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「雪は変わらないね」

苦笑いにも見える表情だけれど、監督の声には安堵の色が見える。

隣に座り一緒にフラペチーノを持つその人はにっと歯を見せて笑った。

『いづみは変わったね!』

「やめてよもう。そんな変わってないって」

『前よりすっげー楽しそう!』

「この間あった時も言ってたでしょ。そんな変わらないよ」

口角を上げて笑う監督はとても楽しそうでリラックスしてる。二人は仲がいいんだろうと当たりを付けたところで隣の真澄が腰を上げた。

『それだけいづみがまた舞台に関わるのが俺の中では意外だったんだろうなー』

「うん。私も関わるなんて思ってもなかったよ」

『でもこれでまたいづみとたくさん話せるし、万々歳だね!』

「いつもそう言うね、雪は」

『うん。だっていづみとの共通点は多いほうが嬉しいから』

「なぁ、」

二人の軽やかで甘さを含んだ会話を遮った声に横を見る。空っぽの隣に視線を慌てて戻せば真澄くんが二人の前に立っていて、監督が驚きで固まった。

「アンタ、監督の何だよ」

『監督っていづみのこと?』

ぱちくりと音が出そうなくらいにしっかりと瞬きをしたその人は隣の監督を見て、それからなるほどと何かに頷いた。

『俺は立花 雪!いづみの親戚です!』

にぱっと快活に笑ったその人は真澄の態度に気分を害した様子もなく優しいオーラが溢れ出てる。

毒気が抜かれたのな目を丸くした真澄に硬直からかえってきた監督が眉根を寄せた。

「もう、真澄くん。そんな怖い顔して話しかけない」

「アンタが怖がるならもうやらない」

「私が怖いというか、人に威圧感を与えるのはよくないってことだよ」

『ほらほら、いづみ、大丈夫だよ。気にしない気にしない!』

捨てられた子犬みたいに寂しげな表情になった真澄に監督が言葉に詰まって、隣で聞いていたその人が笑顔で二人の空気を壊す。

明るい笑顔は太陽のようで漂っていた不穏な空気を吹き飛ばした。

真澄と合流するため腰を上げて近れば俺に気づいた監督と目があって息を吐かれる。

「真澄くんが居たなら出てくるタイミングが変だとは思ったけど…咲也くんが一緒に居たんだね」

「う、すみません」

「謝らなくても大丈夫だよ。隠すようなことでもないし」




『みんなも役者なんだね!』

「”も“ってことは貴方も?」

首を傾げた至さんに大きく頷くとそうだとウエストポーチを探って何かを取り出す。長細いそれは見覚えのある形をしていて、何かのチケットのようだった。

『これさっき話してた舞台の!いづみ、よかったらみんなで見に来てね!』

「え、いいの!?」

『うん!』

にこにこと笑って監督にチケットを握らせた雪さんは一緒に取り出した携帯をちらりと確認して立ち上がる。

『その日の分しか今持ってないけど、別日のが欲しかったら言ってね!!じゃ、いづみ、みんな、またね!』

笑顔を振りまき、監督の返事すら待たずに走り出した雪さんは近くに止まってたワゴン車に乗り込んだ。そのまま発車したワゴンの窓は暗く、中が見えそうにない。

太陽みたいだけど嵐みたいな去り方に呆けていればシトロンさんがねぇねぇと監督の手を引いた。

「アノヒト、なにくれたの?」

「舞台チケットだよ」

これと見せられたのは日付とタイトルの書かれたしっかりとした厚みのある紙。タイトルを見て目を見開いたのは至さんだった。

「これ、聞いたことある」

「劇では有名な演目だからね。シェイクスピアは私達がやったロミオとジュリエットの作者でもあるし」

「マクベス…」

「シェイクスピアの出してる作品のなかでも短くて有名な演目だな」




「言ったら本当に人数分用意してくれるなんて…!」

歓喜のあまり泣きそうなのは支配人で、よほど有名な舞台なのか演目で目を輝かせる人もいれば、売り切れ必須の千秋楽のチケットに目を瞬いてる人もいる。

「監督の親戚ってやばい人?」

「そんなそんな、みんなと同じ役者だよ。チケットはたぶん、私が見てみたいって言ったのを覚えてくれてたんだと思う」

苦笑いの監督にどうしてか言葉通りに受け取ることができなくて、鼻歌まじりにパソコンをいじってた一成さんが歓声を上げた。

「え、なになに!これちょーでっかい劇場でやんの?チケット完売済とかまじやばたにえん!主演有名人とかテンアゲじゃん!」




『いづみちゃん』

聞こえた声は知ってるはずなのに知らない他人みたいだった。

「え、雪!本番前なのに大丈夫なの?」

『うん。大丈夫。問題ないよ』

ゆるく、まるで至さんみたいな柔らかい笑顔。あの日会った時とはまるで違う表情に思わず固まる。喋ってる監督は違和感がないのか普通で、真澄も言葉を失って、シトロンさんが目を瞬いた。



「あれは雪の仕事モード。この間のはオフモード」



「それから、これが演者の雪…“雪花 月”」



「役者は演じるから、もちろん違う人間に成りきることだってある。それでも、あれは…」

「まるでベツジン。まったく違う人ね」



「…………みんなは自分と役の共通点を見つけてそこから自分で役を作る。でも、雪は、その役の人間として生きて話して、行動してる。あそこに居たのは立花 雪が演じてるマクベスじゃなくて、マクベスとして生きてる雪花 月」



『いづみちゃん、どうだった?』

「うん、マクベスとっても格好良かったよ」

『…そう、それなら安心だ』

ふわりと花が綻ぶみたいに微笑んだ雪さんは、さっきまで狂って死を遂げたマクベスとも、この間会った明るい雪さんとも似つかわない笑みで背筋が寒くなる。

人が恐いなんて、初めて思った。



「今度私達の公演も見に来てよ」

『いづみちゃんが誘ってくれるなんて嬉しいなぁ。楽しみにしてる。連絡待ってるね』

小さく手を振りスタッフと場を後にした雪さん。姿が見えなくなって、いつの間にか止めてしまっていた息を大きく吐いた。

「き、緊張した〜」

「ごめんね、みんなには雪のこともっとしっかり伝えておけばよかった」




『来ちゃった』

にっと笑って扉から現れたのは雪さんで一瞬稽古場に緊張が走る。

「雪、迎えに行ったのに」

『早くみんなに会いたくて我慢できなかった〜!元気そうだね!』




『今日はオフモードな俺だから!』




「雪には特製カレーだよ」

『いづみカレーだ!!ありがとう!!』

目の前に置かれたカレーに目を輝かせる雪さん。

特製の言葉にむっとしたのは真澄で、まぁまぁと落ち着ける。手元のカレーと雪さんの前のカレーを見比べて違いを見つける。俺たちのカレーが濃い色をしているのに対し、雪さんのカレーはどことなく白っぽい色味をしてる。

どこかで見たことのあるような色味のカレーに首を傾げているのは俺だけのようで、いただきますの声かけにスプーンを持った。

「おいしい?」

『ん!おいしい!!』

大きく頷きながらにこにことカレーを食べる雪さんはやっぱりこの間のマクベスとも仕事のときとも違う顔をしてる。

「俺もそれ食べたい」

「ええ…?真澄くんの口に合うかわからないけど…」

『食べかけ平気?こっちの方なら口つけてないからスプーンで取ってってよ!』

何故か目を逸らした監督に、にこやかにカレーを勧める雪さん。真澄が促された端の方からカレーを掬って口に入れる。

目を丸くして固まった真澄に監督が苦笑いを浮かべた。

「雪のカレーは特製だから、はい、お水」



「ココナッツミルクに牛乳、卵。具は人参じゃがいも豚肉。」

「カレーの匂いがするシチューじゃん…」

「雪が食べれるように作ったカレーだからね…」



『いつもは買ってきたカレー食べてるよ』

「あー、レトルトの…」

『いろんな種類あるから!あ、おまけのシールとかいっぱいあんだけどいる?今度持ってくるわ!』

おまけシールがついてるカレーって子供向けカレーのことだろうか。

至さんたちも察したのかああーなんて言葉を洩らして、監督は息を吐く。

「毎日レトルトは良くないよ、雪」

『俺料理一切できないから!』




『こんにちは、咲也くん、』

ふわりと微笑んで柔らかな声を転がす。完璧な表情なのにやっぱりゾッとしてしまって、思わず固まった俺に





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