テニスの王子様


ざぁっと風が音を立てて吹きぬける。音を楽しんでいれば影がかかったから目をあければ風に靡く紫色が視界に広がった。

幽霊部員だと自称する男に俺が会ったのは授業をサボって寝てるときだった。




授業中眠気をこらえられず眠って過ごし、昼休みに弁当を庭の片隅で食べてそのまままた眠りについた。

遠くからはチャイムが聞こえてきて、今日もサボってしまったことに後で監督にどやされるんだろうなと思いながら眠った。

近くでなにか音がして、目を覚ます。

そして、冒頭に戻る。

「……誰」

『……え、とー…君の方こそ、誰かなぁ?』

口の端がひきつった笑顔で尋ねてくる。普段はあまり笑わない人特有の表情の作り方。一応先輩なんだろうその様子にしかたなく名乗ることにした。

「…越前…っス」

目の前にいる男はひくりと口の端を動かす。

『…越前クンかぁ…』

ちらっと俺を見てからがしがしと頭をかき、『あの越前クンね…』と零す。意味有りげな声にむっとしつつ口を開いた。

「で、あんたは誰なの」

『んー、つり目かわいーねー』

なんでこっち怒ってんのに意に介してない。質問の代わりに返ってきた可愛いの言葉は言われても嬉しくないし、そもそも棒読みで苛々する。

響いたチャイムの音に部活に遅れないよう立ち上がって服をはたく。

「あーっ!はっけーんっ!!」

「こんなとこにいたのかー!!」

「あ」

場違いな明るい声と赤髪、そして走ってくる黄色いTシャツ。

菊丸先輩と桃先輩は勢い良く走ってきて、飛びかかった。

「確保ぉぉぉぉっ!」

「つーかまえた!」

『くそっ』

菊丸先輩に背後から飛びつかれ、桃先輩に片手を取られたそいつは悪態をついてわかりやすく表情を歪める。

「オチビも!!行くよ!!」

「監督怒ってんぞ!」

「げ」

一緒に掴まれた右手に息を吐いて歩き出した。




チッと舌打ちをする男は誰がどう見ても不機嫌だ。それもこれも部活の時間になってこない俺を探しに来た先輩たちに捕まえられ、テニス部へ強制連行されて流れるような勢いで竜崎監督に怒られてるからで、ぴきりと監督の額に血管が浮かぶ。

「なんだいその態度はっ!!」

舌打ちをしたことにまた怒られる男の様子を俺と一年生以外は訳知り顔でやれやれと見てる。

『はーい』

「全くお前さんは毎回毎回…」

『へーい』

「聞いてるのか」

『ふーい』

「………」

『ほーい』

「真面目に人の話を聞かんかーっ!!」

『はーい』

再度落ちた雷に、一周した返事が返ってくる。

これは長くなるぞと河村先輩が苦笑いを零して、仕方ないねと不二先輩が首を横に振った。

『ちっ』

やっと解放された男はさっきの三割増しで不機嫌だった。

そこに菊丸先輩が待ってましたとばかりにタックル紛いの飛び付きをみせる。

「遅いぞー!」

『監督の話が長いんですー』

難なく受け止めて流れるように勢いを殺して少し回って、菊丸先輩を下ろす。

「そりゃあ、毎回サボってたら怒られるのだって当然だろ?」

「誰かに引き摺ってこられなきゃこねーし。お前今年の一年入ってからまだ一回も来てないだろ」

『俺、幽霊部員だし』

桃先輩と海堂先輩の言葉に悪びれる雰囲気一つなく答える。

その言葉に不二先輩は開眼して絶対零度の笑みを浮かべたし、大石先輩は深々と息を吐いて、乾先輩がまたかと頭を掻いた。

「越前!アンタもなにしれっとそこにいるんだい!!」

「え」

「ウォーミングアップとして校庭5周してきな!!!」

遅刻の罰として校庭を走ったせいで喉が渇いて、水を飲んで戻ってくると男は居なかった。近くにいたカツオに聞けば二年とともに部室に消えていったらしい。

時々中から叫び声が聞こえてきていて、中で何をしてるのか…と肩を震わせてるカツオ。その間にカチローたちはいつのまにか俺の隣にいた菊丸先輩にあの人のことを尋ねてた。

菊丸先輩は苦笑いをまぜた笑顔を俺たちに向けて口を開く。

「たぶんこのあと初顔合わせってことで自己紹介あると思うからそんときまでのお楽しみ!」

「「えー!教えてくれないんですか!?」」

「まーまー。もーすぐ出てくるって」

んじゃ!と逃げるように大石先輩の横に走っていってしまった菊丸先輩に一年三人は大きく肩を落とす。

騒がしい部室からは疲れた様子の桃先輩と海堂先輩が出てきて、その後ろから紫色が揺れた。

『幽霊部員を目指してる二年の伊波 哉いなみ かな でーす』

レギュラーと同じ青のジャージを着てどこか不服そうでやるきのない自己紹介に、三年は息を吐いて、二年は苦笑いを零す。

『ちなみにテニスはむっちゃ弱いんで、レギュラーの応援が俺の仕事でーす』

後ろからぬっと現れた竜崎監督の華麗な拳骨が脳天に落ちた。ごっと短い音が響いて、伊波と名乗ったその人は頭を押さえる。

『すげぇ痛い』

「真面目に自己紹介をせんか馬鹿者」

またまた不機嫌そうに眉間に皺を寄せ竜崎監督に抗議をするが一蹴されてた。

「まあまあ。ほら、伊波もちゃんと自己紹介しようよ」

仲裁にはいる河村先輩にガンを飛ばし舌打ちをする。

あまりの素行の悪さに監督の目が光って、右手が握られたところできぃっと特徴的な音が響いた。

「遅れた。すまない」

金網のフェンスでできた扉を開けた音とともに今までいなかった見当たらなかった部長が現れた。

近くにいた不二先輩は生徒会お疲れさまと声をかけてる。部長はいまだ始まっていない部活を不審に思ったのか眉間の間に皺を刻み辺りを見渡す。

「………」

見渡していた視線は一点で止まり、皺をさらに深くした。

視線の先には紫色。部長はすたすたと歩みより眼鏡を軽く上げてから口を開いた。

「伊波。随分と久しぶりだな」

毎日部活はあったんだが?ととげのある言葉にどこ吹く風で伊波先輩は目線も会わせずに返す。

『幽霊部員ですしね。お久しぶりでーす』

自覚のある俺よりも舐めた口調に、さすがの部室もキレると思ったが、部長よりも先に竜崎監督が怒り出して部長はため息をつくなり部室へと歩いていってしまった。

「伊波!!」

『ふーい』

「いい加減にせい!!」

本日三度目の拳骨が落とされた。







「ねぇ、もう少しやる気出してよ」

竜崎監督が職員会議に向かい、ようやくお説教が終わって帰ろうとした伊波先輩。でもそれを不二先輩が二つラケットを持ち、伊波先輩を引っ張ってコートへ入った。

目の前で行われてるラリーは大したスピードも技術もパワーもなくて、レギュラー同士の打ち合いには到底見えない。

『いやでーす』

「そんなこと言わないで…ね?」

一瞬不二先輩が目を開き伊波先輩を見ると左右へボールを振り分けだす。

『めんどいでーす』

危なげもなく端から端へと振り分けられるボールに追い付き余裕そうに返す伊波先輩に不二先輩は楽しそうに口角を上げた。

「流石だね」

スイートスポットにあたり小気味良い音を響かせ跳ねていくボール。黄色の球の行き来を眺めて、それから目を瞬く。

おかしい、どれくらいおかしいかといえばおにかくおかしいと訳のわからないことを言い出しそうになるくらいには意味がわからなかった。

「っ」

「さすが伊波だなぁ…」

外周を終えて観戦に混じる河村先輩が感嘆の声をもらす。

最初、誰がどうみても不二先輩が優勢で伊波先輩のほうが不利だった。なのにも関わらず今は不二先輩のほうがきつそうだ。ぎりぎり追い付いて返す不二先輩の首筋や頬には今まで見たことのない汗が伝ってる。

『いつまでやるんですかー』

対する伊佐波先輩は全く疲労を見せない。

『聞いてますかー不二先輩ー』

「どっちかがミスするまでに決まってるよね」

不二先輩はあっさりとそう返すけど、20分は続いてるこのラリーはまだ終わりそうにない。

『じゃ、これで終わりでーす』

伊波先輩は余裕で追い付いた球を打たずにラケットをおろして見送った。

ボールが後ろのフェンスにあたってかしゃんと鳴る。

向かいにいた不二先輩は目を開いたあとに笑う。

「全く、伊波らしいな」

ふうとため息まじりに部長が呟いたのを耳が拾う。普段の部長なら怒りそうなものだけど諦めてるらしい。

「はい、タオル」

『え、要らな……はぁ…ありがとうございますでーす』

渡されたタオルに一瞬眉をひそめて断ろうとした伊波先輩ほ、なぜかすぐに折れてタオルを受け取った。軽く、本当に軽くかいていた汗を拭うと目を合わせる。

「付き合ってくれてありがとう。いい準備運動になったよ」

伊波先輩が持っているのと同じ色のタオルで汗を拭いながら不二先輩は喋ってた。中々面白かったのにラリーが終わって少し残念だ。

ふと横に目を向ければフェンスの外にはレギュラー陣や二年、三年がいた。乾先輩は相変わらずなんかノートに書き込んでて菊丸先輩と桃先輩は目をきらきらと輝かせ、海堂先輩はぎらぎらと目を光らせる。カチロー達も見てたみたいで興奮してるのか目をいつもの三倍は輝かせてる。

「部活来ない間もちゃんと練習はしてたみたいでよかった」

『軽く動かすくらいしかしてないですー』

「伊波の軽くは軽くじゃないけどね」

からかうように不二先輩が喋るのを伊波先輩は気にもしないでラケットを返していた。

返されたラケットを不二先輩は笑ってしまう。

「伊波ぃー!」

『嫌でーす』

飛び付いてきた菊丸先輩がなにかを言う前に伊波先輩は拒否したため唇を尖らせる。

「いーじゃぁーん!」

『喉渇いたから水飲んできます』

ぐずる菊丸先輩をひっぺがしてコートを出ていってしまう。

「ありゃー、あれはもうやってくんないなぁー」

残念と、ちょっと眉を下げ笑う菊丸先輩はどこか楽しそうにも見える。

「伊波が来るとみんなやる気が出るよね」

「毎日練習に来ないのは考えものだがな」

むっとした部長が伊波先輩が今までいた場所を睨むようにコートを見つめてた。




「おーい伊波ー!」

水を飲んで戻ってきたところを桃先輩が捕まえた。

『なんだ、桃城か』

「なんだって、なんだっつーの」

『そのままの意味だろ』

案外仲がいいのか、軽い口調でやりとりをする伊佐波先輩と桃先輩。ふんっと笑い伊波先輩は口を開く。

『で、どうした』

呼び止めたからには理由があるんだよな?と冷笑され、桃先輩の目は一瞬泳ぐ。

「あー…あれだよ!そうそあれ!」

泳いだ視線の先には俺がいて、桃先輩は今世紀最大の発見を叫ぶように言う。

「伊波に越前のこと紹介しよーと思ってよ!」

『別に頼んでないけど』

「まぁーまぁー!」

ばしばしと伊波先輩の肩を叩きながら桃先輩は俺を前にさしだした。

「こいつ越前な!」

『さっき会った』

「で!こっちが伊波!」

「聞いたけど」

「よーし!伊波!テニスしよーぜ!」

『意味わかんねーよ』

一度文法を学び直せ。と伊波先輩に額をデコピンされた桃先輩は笑う。

「ねぇ」

「どうしたー、越前ー」

『離せよ…』

少し見てないあいだに桃先輩に首を絞められてる伊波先輩は俺の声が届いてない。

「伊波先輩」

『あ?』

「俺とテニスしてよ」



…―…―…―…―…―…―…

幽霊部員、やる気なしお
いなみ かなくん



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