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プロのヴァイオリニストだった祖父の影響を存分に受けて、私も小さな頃からヴァイオリンの音色を聞きながら、そして自らも弾きながら育った。
しかし、祖父も両親もこれで食べていけるくらい上手くなりなさい!というような厳しい指導は全くせず、好きな曲を聞いて、好きな曲を弾いて、楽しくやってくれればそれでいいという非常に滑らかな教えの元で育ってきたので、例えなかなか音程が整わなくても、思った音色が出せなくても、弾きすぎて腱鞘炎になっても、泣くだけ泣いては再び弓を握ってくることが出来た。
中学生に上がる頃には徐々に弾ける曲の幅も増えてきて、クラシックだけではなく洋楽や邦楽、好きなゲームやドラマのサウンドトラックなんかも楽譜を入手してはどんどんチャレンジしていった。
とにかく、楽しいのだ。何より音が綺麗だし、音程も音色も全て自分が創るという作業がとても楽しい。
その分音の正確さや音色の深みや幅を求められる楽器ではあるが、弾き方一つで同じ曲がガラッと変わってしまうのが本当に面白かった。
そんなヴァイオリン大好きな私だったが、中学生になった時、部活に入るかどうするか本当に悩みに悩んだ。
結果、やはり好きな時に好きなように弾いていたい気持ちが強かったので、結局帰宅部を選択し、友達と遊ぶ予定のない日は3つ隣の駅にある祖父の家に行って日が暮れるまで汗だくになって一緒に弓を振るった。
私がヴァイオリンをやっていることは基本的に仲の良い友達にしか話さなかったが、その中に一人だけ男の子の友達が居た。
北川第一中学に入学して、一番最初に隣の席になった男の子だ。
クラス全体の自己紹介を終えてから、今度は隣りの席同士で交流をしましょうということになり、その時たまたま隣に座っていたのが国見英君だった。
小学校から中学へ上がり、まだ制服を着ることすら慣れていない私と国見君は、最初の数分間はどうしたものかとお互い口を噤んでしまったのを覚えている。
暫くお互いだんまりを決め込んでから、私が話し出したのか、それとも国見君の方からだったのかはいまいち覚えてないものの、少しずつ会話のキャッチボールをしていき、気が付いたらお互いの趣味の話になっていた。
国見君はバレーボールが好きで、ここのバレー部は強豪なのだと教えくれた。
なんとも、二つ上の先輩に県内で一番上手い選手だと謳われる人が居るらしい。それは本当に凄いと思う。
国見君の話にうんうんと頷いたり、素直に驚いたりしていれば、ふいに私のことを聞かれたので、私も好きなことの話をしようとヴァイオリンの話をつい持ち出してしまった。
大抵の人にヴァイオリンを弾くのが好きというと、賞賛する声と共に「意外だね」という言葉を貰うことが多い。
それは私の外見からなのか、それとも雰囲気からなのかはよくわからないが、どうにもヴァイオリンを弾くイコール女の子らしい人、みたいなイメージがあるようだ。
髪もショートカットで、いつも親から「少しは落ち着いて」と諭される私が、ヴァイオリンを弾くのはまるで変なことであるかのようにも聞こえ、そんな反応をされるのがあまり好きではなかった。
だけど、国見君は「へぇ。凄いね」と少しだけ目を丸くするだけで、決して意外だとも似合わないとも言ってこなかった。
今思えば、初対面の人に思ってることを全て伝えることなんて、中学一年生にもそう容易く出来るものではなかったに違いない。
だけど、その時の私は国見君のその反応がとても嬉しくて、その後意気揚々とヴァイオリンの話をしてしまったのだ。
もしかしたら「こいつ凄いよく喋るな...」と呆れられていたのかもしれないが、この日からどんどん国見君に話しかけにいっても、時々はうっとおしそうな顔をしつつも常に話し相手になってくれたので、多分嫌われてはなかったと思う。否、思いたい。
そんなクールな国見君には影山君と金田一君という同じバレー部の友達が居て、時々このクラスに来ては三人で仲の良さそうに話している姿が見えた。
話を聞く限りでは三人ともそれぞれ性格が違うようだが、返ってそれが幸をそうしているのか、なんだかとても息ぴったりだなという印象を受ける。
それを言うと国見君は露骨に嫌な顔を向けてきたけど、それでも三人で一緒にいる時の様子を見る限り、おそらく満更でもなかったように思う。
時々国見君を通して影山君や金田一君と話すこともあったが、国見君の説明よりも二人ともはるかに良い人達で、一緒に話していてとても楽しかった。
三人の掛け合いも本当に面白くて、ワイワイと騒ぐ三人の姿を見るのがヴァイオリンを弾くのと同じくらい心地の良いものであり、学年が上がってクラスが変わってもこの三人とお喋りできたらいいなと密かに思っていた。
だけど、たった今見えた光景に思わず目を疑った。
私は三年生になり、相変わらず帰宅部でヴァイオリン漬けになっている中、バレー部の試合があると聞いてひっそり応援に来たのだ。
国見君とはまさかの三年間クラスが一緒で、そして有難いことにずっと仲良くしてくれて、今では連絡先も交換している仲だ。
そんな国見君からは試合には来なくていいと言われていたのだけど、一年生の時に一度見に行っただけだったので、国見君達が引退してしまう前にもう一度試合を見たくなった。
だから国見君には黙って、勿論北川第一中の応援席には座らず、他の観客に紛れてひっそりと試合を見に来たのである。
.......だけど、まさかこんな日が来てしまうなんて。
影山君がトスを上げたボール。その先には、誰も居なかった。
試合中、確かに何度かセッターとスパイカーが合わないことはあった。
でも、今見たのは完全に、単なるミスでは無いことが素人目からも分かってしまった。
影山君のボールを、国見君と金田一君はわざと無視したのだ。
一年生の頃は、あんなに息ぴったりだったのに。
あまりのショックに、その後の試合の展開は上手く覚えていない。
なんで、どうしてと悲しみと疑問が次々と浮かぶ中、最近の国見君の様子を思い出し、そういえばバレーの話をあまりしなくなっていたなと今更ながら気が付いた。
一つ思い出すと徐々に、まるでぽつぽつと降り出した雨のように色んなことが思い当たる。
三年生になってから金田一君と国見君は時々一緒にいるのを見かけたけど、影山君の姿だけは暫く見ていなかったこと。
国見君と話す時、あまり自分の話はせずに私の話を聞く方が多くなっていたこと。
時々とても話しかけ辛い雰囲気の日があったこと。
何処と無く「あれ?」と思う時は確かにあった。
でも、まさかそれがこんな大きな事態の兆候となっていたなんて。
.......あぁ、壊れてしまった。
もう二度と、元に戻らなかったらどうしよう。
漠然とした不安が、胸中いっぱいに広がった。
私に何か出来ることはあるだろうかと混乱する思考の中必死に考えても、これといった良案は思い浮かばず、気が付けば両目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
どうして、何かおかしいと思った時に国見君に声を掛けなかったの。
男の子同士の問題だから下手に首を突っ込まない方がいいだろうなんて、そんなのは体のいい言い訳だ。
もし私が何か少しでも動いていたら、彼らの繋がりがこんな風に壊れることも無かったかもしれない。
勿論、私なんかが動いたって未来は変わらなかったかもしれないが、でも、そんなことを今思ったって、もうどうしようもなかった。
起こってしまったことは、もう変えられないのだから。
「.............」
.......だけど、こんなの、あんまりじゃないか。
三人が何よりも大切にしていたバレーボールのコートの中で、何よりも大切にしていたものを壊してしまうなんて。
あまりにもそれが悲しくて、家に帰ってもその瞬間を思い出す度ひたすら泣いた。
その後三日間は本当に何も手につかず、ヴァイオリンも受験勉強も何もしない時間を過ごし、両親と祖父には多大な心配を掛けたものの四日目にやっと気持ちが持ち直して再び愛用の弓を取った。
その日は狂ったように沢山の曲を弾いて、顎の下が擦り切れ、全身の筋肉が疲れ切り、両手の指がブルブルと震えて弓が持てなくなったところでようやく弾くのを止める。
満身創痍になりながら、祖父の家の防音室で大の字に寝っ転がり、上がっていた息を抑えて大きく深呼吸を繰り返した。
そのまま瞳を閉じると、もう何度もリプレイされたあの瞬間の映像が映る。
情けなくじわりと滲む視界にもう一度ゆっくり深呼吸をして、考えをひとつに纏めた。
今更もう遅いかもしれないけど、ここで本当に何も動かなかったら将来絶対に後悔する。
見て見ぬふりをしてきた時間を、ちゃんと終わらさなければ。
自分にそう言い聞かせて、気合を入れて身体を起こそうとした、途端。
疲れきった筋肉が思うように動いてくれず、思い切り頭を打って祖父から無駄に心配されてしまうのだった。
三月某日。晴れて志望校である青葉城西高校に一般受験で合格することができ、無事に高校生になれる資格を手に入れた。
肩の荷が一つ降りたことにほっとしつつ、受験が終わったら絶対にやろうと思っていたもう一つの目的へシフトチェンジする。
「国見君、この後少し時間ある?」
帰りのホームルーム終了後、愛用の鞄を二つ持って国見君へ声を掛けると、その綺麗な顔を少しだけ曇らせた。
「え......用件何?」
「......コレ、1回聞いてみたいって言われてたの唐突に思い出して、持ってきた」
「.............」
彼の前に突き出したのはヴァイオリンケースの方で、それを見ると国見君は少しだけ目を丸くして再び私へ視線を重ねる。
「......本当に唐突だね......なに、受験終わったからとか?」
「うん、当たり。で、どうです?一曲」
「.......そんな、一杯いきます?みたいなノリで言うなよ......」
私の言葉がおかしかったのか、国見君は小さくふきだした。
受験もあり、国見君とは暫く話していなかったので笑ってくれたことに少し安堵していると、有難いことに国見君は私の急な申し出も受け入れてくれた。
スポーツ推薦故に早い段階で進学先が決まっていた国見君は、放課後も色々と忙しいように見えたが今日はたまたま予定に余裕があるそうだ。
この幸運に感謝しつつ、私はカバンとヴァイオリンケースを持って国見君と空いている教室を探した。
数分後、多目的室というプレートが掛かっている教室を発見し、場所が決まったところで早速演奏の準備をする。
ケースから取り出し、軽くチューニングをすると国見君は珍しそうにしげしげと私とヴァイオリンを眺める。
クールそうに見えて意外と表情豊かな国見君を少しだけおかしく思いながら、準備が出来たので両足を肩幅に開き、ゆっくりと相棒を構えた。
国見君に向けて弾く曲は、今日のことを計画した時に決めていた。
たまたま弾いたことがあった好きな曲の歌詞が、あの瞬間を見た私の心にグッサリと刺さったのだ。
国見君がこの曲を知っているか否かは全く知らないが、どちらにせよ、私の気持ちを全部込めてこの曲を国見君に贈ろうと心に決めていた。
.......だから、どうか、国見君が最後まで聞いてくれますように。
全ての譜面を弾き終わり、大量に溢れ出るアドレナリンを何とか処理しつつ、構えを解く。
国見君の反応を見ようとそちらへ視線を寄越して、思わず目を丸くした。
今まで見たことの無い表情を、国見君がしていたからだ。
ひどく驚いたような、呆気に取られたような、それでいて少し照れているような、なんとも捉えづらい表情だ。
「.......お、お粗末様でした......」
もしかしてこれはドン引きしているのではと思い、一先ずそんな言葉を述べれば、国見君は一つ瞬きをした後やっと反応を返してくれた。
「......いや、いやいや、全然お粗末じゃないじゃん。めちゃめちゃ凄いじゃん。何なの、プロなの?」
「え、違う。でもお祖父ちゃんがプロだった」
「え、マジで?凄いな......いや、マジで凄いな......」
珍しく興奮したように饒舌に話す国見君は、どうやら本当に感動してくれたらしい。
初めてヴァイオリンのソロを聞いたということも相まって、私が思ってた以上に真剣に聞いてくれたようだ。
「でも、何の曲?多分だけど、クラシックとかじゃないよな?」
「うん、邦楽。の、伴奏」
「伴奏?え、じゃあ何、今の主旋律じゃないの?」
「うん」
頷く私に、国見君は眉を寄せて少しばかり怪訝そうな顔をした。
それはそうだろう、ソロを弾くなら大体が主旋律を弾くものだ。
勿論、主旋律の方もちゃんと弾ける。だけど、国見君にはあえて伴奏の方にした。
それはこの曲の特徴的な伴奏の音色が好きというのもあるが、もし、国見君がこの1回で曲名がわからなかったら。
「.......で、何の曲なの?悪いけど、伴奏だけじゃわかんないよ」
「うん。じゃあ、教えない」
「は?」
もし、国見君がこの1回で曲名がわからなかったら、そのまま内緒にするつもりだった。
私の答えが予想外のものだったのだろう。国見君はまた眉を寄せて私を見てくる。
綺麗な人は顔を顰めても綺麗なままなんだなと場違いなことを思いながらも、私は小さく笑ってゆっくりと言葉を告げた。
「私からは、教えない」
「......え、何で?」
「でも、国見君が聞きたいって言ってくれたら、何度だって弾きます」
「.............」
弾くだけ弾いて、曲名を言わないのはマナー違反だということは理解してる。
でも、国見君に贈ったこの曲はどうしても言葉ではなく音色で贈りたかったのだ。
だって多分、文字に書き起こしたら国見君は「余計なお世話だ」と思うに違いない。
だから、曲名は教えない。その代わり、何回だって弾くから。
いつか、この曲の全容を知っても、国見君が笑ってくれるその日まで。
「.............」
「.............」
「.......伴奏で当てろとか、イントロクイズかよ...」
「.............」
少しの間沈黙してから、国見君は呆れたように溜息を吐く。
もしかして機嫌を損ねてしまったかなと怖々彼の様子を窺うと、国見君はゆるりとその綺麗な顔を上げた。
「.......とりあえず、もう1回」
「!」
言われた言葉に、たまらずぱっと顔を明るくする。
国見君から直ぐにアンコールが貰えたことが嬉しくて、にこにこしながら再び相棒を構えるとまた呆れたように溜息を吐かれてしまうのだった。
▷▶︎▷
時は流れて、あっという間に青葉城西高校の三年間がそろそろ終わろうとしていた。
中学時代と違い、国見君とは三年間全く同じクラスにならなくて、私が彼にヴァイオリンを弾いたのは結局中学三年生のあの日だけだった。
北川第一中学から烏野高校へ進学した影山君とはどうなったのか一度だけ国見君に尋ねたことがあったが、「俺からは教えない」とあっさり断られてしまった。
同じ青葉城西高校へ進学した金田一君から聞くこともできたけど、私も国見君に例の曲名を教えていないので、結局あの元北一バレー部の三人が今どうなっているのかをずっと知らずにいる。
「城崎。弾いてよ」
卒業式の予行練習が終わり、現地解散となったので教室からカバンとヴァイオリンケースだけ取ってさっさと帰ろうと思っていると、後ろから声をかけられた。
耳障りの良い綺麗な声に予想をしながら振り返れば、中学時代よりもずっと大人びた国見君の姿が見える。
高校時代、一度もそんなことを言われた覚えが無いので少し驚いてしまえば、国見君は眉を寄せて「なに、今日はムリ?」と言葉を続けた。
慌てて「大丈夫」と告げると、「じゃあ、視聴覚室」とだけ言ってさっさと自分の教室へ帰って行ってしまう。
突然の展開に頭が着いていかずついぼんやりと立ち尽くしてしまったが、国見君を待たせるとなると後で何を言われるかわからないぞと思い直し、私も自分の荷物を持って指定された視聴覚室へ向かった。
そういえば、視聴覚室って勝手に入れるのかなという不安はどうやら杞憂だったようで、ドアをスライドさせれば簡単に入室できた。
慌てて来たおかげか国見君の姿はなく、それに少しほっとしながらカバンを長机の上に置き、ヴァイオリンケースから相棒を取り出す。
先にチューニングだけ済ませておこうと軽く音を出していれば、暫くして国見君が教室に入ってきた。
「悪い、待たせた?」
「ううん、ピッタリくらい」
いつでも弾けるよと弓を振れば、国見君は私と同じようにカバンを長机の上に置き、その横に浅く腰掛ける。
そうしてると脚の長さが際立ち、改めて国見君のスタイルの良さを認識した。
「.......あのさ、今日は俺に合わせて貰っていい?」
「え?」
弾く体勢を整えた途端、ぽつりと国見君から告げられた言葉に思わずきょとんと目を丸くする。
どういうことだろうと思う私をちらりと見て、国見君はゆっくりと息を吸い...聞き心地の良い声で、小さく歌を口ずさんだ。
「.............!」
聞いた瞬間、直ぐにわかった。
国見君が歌うその曲は、これから弾こうとしていたものだ。
中学三年生のあの時、私から国見君へ贈った曲を、彼はきちんと見つけて、調べて、覚えてきてくれたのだと理解すると、目頭がつんと熱くなった。
“あのさ、今日は俺に合わせて貰っていい?”
先程言われた言葉の意味をここでようやく理解して、滲む視界もそのままに震える手でゆっくりと弦に弓を滑らせた。
私が弾き始めると、国見君は歌いながら小さく笑う。
女性ボーカルのこの歌を国見君のテノールで変換すると、原曲とはまた違う穏やかさが表れて、とても心地が良かった。
そんな国見君の綺麗な歌声を聞きながら、私はきっと、この瞬間をずっと待ってたんだなと今更ながら気が付いて、胸の奥が小さく震えた。
堪えきれない涙が頬を伝い、気持ちを落ち着ける為にほんの少しだけ瞳を伏せると、まぶたの裏には仲の良さそうに笑い合う三人の姿がしっかりと見えるのだった。
想い出は溶けない
(.......もう、大丈夫。多分だけど。)