暗殺教室


『第23話より
湿気の時間』



6月。梅雨というのはただ雨が降るだけではなく、気温も湿度も高く擬態語を用いればジメジメしている季節だ。

夏の汗をかいた後のような爽やかさはなく、ずっと肌に濡れた服を身にまとったままのような体の怠さには気が滅入る。

特に何があったわけでもないのに自然と気が立ってしまい常に殺気だっている人や暗く淀んだ空と同じように気分が乗らないという人もいるだろう

僕としてはそんなことはどうでもよく、いつもより無駄に存在を主張する髪の毛に手を焼いていた。

梅雨、というか、湿度の高いこの季節が僕は苦手だ。

ただえさえ言うことを聞いてくれない髪の毛が全力で反逆してくる。

一体どうすればいいんだろうね

今度潮田渚や茅野カエデを筆頭とする人達にどうしているか聞こうかな

朝から降る雨足は弱まらず、たまたま会った浅野理事長に家まで送ろうかといい笑顔で言われるくらいに雨が降り注いでいる。

それを丁重にお断りしたのは今から一時間ほど前の話だ。

閑話休題。少々古いE組はよく雨漏りをする。

廊下だけに止まらず教室内にもバケツや水を溜めれるものがおいてあった。

それと殺せんせーは湿気が多いとふやけ膨張するようだ。

吸水率がいいのだろうか

おまけに頭には殺せんせーいわく髪。僕たちいわくキノコがはえていた。

なんの温床になっているのか、些か気になるけれど本人は気にしていないようだから僕が口を出す必要はないね

野菜ジュースキャンペーンの懸賞であたった紫の野菜ジュース柄の傘を開き校舎を出る。

叩きつけるとまではいかないが決して雨足は弱くない。

ぼんぼんと傘に大粒の雨が落ちる音が絶え間なく聞こえていた。

して、僕は雨が嫌いではない。

よく気分が乗らなくなるだとか憂鬱な気持ちになるから雨が嫌いという人は多い。
だが雨が降らなければ今僕たちが口にしている食物はほとんど育たないし水なんて一般市民が気軽に手をだせるような代物ではなくなってしまう。

自然災害や凶器と言うが実際僕たちには自然が切っては切れない関係で結び付いているわけだ

すっかり黒く濡れたアスファルトの道を歩く。

ぱちぱちと降り注ぎあたって跳ねる水の音が心地よかった。

雨音に耳を傾けながら帰っていたからだろうか、ばしゃばしゃと水を踏む音と男女の笑い声が耳に届く。


傘を持ち直し前を見ると、それはA組生徒二名がE組生徒を足蹴にし、C組生徒が高見の見物をしているところだった。

梅雨はたしかに人を苛立たせ億劫にさせるがこれはないんじゃないか?

僕を追い抜いていった見覚えのある車が集団に横付けるように止まり後部座席があく。

中から傘も射さず現れた浅野理事長は足蹴にされ雨にうたれるE組生徒の前で膝をつきハンカチを差し出した。

なにか言っていたようだがきっと聞いていても聞かなくても聞こえなくても僕には意味のない言葉だったのだろう

再び浅野理事長を乗せ走り出した車を見送り僕は道に座り込み雨に濡れA組生徒とC組生徒に見下されているE組生徒へ傘と持っていたタオルを預ける。

E組生徒、もとい前原陽人を打っていた雨は僕の傘に跳ね返され、代わりに遮るものがなくなった僕の髪や鼻、肩を濡らしていく。

僕に気づいたA組生徒二名は表情に焦りを混ぜ一歩後ずさり、C組女子生徒は先程まで優位に立っている者特有の笑みを消し去った。

『風邪をひいてしまうよ。僕の手持ちの物ですまないがよければ使ってくれ。 泥も拭うといい。
それにしてもだ、君達は一体何をしているんだい?こんな雨の中遊戯でもしていたとでも言うのかな?残念ながら僕や世間からすれば一方的に前原陽人へ手を出していたようにしか見えないね。事情があれどなかれどこれは許されることではないよ?君達は既に中学生なんだ。もう少し善悪の判断をつけるべきだろう。今時往来でこんなことをするのは小学生と同格かそれ以下の下等な者だけだ。よく人を足蹴にしてでもと言うがそれは数少ない枠を自分の努力で掴みとるためにという話で物理的に行うのは馬鹿げている。
僕は決して前原陽人に肩入れしているわけでもE組に肩入れしているわけでもないけれどどう考えても君達が良い行いをしているようには見えないな。これが良心からくる行為だというのならば勿論大多数の人が聞いて納得のいくような大義名分があるんだろう?
そうならば今すぐ僕にも教えてくれないかな?
瀬尾智也、荒木鉄平、土屋果穂。』

喋り終われば理解しきれていないのか追い付いていないのか土屋果穂は目を見開き、二名は狼狽える。

『もしもその理由や根拠が前原陽人がE組生ということや君達が本校舎で勉強している。といったとてもくだらないものだったりするのならば僕は君達の人間性を疑うよ。勿論そんな理由を肯定する人もいたのならばそれも全てだ。たしかにこれからも社会に出てうまく生きていく上で人と競争することや自分と合わない人間を排他することは必要なことだろう。誰もが誰も全員仲良くなんてことは不可能だからね。それは方向性の不一致やそりがあわない何て言うのもそうだ。人間人生の内に出会い関わる人のうちの20%は理由もなく気に入らず排他するといった話もある。実際人が最も親しくなるには共通の話題があると早いがそれは大体自分達に共通する苦手、嫌いという他者の悪口だろう。同じような善悪の価値観を持ち、自分の言ったことと相手の言ったことをお互いに秘密にし共有することで妙な結束力ができあがるんだ。それも人と親しくなる一つの手だろうし、自分達とは分かち合えないと切り離し敵視することで巷の創作物とかも出来上がっているんだからね。
だがしかし、それも仲間内で話すだけ、自分達の中だけに留めておく、相手も任意であり互いがライバル視し高めあう関係といったものもありシチュエーションによるわけだ。 郷に入って郷に従えというのは学校内での話。学校といったって誰も本校舎生徒はE組を貶していいなんて決まりはない。刷り込みもここまでくると恐ろしいよね。そろそろまた浅野理事長に意見しにいこうかな。話を聞いてもらおう。話が逸れたがつまりね、僕は学校内限定の事柄を外に持ち出したりするのはおかしいといいたいんだ。勿論学校内でならいいというわけではないけど。集団、社会で生きていくにあたって決められた規則に沿い生活するのが普通、大多数だ。して、この場合はどうだろう。君達の理由がもし最初にいったものだったらこれは社会においてそぐわないね。暴力が関わった時点で民事不介入なんて警察の建前は消え去るしもしこれで前原陽人が大怪我をしていたり訴えたりした場合僕たちや君達だけの話ではなくなる。この場面を誰かが見ていたとして通報なんてされたら君達のおかげで学校にも泥を塗るよ。
おかしいな、僕は学校の肩を持つようなことを言いたかったわけではないのに随分と脱線してしまった。これはこれで言いたいことの一部ではあったから無駄ではないはずだけれど、これ以上話が長くなると土屋果穂がいい加減話を理解できなくなりそうだ。
こんなに話が長くなったのは僕の30分かけて直した髪が台無しになったことやクラスメイトが雨に濡れていることや少し先導者の真似事をしてみようと思ったことがあるんだろうけどそれは君達に関係なかったね。
話を戻し簡潔に言えば、自分が他者より優れていると考え行動するのはやめろということだ。
君達が本当に優れているならば伴った立場故の責務があり、相応の責任がかせられる。それにそれくらい考えればわかることなんだから優れているならばまずこんなことをしないよね。
要は、思い上がりも甚だしいね。自分の立場をもう一度よく確認してみたらどうだい?それでも意味がわからず考えを改めないのならば一度じっくりと話をしようか?』

ちなみに瀬尾智也も荒木鉄平も僕との口喧嘩において勝てたことはない。

彼らが言い返す暇なく喋り情報を流し込んだために案の定黙り奥歯を噛み締める。 やはり長すぎてしまった話に土屋果穂はついていけず眉をひそめ瀬尾智也の服を引いた。

女子の手前だからかE組生徒の前だからか、両方か、自尊心だけは人一倍強い瀬尾智也は我に返りいまだ座り込み僕に渡された傘とタオルを持って呆然としている前原陽人を見下すように笑った。

つられて土屋果穂も見下し嘲る。

これが彼らの考えた結果なのだろう

「清水、俺は選ばれてんだ。優れてる人間だぜ。少なくともE組を貶めて笑えるくらいにはな」

僕は聞きながら雨水が滴り目にかかってしまった髪を後ろへあげる。

「嫉妬してつっかかってくるなんて。そんな心が醜い人とは思わなかった。二度と視線も合わせないでね」

二人は荒木鉄平を連れ雨道を歩いていく。

前原陽人はそんな消えていく後ろ姿をどこか悟ったような、諦めに似た表情で見つめコンクリートへと視線を落とした。

『随分放っておいてしまっってすまないね。立てるかい?』

「前原!へーきか!?」

僕が問いかけると同時に杉野友人、潮田渚、岡野ヒナタ、茅野カエデがこちらへ走ってくる。

近寄ってきた四人に僕の手を取り立ち上がろうとしていた前原陽人は気恥ずかしそうに一瞬頬を赤くし、見てたんかい…と呟いた。

立ち上がった前原陽人は見るからに苛立っている杉野友人達と話をしながらタオルを頭に乗せ俯く。

大人びている彼ではあるがそれでも堪えるものがあったのだろう。

目の前で豹変し貶め、自分を正当化してしまう人のあり方。

そしてただ、今の自分が見下される立場にいるだけで自分も下に人がいたら彼らと同じになるかもしれないという恐怖。

「ヒトって皆ああなのかな。相手が弱いと見たら…俺もああいう事しちゃうのかな」

前原陽人の声は少し震えており唇を噛んだようにみえる。それは近くに立っていた僕と彼らの後ろにいる殺せんせーくらいにかわからなかっただろうが言葉の意味に気づいた潮田渚たちは口をつぐんでしまう

少しの間誰も喋らず雨の降り注ぐ音だけが響いていたが、湿気と雨を吸い膨らみ巨大化した殺せんせーに気付き潮田渚と杉野友人は少々オーバーリアクション気味に反応したことで場は一瞬にして騒がしくなる。

殺せんせーは怒っているようだ。

「仕返しです」

「へ?」

殺せんせーの一言に潮田渚は間の抜けた表情を見せ、茅野カエデは首を傾げる。

杉野友人と岡野ヒナタ両者は感づいたようで愉しげに笑んだ。

殺せんせーは教鞭をとるかのように高らかに迷いなく話を続ける。

同じ教師でも浅野理事長とは教えたいことも教えかたも得るものも違う。

「理不尽な屈辱を受けたのです。力無き者は泣き寝入りをする所ですが…君達には力がある。
気付かれず証拠も残さず標的を仕留める暗殺者の力が」

水分を余分に含んでしまった頭を雑巾のように絞った。 ぼたぼたを通り越しばしゃばしゃと一気に栓を開けた水道管のように水が落ちる。

前原陽人は一瞬呆けてから笑い出す。

「…ははっ、何企んでんだよ殺せんせー」

空元気プラス空笑いをする彼に潮田渚たちは笑みを浮かべ殺せんせーも怪しげに笑いながらレインコートのフードを被った。

「屈辱には屈辱を。彼女達をとびっきり恥ずかしい目に遭わせましょう」

不敵に笑うクラスメイト達に前原陽人は顔をひきつらせ僕を見てくる。残念ながら僕も笑うしかないよ

「おっと、清水くん早く傘に入りなさい。風邪を引きますよ!」

折角決まった雰囲気を容易く壊したのはこの空気を作ったシリアルメーカーの殺せんせーである。

すっかり忘れていたが僕は傘をさしていなかった。
通りで服が肌にくっついて気持ち悪いわけだ。少々不快だね

もう一度雨に濡れ目元や肌に張り付いた髪を上げる。

「あ、これわりっ、ありがとな」

前原陽人は茫然としながら僕を見てぼんっと大粒の雨が落ちた音で我に返り傘とタオルを差し出してきた。

『大丈夫だよ前原陽人。君はまだ濡れいるし家まで距離があるんじゃないのか?君の使っていた傘は壊れてしまったようだしそのタオルと傘は使ってくれないかな?そうでもしないと僕の気が収まらない。それに僕の家はここからそんなに遠くないから風邪を引く前に帰れるから殺せんせーもお気になさらないでくださいね』

それではまた明日と手を振り背を向ける。

たまには雨に濡れて帰るのも酔狂ではないか


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