特別な君へ
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デフォルト:森 夏初【もり なつは】梟谷学園高校二年六組、園芸部所属。
極度の人見知りで仲の良い相手としか普通に話せない。頑張り屋と卑屈屋が半々。
最近の悩み:「男バレの先輩方のノリに上手くついていけない」
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期末テストの返却と共に、長いようで短い夏休みが始まる。
一学期の最終日、ホームルームが終わって直ぐに部室である第三会議室へ向かうと、鞄の中にしまっていたスマホが小さく震えた。
受信したメッセージを確認すると、差出人は園芸部の部長である立嶋先輩で、どうやらこれから二者面談があり少し部活に遅れるらしい。
「.............」
いつものらりくらりしているせいですっかり忘れていたが、三年生である立嶋先輩は、そういえば受験生でもある。
私も予備校の夏期講習には申し込んでいるが、先輩の方がこの夏休みは何かと忙しいのかもしれない。
了解の返事を送ると、先輩からは直ぐに返信が来た。
遅れることを侘びるスタンプと、今日の活動内容を簡潔に纏めて指示を出してくれる。
その中に「夏休み中に手を付ける場所のミーティング」が入っているのを見つけ、この夏も先輩が部活に精を出してくれることがわかり、少しだけほっとしてしまった。
とはいえ、先輩が受験生で忙しいということは変わらない。
この夏は、私がしっかりしなければ。
保健医の先生にも、同じクラスの赤葦君にも、頑張りますと宣言した手前、具体的に動かなければきっとがっかりさせてしまう。
「......まずは、着替えて......校舎沿いの花壇の水やり、かな......」
自分一人なのをいいことにこれからやることを一つずつ口にする。
先輩に再度了解の返事を送ってから、私は気合を入れて制服の水色のリボンを取り外した。
▷▶︎▷
初夏に先輩と植えたポーチュラカ、ジニア、センニチコウは夏の太陽の下で元気よく咲き誇っている。
一つ一つの花自体は小さいものの、鮮やかな色彩がシンプルな花壇によく映えていてとても綺麗だ。
シャワー付ノズルのホースから噴射される水が夏の太陽光を乱反射させ、きらきらとした光の粒となって色とりどりの花々へ落ちていく。
カラリと乾いた土が水を吸い込む時に発する、まるで夕立のような特有の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「.............」
よく晴れた夏の日の、花壇の水やりの時間がたまらなく好きだ。
勿論、空気はとても暑いし、夏の太陽は容赦がないし、Tシャツとジャージの下を伝う汗は酷く気持ち悪い。
だけど、全てのものが何だかきらきらと輝いて見えるこの季節が、私は一番好きだった。
「!」
両手でホースを持ち、夢うつつで花壇を眺めていたのが災いした。
いたずらに吹いた強い風に思わず身を竦ませた直後、被っていた麦わら帽子が私の頭から外れてしまう。
咄嗟に頭に手をやるも僅かに遅く、慌てて帽子が飛んで行った方向へ顔を向けた。
「......お、っとォ!」
帽子の行方を追う私の瞳に、高く高く飛び上がるモノトーンが映る。
大きな身体に長い手足を悠々と使い、今しがた飛んでしまった帽子を空中で掴み取るその姿は、まるで大きな梟が羽根を広げて宙へ羽ばたいているようだった。
「.............」
「ヘイヘイヘイ!ナイスキャッチ!俺~!」
しなやかに高く飛ぶその姿にたまらず見惚れていると、地に足を着いたその人......ひとつ年上の木兎さんは夏の太陽に負けないくらいのとびっきりの笑顔をくれた。
「はい、どーぞ」
「......あ......ありがとう、ございます......」
差し出された麦わら帽子を見てやっと我に返り、慌てて受け取る。
ホースを持っている為、片手で受け取ることになり、申し訳ないと思いながら深々と頭を下げた。
「いやぁ、俺、今ナイスタイミングで来たな~」
「......はい......とても、助かりました......本当に、ありがとうございます......」
あのまま帽子が飛んで行ってしまったら、水を出しっぱなしのホースを置いて、炎天下の中を走り回らなければいけなかったかもしれない。
そうならなくて本当によかったと心の底から木兎さんに感謝していれば、木兎さんは明るく笑って「いいってことよ!」と明朗な言葉を返してくれる。
「で、夏初ちゃんはなんで一人でやってんの?立嶋は?」
「......先輩は、二者面談があるそうで......」
「え!なに、あいつなんかやらかしたの!?オショクジケン!?」
「え、いえ、違います......」
私の言葉に、木兎さんはおそらく少しズレた考えに辿り着いたらしい。
大きく驚く木兎さんを見て戸惑いを覚えた矢先、「汚職事件て、いつから立嶋さんは社会人になったんですか」と落ち着いた声が聞こえてきた。
木兎さんと共にそちらへ振り向くと、木兎さんと同様のTシャツとハーフパンツ姿の赤葦君が夏の太陽光を浴びながらも涼しい顔をしてこちらへ歩いてくるのが見えた。
「え?オショクジケンて悪いことを言うんじゃねぇの?」
「......一般に、公職に就いている人や民間企業に勤めている人が己の地位や権力を利用して不当な利益を得ることを言います」
「......あかーし、もうちょいわかりやすく......」
「......木兎さんが言いたかったのはおそらく“不祥事”ですね。それと立嶋先輩はたぶん、進路のことで面談してるんじゃないですか?一昨日木兎さんも二者面談してたでしょう」
「おお、それか!なるほど!」
途中から会話に入ってきたにも関わらず、赤葦君は木兎さんの疑問や勘違いをあっという間に解決してしまう。
その鮮やかな手際に思わずぼんやりと二人を見てしまえば、赤葦君はひとつため息を吐き、そのまま木兎さんの前を通り過ぎて花壇の側へ立つ私の正面へ来た。
相変わらず表情の読めない赤葦君に半歩下がって身構えてしまうと、赤葦君はにゅっと大きな手をこちらへ伸ばし、何故か私の麦わら帽子を攫う。
私の元から帽子が離れたのは数秒のことで、赤葦君は流れるような動作でそれを私の頭へ被せた。
頭に感じる柔らかな衝撃に反射的に目を瞑ると、真っ暗な視界の中で僅かに笑うような声が聞こえる。
しかしそれは一瞬のことで、ぱちりと目を開くといつも通りの赤葦君がそこに居た。
「......今日は特に日差しが強いみたいだから、気を付けて」
「.............」
切れ長の瞳で真っ直ぐに射抜かれ、心臓がきゅっと縮こまる。
数秒遅れて私の心配をしてくれていることを理解し、おずおずとお礼を返した。
帽子を被ったままだと失礼にあたるのだろうが、折角赤葦君が被せてくれたものを脱ぐのも少し気が引けたので、結局帽子を被ったまま頭を下げてしまう。
「あと、水分補給も忘れずに」
「は、はい......」
「長時間の作業は避けて、適度に日陰や涼しい所で休憩も取ること」
「はい......気を付けます......」
「なんかあかーし、かーちゃんみたいだな!」
「.............」
あれよあれよと注意事項を言われ、帽子を被ったまま頷いていればその様子を見ていた木兎さんが可笑しそうにふきだした。
ケラケラと楽しそうに笑う木兎さんにぼう然としていれば、隣りから大きなため息が聞こえる。
「......誰かさんのせいで、すっかり世話を焼くのが板に付いてしまいましてね......まぁ、誰のせいとは言いませんが」
「あ、なんだよあかーし!俺のせいにすんなよな!」
「別に木兎さんとは言ってないじゃないですか。...まぁ、多少なりとも自覚があるのはいい事だと思いますけど」
「それもう俺ってことじゃん!回りくどい言い方すんじゃねーよ!逆にイヤなんですけど!」
淡々と言葉を紡ぐ赤葦君とは対照的に、木兎さんは大きくリアクションをとる。
本当に正反対な二人なのに、バレーボールにしても日常生活においても、木兎さんと赤葦君の息はぴったりだ。
「.............」
羨ましいと思う反面、この二人のやり取りを見ている時間も、夏の晴れた日の水やりと同じくらい、たまらなく好きだった。
「......ん、あれ?木葉達は?」
赤葦君の言葉にむくれていた木兎さんが、ふいに体育館の方を向き首を傾げる。
つられて私もそちらへ視線を移すが、少し離れた体育館の近くには人影ひとつ見つけられなかった。
「ああ、木葉さん達なら先に走りに行きましたよ。それを伝えに来たんです」
「はぁ!?あかーしそれ早く言えよ!俺が一番じゃなくなんじゃん!」
「ロードワーク前に寄り道する木兎さんが悪いんでしょう」
「フンヌー!!」
先輩相手でも関係無くピシャリと意見する赤葦君に目を丸くしていると、木兎さんは面白くなさそうに地団駄を踏む。
「夏初ちゃん!!」
「!」
ふいに名前を呼ばれ、ビクリと肩が跳ねた。
つい他人事で聞いていたが、そういえば私ものんびりお話ししてしまったので、木兎さんにとっての不利益を与えていたはずだ。
その事に遅れて気が付き、青ざめながら「ごめんなさい」と謝ろうとする私に、木兎さんは天高く人差し指を上げた。
「俺、一番で帰ってくるから!また後でな!」
「.............」
「行くぞあかーし!全員抜けるか勝負しよーぜ!」
「......はいはい」
きらきらとした笑顔を私に向けた後、赤葦君を見て楽しそうに笑う。
赤葦君は軽くため息を吐きつつも、木兎さんの意向を変えることはしないようだ。
「ヘイヘイヘーイ!待ってろ木葉ー!!」
「......じゃあ、いってきます」
それぞれの言葉を最後に、二人の足は地面を蹴る。
あっという間に遠くなっていく二つの背中を見送りながら、夏の日差しの眩しさにたまらず目を細めた。
今年の夏は、例年よりずっときらきらと輝いて見えるかもしれない。
二人ならどこまでも行ける
(彼らの背中に、本気でそう思ったんだ。)