あんスタ(過去編)


【紅紫一年・晩冬】


規則的に等間隔で扉を三回叩いて、お決まりのように中から返事が聞こえないので取っ手に手をかけた。

『失礼します』

拒まれることなく開いた扉に今日は当たりかと小さく心の中で息を吐いて部屋に入る。

生活感が少ないながらもきっちりと整理整頓され掃除をされてる部屋の中は密封されてるはずなのに埃臭くない。

部屋の真ん中、大きなテーブルに布を広げ針で糸を通してたその人はちらりとこちらを見たあとに視線を手元に戻した。

左手にあの人形がいないし集中しているようだから話す気もない。ってことだろう。

もとより会話が弾む間柄ではないし、毎回似たりよったりの塩対応だから気にも留めてないが。

片手で扉を閉めて足を進める。

少しばかりずれたファイルを持ち直していつ来ても変わらない椅子と机の間を抜けた。

整頓されているのかただ単に物が少ないのか、いまいち判断がつきにくいこざっぱりとしてる机に持ってきたファイルを置く。

『部活予算案、ここに置いておきますね。次の部長会は、』

「おい」

これは珍しいこともあるものだ。

初見はよく誤解するが、決して苛立っているわけじゃない。

ただ少し冷たさを感じる投げやりな問いかけに心中ため息をついて笑顔でなんですかと振り返る。

やっぱり目線は手元から外れてないし作業もやめてない。

「…………」

言葉がうまく出てこないのか単なる思いつきで声をかけただけなのか先が聞こえてこず時間だけが過ぎてる、気がする。

時計がおいてないこの部屋では時間を確認することもできない。

無言のままたぐり寄せた箱に針をしまったその人はわかっていたけどこちらを見ることなく息を吸って口を開いた。

「……―このあと、時間は空いているか」

戸惑い気味で不安そうな問い。

普通ならスイッチが入ったと言うけどこの人の場合は電源が切れたか電池が外れたが正しい。

『用事はないですけど』

「……―そうか」

今の今まで縫ってた布を畳んで端に寄せた。

「…―時間を、くれないか」

ぽつりと聞き逃してしまいそうなくらい小さな声が零される。

依然として顔をあげないが作られた握り拳に内心舌なめずりをして優しく、穏やかな表情と声色を心がけた。

『ええ、大丈夫ですよ』




調律師と名乗るだけあって、この人自身も隅々まで手入れが行き届いている。

例えば指先、
針仕事をしてるはずなのに傷もなく、逆剥けも、爪に欠けの一つも見当たらない。

例えば肌、
夏でも冬でも出来物どころか荒れ一つもない乾燥知らずの肌はきめ細かく触り心地がいい。

確認するように体の部位に一つ一つ触れて時折唇を落とす。

その度ぴくりと揺れる肩や硬く閉じられた瞼と口にいじらしいななんてぼんやり思った。

『今日も綺麗ですね、お人形さんみたいですよ』

「……――」

お決まりの言葉を吐いて、滑りのいい癖がある髪を撫でれば瞼が揺れて口元がほんのり緩む。

髪を梳きながら空いてる手で頬に触れた。

クマも見当たらない目元、ハリのある肌は努力と若さの証拠だろう。

唇の発色、温度を親指の腹で触れて確認したところで今まで閉ざされてた口がゆっくりと開かれた。

ちらりと見える形のいい白い歯と覗く赤い舌。目をつぶってる相手に思わず自分の唇を舐めてから頬を撫でる。

『お人形さん、今日はどうしましょうか?』

生きるのに横槍を入れられた人はなんて愛しいんだろう

ゆるゆると上がった瞼の向こう側、現れたラピスラズリと同じ色の瞳には陰がさしてた。

「…―生かしてくれ」

お人形さんのように綺麗で可愛く美しい物が好きなこの人はこの人自身も怠慢を許さず自分に厳しく完璧を目指してる。

最初は美しく気高いその様を崇められることを求めていたはずなのに、いつからか汚され壊されるのを望むようになってしまった愛しき大罪人の瞳から溢れる涙を掬った。

啄んだ涙は暖かくて塩気がきいてる。

『泣かないで、大丈夫。僕が貴方を人間にしてさしあげますよ』

いつもと同じ言葉を吐けばグズるように手が伸ばされ首に回してきた。腕に少し力を入れたことで近づいた距離に変わらない、ふわりと柔らかい匂いが香った。

落ち着かせるように、確かめるように背中を手のひらで撫でる。

『奥の部屋、空いてますか?』

言葉ではなく頷くことで返ってきた答えに膝の裏に手を差し込んで力を入れた。

高身長のわりに体重が軽いこの人はいろんな意味で設定を間違えてる。中には神経質を通り越すくらいカロリー計算をした食事制限を行ってる人もいるのに。この人もケアの面では張るくらいストイックだけど。

休憩室として部室の物置を開拓しベッドが置かれたその場所に抱えた荷物を下ろす。

ゆらゆら揺れる濁った目になるべく優しい顔を作るよう心がけて髪をなでた。

『なにから始めますか?』

「…――息がしたい」

『はい』

伸ばされた左手を繋いで絡め、空いてる左手で頬をなでてから唇を重ねる。感触を確かめるように一度触れてから数センチ離れた。

至近距離で見た目はまだ淀んでいて涙で濡れてる。

「まだ、くるしい、もっと」

『わかりました。口、ちゃんと開けておいてくださいね』

力が緩んで少し隙間の空いた唇に二、三度触れてから舌を忍ばす。人形のような見た目とは裏腹に人らしく、ただ俺よりも幾分低い口内の温度を暖めるというよりは体温を慣らすように歯をなぞってから置かれたままの舌をとって絡めた。

鼻を抜ける小さな息と順応して絡められる舌。

お人形さんだからというよりは勤勉なこの人らしく、最初は息継ぎさえ危うかったのに今じゃ縋って服を握る手が可愛らしい。

「ん、ぅ」

基本的にゆっくりとしたペースで事をすすめる。一つずつ時間をかけて体温を溶かしていく作業は育成ゲームをしてる気分で嫌いじゃない。

唇を離して隙間をあけると先程よりも涙を溜めた目が俺を見上げていて、服を引かれた。

『上手ですね。息はできてますか?』

「でき、た」

普段綻ぶことを知らないような目は潤み、開いた口の端から涎が垂れて柔い表情を作る。

よくできましたねと髪を撫でながら目元の涙と唾を舐め上げれば褒められたことが嬉しかったのか表情が緩んだ。



「もっと、もっと」

『いい子、貴方はとても良い子ですね』

くてりと力を抜いて、目はとろりと据わっている。向かい合って座っているとその異常さに思わず口角が上がってしまいそうになるからひっぱり胸に顔をおしつけさせて頭を撫でることにした。

一定の速度で髪を梳いてるとまだ足りないらしく胸元に顔が擦り付けられた。

「もっと、もっと、僕を人間にして」

指先で服を掴んで低い声で強請る。

『僕といるときの貴方はちゃんと人間ですよ。貴方は息をして自分の意志で動いているでしょう?』

まだ泣いているのかワイシャツが湿り始め肌につく。

ああ、俺の愛しいおにんぎょうさん。




いとしい【愛しい】
ⅰ―かわいらしい。慕わしい
ⅱ―かわいそうだ。ふびんだ

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