Dr.stone
[そのレールの先には(大杠)]
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトンーーー
曲がり角に差し掛かったのか、男女ふたり乗っている電車が大きく揺れた。
幼馴染の話では、電車に乗っている時に弾むように鳴る音は「ジョイント音」と呼ばれているらしい。車輪がレールの継ぎ目を通過する際に発生する音で、自動車や飛行機に乗っている時には聞こえない電車特有のBGM。これはこれで味があっていいものだろうと微笑み、白と深緑の髪を揺らしていたのを覚えている。
耳心地の良い音を聴きながら窓の外を見ると、夕焼けと共に小さな村が見えた。もう数十分ほどで目的地に着きそうだ。
しかしこの西日は少し眩しい。目を細め、隣で居眠りをする彼女のためにと日よけを下ろす。だが、隙間から入ってくる光までは遮れないためか、逆に夕日の眩しさが際立ったように見えた。これでは逆効果だったかとちらりと横を盗み見る。幸いなことに、その間もすやすやと眠ってくれていた。ほっと一息ついたところで、彼女が電車の揺れに合わせてこてんと己の肩に頭を預けてきたので、途端にきゅっと縮まった心臓を落ち着かせるように深くふかく深呼吸をした。
“まだ杠にプロポーズしてねえのか”
親友のタイムマシン製作の手伝いの為にと、研究所に泊まり込んで作業をしていたが「テメーらからは十分援助してもらったから」と、背中を押され帰された。起業して間もないのだから社長共々会社に戻ってくれ、と言われて今に至る。慌ただしくも楽しい数日を思い返して、彼―――千空の言葉を思い出した。
プロポーズはもちろん、自分の想いだって未だ伝えられていない。親友と同じプロジェクトメンバーからも、まだ結婚していなかったのかと好奇な目で見られたりもした。己だけならまだしも、出張ですなと意気揚々についてくる杠を目にすれば、そう勘違いされてもおかしくないのかもしれないが、内心冷や汗をかいていた。
“あれ、みんな集まってなんの話をしてるの?”
“あ゙―……いや、テメーは結婚しねえのかっつー話をしていた”
幸い、杠のいない場での会話だったから最初から聞かれてはいなかったのだろうけれど、勘の鋭い彼女のことだから、話の流れで察するかもしれない。目をぱちくりと瞬かせる杠を見て、体が鉛のように重くなっていく。
もしあの会話が聞こえていたら。告白すらしていない状態で彼女に想いを拒否されていたら。下心のある人とは一緒に働けないと距離を置かれたら。
“結婚かあ……いつかしたいとは思うけど、当分先になるでしょうな”
遠くを見つめて困ったようにはにかむ杠を見て、ダラダラと流れる汗がぴたりと止まったことなんて、誰にも言えなかった。唯一、己の心情を知っている千空はしっかりしろと言いたげに俺の小脇を突いていた訳だが。
文明が復興すれば、全人類を救えば、その時に杠に伝えたいことがある。
科学王国の仲間たちのおかげで、文明復興にも目途が立ち、人類が次々に復活していって、世界は再び息を吹き返した。
きっと、今ならもう極限の状態でも、選択肢が断たれた卑怯な手段でもなく、3700年前と同じように、フラットな状態で杠に想いを伝えられる。自分たちがまだ学生だった頃の、あのクスノキの下で真っ赤になっていたあの頃のように。
“俺は5年間ずっとーーー”
そういえば、あの時の杠はまるで“俺が次に何を言うか分かっていた”かのような素振りだった。さらには、顔も少し赤みがかっていて照れているような素振りさえあったような。否、流石にそれは己の都合の良い思い込みだろう。記憶は美しく改竄されるものだと、これもまた親友に教えてもらった。そんなはずはないと、己の願望を頭から放り捨てた。
小学校5年生で同じクラスになった時、彼女の優しさに触れて好きになった……と思っていたが、本音を言うと、初めて杠と出会った時にすでに惚れていたのだと思う。杠のすべてが大好きだった。ただ、恋だの愛だのと抽象的なことがわからなかった幼い自分では、それが恋だと気づくきっかけになったのが彼女の優しさであっただけで。プリントを配る時に触れた手も、給食の配膳で並んだ時にぶつかった肩も、他の子相手ならなんてことなかったのにどうして心臓が痛くなるのだと、あの時は不思議に思っていたのだ。小川さんといると心臓がドキドキするのは何故だろう、と千空に相談したこともあったほど。今となっては恥ずかしくて到底できないことだけれども、人間、知らぬことは考えたってわからないものだ。千空はそんな俺を笑ったりせずに、ずっと応援してくれていた。
もう、復興したと言ってもいい頃合いだろうか。もう、ずっと秘め続けていた想いを伝えてもいいだろうか。
告白をするのなら、あのクスノキの下がいい。何と言っても杠を3700年も守って俺たちの恋路も見守ってくれたのだ。この恋路の行く末もどうか最後まで見届けてほしい。そうすると、プロポーズは鎌倉の大仏がいる場所がいいだろうか。家族も友人も眠ってしまった世界で泣いていた彼女に、今度は幸せな気持ちであの場所に立ってほしいから。そうして、杠と夫婦になることができたなら。どうせなら結婚式だって挙げたい。科学王国のみんなが祝ってくれる場所で。叶うなら、このまま杠を連れて式場まで駆け出したい。杠には、あの真っ白なウエディングドレスを着て隣に立ってほしい。あの美しい衣装を着てふわりと笑う杠を見られるなら、……想像するだけでも涙が滲みだしそうだ。その為ならこの先どんな困難だって耐えてみせる。
しかし、そうするにはまず己は杠に告白をしてその告白に良い返答をもらわなければならない。
そもそも、世界でたった一人の愛しい彼女に自分の想いを伝えることができるのだろうか。この人生の中で杠の隣で過ごす間、彼女に好きだと伝えることができなかったのに。極限の石世界にいる間はともかく、小中高と一緒にいて言えなかったのだ。果たして、憶病な俺がいざ告白をとなった時に、きちんと伝えることができるのだろうか。
「杠……」
意図せず漏れた言葉に思わずハッとした。そっと隣の様子を伺えば、彼女の瞼は下ろされたままでどうやら起きていないようだ。なんなら、杠の規則正しい寝息まで聞こえてくるので、しばらく起きなさそうな気配もする。幸い、車内には俺と杠以外に乗客はいない。
目的地まではまだ何駅も残っている。それならば、今、この場で告白の練習をしてみるのもいいかもしれない。
「杠、君のことが大好きだ」
あくまで隣で眠る彼女を起こさない声量で。ずっと焦がれていた彼女に愛の言の葉を綴る。起きていたら到底できなかった、たった一人に向けた愛の告白。
「杠が眠っていた3700年の間ずっと。杠への想いだけで耐え抜いた。耐え抜くことができた。杠がいたから今の俺がいるんだ」
ガタン、電車が揺れた。バランスが崩れ誰も座っていない座席に倒れ込もうとする杠を咄嗟に支え、彼女の肩を己の方へと抱き寄せる。それでも起きる気配がなかったので、よほど疲れているのだろう。そんな彼女への労りの思いものせて、言葉を連ねていく。
「杠の優しいところが好きだ。今日だって、社長としてユズクロの注文を電話で受けながら千空の手伝いをしていた。俺が杠を好きだと気づかせてくれたのも、杠が俺に優しくしてくれたからだ」
教室で困っていた俺に、優しく笑いかけて声をかけてくれた幼い杠を脳裏に思い浮かべる。隣にいる杠は、あの頃から背丈が変わり容姿も大人びたが、根本にあるものは今も変わっていない。
「性格もだが、杠の髪も好きだ。中学の頃まではさらりとしていたが、高校になってふわふわと柔らかく舞っていた髪も綺麗だった。もちろん、今の短い髪も杠に合っていて好きだ」
肩に添えていた手をそっと離し、彼女の肩のあたりで揺れている髪を見つめる。石世界に来てバッサリと切られた髪は、杠が動く度にぴょこぴょこと跳ねていて愛らしかった。
「杠の笑った顔が好きだ。杠が笑っているだけで、今日も頑張ろうと思える。もちろん、怒ったり泣いたり拗ねたり喜んだり、どんな顔も好きだ。そういえば、俺は杠に一目惚れしていたから、きっと杠の姿全てが好きなんだな」
何せずっと隣で見てきたのだ。杠の知らない顔なんてない。
「好きなことに全力な杠も好きだ。細かい作業を任されて怒っているのかと思えば、目をキラキラとさせて作業を楽しんでいる。俺は雑だから、杠の力になることはできないだろうが、これからも色々なことを楽しむ杠を見ていたい」
だから、杠の会社で一緒に働くと決めたのだ。
「杠が服を作る姿を見るのも好きだ。俺よりも小さいその背中が誰よりもたくましくみえる。杠の作った服をみんなが着て楽しんでいるのも好きだ。好きな人の好きなことが、みんなを喜ばせるを見ると俺も誇らしい」
杠の作った服が、何度も誰かを喜ばせ、誰かの命を、心を救ってきただろう。
メトロノームのようにリズムを刻むジョイント音を聞きながら、彼女と同じように目を閉じて、隣にいる体温を感じる。
「杠は誰よりも優しくて、誰よりも器用で、誰よりも根気強い素敵な女性だ。だが、責任感が強い分、無理をしたり、無茶をすることが何度もあった。それもまた杠のいい部分でもあるのだが、これからは俺のことも頼ってほしい。一人で抱え込んでしまう前に、俺のことを思い出してくれたらこれ以上のことはない」
こうして杠への想いを言葉にしていくうちに胸の奥があたたかくなって、自然と頬が緩んでいった。
「そうして、お互いに頼り合える存在になって、俺たちが夫婦になったとしたら。俺は、杠のドレス姿が見たい。杠が仕立てたオシャレなドレスもいいが、人が人生で一番きれいになると言われているウエディングドレスがいい。せっかくなら着物姿の杠も観てみたいが、ベールやティアラや花冠や、色々と細やかな飾りで彩られた姿は絶対に見たいんだ。裾の長いドレスを着てゆっくりと歩く姿は誰よりも綺麗だろうな。そんな杠の隣に立つことができたら、俺は世界で一番幸せな男に……ゆ、杠?」
ふと目を開けて隣を見ると、頬を真っ赤に染めた杠が俺を見上げていた。
じっとりと気まずい沈黙が車内を包み、いたたまれなさに喉が詰まる。じわじわとこみあげてくる熱をどう逃がそうかと考えながら、恐る恐る尋ねてみた。
「その、なんだ……いつから、起きていたんだ?」
「え、っとですな……私の笑った顔が、っていうのをふわっと聞いていまして……ちゃんと聞いたのは好きなことに全力な私が好きって言ってくれた辺りなんだけど、とりあえず寝たふりでもしようと思ったら、大樹くん、ものすごく熱烈に、愛のお言葉を連ねるものだから、大変なことに……心臓が跳ね上がって寝てる場合じゃなくなっちゃいまして……その、ひとまず大樹くんを見つめておこうかな……って、思いました」
「そうなのか……」
既に序盤の方から聞かれていた。あまりにも恥ずかしすぎる失態に、穴があったら入りたいというのはこういうことかとショートしそうな頭の片隅で羞恥心が転げまわる。
特に、最後の辺りなんて、結婚がどうだのと己の欲望をひけらかしてしまったために、もう消えてしまいたいほどだ。体全体に集中する熱気を冷ますのと恥ずかしさを誤魔化す気持ちを半分こめて、手のひらを扇に見立ててパタパタとさせた。しかし、それがなんの誤魔化しにもなっていないことなんて気が動転しすぎていて気付くことはなかったが。
「ご、ごめんね……聞かせるつもりはなかったんだよね」
「いや……俺もいつか言おうと思っていたのだが、こんな形になってしまい、俺の方こそすまなかった」
「そ、そうなんだ……それで、続きは?」
「つづき……か?」
杠は恥ずかし気にそわそわとしつつも、何かを訴えるかのようにじっと見つめていた。ショートした役に立たない頭では彼女の求める答えを用意できず、首を傾げて見つめ返すことしかできない。
「私に着てほしい服があるって言ってたでしょ。それを着てどうするのか、教えてくれないと」
「そ、それは……だな」
俺が目を白黒とさせている間も、じっと見つめている杠。深く深く息を吸って、そうして吐き出してから、ゆっくりと口を開く。
「ここまで赤裸々に言ってしまった後に今更だとは思うが」
「うん」
「この話は日を改めて、ちゃんとした場所で、ちゃんとした俺で、もう一度杠に伝えたい。これだけは、その場の勢いで伝えたくない。俺は生半可な気持ちで杠に好きと言ったんじゃない。俺が本気なことを、誠実な気持ちであることをわかってほしいんだ」
「……そっか」
もう何で沸いたかも分からない汗が顔の輪郭を描くように流れ落ちる。
杠は少し寂しそうな顔をして視線を下に向け、小さな声で「わかった」と返事をくれた。
「すまない。杠には待たせてばかりだ」
「いいよ。待つのは慣れっこですから」
物思いに耽るように視線を落とし、もう一度顔を上げた杠は、にっこりとイタズラをする子どものような顔で笑っていた。
「でも、さっきまでのを全部聞かなかったことにはできませんな~」
「うっ」
「だから、大樹くんには隣に立つ人として一緒に衣装を見繕ってくれてもいいと思うのだよ」
「へっ?」
「へ?じゃないですぞ!大樹くんもここまで暴露した責任はあるんだから」
「つまり、俺はどうすればいいんだ……?」
「だから、ほら!人生で一番綺麗になる衣装だよ!その服を着た私の隣は大樹くんがいるんだから、大樹くんも選んでくれないと困ります!」
察してよ!と言いたげに俺の肩をぐりぐりと押す杠に、やっと彼女の言わんとしていることを理解した。
なんという天邪鬼な言動だろうか。今までに何度もされてきた可愛らしい杠のささやかな意地悪に、こみ上げてくる喜びが溢れ出してくる。これは、未来のプロポーズに対する答えを先取りしたということでいいのだろうか。
衝動のまま彼女を抱きよせて、反射的に身を引こうとする杠を逃がすまいとぎゅうぎゅう抱きしめる。
「さっき言うのを忘れていたが、俺を試すかのように仕掛ける可愛らしい駆け引きをするイタズラ好きな杠も俺は大好きだ!」
「わ、ワオ……」
「そうだな、龍水あたりなら良い式場をすでに取り扱っているかもしれん!復興したこの世界で一番大きくて一番楽しい式場を選びに行くぞ!ドレスは……俺はそういうの疎いのだが、杠が望むなら俺も精一杯杠に似合う最高のドレスを見繕うぞ!」
「う、うん」
「式を挙げるのはいつ頃がいいだろうか?せっかくならみんなに祝ってもらいたいな!式が一日だけだと予定が合わない人もいるかもしれん……思い切って一週間使って毎日結婚式を挙げるか!」
「えっそれはちょっと」
「杠が俺の隣に立つんだ!世界で一番美しい衣装を着て!みんなに見てほしいだろう!」
俺たち以外誰もいない電車で、弾むような声が響き渡る。その反響さえ嬉しくて、これまた弾むような笑い声がわははと漏れ出た。嬉しくてうれしくて、目尻に涙まで溜まる。
そんな大興奮でこれからのことを捲くし立てる俺に、杠は困ったように眉を下げて「一週間は流石に長いかも」と笑った。
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトンーーー
曲がり角に差し掛かったのか、男女ふたり乗っている電車が大きく揺れた。
幼馴染の話では、電車に乗っている時に弾むように鳴る音は「ジョイント音」と呼ばれているらしい。車輪がレールの継ぎ目を通過する際に発生する音で、自動車や飛行機に乗っている時には聞こえない電車特有のBGM。これはこれで味があっていいものだろうと微笑み、白と深緑の髪を揺らしていたのを覚えている。
耳心地の良い音を聴きながら窓の外を見ると、夕焼けと共に小さな村が見えた。もう数十分ほどで目的地に着きそうだ。
しかしこの西日は少し眩しい。目を細め、隣で居眠りをする彼女のためにと日よけを下ろす。だが、隙間から入ってくる光までは遮れないためか、逆に夕日の眩しさが際立ったように見えた。これでは逆効果だったかとちらりと横を盗み見る。幸いなことに、その間もすやすやと眠ってくれていた。ほっと一息ついたところで、彼女が電車の揺れに合わせてこてんと己の肩に頭を預けてきたので、途端にきゅっと縮まった心臓を落ち着かせるように深くふかく深呼吸をした。
“まだ杠にプロポーズしてねえのか”
親友のタイムマシン製作の手伝いの為にと、研究所に泊まり込んで作業をしていたが「テメーらからは十分援助してもらったから」と、背中を押され帰された。起業して間もないのだから社長共々会社に戻ってくれ、と言われて今に至る。慌ただしくも楽しい数日を思い返して、彼―――千空の言葉を思い出した。
プロポーズはもちろん、自分の想いだって未だ伝えられていない。親友と同じプロジェクトメンバーからも、まだ結婚していなかったのかと好奇な目で見られたりもした。己だけならまだしも、出張ですなと意気揚々についてくる杠を目にすれば、そう勘違いされてもおかしくないのかもしれないが、内心冷や汗をかいていた。
“あれ、みんな集まってなんの話をしてるの?”
“あ゙―……いや、テメーは結婚しねえのかっつー話をしていた”
幸い、杠のいない場での会話だったから最初から聞かれてはいなかったのだろうけれど、勘の鋭い彼女のことだから、話の流れで察するかもしれない。目をぱちくりと瞬かせる杠を見て、体が鉛のように重くなっていく。
もしあの会話が聞こえていたら。告白すらしていない状態で彼女に想いを拒否されていたら。下心のある人とは一緒に働けないと距離を置かれたら。
“結婚かあ……いつかしたいとは思うけど、当分先になるでしょうな”
遠くを見つめて困ったようにはにかむ杠を見て、ダラダラと流れる汗がぴたりと止まったことなんて、誰にも言えなかった。唯一、己の心情を知っている千空はしっかりしろと言いたげに俺の小脇を突いていた訳だが。
文明が復興すれば、全人類を救えば、その時に杠に伝えたいことがある。
科学王国の仲間たちのおかげで、文明復興にも目途が立ち、人類が次々に復活していって、世界は再び息を吹き返した。
きっと、今ならもう極限の状態でも、選択肢が断たれた卑怯な手段でもなく、3700年前と同じように、フラットな状態で杠に想いを伝えられる。自分たちがまだ学生だった頃の、あのクスノキの下で真っ赤になっていたあの頃のように。
“俺は5年間ずっとーーー”
そういえば、あの時の杠はまるで“俺が次に何を言うか分かっていた”かのような素振りだった。さらには、顔も少し赤みがかっていて照れているような素振りさえあったような。否、流石にそれは己の都合の良い思い込みだろう。記憶は美しく改竄されるものだと、これもまた親友に教えてもらった。そんなはずはないと、己の願望を頭から放り捨てた。
小学校5年生で同じクラスになった時、彼女の優しさに触れて好きになった……と思っていたが、本音を言うと、初めて杠と出会った時にすでに惚れていたのだと思う。杠のすべてが大好きだった。ただ、恋だの愛だのと抽象的なことがわからなかった幼い自分では、それが恋だと気づくきっかけになったのが彼女の優しさであっただけで。プリントを配る時に触れた手も、給食の配膳で並んだ時にぶつかった肩も、他の子相手ならなんてことなかったのにどうして心臓が痛くなるのだと、あの時は不思議に思っていたのだ。小川さんといると心臓がドキドキするのは何故だろう、と千空に相談したこともあったほど。今となっては恥ずかしくて到底できないことだけれども、人間、知らぬことは考えたってわからないものだ。千空はそんな俺を笑ったりせずに、ずっと応援してくれていた。
もう、復興したと言ってもいい頃合いだろうか。もう、ずっと秘め続けていた想いを伝えてもいいだろうか。
告白をするのなら、あのクスノキの下がいい。何と言っても杠を3700年も守って俺たちの恋路も見守ってくれたのだ。この恋路の行く末もどうか最後まで見届けてほしい。そうすると、プロポーズは鎌倉の大仏がいる場所がいいだろうか。家族も友人も眠ってしまった世界で泣いていた彼女に、今度は幸せな気持ちであの場所に立ってほしいから。そうして、杠と夫婦になることができたなら。どうせなら結婚式だって挙げたい。科学王国のみんなが祝ってくれる場所で。叶うなら、このまま杠を連れて式場まで駆け出したい。杠には、あの真っ白なウエディングドレスを着て隣に立ってほしい。あの美しい衣装を着てふわりと笑う杠を見られるなら、……想像するだけでも涙が滲みだしそうだ。その為ならこの先どんな困難だって耐えてみせる。
しかし、そうするにはまず己は杠に告白をしてその告白に良い返答をもらわなければならない。
そもそも、世界でたった一人の愛しい彼女に自分の想いを伝えることができるのだろうか。この人生の中で杠の隣で過ごす間、彼女に好きだと伝えることができなかったのに。極限の石世界にいる間はともかく、小中高と一緒にいて言えなかったのだ。果たして、憶病な俺がいざ告白をとなった時に、きちんと伝えることができるのだろうか。
「杠……」
意図せず漏れた言葉に思わずハッとした。そっと隣の様子を伺えば、彼女の瞼は下ろされたままでどうやら起きていないようだ。なんなら、杠の規則正しい寝息まで聞こえてくるので、しばらく起きなさそうな気配もする。幸い、車内には俺と杠以外に乗客はいない。
目的地まではまだ何駅も残っている。それならば、今、この場で告白の練習をしてみるのもいいかもしれない。
「杠、君のことが大好きだ」
あくまで隣で眠る彼女を起こさない声量で。ずっと焦がれていた彼女に愛の言の葉を綴る。起きていたら到底できなかった、たった一人に向けた愛の告白。
「杠が眠っていた3700年の間ずっと。杠への想いだけで耐え抜いた。耐え抜くことができた。杠がいたから今の俺がいるんだ」
ガタン、電車が揺れた。バランスが崩れ誰も座っていない座席に倒れ込もうとする杠を咄嗟に支え、彼女の肩を己の方へと抱き寄せる。それでも起きる気配がなかったので、よほど疲れているのだろう。そんな彼女への労りの思いものせて、言葉を連ねていく。
「杠の優しいところが好きだ。今日だって、社長としてユズクロの注文を電話で受けながら千空の手伝いをしていた。俺が杠を好きだと気づかせてくれたのも、杠が俺に優しくしてくれたからだ」
教室で困っていた俺に、優しく笑いかけて声をかけてくれた幼い杠を脳裏に思い浮かべる。隣にいる杠は、あの頃から背丈が変わり容姿も大人びたが、根本にあるものは今も変わっていない。
「性格もだが、杠の髪も好きだ。中学の頃まではさらりとしていたが、高校になってふわふわと柔らかく舞っていた髪も綺麗だった。もちろん、今の短い髪も杠に合っていて好きだ」
肩に添えていた手をそっと離し、彼女の肩のあたりで揺れている髪を見つめる。石世界に来てバッサリと切られた髪は、杠が動く度にぴょこぴょこと跳ねていて愛らしかった。
「杠の笑った顔が好きだ。杠が笑っているだけで、今日も頑張ろうと思える。もちろん、怒ったり泣いたり拗ねたり喜んだり、どんな顔も好きだ。そういえば、俺は杠に一目惚れしていたから、きっと杠の姿全てが好きなんだな」
何せずっと隣で見てきたのだ。杠の知らない顔なんてない。
「好きなことに全力な杠も好きだ。細かい作業を任されて怒っているのかと思えば、目をキラキラとさせて作業を楽しんでいる。俺は雑だから、杠の力になることはできないだろうが、これからも色々なことを楽しむ杠を見ていたい」
だから、杠の会社で一緒に働くと決めたのだ。
「杠が服を作る姿を見るのも好きだ。俺よりも小さいその背中が誰よりもたくましくみえる。杠の作った服をみんなが着て楽しんでいるのも好きだ。好きな人の好きなことが、みんなを喜ばせるを見ると俺も誇らしい」
杠の作った服が、何度も誰かを喜ばせ、誰かの命を、心を救ってきただろう。
メトロノームのようにリズムを刻むジョイント音を聞きながら、彼女と同じように目を閉じて、隣にいる体温を感じる。
「杠は誰よりも優しくて、誰よりも器用で、誰よりも根気強い素敵な女性だ。だが、責任感が強い分、無理をしたり、無茶をすることが何度もあった。それもまた杠のいい部分でもあるのだが、これからは俺のことも頼ってほしい。一人で抱え込んでしまう前に、俺のことを思い出してくれたらこれ以上のことはない」
こうして杠への想いを言葉にしていくうちに胸の奥があたたかくなって、自然と頬が緩んでいった。
「そうして、お互いに頼り合える存在になって、俺たちが夫婦になったとしたら。俺は、杠のドレス姿が見たい。杠が仕立てたオシャレなドレスもいいが、人が人生で一番きれいになると言われているウエディングドレスがいい。せっかくなら着物姿の杠も観てみたいが、ベールやティアラや花冠や、色々と細やかな飾りで彩られた姿は絶対に見たいんだ。裾の長いドレスを着てゆっくりと歩く姿は誰よりも綺麗だろうな。そんな杠の隣に立つことができたら、俺は世界で一番幸せな男に……ゆ、杠?」
ふと目を開けて隣を見ると、頬を真っ赤に染めた杠が俺を見上げていた。
じっとりと気まずい沈黙が車内を包み、いたたまれなさに喉が詰まる。じわじわとこみあげてくる熱をどう逃がそうかと考えながら、恐る恐る尋ねてみた。
「その、なんだ……いつから、起きていたんだ?」
「え、っとですな……私の笑った顔が、っていうのをふわっと聞いていまして……ちゃんと聞いたのは好きなことに全力な私が好きって言ってくれた辺りなんだけど、とりあえず寝たふりでもしようと思ったら、大樹くん、ものすごく熱烈に、愛のお言葉を連ねるものだから、大変なことに……心臓が跳ね上がって寝てる場合じゃなくなっちゃいまして……その、ひとまず大樹くんを見つめておこうかな……って、思いました」
「そうなのか……」
既に序盤の方から聞かれていた。あまりにも恥ずかしすぎる失態に、穴があったら入りたいというのはこういうことかとショートしそうな頭の片隅で羞恥心が転げまわる。
特に、最後の辺りなんて、結婚がどうだのと己の欲望をひけらかしてしまったために、もう消えてしまいたいほどだ。体全体に集中する熱気を冷ますのと恥ずかしさを誤魔化す気持ちを半分こめて、手のひらを扇に見立ててパタパタとさせた。しかし、それがなんの誤魔化しにもなっていないことなんて気が動転しすぎていて気付くことはなかったが。
「ご、ごめんね……聞かせるつもりはなかったんだよね」
「いや……俺もいつか言おうと思っていたのだが、こんな形になってしまい、俺の方こそすまなかった」
「そ、そうなんだ……それで、続きは?」
「つづき……か?」
杠は恥ずかし気にそわそわとしつつも、何かを訴えるかのようにじっと見つめていた。ショートした役に立たない頭では彼女の求める答えを用意できず、首を傾げて見つめ返すことしかできない。
「私に着てほしい服があるって言ってたでしょ。それを着てどうするのか、教えてくれないと」
「そ、それは……だな」
俺が目を白黒とさせている間も、じっと見つめている杠。深く深く息を吸って、そうして吐き出してから、ゆっくりと口を開く。
「ここまで赤裸々に言ってしまった後に今更だとは思うが」
「うん」
「この話は日を改めて、ちゃんとした場所で、ちゃんとした俺で、もう一度杠に伝えたい。これだけは、その場の勢いで伝えたくない。俺は生半可な気持ちで杠に好きと言ったんじゃない。俺が本気なことを、誠実な気持ちであることをわかってほしいんだ」
「……そっか」
もう何で沸いたかも分からない汗が顔の輪郭を描くように流れ落ちる。
杠は少し寂しそうな顔をして視線を下に向け、小さな声で「わかった」と返事をくれた。
「すまない。杠には待たせてばかりだ」
「いいよ。待つのは慣れっこですから」
物思いに耽るように視線を落とし、もう一度顔を上げた杠は、にっこりとイタズラをする子どものような顔で笑っていた。
「でも、さっきまでのを全部聞かなかったことにはできませんな~」
「うっ」
「だから、大樹くんには隣に立つ人として一緒に衣装を見繕ってくれてもいいと思うのだよ」
「へっ?」
「へ?じゃないですぞ!大樹くんもここまで暴露した責任はあるんだから」
「つまり、俺はどうすればいいんだ……?」
「だから、ほら!人生で一番綺麗になる衣装だよ!その服を着た私の隣は大樹くんがいるんだから、大樹くんも選んでくれないと困ります!」
察してよ!と言いたげに俺の肩をぐりぐりと押す杠に、やっと彼女の言わんとしていることを理解した。
なんという天邪鬼な言動だろうか。今までに何度もされてきた可愛らしい杠のささやかな意地悪に、こみ上げてくる喜びが溢れ出してくる。これは、未来のプロポーズに対する答えを先取りしたということでいいのだろうか。
衝動のまま彼女を抱きよせて、反射的に身を引こうとする杠を逃がすまいとぎゅうぎゅう抱きしめる。
「さっき言うのを忘れていたが、俺を試すかのように仕掛ける可愛らしい駆け引きをするイタズラ好きな杠も俺は大好きだ!」
「わ、ワオ……」
「そうだな、龍水あたりなら良い式場をすでに取り扱っているかもしれん!復興したこの世界で一番大きくて一番楽しい式場を選びに行くぞ!ドレスは……俺はそういうの疎いのだが、杠が望むなら俺も精一杯杠に似合う最高のドレスを見繕うぞ!」
「う、うん」
「式を挙げるのはいつ頃がいいだろうか?せっかくならみんなに祝ってもらいたいな!式が一日だけだと予定が合わない人もいるかもしれん……思い切って一週間使って毎日結婚式を挙げるか!」
「えっそれはちょっと」
「杠が俺の隣に立つんだ!世界で一番美しい衣装を着て!みんなに見てほしいだろう!」
俺たち以外誰もいない電車で、弾むような声が響き渡る。その反響さえ嬉しくて、これまた弾むような笑い声がわははと漏れ出た。嬉しくてうれしくて、目尻に涙まで溜まる。
そんな大興奮でこれからのことを捲くし立てる俺に、杠は困ったように眉を下げて「一週間は流石に長いかも」と笑った。