ブルーロック



公園でのボール遊びに、海、プール。いくつもの遊びを経たところでピンポーンとチャイムが鳴って、はーいと母さんが声を出す。

「こんにちは、糸師です」

「糸師さん!?い、今開けます!!」

慌てた母さんの声が響いてる。糸師さんがお見えになったってことは冴と凛ちゃんもいるのだろうか。

気になって自室から出て階段を下りる。声のする方に近づいていけば閉じられた玄関の向こう側で話してるらしかった。

「素敵ですね!」

「ふふ。毎年行ってるんですけど…そこで、詞詠さんと睡ちゃんも一緒に行きません?」

「睡とですか?!」

「冴ちゃんと凛ちゃんが睡ちゃんもと言ってて、夫もぜひと。もし詞詠さんと睡ちゃんがよろしかったらいかがですか?」

「え、…えっと、うーん」

困ってる母さんの声に糸師さんはお仕事のご都合悪そうかしら?と不安そうに声を出して、母さんがはいと力なく項垂れつつ、あと、と声をこぼす。

「睡、今まで外泊とかしたことがないので…大丈夫かも心配で…」

「ふふ、山の中と言っても数十分もしないところに病院がありますし、施設もきれいなんですよ」

ほら、となにかを見せてるらしい糸師さんの声になんの話かなと目を瞬く。外に出ていって聞いても見たいけど、もし俺が興味を持ったせいで母さんが無理するくらいならば俺は見ないほうがいい。

廊下からそっと自室に帰って、机の上にあるそれを手に取る。

俺の手のひらでも持てる重さと厚みのそれはフォトスタンドで、周りはセンスよく貝殻やガラスが散りばめられていて真ん中には最近三人で撮った写真がはまってた。

海に行ったあの日、帰りは糸師さんが迎えに来てくださった。迎えはもとから予定されていたものだったらしく、パシャリと聞こえた音に驚いた俺とは対象的に冴と凛ちゃんは糸師さんを迎え入れて三人で車に乗り込んだ。

凛ちゃんは帰りの車内ですやすやと寝息を立てていて、冴もこくこくと船を漕いでいてそのうち完璧に意識を落とした。

「睡ちゃんも眠かったら寝て大丈夫だからね?」

『あ、えっと、ありがとうございます』

「ふふ」

どこか楽しそうな糸師さんは穏やかに運転を続ける。

ほぼ半日外にいたけど、思ったより体は元気で、これも二人と毎日のように遊んでいるおかげかもしれない。

「睡ちゃん」

『あ、はい』

「たのしかった?」

『はい!』

「あら、いいお返事。睡ちゃんが楽しんでくれたなら冴ちゃんと凛ちゃんも喜ぶわ」

赤信号ですっと止まった車に糸師さんはそのまま楽しそうに微笑んで言葉を続ける。

「冴ちゃんと凛ちゃんったら、毎日睡ちゃんのお話をしてるんだけど、二人とも睡ちゃんと行きたいところとやりたいことがたくさんあるみたいなの」

『、俺と…?』

「ええ。夏は海に、プールに祭り、それから虫取りとかもいってたかしらね?」

詰められてるスケジュールに驚きから目を瞬いて、固まってる俺に糸師さんはやっぱり穏やかに微笑む。

「ねぇ睡ちゃん」

『は、はい』

「もしよかったら、これからも冴ちゃんと凛ちゃんと遊んであげてもらえるかしら?」

『、…こちら、こそ』

手を握りしめて、顔を上げる。

『俺、ここに来てから二人のおかげですごく楽しいです。だから、これからも一緒にいさせてほしいです』

「……ふふ。ありがとう、睡ちゃん。二人が聞いたら…きっと、大喜びで貴方を帰さなくなっちゃうわね」

どこか楽しそうに笑った糸師さんになんだかむず痒くて、目を逸らしてしまえば眠ってる二人が見えて、すやすやと眠る二人の寝顔を眺めているうちに俺の家の前で車は止まってそのまま解散した。

冴と凛ちゃんはあの話を糸師さんから聞いたのか聞いてないのか、いつもと変わらずほとんど毎日一緒に遊んで時間を過ごして、そういえばつい二日くらい前に、冴が山に行ったことはあるかと聞いてきた気がする。

海とプールと同様にもちろんなかったから首を横に振った俺に、冴はそうかと嬉しそうに笑って、楽しそうなそれに俺と凛ちゃんは目を合わせて首を傾げた。

「睡」

こんこんと扉を叩く音と俺を呼ぶ声。顔を上げて扉に近寄って開ければ母さんが立ってた。

『どうしたの?』

「えっと…ちょっと相談があるんだけど、いま平気?」

『うん』

「じゃあご飯食べながら話そうか」

『ん?うん』

一緒に階段を降りてリビングに入ればふわりといい匂いがして、もうできてたらしいご飯に顔を上げた。

『ハヤシライス?』

「そうだよ。たくさんたべてね」

『はーい』

辛いものがあまり得意じゃない俺に我が家で用意される料理は圧倒的にカレーよりもハヤシライスが多い。母さんいわくいろんな野菜が入ってるから甘くて美味しいんだよと言われたけど、実際になんの野菜が入ってるのか俺はわかってない。

飲みものの入った大きめのタンブラーとコップを持ってテーブルに置く。ちょうど二人分の器を持った母さんが揃ったから椅子に座った。

『いただきます』

「いただきます」

スプーンを持って少し掬う。湯気があがっていて見るからに熱そうだからしっかりと息を吹きかけて冷まして、口に運んだ。

いつもどおりぽつぽつと会話をしながら食べていって、ハヤシライスが半分なくなったところで向かいを見る。

『母さん、なにか話があったんじゃなかったっけ?』

「あ、うん」

忘れてたのか一瞬固まって、それから頷く。母さんはあのねと俺を見た。

「睡、キャンプとか興味ある?」

『キャンプ…?』

初めて聞く単語に首を傾げる。行ったことはなくても理解していた海とかプールとは違うそれに母さんはえっとねと口を開いた。

「一日二日ね、山の中で寝泊まりしたりするの」

『山の中で??』

「うん。山の中だからもちろん電子機器とかは使わなくて、ご飯もね、バーベキュー…えっと、大きなコンロでお肉とか野菜焼いたりして食べたり、お米もね、コンロで炊いたりするの」

『炊飯器使わないの??』

「飯盒っていう鉄のお鍋みたいなので炊くんだよ」

『はんごう…?』

初めて聞く単語のオンパレードに更に目を瞬いて、母さんは俺にわかりやすい言葉を探しながらキャンプを説明していく。

「夜はね、テントっていう布の家を立ててそこに入って寝たりするんだよ」

『布の家…??』

どれもこれも初めて聞くことだから全く想像がつかない。

キャンプっていうのは本当に未知の世界だ。

『なんでそんな話するの??』

母さんはそっと視線を落としてから、じっと俺を見た。

「えっと…あのね、睡は…」

ピンポーンと呼び鈴を鳴る音。響いたそれに二人で顔を上げて首を傾げる。

時計は今だいたい六時くらい。こんな時間の訪問なんて心当たりがなくて二人で目を合わせていればまた音が鳴った。

「み、見てくるね」

『う、うん』

母さんが立ち上がったところでまた音がして、モニターにたどり着いた母さんがスイッチをいれる。

「は、はい」

「こんばんはぁ!!」

「睡、いますか」

「あれ、冴くんと凛ちゃん…?睡、約束してたの?」

『え?んーん』

「あー!すいちゃん!すいちゃん!」

「睡」

『あ、えっとちょっと出てくるね、母さん』

向こう側で凛ちゃんがはしゃいでるらしいから俺も立ち上がって玄関に向かう。

扉を開ければどんっと飛び込んできた影に押し倒されて、転びそうになったところで手が引っ張られた。

「すいちゃん!」

『り、凛ちゃん?どうしたの?』

「すいちゃんもいっしょ!たのしみね!!」

『えっ?』

「凛ちゃんねー、すいちゃんといっぱいいっしょなの!ね!にぃちゃん!」

「ああ。…睡、俺達がいろんなところに連れてってやるからな、楽しみにしてろ」

『ご、ごめん、なんの話??』

「キャンプの話だ」

「きゃんぷ!!」

『キャンプ???』

ついさっきも聞いた単語。あれと?思うのと同時に足音が後ろと前から聞こえてきて後ろからは母さん、前には糸師さんが立っていて、糸師さんがあらあらと目を瞬いた。

「凛ちゃん、冴ちゃん、まだお声掛けをしただけって言ったでしょ?」

「睡が断るわけない」

「すいちゃん、凛ちゃんといっしょメ??」

『???』

状況がわかってないのは俺だけらしい。おろおろしてる母さんを見上げれば母さんは諦めたように膝を折って俺の横に屈んだ。

「あのね、睡。キャンプ行ってみたい?」

『俺が行くの??』

「うん」

『……んー…』

未知の世界のキャンプはどんなものなのかがよくわからない。話を聞いている限り楽しいよりも不思議が勝っていて、母さんはなんて答えてほしいんだろう。

母さんは眉尻を下げると首を傾げた。

「興味ないの?」

『んー…なくは、ないけど…でも…俺、そんないっぱい動けないし、山の中で熱出すかもしれないし』

「それは…」

「だいじょうぶだよ!」

大きな声と一緒にくっついてた小さな手のひらが俺の頬に添えられて丸いきらきらの目が俺を覗きこんだ。

「凛ちゃんがすいちゃんといっしょなの!」

『えっと、』

「凛ちゃんねー!たのしいいっぱいしってるのよ!すいちゃんにいっぱいおしえるの!」

『、』

「動くだけがキャンプじゃないし、見てるだけで楽しいもんもあるぞ、睡」

「凛ちゃんねー!おほしさますき!」

「そうだな。…山の中で見る星は綺麗だぞ、睡」

『星…』

するりと髪が撫でられて頬に手が添えられる。目の下がなぞられて冴が口元を緩めた。

「睡、俺達と行こう」

「すいちゃん!凛ちゃんとにぃちゃんといっしょしよ!」

二人の同じ青色がきらきらしてて、頷く。手が離れたから視線をあげる。母さんはさっきと同じところに屈んで俺を見ていて、唇を結んでから、開いた。

『か、母さん』

「なぁに、睡」

『あのね、俺、ちゃんとできるかわからないけど…、行って、みたい』

「うん。じゃあ行こうか」

『いいの…?』

「もちろん!でも無理はしちゃだめだからね。疲れたらすぐ休むこと!約束できる?」

『うん!できる!!』

母さんが笑って俺の頭に手を乗せて髪を混ぜた。そっと離れた手のひらに改めて向かいを見れば、揃いの青色を輝かせてる二人がいる。きらきらの目に表情が緩んだ。

『冴、凛ちゃん、俺もキャンプしてみたい。えっと、一緒に行ってもいい?』

「あ、」

「うん!!!凛ちゃんいっしょ!!!」

冴が口を開いた瞬間に凛ちゃんの可愛らしくも大きな声が響いて再び抱きつかれる。ぎゅーっとくっついてる凛ちゃんに思わず笑みを零して、すっと近づいてきた冴は凛ちゃんの頭を撫でた後に俺の頬に手を添えた。

「俺に任せておけ」

「にぃちゃんたのしいいっぱいしってるの!」

『そうなんだ…!』

二人の言葉に声が弾んで、横では糸師さんと母さんがよろしくお願いしますと話し合ってる気配がする。

「睡」

するりと頬が撫でられた感覚に視線を戻せばいつもどおり口が塞がれて離れていく。

「凛ちゃんも!」

続けて触れていくからまた目を瞬いて、二人は立ち上がると手を繋いだ。

「じゃ、おやすみ、睡」

「おんみ!!」

『う、うん、おやすみなさい』

「詞詠さん、睡ちゃん、今日は急にお邪魔してしまってごめんなさい。また連絡しますね」

「こちらこそ!ありがとうございます、よろしくお願いします!」

手を振って歩いていった三人を見送って扉が閉まる。顔を上げれば母さんは楽しそうに笑っていて、頭がわしゃわしゃと撫でられた。

『え、母さん??』

「ふふ、たのしみだね、睡」

『…うん!』

「なにがいるのかな!お母さんもキャンプとか小学生以来!」

『母さんキャンプしたことあるの??』

「小さい頃にね!たぶん睡も小学生になったらお友達と行くと思うよ!」

『お友達と…!』

生まれてこの方、ほとんど行けてない保育園に友達はできたことがない。最近の体の調子からして、小学生になったらもっといろんなところに行ける体力がついて学校にたくさん行ければ俺にも友達ができるかもしれない。

「あと半年もしたら小学校だし、ランドセルも用意しないとね!」

『ランドセル!』

「靴もお洋服も…あと、髪の毛も切って置かないと黒板見えにくいかな?」

『やることいっぱいだね??』

「おっきくなったってことだよ!」

入学式絶対見に行くから!!と気合の入ってるから母さんに思わず笑う。小学校も入学式もよくわからないけど、母さんがこんなに楽しそうなら悪いことじゃないんだろう。

『その前にキャンプの準備しないとだね』

「うん!糸師さんに窺ったらすぐに用意しよう!」

『だね!』

一緒に廊下を歩いてリビングに戻って、あ、と同時に声をこぼす。

『ご飯途中だったね』

「んん、忘れてた…」

お皿に半分も残ってないハヤシライスはすっかり湯気が消えていて、顔を見合わせて笑った。



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