鬼滅の刃
灯の呼吸という、炎の呼吸の派生である呼吸を扱う柱がいる。
本来、使う呼吸と柱の名が連動していることが多い。けれど、彼は灯の呼吸の、花柱である。
消え入りそうな気配。これは彼奴かとそちらを見ればゆったりと無駄のない、品を纏った動作で歩くそれが視界に入った。
「よう」
声を掛ければ目が合い、緩やかな動作で頭が下げられた。
病的に白い肌に揺れる緑褐色の髪。俺と同じく拘りがあるのか一房だけ長い髪は三つ編みにされて胸元に垂らされている。纏う服も教会で見るシスターのようで、細い身体と低い背も相まって女にしか見えなかった。
そのまま歩き始めた。
「聞いたぞ?最近下弦を倒したんだってな?」
『はい』
「特に怪我は無さそうだな」
『はい』
驚くくらいに、会話が続かない。
口下手なのか次に続けられる話し方ではないせいで同じ話題をふくらませるのは厳しい。
無口な冨岡も似たりよったりだけれど、柱はどこか性格に難がある人間が多いような気がする。
隣を歩くことを否定してこないから存在を否定されている訳ではないのだろうけど相変わらず掴みづらい人間だ。
「………………」
合同任務は苦手だ。
己で思っているよりも相手に言葉が伝わっておらず連携を取るのもままならず、胡蝶にもよく笑顔で苛立たれる。
よっぽどの強い鬼でなければ柱同士で任務に当たることは滅多にないけれど、
斬られると、そう、思った。
「仙斎!」
裂かれそうになった薄い身体を翻して、そした刀を逆手に握るなり薙ぐ。そのまま地を蹴り後方に三歩。
「ちっ」
苛立ち気に舌打ちをかました鬼。俯いていた仙斎は距離を取って、そして、口元を歪ませた。
『っふふ』
「仙斎!」
『ははっ!』
わかりやすく上がった口角。紅潮した頬に息を呑む。
『きみ!さいこう!これだよこれ!!』
「…仙斎さん?」
『んっ!……ふふ、やばい、滾ってる』
舌で薄い唇を舐め、空いている左手で重たい前髪をかきあげ後ろに撫で付ける。普段は隠されている八の字の下がり眉は眉間に軽く皺が寄り、歪んだ表情は恍惚としてた。
『気持ちいい?ねぇ?気持ちいい??』
「っ、が」
『んふふふ、俺もイッちゃいそぉ』
「ひぃ、ぐっ」
『ねぇ、もっと啼いてよ』
『………ふぅ』
吐息。恍惚とした表情と達成感の表れのそれは、色街で見る、人の事後の姿に似ている。
目を閉じて、不意に開くと手についた血を確認するように指先同士を合わせて擦りつけ口角を上げた。
『ふふ、足りないなぁ』
「…………、仙斎」
『冨岡さん?なんですか?』
きらきらというよりもギラギラとした獣のような瞳が俺を捉えて言葉が出てこず唾を飲む。
初めて見る表情。初めて聞く声。
「仙斎」
『こんにちは』
「ああ」
近頃、あの冨岡と仙斎がよく一緒にいるのを見かける。
口下手無表情協調性ゼロの冨岡はいつだって一人で隅にいる印象だったし、仙斎はあの口調と崩れない笑顔に特定の人間と付き合っている様子はなかった。
俺だけでなく煉獄や胡蝶も不思議そうに眺めていて、甘露寺に至っては目を輝かせてる。
「いいか?」
『…物好きだね?』
「物好き…?それと、これ」
冨岡が首を傾げながら持っていた物を上げて見せる。目視したらしいそれに仙斎が目を瞬いたあとに息を吐いた。
『それをどこで?』
「もらった」
『それは…随分なご趣味をお持ちの方とお知り合いのようで』
「?」
『……良いや。何もなければ帰ろ』
「わかった」
こくりと頷いた冨岡はどこか嬉しそうな、そんな空気をまとっていて様子を見ていた不死川が目を瞬いてる。
冨岡との話は終わりなのか、仙斎は今までよく見ていた表情に戻り、今までとは別の方向を見て頭を垂れた。
『お館様がいらっしゃる』
「そうか」
倣うように腰を落とした冨岡。それとほぼ同時にそっくりなお嬢様二人が現れ口を開いた。
「「お館様の御成です」」
「……仙斎…?」
「うむ!近頃頻繁に会話している姿をよく見る!どう親交を深めたのか気になってな!」
「あの冨岡さんと仙斎さんは意外な組み合わせですから。それに、仙斎さんとは個人的に仲良くしたいんです」
「……………仙斎と俺は、仲がいいのか?」
「これだから冨岡さんは…」
『かいくん』
柔らかくも低く、落ち着いた声色。独特のその呼称は俺を表す一つでコイツしか口にしない言葉でもある。
振り返れば予想通り見目だけは華奢で女子のような佇まいのソイツがいて、肩には珍しく烏を乗せてる。
「なんだよ」
『遊び行きましょう』
「仕事じゃねぇのか」
『終わったとこです』
「へー」
柱らしからぬ柱である仙斎は仕事終わりには到底見えない清々しい表情に汚れ一つ見当たらない衣服をまとってた。仕事終わりなのは本当なのか、きちんと会話ができない小さな烏が用は済んだと飛び立つ。
実力は柱だなぁと息を吐いてから腰に差してる日輪刀の確認をして隣に立った。
「どこ行くんだ?」
『飴を食べます』
「ならべっ甲飴でも買いいくか」
『うん』
小さく頷いたから歩き始める。
仙斎はまだ気分が高揚しきっていないらしくかなりおとなしい。
二人で商店に向かい、店を開き始めたばかりの時間だからか品も多く並んでる。
思い出したようにあくびして、口を閉じたところで目の前に物が差し出された。
『かいくんに似てる』
「は?どこが」
『口の中。ふふっ』
どこに引き金があったのかは謎だったけど、目元の紅と同じくらい紅潮した頬と歪む口元にこれはさっさと室内へ連れて行かないと大惨事が起きそうだと店主へ金を渡して飴を買う。
右腕が取られて、熱があたる。
『ん、ふふっ』
「怪しいから静かにしててくれ」
『かいくんが抱っこしてくれたら早いよ』
「お前みたいな重いやつ持てるわけないだろ」
『残念だなぁ』
歩きづらいのか寄りかかるように腕を取って歩くから俺も歩きづらい。
恋仲の男女のように寄り添って歩いていけば通行人の視線が突き刺さるけど仙斎は気にしていなそうだし俺もこいつの言動を見守るほうに忙しい。
「飴食えば?」
『後で』
今買う意味はあったのか。
「仙斎」
『ん?おはよう』
「…………」
あともう少し、もう目と鼻の先の仙斎の所有物である花屋敷。その前に待っていたかのように立っていた水柱に固まる。
仙斎はもう興奮で嫌に上機嫌で笑っていて、目が輝いているけど反対に水柱は何かに驚いたような、戸惑った様子を見せてた。
『あれ?今日約束してました?』
「…してはいない」
「…俺は嫌だからな」
『大丈夫。気持ちいいから』
「そういうことじゃ、」
塞がれた唇。ぶつけようとしていた言葉が仙斎に食べられる。熱い舌が俺の舌を絡めとって、熱を溶かすように混ぜられた。
上顎を撫でるように柔く舌が触れれば腰のあたりに電流が走って、目の前の仙斎の服を握る。
「はっ、ア、ちとせっ」
『んふふ、気持ちよさそうだね』
頬に手のひらが触れて、少し冷たいそれに寄り添うように目を瞑る。撫でるように動く指が目尻の涙をぬぐっていった。
ごりごりっと柔く腹の中を硬いもので抉られて、最初は内臓が追いやられる感覚に恐怖と苦しみから涙が出たけど今じゃすっかり快楽で涙が溢れるようになってる。
挿入の度に肉が擦られて腰のあたりが痺れて腕に力を込め身をかがめる。
解かれた髪が肌に触れて、瞼を上げれば目の前には熱に侵された橙色の瞳が間近にあって細められた。
『っは、気持ちいいねぇ?かいくん』
「ン。っあ、もッ」
『うん』
出会ったのは入隊して少しした頃。
壱の型ができないことで周りから陰口を叩かれながらも急ぎ足で階級を上げていき、丁の位の頃だった。
当然ヒソヒソと囁くように、そして聞こえるように口にされる俺への侮蔑は腹立たしかったし、あれだけ鬼を斬り、強い俺がまだこの位に存在してることも納得がいかない。
それだけじゃなく、師匠からの手紙にあったアイツを最終選別に送り込むなんて話を見てしまって
『……………』
細い肩。服のせいもあるのだろうけど更に小柄に見えるその体躯は端正な顔立ちと長く編まれた髪も相まって美しい女だと思った。
上質そうな外套にどこかの令嬢かと当たりをつけて眉根を寄せる。
「お前、こんなとこでなにやってんだ」
『少し、さがしものをしてます』
小さく呟くように零れた言葉は小鈴が鳴るように透き通ってた。
『いいものみーつけたぁ』
弾むようでねっとりとした熱を混ぜた声は背筋に悪寒を走らせる。
即座に振り向けば口が塞がれて、ほの暗く光る橙と視線がかち合う。咄嗟に腕に力を込めようとすればするりとそいつは離れて、伸びてきた手が胸に触れた。
『お名前教えて?』
「はっ!?誰が!」
『教えてくれないんですか?』
「ざけんな!!」
叫ぶと同時に瞬いてしまって、次に目を開く頃にはそいつは俺から距離を取って微笑んでた。
『強気な子。そういうのとっても好き。それじゃあまたお会いしましょう』
にっこり笑って手を振り、目の前から消える。音を立てずに消えたその様は忍びのようで狐にでも化かされたみたいだ。
『獪岳くん』
軽やかに、そして熱のこもった声に悪寒が走る。即座に飛び退きながら振り返れば見覚えのある女が口元を袖で隠して笑ってた。
『聞いちゃった。可愛いお名前ですね。獪岳くん』
「てめぇ…!?」
なぜ、どうして?
蝶屋敷は鬼殺隊の施設の一つであり、部外者は入れないはずだ。それなのにあの日ふらりと現れて消えた女が存在していることに混乱する。
『獪岳くん、どこか怪我してるの?』
俺の混乱なんて気にも止めてないのか目を細めて問いかけてくる。
『ひどいなぁ』
目を細めて口角を上げる。美しいというよりは妖しく、光る瞳は獲物を見つけた獣のよう。
『隊員同士の手合わせは隊律違反になってしまいますから…』
手にとったのは壁にかけられた木刀。刃に当たる部分を指の先でなぞるとうっそりと笑った。
『稽古、そうしましょう』
「は、」
誰かが困惑から息を吐いて詰めた。
隊律を気にするなんてこいつは隊士であるということで、こんな女に負けるわけがとそいつらは鼻で笑って木刀を取る。
ぞわぞわと背中を駆けていく悪寒は止まらない。
いつの間にか周りが少し騒がしく、見物客が増えてるらしいが当人共は全く気にもかけていないようで、一人が構える。
嘲笑を携えて足を踏み込んだ。その瞬間に風を切る音がして一呼吸よりも速く目の前の男は木刀を落として右手を左手で押さえる。
『遅いですね。次』
「っつ!」
すぐさま二人目が木刀を振りかぶって、それをいなすと相手の木刀を叩いて落とす。
『君も遅い_…』
「クソ女!!」
叫ぶような声。後ろから振り上げていた木刀を下ろす。思わず手を伸ばそうとしてそいつが目を細めたのが見えた。
「あぶねぇ!」
『……_遅いって、お伝えしてますよね?』
ふわりと長い裾が舞う。
『私のお気に入りを侮蔑するならば相応の覚悟が必要ですよね?ふふ、まだ稽古は終わってないなぁ。…_さぁ、立て』
橙の瞳が鋭く三人に突き刺さる。悲鳴のような声を短く上げたそいつらにどたどたと足音が近づいてきて息を吸う音が響いた。
「何事ですか!」
現れたのはこの蝶屋敷の補佐をしているのどあろう二つ結びの女で、そいつはぐるりと道場内を見渡すなり目を見開いて次に視線を落として恐る恐る上げた。
「な、何を…なさってるんですか…?」
『少し稽古をつけていただけです』
美しく微笑む姿はつい今しがた三人の隊士を床に沈めたやつとは思えない。
妙に怯えた表情の二つ結びの肩に手が置かれて、ふわりと甘い、藤の香りが漂った。
「その方たちは一応怪我人なんですよ?」
『怪我人を増やしてはいません』
現れたのは蟲柱で仮面のような笑みをはっつけてそのまま道場の中へ足をすすめる。三人を見下ろしてから頬に手を当てる。
「増えてはいませんが悪化はさせてますよね…?まったく、隊士を虐めるのは辞めてくださいませんか?」
『お気に入りを貶されたので少し、注意をしただけです』
「………まぁ、仙斎さんにお気に入りが?継子になさるんですか?」
『秘密です』
あらあらうふふと見ているだけならば麗しい女子たちの会話に聞き耳を立ててた隊士の表情が固まる。
“継子”その言葉は隊士であれば八割が正しく意味を知っているはずで、蟲柱と対等に話しているその様子からもまさしくその女は俺が目指す、この隊の頂点に当たるらしい。
「お前、まさか、」
あらあらと面白いものを見たように蟲柱は口角を上げる。
「もしかして仙斎さん。きちんと名乗ってないんですか?」
『そうだったかもしれません』
「冨岡さんもそうですが、皆さん言葉が足りませんよね?せっかくの後輩さんに嫌われてしまいますよ?」
『…それは困る』
きょとんとしたあとに表情を緩めて、俺を見据えて柔く笑んだ。
『改めてこんにちは。私は花柱の仙斎。よろしくね、かいくん』
「はし、ら…!」
『かいくんが継子になってくれればあっちこっちからの見合いがなくなるよね』
「は?!お前そんなのきてんのかよ」
『うん。一応柱だから』
「嘘でしょぉおお!?何この人色んな音して気持ち悪い!!なんか獪岳は柔らかい音してるしどうなってんのおおおお助けてじいちゃああああんん!!!」
ぱちくりと瞬きをして、次に瞳を輝かせて手を伸ばす。即座に仙斎の手を捕まえ、訳もわからなそうに一緒にいた隊士が泣き喚くそいつを引き寄せる。
『んふふ、かいくん?邪魔するの??』
「そうじゃねぇよ。任務。さっさと行くぞ」
『…そうですね。お館様のお言葉は絶対』
表情が消える。捕まえた手を離せばすたすたと進み始めた。ぽかんとしてる二人に頭を掻いてから息を吐いて見据える。
「アレは花柱の仙斎。鬼よりも狂ってんから近寄んな」
「えっ、柱!?待って柱って何人もいるよね!?あんな人がいっぱいいるの?!怖いよ炭治郎おおおお!!」
「なんか不思議な感じの匂いのする人だった…柱なのにふわふわしてて、急にどろっとした臭いがした」
獪岳の幸せの箱は底に穴が空いていていつだっていっぱいにならない。
それが、べっとりとした泥のようなもので固められて穴どころか箱ごと包まれて今は感情が溢れかえってる。
“花柱の仙斎”
聞くところによるとかなりの謎が多い人らしく、柱としてはとても長く、岩柱と同じくらい長く柱の任を務めてるらしい。
細い線の身体に長めの髪。柔い表情を浮かべていて女性にしか見えないその人はれっきとした男性で、そしてどろどろとしながらも、カラカラと飴を転がすような軽やかな、不思議な音がする。
「あああああああ兄貴いいいい!!!」
獪岳を面と向かって兄貴と呼んだことは記憶の限りなかった。けれどそれもこの人のおかげでそう呼ばざるを得なくなったというか、伸びてくる手に焦って全力で身を翻して走り出す。
柱の動きに俺がついていける訳がないから、手加減されてるのがわかる。涼しい顔しながらどろどろカラカラと音をさせて追いかけてくるから涙を零しながら走ればすれ違う隊士が奇っ怪なものを見たとでもいいたげに目を丸くした。
「なんで俺なのおおおおお!!!獪岳おっかけろよおおおお!!!!」
俺がどんだけ叫んでも無言。それなのに表情も音も変わらないからとても気持ち悪い。
「兄貴いいいい!!炭治郎おおおお!!!」
どたばた走って、伸びた手が俺の服をつかもうとした瞬間に向かいから風が吹いて目を瞑る。
ぴたりと止んだ後ろの足音に恐る恐る振り返れば伸ばそうとしてたらしい手を取って、細身のその人の体を腕に抱いた大きな背中が見えた。
「随分ド派手な鬼ごっこしてるじゃねぇか」
「あああああ!!」
歓喜で叫んで、抱かれてるその人はぱちくりとまばたきをしてから宇髄さんを見上げる。
『御用ですか?』
「おう。お館様がお呼びだ」
『向かいます』
「合同任務かもな」
『そうですか』
何を思ったのか腕に力を入れ直して、空いている方の右腕を仙斎さんの膝の裏に回す。よっと声を出して持ち上げれば仙斎さんがまた目を瞬いた。
『このまま運ぶんですか?』
「そのほうがド派手にはぇーだろ」
『派手ではありますね』
無駄に抵抗する気もないのか腕に収まったまま、結われていても長い毛先を人差し指に巻く。
機嫌の良さそうな音を転がしながら宇髄さんは歩き始めて、近くで様子を見守ってたはずの隊士がざわつきつつ道を開けた。
「………………」
「は?」
固まった冨岡さんからは戸惑いの匂い。目を丸くした宇髄さんからは苛立ちの匂い。胡蝶さんが愉しそうに笑って、煉獄さんがよもやと力なく零す。
視線の中心になった獪岳さんは居心地が悪そうに眉根を寄せて目を逸らし、当人の片割れである仙斎さんは事態を把握してないのか、興味がなさそうな顔をしてる。
「仙斎さん、本当にその子を継子になさってたんですね?」
『ええ』
「まぁ素敵!でも、仙斎さんったら教えてくれてもよかったのに!」
『必要性を感じませんでした』
「そんなシビアなところも素敵!」
きゃっと笑ってみせる甘露寺さんにぷるぷるとした煉獄さんはよもやよもやしか言えなくなっていてすっと伸びた手が仙斎さんの外套を掴む。
「聞いてない」
『必要性を感じませんでした』
「仙斎さん、同じ返事はやめてあげましょう。冨岡さんが固まってます」
『善処します…?』
注意された理由がわからなそうに首を傾げる。外套を掴んだままの冨岡さんは言葉通り固まっていて、はっと声を零してから顔を上げた煉獄さんが仙斎さんの目の前まで距離を詰めた。
「仙斎!継子の話は聞いていない!」
『必要性を感じませんでした』
「仙斎さん?」
にっこりとした胡蝶さんに眉根を寄せて、目をそらし言葉を選んでから口を開く。
『………皆さんに私から継子の話をする理由はないですし、聞かれなかったので話してません』
「内容がさっきと一緒!冷静なそんなところも素敵だわ!」
冨岡さんと同じく煉獄さんが固まってしまった。
甘露寺さんの笑顔に首を傾げてる仙斎さん。胡蝶さんがやれやれと首を横に振るとほとんど同時に仙斎さんの両肩を大きな手が掴んだ。
「仙斎!」
『はい』
「お前は派手さが足りねぇ!」
『そうですか』
「継子ができたんなら派手に触れまわれ!」
『必要性を感じません』
「愛弟子を見せびらかしたくならねぇか!?」
『思考が理解できません』
「教えろ!」
『教えてほしいんですか?』
「ああ!」
ぱちぱちとまばたきを繰り返す。どろりとしてて甘い匂いのするその人から始めて戸惑いの香りを嗅ぎ取って、仙斎さんは冨岡さんと煉獄さんを見た後に胡蝶さんと甘露寺さんを眺めた。
『なるほど』
何を理解したのか、ふっと匂いが変わる。触れてる手を落として外すと今にも逃げそうな獪岳さんを捕まえた。
後ろから腕を回して獪岳さんを矢面に立たせる。
にんまりと喜色を滲ませた笑みで獪岳さんの首元に顎を置き口を開いた。
『俺のお気に入りのかいくん。手出しはゆるないよ。よろしくおねがいしますね』
「、」
「は、」
「ああ??」
「………勘弁してくれ…」
力ない獪岳さんの悲鳴。柱の皆さんの匂いが憤怒か絶望にかわったところで、仙斎さんはもう話は終わりと言わんばかりに獪岳さんから離れて手を繋ぎ歩き始める。
手を引かれて歩き始めた獪岳さんの背を見送って、固まった空気を動かしたのは響いた感嘆の音だった。
「これが師弟愛っていうものなのかしら…二人の距離感にドキドキしちゃう…」
「っ、違う!」
「急に大きな声を出されてどうしたんですか、冨岡さん?」
叫んだものの次に何を言えばいいのかわからなかったようで冨岡さんが唇を動かして結ぶ。どこか焦りの混じった匂い。
「俺は要らないか?」
『冨岡さん、どうしたんですか?』
「ん、っふ、ふぅ」
『んふふ、息継ぎがうまくできませんか?』
目尻が赤くなってきたから唇を離せば少し涙を滲ませてできた隙間から息を吸う。
啄んで赤く、唾液をまとい光る唇。ぺろりと舐めて見ればぶわりと顔に熱が集まって頬も赤く染まった。
『綺麗』
『柱は継子になれないよ?』
「、それは、そうだが」
『?』
「義勇から聞いたぞ」
『?』
『煉獄さんはこういったことにご興味がないのだと思ってました』
じっと俺を見つめてくる瞳の奥にどろどろとした熱が光が滲み始めたのを感じて喉が鳴る。
『…煉獄さん、どうしたい?』
悪魔の囁き。昔読んだ本であったその単語はまさに仙斎の言葉のことだろう。
誘うように覗いた舌が唇を舐めて、てらてらと光ったのを見た瞬間ぶつりと音をたてて欲望を自制していたか細いそれが切れた。
「鬼は鬼でも、仙斎くんは人食い鬼ではなく嫉妬の鬼に殺されてしまいそうですね」
『縁起でもないことを言わないでください』
「事実です。仕方ありません」
縁側でお茶を片手に和やかな空気を醸しながら話す内容ではない。
聞き耳を立ててるつもりはなかったけど聞こえてしまったそれは全く穏やかじゃなくてどう逃げ出すべきか悩む。
『…嫉妬で狂いそうなのはかいくんぐらいですし、抑え込めますよ』
「あら、仙斎くん意外と周りが見えていないようですね?」
きょとんとした仙斎さんにうふふと綺麗なお姉さんは笑う。
「冨岡さんと執着心が強そうですし、煉獄さんは目移りを許さない人でしょう」
『そうでしょうか』
「錆兎さんの独占欲も中々のものですから、気をつけるのは一方向ではありませんよ?」
『そうでしょうか?』
「まぁその他にも予備軍はいらっしゃいますから、本当に気をつけるんですよ、仙斎くん?」
ぽんぽんと仙斎さんの頭に手を乗せて優しく撫でる。考えてるのか綺麗なお姉さんになされるがままでお姉さんはするりと編まれた髪に手を滑らせて毛先を包むように持つ。
「貴方はずっと私の可愛い継子。しのぶと同じくらい愛おしい。ですから次に会うときも元気な姿を見せてね」
『御心のままに』
「ここまでよく保ったと褒めるべきなのか、到頭均衡を崩してしまったことに諌めるべきなのか、君はどちらがいい?」
『お館様の言葉がすべてです。貴方様の思うままに』
「いつか何かやるとは思ってたがまじでやらかしやがったな」
深いため息。その後にじっとりとした目をしてるから不死川さんは怒りつつ呆れてるらしい。複雑な感情を顕にしてるから持参した土産を差し出せばまた息を吐いて包みを開いた。
腰を下ろして一つ取り上げて口に運ぶ。見目に似合わない甘いものを美味しそうに食す姿にもらった情報による手土産は間違ってなかったと安堵する。
「食い終わったら帰ってもらうぞ」
『ありがとうございます』
「………はぁ。アイツらも何が良くてこんな奴追っかけてんだかなぁ」
もぐもぐと甘味を食しながら呆れられても今一普段の凄みは感じない。
出された煎茶で喉を潤して、小さく息を吐きながら頷く。
『私も知りたいです』
本来、使う呼吸と柱の名が連動していることが多い。けれど、彼は灯の呼吸の、花柱である。
消え入りそうな気配。これは彼奴かとそちらを見ればゆったりと無駄のない、品を纏った動作で歩くそれが視界に入った。
「よう」
声を掛ければ目が合い、緩やかな動作で頭が下げられた。
病的に白い肌に揺れる緑褐色の髪。俺と同じく拘りがあるのか一房だけ長い髪は三つ編みにされて胸元に垂らされている。纏う服も教会で見るシスターのようで、細い身体と低い背も相まって女にしか見えなかった。
そのまま歩き始めた。
「聞いたぞ?最近下弦を倒したんだってな?」
『はい』
「特に怪我は無さそうだな」
『はい』
驚くくらいに、会話が続かない。
口下手なのか次に続けられる話し方ではないせいで同じ話題をふくらませるのは厳しい。
無口な冨岡も似たりよったりだけれど、柱はどこか性格に難がある人間が多いような気がする。
隣を歩くことを否定してこないから存在を否定されている訳ではないのだろうけど相変わらず掴みづらい人間だ。
「………………」
合同任務は苦手だ。
己で思っているよりも相手に言葉が伝わっておらず連携を取るのもままならず、胡蝶にもよく笑顔で苛立たれる。
よっぽどの強い鬼でなければ柱同士で任務に当たることは滅多にないけれど、
斬られると、そう、思った。
「仙斎!」
裂かれそうになった薄い身体を翻して、そした刀を逆手に握るなり薙ぐ。そのまま地を蹴り後方に三歩。
「ちっ」
苛立ち気に舌打ちをかました鬼。俯いていた仙斎は距離を取って、そして、口元を歪ませた。
『っふふ』
「仙斎!」
『ははっ!』
わかりやすく上がった口角。紅潮した頬に息を呑む。
『きみ!さいこう!これだよこれ!!』
「…仙斎さん?」
『んっ!……ふふ、やばい、滾ってる』
舌で薄い唇を舐め、空いている左手で重たい前髪をかきあげ後ろに撫で付ける。普段は隠されている八の字の下がり眉は眉間に軽く皺が寄り、歪んだ表情は恍惚としてた。
『気持ちいい?ねぇ?気持ちいい??』
「っ、が」
『んふふふ、俺もイッちゃいそぉ』
「ひぃ、ぐっ」
『ねぇ、もっと啼いてよ』
『………ふぅ』
吐息。恍惚とした表情と達成感の表れのそれは、色街で見る、人の事後の姿に似ている。
目を閉じて、不意に開くと手についた血を確認するように指先同士を合わせて擦りつけ口角を上げた。
『ふふ、足りないなぁ』
「…………、仙斎」
『冨岡さん?なんですか?』
きらきらというよりもギラギラとした獣のような瞳が俺を捉えて言葉が出てこず唾を飲む。
初めて見る表情。初めて聞く声。
「仙斎」
『こんにちは』
「ああ」
近頃、あの冨岡と仙斎がよく一緒にいるのを見かける。
口下手無表情協調性ゼロの冨岡はいつだって一人で隅にいる印象だったし、仙斎はあの口調と崩れない笑顔に特定の人間と付き合っている様子はなかった。
俺だけでなく煉獄や胡蝶も不思議そうに眺めていて、甘露寺に至っては目を輝かせてる。
「いいか?」
『…物好きだね?』
「物好き…?それと、これ」
冨岡が首を傾げながら持っていた物を上げて見せる。目視したらしいそれに仙斎が目を瞬いたあとに息を吐いた。
『それをどこで?』
「もらった」
『それは…随分なご趣味をお持ちの方とお知り合いのようで』
「?」
『……良いや。何もなければ帰ろ』
「わかった」
こくりと頷いた冨岡はどこか嬉しそうな、そんな空気をまとっていて様子を見ていた不死川が目を瞬いてる。
冨岡との話は終わりなのか、仙斎は今までよく見ていた表情に戻り、今までとは別の方向を見て頭を垂れた。
『お館様がいらっしゃる』
「そうか」
倣うように腰を落とした冨岡。それとほぼ同時にそっくりなお嬢様二人が現れ口を開いた。
「「お館様の御成です」」
「……仙斎…?」
「うむ!近頃頻繁に会話している姿をよく見る!どう親交を深めたのか気になってな!」
「あの冨岡さんと仙斎さんは意外な組み合わせですから。それに、仙斎さんとは個人的に仲良くしたいんです」
「……………仙斎と俺は、仲がいいのか?」
「これだから冨岡さんは…」
『かいくん』
柔らかくも低く、落ち着いた声色。独特のその呼称は俺を表す一つでコイツしか口にしない言葉でもある。
振り返れば予想通り見目だけは華奢で女子のような佇まいのソイツがいて、肩には珍しく烏を乗せてる。
「なんだよ」
『遊び行きましょう』
「仕事じゃねぇのか」
『終わったとこです』
「へー」
柱らしからぬ柱である仙斎は仕事終わりには到底見えない清々しい表情に汚れ一つ見当たらない衣服をまとってた。仕事終わりなのは本当なのか、きちんと会話ができない小さな烏が用は済んだと飛び立つ。
実力は柱だなぁと息を吐いてから腰に差してる日輪刀の確認をして隣に立った。
「どこ行くんだ?」
『飴を食べます』
「ならべっ甲飴でも買いいくか」
『うん』
小さく頷いたから歩き始める。
仙斎はまだ気分が高揚しきっていないらしくかなりおとなしい。
二人で商店に向かい、店を開き始めたばかりの時間だからか品も多く並んでる。
思い出したようにあくびして、口を閉じたところで目の前に物が差し出された。
『かいくんに似てる』
「は?どこが」
『口の中。ふふっ』
どこに引き金があったのかは謎だったけど、目元の紅と同じくらい紅潮した頬と歪む口元にこれはさっさと室内へ連れて行かないと大惨事が起きそうだと店主へ金を渡して飴を買う。
右腕が取られて、熱があたる。
『ん、ふふっ』
「怪しいから静かにしててくれ」
『かいくんが抱っこしてくれたら早いよ』
「お前みたいな重いやつ持てるわけないだろ」
『残念だなぁ』
歩きづらいのか寄りかかるように腕を取って歩くから俺も歩きづらい。
恋仲の男女のように寄り添って歩いていけば通行人の視線が突き刺さるけど仙斎は気にしていなそうだし俺もこいつの言動を見守るほうに忙しい。
「飴食えば?」
『後で』
今買う意味はあったのか。
「仙斎」
『ん?おはよう』
「…………」
あともう少し、もう目と鼻の先の仙斎の所有物である花屋敷。その前に待っていたかのように立っていた水柱に固まる。
仙斎はもう興奮で嫌に上機嫌で笑っていて、目が輝いているけど反対に水柱は何かに驚いたような、戸惑った様子を見せてた。
『あれ?今日約束してました?』
「…してはいない」
「…俺は嫌だからな」
『大丈夫。気持ちいいから』
「そういうことじゃ、」
塞がれた唇。ぶつけようとしていた言葉が仙斎に食べられる。熱い舌が俺の舌を絡めとって、熱を溶かすように混ぜられた。
上顎を撫でるように柔く舌が触れれば腰のあたりに電流が走って、目の前の仙斎の服を握る。
「はっ、ア、ちとせっ」
『んふふ、気持ちよさそうだね』
頬に手のひらが触れて、少し冷たいそれに寄り添うように目を瞑る。撫でるように動く指が目尻の涙をぬぐっていった。
ごりごりっと柔く腹の中を硬いもので抉られて、最初は内臓が追いやられる感覚に恐怖と苦しみから涙が出たけど今じゃすっかり快楽で涙が溢れるようになってる。
挿入の度に肉が擦られて腰のあたりが痺れて腕に力を込め身をかがめる。
解かれた髪が肌に触れて、瞼を上げれば目の前には熱に侵された橙色の瞳が間近にあって細められた。
『っは、気持ちいいねぇ?かいくん』
「ン。っあ、もッ」
『うん』
出会ったのは入隊して少しした頃。
壱の型ができないことで周りから陰口を叩かれながらも急ぎ足で階級を上げていき、丁の位の頃だった。
当然ヒソヒソと囁くように、そして聞こえるように口にされる俺への侮蔑は腹立たしかったし、あれだけ鬼を斬り、強い俺がまだこの位に存在してることも納得がいかない。
それだけじゃなく、師匠からの手紙にあったアイツを最終選別に送り込むなんて話を見てしまって
『……………』
細い肩。服のせいもあるのだろうけど更に小柄に見えるその体躯は端正な顔立ちと長く編まれた髪も相まって美しい女だと思った。
上質そうな外套にどこかの令嬢かと当たりをつけて眉根を寄せる。
「お前、こんなとこでなにやってんだ」
『少し、さがしものをしてます』
小さく呟くように零れた言葉は小鈴が鳴るように透き通ってた。
『いいものみーつけたぁ』
弾むようでねっとりとした熱を混ぜた声は背筋に悪寒を走らせる。
即座に振り向けば口が塞がれて、ほの暗く光る橙と視線がかち合う。咄嗟に腕に力を込めようとすればするりとそいつは離れて、伸びてきた手が胸に触れた。
『お名前教えて?』
「はっ!?誰が!」
『教えてくれないんですか?』
「ざけんな!!」
叫ぶと同時に瞬いてしまって、次に目を開く頃にはそいつは俺から距離を取って微笑んでた。
『強気な子。そういうのとっても好き。それじゃあまたお会いしましょう』
にっこり笑って手を振り、目の前から消える。音を立てずに消えたその様は忍びのようで狐にでも化かされたみたいだ。
『獪岳くん』
軽やかに、そして熱のこもった声に悪寒が走る。即座に飛び退きながら振り返れば見覚えのある女が口元を袖で隠して笑ってた。
『聞いちゃった。可愛いお名前ですね。獪岳くん』
「てめぇ…!?」
なぜ、どうして?
蝶屋敷は鬼殺隊の施設の一つであり、部外者は入れないはずだ。それなのにあの日ふらりと現れて消えた女が存在していることに混乱する。
『獪岳くん、どこか怪我してるの?』
俺の混乱なんて気にも止めてないのか目を細めて問いかけてくる。
『ひどいなぁ』
目を細めて口角を上げる。美しいというよりは妖しく、光る瞳は獲物を見つけた獣のよう。
『隊員同士の手合わせは隊律違反になってしまいますから…』
手にとったのは壁にかけられた木刀。刃に当たる部分を指の先でなぞるとうっそりと笑った。
『稽古、そうしましょう』
「は、」
誰かが困惑から息を吐いて詰めた。
隊律を気にするなんてこいつは隊士であるということで、こんな女に負けるわけがとそいつらは鼻で笑って木刀を取る。
ぞわぞわと背中を駆けていく悪寒は止まらない。
いつの間にか周りが少し騒がしく、見物客が増えてるらしいが当人共は全く気にもかけていないようで、一人が構える。
嘲笑を携えて足を踏み込んだ。その瞬間に風を切る音がして一呼吸よりも速く目の前の男は木刀を落として右手を左手で押さえる。
『遅いですね。次』
「っつ!」
すぐさま二人目が木刀を振りかぶって、それをいなすと相手の木刀を叩いて落とす。
『君も遅い_…』
「クソ女!!」
叫ぶような声。後ろから振り上げていた木刀を下ろす。思わず手を伸ばそうとしてそいつが目を細めたのが見えた。
「あぶねぇ!」
『……_遅いって、お伝えしてますよね?』
ふわりと長い裾が舞う。
『私のお気に入りを侮蔑するならば相応の覚悟が必要ですよね?ふふ、まだ稽古は終わってないなぁ。…_さぁ、立て』
橙の瞳が鋭く三人に突き刺さる。悲鳴のような声を短く上げたそいつらにどたどたと足音が近づいてきて息を吸う音が響いた。
「何事ですか!」
現れたのはこの蝶屋敷の補佐をしているのどあろう二つ結びの女で、そいつはぐるりと道場内を見渡すなり目を見開いて次に視線を落として恐る恐る上げた。
「な、何を…なさってるんですか…?」
『少し稽古をつけていただけです』
美しく微笑む姿はつい今しがた三人の隊士を床に沈めたやつとは思えない。
妙に怯えた表情の二つ結びの肩に手が置かれて、ふわりと甘い、藤の香りが漂った。
「その方たちは一応怪我人なんですよ?」
『怪我人を増やしてはいません』
現れたのは蟲柱で仮面のような笑みをはっつけてそのまま道場の中へ足をすすめる。三人を見下ろしてから頬に手を当てる。
「増えてはいませんが悪化はさせてますよね…?まったく、隊士を虐めるのは辞めてくださいませんか?」
『お気に入りを貶されたので少し、注意をしただけです』
「………まぁ、仙斎さんにお気に入りが?継子になさるんですか?」
『秘密です』
あらあらうふふと見ているだけならば麗しい女子たちの会話に聞き耳を立ててた隊士の表情が固まる。
“継子”その言葉は隊士であれば八割が正しく意味を知っているはずで、蟲柱と対等に話しているその様子からもまさしくその女は俺が目指す、この隊の頂点に当たるらしい。
「お前、まさか、」
あらあらと面白いものを見たように蟲柱は口角を上げる。
「もしかして仙斎さん。きちんと名乗ってないんですか?」
『そうだったかもしれません』
「冨岡さんもそうですが、皆さん言葉が足りませんよね?せっかくの後輩さんに嫌われてしまいますよ?」
『…それは困る』
きょとんとしたあとに表情を緩めて、俺を見据えて柔く笑んだ。
『改めてこんにちは。私は花柱の仙斎。よろしくね、かいくん』
「はし、ら…!」
『かいくんが継子になってくれればあっちこっちからの見合いがなくなるよね』
「は?!お前そんなのきてんのかよ」
『うん。一応柱だから』
「嘘でしょぉおお!?何この人色んな音して気持ち悪い!!なんか獪岳は柔らかい音してるしどうなってんのおおおお助けてじいちゃああああんん!!!」
ぱちくりと瞬きをして、次に瞳を輝かせて手を伸ばす。即座に仙斎の手を捕まえ、訳もわからなそうに一緒にいた隊士が泣き喚くそいつを引き寄せる。
『んふふ、かいくん?邪魔するの??』
「そうじゃねぇよ。任務。さっさと行くぞ」
『…そうですね。お館様のお言葉は絶対』
表情が消える。捕まえた手を離せばすたすたと進み始めた。ぽかんとしてる二人に頭を掻いてから息を吐いて見据える。
「アレは花柱の仙斎。鬼よりも狂ってんから近寄んな」
「えっ、柱!?待って柱って何人もいるよね!?あんな人がいっぱいいるの?!怖いよ炭治郎おおおお!!」
「なんか不思議な感じの匂いのする人だった…柱なのにふわふわしてて、急にどろっとした臭いがした」
獪岳の幸せの箱は底に穴が空いていていつだっていっぱいにならない。
それが、べっとりとした泥のようなもので固められて穴どころか箱ごと包まれて今は感情が溢れかえってる。
“花柱の仙斎”
聞くところによるとかなりの謎が多い人らしく、柱としてはとても長く、岩柱と同じくらい長く柱の任を務めてるらしい。
細い線の身体に長めの髪。柔い表情を浮かべていて女性にしか見えないその人はれっきとした男性で、そしてどろどろとしながらも、カラカラと飴を転がすような軽やかな、不思議な音がする。
「あああああああ兄貴いいいい!!!」
獪岳を面と向かって兄貴と呼んだことは記憶の限りなかった。けれどそれもこの人のおかげでそう呼ばざるを得なくなったというか、伸びてくる手に焦って全力で身を翻して走り出す。
柱の動きに俺がついていける訳がないから、手加減されてるのがわかる。涼しい顔しながらどろどろカラカラと音をさせて追いかけてくるから涙を零しながら走ればすれ違う隊士が奇っ怪なものを見たとでもいいたげに目を丸くした。
「なんで俺なのおおおおお!!!獪岳おっかけろよおおおお!!!!」
俺がどんだけ叫んでも無言。それなのに表情も音も変わらないからとても気持ち悪い。
「兄貴いいいい!!炭治郎おおおお!!!」
どたばた走って、伸びた手が俺の服をつかもうとした瞬間に向かいから風が吹いて目を瞑る。
ぴたりと止んだ後ろの足音に恐る恐る振り返れば伸ばそうとしてたらしい手を取って、細身のその人の体を腕に抱いた大きな背中が見えた。
「随分ド派手な鬼ごっこしてるじゃねぇか」
「あああああ!!」
歓喜で叫んで、抱かれてるその人はぱちくりとまばたきをしてから宇髄さんを見上げる。
『御用ですか?』
「おう。お館様がお呼びだ」
『向かいます』
「合同任務かもな」
『そうですか』
何を思ったのか腕に力を入れ直して、空いている方の右腕を仙斎さんの膝の裏に回す。よっと声を出して持ち上げれば仙斎さんがまた目を瞬いた。
『このまま運ぶんですか?』
「そのほうがド派手にはぇーだろ」
『派手ではありますね』
無駄に抵抗する気もないのか腕に収まったまま、結われていても長い毛先を人差し指に巻く。
機嫌の良さそうな音を転がしながら宇髄さんは歩き始めて、近くで様子を見守ってたはずの隊士がざわつきつつ道を開けた。
「………………」
「は?」
固まった冨岡さんからは戸惑いの匂い。目を丸くした宇髄さんからは苛立ちの匂い。胡蝶さんが愉しそうに笑って、煉獄さんがよもやと力なく零す。
視線の中心になった獪岳さんは居心地が悪そうに眉根を寄せて目を逸らし、当人の片割れである仙斎さんは事態を把握してないのか、興味がなさそうな顔をしてる。
「仙斎さん、本当にその子を継子になさってたんですね?」
『ええ』
「まぁ素敵!でも、仙斎さんったら教えてくれてもよかったのに!」
『必要性を感じませんでした』
「そんなシビアなところも素敵!」
きゃっと笑ってみせる甘露寺さんにぷるぷるとした煉獄さんはよもやよもやしか言えなくなっていてすっと伸びた手が仙斎さんの外套を掴む。
「聞いてない」
『必要性を感じませんでした』
「仙斎さん、同じ返事はやめてあげましょう。冨岡さんが固まってます」
『善処します…?』
注意された理由がわからなそうに首を傾げる。外套を掴んだままの冨岡さんは言葉通り固まっていて、はっと声を零してから顔を上げた煉獄さんが仙斎さんの目の前まで距離を詰めた。
「仙斎!継子の話は聞いていない!」
『必要性を感じませんでした』
「仙斎さん?」
にっこりとした胡蝶さんに眉根を寄せて、目をそらし言葉を選んでから口を開く。
『………皆さんに私から継子の話をする理由はないですし、聞かれなかったので話してません』
「内容がさっきと一緒!冷静なそんなところも素敵だわ!」
冨岡さんと同じく煉獄さんが固まってしまった。
甘露寺さんの笑顔に首を傾げてる仙斎さん。胡蝶さんがやれやれと首を横に振るとほとんど同時に仙斎さんの両肩を大きな手が掴んだ。
「仙斎!」
『はい』
「お前は派手さが足りねぇ!」
『そうですか』
「継子ができたんなら派手に触れまわれ!」
『必要性を感じません』
「愛弟子を見せびらかしたくならねぇか!?」
『思考が理解できません』
「教えろ!」
『教えてほしいんですか?』
「ああ!」
ぱちぱちとまばたきを繰り返す。どろりとしてて甘い匂いのするその人から始めて戸惑いの香りを嗅ぎ取って、仙斎さんは冨岡さんと煉獄さんを見た後に胡蝶さんと甘露寺さんを眺めた。
『なるほど』
何を理解したのか、ふっと匂いが変わる。触れてる手を落として外すと今にも逃げそうな獪岳さんを捕まえた。
後ろから腕を回して獪岳さんを矢面に立たせる。
にんまりと喜色を滲ませた笑みで獪岳さんの首元に顎を置き口を開いた。
『俺のお気に入りのかいくん。手出しはゆるないよ。よろしくおねがいしますね』
「、」
「は、」
「ああ??」
「………勘弁してくれ…」
力ない獪岳さんの悲鳴。柱の皆さんの匂いが憤怒か絶望にかわったところで、仙斎さんはもう話は終わりと言わんばかりに獪岳さんから離れて手を繋ぎ歩き始める。
手を引かれて歩き始めた獪岳さんの背を見送って、固まった空気を動かしたのは響いた感嘆の音だった。
「これが師弟愛っていうものなのかしら…二人の距離感にドキドキしちゃう…」
「っ、違う!」
「急に大きな声を出されてどうしたんですか、冨岡さん?」
叫んだものの次に何を言えばいいのかわからなかったようで冨岡さんが唇を動かして結ぶ。どこか焦りの混じった匂い。
「俺は要らないか?」
『冨岡さん、どうしたんですか?』
「ん、っふ、ふぅ」
『んふふ、息継ぎがうまくできませんか?』
目尻が赤くなってきたから唇を離せば少し涙を滲ませてできた隙間から息を吸う。
啄んで赤く、唾液をまとい光る唇。ぺろりと舐めて見ればぶわりと顔に熱が集まって頬も赤く染まった。
『綺麗』
『柱は継子になれないよ?』
「、それは、そうだが」
『?』
「義勇から聞いたぞ」
『?』
『煉獄さんはこういったことにご興味がないのだと思ってました』
じっと俺を見つめてくる瞳の奥にどろどろとした熱が光が滲み始めたのを感じて喉が鳴る。
『…煉獄さん、どうしたい?』
悪魔の囁き。昔読んだ本であったその単語はまさに仙斎の言葉のことだろう。
誘うように覗いた舌が唇を舐めて、てらてらと光ったのを見た瞬間ぶつりと音をたてて欲望を自制していたか細いそれが切れた。
「鬼は鬼でも、仙斎くんは人食い鬼ではなく嫉妬の鬼に殺されてしまいそうですね」
『縁起でもないことを言わないでください』
「事実です。仕方ありません」
縁側でお茶を片手に和やかな空気を醸しながら話す内容ではない。
聞き耳を立ててるつもりはなかったけど聞こえてしまったそれは全く穏やかじゃなくてどう逃げ出すべきか悩む。
『…嫉妬で狂いそうなのはかいくんぐらいですし、抑え込めますよ』
「あら、仙斎くん意外と周りが見えていないようですね?」
きょとんとした仙斎さんにうふふと綺麗なお姉さんは笑う。
「冨岡さんと執着心が強そうですし、煉獄さんは目移りを許さない人でしょう」
『そうでしょうか』
「錆兎さんの独占欲も中々のものですから、気をつけるのは一方向ではありませんよ?」
『そうでしょうか?』
「まぁその他にも予備軍はいらっしゃいますから、本当に気をつけるんですよ、仙斎くん?」
ぽんぽんと仙斎さんの頭に手を乗せて優しく撫でる。考えてるのか綺麗なお姉さんになされるがままでお姉さんはするりと編まれた髪に手を滑らせて毛先を包むように持つ。
「貴方はずっと私の可愛い継子。しのぶと同じくらい愛おしい。ですから次に会うときも元気な姿を見せてね」
『御心のままに』
「ここまでよく保ったと褒めるべきなのか、到頭均衡を崩してしまったことに諌めるべきなのか、君はどちらがいい?」
『お館様の言葉がすべてです。貴方様の思うままに』
「いつか何かやるとは思ってたがまじでやらかしやがったな」
深いため息。その後にじっとりとした目をしてるから不死川さんは怒りつつ呆れてるらしい。複雑な感情を顕にしてるから持参した土産を差し出せばまた息を吐いて包みを開いた。
腰を下ろして一つ取り上げて口に運ぶ。見目に似合わない甘いものを美味しそうに食す姿にもらった情報による手土産は間違ってなかったと安堵する。
「食い終わったら帰ってもらうぞ」
『ありがとうございます』
「………はぁ。アイツらも何が良くてこんな奴追っかけてんだかなぁ」
もぐもぐと甘味を食しながら呆れられても今一普段の凄みは感じない。
出された煎茶で喉を潤して、小さく息を吐きながら頷く。
『私も知りたいです』
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