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本日の最終授業である五限目、数学の応用問題を各自解いていると、後ろからこの授業で何度目かの小さなため息が聞こえた。
普段あまり物音を立てない人なので最初のうちは珍しいなとぼんやり思っていたのだが、ため息が何度も続くとなるとさすがに少し心配になってくる。
頭の良い人だから問題が分からなくて困っている訳では無いだろうし、心配事や悩み事があってもポーカーフェイスを崩さないタイプだと後ろの彼とよく一緒にいる山口君から以前聞いたことがあるので、精神的な問題ではないとするなら......もしかして、体調でも悪いんじゃないだろうか。
そこまでの推察が及んだ途端、後ろの席の月島君の様子がどうしても気になってしまい、先程から問題を解くペースが徐行運転レベルまで落ちていた。
本当に体調が悪いのであれば、先生に伝えてすぐにでも保健室へ行ってもらい横になった方がいいと思う。
だけど、あくまで私の想像だけで状況を判断するのはあまりにも危険過ぎるし、かと言ってこの静かな教室の中で月島君の方へ体を向け、体調を確認するには些か抵抗があった。
それは、私があまり月島君と話したことがないと言うのもあり、又、月島君自身があまり多くの付き合いを好まないということも大きかった。
山口君とは挨拶や軽い世間話などをすることもあるが、月島君とはもしかして「おはよう」も「バイバイ」も交わしたことがなかったかもしれない。
そんな心理的遠距離にいる私が、月島君に具合悪いの?と声を掛けるのはなかなか厄介な話だった。
「......痛......」
どうしたものかとぐるぐる考え込んでいれば、本当に小さな声で苦痛を訴える声が聞こえる。
耳をよく澄ませなければ聞こえないほどの小さな声だったが、私には聞こえてしまった為、心配と焦りの波がどっと押し寄せた。
先生を呼ぶべきか、月島君に確認をとるべきか。
だけど、どちらにしても声を発してしまうのでクラスメイトの視線を集めてしまうだろう。
月島君がもし本当に体調が悪くて、だけど誰にも言い出さず我慢しているとしたら......もしかしたら、目立ちたくないとか、他の人にバレたくないとか、そういう気持ちがあるのかもしれない。
月島君とは友達でも無い間柄なので、このままあえてスルーした方が彼にとって都合が良いのかもと考えてみたものの......一度気になってしまったことを授業中ずっとぐるぐると考えるのはこちらがしんどいと判断し、サブバッグから手の平サイズの薬ケースをサッと取り出し、メモを添えて後ろの月島君の机にそっと置いた。
ちなみに薬ケースには市販の頭痛薬、胃腸薬、痛み止め、ビタミン剤が入っていて、メモには薬名と何がどこに入っているかの説明を添えた。
一番上に「もしかして具合悪い?必要なら使ってください。勘違いだったらごめんなさい」という一文だけ書いておいたが、果たして月島君はどういう反応を示すだろうか。
気になるところではあるが、羞恥と恐怖と後悔がひっきりなしに襲って来る為、後ろの席の様子を確認する勇気がなかった。
机の上に置く際も月島君の方へ体を向けずに腕だけ使って薬ケースとメモを置いたので、月島君の反応は全くと言っていいほどわからないままだった。
「.............」
前を向き、シャーペンを握りしめながら必死に平常を保つ。
心臓は馬鹿みたいに早鐘で、この場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
何こいつ、キモいんだけど。他人の薬なんて市販薬でも飲めるはずないじゃん。
こんな反応を容易に想像出来てしまい、やっぱりおかしな真似をするんじゃなかったと早々に後悔するも、やってしまった後ではもうどうすることも出来ない。
考えてみれば月島君に薬を渡しても渡さなくても、一度気になってしまったのなら何をしようが何をしまいがどちらにしてもぐるぐると考え込んでしまうことに遅れて気が付き、自分の考えの足りなさを残りの授業時間いっぱい使って呪ってしまうのだった。
▷▶︎▷
授業終了のチャイムが鳴り、静かだった教室が少しずつざわつき始める。
何だかいつもよりも倍近く疲れた数学だったなと思いながらペンケースにシャーペンをしまっていると、後ろから「城崎さん」と声を掛けられ、心臓と肩が驚くほど跳ねた。
い、いよいよ月島君とご対面だ......。ていうか、私の名前知ってたんだ......。
混乱のあまり変な所に感心しつつ、そろりと後ろへ振り返る。
同じ机を使っているのに彼の机はやたらと小さく見えてしまう程の長身と、色素の薄い瞳と短い髪、黒縁眼鏡が特徴的な端正な顔を目の当たりにして、改めて月島君のイケメンさを痛感した。
「......これ、ありがとう。でも、普通授業中に飲めないから」
大きい綺麗な手でこちらへ寄越されたのは先程渡した薬ケースで、受け取ると頭痛薬だけ2錠分なくなっていた。
どうやら頭が痛かったようだ。
「......城崎さんは身体弱いの?」
月島君が案外普通の反応をしてくれたので胸をなでおろしていると、訊かれた言葉に思わず目を丸くして彼を見た。
「いや、色々薬持ち歩いてるみたいだから」
「......あぁ......私じゃなくて、弟が少し弱いの。だからなんか、携帯するのが癖づいちゃって」
後に続いた言葉に納得し、返ってきた薬ケースをまたサブバッグにしまう。
「......月島君こそ、大丈夫?」
前後の席ではあったものの、今まで一度も話したことがなかった月島君と普通に会話しているのがとても不思議に思いながらも、なるべく不自然にならないように容態を聞くと、月島君はサブバッグからミネラルウォーターを取り出して小さく息を吐いた。
「......まだ頭痛はするけど、これ飲んだら大丈夫だと思う。多分一時的なものだし」
淡々としているがやはりまだ痛みを感じるようで、顔を顰めたまま私のあげた頭痛薬をミネラルウォーターで流し込む。
それだけの動作なのに、月島君がやると何だか映画のワンシーンのようで、たまらず心臓がドキリと跳ねた。
「......それにしても、僕を見てもないのによくわかったね。それも弟さんの影響?」
「......うーん......そうなのかな......?よくわかんないけど、ごめん、もしかしてキモかった?」
「.............」
改めて聞かれると何だかひどく居た堪れない感じがして、一番危惧していることをつい尋ねてしまった。
確かに弟のおかげで他人の体調を気遣う癖はついてるかもしれないが、これといった確証はない。
でも、これで肯定されたら今後はもうこういうことをするのはやめようと心に誓っていると、月島君は少し間を置いてから、眉を下げて小さく笑った。
「......それはないでしょ......どんだけネガティブなの?」
まぁ、びっくりはしたけどね。
そう付け加えて、月島君は片手で顔を覆うようにして眼鏡を掛け直す。
初めて見た月島君の笑顔に驚きが先に来てしまい思わず惚けてしまうと、一頻り笑い終わった月島君と視線が合わさった。
「......頭痛いんだから、あんまり笑わせないでよね」
半分可笑しそうに、半分恨みがましく言われた一言に、私はただ謝るという選択肢しか持ち合わせていなかった。
月まで歩くと、どのくらい?
(もしかして、38万kmって意外と近いのかしら?)