ヒロアカ 第一部



「右、あまいぞ」

『っ』

迫ってきたナイフを模した武器をすれすれで避ける。

流れる汗に先生はまだ余裕があるようで、すぐさま足が振るわれて回避した。

仮免許試験を受けることが確定して、人使との訓練、自主トレとは別に先生との個別訓練時間が設けられた。

九時から十時まで。最初から最後まで手合わせのそれは訓練というにはかなりガチめで、先生は重りをつけてもいないから生傷は増えてしかたない。

三日目ともなれば先生もがんがん俺の癖や死角をついてきて、響いたブザーの音に後ろへ倒れ込んだ。

『あっ、つ…』

「今日はここまでだな」

『あざ…した…』

だらだらと垂れてくる汗とばくばくいって勢いが落ち着かない心拍。上がりきった体温に息を吐いて目を瞑る。

こんなに動いたのはいつぶりか、たぶん四日前に勝己との朝練でもかなり動いたけど、連日ともなるとだいぶ疲労が溜まって仕方ない。

短い息を繰り返していれば気配がして、目を開けると立っていた先生がちょうど屈んだところで目が合う。

「きついか」

『…まだ、へいきです』

「わかった。無理はしないように」

持っていたタオルが被せられて隣にボトルが置かれる。

毎日最後にされる確認は限界を確認してるんだろう。夏休み始めにあった会話を思い出す。

俺の限度を見つけると訓練のたびに時間や内容を変えて行われていた訓練に、そろそろ俺の底が見えそうだった。

大きく息を吐いて、吸って、深呼吸で落ち着かせた心に手を動かし顔の上のタオルを取る。

開けたその先にはまだ先生がいて、目が合うと先生は立ち上がった。

少し離れた椅子に座ると持っていたタブレットに何かを打ち込み始める。いつも通り俺の身体スペックデータの修正をしてる最中のはずだ。

上半身を起こしてボトルを持ち、水分を取り込む。氷もないし冷えているわけでないだろうけど、体温の上がった俺には冷たく感じて心拍が落ち着いた。

立ち上がれば先生はタブレットを抱えて同じように立つ。

「この後はどう過ごすつもりだ?」

『風呂入って寝ます』

「そうか。しっかり休息を取るように」

『はーい』

訓練場を出て、ふらふらと寮に帰る。着替えは用意してあるからまっすぐ浴場に向かった。

この時間の風呂はわりと人が少ないのはこの数日で把握してる。服を脱いでさっさとシャワーを浴びる。汗を流して石鹸を泡立てて、微妙に染みる擦り傷に我慢しながらさっぱりしたところで浴場を出た。

夏だし風邪は引かないだろうから髪は乾かさずにタオルを被るだけで部屋に向かう。今は疲れからくる眠気が強い。

部屋になんとかたどり着いて、ベッドに倒れ込む。

携帯に手を取ってアラームと決まった挨拶の連絡をしたところで、眠りたくないのにすっと意識が沈んだ。




ザザッと音がする。テレビの砂嵐ようなそれにまたこれかと目を細めた。

「試験かぁ」

大きなため息。

「ねぇ、なんで頑張ってるの?」

冷たくて大きな手のひらが首をつかむ。どこか苛ついた声に眉根を寄せた。

『…おれが、頑張ったらいけねーの?』

「うん。いけないよ」

ぐっと力が入る。締められた苦しさはいつものことで、それはじっと俺を見る。

「頑張って、目立って、君はその功績をどうするの?」

試験への参加を承諾したあの日から、見ていた夢の内容は変わった。

「兄がそんなに注目を集めていいと思ってるの?」

『弟が頑張ってるのに、頑張れない兄は正しくないよ』

「…それは、持ってる奴の持論だ」

更に力がこもった手はもっときつく首を絞める。

「優秀な上を持つ下の子が、劣等感に苛まれないとでも?」

ぶれた姿が見慣れた、小さな子どもに変わる。

「お前たちはいつもそうだ。できない奴のことを何一つとしてわかってない」

『ぐ、っ』

「何をしても比べられる。できない事があれば疑念を抱かれる。上のせいで貼られた当たり前っていう期待のレッテルは生きてる限り一生剥がれないし、応えられなければ怒られて、失望されて、勝手に見限られて無かった存在にされる」

ミシミシと音を立ててるのは骨か、向かいのそれはぎりっと歯をきしませた。

「ゆるさない、今更置いてこうとするなんて、ゆるさない」

朦朧としてきた意識の中で、いつもはとろりとした優しい緑色が怒りで黒く光ってた。

「お前は、正しい兄になれ」

『がはっ』

ぱっと離された手に急に酸素が入り込んできて噎せる。

息を繰り返せば両手で俺の顔を掬って、目を合わせられた。

「ねぇ。兄ちゃん、わかってるよね?」

『は、っ、』

「お願いだよ。こんなところで間違わないで、兄ちゃん」

『や、め、て』

「あんな奴らの甘言に騙されちゃ駄目だよ。兄ちゃんは、このままでいいんだ」

『いず、く、は、』

「これからも、ずーっと正しい兄ちゃんで居てね。君は、俺の、」

うっとりと笑って、その瞬間に音が鳴って目がさめる。

『はっ、がはっ、はっ…は…っ』

喉の痛みと酷く荒れた呼吸と心拍数。汗をかいて張り付いたシャツが不快で、かけていたタオルケットを蹴り飛ばす。

音の元を辿れば通知だったようで、外はまだ暗い。

携帯を取って画面を確認する。調子はどう?なんて問いかけ。思えば以前も起こしてくれたのも弔で、迷わず文字を打ち込んだ。

そうすれば少ししてふわりと靄が広がって、顔が現れる。

「出留?」

『、とむら…』

「…大丈夫か?」

『うん。弔のおかげでもう平気…』

目が合うなり心配げに視線を揺らして近寄ってきたから手を広げてくっつく。

迷うように背中が撫でられて息を落ち着けていく。

「出留、汗気持ち悪くねーのか?」

『気持ち悪い』

「着替えは?」

『あっち』

「ちょっといじんぞ。黒霧」

「はい。失礼いたしますね、出留さん」

ずっと見守ってくれてた黒霧さんがクローゼットに触れる。シャツを一つ取り出してこちらに近寄ると弔が俺の頭をなでた。

「風邪ひくぞ」

『馬鹿はひかないって言うじゃん』

「あ?喧嘩売ってんのか??」

ばしりと背が叩かれて笑う。腕から力を抜いて一旦離れ、差し出されたシャツを受け取った。

『ありがとうございます』

「いえいえ、お気になさらず。汗拭きシートなどお持ちしましょうか?」

『あー、朝もっかいシャワー浴びるんで大丈夫です。ありがとうございます』

脱いで、着て、湿ったシャツは床に放り投げる。もう一回弔にひっつき直せば首を傾げる気配がした。

「出留が立て続けに参ってんの珍しいな」

『んー、最近また夢見が悪くて』

「ああ…」

納得いったような声が不思議で顔を上げる。

『どうした?』

「…別に。ほら、一緒に居てやんからちゃんと寝ろ」

「まだ朝までございますし、しっかりお休みになられたほうがいいですよ、出留さん」

手が解かれて、ベッドに乗り上げた弔は俺にくっつく。床に転がされてたタオルケットをはたいて、黒霧さんが俺達にかけた。

「さぁ、もう怖い夢は見ませんよ。ゆっくりお眠りください、出留さん、死柄木弔」

穏やかな声と弔と引っ付いていることで感じる温み。さっきまでは暑くて気持ち悪かったはずなのにすっかり落ち着いて、撫でられる髪の感覚に安心して目を閉じた。




毎日弔に来てもらう訳にもいかない。

あと二日程度だからと夜を跨ぎ、訓練を受けて、それからまた夢に抗って、試験直前の最終日には頭が朦朧としてた。

「出留、どうしたんだ?」

『あー。ちょっと寝不足っぽい』

「…熱中症には気をつけろよ」

『さすがにおんなじことはしないよ』

職業訓練の時を思い出して眉根を寄せた人使に笑う。今日も朝から人使との訓練だった。

明日が仮免許試験当日だからかヒーロー科の生徒たちは今日は休息日らしく、自主トレがメインのため、先生との個別訓練は午後からを予定してる。

最初に鬼ごっこ、それからペルソナコードを通して個性をかける実用化のために素早くダイヤルを回す訓練。俺は横槍を入れる担当で、市街地を模した訓練場で隠れてダイヤルを回す人使を見つけては邪魔してを繰り返した。

「今日はここまで」

「お疲れ様でしたーっ」

『お疲れ様でした』

二人で息を吐いて飲み物をとる。タオルで汗を拭いながら今日の訓練はこうだったと話していれば人使がそういえばと目を瞬いた。

「明日って六時集合でいいんだよな?」

『え?』

「え?」

二人で首を傾げる。

『なんの話?』

「なんのって…明日は校外学習だろ?」

『校外学習…??』

「え、先生から聞いてないのか?」

『うん、なんも…?てか、そもそも明日って、』

「心操くーん!ちょっといいかしら!」

響いた声に会話を止める。相澤先生と話していたはずの担任が資料を片手に手を振ってて、人使が迷うような表情をしたから行ってこいと背を押した。

「またあとで」

担任に向かって駆け足で近づいていく人使は二、三言葉を交して、見せられた資料に頷き部屋を後にする。

帰ってくるまでしばらくかかるだろうかと目を逸らそうとして、近くで揺れた気配に顔を上げた。

「顔色が良くないな」

『そうですか?』

目の前の先生はじっと俺を見て眉根を寄せてる。

自分では気づけない指摘にまた首を傾げてしまって、先生は眉間の皺を深くする。

「明日は本番だ。疲れが溜まっているのならこの後の訓練は見送ろう」

『え?全然問題ないですよ。大丈夫です』

「……その言葉を信じるぞ、緑谷」

『ういーす』

頷いて訓練の準備をする。最終日も模擬戦らしく、連日行っているのと同じく開始の合図と同時に動き出した。

試験がどんな方式かはわからないから、基本的に対人訓練の体は崩さないものの場所はころころ変わった。

初日は市街地、二日目は災害を想定したという嵐の天候のドーム内。三日目が山岳地帯。四日目の昨日は室内で、最終日の今日は最初に戻って市街地だった。

前回の市街地は高めのビルやマンション、舗装された四車線以上の道路がメインだったのに対し、今日は住宅街を模しているようで戸建ての家や二車線程度の道路が多く、思い返せば先生に怒られた日に使った場所だった。

あの時は目潰しするのに自分の血を使って、周りにむちゃくちゃ怒られたなとそんな前のことでもないのに懐かしくなる。

耳を澄ませて、上からの音が聞こえないことに唇を結ぶ。

住宅街ともなれば高い建物がなくても死角が多い。

意識を集中させて、微かに拾った音に咄嗟に個性を発動させて宙に逃げればマンホールが吹き飛んで捕縛帯がさっきまで居た位置を通って手元に返っていった。

どれだけ精巧な模型なのかはわからないけど、以前使ったときも窓ガラスや壁の材質、鉢植えにある花まで本物だったことを考えれば下水管があるのも納得できる。

現れた先生に個性を消されて足場が消える。浮遊感に襲われて、そうすれば捕縛帯を操り投げてくるから身を捩って回避し、転がるように着地して距離を取った。

続けざまに光った刀身にすぐさま回避をして、足元に投げられたまきびしを踏まないよう足をつく。顔面に向けて突き出された腕は仰け反って避けてそのまま一回転し、自由になった方の脚で反撃。

一度接近戦になってしまうと先生を撃退するのは難しい。ずっと課題のそれに時折発動できる個性を使って足元を固めたりして距離を取りながら考えをまとめるために逃げる。

連日の訓練と睡眠不足故か中々しっかりしない思考が足を引っ張って仕方ない。

風を切る音に気づいて右に曲がる。横を抜けていく捕縛帯を見送りながらとにかく走って、前回の訓練では来なかった端の方まで来てしまったのか見覚えのない建物が並んでた。

住宅街によくある公園や団地。入り込んでしまったらしいそこに地の利がなくなったことで舌打ちが溢れる。

教師である相澤先生はこのあたりの地形を把握しているはずで、遮蔽物もない場所から早く離れないといけない。

武器や隠れる場所を探そうにも今いる公園には背の低いブランコや滑り台、それから忘れ物のように転がるゴムボールくらいしか見当たらず、くらりと目眩がした。

「がら空きだぞ」

『ぐっ、』

揺れた気配に反射で身じろいでも間に合わず、つま先が腹に掠れる。畳み掛けるように体に捕縛帯が巻きついて上に跳ね上げられた。

個性を使って以前と同じように抜け出して、消されてしまったせいで体が重力に従って落ちた。

塀を超えて飛ばされたのはどこかの戸建ての庭で、塀は今も建築で利用されているブロックが積み重なったものだった。

周りを見ても家であることしかわからなくて、門が洋風で、家自体が大きいことしかわからない。窓には可愛らしい人形が置かれてるのが見えた。

『、?』

ぶれた視界に頭を押さえる。妙に苦しい息と、乾いた喉に漂う鉄の臭い。

「―――?」

『っ、はっ、』

落ちたときにでも切ったのか、見つめた手のひらは真っ赤で、いつの間にかついてる地面も赤黒い。後ろからぐちゃりと音がする。

「お兄ちゃん」

『っ、うっ』

せり上がってきたものを押さえる。自然と下がった視線に、靴を履いた足が見えた。

「ずっと待ってるんだよ」

肩に手が置かれて、するりと下がると、俺の首に回る。

「ねぇ、早く思い出してよ」

『が、かはっ、』

「いずるく、」

「緑谷!!」

腕が掴まれる。顔を上げればなんでか必死な顔をしてる先生がいて、なくなった赤色と苦しさに意識を飛ばした。






投げた先、緑谷はしっかりと着地をした上で辺りを確認していた。

それが急に焦点がぶれて、表情が虚ろになったと思うと首元を押さえて嘔吐きはじめると呼吸音がいびつになった。

一瞬油断させる演技かとも考えたものの、あまりの異様な様子に声をかける。それでも反応がなく、唐突に緑谷は自身の首を絞め始めて辺りに黒い靄が翳った。

「緑谷!!」

叫んで、強い力で自分を締め上げてる腕を取る。

緑谷の焦点が戻ってきて俺を見定めたところで緑谷は意識を失い、顔から崩れ落ちそうになったところを支える。

「おい!緑谷!」

「ちっ」

「っ?!」

背後から聞こえた男の舌打ちに顔を上げる。もちろんそこには誰も居らず、腕の中でぐったりとする緑谷の小さすぎる呼吸音に心臓が握られたように痛む。

抱え直してすぐに声を上げた。

「リカバリーガールを手配しておいてくれ!!」

訓練場の使用にあたり、遠隔で監視をしている人間がいる。今伝えておけば外に出る頃にはリカバリーガールが準備を終えているだろう。

落とさないようしっかりと抱えて走り出す。市街地を抜け、出入り口にたどり着けば担架とリカバリーガールが見えた。

「その子を寝かせておくれ」

「お願いします」

リカバリーガールはすぐに脈拍や瞳の確認をして険しい表情を作る。

「なにもなさそうだけれど…ここではなんとも言えないねぇ。保健室に運び込もうか」

「はい」

俺と警備員で担架を支えてリカバリーガール先導のもと校舎に進み、保健室に入る。ゆっくりと緑谷をベッドの上におろして警備員は部屋を出ていった。

「イレイザー、今度はどうしちゃったんだい?」

「…わかりません。訓練中に唐突に倒れました。映像を見ていただくのが早いと思います」

「確かにそのほうが早いけれどねぇ…、一番近くにいたアンタに聞かないとわからないこともあるよ」

「……………」

記憶を遡っても変わったところはなかったように思う。それでも順番に口に出す。

「いつもどおり対人訓練を行いました。逃げる緑谷を追いかけ、公園あたりで止まっていた緑谷に攻撃を仕掛けましたが掠る程度でした。捕縛帯を腹に巻き付けて持ち上げ、投げた先は土でした」

「その時に頭を打ったりしてた様子は?」

「いいえ、全く。問題なく着地してました」

「……続けておくれ」

「緑谷は場所の把握をしようとしたのか辺りを見渡して…思えばそこで急に、目が虚ろになったように思います」

「虚ろ?」

「ええ。周りを確認していたときとはあからさまに違う、何か別のものを見ているような…表情も消えてましたね」

「…それから?」

「数秒、俺が様子を窺っていると唐突に嘔吐きはじめて口元を押さえました」

今思い返しても緑谷の様子は異常だった。

何を見ていたのかもわからないそれに俺ができたことはなにもなかったけれど、リカバリーガールならばなにかわかるかもしれない。

「段々と呼吸が短く、不規則になっていったのでこのあたりでおかしいと感じ近寄り声をかけましたが反応はありませんでした」

「過呼吸…?」

「恐らく。それから緑谷は…、………」

「…あの子はなにを?」

「…自身の首を絞めはじめました」

「自分で首を?」

表情を歪めたリカバリーガールは難しい顔をしてる。頷いて記憶を細かく辿る。

「かなりの力で締めているようでしたので無理やり腕を取って、そこで緑谷の視線が俺に向いて、目があったと思った瞬間に気を失い、今に至ります」

「………そうかい。ありがとうね、イレイザー」

「…………なにか、わかりましたか?」

こぼれた言葉にリカバリーガールは首を横に振って視線を落とす。

「こればかりはなんとも…この子が何をしたかったのかわからない。でも、正常な様子でなかったのなら、洗脳などで自傷行為に走った可能性が考えられるね」

「洗脳…」

「あくまで一つの可能性さね。それにこの子は今外にはほとんど出ていないんだから、洗脳がかけられるとしたらかなり遠隔からか、時間差…特殊な条件があるはずだよ」

「………………」

座っている椅子をくるりと回して背を向ける。

「もしかしたら、この子の異様なまでの自己犠牲と自己承認欲の低さの理由の一つかもしれないね」

息を吐いて、リカバリーガールは一度眠る緑谷を見据え椅子を動かし始めた。

「イレイザー、私は調べたいことがあるから一旦離れるよ。その子から目を離さないようにね」

「はい」

「なるべく早めに戻っては来るけれど、その子がもし起きたり、なにかあればすぐ連絡をおくれ」

「わかりました」

リカバリーガールも部屋を出ていってしまい、ベッドの横にある椅子に腰掛けて肘をつき、頭を乗せる。

「はぁ〜…」

ずっと詰めてしまっていた息を吐きだして目を瞑る。

リカバリーガールの言葉と緑谷の様子。それから今までの関わりが頭の中で無尽に駆け回り始める。痛くなってきた頭にこめかみを押しながら顔を上げる。

ベッドには寝息をほとんど立てず眠る緑谷がいて、つい先日にも見た眠る様子よりも顔色が白いせいで不謹慎なことばかり浮かんでしまう。

「君は、なにを抱え込んでるんだ…?」

手を伸ばそうとして、止める。

俺の行動は教師として正しいのか。いつだって考えているそれが不意によぎった。

緑谷がこうなったのは、もしかしたら俺が追い詰めすぎたせいかもしれない。無理やり試験への受講を決めたことも、連日の訓練も負担が大きいのではないか。

緑谷の様子をきちんと見て、じっくりと話すべきではなかったのか。

唇を噛んで、目を強く瞑る。

もっと香山さんや山田に相談して行動に移すべきだったかもしれない。

『っ、』

聞こえた詰めるような息に顔を上げる。ベッドの上の緑谷は先程までと違い表情を苦しげに歪めていて、息をこぼしてた。

『…め、て、』

「緑谷…?」

『や、だ、って、』

魘されているらしいその様子に思わず立ち上がる。

『が、かはっ』

苦しげな緑谷の手が首元に近づき、指先がなにかを剥がそうとするように爪をかける。

「緑谷、」

手を伸ばそうとして、迷う。

手を伸ばす資格が俺にはあるのか

ぼろりと、目尻から涙が溢れる。

『やめ、て、……たす、けて、』

発射的に手が伸びて緑谷の手を取った。

「緑谷!」

『、っ』

ばちりと目を開けた緑谷が飛び起きる。

『はっ、はっ、』

「大丈夫か、緑谷、息をしっかりしろ」

荒すぎる息と汗で濡れた背中。揺れる焦点を無理やり合わせて緑谷は顔を上げ、俺を見るなり涙をにじませた。

『せんせ、?』

「…緑谷、大丈夫だ」

ひどくなにかを怖がっているその姿に握っていた手を離し、代わりに頭を撫でる。そうすれば緑谷の腕が伸びて背に回った。顔を押し付けるなり肩を揺らす。泣いているであろうその様子に大丈夫以外何も言えなくて、頭を撫で続ける。

どれくらいそうしていたのか、ぐずぐずと鼻をすする音がしてゆっくり顔が上がった。

泣いたせいか少しだけ熱っぽく湿った瞳に目を合わせる。

「…緑谷、気分はどうだ」

『へいきです。……ご迷惑をおかけして、』

「謝るな。君はなにも悪いことはしてない」

丸くなった目に髪を乱すようにしっかりと撫でる。なされるがままぐらぐらと頭を揺らして手を下ろすと緑谷はそのまま固まってた。

『……………』

「緑谷?」

『あ、はい、えっと、っすみません!』

「は、」

ばさりと音を立てて白色が舞う。ぽかんとして見送ってしまえば緑谷は布団の中に潜っていて、被った布団の中で丸くなっているらしい。

「どうしたんだ、緑谷」

『い、いえ。なにも。すみません、なんでもないです。ちょっと一人にしてくださいすみません』

「リカバリーガールから一人にしないよう言いつけられているからそれはできない相談だな」

『んんっ』

もぞりと動いて中で静かになる。眠っている訳ではないだろうその様子に首を傾げて、言葉を出そうとしたところで扉が開いた。

「相澤くん!緑谷くんの様子は!」

「香山さん、騒がしいです。ちょうど目を覚ましました」

「ほんと!?…って、緑谷くんは一体なにしてるの??」

「さぁ…?」

飛び込んできた香山さんと、その後ろにリカバリーガール。二人は丸くなった布団に目を瞬いているから俺も首を傾げて返す。

待っていれば外の様子に気づいてか、もぞもぞと布団が動いて緑谷が出てきた。

『おはようございます。えっと、俺は訓練中にまたぶっ倒れた感じですかね…?』

「ええ、そう聞いているわ。体調はどう?」

『問題ないです』

「そう…」

ほっとしたと表情を緩める香山さんに緑谷は居心地が悪そうに目を彷徨わせる。

その先にいたリカバリーガールと目があったのか、リカバリーガールは口を開いた。

「緑谷、意識を失う直前のことを覚えてるかい?」

『直前…?』

ぱちぱちと瞬きをして、視線を斜め上に向ける。

『相澤先生と訓練していて、たしか攻撃を避け損ねたところで捕縛帯に捕まってぶん投げられたような…』

「…その後は?」

『その後…?……すみません、なにも覚えてないです』

「……そうかい。それならイレイザーが投げた際に頭をぶつけたのかもしれないね」

『え、まじですか?』

俺、ダサっと溢れされた言葉。いつもの喰えない笑みとも誤魔化してる様子とも違うそれは事実を語っているようで、香山さんの表情が固くなる。

リカバリーガールが一度俺を見て、緑谷に視線を戻した。

「一応検診したけれど特に外傷は見られなかったよ。ただ、頭部の怪我は後が怖い。今日は保健室に泊まっていきなさい」

『あ、いえ、大丈夫です。全然痛くないですし、先生方のお時間を割いてもらうのは申し訳ないです』

「アンタねぇ…」

相変わらず一歩引いた反応にリカバリーガールがわかりやすく眉根を寄せる。香山さんも深く息を吐いて、二人が俺を見るから緑谷の視線も自然とこちらに向いた。

「緑谷」

『あ、はい』

「お前はもっと周りからの心配を感じ取れるようになれ」

『え、はあ…?』

よくわかっていなそうな緑谷の返事に香山さんが近寄ってきて緑谷と目を合わせた。

「緑谷くん。まず貴方の言いたいことはわかるわ。皆に手間を掛けたくないのよね」

『はい』

「でもね?今回の事態は相澤くんが原因だから、貴方にこの後にもし何かがあったら私達が怒られてしまって困るの」

『…確かにそうですね』

「だから緑谷くん、私達を助けると思って、今日だけは誰かの目の届くところに居てもらえないかしら?」

『……そういうことなら、仕方ないです』

「無理を言ってごめんなさいね。ありがとう」

頷いた緑谷に申し訳なさそうな表情を繕ったままの香山さんは俺を見る。

「どうしましょうか。保健室か寮室か…」

「アタシは保健室でも構わないよ」

「寮室となると教師が居るのはまずいでしょう。別の生徒を呼ぶことになります」

「そうなのよね。けどリカバリーガールは女性だから…」

「そう言ってくれるのは嬉しいけどねぇ、ミッドナイト。気にしなくていいさね」

合理的に言えば保健室が一番だろう。なにかあればすぐに専門的な知識を持つリカバリーガールによる処置が受けられる。恐らくそれに気づいているのだろう緑谷が俺を見るから、頷いて口を開いた。




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