東リベ
『お休みをちょうだいいたします』
「休み?」
『はい』
にっこりと笑った姫川に、さてどうしたものかと考える。
指定された日付はただの平日。なにか意味があるかもわからない上、いくら仕事ができることを把握したとしても自由にするのは憚られる。
「なんの用事だ」
『人に会いに行きます』
「堂々とネズミ発言してんじゃねぇぞ」
まだ薬がキマってなかった三途が声を荒げて、マイキーは息を吐く。姫川は穏やかな表情で口を開いた。
『では、もしよろしければ黒猫ちゃんもご一緒いたしませんか?』
「、は?」
『きっと黒猫ちゃんならば私が叱られることもございません』
「はぁ…?」
時折存在する、俺への過大すぎる期待。信頼にも近いような、そんな言葉に明司や望月もやっぱり前に会ったことがあるのか?と不思議そうにしていて、鶴蝶や三途が姫川を探っていたようだけれど芳しい成果は上がってなかった。
『同時にお休みをちょうだいすることは難しいでしょうか?』
「………わかった」
「え、マイキー、」
「ただし、当日は必ず定期的に生存報告を電話でココからさせること。決まった時間までに帰ってくること。どちらか一つでも達成できなかったらお前の命はない」
『かしこまりました。では恐れ入りますが当日は黒猫ちゃんをお借りいたしますね』
「ああ」
×
人の時間を拘束するその取引に、姫川はあっさりと俺の言い値を、マイキーも臨時手当と金額を各々振り込む。
やってられねぇと思いながら指定された駅から少し離れた場所で待ち合わせる。ひと気はあるけれど、頻繁に人が行き来しているわけではないそこにいれば、ふわりと甘い香りがした気がして顔を上げる。
『おまたせして申しわけありません』
「全くだ」
くすくすと笑う姫川は大きめの日傘をさしていて、目元には最初にあった頃とはまた別の、真っ黒のグラスがハマったメガネをかけている。
日焼けを気にするような居住まいに何かが引っかかったような気もしたけど、こちらですと歩き出した姫川に着いて足を進めることで会話が途切れた。
行き道、姫川は余分な会話もなく、行く場所が決まっているように進む。花屋に寄り、色とりどりの花をまとめた大きな花束を片手に抱え、それからケーキ屋で四つケーキを選んでいた。
一つ一つ、わざわざ自身で丁寧に選びぬいたそれに恋人に会いに行くのかと眉根を寄せて、迷い無く進んだそこはひどく静かな場所だった。
「、霊園…?」
似た形の石が決まった区画に収まるように立ち並び、それぞれに文字が掘られていて、平日の昼間故にかひと気も少なく他の人間は見当たらない。
姫川は迷路のような霊園の中をスタスタと歩く。まっすぐ進んで、曲がって、進んで。入り組んだ霊園の中で、更に階段を登って、五分ほど歩いたところで墓石の一つにたどり着き足を止める。
歴代の墓ではないのか、多少の年季が入っているように見えるけれど、とてもきれいにされている。墓石に刻まれている文字を見て、息をのんだ。
「なんで…!」
その瞬間、思い出したのは今日の日付。甘い香りとふわりと揺れる白色。それから、真っ赤な炎。
固まる俺に姫川は膝を折り、屈んで墓石に目を合わせた。
『ひさしぶり、赤音ちゃん。今日は君の好きな黒猫ちゃんが一緒に来てくれたよ』
そう話しかけながら、次には水を取り替え、花を添えて、ケーキを供える。いつの間に用意していたものなのか線香を取り出すと火をつけて。煙が立ち始めたところで火種をしまうと束を半分にわけて俺に差し出した。
『はい。黒猫ちゃんの分』
「は、?」
『灰が落ちると危ないからしっかりと置いてね』
「……………」
戸惑いながらも促されるまま線香を寝かせるように網にのせて、それから姫川も残りの半分を同じように置いた。
口を開こうとして、言葉にならず閉じる。それに気づいているのかはわからないけれど姫川はケーキの箱を開くとろうそくを刺して、火をつけた。
ゆらゆらと揺れる小さな火に、これなら触っても熱くないだろうなとぼーっと眺めて、姫川は丁寧に手を合わせた。
『お誕生日おめでとう、赤音ちゃん』
「っ、」
祈るように目を瞑った姫川に、息をのむ。真摯な横顔に考えが追いつかなくて、どれくらい経ったか、姫川は目を開けるとケーキに息を吹きかけてろうそくの火を消した。
線香とろうそくの匂いがまざった、淡い日差しの中で、姫川は振り返って俺を見た。
『俺は一度片付けに離れるから、黒猫ちゃんは赤音ちゃんとお話しててね』
「、ぇ、」
俺の返事も待たずに使った水桶と柄杓を持って離れていく背中に、じっと墓石に向き合う。
赤音さんのお墓に来たのは、初めてだった。
あの日、最期に赤音さんに会ったあと、転がるように堕ちていった俺が赤音さんの墓前に立つことはなかったし、イヌピーも俺を墓参りに誘うことはなかった。
もしかしたらイヌピーは少年院に詰められているとき以外は定期的に来ていたのかもしれない。
赤音さんの墓石はよく見ると少しだけピンク色の石で、かわいらしく珍しい色をしてる。予想通り、歴代の墓じゃないのか、墓石には赤音さんの名前だけが刻まれていて、他の家族の名前は入ってない。
「…赤音さん」
呼びかけても返事はない。俺が赤音さんと言葉を交わしたのはあの炎にのまれてしまう日の前で、その後は入院中の赤音さんに会いに行くこともなく金を稼ぐことだけを考えていた。
間に合わなかった俺が、今更どの面を下げて、何を話せと言うのか。
手を伸ばして、触れた墓石は陽の熱によりほんのりと暖かい。触れたまま眺めていれば足音が近づいてきて、手を下ろして振り返れば姫川が立っていた。
『お話ができたようでなにより』
「…なんでお前がここに俺を連れてくるんだ」
『おやおや、何故と聞かれることのほうが不思議ですね?貴方は今だって赤音ちゃんを忘れていないでしょう?』
「、」
『白犬くんとも決別していらっしゃるようですし、俺の知り得る範囲でここに来たことはないはずですから。折角のお誕生日祝いならば賑やかな方がいいかと思いまして』
食べるでしょう?と差し出されたフォークは使い捨てのプラスチック製で、簡易的なビニールに包まれてる。
「…お前、赤音さんのなんなんだよ」
『……ふふ。そのお顔と言葉も懐かしいですね』
くすくすと笑う姫川を睨みつけて、そうすれば姫川はゆっくりと口を動かした。
『黒猫ちゃんが赤音ちゃんを大好きになのは変わらずだね。ご安心なさい。俺と赤音ちゃんは幼馴染だよ。だからお誕生日祝くらい許してくれないかな?』
ふわり、ずっと昔の記憶が不意に流れる。
真っ黒な布に包まれた不審者。あの二人に姫くんと呼ばれていた人間。思えば、選んでいた花もケーキも、乾家にお邪魔したときに見たことがある。どれもこれも懐かしい記憶のそれに、一気に目の前が赤くなって、手を伸ばして胸ぐらを掴んだ。
「なんで!」
包帯にまみれた、イヌピーの泣き顔と、冷たくなった赤音さん。
「なんで!なんで!お前がいたのに!!」
『………』
「お前がいたのに!なんで赤音さんは死んだんだよ!!」
姫川が姫南条だというのなら、四千万なんて金額はあっさりと用意できたはずで、俺が金策に励む時間に姫南条ならば赤音さんを救えたはずだ。
締め上げられていることにか微かに表情を崩して、とんとんとやわく手が叩かれる。それでも力を抜くことができない俺にそいつは小さく息を吐いた。
『そうだね。うん。俺はそこに存在していただけだ』
「っ、赤音さんは!お前なら!赤音さんを治せただろ!!」
『………赤音ちゃんは…』
そっと視線を落として、言葉を零す。
『火傷もそうだけど…内臓が、保たなかったんだ』
ひゅっと喉が無様な音を立てて鳴る。胸ぐらを掴んでる手が震えて、姫川は視線を落とす。
『臓器に関しては移植するにも適切なドナーがいなければ難しいし、移植できない器官に関しては自然回復を待つしかない。…でも、赤音ちゃんの体はそのどちらをしようにも耐えられるだけの力が残ってなかった』
淡々と告げられるそれはイヌピーに聞いていたものとは少し違う。
でも、たしかに。ぎりぎり峠を越えたと言っていたのに、俺には火傷の話と金額のことしか頭になかった。
イヌピーが子供だったから詳しく伝えなかったのか、それともイヌピーは知っていて俺に伝えなかったのか。
大人になった今ならば火事の際の死因が煙による中毒死のほうが多いことくらい理解できて、狭いところを風が抜けるような、嫌な空気の音が響いてる。
震えている俺の手を支えるように手を重ねて、姫川は息を吐くと俺から視線を逸らす。自然とその視線の先を追ってしまって、見つめた墓石に息が詰まる。
『できることならば、俺も赤音ちゃんには生きていて欲しかった。けれどそれは叶わないことなのはあの日から1ヶ月ほどでわかっていて…。赤音ちゃんは、延命を拒否した』
「、なんで、」
『…さぁ。俺には赤音ちゃんの真意をすべて理解することはできなかったよ』
「っ、…でも、お前、なら、」
『俺にできることなんて、微々たるものだったってことだよ』
静かな姫川の目はなにを見ているのか。
随分と金のかかりそうなきれいな霊園の一等地に据えられた、赤音さん専用の墓石。あの日泣いていたイヌピーの零していた様子の乾家のご両親に到底用意できるものとは思えないそれに、手に力を込める。
「赤音さんは、……赤音さんは、お前になにか言ってたか」
『……そうだね。少しだけお話はしたけれど…いくつか、お願いをされたくらいかな』
「お願い…?」
戻ってきた視線に、サングラス越し、目があって。姫南条は穏やかに微笑む。
『いつか貴方にも伝えられるといいな』
「、今言えばいいだろ」
『役者が揃わないとね』
「役者…?」
『ふふ。ええ。今ではないことだけは確かだよ』
目を見開く俺に口元を緩めたまま、胸ぐらをつかんでいる俺の手の甲に添えていた手を離して俺の髪に触れる。
『そろそろこの場を離れないと白犬くんが来るお時間だけど、黒猫ちゃんはご挨拶していく気なのかな?』
「、」
『冗談だよ。さぁ、お片付けしてお家に帰ろうね』
力が抜けて、胸ぐらをつかんでた手を下ろす。姫南条はいい子だねと笑った後にさっさとケーキの箱を閉めて、墓石を見つめた。
『また来るね、赤音ちゃん』
軽やかに、友人に挨拶をかけるような。そんな声のまま姫南条は俺を見る。
『黒猫ちゃんもご挨拶は?』
「、」
慌てて赤音さんに向き合って、口を開く。
「ま、また、来ます。」
『はい、よくできました』
頷いた姫南条が歩き出すから後ろについていく。霊園の入り口付近にたどり着いたところでバイクの排気音が近づいてきていることに気づいて、姫南条がちらりと俺を見据えた。
『そこのベンチで座って待っていられる?』
「、わかった」
急ぎ足に木陰にあるベンチに腰掛けて、そうすればバイクの排気音が止まって、あ、と短い声が聞こえた。
「姫くん」
『こんにちは、白犬くん』
「ああ」
ぶっきらぼうな話し方。変わらない声色にぐっと目頭が熱くなるのはきっと赤音さんに会ったばかりだからで、俯いて顔を押さえる。
「今年もありがとうな」
『俺が好きでしていることだからね。お気になさらず』
「………そうか」
躊躇うような、妙な間の後に、空気が震える。
「赤音の墓参り、無理してねぇか」
『いいえ、まったく』
「…………、姫くんは…姫南条なら、忙しいだろ」
『今の俺はしがない社員だからそうだもないけどね』
「…そうか」
イヌピーがなにか言いたそうな声をしてる。ぽんぽんと思ったことを言ってトラブルになるか、言いたいことを何も出せずに黙ってしまうか、イヌピーはいつだって両極端で、昔はそんなイヌピーの横でトラブルの後始末か言いたくなるまで待っているのが常だった。
袂を分かってからもう十年。そんな昔のことでも昨日のことのように思い出せるなんて、今日の俺は随分と引きずられてる。
『俺はそろそろお暇させてもらうから、白犬くん、赤音ちゃんによろしくね』
「、」
がさりと音がして、足音が止まる。
「なぁ、姫南条、ココといるってほんとか」
『おやおや…。どちらでそのようなお話が?』
「………花垣が…梵天のこと、気にしてて…」
『花垣さんという方は俺のお知り合いにはいない気がしたけれど…。それで?』
「梵天が最近取り込んだ会社、古いホームページに姫川ってあったから…」
『…ふふ。我ながら爪が甘いね』
「、………ココは元気か?」
『さぁ、どうでしょうね』
「姫く、」
がさりとまた大きな音がして、静まり返る。少しして今度は足音が聞こえた。
『今の俺が黒猫ちゃんといるのであれば、新参者の俺は自由に身動きできる立場にあると思う?』
「、」
『これからはもう俺に話しかけちゃだめだよ、白犬くん』
「姫くん…」
『赤音ちゃんと仲良くね』
「ひめ…、ああ」
がさりと音がして、イヌピーがとぼとぼと歩き出す。背中を見送って、ぼんやりとしていれば影がかかった。
『さぁ、帰ろう、黒猫ちゃん』
「………ああ」
当たり前のように差し出された右手を取って、立ち上がる。
