あんスタ



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閑静な住宅街でもなければ、緑の広がる草原でもない。ビルが建ち並びコンクリートで舗装され、車と人が行き交うそんな都心部でそれを見つけたのはたまたまだった。

ぐったりとして物陰に座り込んでた水色に人は訝しんだり目を逸らしたりと基本は触れていかなかったようで、見てられず声をかける。

『なにを…なさってるんですか?』

「ん~…?ぁ、こんにちは~」

『……こんにちは…あの、大丈夫ですか?』

ゆるい動作で顔を上げたその人はどうにも血色が悪くて、手を伸ばせば普段は水に入っているから濡れていたり冷たい肌が乾燥して熱くなってた。

「おみずをくれませんか?」

『少し待っていてくださいね』

携帯を取り出して、近くのプールか海を調べる。そもそも、お盆を過ぎてるから海は避けたほうが無難かと近くにあるらしいプールに目をつけた。

「ひからびちゃいます…」

『プールあるみたいですよ』

「………いきましょう!」

顔色は悪いものの、目を輝かせて少しばかり口角を上げる。

早く早くなんて気持ちばかり急いてるらしいが、日差しに体力を奪われきっていたその人がここからとてもプールまで歩いていけるようにも見えない。

仕方なしにタクシーを呼んで乗り込めばおとなしく俺の肩に寄りかかって目を瞑ってた。

車で20分。遠くはないはずだけど信号や道、渋滞の関係で案外時間を食った。しかしながら無事ついたそこは都心から少し離れている分騒がしくない程度客がいるだけらしいプールみたいだ。

プール、お水と譫言のように繰り返してる様子に苦笑して、まずはすぐ目の前の店で水着を買う。着のみのまま飛び込めば最後追い出されかねない。

水を前にしてお預けを食らった子犬のような目で見上げてくるその人を更衣室に押し込んで、俺も服を脱ぐ。長期休暇が終わり、明日からは学校とはいえまだ暑い。シャツが少し汗で湿っていてはたいてからしまった。

『着替え終わりましたか?』

「もうちょっとです~」

カーテン越し聞こえてきた声は弾んでいて、布を叩くような音のあとにカーテンが開いた。

「さぁ、いきましょう!」

『その前に脱いだ服を預けましょう』

海パンと元から着ていた半袖パーカー。余ったシャツとジーンズを奪って俺の服と一緒にロッカーに突っ込んだ。

硬貨を入れて鍵を回し抜き取る。無くしたら困るから取り敢えず手首に付ければ上着が引かれた。

「もういいですか?」

首を傾げられる。柔い雰囲気のわりに顔色は相変わらず悪く、苦笑いを浮かべて頷けば手を引かれてプルーサイドに向かった。

室内から太陽に晒される。かなり強い日照りに日焼け止めを塗っていないなぁなんて今更後悔を覚えた。

俺よりも色が白いこの人は気にしていないのか、パーカーを脱いできょろきょろしてるから受け取ればプールサイドに腰を下ろす。まずは足を水につけてから上半身まで中に入った。

「ふふ、つめたいですね…『きもちいい』です♪」

目を細めて手のひらで水を掬う。太陽光で煌めく水と同じくらい柔らかな色の淡い色の髪。噴水で見るのとは少し違う表情に目をそらして、近くにあったパラソルの影の下、テーブルに付属してる椅子の背にパーカーをかけた。

『…そうですか。浮き輪はいりますか?』

「あるんですか…!?」

『はい。少し待っていてくださいね』

「わかりました~♪」

さっき一緒に買っておいたビニールバックに入ったぺったんこの浮き輪を持って監視塔の方に向かう。予想通り空気入れがあって、空気穴にノズルをさし込んでスイッチを入れる。あっという間に膨らんだ浮き輪に一度手を止めて柔らかさを確認する。たぶんこんなもんだろうと栓をした。

借りた空気入れを元に戻して膨らませた浮き輪を片手に戻る。本当にプールサイド寄り、水の中で大人しく待っていたその人はキラキラとした目で俺を見上げる。

「うきわ…!」

『お待たせしました。どうぞ』

「ありがとうございます!」

しゃがみこんで水面に浮き輪を浮かべようとすれば両腕を上げるから被せた。浮き輪を挟むように腕をおろして目を瞑る。頬に水で張り付いた髪がくっついているけど気にならないのかしばらく瞑想していたと思うとゆるく微笑んで瞼を上げた。

「ぷかぷか…♪」

体力は戻ったのか、随分と上機嫌で水をバシャバシャ叩いてる様子は小さな子供みたいだ。

『元気になったみたいでよかったです』

「はい♪」

すっかりもとに戻った顔色と声。浮かべられた笑顔をしばらく眺めていたけどだんだん肌がヒリヒリしてきたから一度パラソルの下に入った。

影の中で椅子に座り頬を擦る。すでに熱を持ち始めてる肌に息を吐いてしまう。帰ったら冷やさないと仕事にも支障をきたすだろう。とはいえ今更日焼け止めを買ってくるのも面倒で、頬づえをついて浮き輪に捕まり水に流されてるその人を眺めた。

よく知らないけど公共のプールというのは休憩時間があるらしい。二時間に一回、十分間の休憩タイムに入り仕方なさげに水から出てきたその人はぼたぼたと水を滴らせていて向かいに座った。

「ちょっとえんそのにおいが『きになります』が、ぷーるは『はじめて』なのでとても『たのしい』です♪」

用意しておいた飲み物のキャップを開けてストローをさして渡す。つい二、三時間前の死人みたいな表情とは似ても似つかない。

飲み終わったボトルにキャップをつける。

『僕も仕事と授業以外で入るプールは初めてですよ』

「……ふふ、『きみ』の『はじめて』にたちあえましたね♪」

『…そうですね』

なんて答えるのが最適だったのかわからないから頷いておく。

気にしていないのか笑顔を崩さないで声を弾ませてた。

「まいにちでもぷかぷかしたいです♪」

『それは塩素の匂いが染みつきそうです』

談笑というほど言葉数は多くないけど、疲れないくらい会話をしていれば監視員が笛を吹いて休憩終了を告げる。

「いってきます!」

『いってらっしゃい。適度に水分補給しに戻ってきてくださいね』

「わかってますよ~♪」

浮き輪を持って立ち上がると足取り軽く早歩きをして水に入った。

いそいそと浮き輪の上に上半身をのせ、少しばかり身じろいだあとに落ち着いて流れに乗る。

きらきらと太陽が反射して光る水面。それだけ日差しがあれば暑いはずなのにそんな素振りもない。日焼けが気にならないのか、あまり日焼けしない体質なのか、後者なら少し羨ましい。

「…あ、…くあ…?―はくあ~?」

聞こえてきた声は遠い。眺めてるうちにうたた寝してしまってたようで、いつの間にか閉じていた目を開ける。声の主はいつのまにかプールサイドに近づいてきてたらしい。浮き輪をプールサイドに上げて単身で水に入ってるその人は俺を見上げてた。

ちょいちょいと手招きをされ仕方なしに椅子から立って近寄ればしゃがみこむように指示される。水の中で上機嫌なその人に断る理由も特にないだろうとしゃがめば手を握られた。

水温により体温が下がった手。かなりひんやりとしていてそろそろ休憩させるべきなのかもしれない。

「『いっしょに』あそびましょう♪」

『え、』

掴まれた手を引っ張られて、次には目の前に水面が迫り、気づけば水の中に落ちてた。眠気も吹き飛ぶ奇行。気泡がのぼっていくのに合わせて水から顔を出す。頭まで水びだしになった俺を見てその人は少し離れたところでとても嬉しそうに笑ってた。

『はぁ…驚くじゃないですか…』

「せっかく『ふたり』いるんですから『いっしょに』ぷかぷかしましょう?」

悪びれない様子にもう一度息を吐いて、手首につけていたゴムで髪を結う。

『今日だけですよ』

「ふふ♪」

目を合わせればライムグリーンの瞳を隠すように笑って俺の手を取った。

「なにをしましょうか?」

『あいにくあまりプールは来たことがないので…競泳でもしますか?』

人の少ないプールだし端っこなら多分邪魔にならないだろう。特になにも思いつかないからだした提案に目が丸くしてから唇を尖らせた。

「そうしたらきみの『ひとりがち』です」

言葉の意味をはかりかねて瞬きを繰り返す。さっきから波に流されていたことと浮き輪に捕まっていたことを加味してああなんて一つの結論にたどり着いた。

『泳げないんですね』

「はい。『ざんねん』なことに」

不貞腐れてるのか頬を膨らませたその人は普段よりも喜怒哀楽がはっきり現れてる。

機嫌を損ねてしまったからなんとなく、濡れて張り付いてる彼の髪を撫でてから放置されてる浮き輪を被せた。

不思議そうな顔を見せるから笑う。

『流されてるだけじゃつまらないでしょう?僕が引っ張りますよ』

「…ほんとうですか?」

期待混じりの輝いた目にこんなところで嘘をついても仕方ないでしょうと笑う。明るくなった顔色。頬を緩ませてどこに行きましょうかと問えば白い手が伸びて方角をさした。
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