カゲプロ
―side ケンジロウ
“『…』にはとても素敵な恋人がいる。 ”
『おーい、楯山せんせー』
授業に向かう最中の廊下で後ろから飄々とした声がかけられた。
高鳴る心臓を押さえつけ振り返る。
「どうしました、蔵田せんせ?」
俺の敬語に私事と先付けた。
『んーいやな、ちょっと用があんから夜付き合ってくんね?』
ファイルを持つ反対の手で頭を掻きながら笑われ、唾を飲みこみ、上がろうとする口角を堪えてしょうがないな。と返してみせた。
『ありがと、ケンジロ』
「―…っ」
吊り気味な鋭い目が下がり、口角が上がって、柔らかな笑顔をつくる。
何か言い返えそうとしたがチャイムが鳴り響いた。
『あ』
「やべっ」
次の教室はここから少し離れている。
だから早めに出たのになにしてんだぁぁっ!
『頑張ってください楯山せんせー』
「っ、おおう、はい」
楽しそうに俺の頭を一度撫でると目の前の教室に入っていった。
「…ゆ、悠真!」
『ん、おう、終わったか?』
車に寄りかかり煙草をふかしていた人影に駆け寄れば、運動したこととは別に心臓が跳ね言葉がつまってしまった。
情けない
『じゃ、付き合ってくれよケンジロ』
吸殻をポケット灰皿に捨て笑い助手席を開け運転席に回った。
開けられている扉から助手席に乗り込む。
「で、どこ行くんだ悠真」
走り出した車は着実に繁華街に向かっている。
定時どころかほぼ仕事を投げてきたため今はまだ8時だ。
『ほら、もうすぐ誕生日だろ?』
浮かれた笑顔に一瞬高鳴った心臓だったが俺の笑みは固まり、心臓が痛む。
「…そういうことなー」
『“研一”に何を贈んかまだ決まってなくて』
目星はつけてんだけどと笑う悠真は本当に嬉しそうで、急激に冷めた頭のお陰で心臓の痛みが顕著だ。
「何で迷ってんだよ」
『指輪のデザイン』
「、」
聞かなければよかった
痛む胸と熱くなってきた目頭を無視し口角を無理矢理上げた。
「見なきゃわかんねーな、そりゃあ」
『どっちも似合いそうだから彼奴』
いっそのこと両方買うか?と本気そうな悠真にあほかと返して視線だけ下に落とした。
胸が痛い
着いた店は案の定ジュエリーショップで、これかあれと覗き込んだショーケースを悠真は指す。
それは婚約指輪でも結婚指輪でも通用する立派なやつで、ゆっくり瞼を下ろし気づかれないよう息を深くついた。
「どっちでもお前に似合うだろ」
『そりゃーな。つか、俺じゃなくて研一に似合うほうを選んでくれよ』
ショーケースの中の指輪とにらめっこしている悠真の横顔は真剣で授業やってるときよりも幾分か目付きが鋭い。
『……ん』
長く細目の悠真の指が片方の指輪を指すと同時に俺も同じ方に指を出していた。
悠真の琥珀色の瞳が俺を捉える。
「……こっちのが兄貴の薬指に合う」
『お!だよなー、やっぱこっちだよな、ん、よし』
揚々と近くでずっと見守っていた店員さんに声をかける悠真の姿を見つめ、今度は思いっきり息を吐き出した。
“『兄』には、とても素敵な恋人がいる。 ”
『今日は付き合ってくれてありがとな』
指輪を買った後に晩飯を食べに行ったわけだが、もう家の前だ。
「また付き合う」
『ん、おう、頼むな』
シートベルトを外し降りればいつものように半分開けた助手席の窓越しに会話する。
「―じゃ、また月曜に」
『ああ、―あ、明日あやさんと僻地いくんだろ?気を付けて、解明頑張れよケンジロ』
笑んで手を振った悠真はオートで窓を閉め車を走らせた。
角を曲がって見えなくなるまで見届け家に入る。
「お父さんお帰りなさい」
「お帰りなさい」
彩花と文乃に迎えられ笑顔を作った。
「ただいま」
金曜日であるため文乃はまだ寝ないようだ。
代わりに彩花は明日伝承の地へ向かうためにもう眠る準備を終えている。
10時はとうに過ぎているんだ、もうとっくにつぼみも修哉も幸助も眠っているだろう。
明日は彩花と伝承の地を巡りに行く。
―…それと同時に、兄の誕生日でもあった。
きっと明日悠真と兄は濃い時間を過ごすんだろう。
起きたらおめでうくらいメールしておこうか
前日の雨のためか、ぬかるんでいた地面を踏みしめて崖上の木々が生える洞窟に向かう。そんな悪条件の中探索をしたからか
ばきばきと小枝を踏んだような音を大きくした音と、みしりと悲鳴を上げた木々の根、崩れてきた石、土、砂は俺と彩花をあっという間に飲み込み、そんな飲み込まれたという自覚も意識も感覚も全てが吹き飛んだ。
「………なんで…」
一人目を醒ました俺は変わり果てた現実を前に絶句するほかなかった。
どうして一人還ってきてしまったのか
救助に来ていたレスキュー隊に奇跡だと生きていることを喜ばれ運ばれる。
待って、待って、待って
まだ
待ってくれ
まだ妻が
滲み霞む視界は赤い。
「……兄貴…と、悠真が?」
搬送された病院でつけられていたテレビに流れるテロップと音声にノイズが走った。
一体何が起きているのかわからない
「研一お兄さんと蔵田先生…?」
隣でテレビを前に文乃も絶句している。
――本日の午後2時頃、東京都――区――で横断中の歩行者に乗用車が侵入しました。
それにより横断中の“楯山研一”さんが頭を強くうち死亡。また、同じく乗用車に跳ねられた“蔵田悠真”さんは――病院へ搬送されましたが依然意識不明の重体です。―――
続く重軽傷の名前紹介はもう耳には入ってきていない。
血濡れたアスファルトを映していた画面が変わり、証明写真で撮ったような男の顔写真が映った。
――署は自動車運転過失傷害で、運転していた――容疑者を現行犯逮捕。
調べによると、乗用車を運転していた――容疑者は前日に大量の酒を摂取しており―――…
気付いたらぼろぼろと涙が溢れていた。
文乃も大泣きしていて、父親として慰めないといけないのに手なんか伸びなかった。
妻は囚われ、兄は死に、悠真は眠っている。
頭がおかしくなりそうだ
締め付けられてるように痛む胸。
俺の傷は重くも深いものなどではなく、一番の傷は右腕の皹だ。
暗い病室内は酷く静寂が痛い。
一人が、独りが、恐ろしい
心配する文乃や制止しようとした医者を振り切り悠真の病院へと来た。
「―ゆ…ま…ぁっ?」
飛び込んだ病室のベッド上には眠る悠真ではなく、座り両の掌を見つめる悠真がいた。
『……研一が…研一が、車にぶつかってさ…俺もぶっ飛んで、』
「悠真…?」
長めの前髪のせいか、下を向いてるせいか、表情は読み取れない。
『……まだ、指輪渡してねーのに…けんじろに選んで、もらった指輪、を研一に―…』
所持品なのか、黒ずんだ物が棚に置かれている。
その中の一つに潰れた黒い箱が存在していた。
「悠真、っ」
ゆっくりと項垂れた頭を上げれば悠真の赤く光る目が俺を捉える。
『蛇がさ、俺らに言ったんだよ』
「ゆうま…」
『研一、まだなんだ、研一が』
口角だけが歪に上がっていた。赤く光っている瞳は現実らしからぬ発色で、なのにそこから流れ落ちる涙は不思議なくらいに透明だった。
「悠真…」
涙で濡れる頬へ左手を伸ばせば、冷たくはなく熱が伝わってくる。
やっと触れられた
「俺も彩花が囚われたまんまなんだ」
どこかで蛇が嘲笑う。
「一緒に取り返そうぜ」
蔵田 悠真
能力:目を強奪(うば)う
国語と社会の教師
ケンジロウの同僚
楯山研一
ケンジロウの兄
悠真の恋人
交通事故に巻き込まれ死亡
楯山研次郎―ケンジロウ―
能力:目が冴える
妻と娘一人と養子三人と暮らす教師
研一の弟
悠真に勝算のない恋をしてた
妻と悠真のために研究を始める。
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