげたんだっけ」
 杠は驚きながらも、その顔には柔らかく笑顔が差していた。その表情に胸が暖かくなっていくのを感じる。もちろん俺は、このおまじないの発信元が杠だってことは覚えている。だから、杠にこう伝えればもっと笑顔になってくれることも、俺は知っている。
「ああ!杠から教えてもらった!だから、あの時のお返しだ!幸せのお返しは、相手をより一層幸せにできるからな!」
「ふふっ、それも私が教えたやつだね。ありがとう、大樹くん」
 そうとびっきりの笑顔で言えば、返ってくるのは飴玉を頬張ったように無邪気でかわいい笑顔。そうだ、杠にはずっと笑っていてほしい。
「俺は雑頭だが、杠から教えてもらったことは全部覚えているからな!」
 そう言うと、杠はさっきまでの笑顔はから一転し、驚いた表情になった。気に障ることを言ってしまったかと表情の先を覗きこもうとすると、何故だか慌てたようにそっぽをむかれてしまう。
「……そういうトコだからね」
「ゆ、杠……?すまん、何かしてしまったか……?」
「なんでもない!早く戻ろっ」
 ぐいぐいと引っ張る杠の後ろ姿に怒気は感じられない。怒らせてしまったわけではないようで、ほっと息をついた。
「千空くんの幼馴染パワーを発揮しないといけないからね」
 千空の言葉を繰り返しながら穏やかに笑う杠の声と、柔らかい手に引かれて、森の中を進んでいく。
「そうだ、杠!それは誕生日プレゼントも兼ねているんだぞー!」
「へ?……あ、そうでした。今日、私の誕生日だった」
 忘れてたとはにかむ杠は、本当にすっかり忘れていたらしい。純粋に驚いている杠も、かわいい。朝から……もっといえば、ずっと前から計画していたサプライズパーティーを大成功!にするために頑張っている皆のことを考えれば、言わない方が良かったのかもしれなかったと、言った後になって気づいた。皆には申し訳ないが、今回は杠の驚いた顔を自分だけの特権にさせてほしい。
 そして、世界できっと俺だけしか渡せない誕生日プレゼントを贈るために、何度も頭の中で練習した言葉を紡ぐ。
「だから、もう一つのプレゼントも今、受け取ってくれないか?」
「ワオ、そんなにもらっちゃっていいの?」
 俺が足をとめると、杠もつられて立ち止まる。振り返ってにこにこと笑顔をみせる杠はどうやら上機嫌らしい。そんな杠との距離を少しずつ詰めていく。
「杠」
「ん、大樹くん」
 これから俺が何をするのか、それをわかったような顔をした彼女は、俺がお互いの息が唇にかかるくらい近寄っても、じっと動かずに待ってくれている。
「ねえ、期待してもいい?」
「ゆず、りは」
 心なしか震える両手を彼女の肩にのせて、心の準備をする。呼吸をしないと生きていけないのに、息を止めていないと死んでしまいそうだ。緊張で汗ばんで来た俺とは対照的に、どこか余裕を持った杠の、艶やかな音色で言葉を発した唇を通り過ぎ、その柔らかい頬に口付けを落とした。
 徐々に熱を帯びたお互いの体温が溶けて混ざってしまう前に、自身の唇をゆっくりと離す。
「ここに、してくれると思ったのに」
 そう言って自身の唇を指さす杠の顔は、真っ赤でありながらもどこか不服そうで。心臓がバクバクと暴れまわっている俺は、不甲斐ないと思いながらも、これまた準備していたつまらない言い訳を垂れ流す。
「それは、結婚前の男女が、してしまうには、流石に、その、だな……!」
「……もしかして、本当は大樹くん、私にキスしたくなかった?」
 うるうると瞳を潤ませる杠をみて、大慌てで否定する。
「そんなワケないだろう!き、キス、もいつかするつもりだが、杠にはいつだって触れていたいと思っている!何より!俺は!杠といずれ結婚したいくらい大好きで、むしろすぐにでも結婚したいくらいでって……うわあああ!!」
「ふーん、そっかそっか。もう結婚したいくらい私のことが大好きなんですな。じゃあ今日はほっぺで許してあげます!」
 己の頬に華奢な指で花丸を描かれ、呼吸が止まった。目の前にいる少女の一挙一動に、いつか殺されてしまうのではないだろうか。つい先ほどまで、今にも泣きそうな顔をしていたのに、一瞬でパっと顔を明るくさせる杠。どうやらまんまと彼女の手に踊らされてしまったらしいと、鈍感な俺でも気づいた。だが、小躍りしそうなほどに手をゆらゆらと動かして、歌うようなメロディーで許すと笑う杠をみていると、全てがどうでもよくなるくらいに嬉しくなる。頬を染めて笑う杠は、南が写真を撮ったらベストショットになるような眩しい笑顔。でもここにはいないから、俺だけの心のアルバムにしまっておく。
 しかし、先ほどの己の発言は流石にまずい。これは、誤解のないように、ちゃんとしたプロポーズを正式に申し込むことは杠に伝えた方がいいのかもしれない。今の言葉をプロポーズととられてしまうのも、非常によくない。
「つまりだな、杠!俺が杠にするプロポーズは、もっとちゃんとした場所で!もっと杠にふさわしい男になってから、改めてさせてくれ!」
「……ワァァオ」
 叫ぶように言い切ったが、これはこれでよかったのだろうか。自分が今とんでもないことを言ってしまった気がするが、突如、腕に抱き着いて来た杠に意識が集中してしまい、うまく考えられない。
 杠が嬉しそうに笑っている声が聴こえる。表情が見えないのがもどかしくて、ゆるゆると身体を動かす俺に、大樹くん、と内緒話をするような小さな声で杠が呼びかける。
「待ってるからね」
 今度こそ、完全に心臓が止まった。今まで聞いたことのない音色でそう言われてしまい、白旗をあげるしかない。喜びと、期待と、それから信頼。それらすべてを言葉にのせつつ、愛らしさも兼ね備えて己に伝えて来るのだ。完敗だ。それでも、へたり込んでしまいそうな身体を気合で支えて、腕にくっついている彼女にもわかるようにコクコクと頷いた。
 これは、将来どんなプロポーズをしてもサプライズにならないのかもしれない。いや、杠があっと驚くようなものを今から考えれば間に合うだろうか。だが、雑頭な俺ではきっと杠には一生敵わないような気もする。
 不意に俺を見上げた杠の瞳に、慌てふためく男の顔が映っている。ぐるぐると頭を悩ます俺と対照的に、目の前でくすくすと楽しそうに笑う杠。その笑顔に思考を停止させて見惚れているようでは、俺は一生骨抜きな男のままだろう。一体、杠はどこでそんな技術を身に着けてくるのだろうか。分からないが、杠が笑顔でいてくれるなら不都合なことなんて、きっとない。
 満足したであろう杠の体温が離れて行くと同時に、左手にぬくもりが集中した。いい加減帰らなきゃねって笑う杠には、これから、村のみんなで考えたサプライズが今か今かと心待ちにしている。

「行こう、杠。みんな待っているぞ!」

 繋がれた左手が離れないように、強く強く握り直した。




・―・-・-・-・-・

✨🎊杠誕記念🎊✨
クラスのマドンナ的存在のおしとやかで可愛い杠が、大樹くん(や千空ら幼馴染達)には年相応に甘えたりからかったりするところが大好きです。
(杠の抱える“暗闇”や“おかしな行動”の理由を吐露するシーンは、完成度の都合上カットしています。ご容赦くださいなんだよ🍉)
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