H.O.T.D 学園黙示録
一般的に世界が壊れた日
俺の仮面は剥がれた。
眠気をこらえながら歩いて、ようやくたどり着いた教室に入るとすぐ近くで女子と談笑していた男子が会話を止め笑いかけてきた。
「おはよう螢蘭」
表情声色、共に爽やかな挨拶に俺はにっこりと笑って返す。
『おはよう』
「ちょっと、永ぃー、まだ私と喋ってる途中だったじゃない」
話を遮ったことに機嫌を損ねたらしく、隣りに居た女子は男子の服をひっぱり頬を膨らませた。呼ばれた男子は口元に弧を描いて「挨拶くらいいいじゃないか」と微笑みながら女子の頭を撫でる。けれど男子の目が笑ってない。女子はそんなことに気づかず頭を撫でられたことに頬を赤らめて表情を緩ませた。
「ごめんな螢蘭、麗が…。ほら、麗」
男子が目以外で笑って催促すれば、女子は緩んだ表情で上目遣いに見てきた。
「ごめんなさい」
ああ、気持ち悪い
『ううん、僕は大丈夫だよ。気にしないで?』
全く興味のない人間の媚びた目は嫌いだ。いつものように曖昧な笑みを浮かべて見せれ女子は「やさしい!」とバカみたいに笑う隣の男子は頷いて俺に笑いかけてきてた。
何時までこいつら俺に喋りかけてきてる気なんだろう。
毎朝毎朝、欠かすことなく繰り返されるこの茶番はなんなんだ。男子が声をかけてきて女子が怒り、男子が宥めて笑い、謝ってくる。
いい加減飽きてきたそれは教師が来たことで今日も一区切りをつけて席に腰を掛けた。
この男子は、いつになったらこれの茶番を辞める気になるんだろうか
トイレと言って教室を抜け出した。用を足し手を洗っていると誰かが廊下を走る音が聞こえてきた。廊下は走らないのが基本だし、そもそも授業中に騒がしい。
その足音の持ち主はダンッと扉にぶつかったと思うと同時に目の前に現れた。
「螢蘭!」
朝も会った同クラスの男子が慌てた様子を隠さずに大きな声で俺を呼ぶ。
『どうしたの?』
「緊急事態が起きてるんだ、一緒に来てくれ!」
ろくな説明も無く手が取られる。
「おい、永、早くしろ」
戸惑うよりも早く、後ろから見たことのない黒髪の男子が目の前の彼以上に焦りながら急かした。
「永!早く!」
その隣にはアホ毛があるあの女子もいたようで、有無を言わさずに男子に手を引かれた俺は走り出した。
何がなんだか。男子二人と女子一人と共に走らされた俺は、今掃除用具入れの前で足を止めてた。走っている最中に男子の一人が「武器があった方がいい」と言い出したから武器を調達してるところらしい。
武器って一体何と戦うつもりなんだろうか
「螢蘭」
金属バットを渡され曖昧に笑う。
「お前は?」
「これでも俺は空手の有段者だぜ?」
事情の説明は全くされない。どうでもいいやりとりを聞き流していると武器の調達が終わったようだった。
どうにもここから逃げるのが目的らしく、その過程で何かと戦う可能性があるらしい。敵がなんなのかはわからないが、この校舎にいるかもしれないようで、ならばさっさと逃げればよいのに男子の携帯を借りた女子が警部補の父親に連絡すると足は止めたままだった。
耳に携帯を当ててた女子の唇が震える。
「うそ…」
「どうした?」
女子は顔色を丸くして眉間に皺を寄せた。
「110番がいっぱいだなんて……そんな…」
何が起こってるのかはさっぱりだが、日本全てを巻き込んだ大事のようだ。
そろそろ説明を求めようと俺を引っ張ってきた張本人の男子を見つめて、ザザッと大きいノイズ音が校舎に響き渡る。
俺以外は顔を上げた。
「「全校生徒、職員に連絡します!現在校内にて暴力事件が発生中です!生徒は職員の誘導に従って直ちに避難してください!」」
慌てている職員らしき男の声に息を吐く。校内で起きた暴力事件ごときで警察の回線がパンクするわけないだろう。
近くの教室からはざわめきが聞こえ、男子がやっと気づいたかと眉根を寄せた。
通常の放送どおり、繰り返されようとした放送はブツっと音が途切れる。
何かが、落ちた音がした。
男子の一人がまさか…と息を飲み、激しい物音が響く。
「「うわぁっ…助けっやめてくれっ」」
流れてくるのは今までとは全く違う。恐怖で上擦り、誰かに許しを乞うような声。もっとマシな声は出せなかったのかと気が落ちる。
「「だずけたすげてうぁぁぁぁぁぁぁああああ」」
劈くような断末魔が消え、校内は静寂に包まれた。
「………」
絶句しているアホ毛女と男子。
次の瞬間には校舎から生徒の悲鳴と争うような怒号が聞こえてきており、パニック状態であるのは容易に予測できた。
「こっちだ!」
出口とは反対に走り出した男子に困惑しかない
「外に逃げるんじゃないのか?」
「教室棟は人で溢れかえってる!管理棟から逃げる!」
女子が「永の言う通りにしとけばいいの!」とか言えばもう一人の男子は微妙そうな表情を見せ自棄気味にわかってると吐き捨てた。
「ほら!螢蘭いくぞ!」
先に走りだした同クラスの男子に腕を掴まれれば俺も足を動かすしかなかった。廊下を走り抜け、管理棟との連絡通路に差し掛かったところで村人Aに出会った。
先頭にいた三人は足を止める。
「あれって…現国の脇坂?!」
疑念と驚きのまざった声で村人Aを見つめる女子。
現国のってことは村人Aは俺の知っている人物のはずだが、授業は受けているのに顔も性格もしゃべり方も覚えていない。じっとその人物を眺めて、首を傾げる。
「っ!気をつけろ…彼奴!」
叫んだ男子の目線の先には血の流れている右足。
いや、それ以前に顔色おかしい。きつく縛って放置した手足とかの、鬱血していて青黒いのに血の気がひいて白く、死人の色をしてる。
村人Aは到底常人ではしないような動きをしながら左右に体を揺らし起こし、両手を伸ばしながら女子に向かう。女子は持っていた捩切って先を尖らしたモップの柄を前に出し村人Aの両手を止めたが力負けし後ろに押されていった。
「突け!麗!遠慮するな!!」
「っ、」
男子の言葉に目の色が変わる女子。
「槍術部を…ナメるな!!」
両手を払い退け、何度か叩き最後に心臓を突く。感嘆の息が零れた。
躊躇いのない、素晴らしい突き具合だ。
胸を突かれた村人Aはぷらぷらと足が浮いて脱力している。男子の片方が「やった!」とガッツポーズをつくった。
「ぇ…!?」
完璧に、村人Aの敗北に見えた。
だが村人Aは苦しそうな声を上げて棒が刺さったまま体を二、三度横に振りながら動きだし、反動で思い切り女子を壁に叩きつけた。
「そんな…!心臓を刺したのになんで動けるのよ!」
痛みから意識を引き戻し慌てて棒を握り押し戻そうとする女子をもろともせず、村人Aは手を伸ばす。
「っ」
隣にいた男子が村人Aを後ろから羽交い締めにし女子から距離を取った。
「麗!今のうちに棒を引き抜け!」
立ち上がった女子が棒を引き抜き終わるが男子は離れず、まだ隣にいた方の男子が慌て声をあらげる。
「永!離れろ!」
切羽詰まった様子に余裕だと言いたげに男子は口を開く。
「心配するな、こんなやつ、俺なら、!」
その瞬間、ただ女子に近づこうと暴れていた村人Aが動きをかえた。首だけを後ろに回し男子の方へと向けていく。
「こいつ…っ!なんでこんなに力がっ」
頭を逆方向に戻そうと締めているのとは反対の手で動きを止めるのに村人Aの頭を押さえる男子。その甲斐なく、ぎちぎちと首を回した村人Aは口を大きく開けて、
「あああああ゛あ゛あ゛っっっ」
噛みついた。
腕を噛まれた男子は痛みのあまりに叫び声をあげる。
「永から離れろっ!」
弾かれたようにもう一人の男子は走りだし、噛みついてる村人Aにバットを叩きつけて女子は棒を突き刺す。
「なんで…どうして離れないのよ!」
殴られても突かれても噛むことをやめないそれに、ふらふらと二歩後ろに下がった男子は茫然自失としながら一つの仮説を口にする。
「やはりそうだ、死んでる…死んでるのに動いてるんだよっ!!」
口にされた仮設は現実的ではない。死んでるのに動いてるなんて、それは画面の向こうの領域だろう。にも構わず、世界は領分を侵し、狂っていった。
壊れた世界において、
もう常識は通用しない。
「う゛あああ゛あああああ」
腕を食い千切られ血が舞う。絶叫する男子。
「永っ!」
女子は村人Aを引き剥がそうと引っ張るがびくともせずこちらに振り返った。
「助けてよ!孝!螢蘭!!男でしょ…なんとかしてよ!」
こんなことに男も女も関係ないだろうが。
蚊帳の外にいた俺まで巻き込まないでもらいたい。…が、あの男子には色々と思うところがある。
渡されたまま使いみちがなぞだったバットを持ち直す。
『女子、退け』
「、ぇ」
向かいで自棄気味に情けない叫び声をあげ男子が走り出すと同時に俺も走り出す。男子が右にバットを振るから俺も右にバットを振り思いっきりスイングした。
飛び散った体液が顔にかかって不快指数が跳ね上がったのだがそれは口には出さないでおこう。
「っぁ…」
「永!大丈夫!?」
べちゃりと生肉を叩きつけて倒れた村人A。解放された男子が噛まれた右腕を押さえる。顔色は悪く、冷や汗もひどいのに顔を上げてゆるく笑っと見せた。
「ああ…ちょっと肉を裂かれただけだ、大したことない」
確かに人間はそんなことですぐ死にはしない。息を吐いて膝をついた。
『その傷は大したことだろう。傷、見せろ』
錯乱してる女子ではできないだろうから止血を行う。
『殺られる前に出血多量で死ぬなんて馬鹿らしいぞ』
ハンカチ越しの手に暖かいものが指先にまとわりつくが目の前の男子が痛みに顔を歪めることに気がいった。止血し終わり噛まれた方の右手を取り、握り返せと言えば微弱ながらも力を入れた。
目を見ると軽く瞳孔が開いている。
『痛みを感じるならまだ痛覚は麻痺していないだろう。アドレナリンも分泌されているようだし直に血は止まる。指先も動くなら神経までは達してないはずだ』
もう一枚あるハンカチで男子の額に流れる汗を拭って目を覗き込む。
「ありがとう…螢蘭…」
『……いつもと違って、勝手に俺を引っ張ってきたんだ。理由くらい説明してから気は失ってくれ』
「っ!………螢蘭、いま…やっぱりか……」
優男風な笑みは苦痛が混じっていたのに、目を見開いたと思うと泣きそうに笑って、力を抜くようにこちらに近づいた。
パリンなんて生易しいものでなく、ガシャンと窓ガラスの割られる音がする。男子と女子は即座にそちらに目をやった。
俺も彼から離れて目を向ける。そこでは村人Bが村人Cに教われ喰われているところだった。
「あんなの何人も相手にしてられないぜ…」
男子が絶望の色を隠しきれずに呟く。校内がこの様子なら外も同じだろう。
「屋上だ」
「屋上?」
「救助が来るまで立て籠るんだ。天文台がある」
その考えにいたった経路は不明だが、腕を噛まれてる男子の顔色はよくないし残り二人に正常な判断はできないだろう。
少し無理をしてでも来るかどうかわからない救助を待つよりまだ数がいない校舎を抜けた方が今後も動けるはずなのに。握ったままの手を取られて歩き出した。
ふらふらとしてて歩きづらそうだったから仕方無しに肩を貸す。動ける男子と女子は少し離れて警戒しながら前を歩いていた。
肩を貸しているため近い距離で、隣の男子は息を吐くと小さく笑う。
「螢蘭」
『なんだ』
「……上着の内ポケット、右側。」
『そうか』
「俺の家、知ってる?」
『知らない』
「それじゃあ案内するよ。でも、もし俺がだめだったら…孝か麗に案内してもらってね」
『………その時が来ないことを願うよ』
小さな声でのやりとりは二人に届かなかったらしく、俺達は無事に階段を登り切る。施錠されていないセキュリティがばがばの屋上の扉をくぐって、広がった外の街並みは凄かった。
「なんだ…これは…」
至るところからあがる黒煙。鳴り響くサイレン、クラクション、爆発音。きっと街では悲鳴や怒号が飛び交っているんだろう。
「ついさっきまでは…、いつも通りだったのにっ!!」
後ろの空から音がして共に凄まじい風に煽られふらついた女子の手を俺と怪我をした男子が掴んで引く。頭上を黒いヘリコプターが飛び去っていった。
「ブラックホーク?!アメリカ軍…いや違う、自衛隊だ!!」
飛んでいるはずのないヘリがこの学校の上を横切っていくところあたり、軍が動かないといけないようなことがこの都市のみならず全国で起きているんだろう
ああ、救助が来るなんて夢のまた夢の話だな。これは救助は来ないと思っていたほうがいい。
グラウンドでは四人の村人に囲まれた村人Eに食われていて現実をいきれなくなった村人Fが四階から飛び降りた。
「病気みたいなものなんだ。奴等に…」
「奴等?」
「いくら死人が襲ってくるといっても映画やゲームじゃないからな。だから奴等さ」
仮定で襲い来る村人たち、あれを【奴等】としよう。
【奴等】は人を喰う。
喰われたら終わり。
喰われたやつは死ねば【奴等】の仲間入り。
【奴等】を倒すには頭を潰す以外に今のところ方法はない。
今までの中で倒す方法がわかっただけでここにいた価値はあった。
「じゃあ…どうするの?」
「あそこにあがって階段を塞ごう」
どんどん退路が消えていく。ミステリーで部屋に閉じこもるのと同じくらい、自ら孤立していってどうするんだと言いたい。
「螢蘭」
いつの間にか眉根が寄ってしまっていたらしく、不安そうに声がかけられた。
『……お前が死ぬまでは、いてやるよ。だから、生き延びろよ』
ここからは奴等が多すぎる。ある程度一人で立っていられそうな彼から肩を外して、小さな声で名前を呼ばれたけど振り返らずに歩きバットを握る。俺と男子のやりとりは聞こえていなかったらしく女子ももう一人の男子はまわりにいる奴等へ神経を向けていた。
「いくぞっ」
走り出す三人に俺もついていく。進行先にいた邪魔な奴等を薙いで走った。まぁ、この場合俺の得物は刃物ではないから正確には薙いではいないんだが言葉の綾ってやつだろう。
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