イナイレ


手の内から何かが逃げようとしてるから強く引いて、もう、一つも、取りこぼさないように、そうしないと、彼奴は……………。





随分と安眠できた気がする。ゆっくりと意識が浮上して、ぼんやりする視界にもう一度瞼をおろした。右側にある暖かいものに近寄って、どこか懐かしい匂いがするそれに顔を押し付け、目を開いた。

視界いっぱいに広がるのは暗闇。少し体を動かして顔を動かすと白色のシャツが見えて、顔を押し付けてたせいで真っ暗なだけだったらしい。白色のシャツを着た緑川は、すやすやと寝息を立ててる。寝るときは流石に下ろすのか、纏められてない髪がシーツの上に散らばってた。

瞬きを繰り返して、右手が握りしめてるものに気づいて見つめる。強く握ってたのは緑川のシャツでどれだけ掴んでたのかは知らないが皺が寄って跡になってた。

『………………どういう、ことだ、これ』

痛み始めた頭。体の違和感がないことから何もないはずだけど道也にバレたら煩そうな気がする。

体を起こして胡座をかく。未だ寝息を立てておとなしく寝てる緑川は満足そうで、起こさないようにベッドから降りて部屋を出た。

宛もなく廊下を歩き、外に出る。広がるグラウンドはまだ人っ子一人いなくて静けさだけが広がる。近くに誰かが仕舞い忘れたように転がってるボールを見つけて、なんとなく近寄り感触を確かめるように踏みながら転がす。

落ちつけ、昨日、何があった?

つま先で蹴りあげて、膝で受け止めてまた跳ね上げる。一定のリズムをキープしながら頭を回転させる。

たしか気分がガタ落ちして部屋に戻ったところまでは覚えてる。ただ、その後のことが丸っと記憶から抜け落ちてた。

動揺からかボールが思ったよりも高く跳んで、落ちてきたところに足を振りぬく。弾かれたボールはまっすぐ、ゴールの外枠にあたり、跳ね返ってきたから受け止めずにもう一度蹴った。また大きな音を立ててフレームにあたって戻ってくる。

それしかできないようにフレームにあて続けて、視界の端に何かが動いたから戻ってきたボールに垂直に足を落として高く跳ね上げさせる。落ちてきたところで足を乗せて動きを止めた。

音を、立てすぎたのかもしれない。一瞬過ぎったものの相手がユニフォームを着てることからすでに朝練の準備のために起きてた可能性が高いことに気づいて息を吐いた。

「わぁ!すごいね!」

丸くしていた目を元に戻して、人好きするような笑みを浮かべる。揺れる白いが太陽光に照らされて光って、緩い動作で近寄ってきたと思うとまた少し離れたところで足を止めた。

「おはよ、来栖くん」

『はよ』

「早いね?練習しにきたの?」

『目が覚めちまっただけだ』

「そっか。もう止めちゃうの?」

『そーだなァ』

「…もしよかったら、少しだけ僕とパス練習しない?」

にっこりと笑って首を傾げる。部屋に緑川が居ても居なくても、戻る気分じゃなかったし、一人でいるよりは気が紛れるかもしれない。

止めてたボールをつま先で浮かせて、吹雪に蹴り渡せば軽くトラップしてからボールを返してきた。それを返して、またボールが来て。単純な作業を繰り返していくうちに吹雪が笑い声を転がす。

「ふふ、楽しいね」

『…別に』

「うん、来栖くんも楽しそうで良かった。あ、ちょっと距離飛ばすね」

『ん』

宣言通りに飛距離が出たからポケットから手を抜いてボールの着地点に先回り蹴り返す。同じようにボールを左右に振って返せば吹雪も走って、大体コート半分程離れたなと思ったら受け取ったボールをそのままドリブルして向かってきた。

「行くよ」

『パス練じゃなかったのかよ』

なんでもいいかと走ってきた吹雪の動きに合わせて走り行く手を阻む。右、左、フェイントを交えて動くそれはなんとなくディフェンダー寄りな気もして、とりあえず右足でボールを踏み、後ろに蹴り上げて奪った。

「あ、」

思わずと言ったような声。三歩分走ったところで足を止めて振り返れば吹雪は笑った。

「取られちゃった」

残念そうな声色に鼻を鳴らしてボールを転がして渡す。足元に転がってきたそれを持ち上げると吹雪はおっとりとした笑みのままちかよってきてニ歩、離れたところで止まった。

「来栖くんボールの扱いがとっても上手だよね」

『んなことねーけど』

「なんていうか、精密?」

『煽てたとこでなんもねぇぞ』

「ふふ、捻くれてるなぁ」

にこにこ笑いながら右手を差し出されて、降ろされる様子のないそれに仕方なく右手を重ねる。俺よりも少し小さいらしい手に力が入って、握られた。

「ねぇ来栖くん。ちょっと話したいことがあるんだ。時間もらってもいい?」

『断らせるつもりねー癖に何言ってんだァ?』

「ありがとう」

手を握られたまま、上がってきた視線がぶつかる。水色に灰色を混ぜたみたいな、珍しい色の瞳に仏頂面の俺が映った。

「来栖くん、君がサッカーをしないっていうのは嘘偽りのない本音なんだろうなって僕は思ってる」

『あ?』

「それがサッカーをできるけどしたくないのか、できないからしたくないのか、できるけどできないからしたくなくなったのか。いろいろ考えてみたけど難しくてさっぱりだなぁって思うんだ」

前回会話をしたのは自己紹介だけで、今回が二回目のはずなのに随分と踏み込んでくる。

握られてる手は強い力を込められてるわけではないから振り払うこともできたけど、なんとなく耳を傾けることにした。

「でもね、サッカーボールに触ってるときの来栖くんはすごく優しい目をしてるから、サッカーのこと、嫌いではないんじゃないかなってことにしてみた。」

『…………そうじゃ、ないかもしれねぇだろ』

「ふふ、お話ができないから仮定してみたんだ。だって来栖くん、虎丸くんとボールを蹴ってる時はとても優しい目だったし、僕とのパス練も楽しんでるみたいだった。代わりに、一人でボールに触ってるときは辛そうで…少し、寂しそう。………来栖くん、一人でするサッカーが嫌いなんじゃないかなって」

『ふーん』

「…僕もね、実は兄弟がいて、…弟がいなくなってすぐはサッカーができなかったんだ。一人は、嫌で、怖くて…」

右手に左手が重ねられて、祈るみたいに握りこまれる。仄暗い空気も相まって、懺悔してるような雰囲気に言葉を出すことができない。

「…来栖くんが…どうしてサッカーをしないのかはわからないし、この先に来栖くんがサッカーしたくなくなるかもわからない。………でもね、もし良かったら…来栖くんがボールを蹴る日が来たとき、今日みたいに僕も仲間に入れてほしいな」

儚い笑顔を浮かべられると流石に何も言えなくて、目を合わせて固まる。

どれくらいそうしてたのか、急に耳に入った喧騒に顔を上げた。手を解いて一歩、二歩後ろに下がれば吹雪が微笑んだ。

「そろそろ朝ごはんの時間かな?」

『あー』

「一緒に食べてもいい?」

『席が空いてたら』

「ほんと?…じゃあ戻ろうか。手伝ってくれてありがとう」

『おー』

何に悩んでぐちゃぐちゃしてたのかもわからないくらいスッキリしてる。にこにこしてる吹雪を横に廊下を歩く。無駄な話をしてくる訳でもない吹雪は比較的心地よくて、さっきちらっと聞いた話も関係してるのかもしれない。

「吹雪ー!来栖ー!おはよー!!」

開いた食堂の扉に、まぁ大抵最初の方にいる円堂が一番に俺達に気づいて手を大きく振る。

「吹雪と来栖??」

「わ!諧音さん珍しいですね!おはようございます!」

並んで料理をもらっていた豪炎寺と虎がこっちを見て首を傾げた。

虎に挨拶を返して、鬼道や基山、それ以外に挨拶をしてる吹雪の背を押して列に並ぶ。案外最後に近かったのか、トレーを受け取って席についた頃には見渡す限り殆どの奴が集まっていた。

「ぁ、今日のデザート梨がついてるね!」

『だなァ』

「果物が出るの珍しいね」

『果糖がどうたらとかじゃねぇの。果物好きなのかよ』

「うん」

弟がいたって言うなら、こいつは兄なんだろう。その割にふわふわ笑うから、纏う空気と口調が合さってアイツに見えた。

切られた梨の入った小鉢を持ち上げて吹雪のトレーに乗せる。目を丸くして何か言おうとしたから顔を背けると後ろで小さな笑い声が転がされた。

「来栖くんって不器用だね」

『はぁ?』

「よく誤解されるでしょ?」

『なんのことだァ?』

眉根を寄せた瞬間、それなりに騒がしい食堂の中でねぇと少し上擦った声が通った。

「ごめんね、吹雪くん、来栖くん、緑川知らない?」

髪をゆらして、拍子に下がった眉尻が目に入る。吹雪は目を瞬いて首を傾げた。

「緑川くん?」

「うん。部屋にもいなくて、円堂くんにも鬼道くんにも、みんなに聞いてるんだけど見当たらなくて…」

「グラウンドにもいなかったと思うけど…」

「そうだよね…そろそろご飯なのに、どこ行ったんだろう…」

心配しているそれに、まさかと部屋に置きっぱなしにしてきた奴を思い出す。会話をする二人を尻目に腰を上げて食堂を抜け出す。そのま階段を上がって急ぎ足で部屋に入れば出ていった時と同じようにベッドの上で寝息を立ててる緑川が目に入って額を押さえた。

『あー、ったく…おい、起きろ、緑川』

仕方なく声をかけながら思いっきり肩を揺さぶればすぐさま眉根が寄って、言葉になってない何かを口の中でもごつかせながら目を開く。

「ん、ん、?」

『はよォ。さっさと起きろ』

「くる、す?」

『来栖だ、来栖。いいから起きろ』

額をはたけば小さく呻いた後に体を起こして、そうだ!と大きく声を上げられた。

「まったく!昨日は来栖暴挙のせいで俺は部屋に帰れなかったんだから!というか体調は大丈夫なの?」

『体調は悪くねぇよ。詳しい話は後にしろ。歩け』

喚かれると面倒で話を切って腕を取る。引きずられ気味で立ち上がった緑川は足を縺れさせつつ歩いて部屋を出る。

「え、ちょ、引っ張るなって!」

『なら自分で歩けや』

手を離して先導して階段を降りていく。不可思議そうに隣に並んだ緑川は急に手を離されたことに驚いてた。

「何をそんなに急いでるんだよ?!」

『もう朝飯の時間。お前が来ねぇ上に行方不明だから基山が大騒ぎ。わかったか?』

「な?!なら早く行かないと!わっ!」

目を丸くして、次の瞬間隣から消える。ダンッと大きな音を響かせた後に緑川が呻いた。階段を降りて座り込んで腰をおさえてる緑川を覗き込む。

『…おい…大丈夫か?』

「腰、打っただけだ…痛い…」

若干涙目の緑川に息を吐いて、肩を貸す。寄りかかって立ち上がった緑川は足首を回して動きに違和感がないか確かめた後に不貞腐れたように頬を膨らませた。

『まだ寝ぼけてんだから階段は気ぃつけろよ』

「……こんな間抜けなことがあるなんて…俺が足を踏み外したことは誰にも言わないでよ」

『おー』

生返事して、時間をかけてようやくたどり着いた食堂の扉を開けた。






誰も緑川の居場所を知らない。普段なら大体真ん中よりも早く現れるはずの緑川が最後になっても現れないことに心が焦る。

最近の緑川の様子はおかしかったけど昨日立て直してたはずで、まさかとは思うけど自暴自棄になって…なんてこともないもは言い切れない。

最後に現れた監督に相談しようと腰を上げたところで食堂の扉が開いて勢いよくそっちを見る。見慣れた緑色の髪が揺れてた。

『どこ座んだァ?』

「何処でもいい…」

『空いてる席もねぇし、俺の隣でいいか?』

「気にしない」

何故か来栖くんに支えられて現れた緑川に固まる。早寝早起きで準備をしっかり整えてから部屋を出る緑川は珍しく髪を下ろしたままな上に未だ緩いシャツを着ていて寝起きっぽかった。

来栖くんは仕方なさそうにはゆっくり歩いて食堂を進み、吹雪くんの座ってるテーブルに近づく。気づいたように椅子を引いた吹雪くんに短く礼を口にした来栖くんは表情とは裏腹に、丁重な動きで緑川を椅子に下ろした。

「いっ」

『あ、悪ィ。クッションかなんかいるかァ?』

「……大丈夫だ」

涙目になった緑川は首を横に振って、気を利かせたのか残り一つになってたトレーを音無さんが持ってきて差し出す。

来栖くんはテーブルを回って腰を下ろして、隣の吹雪くんが首を傾げた。

「緑川くん、足?」

『腰』

「腰?」

何があったのかと目を瞬く吹雪くんに何故か監督がすごい剣幕で来栖くんを見て、視線を突き刺された来栖くんは首を横に振る。それでも監督の表情は硬くて、来栖くんは深々と息を吐いた。

『ざけんなよ緑川…てめぇのせいで面倒が増えたじゃねぇか』

「なんで俺なんだよ。元はといえば来栖のせいだろ」

『起きてこねぇてめぇが悪い。人のベッドで快眠しやがって』

「準備もできないくらいギリギリに起こしただろ。もっと早く起こしてくれない来栖が悪い」

『はぁ?アラームの一つもかけてねぇお前の落ち度だろ』

「アラームをかけようにも何しても離してもらえなかったから時計も取り行けなかったんだけど?」

ばちばちと二人の視線の間で火花が散る。一つを上げればもう一つ、別角度で切り替えしていく二人の会話に聞き耳を立ててた全員が顔色を変えて聞いていないフリする。頭を抱えてる監督。目を見開いてる不動くん、綱海くん。顔を赤くしてる風丸くん、虎丸くん、鬼道くんが印象的で、その中で、よくわかってなさそうな円堂くんがにっかりと笑った。

「なーんだ!緑川、来栖の部屋泊まってたのか!いやー、どこ行ったのかって心配してたんだぞ!ていうかどっか痛いのか?怪我か?!」

「あ、うん、ごめん、おはよう。怪我はしてないと思う…」

後ろめたそうに目を逸した緑川に円堂くんは首を傾げて、まぁいっか!と声を張り上げた。

「じゃあ全員揃ったことだし!いただきます!」

普段なら大きな声で復唱される挨拶は、今日に限っては一年生だけが大きな声で返してる。

隣が空いていなかったのは事実だけど、少し離れた席に座った緑川は座り心地が悪いのか時折慎重に座る位置を変えてはご飯に手を伸ばす。来栖くんはどうしてか、珍しく吹雪くんと並んで食べてて少ないものの短い会話を続けてる。いつも来栖くんと一緒にテーブルを囲んでる不動くんは飛鷹くんと一緒だった。

「緑川くん、ほんとに大丈夫?」

「うん、大丈夫…たぶん」

『後で見てやんからさっさと飯食え。問題なけりゃ湿布貼っとけば治んだろ』

「ぶつけたの?」

『ぶつけたっつーか、落「皆まで言わないでよ!」

頬を膨らませて言葉を遮った緑川に来栖くんは首を横に振って、それ以上何を言う訳でもなくお味噌汁に手を伸ばす。中身をかき回してから飲んで、お椀を置くと箸を置いた。口を拭いてるところを見るに食べ終わったらしく、時計を見ると普段なら僕も食べ終わって食堂を出てる時間で、慌てて箸を動かせば同じようにしてる人が何人もいた。

「来栖くん」

呼びかけられて目線を動かした来栖くんに白いものが刺さったフォークが差し出される。吹雪くんが差し出すそれはデザートの梨だったらしく、来栖くんは眉根を寄せた。

『どういう意味だァ?』

「はい、あーん」

『それお前にやった分だろ?』

「うん。僕のだから、どうするのも僕次第でしょ?この梨とっても美味しいんだ。だから、幸せのお裾分け」

譲らなそうな吹雪くんにため息をついて、フォークを持つ手に右手を添えながら口を開いた来栖くんは梨を頬張る。ひとくちサイズにカットされてたそれを咀嚼して飲み込んだ来栖くんに吹雪くんは嬉しそうに笑った。

「幸せ?」

『…甘いんじゃねーの』

「ふふ、良かった」

フォークで残ってる梨を刺して口に運ぶ。梨を食べる吹雪くんのトレーには同じ小鉢が二つあって、さっきの会話の通りなら片方は来栖くんの物であげたってことだろう。

二人ってそんなに仲良かったっけと内心首を傾げて、緑川が目を瞬いた。

「吹雪って来栖と仲良かったんだ?」

「うん、そうなんだよ」

『仲良くねーよ』

「僕、緑川くんと来栖くんが仲良かったことは知らなかったな?」

「うーん、仲…良くはない、ような…?」

『悩むな。良くねぇよ』

「そんなこと言って、素直じゃないね」

『はぁ、勝手に思ってろ』

立ち上がった来栖くんは食事の終わりを表してる。そのまま席を離れるのかと思えばテキパキと空いてる三人分の器を重ねて一つのトレーにまとめていく。驚いてる二人の内、フォークに梨を刺したと思うと吹雪くんに差し出した。

『ん、時間押してんだからさっさと食え』

「あ、うん」

差し出したフォークにそのまま口を開いて梨を食べる吹雪くんを横目に、用済みになった食器を危なげなく返却口に運んだ来栖くんは、そのまま鬼のような形相の監督に引っ張られて食堂を後にした。




「あれ程、選手に手を出すなと…!」

『誤解』

「ほう?」

『彼奴たぶん処女。違かったとしても俺はしてない』

「面白くない冗談だな?」

『ガチだっつーの…』




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