ヒロアカ 第一部


入学二日目。さっそく始まった授業に多少長引くのは予定調和とはいえ、流石に返信無しで一時間余りは心に来るものがある。

通用門に続く広い通り。通路と花壇を区切るための塀に腰掛けて携帯をいじる。

勝己の既読無視は今に始まったことではないけど、そもそも既読すらつかないのは珍しい。

授業があまりに長引いているのか、ヒーロー基礎学とやらはそんなにすごい授業なんだろうか。講評とかあって時間かかってるのか。

「あれ、まだいたんだ」

『ん?』

不意に聞こえた声に顔を上げる。昼間と全く変わらずくまがある彼は制服に鞄と完璧な下校ルックで、携帯をおろした。

『待ち合わせしてんの』

「ああ、弟?」

『そ』

「まだ来ないんだ?」

『連絡つかないから授業すら終わってないのかもねー』

今日の授業、担当は誰なんだろう。きっと誰であってもヒーローマニアな出久は大興奮だし将来のための勉強に手を抜いたりするわけがない。

それでも事前の連絡、一つくらいはほしいものだけどと息を吐いて、どうしてか帰る様子のない彼を眺める。

『人使はなんでこんな時間までいんの?』

「ちょっと用があったから。………なんで名前?」

『なんとなく。嫌なら名字で呼ぶけどどっちがいい?』

「………名前でいい。出留って俺も呼ぶ予定だし」

『おっけー』

手の中で揺れた携帯に目を落とす。返信はまさかの勝己から。短文すぎるそれに目を瞬いてから腰を上げた。

「連絡ついたのか」

『うん。よくわからんけど終わったっぽい』

「ふーん」

鞄を持ち直した彼に手を振って別れを告げて、オレンジ色に照らされてる舗装された通路を歩く。通用門の、ちょっと外れたそこ。地味にひと目につきにくいそこに足を進めて止まった。

指定してきたのに誰もいなくて壁に背を預けようとすれば、背中に衝撃が走る。

いつぞやにもあったそれに、そういえばあれも春だったなとかだいぶ昔のことにも思える記憶が過った。

すんすんと鼻のすする音が聞こえてきて、よくわからないけど泣いてるらしい勝己に目を瞬きながら手を伸ばす。腹に回った震えてる手をとんとんと叩いてあげれば力が緩まってだらりと腕が落ちた。

背中にくっついていた熱が離れたから足を引いて、向き合う。

俯いている勝己に旋毛しか目に入らず、仕方無しに髪をなでながら膝を折って屈んだ。

『勝己、どうした?』

「、なんも、ねぇ」

『そうなんだ』

ぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣いてるのに何もないってことはないだろう。

これはまた、未だ連絡のつかない出久絡みかなと思いつつこぼれていく涙を掬い上げる。

『今日の五、六限ヒーロー基礎学じゃなかった?』

「…デクか」

『出久がむっちゃわくわくしてたから。楽しくなかったの?』

「………授業に楽しいもクソもねぇよ」

覇気のない声はあまり聞いたことがない。珍しいその様子によしよしと頭をなでて、短く揺れた携帯電話に目を落とす。

出久からの勝己といるかどうかなんていう要件だけの慌ただしいメッセージにこれまた珍しいと目を瞬いて是を返した。すぐさまそのまま勝己を捕まえといてなんていう返信が来て、こぼれでた涙を拭う。

『勝己、出久が話したいって』

「俺はねぇ」

『だろーな。まぁでもせっかくだから出久のお話聞いてあげてよ』

ね?と顔を覗き込み目を合わせる。涙で滲んだ赤色は俺を見据えると眉根を寄せて、ブレザーの裾で顔を擦った。

「今回だけだ」

『ん、ありがと』

涙を押し込んで鼻を鳴らした勝己はここで待ってろなんて言付けて舗装された道路に戻る。ちょうど駆けるような足音が近づいてきて、出久の声が響いた。

「かっちゃん!!」

「あ…?」

何を話してるのかまでは聞こえないけれど会話というよりは出久が一方的に語りかけているような、そんな雰囲気。不意に勝己が憤り混じりで吠える。こっちの方まで空気が震えた。

「こっからだ!」

思わず覗き見るように身を乗り出せば珍しく出久の前で泣いてるらしい勝己がいて、出久が真剣な顔をしてる。

「俺は誰にも負けねぇ!!」

「、うん」

涙をぬぐって踵を返した勝己。迎え入れようかと腰を上げようとして凄まじい足音と共に砂埃が舞い上がって近づいてきた。

「爆豪少年んんん!!!」

ぴょこっとした金髪の頭頂部。特徴的なそれは出久と一緒に見たモノだった。

一人画風の違って見えるそれはオールマイトであり、オールマイトは勝己の肩を掴むとあやすように声を張った。

「爆豪少年!君はヒーローになれる!!」

「………いいから離せや」

「あ、うん」

折角いい感じに励まそうとしてくれてたのに拒否をした勝己はまた歩き始めて、オールマイトは戸惑いを隠せず眉尻を下げたまま肩を落とした。

「先生難しい…」

「出留」

鼻をすすった勝己に呼ばれたら仕方ない。立ち上がって通路に戻り、こちらを見ていた出久に手を振る。なんか思った以上にぼろぼろな出久の風体に触れたくて仕方なかったけど勝己に腕を取られて校門を出た。

ずるずると引かれて200mくらい歩いたところで手が離される。服が掴まれたから視線を落とした後に表情を作り直す。

『勝己、勝己。出久むっちゃ痛そうなんだけどどういうこと?』

「治癒してもらってんだから平気だろ」

『治っても痛いのに代わりはないよ。出久右腕吊ってたし、今日風呂も飯食べるのも大変そう…』

「どうせお前がやんだろ」

『もちろん!』

「即答すんな、気持ちワリィ」

眉根を寄せた勝己に笑顔を返してもう一度頷いた。

『勝己にもやったげよか?』

「、」

人を殺しそうなくらい鋭い目つきで突き刺されて手を伸ばし髪を撫でる。強めに撫でればぐらぐらと頭が揺れて怒られる前に止めた。

『次の休みなー』

「…………」

目が逸らされて服が引かれる。足を進めるから俺も同じように歩き始めて帰路につく。電車に乗って最寄り駅一つ前で降りた。

昔からよく来るお店に自然と足を運んでいて、財布からポイントカードとチケットを出す。

チョコミントと抹茶がメインのフレーバーを注文して、出来上がったものをワッフルコーンに乗せてもらう。

「……ありがと」

『ん、どーいたしまして』

勝己がどうしようもなく落ち込んでたり、俺が甘やかしたいときにだけ来るここは有名なアイスのチェーン店で、適当に二つ頼んだそれを分け合うこともあれば、気に入ったら全部食べきることもある。

自由なこれは昔から校則で禁止されてる買い食いだ。

「バレたら内申に響くっつってんだろ」

『バレなけりゃ犯罪じゃないんだって』

「てめーのそういうところ、ほんとデクと正反対だよなぁ」

チョコミントを掬って口に運んだ勝己はそのままスプーンを俺の持つ抹茶に刺して掬って食べる。

両方咀嚼して、チョコミントを再度食べることにしたらしい。俺もチョコミントを食べたあとに抹茶を食べ、また掬った。

『てか雄英も買い食い禁止だっけ?』

「知らね」

『今度調べとくわ』

「ん」

バリバリとコーンに歯を立てて噛み砕く。勝己も同じようにコーンを砕いて、ある程度まで減ったから歩き出す。

この店から家までは大体20分。食後の運動には丁度いい距離をゆっくり並んで歩いて、コーンが無くなれば勝己はまた俺の服を握った。

授業で何があったのかは知らないけど今日の勝己は大分元気がない。

『そんな嫌なことあったんだ?』

「……やなことはねぇ」

『へー』

「…………腹立つことがあっただけだ」

『そっか』

むっとしてる勝己はそれ以上言葉を吐くことはなかった。





「いいいいいい出久!??」

夕飯の仕上げをしていれば母さんの泣き交じりの叫び声が聞こえた。少し後に慌てる出久の声がして、ちょうど温まった煮物の火を止める。今度はフライパンを火にかけて、割りほぐした卵を流し入れた。

「出久何その怪我!!」

「あ、うん、ちょっと授業で失敗しちゃって…」

卵を巻いて、残りの卵液を流し込み火にかける。廊下からこちらに近づいてきている足音と声はリビングに入ってきて、右腕を吊った出久と半泣きの母さんが見えた。

「に、兄ちゃん」

『おかえり。荷物だけ置いてきちゃいな。ご飯できるよ』

「うん」

ほっとしたみたいに表情を緩めて軽い足音が離れていく。代わりに眉根の寄った母さんが俺の隣に立った。

「出留知ってたの?!」

『んー、深くは聞いてないけど…。後でお風呂入りながら聞いてみる』

「…出留、」

『うん、俺もあまり危ないことはしてほしくないけどさ。でも、母さんが作ってくれたご飯が冷めちゃうから先にご飯にしよ』

火を止めて出来上がった卵焼きを用意しておいた皿に移す。包丁で六等分にしたところで足音が帰ってきて出久が顔を覗かせた。

「兄ちゃん」

『運ぶだけだから座ってろー』

「う、うん」

『母さん、ご飯お願い』

「………そう、ね」

深皿に煮物。出来たての卵焼き。ちょうど焼き上がった魚も移して、用意してある肉野菜炒めと共にテーブルに運ぶ。母さんが俺達の茶碗にいつもと同じように米をよそって、全員席についた。

『いただきます』

「い、いただきます」

「……いただきます」

ぎこちない挨拶を交し、箸を見て今更思い出したみたいな顔をした出久に笑いながら肉野菜炒めを摘んで運ぶ。

『あーん』

「あー」

迷い無く口を開くから可愛くて、ご飯も一口分入れた。もぐもぐと咀嚼をして飲みこんだ出久に次は半分にした卵焼きを運んで、頬を緩める。

『おいしい?』

「うん!」

『そっか〜』

「…………はぁ」

大きく頷いた出久に俺も笑えば、母さんは諦めたように息を吐いて同じようにご飯を口に運んだ。





「に、兄ちゃん」

皿を洗いきって水切りに置いたところで声がかけられる。恐る恐る呼ばれた名前に顔を上げれば出久が視線を迷わせているところで時計を見ればだいぶ遅い時間だった。

『風呂入るか』

「…、うん」

母さんはまだ父さんと電話してるらしく、抜けるなら今がちょうどいい。

手を拭いて風呂場に向かう。服を脱いでいつも通り洗い物のかごにいれる。もぞもぞと動く出久に手を伸ばして同じように服を脱がせて洗い物をまとめていけば吊られてる右腕の中身が見えて眉根を寄せた。

『これ濡らして平気なの?』

「駄目ってリカバリーガールが…」

『じゃビニール袋かなんか巻いたほうがいいな』

脱衣所を出てキッチンに戻る。大きめのビニール袋を二、三枚割いてから出久の元に戻ってぐるぐると巻きつけていく。最後に余った部分を結んで顔を上げた。

『痛くない?』

「痛くないよ!」

『ん』

大きく頷いた出久が可愛いなぁと思いながら浴室に足を進める。さっそくシャワーを出して、腕を濡らさないように気をつけながらいつもよりも丁寧に髪も体もを洗って流す。

『出久浸かる?』

「うん」

考える間もなく是を返されたからいつも通り湯船に入って同じように入ってきた出久を抱える。腕の中の出久は何かを整理するように口の中で呟いていて、まとまったのか息を吸った。

「兄ちゃん」

『んー?』

「あのね、兄ちゃんに言っとかないといけないことがあって」

『なーにー』

「ぼ、僕ね、今、個性が使えて」

『おー、勝己が言ってたわー』

「あ、だ、だよね。かっちゃんから聞いたよね…」

緊張が解けたみたいに強張ってた肩から力が抜ける。少し落ちた肩にお湯をかけて息を吐く。

『勝己むっちゃびっくりしてたし、かく言う俺も現在進行形ですんごいビビってる』

「……ごめんね、言わなくて」

『別にいーよ。……それで、話の続きは?』

「あのね、僕、まだ個性がうまく使えなくて、だから体を壊しちゃって、それで今日もちゃんと制御できなくてこうなってて…」

『それで体を鍛えまくってんのね。力の制御を覚えんのも大変そうじゃん』

「………やっぱり気づいてた?」

『そりゃ急にムキムキになれば気づくっしょ』

すっかりがちがちの8つに割れた腹を擦ってみると擽ったかったらしい出久が笑って悶える。狭い浴槽で暴れるからお湯が波打って、母さんに怒られる前に手を止めた。

『出久』

「なぁに、兄ちゃん」

大分明るくなった声にまた息を吐いて、すっかり逞しくなってしまった肩の上に顎を乗せる。

『……出久がヒーロー目指してるのは知ってるし、応援もしてるけど…大きすぎる怪我はいただけない』

「、」

『そりゃあヒーローになれば怪我もするだろうけど、今のは出久の怪我は見てるこっちの心臓に悪い。母さんもすごい心配してて先に倒れちゃいそうだ。だから後遺症が残っちゃうような、こういう怪我はあまりしないでね?』

「…………がんばる」

『ん、よろしい』

心許ないながらも返ってきた言葉に笑って、体を起こし目を閉じる。

一番可愛い出久がぼろぼろな姿は大変心臓に悪い。俺だってそう思うんだから母さんからすればもう心臓が止まるレベルのショックのはずだ。

心配症で涙もろくて、子供のことを大切にしている母さんにとって出久は宝で、母さんからすればヒーローなんて危険な仕事ではなくもっと安全なことをして幸せな家庭を築いてほしいのが本音だろう。

それでも止めさせないのは出久の夢が昔から変わらずようやく現実になろうとしているからで母さんが止めないのであれば俺が止めるわけにいかない。

出久はまた考えるような間を置いてから口篭もらせて、背中を預けてきた。

「ごめんね、兄ちゃん」

『いーよ』

「お風呂出たら母さんにも謝ってくる」

『むっちゃ心配してっからね』

「……うん」

落ち込んでるのか再び覇気のない声に戻ってしまったから手のひらでお湯を掬って肩にかけてあげる。

『そういえば出久の個性ってどんななの?』

「あ、えっと僕の個性はパワー増強型で…」

『へ~。じゃあ力がすごいのか』

「うん。握力、腕力もそうだけど、たぶん僕が使いこなせてないだけで全身の筋力とか上手に使えば高速移動みたいなことも可能だと思う」

『万能だなぁ』

気持ちが戻ったのか嬉々として話し始めた出久にうんうんと頷いて、時折肩にお湯をかける。出久の語る個性にはひどい既視感を覚えるけれど口をつぐむ。

出久が無個性でなくなったのなら、俺は今後どうしようか

“「いつか僕もオールマイトみたいに笑顔でみんなを助けるんだ!」”

嬉々として語る出久が昔とだぶって、目をつむった。



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