Case⑦ 強いあなたに
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渋谷警察署の最上階、署長室。
初めて踏み入れた顔本を圧倒したのは十二分な広さだけではない。土足で踏んで良い高級絨毯に、新品と言われても納得な程掃除の行き届いたソファとローテーブル。壁には額縁、棚には壺。同じ1人用の部屋でも、当然ながら相談窓口係に貸し出されている仮眠室とは大違いだ。
本日の早朝脱走の件を咎められるのかと、未だかつてない落雷を覚悟して乗り込んだ。が、持ち出された話題は違うものだった。
「自治会って、あの自治会?」
「他にどの自治会がある」
黒岩は大きな窓の前に立ち、沈み行く西日を眺めながら続ける。
「不満や相談事はほとんどそこへ打ち上げられているそうだ」
「……」
そう言えば誰かがそんなことを話していたような。
住民の意見を吸い上げるなんて、顔本にとっては正にライバル組織である。しかし実のところ、こちらは閑古鳥を鳴かす非渋谷民、相手のトップは渋谷中心街自治会長。両者間には歴然とした差がある為、好敵手と表現するにはかなり苦しい。
「……まあねっ、臨時政府に直接物申しにくい気持ちも分かるわ~」
高級そうな1人掛けソファの背もたれに腕を大きく回し、どっしりと体重を預ける。が、これまでの己による粗暴な言動を思い返し、姿勢を正した。
「……それだけじゃないか」
心当たりが多過ぎる。自業自得だ。顔本は小さく呟きしぼんでいった。結果が顕著に現れてから反省したところで、どうにもならないのだが。
「この機にしばらく休養しろ」
目を見開き渋谷警察署長を凝視したが、その顔は威嚇よりも喪失感の色が濃い。
「クビってことですか」
「警察としての立場やS.D.S.に固執しなくとも、出来ることは他にあるだろう」
「?なんで大介くん達が出てくるんすか?」
「……」
「あーはいはい。やっぱ邪魔っすよね、私みたいな問題児。渋谷民にも青少年にも悪影響ですよねー」
「……」
この沈黙の理由は、半分は肯定の意。もう半分は、今朝ミロから言い渡された言葉だった。
顔本がこれ以上活発に動き回って大介らパペットマスターと関わり、リヴィジョンズの目に留まっては危険だという忠告。その時のアーヴエージェントの真っ直ぐな瞳や泉海巡査長の心配そうな顔も、黒岩の決断を後押ししていた。
彼はやさぐれた我が子を諭す父親の眼差しを、今後距離を置くべき人物へ向ける。
「お前の一番の仕事は、安全に……少しでも長生きすることだ」
言葉尻も極力、柔らかく。
「それは……みんな同じっていうか…署長もじゃん」
"長生き"という単語を聞いて顔本は口をへの字に曲げたが、発言している内に彼女の表情は自信に満ち溢れたものへ変わっていく。
「貴方こそ長生きしてくださいよ、渋谷警察署長。そう、今の渋谷に無くてはならない存在ナンバーワンなんですから!」
「今はお前の話をしている、顔本元相談窓口係」
きっぱりと突き返されてしまった。
「ううーむ」
黒岩警察署長との会話は自分のペースに持っていけず、いつだって調子が狂う。
だがそれと同時に、悪い気は全くしなかった。ひしひしと伝わってくる固い意思や強い責任感の為だろうか。
「さっすが、ブレないなぁ」
顔本は今一度背もたれに体を預けた。壁上部に掲げられた"質実剛健"の書を、遠い目をして眺める。
「まあ、だから私は……」
「?」
「……」
自分は一体何を口走るつもりなのか。
顔本は息を詰まらせ、首から上に熱が一挙に集まってしまう。
「……みんな!そうっ!みんなから署長が頼られる証っていうか!」
「それもお互い様だろう」
黒岩は相手の女性が動揺した理由を大して気に留めず、話題を戻しにかかる。
「一貫した姿勢は信頼を生む。少なくとも、相談内容を面と向かって処理された区民からは署を批判されていない。顔本。お前を問題児の一言で片付けるには早計だと、俺は考えている」
黒岩署長は顔本のすぐ側まで来てしゃがみ、自ら目線の高さを合わせた。
「よくやった」
「……」
功労を直々に称えられたが、すぐには綻ばなかった。
「……あー…」
今は条件が揃っているので、天の邪鬼な一面が顔を出す。
「そう、っすか?……そう、かな…?」
しばらく目を真ん丸くした後、ゆっくりと数回まばたき、靴の先を擦り合わせ、膝の上で手いじりし、頬を膨らませたりしぼませたりして、ようやく頬が緩む。
「へへ、上司の上司に褒められちゃった。いや、もう上司じゃないのか……」
形式上であったとはいえ、この人との繋がりは無くなってしまった。渋谷警察署長と、ただの一般人。
己の立場が身に染みて、この部屋に居ること事態不相応なことだと察する。顔本は一度だけため息を吐いた。
「これ、お返しします。ほとんど使ってなかったけど」
貸与されていたトランシーバーを上着の肩から取り外してローテーブルに置く。
「服も着替えなきゃ」
この組織に所属していない身なのだから規定の制服も返却すべきだし、いつまでも婦警の格好をしていては紛らわしい。区民や警察官達にとっても、切り替えが必要な自分の気持ちにとっても。
「……そうだな。但し、当初の契約条件である、安静第一の約束は取り下げない。引き続き厳守だ。それと、今後S.D」
「あ」
「何だ」
「当初って聞いて思い出したんです。署長に言いそびれていたこと」
それは本来、最初に言うべき言葉だった。
顔本はソファから立ち上がり、けじめをつける。
「死に損ないの私にチャンスをくださり、ありがとうございました」
こんな状況下、わざわざ役割を与えてくれた。生きる活力をくれた。深いお辞儀と一緒にそのお礼を述べる。
黒岩署長は顔本が見たこともないような優しい笑顔を彼女の下げ続けている頭へ向けた。
「泉海にも言ってやれ。直接な」
初めて踏み入れた顔本を圧倒したのは十二分な広さだけではない。土足で踏んで良い高級絨毯に、新品と言われても納得な程掃除の行き届いたソファとローテーブル。壁には額縁、棚には壺。同じ1人用の部屋でも、当然ながら相談窓口係に貸し出されている仮眠室とは大違いだ。
本日の早朝脱走の件を咎められるのかと、未だかつてない落雷を覚悟して乗り込んだ。が、持ち出された話題は違うものだった。
「自治会って、あの自治会?」
「他にどの自治会がある」
黒岩は大きな窓の前に立ち、沈み行く西日を眺めながら続ける。
「不満や相談事はほとんどそこへ打ち上げられているそうだ」
「……」
そう言えば誰かがそんなことを話していたような。
住民の意見を吸い上げるなんて、顔本にとっては正にライバル組織である。しかし実のところ、こちらは閑古鳥を鳴かす非渋谷民、相手のトップは渋谷中心街自治会長。両者間には歴然とした差がある為、好敵手と表現するにはかなり苦しい。
「……まあねっ、臨時政府に直接物申しにくい気持ちも分かるわ~」
高級そうな1人掛けソファの背もたれに腕を大きく回し、どっしりと体重を預ける。が、これまでの己による粗暴な言動を思い返し、姿勢を正した。
「……それだけじゃないか」
心当たりが多過ぎる。自業自得だ。顔本は小さく呟きしぼんでいった。結果が顕著に現れてから反省したところで、どうにもならないのだが。
「この機にしばらく休養しろ」
目を見開き渋谷警察署長を凝視したが、その顔は威嚇よりも喪失感の色が濃い。
「クビってことですか」
「警察としての立場やS.D.S.に固執しなくとも、出来ることは他にあるだろう」
「?なんで大介くん達が出てくるんすか?」
「……」
「あーはいはい。やっぱ邪魔っすよね、私みたいな問題児。渋谷民にも青少年にも悪影響ですよねー」
「……」
この沈黙の理由は、半分は肯定の意。もう半分は、今朝ミロから言い渡された言葉だった。
顔本がこれ以上活発に動き回って大介らパペットマスターと関わり、リヴィジョンズの目に留まっては危険だという忠告。その時のアーヴエージェントの真っ直ぐな瞳や泉海巡査長の心配そうな顔も、黒岩の決断を後押ししていた。
彼はやさぐれた我が子を諭す父親の眼差しを、今後距離を置くべき人物へ向ける。
「お前の一番の仕事は、安全に……少しでも長生きすることだ」
言葉尻も極力、柔らかく。
「それは……みんな同じっていうか…署長もじゃん」
"長生き"という単語を聞いて顔本は口をへの字に曲げたが、発言している内に彼女の表情は自信に満ち溢れたものへ変わっていく。
「貴方こそ長生きしてくださいよ、渋谷警察署長。そう、今の渋谷に無くてはならない存在ナンバーワンなんですから!」
「今はお前の話をしている、顔本元相談窓口係」
きっぱりと突き返されてしまった。
「ううーむ」
黒岩警察署長との会話は自分のペースに持っていけず、いつだって調子が狂う。
だがそれと同時に、悪い気は全くしなかった。ひしひしと伝わってくる固い意思や強い責任感の為だろうか。
「さっすが、ブレないなぁ」
顔本は今一度背もたれに体を預けた。壁上部に掲げられた"質実剛健"の書を、遠い目をして眺める。
「まあ、だから私は……」
「?」
「……」
自分は一体何を口走るつもりなのか。
顔本は息を詰まらせ、首から上に熱が一挙に集まってしまう。
「……みんな!そうっ!みんなから署長が頼られる証っていうか!」
「それもお互い様だろう」
黒岩は相手の女性が動揺した理由を大して気に留めず、話題を戻しにかかる。
「一貫した姿勢は信頼を生む。少なくとも、相談内容を面と向かって処理された区民からは署を批判されていない。顔本。お前を問題児の一言で片付けるには早計だと、俺は考えている」
黒岩署長は顔本のすぐ側まで来てしゃがみ、自ら目線の高さを合わせた。
「よくやった」
「……」
功労を直々に称えられたが、すぐには綻ばなかった。
「……あー…」
今は条件が揃っているので、天の邪鬼な一面が顔を出す。
「そう、っすか?……そう、かな…?」
しばらく目を真ん丸くした後、ゆっくりと数回まばたき、靴の先を擦り合わせ、膝の上で手いじりし、頬を膨らませたりしぼませたりして、ようやく頬が緩む。
「へへ、上司の上司に褒められちゃった。いや、もう上司じゃないのか……」
形式上であったとはいえ、この人との繋がりは無くなってしまった。渋谷警察署長と、ただの一般人。
己の立場が身に染みて、この部屋に居ること事態不相応なことだと察する。顔本は一度だけため息を吐いた。
「これ、お返しします。ほとんど使ってなかったけど」
貸与されていたトランシーバーを上着の肩から取り外してローテーブルに置く。
「服も着替えなきゃ」
この組織に所属していない身なのだから規定の制服も返却すべきだし、いつまでも婦警の格好をしていては紛らわしい。区民や警察官達にとっても、切り替えが必要な自分の気持ちにとっても。
「……そうだな。但し、当初の契約条件である、安静第一の約束は取り下げない。引き続き厳守だ。それと、今後S.D」
「あ」
「何だ」
「当初って聞いて思い出したんです。署長に言いそびれていたこと」
それは本来、最初に言うべき言葉だった。
顔本はソファから立ち上がり、けじめをつける。
「死に損ないの私にチャンスをくださり、ありがとうございました」
こんな状況下、わざわざ役割を与えてくれた。生きる活力をくれた。深いお辞儀と一緒にそのお礼を述べる。
黒岩署長は顔本が見たこともないような優しい笑顔を彼女の下げ続けている頭へ向けた。
「泉海にも言ってやれ。直接な」