Dr.stone
[心配性と心情開示]
寒さがしんと居座っている冬の午後。昼食の際に使用した食器を洗い場で流している時に、小さな痛みはやってきた。
「い……たっ……」
指にちりりと痛みが走り、思わず自身の手を確認する。冷水で冷えた指先には真っ赤な筋が両手のいたるところに走っていた。具合を確認するためにと手を握って開けば、赤い線は主張をするかのように真っ赤に模様が広がっていく。
「ワオ……これはひどいですな」
石世界ではハンドクリームなんて気の利いたものなどなく、寒さの中で乾燥した指先を守れるものは幼馴染の力を借りないと作れそうにない。これから寒さが酷くなることを踏まえ、私以外にも被害者が出るだろうことを考えると、早めに対策を打ったほうがいいだろう。
それはそれとして、パックリと割れたグロテスクな両手はどうしたものか。じんわりと主張する小さな痛み達は両手の隅々で赤く口を開けている。かといって、このまま作業を投げ出す訳にもいかないので、痛みを我慢しながら手早く皿洗いを終わらせた。
はて、近くにヨモギかアロエが生えている場所はあっただろうか……と周辺の様子を思い浮かべる。生憎、植物の生体にはそこまで詳しくないので、誰かに頼んで傷薬を持ってきてもらう方が早いかもしれない。いやいや、この程度の傷であればしばらくしたら治るだろうし、貴重な資材を使うのもよくないのではないか。
思考を巡らせている間もじんじんと痛みを伝える指先に、ため息をついた。
「杠―!!俺も手伝うぞー!!」
背に腹は代えられないかと誰かに薬をもらおうと思ったところで、明るい声が耳を通り抜ける。
「ありがとう大樹くん。もうお皿洗い終わったから戻ろうと思ってたところだよ」
「むっ、来るのが遅くなってしまったな。杠に全てさせてしまってすまなかった」
「謝らないで。大樹くんには十分助けられてるから、こんなことまでさせたら罰が当たっちゃうよ」
申し訳なさそうに眉を下げる大樹くんに、顔を上げるように促す。彼の底抜けな優しさにはいつだって助けられているのだ。これ以上頑張ったら流石の大樹くんも体調に支障をきたしまうからとなだめた。
「ならせめて、洗い終わった食器は俺が運ぼう!」
それでもと食い下がる大樹くん。彼の優しさを無下にするのも何なので、ここはお言葉に甘えることにする。
「じゃあ、半分持ってもらおうかな」
「半分と言わず全部俺に預けてくれ!俺は力持ちだからな!……って杠!?何があったんだ!?その怪我はどうした!?」
持ち上げた食器類を私から全部取り上げた大樹くんは、その下にあった私の両手を見て驚く。
「杠に!両手に切り傷がたくさん!!どうしてそんな!ナイフの切れ味が良すぎたのか!?俺はそんな危険なものを今までずっと杠にあずけていた!?俺は!!俺はー!?」
「大樹くん落ち着いて、これは『あかぎれ』です。包丁とかナイフで怪我をしたわけじゃないよ」
どうどうと両手を彼の前で振ると、ハッとした表情をした彼はその場に荷物を置いて私の手をまじまじと見つめた。
「あかぎれ……?」
「もしかして、大樹くんはあかぎれになったことがない?」
大樹くんは皮膚が分厚いから、あまり縁がないのかもしれない。そういえば、何度か大樹くんと水回りの作業をすることがあったけれど、指先を赤くする私とは違って大樹くんの手は作業の後でも変わらず温かかった。確かに、これを初めて見た人は驚くだろう。
「あかぎれはね、寒さや空気が乾燥すると皮膚が割れちゃうんだよ。私のはそれを放置しちゃったからひどくなっちゃったんだけどね」
私の手の甲を支えるように大樹くんの手が添えられる。温かい彼の体温が冷えた指先にゆっくりと広がって、思わずため息を吐いた。
「こんな傷だらけの手で今までずっと皿洗いをしていたのか……すまない、気づいてやれなくて」
まるで私が何日も怪我を我慢してまで作業をしてきたかのような言いぶり。目を細め悲痛な面持ちで、私を包み込む手を強くしていく大樹くん。
「んー、こんなパックリ割れちゃったのはさっきなんだけど」
悲しい誤解をしてほしくないのといたたまれなさが相まって事実を告げると、さらにきゅっと手を強く包み込まれる。
「それは本当か?杠」
じっと見つめられて一瞬たじろいだが、真実なのだからわざわざ嘘をつく必要なんてない。
「こんなことで嘘なんて言わないよ。そこ確認必要かなぁ?」
あははと笑って空気を変えようとしても、真剣な彼の表情は変わらないまま。
「ああ、杠は自分の怪我を隠すことがあるからな」
「えー、そんなことしないよ。大体、この石世界で怪我や病気を隠してたらそれこそ死活問題ですぞ!」
とんだ信用のなさだと頬を膨らませれば、同じくムッとした顔の彼にぎゅっと手を掴まれ、割れた隙間から痛みが伝わる。
「っ……!」
「すまない!……違うんだ、杠を困らせたいわけじゃないんだ」
「ん、大丈夫。気にしないで」
「いや、怪我をした杠に対してひどいことをしてしまった。ひとまず、薬を持ってこよう」
「ごめんね……ありがとう、大樹くん」
私の片方の手をゆるりと引っ張って歩き出す大樹くんは、それでも私の手を離さないようにしっかりと掴んでいる。迷い無く進む足は止まることがなく、いつもと違う大樹くんの強引さは、それでも彼の優しさから来るものだと思った。
◇ ◇ ◇
大樹くんは私が普段寝泊まりしている一室まで連れて行くと、そこに座って待っていてくれと言いながらどこかへ走っていった。言われるままに、毛布や小道具が置かれた床の隅に大人しく座る。
「心配させちゃいましたな」
優しい彼は己が原因でなくても心を痛めてしまうから、あまり迷惑はかけたくない。温まっていたはずの掴まれていた部分から熱が逃げていく。
「さっきの大樹くん、照れてなかったな」
いつだって、手を繋ごうとしては固く握っていた拳も、ハグをしようとしてはそっと手を添えられるような仕草も、今日の大樹くんにはなかった。そういえば、千空くんから極秘ミッションを託されて司くんのとこに行くと言った時も、大樹くんは大胆にも私の腰を掴んで危険だと迫っていた。
……意識してなかったら、私にも触れてくれるんだ。
そこまで考えて一気に顔へ熱が集中する。これなら大樹くんの体温がなくても指先まで熱がまわりそうだ。
邪な気持ちを振り払うべくブンブンと頭を振っていると、薬であろう物を持った大樹くんが戻ってきた。
「待たせてすまない!薬をもらって来たぞ!」
「それは?」
「ヨモギを乾かして細かくしてから、消毒になる素材を混ぜた薬だそうだ!」
よく効くそうだぞといいながら、それを大樹くんは少しずつ手にとって、そのまま私の手をそっと引いて傷口にそっと塗ってくれた。じんわりと薬が傷口に広がって染みる。苦い表情をしているであろう私の顔をみた大樹くんが、また悲痛そうな顔をするので心配しないでと言葉を紡いだ。
「痛いけど、大丈夫だから」
「こんなにも割れているんだ。大丈夫なことはないだろう」
「もう、大樹くんは心配性ですな」
困った声を上げると、大樹くんの手が止まる。不思議に思い大樹くんの表情を伺うが、下を向いていて上手く読めない。
「大樹くん?」
「……杠は無意識なのかもしれないが」
ぽつりと零された言葉。
「杠は、怪我を隠そうとするんだ。千空はいつの間にか知っているみたいだが」
そっと顔を覗き込むと、瞳の奥に悲しげな色が混ざっていた。今までに、何度も後悔してきたようなその顔に、胸が締め付けられる。
「隠して、る、つもりはないんだけどな……そう思わせちゃったんだよね」
ごめんね、と謝ると大樹くんは首を横に振って、再び私の傷口に薬をゆっくり塗り込んでいった。
「石世界で目覚めてすぐの頃。俺たち三人で箱根に向かっていた時に」
「箱根って、私が目覚めてすぐの頃かな」
「ああ」
私の手を見つめているようで、どこか遠いものを見ているような大樹くん。
「杠は、足の石化のことを黙っていただろう」
「あ、ああー……」
あの頃は、石化のことも石世界のこともまるで分かっていなかった。きっといずれ足にひっついている石も外れるだろうと安易に考えていたのだ。今思うと、もし指先が割れたまま放置して足が戻らなかったらと思うと、そら恐ろしかった。
「何もわからなかったとはいえ、危険なことをしていましたな」
「それだけじゃない。中学の時に、転んで怪我をしていたことも俺には黙っていた」
他にもあの時は……とぽつぽつと私の前科を口にする大樹くんに、いたたまれなさが募っていく。
「それはね、大樹くんが信頼できないんじゃなくて、心配をかけたくないからで」
「ああ、千空にも言われた。だが、俺が知らなかった杠の怪我のことを千空は知っていた」
声は大樹くんの深い悲しみを乗せて私の耳に届く。大樹くんは私が思っているよりもずっと私のことを心配してくれていて、そして、悔やんでくれている。
「千空くんは目聡いから」
過去に、誰にも見られていないと思っていた失敗を千空くんに知られていたことがあった。その時に、怪我をしているのはお見通しだから診せろと、弁明する暇もなく治療されたのを今でも鮮明に思い出す。
「でも、大樹くんだって私のことお見通しだと思うよ」
「……へ?」
千空くんも鋭いけれど、大樹くんだって負けていない。大樹くんは無意識かもしれないけれど、大樹くんは誰よりも人のことを気にかけてくれている。
そっと大樹くんの耳元に顔を寄せて、ふたりだけしか聞こえない声で語りかける。
「大樹くん、私が落ち込んでる時は絶対に声をかけてくれるもん。自分でも気づかなった悲しい気持ちを、大樹くんが気づいてくれたことだってあるくらい」
寄せていた体を離して、ふふっと笑った。大樹くんはいつだって私の気持ちに寄り添ってくれる。それは悲しい時や落ちこんでるときじゃなくて、私が嬉しい時も。嬉しいことがあった時に、一緒になって喜んでくれる人がいてくれると、それだけで幸せな気持ちが何倍にだって膨れ上がるのだ。それに何度も救われてきたことを、きっと大樹くんは知らないんだろうな。
「大樹くんからしたら当たり前のことかもしれないけれど、大樹くんが声をかけてくれるだけで、そばにいてくれるだけで、私はすごく元気をもらえるから」
この本心は、包み隠さずに打ち明ける。日頃から感じている彼の優しさを伝えるのは少しだけ照れ臭いけれど、それ以上に大樹くん本人に知ってほしいと思った。いつか伝えたい、だったらきっといつまでも伝えられないだろうから。
「そして、これからも大樹くんにはたくさんお世話になるわけだし……大樹くんにこれ以上悲しい気持ちになってほしくないから、これからはちゃんと言うようにするね」
「杠……」
にっと笑えば、安心したかのように眉を下げる大樹くん。
その間、大樹くんの手で丁寧に塗り込まれた薬は、浸透するように両手に馴染んでいった。
「よし、終わったぞ!今日はあまり手を使う作業は控えてくれ!」
「うーん、できるかな……」
両手を軽く振って塗られた部分を乾かす。すると、大樹くんは慌てて私の手を掴んで安静にしてくれと言うように固定した。
「杠、頼むから、”この程度の怪我”だなんて思わないでくれ。俺は、もう大切な人を失うなんて恐怖は味わいたくない」
下を向いて話す彼は、少しくぐもった声でそうぽつりと漏らした。掴まれた両手がある限り私は逃げられないから、どこかで怪我をしてしまう前に自分の意見を聞き届けてほしいと願っているのだろう。
「ごめんね。心配かけちゃったよね、今までずっと」
これから先、怪我をしないなんて保証はどこにもない。むしろ、怪我をしないで生きていける人なんて、滅多にいないだろう。あかぎれのような怪我から人を殺すような大きな怪我まで、生きていれば何があるか分からない。
それは私だけじゃなくて、大樹くんもそうで。大樹くんが私を心配してくれているように、私も大樹くんには無理も無茶もしてほしくない。
「大樹くん」
「どうした、杠」
だから、わたしたちが安心できるように。これまで私が言葉にしなかった分を埋めるように、大切な思いを言葉に紡ぐ。
「大樹くんは私のこと、誰よりも良く見てくれていて、何でも分かってくれていると思うんだけど」
「それは、買い被りすぎじゃないか?」
「分かってくれていると思うんだけどね」
「あ、ああ」
ちょっと強引に、否定の返事を肯定の言葉に捻じ曲げた。大樹くん以上に、千空くんもそうだけどーーー私のことをよく知っていて、私を理解して、私をよく見ている人なんていない。そこは過大評価でも贔屓目でもないのだ。
「そして、それは私だって大樹くんに対してもそうなんです」
「ん、んん?」
分からないという顔をしている大樹くんに、苦笑いしてしまう。本当にこの人は、肝心なところで鈍感になる。
「だからね、私だって大樹くんが心配だってこと!」
掴まれていた手をゆるりとほどいて、手を絡みあわせる。
「大樹くんも、何かあったらすぐに言ってね。小さな怪我でもちゃんと言ってほしいし、できれば怪我、してほしくないよ」
私が言えたことじゃないかもしれないけれど。自分のことを棚に上げて言うのだから、私は存外自分勝手だ。
そんな我儘な私の祈りじみた言葉に、大樹くんは力強く頷いてくれた。
「ああ、もちろんだ!」
目の前には大好きな人の屈託のない笑顔。キラキラと眩しい表情が、私を安心させてくれた。
この先のことなんてわからないけれど、どうか大好きな人に怪我や耐えきれない苦難が訪れませんように。
そんな願いを込めて、私は改めて繋がれた大きな手を強く絡めなおした。
寒さがしんと居座っている冬の午後。昼食の際に使用した食器を洗い場で流している時に、小さな痛みはやってきた。
「い……たっ……」
指にちりりと痛みが走り、思わず自身の手を確認する。冷水で冷えた指先には真っ赤な筋が両手のいたるところに走っていた。具合を確認するためにと手を握って開けば、赤い線は主張をするかのように真っ赤に模様が広がっていく。
「ワオ……これはひどいですな」
石世界ではハンドクリームなんて気の利いたものなどなく、寒さの中で乾燥した指先を守れるものは幼馴染の力を借りないと作れそうにない。これから寒さが酷くなることを踏まえ、私以外にも被害者が出るだろうことを考えると、早めに対策を打ったほうがいいだろう。
それはそれとして、パックリと割れたグロテスクな両手はどうしたものか。じんわりと主張する小さな痛み達は両手の隅々で赤く口を開けている。かといって、このまま作業を投げ出す訳にもいかないので、痛みを我慢しながら手早く皿洗いを終わらせた。
はて、近くにヨモギかアロエが生えている場所はあっただろうか……と周辺の様子を思い浮かべる。生憎、植物の生体にはそこまで詳しくないので、誰かに頼んで傷薬を持ってきてもらう方が早いかもしれない。いやいや、この程度の傷であればしばらくしたら治るだろうし、貴重な資材を使うのもよくないのではないか。
思考を巡らせている間もじんじんと痛みを伝える指先に、ため息をついた。
「杠―!!俺も手伝うぞー!!」
背に腹は代えられないかと誰かに薬をもらおうと思ったところで、明るい声が耳を通り抜ける。
「ありがとう大樹くん。もうお皿洗い終わったから戻ろうと思ってたところだよ」
「むっ、来るのが遅くなってしまったな。杠に全てさせてしまってすまなかった」
「謝らないで。大樹くんには十分助けられてるから、こんなことまでさせたら罰が当たっちゃうよ」
申し訳なさそうに眉を下げる大樹くんに、顔を上げるように促す。彼の底抜けな優しさにはいつだって助けられているのだ。これ以上頑張ったら流石の大樹くんも体調に支障をきたしまうからとなだめた。
「ならせめて、洗い終わった食器は俺が運ぼう!」
それでもと食い下がる大樹くん。彼の優しさを無下にするのも何なので、ここはお言葉に甘えることにする。
「じゃあ、半分持ってもらおうかな」
「半分と言わず全部俺に預けてくれ!俺は力持ちだからな!……って杠!?何があったんだ!?その怪我はどうした!?」
持ち上げた食器類を私から全部取り上げた大樹くんは、その下にあった私の両手を見て驚く。
「杠に!両手に切り傷がたくさん!!どうしてそんな!ナイフの切れ味が良すぎたのか!?俺はそんな危険なものを今までずっと杠にあずけていた!?俺は!!俺はー!?」
「大樹くん落ち着いて、これは『あかぎれ』です。包丁とかナイフで怪我をしたわけじゃないよ」
どうどうと両手を彼の前で振ると、ハッとした表情をした彼はその場に荷物を置いて私の手をまじまじと見つめた。
「あかぎれ……?」
「もしかして、大樹くんはあかぎれになったことがない?」
大樹くんは皮膚が分厚いから、あまり縁がないのかもしれない。そういえば、何度か大樹くんと水回りの作業をすることがあったけれど、指先を赤くする私とは違って大樹くんの手は作業の後でも変わらず温かかった。確かに、これを初めて見た人は驚くだろう。
「あかぎれはね、寒さや空気が乾燥すると皮膚が割れちゃうんだよ。私のはそれを放置しちゃったからひどくなっちゃったんだけどね」
私の手の甲を支えるように大樹くんの手が添えられる。温かい彼の体温が冷えた指先にゆっくりと広がって、思わずため息を吐いた。
「こんな傷だらけの手で今までずっと皿洗いをしていたのか……すまない、気づいてやれなくて」
まるで私が何日も怪我を我慢してまで作業をしてきたかのような言いぶり。目を細め悲痛な面持ちで、私を包み込む手を強くしていく大樹くん。
「んー、こんなパックリ割れちゃったのはさっきなんだけど」
悲しい誤解をしてほしくないのといたたまれなさが相まって事実を告げると、さらにきゅっと手を強く包み込まれる。
「それは本当か?杠」
じっと見つめられて一瞬たじろいだが、真実なのだからわざわざ嘘をつく必要なんてない。
「こんなことで嘘なんて言わないよ。そこ確認必要かなぁ?」
あははと笑って空気を変えようとしても、真剣な彼の表情は変わらないまま。
「ああ、杠は自分の怪我を隠すことがあるからな」
「えー、そんなことしないよ。大体、この石世界で怪我や病気を隠してたらそれこそ死活問題ですぞ!」
とんだ信用のなさだと頬を膨らませれば、同じくムッとした顔の彼にぎゅっと手を掴まれ、割れた隙間から痛みが伝わる。
「っ……!」
「すまない!……違うんだ、杠を困らせたいわけじゃないんだ」
「ん、大丈夫。気にしないで」
「いや、怪我をした杠に対してひどいことをしてしまった。ひとまず、薬を持ってこよう」
「ごめんね……ありがとう、大樹くん」
私の片方の手をゆるりと引っ張って歩き出す大樹くんは、それでも私の手を離さないようにしっかりと掴んでいる。迷い無く進む足は止まることがなく、いつもと違う大樹くんの強引さは、それでも彼の優しさから来るものだと思った。
◇ ◇ ◇
大樹くんは私が普段寝泊まりしている一室まで連れて行くと、そこに座って待っていてくれと言いながらどこかへ走っていった。言われるままに、毛布や小道具が置かれた床の隅に大人しく座る。
「心配させちゃいましたな」
優しい彼は己が原因でなくても心を痛めてしまうから、あまり迷惑はかけたくない。温まっていたはずの掴まれていた部分から熱が逃げていく。
「さっきの大樹くん、照れてなかったな」
いつだって、手を繋ごうとしては固く握っていた拳も、ハグをしようとしてはそっと手を添えられるような仕草も、今日の大樹くんにはなかった。そういえば、千空くんから極秘ミッションを託されて司くんのとこに行くと言った時も、大樹くんは大胆にも私の腰を掴んで危険だと迫っていた。
……意識してなかったら、私にも触れてくれるんだ。
そこまで考えて一気に顔へ熱が集中する。これなら大樹くんの体温がなくても指先まで熱がまわりそうだ。
邪な気持ちを振り払うべくブンブンと頭を振っていると、薬であろう物を持った大樹くんが戻ってきた。
「待たせてすまない!薬をもらって来たぞ!」
「それは?」
「ヨモギを乾かして細かくしてから、消毒になる素材を混ぜた薬だそうだ!」
よく効くそうだぞといいながら、それを大樹くんは少しずつ手にとって、そのまま私の手をそっと引いて傷口にそっと塗ってくれた。じんわりと薬が傷口に広がって染みる。苦い表情をしているであろう私の顔をみた大樹くんが、また悲痛そうな顔をするので心配しないでと言葉を紡いだ。
「痛いけど、大丈夫だから」
「こんなにも割れているんだ。大丈夫なことはないだろう」
「もう、大樹くんは心配性ですな」
困った声を上げると、大樹くんの手が止まる。不思議に思い大樹くんの表情を伺うが、下を向いていて上手く読めない。
「大樹くん?」
「……杠は無意識なのかもしれないが」
ぽつりと零された言葉。
「杠は、怪我を隠そうとするんだ。千空はいつの間にか知っているみたいだが」
そっと顔を覗き込むと、瞳の奥に悲しげな色が混ざっていた。今までに、何度も後悔してきたようなその顔に、胸が締め付けられる。
「隠して、る、つもりはないんだけどな……そう思わせちゃったんだよね」
ごめんね、と謝ると大樹くんは首を横に振って、再び私の傷口に薬をゆっくり塗り込んでいった。
「石世界で目覚めてすぐの頃。俺たち三人で箱根に向かっていた時に」
「箱根って、私が目覚めてすぐの頃かな」
「ああ」
私の手を見つめているようで、どこか遠いものを見ているような大樹くん。
「杠は、足の石化のことを黙っていただろう」
「あ、ああー……」
あの頃は、石化のことも石世界のこともまるで分かっていなかった。きっといずれ足にひっついている石も外れるだろうと安易に考えていたのだ。今思うと、もし指先が割れたまま放置して足が戻らなかったらと思うと、そら恐ろしかった。
「何もわからなかったとはいえ、危険なことをしていましたな」
「それだけじゃない。中学の時に、転んで怪我をしていたことも俺には黙っていた」
他にもあの時は……とぽつぽつと私の前科を口にする大樹くんに、いたたまれなさが募っていく。
「それはね、大樹くんが信頼できないんじゃなくて、心配をかけたくないからで」
「ああ、千空にも言われた。だが、俺が知らなかった杠の怪我のことを千空は知っていた」
声は大樹くんの深い悲しみを乗せて私の耳に届く。大樹くんは私が思っているよりもずっと私のことを心配してくれていて、そして、悔やんでくれている。
「千空くんは目聡いから」
過去に、誰にも見られていないと思っていた失敗を千空くんに知られていたことがあった。その時に、怪我をしているのはお見通しだから診せろと、弁明する暇もなく治療されたのを今でも鮮明に思い出す。
「でも、大樹くんだって私のことお見通しだと思うよ」
「……へ?」
千空くんも鋭いけれど、大樹くんだって負けていない。大樹くんは無意識かもしれないけれど、大樹くんは誰よりも人のことを気にかけてくれている。
そっと大樹くんの耳元に顔を寄せて、ふたりだけしか聞こえない声で語りかける。
「大樹くん、私が落ち込んでる時は絶対に声をかけてくれるもん。自分でも気づかなった悲しい気持ちを、大樹くんが気づいてくれたことだってあるくらい」
寄せていた体を離して、ふふっと笑った。大樹くんはいつだって私の気持ちに寄り添ってくれる。それは悲しい時や落ちこんでるときじゃなくて、私が嬉しい時も。嬉しいことがあった時に、一緒になって喜んでくれる人がいてくれると、それだけで幸せな気持ちが何倍にだって膨れ上がるのだ。それに何度も救われてきたことを、きっと大樹くんは知らないんだろうな。
「大樹くんからしたら当たり前のことかもしれないけれど、大樹くんが声をかけてくれるだけで、そばにいてくれるだけで、私はすごく元気をもらえるから」
この本心は、包み隠さずに打ち明ける。日頃から感じている彼の優しさを伝えるのは少しだけ照れ臭いけれど、それ以上に大樹くん本人に知ってほしいと思った。いつか伝えたい、だったらきっといつまでも伝えられないだろうから。
「そして、これからも大樹くんにはたくさんお世話になるわけだし……大樹くんにこれ以上悲しい気持ちになってほしくないから、これからはちゃんと言うようにするね」
「杠……」
にっと笑えば、安心したかのように眉を下げる大樹くん。
その間、大樹くんの手で丁寧に塗り込まれた薬は、浸透するように両手に馴染んでいった。
「よし、終わったぞ!今日はあまり手を使う作業は控えてくれ!」
「うーん、できるかな……」
両手を軽く振って塗られた部分を乾かす。すると、大樹くんは慌てて私の手を掴んで安静にしてくれと言うように固定した。
「杠、頼むから、”この程度の怪我”だなんて思わないでくれ。俺は、もう大切な人を失うなんて恐怖は味わいたくない」
下を向いて話す彼は、少しくぐもった声でそうぽつりと漏らした。掴まれた両手がある限り私は逃げられないから、どこかで怪我をしてしまう前に自分の意見を聞き届けてほしいと願っているのだろう。
「ごめんね。心配かけちゃったよね、今までずっと」
これから先、怪我をしないなんて保証はどこにもない。むしろ、怪我をしないで生きていける人なんて、滅多にいないだろう。あかぎれのような怪我から人を殺すような大きな怪我まで、生きていれば何があるか分からない。
それは私だけじゃなくて、大樹くんもそうで。大樹くんが私を心配してくれているように、私も大樹くんには無理も無茶もしてほしくない。
「大樹くん」
「どうした、杠」
だから、わたしたちが安心できるように。これまで私が言葉にしなかった分を埋めるように、大切な思いを言葉に紡ぐ。
「大樹くんは私のこと、誰よりも良く見てくれていて、何でも分かってくれていると思うんだけど」
「それは、買い被りすぎじゃないか?」
「分かってくれていると思うんだけどね」
「あ、ああ」
ちょっと強引に、否定の返事を肯定の言葉に捻じ曲げた。大樹くん以上に、千空くんもそうだけどーーー私のことをよく知っていて、私を理解して、私をよく見ている人なんていない。そこは過大評価でも贔屓目でもないのだ。
「そして、それは私だって大樹くんに対してもそうなんです」
「ん、んん?」
分からないという顔をしている大樹くんに、苦笑いしてしまう。本当にこの人は、肝心なところで鈍感になる。
「だからね、私だって大樹くんが心配だってこと!」
掴まれていた手をゆるりとほどいて、手を絡みあわせる。
「大樹くんも、何かあったらすぐに言ってね。小さな怪我でもちゃんと言ってほしいし、できれば怪我、してほしくないよ」
私が言えたことじゃないかもしれないけれど。自分のことを棚に上げて言うのだから、私は存外自分勝手だ。
そんな我儘な私の祈りじみた言葉に、大樹くんは力強く頷いてくれた。
「ああ、もちろんだ!」
目の前には大好きな人の屈託のない笑顔。キラキラと眩しい表情が、私を安心させてくれた。
この先のことなんてわからないけれど、どうか大好きな人に怪我や耐えきれない苦難が訪れませんように。
そんな願いを込めて、私は改めて繋がれた大きな手を強く絡めなおした。