ブルーロック



「睡、いつもみたいに用意してあるからね」

『ありがと』

頭が撫でられて目をつむる。まだ若干平熱より高いせいでひんやりとした母さんの手が気持ちよかった。

「なにかあったら連絡ね」

『うん』

昨日の夕方少し前。帰ってきてから予想通り倒れた俺は母さんの看病のおかげで会話と多少不自由な日常生活がおくれるくらいには回復した。

心配そうな顔の母さんに手を振る。

『初日から遅刻したら大変だよ。新しい病院、がんばってね』

「…うん。終わったらすぐ帰ってくるからね!」

『わかった』

「いってきます!」

『いってらっしゃい』

元気よく扉を抜けていった母さんが向こうからしっかりと鍵をしめたのを確認してリビングに戻る。冷蔵庫から飲み物を取って、ついでに用意していってくれた食事を確認して扉を閉めた。

リビングのソファーに座って、広い部屋の中を見渡す。

前までは、三人でマンションに住んでた。部屋が三つあって、うち一つをリビング、あとの二つは両親それぞれの部屋で、俺はほとんど母さんの部屋にいた。

引っ越ししてくるときに持ってきた荷物はそのまで多くない。

元から物はあまり欲しがらなかったし、三歳まで通っていた病院に併設された託児所でも、その後通っていた保育園も、今日のように熱が出たらいけなかったし、そこで作るものや貰うものはほとんどなかった。

持ってきたのは母さんが外出するときに財布や携帯を持ち運べるようにと用意してくれたポーチや鞄くらいで、いま愛用してるのもそのうちの一つだ。

ソファーの背もたれにかけておいてくれた薄い布を膝にかけて、水を飲んだ。




ピンポーンと、あまり聞き慣れない音がする。前の家とは違う音が不思議で、もう一度ピンポーンと音がして目を開ける。

どうやらソファーでうたた寝してたらしい。布をかぶったおかげで手足は冷えてなくて、なんなら仮眠を取った分朝よりもずっと頭の中がすっきりしてて、これはもう熱が完璧に下がったなと起き上がる。

再度、ピンポーンと音がする。よく聞けばこれはうちからしてる音らしい。立ってモニターに向かえばのぞき込んだ画面には誰もいなくて、目を瞬いていればまたピンポーンと音がした。

すぐに応答ボタンを押す。

『は、はい』

「遅い」

『え、』

「冴だ。凛もいる」

「りちゃよ!」

誰も映らない画面の向こうから昨日も聞いた声が二つする。目を瞬いて扉に向かって、鍵を開けた。

「おせぇ」

「うぃちゃ!」

飛びついてきたのは凛ちゃんで、冴はどこか不機嫌そうに俺を見る。水色の目に視線を泳がせて、とりあえず凛ちゃんの頭をなでてから顔を上げた。

『ごめん、寝てて…えっと、今日はどうしたの?』

「今日暇か」

『特に用事はないけど…』

「うぃちゃ、ぽんよ!」

『え?』

「暇ならサッカーすんぞ」

冴が肩からかけてる布地の鞄は丸い形を作っていて、たぶんボールが入ってるんだろう。

今が何時なのかはわからないけど、平日にもかかわらず二人がいることを考えたらもう昼はとっくに過ぎてるのかもしれない。

『えっと…今日母さんいなくて、出かけるって知らないからあんまり家離れられないんだ』

「うぃちゃ、ぽん、メ?」

『うーん、どこまで行くかによるんだけど…』

「ならすぐそこの公園だ。歩いて五分くらい」

『五分くらい…なら、うん。わかった』

「うぃちゃぽん!」

『うん。一緒に遊ぼう。えっと、何かいるものはある?』

「飲みもん、タオル、靴」

『わかった、ちょっと持ってくるね』

「ん」

二人が玄関から離れたから扉を一度しめてキッチンに向かう。寝る前まで飲んでたボトルとそれからタオルを一枚。外出時には必ず持ち歩いてるポーチの中身も確認して携帯と鍵を持つ。

急ぎ足で玄関に戻った。

『ごめん、おまたせ』

「うぃちゃ!」

鍵を閉めて振り返れば左手を伸ばしてる凛ちゃんがいて、鍵をしっかりとしまってから手を取る。

「うぃちゃぽんなのよ!みーね!」

『みー?』

「たのしみ、だ」

『なるほど…ん、楽しみだね』

「う!」

嬉しそうな凛ちゃんはすでに楽しそうだ。五分くらいと言っていた通りにあっという間にたどり着いた公園は広くて、砂場で遊ぶ親子やベンチに座ってるご高齢の夫婦といろんな人がいる。

「そこの端んとこでやる」

「あっちよ!」

砂場やすべり台とは離れた一角はたしかに平地で障害物もないからボールで遊びやすそうだ。

鞄からボールを出した冴は空気の入れ具合を確認するみたいに両手で触って、その後に俺を見た。

「サッカーしてことなかったよな」

『うん』

「ならまず蹴ってまっすぐ相手に渡すところからだな」

『あー、うーん、』

「なんか気になることあんのか」

『うーん、たぶんできると思うんだけど…』

走ったりしないなら大丈夫だろうか。ボールを蹴る行為がどれくらい体力を使うものなのかわからなくて返事に迷っていれば冴は目を細めた。

「疲れたらすぐ休憩しろ」

『うん…ありがとう』

「うぃちゃ、ぽんないない?」

『うんん、サッカーするよ、凛ちゃんもよろしくね』

「あい!」

ころんっと地面に転がされた白と黒のボール。冴が足で一度押さえて、蹴るイメージ、力加減を軽く伝えられて実際にぽんっと蹴りだされた。

俺の足の少し手前で止まるようコントロールされたボールは足にもぶつからず止まって、足元のボールと冴を見比べれば頷かれる。

まずはやってみろってことらしいからとりあえず恐る恐るつま先で蹴ってみて、まっすぐ、ぽてぽてころころと転がったボールに目を瞬いた。

「………まぁ悪くはねぇ」

到底飛距離は足りてない。そんな俺に冴は眉間の皺を薄めて、俺と冴の間に転がってるボールにぴゃっと影が近づいてボールにくっついた。

「ボール!」

「ん。バスだ、凛。転ぶなよ」

「う!」

凛ちゃんの身長の半分以上あるボールのサイズ。こうしてみると結構大きいらしいボールに凛ちゃんはボールを自分の前に置くと右足を前に出した。

「にぃちゃ!」

ぽんっと俺よりも力強く。しっかりと冴の足元へ転がったボールに思わず手を叩いた。

『凛ちゃんすごい!』

「りちゃしゅごい!」

『うん!じょうずだね!』

「にちゃとぽんしゅるのよ!」

「凛はもうサッカー歴3ヶ月だからな」

『そうなんだ…?!』

3ヶ月であんなにもきれいにボールを蹴れるなんて凛ちゃんは天才なんじゃないか。

一年かけてもあんなにきれいにボールを渡せる気がしない俺に、冴は凛ちゃんからもらったボールをまた俺の前に蹴って転がした。

「睡、さっきよりも少し力いれてもう一回だ」

『うん!』

言われるままに、一回蹴るごとに助言をもらって、冴を基点に凛ちゃんと俺はボールを蹴る。しばらくボールをもらって、蹴って送り出してを繰り返したところで、はぁっと息を吐き出した。

「睡、凛、一旦休憩だ」

「あい!」

『う、うん』

ばくばくいってる心臓に思ってた以上に体力を使ってしまったのを自覚する足を踏み出して、荷物をおいてたベンチに向かおうとしたところでふらつけばいつかと同じように腕が掴まれた。

「平気か」

『うん…』

「うぃちゃ、だいじょう?」

『うん、へいき…』

「とりあえず座れ」

支えられながらベンチに降ろされる。気づかないうちにかいてたらしい汗が流れて、冴はさっさと鞄から飲み物とタオルを出すと俺の前に出した。

水を飲んで、顔を上げるとタオルで汗を拭われる。

「お前どんだけ体力ないんだ?」

『うーん、運動したことなくて…』

「まじで凛より体力ねぇな…」

「うぃちゃ、ないない?」

「体力がな」

ぽんぽんと汗が拭き取られたところでタオルがそのまま肩にかけられた。

「体力つけるにも無理は意味がねぇから、今日はこのまま休憩な」

『ごめん』

「別に。もし入りたくなったら言え」

凛ちゃんにもしっかりと水分補給をさせたところで冴は俺の頭をわしゃわしゃと撫でて離れる。

「凛、行くぞ」

「あい!」

ぽんっと蹴られたボールに凛ちゃんはとてとてと歩いてボールを捕まえて、それから同じように蹴って返す。楽しそうにボールを蹴ってる二人を眺めていれば息も落ち着いてきて、一応深呼吸してから水をもう一回飲んで、震えてる足に、残念だけど今日はもう無理だなと二人の応援に専念することにした。




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