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【フィッシュ・カニバ・リズム(依央利夢)】




 最近の依央利は、なんだかいつもより忙しそうだった。
 朝起きてもいない。帰ってきてもすぐ台所にこもって何かしてる。声をかければ「はいはーい!」と返事だけは元気なのに、視線はずっとレシピ帳みたいなノートに落ちている。

「ねえ、依央利。何してるの?」

 そう尋ねると、ぱっと顔を上げた依央利は胸を張って言った。

「君に最高のご馳走をしたいからさ! 食材調達も全部僕がやりたいんだよ!」

 その言葉だけ聞けば嬉しいけど、妙にそわそわしていて落ち着きがない。眉尻がきゅっと下がって、ちょっと焦ってるようにも見える。

「でも……最近ずっと忙しそうだよ? 手伝うよ、私も」

 そう言った瞬間、依央利はびしっ、と手を差し出して拒否した。

「だ、だめ!! 僕の負荷を奪わないでよ! ってか奴隷の気持ちわかってない!!これは僕がやりたいの! 僕だけの仕事なの!!!」

 声を荒げるものだから、私も思わず黙ってしまう。依央利はハッとして、咳払いをひとつ。

「あ、えっと、ごめんね。怒ったわけじゃなくて……ただ今回は、僕じゃないと見つけられない食材なんだ。珍しいやつで、ちょっと探すのに時間がかかっててさ」

 言いながらも、どこか楽しそうで、期待で胸を膨らませているみたいな顔をしていた。
 ほんとは、手伝いたい。心配だし、一緒に探したい気持ちだってある。
 でも——こんなに頑張ってくれてる依央利を、信じたい。

「……わかった。じゃあ待ってるね」

 そう言うと、依央利はほっとしたように笑った。

「うん! 任せて!絶対に喜ばせるから!」

 その笑顔を見たら、もう口を挟む余地なんてなかった。胸の奥がくすぐったくなるような、少しだけ不安で、でもすごく温かい気持ち。依央利を信じて待つことにしよう。依央利が笑顔でそれを披露してくれるその日を楽しみにしながら。

 それから数日。ずっと外を駆け回っていた依央利が、珍しく家にいる日が続いた。といっても落ち着いたわけではなく、キッチンで何かを練ったり、メモを取ったり、スマホで調理器具のレビューを読み漁ったり、忙しく動き回っている。
 でも、私がリビングにいると必ずふらっと寄ってきて——

「ご奉仕ご奉仕~」

 そう言いながら頭を撫でてきたり、肩を揉んできたり、頭や首筋に顔を近づけてそっと息を吸い込んでいる気配もある。忙しいくせに、なぜか前よりスキンシップは増えている気がする。きっと疲れているのを知られたくなくて、ごまかしてるんだろうな……と思いつつ、甘えられるとつい撫で返してしまうから、向こうの思うツボだ。

「依央利、進捗どう?例のご馳走」

 声をかけると、彼はぱっとこちらを向いて笑った。

「目的の食材はね、ついに見つかったんだよ!」

 その言い方は誇らしげで、でもどこか苦労の名残があった。

「でもさ、採集の仕方と調理方法がちょっと特殊で……。いやー、めちゃくちゃ難しくてさ……今それで苦戦中なんだよね」

 そう言いながら、眉を下げて、珍しく弱音を零す。そんな姿を見ると手伝いたくなるけど、ここで「手伝おうか?」と言ったらまた怒られるのは目に見えている。

「どんな食べ物なの? そこだけでも教えてよ」

 期待して尋ねると、依央利はわざとらしく肩をすくめた。

「それはお楽しみだよ。それに、効果はじわじわ来るものだからね!」

 そして少し照れくさそうに頬をかきながら、つぶやく。

「……あと、実は僕も食べたことないんだよね」

 そうなの?と依央利の顔を見ると、依央利はほんのり赤くなっていて、もじもじと視線をそらした。

「君に食べさせたくて張り切りすぎちゃったというか……えへへ……」

 そんな様子を見ると、胸がふわっと温かくなる。依央利がそこまでしてくれる。彼自身も食べたことがなくて、未知の料理を必死に勉強してるなんて、ますます楽しみで、気持ちはどんどん膨らんでいく。

「頑張ってね。完成、楽しみにしてるから」

 そう言うと、依央利は嬉しそうに尻尾でも振っていそうな笑顔になった。

***

 その日、仕事を終えて玄関のドアを開けた瞬間——
 胸の奥が、ひやりと冷えた。
 いつもなら、カチャッと鍵が回る音だけで気づいて、「おかえりなさーい!」と元気に飛びついてくるはずの依央利の姿がどこにもない。
 珍しい。けど、きっと買い物にでも行ってるんだろう。そう思って、上着を脱ぎかけたところでポン、とスマホが震えた。依央利からのメッセージだ。

『もう帰ってきた?』
『僕、片付けないといけない掃除があるからちょっと帰るの遅くなるね』

 律儀だなあ、と微笑んでいたら、もう一通。

『ちなみに、例のご馳走ができたんだけど、台所には行かないこと』

 台所には行かないこと。
 普段の彼なら「見ないでね♡」みたいな可愛いスタンプでもつけてきそうなのに、今回はやけに真面目で、妙に固い文面。少しだけ胸がざわついた。

「まあ、いいか。ゆっくり待ってよ」

 そう自分に言い聞かせてリビングに向かったときだった。テーブルの上に、雑誌が数冊積み上げられているのが目に入る。

「あれ……? 片付け忘れたのかな?」

 珍しいな、と思いながら何気なく手に取った。
 ——次の瞬間、息が止まった。

『世界の偏食』
『人肉食の歴史と宗教的背景』
『食人儀礼の民族誌』

 ……え?
 身体の奥が、ぞくりと震えた。なんで……なんで依央利がこんなもの……

「まさか……」

 頭に最悪の可能性が閃いた。

 ご馳走って、人肉……?

 でも、依央利が? 誰かを?そんなわけない。あの依央利が他人を傷つけるなんてありえない、はず。
 じゃあ……もし……もしかしたら、考えたくもないけど——
 依央利自身なんじゃ……

 その瞬間、心臓が跳ね、足が勝手に動き出した。

「、ぅ……!」

 言葉にならない声が漏れる。胸が苦しくて、息が吸えない。最悪の想像が頭の中で暴れだして、止められなかった。台所のドアに手をかけた瞬間、震えている自分に気づく。嫌だ。怖い。でも、確かめないと……!
 私は、駆け込むようにしてその扉を強く押し開けた。
 台所の中には、誰もいなかった。静まり返った部屋に、ぽつんと置かれた大きな鍋。その存在が、やけに重たく見える。胸がぎゅうっと縮み、手が震えながらも、蓋に指をかける。
 怖い。見たくない。でも、見なきゃ——
 そう思って力を入れた、その瞬間。

「もぉ〜〜! 台所に来ちゃだめって言ったでしょお!」

 ふわりと、後ろから腕が回された。驚きで足がすくんだ私を、温かく抱きしめる気配。

「そんなにお腹空いてたの?」

 呆れ半分、でもどうしようもなく甘い声音。見上げると、仕方ない子だなぁという優しい目で、依央利が私の頭をそっと撫でてくれた。

 ——ああ、生きてる。

 その実感が胸に溢れた瞬間、張りつめていたものが一気に崩れる。ほろほろと、気づいたら涙が止まらなくなっていた。

「えっ、なに?! どうしたの?!どこか痛い? 怪我した?!」

 依央利は慌てて私の頬を拭い、顔を覗き込む。依央利が勘違いして事態が悪化する前に、声を震わせながらなんとか言葉にした。

「……依央利が……いない、から……」

 私の言葉を聞いた依央利はきょとんとしたあと、ぱあっと顔を綻ばせた。

「えー!?たった数分、僕がいないだけでそんなに不安になっちゃったの?ふふ、かわいいなぁ……!!」

 とろけるような声で言うと、ぎゅうっと抱きしめ、背中を優しく撫でてあやしてくれる。心臓がうるさいほどに鳴っているのに、その腕に包まれると不思議と落ち着いた。
 涙がおさまりかけたころ、私は震える声で雑誌の話をした。

「……テーブルに置いてあった、あの……カニバリズムの本……あれ、何……?」

 依央利は一瞬ぽかんとしたあと、吹き出した。

「あははっ、あれね! 調べ物だよ〜。もしかして料理に人肉を使ったと思ったの?いやーないない。僕が誰を食べるのさ」

 笑いながら、頬をかきつつ続ける。

「確かに人肉は食べたことないよ。でも美味しくないって言うし、人肉じゃあ僕が満足する料理は作れないから」

 その言葉と笑顔に、胸の奥の氷が溶けていく。そうだ。依央利がそんなことするはずない。少し考えればわかるのに。 ふっと肩の力が抜けたところで、後ろからぽん、と頭に手が置かれた。

「よし。じゃあさ」

 依央利は、いたずらっぽく微笑んで言った。

「晩ご飯にしよっか」

 それでも、鍋の前に立ったまま、まだ胸の奥がどこか締めつけられている。依央利に抱きしめられて安心したはずなのに、不安が完全には消えていなかった。

「でも、依央利どこも怪我してないよね?自分の血とか、絶対入れてないよね?」

 問いかける声が震えてしまう。自分でも驚くほど必死だった。依央利は「ん?」と気が抜けた声を出して、目をぱちぱち瞬かせ、次の瞬間、ふっと笑った。

「してないよ。ほんと心配症だなぁ」
「だって依央利、よく“僕の愛全部食べてほしい”とか言うから……」
「それは例え!比喩表現ってやつだから!」

 と、妙に真剣に訂正してくる。

「それにね」

 依央利は鍋の蓋にそっと手をかけ、やわらかく微笑んで言った。

「血なんか入れたらすぐわかるし、絶対おいしくないよ」

 カパッ。
 蓋が開いた瞬間、ふわりとやさしい醤油と生姜の香りが広がる。中を覗くと、魚の切り身がくったりと煮込まれていた。

「……お魚の煮付け?」
「そう。和風にしてみました。ここに血なんか入れたら濁るし匂いも変になるし、料理が台無しになっちゃうよ」

 依央利は少し肩をすくめて、照れたように笑った。

「……まあ、この魚の臭みを取るのに時間かかっちゃってさ。下処理、めちゃくちゃ大変だったんだ」

 その言い方が、努力を褒めてほしいこどものようで愛おしい。

「ねえ依央利。これ、なんのお魚なの?」

 すると依央利は、どこか得意げに胸を張った。

「Havfrueだよ」
「……はぶ?ふるって、なに?どこの魚?」

 訊ねると、依央利は目を細めて、ちょっと意地悪そうに微笑む。

「だから言ったでしょ〜? 僕も食べたことないって。デンマーク由来の言葉でね、すっごく珍しい魚なんだよ。調達も大変だったんだから!」

 知らない名前。聞いたことのない魚。でも、依央利がわくわくした顔で言うから、不思議と怖くない。彼が選んでくれたなら、きっと大丈夫。そんな気がして胸がふわっとあたたかくなる。

「……いただきます、する?」

 依央利が、嬉しそうにお箸を差し出してきた。湯気の立つお皿を前に、向かい合って座る。「いただきます」と声を揃えた瞬間、依央利はもう嬉しそうに尻尾を振っていそうな笑顔をしていた。
 箸を入れると、身はふわりと柔らかいのに、中心にはほどよい弾力がある。煮汁がじんわり染みて、口に運んだとたん——
 ふわっ、ととろけた。
 柔らかい。なのに輪郭はしっかりしていて、噛むほどに旨みが滲み出す。まるで上等なチョコレートが体温で溶ける時みたいに、甘く、やさしく広がっていく。後味は驚くほど澄んでいて、一切のクセがない。
 依央利が言っていた「臭み取りが大変だった」という言葉が嘘みたいだ。

「なにこれ……すごく美味しい!」

 思わず呟くと、依央利はお魚を頬張りながら満面の笑みでうなづいてくれた。

「美味しい?うん、良かったぁ……!」

 彼自身もぱくぱく食べながら、嬉しそうに頬をゆるめていた。その顔を見ていると、胸の奥がじんわり温かくなる。ふたりで黙々と食べ進め、気づけば綺麗に完食していた。

「ごちそうさま」

 そう言って顔を上げた瞬間——依央利が、じっとりと熱のこもった目で私を見つめていた。まるで、すべてを味わうような視線。どこか熱を帯びていて、深い底が見えない……そんな目。

「……え、なに?」

 思わず問いかけると、依央利はゆっくりと微笑んだ。その笑みは柔らかいはずなのに、どうしてだろう、背筋がぞくりとする。

「さっき言ったよね。このHavfrueデンマーク語なんだって」
「うん……それで、どういう意味なの?」

 依央利は答えない。
 ただ、こちらをじっと見つめながら、湯気の消えたお皿にそっと目を落とす。
 ちらりと視線を戻し、口角を上げた。

「……ねぇ」
「なに……?」
「これからもずっと……未来永劫、ずーーっと一緒にいようね」

 その言葉は優しくて、甘くて——なのに、ぞくりと体温が下がるような響きを持っていた。
 思わず息を呑む私に、依央利は喉の奥でくすりと笑った。

「離れたくても離れられないくらい、ずっと……ね」

 なにかを確信しているようなその声音。まるで、結果をもう知っている人の言い方。胸の奥がじわりと熱くなる。あれ……さっきより、体が……あたたかいような……?

「依央利、私達は何を食べたの……?」

 もう一度尋ねると、彼はゆっくり立ち上がり、私の頬に指を添えて、顔を覗き込んだ。その目はやさしいのに、底がぜんぜん見えない。

「❀ちゃん」

 唇がふれそうな距離。

「そのうち判るよ」

 慈しむように微笑みながら、囁く。

「だってもう、僕と君は——」

 その言葉が落ちた瞬間、なぜか胸の奥で、心臓がゆっくりと脈を打った。深く、深く……まるで何かが変わり始めているように。依央利はその震えを確かめるように、うっとりした目で私を抱きしめた。

「大丈夫。怖くないよ。ずーーっと、一緒だからね」

 その声は優しすぎて、逆に逃げ場がなかった。

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