東リベ


墓参りの後から、少しだけ、姫南条に意識を向けることが増えた。

元から仕事ではこき使っていたし、監視も兼ねて視界に入れるようにしてはいたけど、ふとした時に、朝から晩までいつ見ても整った佇まいにちゃんと寝て休んでるのかとか、仕事外でも斑目や三途と会話をしていたり望月、明司の手伝いをしていて飯を食ってるのかとか、常に灰谷兄弟に絡まれてウザくないのかとか考えるようになってしまった。


×


『元から食べることが得意ではないものでして』

「でも姫ちゃん意外とがっしりしてるよね」

『おやおや、いつの間にか身体検査をさせられていたようですね?』

「蘭ちゃんはまるっと全部お見通しってね」

にこにこと笑う蘭は手を伸ばして、姫南条の腕に触れ、それから腹に手を置く。

「うん。やっぱり。着痩せするタイプ。竜胆と一緒だね」

口角を上げて目を細める蘭に姫南条は引っぺがすでもなくなされるがままで、眉間の痛みに手を伸ばして顔を覆い、息を吐く。

「蘭」

「どうしたの?ココちゃん」

「これ、三途と行って回収してこい」


×


「姫ちゃん筋トレしてるって聞いたんだけどさー」

『蘭さんからどのようにお話を伺っているのかわかりかねますが、有りごとの際に困らない程度の体力を保てるようにしているだけですよ』

「お、まじで筋肉ついてる!…え?つーかわりとムキムキ?きれいな顔してんのに意外!」

言葉を待たずに洋服を弄る手に、姫南条は心境の読めない表情で好きにさせてる。

「見して!」

『公共の場で脱衣すると法に触れてしまうので遠慮いたします』

「反社の本部で今更公然猥褻とか気にする必要ある???」

『ふふ。一定値の規律は必要ですよ、竜胆さん』

「じゃあ一緒に風呂いこ!サウナ!」

『暑い場所は得意ではないものでして』

「え〜??ジム!!ここのトレーニングルームでいいから!ジム仲間ほしかったんだよ俺!!」

『…ふふ。かしこまりました。お互いのお仕事が終わってからでよろしければ構いませんよ』

「まじ??やったー!」

両手を上げて喜ぶ竜胆に、こういうところに年下の甘え方が出るよなと眉間を押さえる。

兄の蘭は傍若無人に振る舞うし、全てにおいて自分本位で勝手だけれど、竜胆はそんな兄に振り回されて諦めの良さもあれば灰谷らしく人を振り回す思考と弟のように甘く強請るときもあって、バランスをとることがうまい竜胆に姫南条も仕方なさそうに受け入れてしまった。

今割り当てている仕事は長く見積もっても2時間あれば姫南条ならば終わらせてしまう。だからマイキーにメッセージを送って、それから鶴蝶と望月にも連絡を入れておく。

竜胆もこれから仕事があるからと迎えに来た部下と部屋を出ていって、ようやく静けさを取り戻した室内では小さなタイピング音だけが響いてる。



「姫南条、終わったか」

『はい』

「飯行く」

『、』

ぱちくりと目を瞬いた姫南条の顔が面白くて、早くと促して部屋を出る。

おとなしく後ろについてくる足音に本部を抜けて、車の後部座席に乗り込んだところで慣れたように運転席に座った姫南条はミラー越しに俺を伺う。

「今送った店の住所まで」

『かしこまりました』

端末を確認してすぐにスムーズに走り出した車に、体をソファーに預けて、外を見る。

流れ始めた景色に、どんどんと本部を離れていっていることを確認してから目を閉じた。



×



「ココちゃん、最近姫ちゃんに肩入れしすぎじゃない?」

「…はぁ?んなわけねぇだろ」

自覚は、あった。

赤音さんの幼馴染で、今もなお赤音さんのことを大切に想っていて、あの日、俺とは違った方法で赤音さんを救おうとしていた姫南条に、誰が嫌悪の感情を抱けるものか。

普段通りに眉根を寄せてやれば蘭はくすくすと笑って、じゃあ今はそういうことにしておいてあげるとしたり顔で視線を逸らす。




×



失敗した。

商談の最後、連れ去られて拘束された。取引先に紛れ込んでいたそれの言い分は梵天への復讐で、更には個人的に俺に恨みがあったらしく、見せられた画面には作業着をまとった金髪が拘束されているから息が詰まった。

「堅気まで巻き込んで何考えてやがる」

「お前は乾が居なきゃなんにもできねぇ奴だろ」

「はっ。いつの話だそりゃ」



音声が繋がっているらしいそれに、向こう側の異常事態はすぐに察して、イヌピーのくぐもった声のあとに聞こえた名前に心臓が跳ねる。


『痛いところはない?』

「………ねぇ」

『それはよかった』

俺を救い出したのは姫南条で、ぽんぽんと俺の頭を撫でてから抱えあげる。

あまりにもあっさりと抱えられて目を瞬いて、身を強張らせれば笑い声が落ちてきた。

『落としたりしないからご安心なさいな』

「…お前、本当に鍛えてたんだな」

『可愛い黒猫ちゃんの一匹も自由に愛でられないような人間ではありたくないからね』

「人は結構重いだろ」

『黒猫ちゃんは軽いからそうでもないかな』

見栄で言っているわけではなさそうで、本当に震えの一つもなく抱えられて、少し考えてから体を預けて右耳をあてる。

「…姫南条」

『なぁに?黒猫ちゃん』

「……イヌピーを助けてくれて、ありがと」

『どういたしまして』

何故攫われたイヌピーをあんなに早く助け出せたのか、どうやって俺を見つけ出したのか、聞きたいことはたくさんあるけど、今は疲れた。

やることのない手を伸ばして、服を掴んで目を閉じる。

「…ヒメ」

『ゆっくりとおやすみなさい、黒猫ちゃん』

穏やかな声色、程よい揺れと暖かさ。包まれる甘い香りによく眠れそうだなと意識を手放した。



×



俺を連れて帰ったヒメはきちんと手当てと組織の後片付けまで行ったくれていたらしい。

さらわれたことに災難だったなと労いのエナジードリンクを差し出してきた鶴蝶が事の顛末をそっと教えてくれた。



×



もう認めよう。俺はヒメを手放せない。

仕事においても粗相することなく、私生活は死ぬほど謎だけど蘭のように身勝手な一面や竜胆のような愉快犯さ、三途のように狂信者でもヤク中でもない。

俺とイヌピーを大切にしていて赤音さんを思っていて、逆に良くないところを探すほうが難しい。

昔から何かに依存しすぎるきらいはあったけれど、今はそれがヒメに向かっているのは自分でも理解できていて。

灰谷兄弟は面白そうにからかってくるだけで済んでいるけど、鶴蝶と三途からは入れ込み過ぎないよう忠告された。



×



『お疲れ様です』

職場でのヒメはいつでも敬語でおしとやかな笑みを携えてる。

ヒメが来てから俺の仕事量は落ち着いた。今まではどれもこれも部下には任せることのできない書類や仕事をある程度振っているのもあるし、常に整理されている情報や、スケジュールに心身ともに余裕ができてパフォーマンスがあがってる。

今だって差し出されたカフェオレは温くて、カップを取り、迷わず口をつける。温かくて甘いそれに息がこぼれて、全部飲み込んだところで目を瞑る。

『おやおや。お疲れのようですね』

「………」

もの珍しげな声に目を開けて、カップを置く。空になった両手を伸ばせばヒメは眉尻を下げて、少し屈むと俺を抱え上げた。

『どちらまでお連れいたしましょうか?』

「…ソファー」

『かしこまりました』

大きめの俺の部屋の中、作業用デスクから回り込んだ場所にあるソファーは、以前まではどうにも眠気が襲ってきたときに仮眠するために利用していた。

最近はめっきり使うこともなくなったそこは会話に来る灰谷兄弟や鶴蝶、時折明司、望月くらいしか座ることはなくて、止まった揺れに目を開ける。

予想通りソファーの手前、俺を下ろすために屈もうとしたヒメに腕を首の後ろにかけて、ぴたりと止まったヒメが視線を落とすから目を合わせた。

「このまま寝る」

『…この後は竜胆さんからお呼び出しをいただいているんですが…』

「…お前は俺の部下だろ」

『……ふふ。黒猫ちゃんのわがままは可愛いね』

表情を緩めたヒメに満足して目を閉じる。少しの揺れの後に体がしっかりと抱え直されて、ソファーに座ったヒメの上に座り、背中を支えられてる体勢に髪が撫でられた。

『眠るなら横になったほうがゆっくりできると思うよ』

「このままでいい」

すっかりと慣れた体温を感じるためにぴたりとくっついて、ふわふわと撫でられる頭にだんだんと意識が溶けていく。

『おやすみなさい』

「ん…」



×



籠絡されたと言われても、仕方がないとは思ってた。



×



近頃周りが騒がしい。

それは梵天を嗅ぎまわっている人間がいたり、ちょうどのタイミングで裏切る会社がいたりと慌てていたからで、金策に走る俺は基本本部、時折外交という形だったからその補佐であるヒメといる時間はより一層増えた。

そのうちヒメがいるのが当たり前で、たまに他の幹部に駆り出されたり、仕事の兼ね合いで俺と顔を合わせないスケジュールが生まれたりして、ヒメがいない日は自分でもわかりやすいくらいに不機嫌になってた。



×


「姫川に肩入れし過ぎだ」

「……………」

とうとう突きつけられた言葉に、いつぞやかに蘭にも言われたなとぼんやりと思う。

ボスに言われてしまってはさすがに弁明の余地はなく、まっくろな瞳が俺を射抜いているから頬の内側を噛んで、ボスはそっと視線を外した。

「目に余るなら三途か鶴蝶を動かす」

「…気をつける」

昔のマイキーではなく、ここにいるのは梵天のボス。有益な駒は居るけれど、それに幹部がのめり込み過ぎては示しがつかないし、いざという時に動けなくなる可能性も、もしもの可能性もある。

もう暴走族でも愚連隊でもない。反社なのだから、いつまでも馴れ合っているわけにはいかない。



×



わかっていたって、人間は一度手に入れてしまった幸せを手放すことができない。

依然としてヒメを重宝する俺に時折望月と明司が心配そうな目を向けて、鶴蝶が何か言いたそうにしているのを避ける。

灰谷兄弟は変わらず絡んでくるだけで直接的なことは何も言ってこない。三途はしばらく外の仕事に向かっていて、帰ってくるまでは大丈夫だろうと仕事を片付けていく。

ヒメに割り振ってる仕事は多く、中身も濃い。すぐに辞めさせてやれるような簡単な話じゃないそれに、どうにかしないといけないと爪を噛む。

あの日、イヌピーから離れたように、ヒメを手放さないと、このままじゃ殺されてしまう。

今更になってあの日引き入れてしまったことを後悔して、本当に、いつだって、俺は後悔ばかりしてる。

最近の俺の様子をヒメはどう思っているのか。特に変わった反応を見せずに淡々と俺と仕事をして、俺が願えばあやし、食事を取り、眠りにつかせてくる。

日に日に、ヒメを手放さないといけないと焦る気持ちと、離したくないと思う気持ちで心が痛くて、久々に外交した帰り、不意に、目に入ったそこが懐かしいなと、思った。

あの日廃墟だったそこは俺とイヌピーのアジトだったけど、今はすっかりと店屋で、程よくきれいな建物には明かりが灯っている。

ガラスの扉から漏れている光に少し近づいて、同時に開いた扉から出てきたそれに互いに目を見開いた。

「あ、」

「、ココ?」

丸くなっていた目が揺れて、ふわりと微笑む。

「ココ、久しぶり」

「……………」

「なんかすげぇ白くなってるな。元気だったか?」

「………ああ…」

「俺がここで働いてるって姫くんから聞いたのか?」

「……んや、知ってた」

「なんだよ。知ってたならたまに来てくれりゃあ良かったのに」

「…どの面下げて会いに来いって言うんだよ」

「普通に来りゃいいだろ?」

「……ははっ、ほんと、イヌピーかわんねぇー…」

力が抜けて、笑いが込み上げて来る。

きょとんとしてるイヌピーは本当に何もかも変わらなくて、でも、あの時よりもだいぶ伸びた髪がきれいだなと思った。

「イヌピー、幸せか?」

「バイク屋は楽しい」

「そうか」

「ドラケンも優しい」

「うん」

「最近は一人でできることも増えたし、仕事も慣れた」

「何年も仕事してんだから慣れてねぇとやべぇだろ」

「それもそうだけど…あ、昨日の夜は姫くんと飯食った」

「、は?」

「よくわかんねぇけどココを頼むって言われたぞ」

どくんと、心臓が痛む。

昨日は本部で別れた。今日の俺は朝から仕事で出ていて、その間、ヒメは本部で仕事だったはずで、なんのためにイヌピーと会ったというのか。

すっとあがった視線に、射抜かれる。

「なぁ、ココ。お前なにかやべぇことに巻き込まれてんのか?」

「、ばーか、反社の俺が今更これ以上なにな巻き込まれるってんだよ」

「でも“姫南条”を動かすなんて相当だろ」

「………ヒメは…、“姫南条”を、動かす…?」

「ココ、知らなかったのか?」

ぱちくりと目を瞬いたイヌピーは、後ろを見て、室内に向かった視線を追えばそこには見慣れない黒服がいた。

「、は?」

「姫くんが置いてった。しばらくは一人にならねぇほうがいいってドラケンにも言ってたし」

「な、んで、」

「………やべぇことになってんの、ココじゃなくて姫くん…?」

「っ、」

すぐに携帯を取り出す。確認した画面には誰からもなにも連絡が来ていなくて、ヒメの番号を呼び出してもコール音すら鳴らずに無機質なアナウンスが流れたから切って、全員のスケジュールを確認する。

灰谷兄弟は一昨日から海外。鶴蝶と望月も片付けで出ていて、末端ごときが知っているとは思えない。一人だけ、ここ最近ずっと、ボスからの直接命令が重なり国内外で仕事をしていた奴を思い出す。

迷わず発信して、5コール目で止まった音に息を吸う。

「三途!」

「よぉ、腑抜け」

「ヒメに何かしたらただじゃおかねぇぞ!」

「あ?ボスに逆らう気かぁ?」

「っ」

「誰だか知らねぇけど、ひめは無事なんだろうな」

「うるせぇよ捨て犬」

瞳孔を開くイヌピーに三途はうざったそうに言葉を吐いて、電話が切れる。震える手に息が短くなって、呼吸が苦しい。

「ココ!」

がっと肩を掴まれて顔を上げる。

「姫くんの場所は!」

「わ、かんねぇ…」

「っ、なぁ姫南条は!」

「姫様の現在地は存じ上げません」

「なんでっ」

「私の仕事は貴方の警護です」

「くそっ」




×





椅子に座らせられて、縛られてるヒメ。抵抗してないのか特に怪我も汚れもないその姿はきれいなのに、この異様な状況に息は苦しくて、いつかの日のように、三途が後頭部に銃口を押し付けた。

「言い訳は」

『ございません』

「遺言は?」

『ではふた言だけ』

くすくすと笑うと、視線を上げて、俺を見つめる。

『俺が赤音ちゃんに頼まれてたのは』

かちりと、音がして、

『私の大切な青宗と一くんをよろしくねだったんだよ』

「ヒメ、」

『ばいばい、黒猫ちゃん』

パァンっと、音が響く。真っ赤な液体が散って、俺の顔にかかって、妙に温かいそれに、唇が震える。

「ヒメ、…?」

どくどくと流れる赤色。あの頃から変わらない真っ白の髪と肌を染めていく赤は、あの日家を包んでいた炎にも似ていて、死ぬとわかっているくせに緩められてる口元は弧を描いていて、歪み始めた視界に水が溢れだす。

「ぁ…あああっ!!!」



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