Case⑨ 蓋
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顔本は握られていない方の手で、黒く硬い髪を何度も毛並みに沿って優しく撫でていた。
そのストロークは一切休ませず、黒岩の預かり知らないところで本人を安らぎで包み込んでいる。
「はぁー、そろそろ…」
残念だがもうすぐタイムリミット。顔を上げれば、顔本の希望を無視して進む時計の秒針。それをただ目で追っているだけで、心の何処かが空っぽになっていく。
この甘ったるい時間がもうじき終わってしまうのか。彼の頭を撫でてやれなくなるのか。名残惜しいが、明るみに出る前に秘密の奉仕は止めておかなければ。
「今何時だ」
手と息が停止する。
「署……長……」
「……」
黒岩がゆっくりと起き上がり、少々汗ばんでいた膝元の風通しがうんと良くなった。
彼は自分で頭をひと撫でし、首の後ろをポリポリ掻いている。
「あ…いや、あー、あれですよ!普段おっかない人でも、無防備な姿ってか、寝顔ってか、お膝で健やかに眠られるとねっ、母性本能くすぐられるってか!」
「……」
「そう!母性本能!」
指摘されてしまう前に先手を打たねばと、顔本はまた自分の気持ちを誤魔化しにかかった。
「まだ母親になったこと無いんですけどねぇ、ははは」
「顔本は」
黒岩はテーブル越しのひとり掛けソファを見つめていたが、真横を向き、彼女と目と目をしっかり合わせにきた。
「……顔本は」
先日致した濃密な行為の最中、確信した心当たり。加えてつい先程の優しい手付き。それらの答え合わせに入る。
「俺の思い違いならば、その……今から言うことに気を悪くしたら済まない。顔本は俺に」
「止めてっ!!」
彼女は顔を伏せ手を彼の目前へずい、と突き出した。
「……」
「……」
肩も唇も、微かに震えている。彼に踏み出させる訳にはいかない。
「みんなが、渋谷が、大変な時にさ……署長も凄く忙しいのに……ハッ、私だけ、何っ?」
乾いた笑いで自分を責め立てる。
「呑気にさ、色ボケ……ほんっと、バッカみたい…!」
「……」
今は時空災害の真っ只中。前代未聞の異常現象に加え、襲撃も受けている。呑気で無責任な自分のことを、否定しなければ。二の次にしなければ。
「忘れます。消します。無かったことにするから。こんな邪魔な……情」
今まで本当に勝手ばかりやってきた。更にうつつを抜かすだなんてさすがの顔本も出来ない。
それでも、目を涙が覆い始める。
瞬きしたら溢れてしまう。上を向いたら零れてしまう。前を向いたら見られてしまう。顔本はもう真下を向き続けるしかなかった。
「だからっ署長は、今やるべき事に集中してよ?当然でしょ!」
「……」
「渋谷警察は、防衛の要で…S.D.S.も管理して…治安維持だって…渋谷のみんなが頼りにしてて…」
「……」
「だから…忘れてね?」
「……」
「無かったことに、して…?」
ソファがぽたぽたと顔本の本音を受け止める。
こんなことでは格好がつかない。ただの意地っ張りの子供だ。
「言いたいことは、言える内に言っておくんじゃなかったのか」
「……」
「心残りが無いように」
彼女は俯いたまま、黙って首を横に振った。
「……わかった。だが」
壁代わりの利き手を掴まれ、顔本は一瞬強張った。
「無事に元の時代に帰還した暁には、この続きを報告するように」
「……?」
恥を忍んでそっと顔を上げると、相手の頬はやや紅潮していた。
「……え?」
意味がわからない。指令の意図も同じく呑み込めない。
「続き、の…報告…?」
「あるんだろう。2017年に帰れれば、続きが」
掴んだ手も掴まれた方の手も、ただならぬ熱を帯び始める。
「……ある」
自分を騙し通すべきだと決め付けていた。だが渋谷が元通りになったその先は、果たしてどうだろうか。最善と思い込んでいる結論は、きっと変貌を遂げてくれる筈。
「あります…」
顔本はようやく手を握り返す。
「あります…!」
渋谷警察署での活動を始めた頃の自分は正に投げ槍だった。この身が滅びる前提で、とにかく突き進んでいた。
だが、今は違う。生きていたい。生きて帰りたい。自分の気持ちの為に。あとは先日ミロにだけ打ち明けた、ささやかな目標の為に。
「責任も感じているが、それだけではない。いつの間にか…」
「?」
責任。警察署長として渋谷民を守ることを言っているのだろうか。
それとも。
顔を伏せ耳まで赤く染めた彼の次に来る言葉に、顔本は身の程に有り余る期待を膨らます。
黒岩は、2人の間にある繋がった手へ熱い額を押し当てながら、もしもの話へ路線を戻す。
「その……前向きにっ、検討する。だから必ず報告しろ。良いな」
大きな手に力が込められたので、顔本も負けじと握り締めた。
「うん……うんっ…!」
彼と同じように額をこつんと寄せる。先程とは違う意味合いの温かな涙が、顔本の頬をゆっくり伝った。
意地っ張りで天の邪鬼な彼女から本心を引き出すことに成功した。黒岩は柔らかく微笑む。
「返事はハイだろう?」
「あ。ちょい待ち。署長って未婚?」
彼女の額は実にあっさり遠退いた。
恋が叶って嬉し泣きしている女性とは思えない調子に、黒岩はどうしても納得が行かなかった。
「……そうだが」
「"だが"じゃないっすよ。そこ大事でしょ。何よりも大事。あと婚約者は?彼女は?イイ感じの人は?ファンは?ちょっとでも居るんだったら今の全部無かったことにして」
「お、お前…」
信じ難い。ムードをここまで蔑ろにしなくても良いだろう。この女は鬼、いや、悪魔なのか。
「私女の子泣かせたくないんだよ、こういうことは特に。後々面倒になったら署長だって困るでしょ?」
「……その心配は無用だ」
「ホンットかなぁ~?」
女の顔本より男の自分が雰囲気を気にするのも奇っ怪だし、第一、黒岩自身彼もロマンチストではない。
「俺を疑っているのか」
「署長のモテ具合を信頼してんの。ったく」
褒めるにしても時と場合が違うだろう。あと表情も。何故こちらが叱られなければならない。
言いたいことが色々と込み上げてくるが、渋谷警察署長はそれら一切に蓋をして元相談窓口係を帰した。
そのストロークは一切休ませず、黒岩の預かり知らないところで本人を安らぎで包み込んでいる。
「はぁー、そろそろ…」
残念だがもうすぐタイムリミット。顔を上げれば、顔本の希望を無視して進む時計の秒針。それをただ目で追っているだけで、心の何処かが空っぽになっていく。
この甘ったるい時間がもうじき終わってしまうのか。彼の頭を撫でてやれなくなるのか。名残惜しいが、明るみに出る前に秘密の奉仕は止めておかなければ。
「今何時だ」
手と息が停止する。
「署……長……」
「……」
黒岩がゆっくりと起き上がり、少々汗ばんでいた膝元の風通しがうんと良くなった。
彼は自分で頭をひと撫でし、首の後ろをポリポリ掻いている。
「あ…いや、あー、あれですよ!普段おっかない人でも、無防備な姿ってか、寝顔ってか、お膝で健やかに眠られるとねっ、母性本能くすぐられるってか!」
「……」
「そう!母性本能!」
指摘されてしまう前に先手を打たねばと、顔本はまた自分の気持ちを誤魔化しにかかった。
「まだ母親になったこと無いんですけどねぇ、ははは」
「顔本は」
黒岩はテーブル越しのひとり掛けソファを見つめていたが、真横を向き、彼女と目と目をしっかり合わせにきた。
「……顔本は」
先日致した濃密な行為の最中、確信した心当たり。加えてつい先程の優しい手付き。それらの答え合わせに入る。
「俺の思い違いならば、その……今から言うことに気を悪くしたら済まない。顔本は俺に」
「止めてっ!!」
彼女は顔を伏せ手を彼の目前へずい、と突き出した。
「……」
「……」
肩も唇も、微かに震えている。彼に踏み出させる訳にはいかない。
「みんなが、渋谷が、大変な時にさ……署長も凄く忙しいのに……ハッ、私だけ、何っ?」
乾いた笑いで自分を責め立てる。
「呑気にさ、色ボケ……ほんっと、バッカみたい…!」
「……」
今は時空災害の真っ只中。前代未聞の異常現象に加え、襲撃も受けている。呑気で無責任な自分のことを、否定しなければ。二の次にしなければ。
「忘れます。消します。無かったことにするから。こんな邪魔な……情」
今まで本当に勝手ばかりやってきた。更にうつつを抜かすだなんてさすがの顔本も出来ない。
それでも、目を涙が覆い始める。
瞬きしたら溢れてしまう。上を向いたら零れてしまう。前を向いたら見られてしまう。顔本はもう真下を向き続けるしかなかった。
「だからっ署長は、今やるべき事に集中してよ?当然でしょ!」
「……」
「渋谷警察は、防衛の要で…S.D.S.も管理して…治安維持だって…渋谷のみんなが頼りにしてて…」
「……」
「だから…忘れてね?」
「……」
「無かったことに、して…?」
ソファがぽたぽたと顔本の本音を受け止める。
こんなことでは格好がつかない。ただの意地っ張りの子供だ。
「言いたいことは、言える内に言っておくんじゃなかったのか」
「……」
「心残りが無いように」
彼女は俯いたまま、黙って首を横に振った。
「……わかった。だが」
壁代わりの利き手を掴まれ、顔本は一瞬強張った。
「無事に元の時代に帰還した暁には、この続きを報告するように」
「……?」
恥を忍んでそっと顔を上げると、相手の頬はやや紅潮していた。
「……え?」
意味がわからない。指令の意図も同じく呑み込めない。
「続き、の…報告…?」
「あるんだろう。2017年に帰れれば、続きが」
掴んだ手も掴まれた方の手も、ただならぬ熱を帯び始める。
「……ある」
自分を騙し通すべきだと決め付けていた。だが渋谷が元通りになったその先は、果たしてどうだろうか。最善と思い込んでいる結論は、きっと変貌を遂げてくれる筈。
「あります…」
顔本はようやく手を握り返す。
「あります…!」
渋谷警察署での活動を始めた頃の自分は正に投げ槍だった。この身が滅びる前提で、とにかく突き進んでいた。
だが、今は違う。生きていたい。生きて帰りたい。自分の気持ちの為に。あとは先日ミロにだけ打ち明けた、ささやかな目標の為に。
「責任も感じているが、それだけではない。いつの間にか…」
「?」
責任。警察署長として渋谷民を守ることを言っているのだろうか。
それとも。
顔を伏せ耳まで赤く染めた彼の次に来る言葉に、顔本は身の程に有り余る期待を膨らます。
黒岩は、2人の間にある繋がった手へ熱い額を押し当てながら、もしもの話へ路線を戻す。
「その……前向きにっ、検討する。だから必ず報告しろ。良いな」
大きな手に力が込められたので、顔本も負けじと握り締めた。
「うん……うんっ…!」
彼と同じように額をこつんと寄せる。先程とは違う意味合いの温かな涙が、顔本の頬をゆっくり伝った。
意地っ張りで天の邪鬼な彼女から本心を引き出すことに成功した。黒岩は柔らかく微笑む。
「返事はハイだろう?」
「あ。ちょい待ち。署長って未婚?」
彼女の額は実にあっさり遠退いた。
恋が叶って嬉し泣きしている女性とは思えない調子に、黒岩はどうしても納得が行かなかった。
「……そうだが」
「"だが"じゃないっすよ。そこ大事でしょ。何よりも大事。あと婚約者は?彼女は?イイ感じの人は?ファンは?ちょっとでも居るんだったら今の全部無かったことにして」
「お、お前…」
信じ難い。ムードをここまで蔑ろにしなくても良いだろう。この女は鬼、いや、悪魔なのか。
「私女の子泣かせたくないんだよ、こういうことは特に。後々面倒になったら署長だって困るでしょ?」
「……その心配は無用だ」
「ホンットかなぁ~?」
女の顔本より男の自分が雰囲気を気にするのも奇っ怪だし、第一、黒岩自身彼もロマンチストではない。
「俺を疑っているのか」
「署長のモテ具合を信頼してんの。ったく」
褒めるにしても時と場合が違うだろう。あと表情も。何故こちらが叱られなければならない。
言いたいことが色々と込み上げてくるが、渋谷警察署長はそれら一切に蓋をして元相談窓口係を帰した。