金田一少年


『………?』

冬の宵闇にまぎれて、路地裏に小さく丸まって隠れてるものを見つけたのは、一重に偶然なんかじゃなくて匂いに釣られてきたからだ。

息を押し殺してるそれからは染み付いた血の臭いがして、その強い臭いの中に、いつだかに嗅いだ柔らかい匂いを見つけて近寄りる前に声をかけた。

『たかとおくん?』

「っ」

短く息を吸ったあとに、明確に敵意と殺意を暗闇の中から向けられる。

俺の事忘れて威嚇されてるのかなぁなんて思ってちょっと悲しく思いながら一歩、二歩、近付いていって守備範囲に踏み込まないぎりぎりのところでしゃがみこんだ。

『たかとおくん怪我してるでしょ』

「……………」

『俺んちこっから近いしウチこない?』

「………………」

『え?ちょっとほんとに俺の事忘れてる?』

「………先輩、」

『そうそ、俺はたかとおくんの先輩。ほら、寒いから早くおいでって』

暗闇の中で唯一光を反射する目が俺を見て、しゃがんだままそこで手を差し伸べる。

少し、結構眺めに悩んでるあいだに遠くからサイレンの音が聞こえてきていた。





鍵を差し込んで扉を開けた。

ヒンヤリとした空気は外とあまり温度が変わらないようで、一度身をふるわして靴を脱ぐ。

「……………」

『気にしないで入って』

真っ直ぐ進んで扉をあけて狭くも広くもない俺の部屋に入って暖房をつけて加湿器を入れる。ちょっとずつ暖かくなってきた部屋の中でコートを脱いでソファに座り、隣をとんとんと叩いた。

玄関とリビングを隔てる扉の前で固まってるたかとおくんは眉根を寄せたまま俺を見て、ゆっくりと近寄って1つ2つ分空けて座る。

滅茶苦茶警戒されてるなぁと思いながらソファから腰を上げてキッチンに立った。

『たかとおくんなんか飲む?』

「………いえ、お気になさらず…」

『ココアと紅茶しかないなぁ、あ、ホットミルクもできる』

「………いりません」

『よし、ミルクココアの気分だからミルクココアでいこう』

「………………」

返事もなくなっちゃったなぁと思いながら温めた牛乳にココア粉末を溶かしてマグカップを二つ持って部屋に戻った。

さっきと全く変わらない姿勢のたかとおくんは、差し出したマグカップに目を落としたあとに仕方なしげに受け取る。隣りに座ってミルクココアを飲んで息を吐いた。

たかとおくんはマグカップの中を覗いたままで口をつけそうにない。

『飲まないの?』

「………………」

戸惑いと、疑心、警戒。

じーと見つめてから白んだままのたかとおくんの手に触れた。

肩を跳ねあげて手を払われて、一瞬で視界が回る。後頭部をぶつけながら、がしゃんと硬いものが落ちて散乱する音が響いて、ぼんやりとあのマグカップ気に入ってたんだけどなぁと思った。

『たかとおくん?』

「……」

俺の上に乗って見下ろした目はとても冷たく、首に充てられた尖ったものは震えてた。

「貴方は、一体何がしたいんですか」

『何って?』

「っ、」

きゅぅと切なげに寄せられた眉毛はそれだけでも珍しいのに、動いたことでひどく強く臭いはじめた血の臭いに鼻が痛い。

「私は、人殺しで、犯罪者なんです。わかっていますか?」

『知ってるけど』

テレビのテロップで見た“高遠遙一”の文字で、初めてたかとおくんのフルネームの漢字を認識したのはまだ記憶に新しい。

けどたしか、テレビでは連続殺人犯が捕まったと堂々的に報道されてた気がする。投獄されてるはずなのに、なんでこの子はここにいるんだろう。

「なら、なんで私を招いたんですかっ」

『外寒いし怪我してるし、後輩だからじゃない?』

ぐっと押し当てられてる尖ったものが皮膚を突き破る感覚がして、途端に血の臭いが鼻につく。

「そうやって油断させて、引き渡すつもりですか」

『誰に?』

「…警察に」

『それはないかな』

どれくらい刺さってるのかは定かじゃないけど、たしかに切り裂かれて流れだしてる血は首の後ろに流れて溜まってる。

お気に入りのこのソファは黒色とはいえ、臭いが鼻につくだろうから買い換えるしかない。

『よくわかんないけど、たかとおくんを引き渡すつもりはないかなぁ。もしかしてさっきのココアもそれで飲まなかったの?』

「何が入れられてるか、わかりませんからね」

俺ってそんなに信用ないのかとほんのちょっと肩を落として、たかとおくんの下敷きにされてなかった右手を持ち上げた。

冷たくて鋭い視線、固い表情をつくる頬に指を伸ばして触れる。

じくりと尖ったものが更に深くなった気がして、途端に痛みはじめたことに眉を寄せながら笑った。

『冷えてんね』

「…―触らないでください」

『初めてたかとおくんに触ったや』

「―触らないで」

『たかとおくん』

「触るなっ」

一瞬離れてからぐっと押し込まれた尖ったものは首のギリギリ横に突き立てられたようで痛みはしなかった。

いや、ピリピリするから掠って切れてはいるのかもしれない

苦しそうな顔で息を吸うたかとおくんに左手も伸ばして捕まえる。

『犯罪者とかどーでもいいんじゃん。俺はたかとおくんを見てるんだから』

ふっと軽くなった空気はたかとおくんが威嚇をやめたからなんだろう。

上半身を起こして膝にたかとおくんを乗せたまま向き合う。近くで見たたかとおくんはひどく不安定な表情をしてて迷子の子供みたいだ。

ぺたぺたと頬に触れてねぇと声をかける。

『冷えてるから飲みなって言ったのに、そんなに信用ならない?』

「……………」

無言は肯定か。消えない疑いの臭いに仕方ないから左手を離す。俺のカップは案の定割れて中身が飛び散ってるから、手を伸ばしてたかとおくんに用意した分のココアを取り口に入れる。

ごっくんと飲み干して見せても警戒の臭いを消さないことに苦笑して、もう一口含み、カップを置く。捕まえたままだったたかとおくんの口に、右手の親指を突っ込んだ。広がった瞬間に口で封をする。

見開かれた目と飛んできた右手。持ったままの凶器が視界の端で煌めいたから左手で受け止め、ココアを注ぐ。

舌ごと押さえられてることにか息苦しそうにして暴れようとしてる彼を後ろに押して倒した。

「っ、ふ、…んっ」

ごくんと飲み込んだのを見て口を離す。

押さえつけた右手に握られてたのはアイスピック的なものだったようで、今はソファの上に転がってる。

右手も左手も離してみれば、たかとおくんは真っ赤な顔で俺を見上げてた。

『ね、なんにも入ってないでしょ?』

「…、…っ…知りません」

『次は一人で飲める?』

「……飲み、ません」

逸らされた視線と和らいだ香り。さっきまで凶器を握ってた右手が俺の袖を掴んでることに、そっかと頷いてからココアをまた口に入れて彼の口に流し込んだ。




「っ、はぁ」

最後の一口が喉を通ったのを見て口を離せば息が吐き出されて、マグカップを置いた。

マグカップ一杯分を飲み切る頃には抵抗もしないで俺を見上げるだけになってしまったたかとおくんはくてりとソファに寝転がってる。

『んーと、よく出来ました?』

褒めるように頭を撫でれば視線がゆるゆると俺に向けられて、逸らされた。

先端に俺の血がついたアイスピック的なやつを拾ってテーブルに転がし、たかとおくんの腹に手を伸ばす。

ぴくりと四肢が強張って俺を見た。

『怪我してるでしょ、血の臭い凄いよ』

「………―放っておいてください」

『臭いが凄いからだぁめ』

これ以上傷口が開いたら元も子もないから動かないでと釘を差してから立ち上がると、くいっと服が引かれる。視線の先には俺の左袖を掴んだまま不安そうな顔をしてるたかとおくんがいた。

『すぐ戻ってくるから、待ってて』

「………………」

力を抜かれて離された袖に、よしよしと頭をまた撫でてテレビの近くにある棚から箱を取り戻る。

さっきと同じくソファに座っていい子だったね頭を撫でれば今度はぷいっとそっぽ向かれた。

『ちょっと服捲くるよ』

否定される前にぐいっと裾を押し上げれば何かで切られたのか、掠ったのか、せっかく閉じてただろうに開いたっぽく血を流す横っ腹が目についた。

『こういうのってあんま詳しくないんだけど、消毒液とかっていけないんだっけ?』

「…傷口を綺麗にして、空気に触れないよう密閉するんです」

なるほどねと頷いて、こんなこともあろうかとテーブルに置いておいた水とタオルを持ち上げる。

キャップを捻ってだぼだぼと傷口に水を掛ければ冷たさにか喉の奥で唸って眉根を寄せた。

「…へや、よごれます、よ」

『気にしないで。そんで綺麗にしたら密閉だったよな』

タオルで傷口の周りを拭いて、じっくり傷を眺める。

ゴミも特になさそうだし、大丈夫かなと頷いて、絆創膏とテーピングを取り出した。

『腰あげるか、起き上がるかできる?』

伸びてきた手が俺の服を引いて上半身が起こされる。

痛みを堪えるためもあるのか裾を噛んでて下を向いてるたかとおくんと視線は合わず、大きめの傷口を隠すように密封型の絆創膏を何枚もずらして重ねばり、その上からテーピングを巻きつける。

素人の下手くそなテーピングを施した腹部は大変痛々しく、終わった途端にシャツをおろしたたかとおくんは俺の肩口に額を押し当てた。

『どうした…って、熱出てる?』

はぁ、と荒く吐き出されてる息に眉をひそめる。

「…………気に、しないでください…」

いつだかに、大きな傷があると熱を出すって聞いたことがあるけど、まさかこれはそれなのだろうか。

けどまだ治療は終わってなくて、仕方なしに彼を押し倒してソファに寝かせた。

一度離れて浴室から大判のタオルを持ち寄り彼にかける。

『太ももの方も見るから、ちょっと大人しくしててよ』

すでに熱にうなされてるのか、聞こえてるのかも怪しい彼はなにか呟きながら目を閉じてる。呪詛を吐かれてたのなら傷ついちゃうなぁと思いながら彼のベルトに手を伸ばしてスラックスを下ろした。

内腿と外腿を掠めるように切った傷口に水を同じように掛けて周りをタオルで拭きあげて絆創膏を貼りテーピングを終える。

ぐったりとした彼に服を引っ張り出してきて俺ので悪いけどと思いながらも着替えさせ、隣の部屋に運んだ。




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