Case③b 大人達と子供
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次の日。
「受付のお嬢さんは?早めに抜け出しちゃったのかねぇ~」
重大な相談事が無くとも、渋谷警察署総合受付カウンターに毎日通う区民は何人か居た。背中の曲がった白髪の女性もその1人だ。
「顔本ですか?本日はお休みです。体調不良で立っていられないそうで、私が代理で受け付けております」
「そうかい……じゃあ今日は帰ります。元気出しなって伝えといてください、お兄さんの手が空いたらで良いから」
「お気を付けてお帰りください」
いつもの相談窓口係とは異なり、彼の声量は必要最低限に抑えられている。外見にもこれといった特徴の無い、至って普通の警察官だ。
「次の方ー」
「あの生意気な女は居ないのか!?」
「はい?」
「いつもここで喚いている若い女よ!」
「お前達警察は聞かれたことにさっさと答えりゃ良いんじゃ!」
「はぁ」
カウンター越しの男性警官は先程とはうってかわり、返事とも取れない中途半端な声だけ出した。若干目が伏せっている。
「今日は僕です。ご用件どーぞー」
「ハンッ、奴め遂に根を上げたか!」
「きっとバチが当たったのよっ」
「あのーご用件」
「今はワシらが喋ってる途中じゃ!」
解決が急がれる問題を特に抱えていなくとも、一部のクレーマーはここに連日押し掛けてくる。
「あんのジャンヌダルク気取りが良い気味だ!」
「はぁ」
彼らとしては、警察や臨時政府への漠然とした不信感よりも、顔本の横柄とも言える態度の方がネタとして取っ付きやすい。標的を絞り個人攻撃にしておけば仲間内への意識共有も何かと楽だ。
「ジャンヌダルクって軍人ですよね、顔本さんって第一線からは退いた系ですけど?」
「は…?」
「旗持ってシビリアンの群れに突撃しに行く顔本さんとか想像できないなぁ。槍なら有り得るかもだけど」
クレーマー達を思考停止させた彼は片足立ちに切り替え、盛大なあくびをしてみせる。
「なんかそういうの萎えません?戦闘員はちゃんと別に居るのに」
「な、なんじゃと!?ああ言えばこう言う、貴様も図々しい若者だな!」
「さっきから態度もなってないわ!」
「申し訳ございませんっ、顔本もこの者にも後でキツく言っておきますので…!」
カウンター奥で雑務に追われていた別の警官がマイペースな後輩の隣に立ち、深々と頭を下げた。
「ふんっ、ちゃんと教育しとけ!」
「横山さんのトコに戻りましょ、こんなトコ居ても時間の無駄だわ!」
御一行が完全に立ち去ったことを確認してから、フォローに回った女性は頭を上げ、小声で臨時相談係へ突っ込む。
「あそこまで言わなくても良かったじゃない」
「ジャンヌダルクだと語弊ありますよ?ちゃんと否定してやらないと恥かくのはあのお爺さんです」
「そうじゃなくて」
他の婦警が事務作業の手を止めずに会話へ参加する。
「その前。今のああいうクレームはどうだって良いの」
「そうそう。中身無いんだから」
「顔本さんが酷い体調不良って、お婆ちゃんにわざわざ言わなくても良かったでしょ」
「ああ、そっちですか」
「区民に余計な心配させない方が良いと思うよ?」
この場を支配していたマイナスの雰囲気がまだ後を引いているためか、住民は窓口に近寄らない。今日の相談係は署の入口に背を向けカウンターに寄り掛かった。
「でも、理由知らせないままただ帰らせるとかあのお婆さんが気の毒じゃないですか?」
考え方が孤立しても彼は先輩方に迎合せず、真っ向から私見を述べた。
「気の毒?知らないことがってこと?」
「だって、2人が会えないまま、互いに何も知らないまま、この後もし何かあったら…」
不吉な憶測に婦警達は作業の手を止め、その何人かは渦中の人物が寝込んでいる小部屋の方向を見やる。
「……最近元気だったから気にしてなかったわ」
「医者にちゃんと診てもらってんのかしら?」
「一応、堂嶋先生がたまにいらしてるみたいですよ」
何気ない報告に含まれていた名字は彼女達の時を数秒間停止させた。
「手術とかはまだ設備が」
「あのイケメン医師が!?」
「やだホントー?署に来てるってこと?」
「ねえ今日そこ通るかしら!?」
沈んだ空気から一転、黄色い声で場が盛り上がる。先輩方は各々業務を放り出して化粧を直し始めた。
「ええー…?皆さん急にテンション高っ」
「当たり前じゃないお医者様よ!」
「私もうずっとここの担当で良いっ」
「うーん……」
まだまだ若い後輩くんは正直に首をかしげ、怒られても仕方がない感想を堂々と呟く。
「言う程ですかね?あの先生。元々ああいう感じの人なんでしょうけど、なーんか逞しさに欠けるっていうか…」
「何言ってんの、今時は腕っぷしより財力よ財力!」
「独身だしかなり狙い目よね」
「そこそこ若いし結構イケメンだし、あと声も良いのよっ」
「ちょっと煌めき過ぎてません?一応被災者ですよ僕達」
署の受付カウンターで先輩方が期待に胸を膨らませている頃、下っ端婦警は薄暗い部屋で激痛に悶えていた。
「入るぞ、顔本。気分は?」
「ご心配なく」
端的に告げられた質問に対し、これまた端的に返した。うつ伏せから起き上がりはしないがニヤケてみせる。
「ホラあれ、怪我の治りかけってアレでしょ、なんか痒かったりムズムズしたりするじゃないっすか…コレも、そういうやつ、かも…へへ」
黒岩はパイプ椅子を自分で開き、ベッド横に腰を据える。
「無理をするな」
「今は安静第一真っ最中なんですけど?昨日はその、張り切っちゃったけど…」
「下手に取り繕うなという意味だ。症状は正確に伝えろ。お忙しい医師を呼び出す目安にもなる」
「……」
また顔本は返答を渋ったが、街ぐるみで置かれているこの非常時において医療従事者に迷惑をかけることは最大のタブー。公人が彼らに無駄足させるなんてことも以ての他。
「どうなんだ」
「……」
強大な圧力にも観念し、顔本は正直な感想を吐露する。
「痛くて……気持ち悪い……痛過ぎで……吐きそう……」
「最初からそう言え。ちなみに、堂嶋先生はあと数分で到着する」
「……意地悪」
ひねくれ者の本音を引き出させるネタは、どちらにせよ前もって呼び出しておいた。せっかく白状した自分が滑稽ではないかと顔本は静かに膨れる。
「痛むのは肩か?」
「肩ってか背中…背中が一番ヤバイ…」
「他は?」
「腕は大丈夫…首も、平気……あ、右手首なんか痛いかも」
鎮痛剤の効きが悪く、その分シーツが強く握り締められている。昨日自販機の下で酷使した手首へ皮の厚い手がそっと重ねられ、同時に頭も撫でられる。
帽子のようにすっぽり覆われているのではと思う程、渋谷警察署長の手は大きく、意外と温かい。自然と眉間のシワが薄くなっていく。
「意地悪じゃないです。あったかい。良い上司。めっちゃ優しい」
「良くも悪くも、思ったことをすぐ口にするな顔本は」
黒岩は緊張の糸を解いたように微笑んだ。本人の視界にその表情は映り込んでいないため、顔本は構わず続ける。
「そりゃあ、言いたいことは言える内に言っときます。いつ何どき、いたたた……死ぬかわからないですから。心残りが無いように」
「本当に、全部、言えてますかぁー?」
眠っている人物を起こさない程度の囁きが貴重な時間に水を差した。
「慶作くん!?」
迂闊にも黒岩は背後の扉を閉め忘れていた。添えられていた頼もしい手が両方とも即座に離れてしまう。
「一番言いたいことが、まだ、言えてないんじゃ、ないですかー?すかー?すかー?」
セルフでエコーまで追加しやがった。もう誰の仕業かバレバレだが浅野慶作は全身を晒さず、あくまでも口元と添えた手しか見せてこないところが極めて憎たらしい。
「ク、クソガキっ…!」
「顔本、言葉を慎め」
男子高校生の腰辺りの高さから子供達の頭がいくつか覗いてきている。
「え?ああ、一時預かりの子達か」
「そーっす。ルウの提案で、グループに別れて警察署を探検し」
「男と女が2人きりだー!!」
先頭の男の子が慶作を遮り、その言葉は辺りに響き渡った。
声変わりがまだまだ先の喉は時に凶器となる。黒岩や慶作の負傷者を気遣う声量からの、加減を知らない幼子が全力で出した叫び声。顔本の耳は急な刺激について行けず顔をしかめた。
「えっちだ~、えっちだろ~?」
「このあとちゅーするんだぁ、ちゅー!」
「ちゅーするのー?ねー、ちゅーするのー!?きゃーっ!」
他の小さな野次馬達も廊下から質問攻めを開始する。好奇心旺盛なちびっ子の野次に自分も巻き込まれ、黒岩は重くため息を吐いた。
一方で顔本はこれだけ歳の差があれば余裕を取り戻したようで、布団を膝にかけたままベッドの上で胡座をかく。
「いてて…よぉし、ここらでみんなに豆知識を教えよう!こういう時ちゅーするようなムッツリ星人かどうかは~……足首がキュッと細くなってるかどうか見ろ!」
「足首…?」
彼らの関心を別の物事へ逸らせることに成功し、一旦は騒ぎが収まった。
「ちなみに私は大根脚でーす残念でしたー。さあみんな帰っ」
「ほんとー?見せてー!」
「見せろー!」
「だいこんあしって何ー?」
「わーい!」
しかしながら矛先が向けられている人物は変わらず。遂に室内へ突入され、子供達はあっという間に目的物へ群がった。
「ちょ、止めてっ!」
「怪しい、嘘ついてんな」
「ねえ大根があるのー?」
「俺こっち持つ。そっち、そっち引っ張って!」
「せーのっ!」
「止めっ、こちとら怪我人だぞ!?止めんか!」
思い思いに布団に手を出され、顔本は瓦解寸前であった。
「誰かそっち引っ張って!」
「ねえだいこーん」
「もっとまめちしち教えてー!」
「知識ね、ちしき。ちょ、登るなら靴脱いで!」
「……墓穴掘ってません?聞こえてないか」
「聞こえてるよ!地獄耳嘗めんな!」
慶作は部屋の出入口に軽く寄りかかって他人事のように見物している。頭痛がしてきた黒岩は自分のこめかみに指を添える。
「えっちだから物知りなんだろ~、ムッツリだ~」
「ムッツリー!署長さんにちゅーするぞコイツー!」
「なっ…違っ…!」
情けないことに顔本相談窓口係は完全に嘗められている。
「テキトーなこと言ってんじゃないよ!」
「署長さん気を付けろー!」
「きゃ~!」
最早彼女だけの力では事態の収拾を望めない。
「ここは怪我人の部屋だ。静かに出来ないのなら部屋に戻っていなさい」
冗談が通じない大人による鶴の一声のお陰で、子供達は全員興奮の火を自ら消しパタパタと退散していった。
「どーじませんせーだ!」
「せんせーこんにちは~!」
「こんにちは。みんな廊下は走らないで?早足にしようね」
「はぁーい!」
足音も止み、警察署1階の廊下は今度こそ静けさを取り戻した。
「んー、足首か……」
その場にまだ残っている慶作がポツリと呟く。脚を足で撫でられた先日の色濃い体験を思い起こしてみた。
言う程寸胴な大根でもない。むしろ、
「結構な……マジか」
「ん?」
黒岩が向けたのはなんてことのない顔だったが、訳を話せば叱られる結果が目に見えているので慶作はくるりとUターンする。
「ああっと!俺も戻りまーす。あ、どうも~」
「いつも大介が世話になっているね」
「同級生なのに否定できないってのがまた…」
あの甥ならば、お友達にここまで言わせてしまうのも仕方が無いか。堂嶋幹夫も慶作につられて苦笑いする。
「せんせー、居るのー?は、早く来てーっ」
廊下で立ち話中の医師へ患者がヘルプを出す。黒岩との仲を散々茶化された直後2人きりになった空間は非常に息苦しい。
「はいはい、お待たせしました……風邪でもこじらせましたか?お顔が」
「赤くないっ!」
「受付のお嬢さんは?早めに抜け出しちゃったのかねぇ~」
重大な相談事が無くとも、渋谷警察署総合受付カウンターに毎日通う区民は何人か居た。背中の曲がった白髪の女性もその1人だ。
「顔本ですか?本日はお休みです。体調不良で立っていられないそうで、私が代理で受け付けております」
「そうかい……じゃあ今日は帰ります。元気出しなって伝えといてください、お兄さんの手が空いたらで良いから」
「お気を付けてお帰りください」
いつもの相談窓口係とは異なり、彼の声量は必要最低限に抑えられている。外見にもこれといった特徴の無い、至って普通の警察官だ。
「次の方ー」
「あの生意気な女は居ないのか!?」
「はい?」
「いつもここで喚いている若い女よ!」
「お前達警察は聞かれたことにさっさと答えりゃ良いんじゃ!」
「はぁ」
カウンター越しの男性警官は先程とはうってかわり、返事とも取れない中途半端な声だけ出した。若干目が伏せっている。
「今日は僕です。ご用件どーぞー」
「ハンッ、奴め遂に根を上げたか!」
「きっとバチが当たったのよっ」
「あのーご用件」
「今はワシらが喋ってる途中じゃ!」
解決が急がれる問題を特に抱えていなくとも、一部のクレーマーはここに連日押し掛けてくる。
「あんのジャンヌダルク気取りが良い気味だ!」
「はぁ」
彼らとしては、警察や臨時政府への漠然とした不信感よりも、顔本の横柄とも言える態度の方がネタとして取っ付きやすい。標的を絞り個人攻撃にしておけば仲間内への意識共有も何かと楽だ。
「ジャンヌダルクって軍人ですよね、顔本さんって第一線からは退いた系ですけど?」
「は…?」
「旗持ってシビリアンの群れに突撃しに行く顔本さんとか想像できないなぁ。槍なら有り得るかもだけど」
クレーマー達を思考停止させた彼は片足立ちに切り替え、盛大なあくびをしてみせる。
「なんかそういうの萎えません?戦闘員はちゃんと別に居るのに」
「な、なんじゃと!?ああ言えばこう言う、貴様も図々しい若者だな!」
「さっきから態度もなってないわ!」
「申し訳ございませんっ、顔本もこの者にも後でキツく言っておきますので…!」
カウンター奥で雑務に追われていた別の警官がマイペースな後輩の隣に立ち、深々と頭を下げた。
「ふんっ、ちゃんと教育しとけ!」
「横山さんのトコに戻りましょ、こんなトコ居ても時間の無駄だわ!」
御一行が完全に立ち去ったことを確認してから、フォローに回った女性は頭を上げ、小声で臨時相談係へ突っ込む。
「あそこまで言わなくても良かったじゃない」
「ジャンヌダルクだと語弊ありますよ?ちゃんと否定してやらないと恥かくのはあのお爺さんです」
「そうじゃなくて」
他の婦警が事務作業の手を止めずに会話へ参加する。
「その前。今のああいうクレームはどうだって良いの」
「そうそう。中身無いんだから」
「顔本さんが酷い体調不良って、お婆ちゃんにわざわざ言わなくても良かったでしょ」
「ああ、そっちですか」
「区民に余計な心配させない方が良いと思うよ?」
この場を支配していたマイナスの雰囲気がまだ後を引いているためか、住民は窓口に近寄らない。今日の相談係は署の入口に背を向けカウンターに寄り掛かった。
「でも、理由知らせないままただ帰らせるとかあのお婆さんが気の毒じゃないですか?」
考え方が孤立しても彼は先輩方に迎合せず、真っ向から私見を述べた。
「気の毒?知らないことがってこと?」
「だって、2人が会えないまま、互いに何も知らないまま、この後もし何かあったら…」
不吉な憶測に婦警達は作業の手を止め、その何人かは渦中の人物が寝込んでいる小部屋の方向を見やる。
「……最近元気だったから気にしてなかったわ」
「医者にちゃんと診てもらってんのかしら?」
「一応、堂嶋先生がたまにいらしてるみたいですよ」
何気ない報告に含まれていた名字は彼女達の時を数秒間停止させた。
「手術とかはまだ設備が」
「あのイケメン医師が!?」
「やだホントー?署に来てるってこと?」
「ねえ今日そこ通るかしら!?」
沈んだ空気から一転、黄色い声で場が盛り上がる。先輩方は各々業務を放り出して化粧を直し始めた。
「ええー…?皆さん急にテンション高っ」
「当たり前じゃないお医者様よ!」
「私もうずっとここの担当で良いっ」
「うーん……」
まだまだ若い後輩くんは正直に首をかしげ、怒られても仕方がない感想を堂々と呟く。
「言う程ですかね?あの先生。元々ああいう感じの人なんでしょうけど、なーんか逞しさに欠けるっていうか…」
「何言ってんの、今時は腕っぷしより財力よ財力!」
「独身だしかなり狙い目よね」
「そこそこ若いし結構イケメンだし、あと声も良いのよっ」
「ちょっと煌めき過ぎてません?一応被災者ですよ僕達」
署の受付カウンターで先輩方が期待に胸を膨らませている頃、下っ端婦警は薄暗い部屋で激痛に悶えていた。
「入るぞ、顔本。気分は?」
「ご心配なく」
端的に告げられた質問に対し、これまた端的に返した。うつ伏せから起き上がりはしないがニヤケてみせる。
「ホラあれ、怪我の治りかけってアレでしょ、なんか痒かったりムズムズしたりするじゃないっすか…コレも、そういうやつ、かも…へへ」
黒岩はパイプ椅子を自分で開き、ベッド横に腰を据える。
「無理をするな」
「今は安静第一真っ最中なんですけど?昨日はその、張り切っちゃったけど…」
「下手に取り繕うなという意味だ。症状は正確に伝えろ。お忙しい医師を呼び出す目安にもなる」
「……」
また顔本は返答を渋ったが、街ぐるみで置かれているこの非常時において医療従事者に迷惑をかけることは最大のタブー。公人が彼らに無駄足させるなんてことも以ての他。
「どうなんだ」
「……」
強大な圧力にも観念し、顔本は正直な感想を吐露する。
「痛くて……気持ち悪い……痛過ぎで……吐きそう……」
「最初からそう言え。ちなみに、堂嶋先生はあと数分で到着する」
「……意地悪」
ひねくれ者の本音を引き出させるネタは、どちらにせよ前もって呼び出しておいた。せっかく白状した自分が滑稽ではないかと顔本は静かに膨れる。
「痛むのは肩か?」
「肩ってか背中…背中が一番ヤバイ…」
「他は?」
「腕は大丈夫…首も、平気……あ、右手首なんか痛いかも」
鎮痛剤の効きが悪く、その分シーツが強く握り締められている。昨日自販機の下で酷使した手首へ皮の厚い手がそっと重ねられ、同時に頭も撫でられる。
帽子のようにすっぽり覆われているのではと思う程、渋谷警察署長の手は大きく、意外と温かい。自然と眉間のシワが薄くなっていく。
「意地悪じゃないです。あったかい。良い上司。めっちゃ優しい」
「良くも悪くも、思ったことをすぐ口にするな顔本は」
黒岩は緊張の糸を解いたように微笑んだ。本人の視界にその表情は映り込んでいないため、顔本は構わず続ける。
「そりゃあ、言いたいことは言える内に言っときます。いつ何どき、いたたた……死ぬかわからないですから。心残りが無いように」
「本当に、全部、言えてますかぁー?」
眠っている人物を起こさない程度の囁きが貴重な時間に水を差した。
「慶作くん!?」
迂闊にも黒岩は背後の扉を閉め忘れていた。添えられていた頼もしい手が両方とも即座に離れてしまう。
「一番言いたいことが、まだ、言えてないんじゃ、ないですかー?すかー?すかー?」
セルフでエコーまで追加しやがった。もう誰の仕業かバレバレだが浅野慶作は全身を晒さず、あくまでも口元と添えた手しか見せてこないところが極めて憎たらしい。
「ク、クソガキっ…!」
「顔本、言葉を慎め」
男子高校生の腰辺りの高さから子供達の頭がいくつか覗いてきている。
「え?ああ、一時預かりの子達か」
「そーっす。ルウの提案で、グループに別れて警察署を探検し」
「男と女が2人きりだー!!」
先頭の男の子が慶作を遮り、その言葉は辺りに響き渡った。
声変わりがまだまだ先の喉は時に凶器となる。黒岩や慶作の負傷者を気遣う声量からの、加減を知らない幼子が全力で出した叫び声。顔本の耳は急な刺激について行けず顔をしかめた。
「えっちだ~、えっちだろ~?」
「このあとちゅーするんだぁ、ちゅー!」
「ちゅーするのー?ねー、ちゅーするのー!?きゃーっ!」
他の小さな野次馬達も廊下から質問攻めを開始する。好奇心旺盛なちびっ子の野次に自分も巻き込まれ、黒岩は重くため息を吐いた。
一方で顔本はこれだけ歳の差があれば余裕を取り戻したようで、布団を膝にかけたままベッドの上で胡座をかく。
「いてて…よぉし、ここらでみんなに豆知識を教えよう!こういう時ちゅーするようなムッツリ星人かどうかは~……足首がキュッと細くなってるかどうか見ろ!」
「足首…?」
彼らの関心を別の物事へ逸らせることに成功し、一旦は騒ぎが収まった。
「ちなみに私は大根脚でーす残念でしたー。さあみんな帰っ」
「ほんとー?見せてー!」
「見せろー!」
「だいこんあしって何ー?」
「わーい!」
しかしながら矛先が向けられている人物は変わらず。遂に室内へ突入され、子供達はあっという間に目的物へ群がった。
「ちょ、止めてっ!」
「怪しい、嘘ついてんな」
「ねえ大根があるのー?」
「俺こっち持つ。そっち、そっち引っ張って!」
「せーのっ!」
「止めっ、こちとら怪我人だぞ!?止めんか!」
思い思いに布団に手を出され、顔本は瓦解寸前であった。
「誰かそっち引っ張って!」
「ねえだいこーん」
「もっとまめちしち教えてー!」
「知識ね、ちしき。ちょ、登るなら靴脱いで!」
「……墓穴掘ってません?聞こえてないか」
「聞こえてるよ!地獄耳嘗めんな!」
慶作は部屋の出入口に軽く寄りかかって他人事のように見物している。頭痛がしてきた黒岩は自分のこめかみに指を添える。
「えっちだから物知りなんだろ~、ムッツリだ~」
「ムッツリー!署長さんにちゅーするぞコイツー!」
「なっ…違っ…!」
情けないことに顔本相談窓口係は完全に嘗められている。
「テキトーなこと言ってんじゃないよ!」
「署長さん気を付けろー!」
「きゃ~!」
最早彼女だけの力では事態の収拾を望めない。
「ここは怪我人の部屋だ。静かに出来ないのなら部屋に戻っていなさい」
冗談が通じない大人による鶴の一声のお陰で、子供達は全員興奮の火を自ら消しパタパタと退散していった。
「どーじませんせーだ!」
「せんせーこんにちは~!」
「こんにちは。みんな廊下は走らないで?早足にしようね」
「はぁーい!」
足音も止み、警察署1階の廊下は今度こそ静けさを取り戻した。
「んー、足首か……」
その場にまだ残っている慶作がポツリと呟く。脚を足で撫でられた先日の色濃い体験を思い起こしてみた。
言う程寸胴な大根でもない。むしろ、
「結構な……マジか」
「ん?」
黒岩が向けたのはなんてことのない顔だったが、訳を話せば叱られる結果が目に見えているので慶作はくるりとUターンする。
「ああっと!俺も戻りまーす。あ、どうも~」
「いつも大介が世話になっているね」
「同級生なのに否定できないってのがまた…」
あの甥ならば、お友達にここまで言わせてしまうのも仕方が無いか。堂嶋幹夫も慶作につられて苦笑いする。
「せんせー、居るのー?は、早く来てーっ」
廊下で立ち話中の医師へ患者がヘルプを出す。黒岩との仲を散々茶化された直後2人きりになった空間は非常に息苦しい。
「はいはい、お待たせしました……風邪でもこじらせましたか?お顔が」
「赤くないっ!」