あんスタ


「朔間さん、一緒に見にいかない?」

差し出されたニ枚のチケット。一枚受け取って眺めると黒地の硬めの紙には日付と時間、場所だけが書いてある。肝心の主演が書いてないそれに首を傾げた。

「ほう?どこのユニットじゃ?」

「さぁ?」

持ってきた張本人さえ知らないのはどうやら貰い物だかららしい。

「奏汰くんにもクラスメイトにも断られちゃってさ」

「…我輩は消去法か」

「うーん、そういうわけじゃないよ。ただ朔間さんってあまりこういうの見にいかないから興味ないかなって」

「ついに薫くんにまで反抗期がきてしまったのかのぅ」

泣き真似をしてやれは薫くんは楽しそうに笑う。

「それじゃあ一緒に行ってくれる?」

「うむ、この時間であれば我輩も活動できる。任せておけ」

そんな話をしたのはチケットものらしきものに書かれた日付の2日前で、前日に会った薫くんいわく、このチケットは“puppeteeer”と呼ばれるユニットの単独ライブらしい。(このeは誤植ではないとのこと)

どこかで聞いたことのある名前のそれは、いつだかにUNDEADを真似ているユニットがあるとファンから聞いたグループで、そこまで思い出したところで靄がかかった。

何か、記憶に引っ掛かっている。

「偵察って楽しそうだね」

不意に聞こえてきた薫くんの弾んだ声に記憶を引っ張りだすのをやめた。



日が傾きはじめた頃。ライブの開始は五時オープンの六時スタートらしく、我輩が日差しが弱まってからではないと動けないのを考慮して四時頃についた。

すでにファンらしき女子がそこらかしこにいて、街なかにあるためか入場待ちはしていないようだ。ただ、誰もがユニットのイメージカラーらしい黒系の服に身を包んでいて、髪飾りやマニキュアなどで色をさしてる。

「たしかにファン層はアンデに似てるかも」

事前に聞いていた情報と照らし合わせてる薫くんが周りを見て零した。




入った会場は狭いというほどではないけど人が詰められるとちょっと息苦しく酔いそうになる。薄暗い室内で先ほどとは違い女の子たちはみんなして輝かすなんて生易しい物じゃない、目をギラギラさせてた。

「今日のきーちゃんどこ歌うんだろぉ」

「シアン様のビンタ見れるかしら…」

中でもの早口だったり、うっとりしてたり、呟いていたりするファンはなかなかに不気味だ。

ざわつく会場内はまだ始まらないことを指し示していて、朔間さんに目を向ける。夜なこととそこそこ空調が効いてる室内のおかげか元気そうな朔間さんは場内を珍しそうに見渡してた。

「やっぱり人のライブにくるとちょっとそわそわするよね」

「そうじゃのう…しかし、まぁどの子も目が本気でちっとばかし恐怖を覚える」

「ああ、だね」

会話の切れ目、ふと、甘い匂いが立ち込める。人工物らしい甘ったるい匂いは不快感は覚えないものの、通常は嗅ぐことのない匂いで隣の朔間さんを見やろうとしたところで電灯が落ちた。

「え?」

驚きに声を出してしまった俺とは対照に、さっきまでざわついていた会場内は静まりかえっている。

時計を見るのもこの暗闇じゃかなわず、呆然としてるとキーンとハウリングが響きわたって眉根をしかめてしまった。

実際は2秒にも満たなかったであろう音は耳の奥に残っていて、そこにかつんかつんと硬い靴底が床を叩きつける音がする。

「さぁ」

「ほら」

「ねぇ」

同時に投げかけられた言葉とともにぱっとスポットライトがついてステージを照らしだした。

「きゃぁぁぁ!!!」

割れんばかりの歓声。咄嗟に耳を覆うも意味がない。

暗闇の最中にステージに立ったであろう三人組はどれも耳のついたフードを目深に被っていて、ざっと見ると袖やズボンの丈、靴が少しずつ違うようだった。

黒を基調としたダボッとしたシルエット。飾り気は少なめだけど腰の位置で留められたベルトや足の形が出るブーツ。メリハリのついた衣装はしっかりと体の細さが出てる。

「……あれ?」

顔を上げて笑った三人にどこか見覚えがある気がして、隣の朔間さんを見れば目を見張っていた。

理由は思い当たらないけど、ステージに目を戻してなんとなく眺めてるとふと、制服を着て微笑んでる表情がぶれる。

どこで、見たんだっけと頭を悩ませて、たまたまわんちゃんをからかう過程で寄った二年のクラスでだと思い出した。

「あ、あれってわんちゃんのクラスの…紅紫くん?」

真ん中に立っていた紅紫くんはすっと小さく息を吸って笑った。

『“それは恋と言う名の暗示”』

何かの合図のように歌われた台詞にファンはまた絶叫して、ピンクと白のスポットライトが乱反射を始める。独特のテンポの音楽が流れはじめ、それに合わせ歌いながらステップを踏み持ちネタなのかファンも合いの手を入れた。

真ん中の紅紫くんが腰の位置を叩きながら前にステップを一小節分踏んで、次に右隣にいた子が同じように動く。最後に左隣の子もステップを踏んだところで少し音が変わって、三人同時に歌いながら踊りはじめた。

寸分違わない手の払い方まで揃ったダンスを四小節分踊ったところで形態を変えて横並びになる。真ん中は少し背の高めな子になった。

インカム派らしいこのユニットは自由な両手を使い踊りながら吐息混じりに歌う。生歌の、しかもライブハウスで聞いているのにもかかわらず直接耳に吹き込まれるような歌声に体が震えた。

大体二小節。細かくパートが分かれてるのかコロコロ変わる歌声と激してのダンス中でも行われる正確な場所移動は魅入るものがあって、ちょっと目がそらせない。

ファンサの一環なのだろう。振りの最中で小さめな子が中心に来た真後ろに回った紅紫くんは首に腕を回して首筋に口を近づけたかと思うと挑発的にファンに笑いかけた。

その瞬間に一部で湧いた歓声に彼らは踊りも歌も、止めることなく続ける。

高めの歌声の小さな子と低めの歌声の背が高い子。間を取ったような紅紫くんの声がサビになって重なる。しっかり音階も分かれているのであろうそれは綺麗なハーモニーを生み出していて息を詰めてしまう。

変調の多いらしいこの曲は初めて聴くとノるよりも先に聞き入ってしまって仕方ない。

『「それは恋と言う名の暗示
脳内荒し回る甘いビート
oh let me 簡単さ
get your luv i understand
君に見せるこの美show」』

発音の良さにちょっとばかし嫉妬を覚えてしまうのは流暢なのに聞き取りやすかったからだろう。

サビしか一緒に歌わないのか、すぐにまた一人ずつ分かれた歌声は次には変調して若干ラップ調になった。

「よそ見しないで look at me」

「口にしてみて勇敢に 」

ぼけっと見つめてると一人ずつ振りが違って、あざとくウインクして自分を指したり、見下すように笑う。

『頻繁に burnin'! and going down
永遠の向こうで shall we dance?』

紅紫くんは笑顔で唇を指先でなぞった。

『「単純な細胞が生み出す your 乱
向かい合わせ二人のSHOW
二人きり君との勝負」』

二回のスタッカート。その次には今までピンクと白だったスポットライトが黄色と青とピンクに代わり、くるりと場所を移動した背の高い子が真ん中にきた。

「遊ばせた視線はマーダー 雲の中みたい you wonder
感じられるのは凄い殺気 you feel it 脅威 」

「此処では狭すぎるから 何処かへ行こうか 今から
はみだすカンジョウの色 『君が当ててみろ』」

音ハメが多いのはかわらないけど、明らかにさっきとは違う曲に隣の女子が奇声を発する。

「うそうそうそシアン様スタート?!」

「生!生で初めて見る!!」

「きーちゃんされる側だ!?」

この曲もやっぱり有名なのか、すでにこの先のことについて騒ぐ女の子たち。

フロアダンスの混じった動きは腰のしなやかさや細さの目立つ動きが多い。艶めかしいそれは同性から見ても中々にエロい。

声を合わせてサビを歌ったかと思うと紅紫くんが袖にはけて、背の高い子…ファンいわくシアンくん?がしゃがみ、きーちゃんとやらが立って踊る。ただし歌っているのはシアンくんらしく、タイミング的にパートが変わるであろう最終小節で立ち上がったシアンくんは喜々とした表情で手を振り払った。

「うわぁ、」

きっちりと二発、きーちゃん?の頬にヒットした手のひらに声が漏れた。隣の朔間さんも同じなのか似た声が出てる。

「なかなかに過激だね…」

うちの過激とは違う方向性。周りは感嘆やら歓声を上げる。叩かれた子は不機嫌そうに頬を膨らませ、場所を入れ替わる際紅紫くんに頭を撫でられてた。

歌い終わり最後まで踊ったところで曲が止まる。さっきまでの興奮はどこへやら、一気に静まった会場内に紅紫くんは真ん中に立ってふわりと笑った。

『いいこだね。』

「はぅっ」

あたりかしこから変な声が聞こえたのは気のせいと思いたい。

紅紫くんが褒めたことでファンの子たちは言葉を出すことを許されたように口々に名前を呼ぶ。

紅紫くん、シアン様、きーちゃん。

統一性がないそれに紅紫くんはただ笑み、シアンくんはちらりと視線を向け、きーちゃん…利便上きーくんは手を振った。

二十秒にも満たないそれにぱんっと手を打って空気を変えたのは笑顔のきーくんだ。

「はい!」

「きはだうるさい。声でかい」

元気のいい声にむっとしたシアンくんは文句を言って、最後の一人の名前がようやくわかった。

怒られたことを気にもしてないのか、真ん中に立ったきはだくんは花のように笑う。

「だれが一番かわいい?」

「「きーちゃん!!きゃぁぁぁ!!」」

お決まりのコールだったらしいそれは、合図のようで曲がかかり始めた。

可愛らしいような暗い歌詞はコールしたきはだくんが主体で、明るく終わる。

今度はコールもなしに始まった曲はシアンくんのものらしく、暗い歌詞と曲調で、しんみりした周りは中には泣いてる子もいた。

とんっと肩を叩かれたきはだくんとシアンくんは表情を笑顔で破綻させる。二人の頭をなでてた紅紫くんは手を下ろすと首を傾げる

『ねぇ?ちゃんと幸せ?』

「…ああ、」

「…もちろん、」

「「義務ですからぁぁ!!」」

「え?!」

問いかけに叫んだファン。

さっきまでのしんみりしてたのはどこへやら、泣いてた子も叫んだらしい。

かつん、かつんと小さな音が鳴り始め、それが曲だと気づくのに遅れたのは今までとは一転、バラードにも近い穏やかな前奏だったからだろう。

ゆったりとした歌声で始まったAパートはシアンくんから。

なめらかに滑る低音が耳に案外馴染んで、息を吸ったところで真後ろから左腕を上げたきはだくんがインカムを抑えながら笑う。

「ハイハーイ!
さぁさぁ教えてあげまーす!
みんなが気になっていること 疑問に思ってること
ぜーんぶ 教えてあげまーす!」

ぽかんとしてしまったのは俺も隣の朔間さんもで、続けるように嘲笑いを浮かべた紅紫くんが口を開いた。

『えー、みなさんが 幸福なのは・・・ 義務なんです。』

「幸せですか? 義務ですよ? 果たしてますか? 」

『我々、幸福安心委員会は みなさまの幸せを願い そして、支えまーす』

朔間さんに目を向けると首を横に振られてしまい、また前を見る。

「幸福なのは?」

「「義務なんです!」」

「幸福なのは?」

「「義務なんです!」」

『幸福なのは?』

「「義務なんです!」」

「なにこれ、新手の宗教??」

こぼれた感想に朔間さんがあながち外れてはいないのかもしれないと頷いた。

『幸せですか?義務ですよ?』

うっとりと笑う三人と発狂しかけのファン。もぞもぞとお腹の中でなにか這うような感覚。

「幸せじゃないならぁ…」

きはだくんが中心になって踊るパートの最中、ばちりと紅紫くんと目があった。

「絞首」

「斬首」

『銃殺』

「釜茹で」

驚きに目を丸くしたのは俺だけで、紅紫くんは笑みを崩さず、振りなのか人差し指と親指を立ててピストルのような形を作ると撃つ真似をする。

俺にとも朔間さんにとも取れるそれをすぐ近くの子たちが興奮で叫んだことで目を逸らしてしまい、次に視線を戻す頃には紅紫くんはすでに違う方向を見てた。

「なになに今の!」

「紅紫くんがアドリブ入れてくるなんて珍しい!」

「はぁぁ!!ちょーかっこいい!!」

女の子たちはさっきの紅紫くんの行動に表情をとろけさせうっとりとした目で見つめてる。




五曲、六曲、ほぼ休みも取らずに歌い踊り続けてる三人は曲のサビを歌い終わり動きを止めた。

髪を払い汗を拭ったのを見てあのフード暑そうなんて思う。

トークタイムに入るらしく、ストローをさしたペットボトルで水分補給をしながらファンに視線を落とした。

「おみずおいしー?」

「うん!おいしいよぉ!」

「いつもと変わらない」

「しーちゃんってばつまーんない。はーちゃんは?」

『まだ飲んでないかな?』

ファンの問いかけに反応するきはだくんと時折返すシアンくん。それを見て笑ってる紅紫くんは全員がペットボトルを置いたところで笑った。

『問題です』

曲のコールが入るのか、さっきまでの喧騒が嘘のように静まった場内に微笑む。

『今日のセットリストはいつと同じでしょうか?』

吐き出された言葉は単純に問いかけらしく、その意味に首を傾げた。

セトリはある程度順番にベースはあれどその時々で変わるし、それこそ彼らがライブしてきた数だけあるかもしれない。

それを聞くなんてどういうこと―…

「「カンティーナの渋谷公演!!」」

戸惑うことなく叫んだファンの声はそろっていて、聞いた紅紫くんはそれはもうとても柔らかく淫靡に笑む。

『正解』

声色まで艶を含んでいて、ぞくりと背中を走った感覚に手汗をかいた。

これが俺より年下なんて、こわい

ファンは喜びで表情を赤らめただ紅紫くんを見つめる。

ふふとさっきとは違う、どちらかといえば普通に笑った彼はくるりと後ろを向いて右手を上げた。

合図だったようでまた落とされた照明に曲が流れはじめ、さっきまでが電子調だったのに対し激しいギターから入った曲。

すぅっと息を吸った紅紫くんは目を細める。

『愛されていたのは 君じゃなくて 僕自身さ
声の聞こえる方へ ひざまずいて 空を拝む 紅錆びた色』

紅紫くん主体にシアンくんときはだくんがハモリを入れる形らしいこの曲は、響くようなベースの低音に彼の声がとてもあっていた。

なんとなく、事前に調べておいた情報の中の言葉を思いだす。

puppeeetrは禁忌が売りらしい。うちの背徳よりも本能的な部分を殴りつけてくるこれは、たしかにタブーを犯しそうだ。

ちらりと隣を見ると、朔間さんは眉間に皺を寄せて唇を少し噛み、まっすぐとステージを見つめてた。

トークらしいトークはあまりしないようで、ほとんど踊り歌いっぱなしの三人は多少汗はかいていても疲れは見せず、次でラストという問いかけにふと腕時計を見ればもう一時間以上経ってた。

『じゃあね』

曲の歌詞を歌いきった瞬間、ぱちんっと明かりが落ちる。真っ暗になったのは実際十秒にも満たず、次にゆっくりと明るくなった会場内。ステージ上には誰もいなくて、薄くなりはじめた甘い香りに漠然と終わったのかと気づかない間につめてた息を吐いた。

「なんか、すごかったね」

慌てて笑って隣に顔を向けると朔間さんは服を握って歯を食いしばっていて、目を丸くしてしまう。

「え、どうしたの」

「……少し、人の多さに酔ってしまったみたいじゃ」

「そう、なの…?まだ出入り口混んでるみたいだし、空くまで少し端によってようか」

言い分に納得はできなかったけど顔色が良くないことはたしかで、壁際に移動した。

大体五分もすると出入り口がすいてきて、ほとんど人がいなくなる。顔を覗けば朔間さんの顔色もさっきよりはマシになっていて、お忍びで来ているから目立つのは憚られ最後の二人になる前に外に出ることにした。

階段を登って外に出ると風が肌をなでて吸うと咽そうになる。人口密度があれだけ高い閉鎖空間にいたんだからそれもそうだろう。

出待ちとかの概念はないらしく流れ解散する周りのファンたち。まだ興奮は冷めきってないのか中にはファン同士できゃっきゃと声を上げながら歩く子もいた。

「このキモオタが!」

「うるせぇよブス!」

その中で、罵倒が聞こえ次にはざわめきにプラスして聞こえてきた争う声がした。

目を凝らすと明らかにさっきまで会場にいたであろうファン同士が取っ組み合いをしてる。

二人とも黒のパーカーでワンポイントは赤。夜なこともあって細部が違うんだろうけど双子コーデにも見えて、眉間に皺を寄せてしまう。

「あーあ、またやってる」

「これだから重度の同担拒否は」

「やだぁ、こわぁい」

巻き込まれないようにと騒ぎの中心から離れていく人々は呆れていたり嗤っていたりして誰も近づかない。

「なんなのよアンタ!」

視線を戻した先は引っ掻いたのか頬から血を流す子と髪を引っ張られている子がいて、駆け寄った。

「あ、え、ちょっとやめなよ!」

後ろから戸惑うような朔間さんの声が聞こえた気がする。

腕を掴みあいだに入ると勢い良く振り払われ、たたらを踏んだ。

「ああ"?なんだよ!」

「黄色推しが邪魔すんな!」

女子に凄まれて思わずたじろぐ。黄色推しとやらがなにかはわからないけど、火花がこっちに飛んだのがわかった。

「あわぁ、何あのバカぁ」

「なにやってんのあの人…?」

周りの俺を見る目が完璧に変なものを見る時のそれで冷や汗が出る。笑顔は引きつるし、目の前の二人は冷静さを欠いていて片方が歯ぎしりをした。

「部外者はすっこんでろよ!」

パンチというよりは叩こうとしてるのか広がってる右手が迫ってくる。ただ、爪が長くて多分あたったら切れるだろう。

「薫くん!」

朔間さんの悲鳴より早く、間に割って入った人影が女子の右腕を掴み捻り上げた。

「え、」

痛みを覚悟していた俺は間ぬけづらを晒してる自信がある。苦痛に顔を歪める女の子の腕を離さないそれは洋画ホラーのマスクを被っていて、黒色のカーテンのようなそれは死神にも見えた。

「いたいいたい!」

叫ぶ女の子を呆然と見つめてると周りがあーあと哀れみと侮蔑をこめて息を吐き、短い悲鳴を上げたもう一人の女の子は慌てて走り出す。逃げ出したようにも見えた。

「薫くん、怪我はないか」

隣に立った朔間さんの焦った顔は少し面白い。

「ない、けど、」

喚く女の子の制圧をやめないホラーマスクのそれから目がそらせないでいると、とんとんと後ろから肩を叩かれる。

振り返った先にはまた少し違ったホラーマスクがいて、思わず悲鳴を上げそうになればそれは俺と朔間さんの手を取り走り出した。

「うえ?!ちょ!?」

「な、なんじゃ?!」

元から路地裏にあるライブハウス。そこから離れるように角を何度も曲がり引っ張られるままに階段を駆け上がる。

ふと聞こえた足音に後ろを見ると、さっきまで女の子を捻り上げていたほうのホラーマスクが追いかけるように走ってきていて悲鳴を上げながら走った。

いくつかの扉を開けて通路を走り、ピタリと止まったホラーマスクの背中にぶつかった俺から潰れた蛙みたいな声が出る。

痛くはないけど強く掴まれてた腕が離されたことに顔を上げた。

『お疲れ様です』

そこにはまだライブ上がりで衣装のままの紅紫くんが笑ってた。

「あ、え」

『ふふ、見に来てくださると知っていたら特等席をご用意したのに』

挨拶もそこそこに座るよう促され、パイプ椅子に座るとまだ封を開けてないペットボトルを差し出される。俺にはコーラ。朔間さんにはトマトジュース。

用意の良さに不気味さを覚えてしまう。

視界の端からぬっと出現れたホラーマスクにさっきの恐怖を思い出して肩をはねさせると、ためらいなくその手はホラーマスクを剥いだ。

「ぷはっ、まったく人使いあらくてアカンわぁ!」

「こら、木賊。はくあくんのお役に立てたんだから感謝を覚えど文句を言うのはお門違いですよ」

「柑子アホとちゃう?。自分制圧せーへんからそないなこと言えんねん」

ホラーマスクの下、現れた顔はどこかでみたことがあり、記憶を探るまでもなく学園内で見たことがある二人も確かわんちゃんと同じ学年の子たちだ。

マスクをつけていたせいで乱れたらしい髪を鬱陶しそうに払った緑髪の木賊くんはむっとして冷蔵庫からコーラを取り出すとキャップをひねり一気に煽る。

「また喉を痛めますよ」

「このくらいならええやろ」

柔らかめの赤色の髪に口元に小さな黒子を携えた、俺達の手を取り先頭を走っていた方の柑子くんは着ていた黒いコートを脱いで畳み、その上にマスクを置いた。

『二人ともありがとうね』

「もっと感謝しい!」

「いえいえ、滅相もない。当然のことですから」

磁石の対極みたいに噛み合わない二人に紅紫くんは微笑むと、視線を後ろに向ける。

『シアン、黄蘗。先輩方がライブを見に来てくださったらしいよ』

「わー!ありがとうございます!」

「ご足労頂きありがとうございました」

衣装を着替えてる最中だったらしいきはだくんは上だけ私服だし、シアンくんもフードをおろして首からタオルをかけてる。

ずっといたのか、正直気づかなかったけど白々しいお礼に居心地が悪くなる。あやふやに笑って逸らした視線の先は朔間さんだったけど、少しうつむいているから顔は見えない。

というより、朔間さんがここに来てから一言も発してなくて不気味だ。

紅紫くんは用意していたらしい椅子に腰掛けて俺達を見て笑う。

『すみません、ご迷惑をかけて…うちのアレは初見では驚かれたでしょう?』

「初見じゃなくても驚くんじゃないかな…」

アレとやらが何を指しているのかわからないほど察し悪くはない。

苦笑いをすれば着替え終わったらしく上下ともに私服のきはだくんが汗を拭いながら首を傾げた。

「今日は誰のが騒いでたのぉ?」

問いかける声に違和感を覚える。

正体を探るよりも前に深々としたため息が聞こえて、そっちに視線を向けると地べたに胡座をかいた木賊くんが頬杖をついてた。

「はくあんとこや」

「はーちゃんのとこかぁ」

「最近おとなしかったと思ったらコレか。まったく、学習しない奴らだ」

衣装に手をかけてたシアンくんが呆れたように零す。

「え?前回のシアンくんのところの流血沙汰のほうがひどかったと思いますよ?」

「せやで。危うく俺らまで連行されるところだったわ」

それに返された言葉に口角がひきつってしまったのは仕方ない。

『はいはい。昔話はもういいからね。羽風さんが引いてるだろ?』

間に入るように笑った紅紫くんがいなければ頭が痛くなってただろう。

止められたことに興味が削がれたのかきはだくんは髪を梳きはじめて、シアンくんも黙って着替える。木賊くんは柑子くんと一緒に部屋を出て行って、一人、紅紫くんは着替えもせずにこちらをじっと見てた。

俺が何か言おうかと口を開くよりも早く微笑む。

『背徳と禁忌って似てますよね』

僕もそう思いますと笑った紅紫くんに苦笑いを返す。テーマもファン層も、似てるかなと思ったけどそんな気がするだけだった。うちのところはここまで物理的に過激じゃない。

来た理由がバレてたことに冷や汗がたれた気がした。

早く帰りたくてそわそわしてしまうのはきっと目の前の彼のせいで、察してるらしく笑みを崩さない

戻ってきた柑子くんがはくあくんと呼びかければ頷いてみせた。

『もう帰って大丈夫だそうです。羽風さんも朔間さんも、またいつでもいらしてください。お二人とも歓迎いたしますから』

外の様子を見てきてくれていたらしい柑子くんが落ち着いたのを確認してくれ、見送られる。途中までは木賊くんが送ってくれるらしく、部屋の外で待っていた木賊くんを含め三人で控室を出た。

薄暗い電灯の下を歩き、扉をあけて路地裏に出る。いくつか路地を曲がってぱっと開けた先は駅の目の前だった。ワープでもした気分だ。

「ありがとうね木賊くん」

「別に気にせんといてください」

関西人なのか、テレビ越しで触れるような関西弁で首を横に振った彼は視線を落としたあとにじっと俺と朔間さんを見て息を吐く。

「…はくあも柑子も言わん奴やから、その、なんちゅーか。会ったばかりの俺がセンパイらにいう事ちゃうとは思うんやけど、」

言うか迷っているらしく歯切れの悪い言葉だけど躊躇いはない。

上がった視線が俺達をしっかり捉える。

「センパイら、ライブにはもう来ないほうがええですよ。…あんなとこおったらどうなるか……自分は、薄っすら理解しとるんとちゃいます?」

釣り気味の眉と鋭い目つきなのに、こちらを心配しているためか心なしか細められて眉尻が下がってる。

何を答えていいのかわからず黙った俺に木賊くんはぴくりと肩を揺らしてからポケットに手を突っ込んだ。

気まずげな表情で目をそらされる。

「……おかしなこと言うてスンマセン、戯言なんで気にせーへんでください。
俺もセンパイらとまた会えるの楽しみにしてます」

短く頭を下げた木賊くんは呼び止めるまもなく人混みにまぎれて消えていった。

取り残されてしまい、伸ばそうとした手が宙をきる。少し無言になったあと顔を上げた。

「朔間さんはどういう意味だと思う?」

どこか顔色の悪いというか、元気のない朔間さんの顔を覗く。いつもより随分と覇気も生気もない表情に具合が悪そうなのは一目で察せた。

「え、大丈夫?帰れる?どっかで休もうか?」

なんとなく背中をさすってると子供扱いするんじゃないと笑って頭を撫でられ駅に入る。

調度良く来た電車に乗るとピークをずれてるからか案外車内に人は少なく、隣に誰も来ないことに後ろを振り返るとまだ朔間さんが電車に乗ってなかった。

「朔間さん?」

「大丈夫、大丈夫じゃ。なぁに、案ずることでないよ薫くん。吸血鬼にとってはこれからが本領を発揮できる時間でな。用があるからここで別れよう。今日は誘ってくれてありがとう」

そう言って笑う。いくらかは体調が良くなったようにも見えるけど依然良くはないんだろう。

頭を撫でられて手を振られれば笑い返すしかなく、閉まったドアに後ろ髪を引かれたものの進みはじめてしまった電車に家に帰ることにした。


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